はてなキーワード: いじめっ子とは
異常にコミカルなファイナルデスティネーションなんだけど妙にウェットな部分もある不思議な映画だった72点。
父親を早くに亡くした兄弟のビルとハルはある日物置でドラムを叩くサルのおもちゃを発見する。ねじを巻いてみたところ乳母が死亡。これはもしや人を殺すサルなのではと思った弟のハルはいじめっ子の兄のビルを殺そうとねじを巻くも母親が死亡。その後も引き取ってくれた叔父、叔母が死亡し恐れおののいたふたりはサルを封印。それぞれの道を行く。数十年後、ビルはろくでなしに、ハルは父親になるも子供の頃のトラウマがもとで子供を遠ざける日々。しかしビルがサルを取り戻しハルへの復讐を企んでいることが分かり……
というお話。
ちょっと予告編がよくできすぎてて期待感が上がりすぎていたのでそれは越えてこなかったなって部分で若干の残念さはあるものの、「理不尽な面白死を楽しむ映画」として「面白死」「演出」のどちらの点も一定以上の強度があるし、「死」をどう扱うべきかという部分で監督の一貫したメッセージ性が感じられるのもよい。
面白死自体はめっちゃ雑で大雑把なファイナルデスティネーションみたいになってる。例えばもっとも愉快なシーンで行くとモーテルのようなところで女性がプールに飛び込もうとしているんだけど、不思議な力によって電線が切れてそれがプールにつながる水に浸かってしまう。あっ、感電死するやつだ!と思って見てると、プールに飛び込んだ女性が爆散して主人公のところに足が飛んでくる。これがめっちゃテンポよく進むので、やりすぎ感と相まってついつい笑っちゃう。
演出面も強くて、叔父の死亡展開。捨てたはずのサルがなぜか叔父の家に置いてあってこれは呪いのサルでねじを巻いたら誰かが死ぬんじゃないかという話を兄弟でする。いじめっ子の兄は「巻いてみようぜ!」と言い出し、弟は「やめとこうよ」と言うんだけど、「やめとこうよ」のセリフを食い気味にシーン転換して叔父の葬式の場面に移る。テンポ良すぎるだろ!で、その後、ちゃんと叔父がどんな面白死をしたのかも映してくれるのもよい。
こういう死のわんこそばみたいな映画って同じようにギミック死が続くだけだから飽きるって問題があるんだけどこの作品はそれを演出面でうまく補完していると思う。
一方でFDシリーズみたいに「面白死アトラクション全振り」ってよりは(実際そういう側面も強いんだけど)監督のわりとウェッティな価値観も盛り込まれていて、主人公たちが母親から告げられ、最後にもう一度大人になった主人公のハルから子供に継承される「死は平等に訪れる、だから生きてる我々は踊ろう」という展開。
出てくるシーンはすげーバカみたいで不謹慎だろ!って思っちゃうんだけど、でもそれも一つの真理だよなと。
主人公のハルと兄のビルは「父の死」に囚われて「死を招くサル」を発見し、大切な人間を次々に失ってしまう。そして今度は大切な人間を失ったことに囚われて兄のビルは弟のハルへの復讐のために人生を捨ててしまうし、主人公のハルは新しくできた自分の家族(幸せ)を遠ざけてしまう。
おそらくだけどこのサルは単なる呪いの道具ではなくて「トラウマ」のメタファーなのかもと感じた。トラウマを無理に覆い隠そう、別のものにしようとすればするほど周りは不幸になり却って自分を傷つける。
こういった作品では普通は呪い道具を破壊して終わるが今作では主人公が息子に「サルはどうするの?」と聞かれて「これは俺が保管する。そしてずっと守って生きていく」と答え息子はそれに同意する。そして車の前を作中でも引かれていたヨハネの黙示録の馬に乗った死が横切り、主人公は軽く会釈をして見送り=死を受け入れ街を去る。
コミカルすぎる様々な死とこのウェッティな価値観の食い合わせが悪いと感じる人は少なくないと思うので、なんか思ってたのと違ったなぁってなる人も多い気はするけど俺は嫌いじゃないかな。
出てくる奴らみんななんかちょっとイカれてて死んでもあんま悲しくないのもよい。叔母が死んだときになぜか遺体搬送を応援してるイカれたチアリーダー部が最後に面白く全滅して終わるんだけど、これは「(死を他人事みたいに楽しんでる)お前らだよ」というメッセージだと思うんだけど、それはそれとしてウェットすぎないカラッとした終わり方でそれもよかった。
音楽の使い方もよかったし、人生に残る大傑作とかでは別にないけど面白死アトラクション映画としてもFDシリーズとの差別化もできているし普通に見てて楽しいし、意外とちゃんとしたメッセージ性もあって普通にいい映画だった。ただその食い合わせが気になる人はいるかなって感じ。
基本的人権ってご存知?まるで悪魔や魔女を追い立てるように最近いじめっ子を追い立ててるけどさ、彼らにも人権があります
あと社会的にはいじめられるやつよりいじめをできる人間の方が需要あるし求められてるし成功しますよっと
いじめられるようなやつは真っ暗な将来とどん詰まりの人生なのに、明るい未来を持ついじめをする人間を優先するのは当たり前ですよね
なんならいじめられっ子が自殺とかしてたら文字通りもう「将来がない」じゃあないですか笑、そんなのよりも生きてるいじめっ子の方がずっと重要で尊いです、死んだやつよりも、生きてる未来ある子供!
