はてなキーワード: サザンとは
桑田佳祐自体はサザンの曲をカラオケで歌うこともあるし好きな方だけど、
言ってることはそうだなと思う
サザンじゃないソロのほうはもっとそう思う。ソロならではのことをもうやってない
でもそんなものじゃない?
人の天才性(つまりは他者との差違のことだと思うが)なんて有限で、あっという間に消費されて終わりでしょ
だから俺、好きなアーティストが亡くなっても、全く悲しくないんだよね
もうすでに十分な音源あるじゃん、って思うから。フィッシュマンズ佐藤も、LR黒沢健一も、俺にとっては十分過ぎる作品遺してくれてるから、正直悲しくなかった。冷たいけど
もうライブに行けない、ってのはあるから、今でもライブ行くアーティストが亡くなったら悲しいかなぁ…どうだろ?
そして大して好きでもないロカビリー歌手や加山やエレキバンドやグループサウンズやキャロルや秀樹やゴダイゴや教授や小室哲哉や古賀政男やらを羅列して、はっぴいえんどは小物だ音楽業界や雑誌ののステマだ連呼して大暴れ
要するに70年代の少年時代に歌謡曲よりイケてる邦楽のトップクラスだと信じて聴いてきた存在が、現在では見向きもされないからキレてるのよ
まず、この2組はサザンがデビュー即ブレイク、オフコースの増員やゴダイゴや原田真二が出てきた時点で一気に古臭く聴こえて過去の遺物になっていたわけ
聖子、たのきん、シャネルズ、YMOブレイク辺りで完全に存在感を失う
ユーミン、みゆき、陽水、小田、桑田らがその後も一線級であり続け、松山千春ですら90年代にヒットを出したが、拓郎とチューリップは70年代の思い出と共にリアルタイム世代のみに支持される存在になった
音楽雑誌の影響力などとっくに消え失せ、90年代の時点で売れてる雑誌はソニマガにロキノンジャパンにヴィジュアル系専門誌
現在はストリームにサブスク時代なので更にはっぴいえんど史観ブーストなどないも同然だが、そこでも拓郎やチューリップは後世の人間に聴かれない
しかも90年代はCMにドラマにキンキキッズの番組など、タイアップやメディアで拓郎とチューリップはあれだけゴリ押しされたのに無風だった
ラジオでも拓郎は昭和懐メロニューミュージックや歌謡曲括りでしか流れないが、はっぴいえんどは90年代以降の邦楽や洋楽と共に選曲されており、流れる頻度も後者が圧倒
シティ・ポップ、フラワー・トラベリン・バンドなど一部のグループサウンズやその流れのニュー・ロックのように海外で音源が発売されて評価されるムーブメントも起こらない
拓郎やチューリップをリアルタイムで支持していた当時のティーンズもリアル他界間近だから、蝋燭の火が消える直前に燃え盛るってやつなのかしら
こないだ後輩とカラオケに行ったんだけど、秘蔵の"無難カラオケ曲リスト"の中からB'z、ミスチル、ポルノ、スピッツなどを歌ったところ、サビだけ「おお〜知ってる曲だ」みたいな反応で、あとはうまく乗り切れてない感じだった。で、帰り際に「増田さんって結構懐メロとか歌うんすね!」って言われた。
まあ確かに90〜00年代だから懐メロかとは思いつつ、でも俺も別にB'zミスチルど真ん中世代じゃないけどカラオケの定番曲として履修しただけだしなぁ……。
B'zミスチルポルノスピッツ(あとサザン)なら、父親世代から年下まで広くカバーできると思ってたけど、もしかして通用するのは俺らの世代がギリなのか……?
少し前にXの音楽好き界隈で捨て曲についての考えが飛び交っていたことがあった。
捨て曲も楽しんでこそ、とか捨て曲という表現は失礼、とかあれこれ云われていたのだけど、たしかに思うところのある言葉ではある。
基本的にはアルバムの中のつまらない曲を指す言葉だと思う。ただし、この曲は捨て曲、と名指しで否定するより、このアルバムは捨て曲無し、と褒めるための用法が主になっている。
個人的には捨て曲という言葉は使わないが、それに相応する曲はもちろんある。ただ、要らないとは思わなくてそれはそれでしっかりいただくほうだ。刺身はツマまで食べるタイプである。
リスナーが感じる良し悪しとは別に、ライブで一度もやらないような曲はミュージシャン的には捨て曲なのかなと思ったりする。
じゃあそういう曲は不要な埋め草にすぎないのかというと、そうでもない。あまり面白くない曲、地味な曲、お試し的な曲を作ることもミュージシャンの重要な創意であり、それを聴けるところにむしろ豊かさがあるのではないか。
サザンのアルバムなんかには、(シングル曲的なサザンを求める人にとっては)よくわからないであろう曲がちょいちょいあったと思う。これが音楽的豊かさであると勝手に得心したりする。
まあそう思えるのもなんだかんだアルバムすべてを楽しんで聴けているからであって、本当につまらなかったらプレイリストから捨て曲だけ省く暴挙をしてしまうかもしれない。幸いこれまでそうした経験はないけど。
近年はアルバム前提の曲作りをするミュージシャンは減ってきているようだ。一曲ずつMVで発表するスタイルなわけだが、そうするとすべての曲は単独で聴かれるため今回はウケなくてもいいとはならず、常にキャッチーさが求められ捨て曲は許されない。結果的にリスナーにとっては全部良い曲!という感覚を持てたりもするが、やはり若干の窮屈さを感じなくもない。捨て曲ウェルカムな気持ちにもなる。