所詮君らが炎上させてるのは、自分たちが底辺だったりいじめられるような奴だったトラウマや怒りを、自分と無関係で将来もあるいじめっ子へ八つ当たりしてるだけでしょ?
「できない理由」について議論する前に「できる方法」を議論しろよ!ってやつだよなそれ
でもそれって思考停止でしかなくて、実際には「できない理由」をつぶすことが、「できる方法」でしょ
いじめに原因や理由があるなら、その原因を取り除けばいいという話
いじめられやすいタイプの特性を持つ子が、その特性に対して受容的な環境を選ぶ、みたいな消極的な方法もあるだろうし
いじめる側の成育歴とかに問題あるなら、いじめに発展するまえに早めに介入するとか、いじめっ子側にアプローチする方法もあるかもしれない
いじめっこの攻撃的な性格がにじみ出ている文章だね。恐ろしいのがこれを子どもじゃ無くて大人になった今でも書けると言うこと。いじめっ子に問題があるというより、いじめっこの認知に問題があるのを端的に証明している。
いじめっこに問題があるとしたら、いじめられた際に、学校・社会・マスコミ等を巻き込んでいじめっこを排除できなかった点。その一点だけど、それは本人の能力では無く両親の関わり・経済力・関心や、学校側の誠実さによるから批判されるいわれは無い。
これからの社会、いじめっこは排除され、自分がした行為の報いを受けるようになるから、年齢問わず、イジメに遭っている人はボイスレコーダでまずは記録を取り、それをローカル・クラウドに保存し、日記を書き、社会や組織でイジメに対処するためにそんな支援や制度があるかを勉強して、それを実行して欲しい。
いじめは100%、行為者に問題があるから、そうした行為は絶対に許してはいけないし、甘んじること無く、すぐに対処すること。
アメリカさんマジ半端ねーっす。
ガチモンの殺し合いも、いじめっ子が動画撮られてるとかだけだもん。
結局、蓋を開けてみれば数年前の古い動画。
しかも当事者同士は「同意の上の喧嘩」というか、納得済みだったっていうオチ。
それを「今まさに起きているいじめ」として掘り返して、正義の味方ヅラして晒し上げた連中、今どんな気分なわけ?
「弱者を助けなきゃ」「悪者は成敗しなきゃ」っていう、いかにも「善良な市民」らしい正義感が暴走して、ろくに裏も取らずに石を投げ始める。
投げてる本人は、自分が正義の側に立ってるって確信してるから、どれだけ残酷なことをしても罪悪感ゼロ。
でもさ、実際はどうだった?
これ、立派ないじめじゃん。
「いじめを撲滅しよう」なんて立派なお題目を掲げて、熱く共感してリポストしてたネットユーザーたち。
君たちがやってたのは救済じゃなくて、なんら罪のない少年を晒し上げて、寄ってたかって殴りつけるいじめそのものなんだよ。
今回の件で草津冤罪事件に怒ってる連中もフェミ叩きがしたいだけで、行動パターンはフェミニストと同じなんだなって分かってガッカリした。
「悪いやつは叩いていい」っていう免罪符を手にした瞬間、人はいくらでも加害者になれる。
次、いじめが許せなくなった時、鏡見てみれば?
。いじめっ子の家庭環境を見ていると、片親家庭で育っている割合が異様に高いことに気づく。もちろん、片親であること自体が問題なのではないし、片親家庭でも愛情深く健全に育つ人はたくさんいる。ただ、それでも統計的・体感的に見て「いじめる側」に回る人間の背景には、家庭内での愛情不足や情緒的な不安定さが存在しているケースが多いのは否定できない事実だと思う。
親から十分な愛情を与えられずに育つと、「自分は大切にされる存在だ」という感覚が育たない。安心して甘えたり、失敗しても受け止めてもらえる経験が少ないと、心の中に慢性的な寂しさや怒り、不安が溜まっていく。でも子どもはその感情をうまく言葉にできないし、ましてや家庭の問題として認識することも難しい。だから、その行き場のない感情は、より弱い立場の他人へと向かってしまう。
いじめは快楽でも強さの証明でもなく、実際には「歪んだ自己防衛」だ。他人を下に置くことで一時的に自分の価値を感じようとし、誰かを傷つけることで「自分は無力じゃない」と錯覚する。そこには余裕も自信もなく、あるのは満たされなかった承認欲求だけだと思う。そう考えると、いじめっ子という存在は、加害者であると同時に、家庭環境の被害者でもある。
ただし、ここで重要なのは「可哀想だから仕方ない」と免罪することではない。どれだけ不遇な環境で育ったとしても、他人を傷つける行為が正当化されることはないし、被害者が受けた苦しみは決して軽くならない。でも同時に、「生まれ育った環境が人格形成に与える影響」を無視して、個人の性格や根性の問題にすべてを押し付けるのも、あまりに乱暴だと思う。
社会はよく、いじめを「子どもの問題」「学校の問題」として処理しがちだけど、本当はもっと根の深い家庭や社会構造の問題でもある。経済的に追い詰められ、精神的な余裕を失った親が、子どもに十分な愛情を注げなくなる。その連鎖の中で育った子どもが、また別の弱い存在を傷つける。これは個人の資質というより、再生産される不幸の構造に近い。
そう考えると、いじめっ子に対して感じるのは、怒りと同時にどうしようもない哀れさだ。愛されるべき時期に愛されず、安心を知る前に他人を攻撃する術を覚えてしまった。その歪みは本人の人生をも蝕み続けるし、決して幸せにはつながらない。誰かを踏みつけないと自分を保てない人生は、あまりにも孤独だ。
いじめを本気で減らしたいなら、罰や指導だけでは足りない。家庭への支援、親へのケア、子どもが無条件に「存在していい」と感じられる場所を増やすこと。その土台がなければ、いじめは形を変えて繰り返されるだけだと思う。いじめっ子を生み出さない社会とは、誰もが最初から追い詰められずに済む社会のことなんじゃないかなって、私は思う😌🫧
いじめに対しての私怨が強すぎて、メタ認知能力が欠如している感情的な奴が多すぎる。まるでヒステリックを起こしている女と同じだ。
「私たちは法治国家であるから法の場で決着すべき」と主張すると、矢継ぎ早に「でも法機能してないじゃん」「学校が隠蔽するから悪い」「被害者だけ損だ」「加害者に制裁が加えられない」という返しを受ける。
いじめ問題は我が国にとどまらず、諸外国を含めた重要なテーマだ。SNSが発達する前にも、数え切れないほどの児童が被害者になっている。それが今、SNSで明るみに出ているにすぎない。
我が国では、体育の授業を含むスポーツができ、ある程度容姿端麗でいることがカーストの頂点に立つ条件になりやすい。つまり、加害者側に立つ場合が多い。
中国では家柄や学業ができる人間がカーストの頂点に立ち、韓国では財閥に近く、かつ容姿端麗であることがカーストの頂点に立ちやすい。
つまり、いじめというのは学校という集団の中で閉鎖的に行われているように見えるが、実際は私たち大人が作り出している環境が問題の根本なのである。
「いじめはよくない」と言っている私たち大人が、「いじめ」という環境そのものを作り、子供たちはただその傀儡として、ほかの児童をいじめているに過ぎない。
親が子供に異常なほど圧力をかける行為の多くは、「良い大学への入学」「良い会社への就職」に集約される。つまり、これらの過程には異常なまでの勉学の強要がある。
子供によって勉学のペースが違うのは当たり前だが、同調圧力によって、ほとんどの子供は同じように圧力をかければ勉学ができるようになると誤認されている。
この同調圧力の被害者もまた親であり、彼ら彼女らも一族という柵にとらわれているのか、あるいはタワマン周辺の競争相手に対してカーストの頂点に立ちたい、もしくは牽制したいのかはわからない。
特に、底辺から成り上がった、あるいはそこまで叡智を持ち合わせていない母親などは、感情的になりやすく、かつ勉強の仕方を知らないため、非効率に子供へ圧力をかける害悪になりがちだ。
容姿端麗でうまく生きてきたが学がないまま、スクールカーストのノリで周囲と比較するような人間が、玉の輿と結婚した末路である。
子供は被害者であるが、圧力鍋と同じで、加えられた圧力は逃がさなければ爆発する。例えば、高学歴家庭の子による親の殺人は、数え切れないほどあるだろう。
その矛先が、自分より不出来に見える人間へ向かうのである。しかし親としては、最終的に良い大学や就職ができれば、赤の他人の子など究極どうでもいいわけだ。むしろ、タワマンカーストや一族内での立ち位置をどうやり過ごすかに全集中してしまい、子の感情など二の次になる。
さて、本例はあくまで学歴が高いコミュニティでの話だが、偏差値が低い学校ではどうだろうか。ヤンキー同士の結婚や、DV男との結婚などが該当する。とても残念だが、トンビからタカが生まれる可能性は非常に低い。
IQやEQが低い家庭では、残念ながらIQやEQの低い子供が生まれやすい。どういうことか。小学校や中学校の延長線上で、彼ら彼女らは生き続ける。スクールカーストで物事をジャッジする。
つまり、「いじめ」を「いじめ」と認識できない子が生まれるということだ。いわゆるグレーゾーンにあたる。彼ら彼女らは、将来的な渇望よりも「今を楽しく生きる」ことに重きを置く。
いじめを行ったことに対するブレーキとなる脳機能が、十分に発達していない。
では、学校はなぜ止めないのか。学校教員の多くも、スクールカーストの中で生きてきた人間だ。民間から教員になるケースもあるが、数多くの教員はアカデミックの世界だけで生きてきている。
だから、社会一般で見られる「いじめ」という行為を、「いじめ」と認識できない教員も少なくない。もしくは、過去の自分の体験を重ね、「これくらい児童間ではあって当然だ」と考えている可能性もある。
本来交わることのなかった学歴によるいじめコミュニティと、言葉を選ばずに言えばグレーゾーンにいる子達のコミュニティ。その混合体がインターネットだ。
いじめ問題が勃発したとき、これらの背景が加味されないまま、「いじめ」だの「暴行」といった言葉だけが一人歩きする。背景を理解せずに、私刑を加える輩が大半だ。
例えば「いじめはいじめられる奴にも問題・責任がある」という主張だ。多くの人は「そんなわけない」と主張するが、それは短絡的である。いじめっ子である彼ら彼女らが、そう思考する環境要因があることを鑑みれば、その発想自体は理解可能だ。
同調が求められるコミュニティで、同調的でない人間がいれば、「あいつが悪い」になる。そういう世界線で生きてきた人間からすれば、「いじめられる側にも責任がある」と考えるのは自然だ。
しかし一般的なIQやEQにいる人間であれば、一歩踏みとどまれる。「でも暴力で同調を求めるのは違う」と。
グレーゾーンに近い人間ほど、時間割引が強く働き、こうした行為にブレーキをかける前頭葉が十分に機能していない可能性が高い。これは「ケーキの切れない非行少年たち」にも類似例が記載されている。
また学のあるコミュニティでは、親が当然のように学のない人間を貶すため、子供たちもそれを模倣する。「学がないやつが悪い」と。
これらは「大人達が子供達をつるし上げ、いじめ動画を拡散している行為」と酷似していないだろうか。
正義感に駆られているのかもしれないが、拡散されている子供達も、端から見れば大人達の被害者である。それにもかかわらず、「いじめる奴が悪い」という主張のもと、動画を拡散し続ける。
自分たちが、いじめている子供達と同じことをしていると気づかない。そのメタ認知能力の欠如ぶりは、見事と言うほかない。
いじめをなくすのは、いじめている本人達を動画で拡散し、つるし上げることではない。そんなの魔女裁判と何も変わらない。今すぐ、拡散という行為は慎むべきだ。
法が機能していないと感じるなら、自分たちが政治家になればいい。いじめのない世界を作ろうと、実際に行動している人間もいる。
そうした努力を無碍にする動画拡散行為は、見ていて非常に腹立たしい。
そして、ただ単に加害者を排除すればいいわけではない。それは独裁国家と何も変わらない。私たちは法治国家であり、そのことに誇りを持つべきだ。
加害者が生きづらいと感じる社会になれば、治安は確実に悪化する。闇バイトや反社会的勢力に流れる人間が増えるだろう。
税金で加害者を更生させることに抵抗がある気持ちも理解できる。しかし皮肉にも、それによって私たち自身が生きやすくなることもまた事実だ。
オチから逆算して作る映画としてはジャンルが不適合すぎるし、ワンダーが足りない46点。
アメフト部のいじめっ子が殺害され、その後も同じ学校の優等生ぶってるカスとか主人公チームの鎮痛剤中毒の陰キャとかが次々殺されるんだけど、犯人は誰なの~っていう、スクリームとかラストサマーの5番煎じみたいな映画。
冒頭のタイトルバックへのシークエンスは悪くない。見るからにジョックス!みたいなアメフト部員が家に帰ってきたらなんか様子がおかしい。気付くとあちこちに自分のいじめの証拠写真が貼られていてバットだったかゴルフクラブだったかを持ってウォークインクローゼットに飛び込むも犯人はいない。と思ったら服の下からにゅっとナイフを持った手が伸びてきてアキレス腱をズバーッ!血がビュシャー!犯人が姿を現すと顔には被害者本人を模ったマスクが。めった刺しにされるアメフト部員。そしてタイトル。
THERE'S SOMEONE
INSIDE YOUR HOUSE
ドゥーン(効果音)
一番の問題は「INSIDE YOUR HOUSE」展開がこのあともうほとんど出てこないんだよ。
殺害場所は教会、パーティー会場、家(後から侵入)、トウモロコシ畑。最初だけかい!タイトル最初だけかい!
家という一番安心できるはずの閉鎖空間に何者かがいる?いない?というハラハラと思いもしないところから飛び出してくるビックリ、みたいなのがほとんどない。別に家スラッシャーじゃなきゃダメってことはないんだけど、タイトルのワクワクがあったからこそのギャップでだいぶがっかりしちゃった。
主人公が一緒に住んでる祖母が夢遊病って設定なんだけど、この設定が結局「え?誰かいるの?」→「おばあちゃんが寝ながらやっただけでした」っていう部分にしか生きてこないのも正直マイナス。
そしてこれ系のジャンル映画にしては殺害動機が薄い。薄すぎる。
冒頭のアメフト部員は同じアメフト部のゲイの部員をボコボコに殴るっていじめをしてたんだけど、別に殺したわけじゃなし、なんならそのゲイ部員は普通に試合も出ててエース選手。殺すほどのことかなぁ。
次に殺される優等生ぶった無神経のカスはなんかあるたびにヒロインぶってXのカスインフルエンサーみたいな美辞麗句を並べたてながら、実は裏ではポッドキャストでレイシスト発言連発してたことがわかる。嫌な女だけど殺すほどのことかなぁ。
次に殺される主人公チームの陰キャは鎮痛剤中毒で母親の鎮痛剤を盗んでいたことが断罪される。う~ん、殺すほどのことかなぁ。
で、結局は本丸は犯人の街の権力者で金持ちの父親の殺しだったことが最後にわかるんだけど、別に犯人が父親を恨んでいるのはいいよ。これも殺すほどのことかなぁと思うような動機だったけど、親子の怨って外部からは計り知れないからさ。
で、まぁ。外面ばっかりいいけど裏で汚いことをしてる父親を罰するためにいろんなやつの秘密を断罪したって理屈がつくんだけど、八つ当たりすぎるし支離滅裂すぎる。結局、別にそいつらを殺したことが父親殺しにいい影響を与えたことは何もなく、逆に無駄に警戒させただけでは?と思うし。
「いじめ」「ヘイトスピーチ」「ヤクブツ」というSNSでバレたら炎上させられる=社会的に殺害されるやつ~をスラッシャー文脈に落とし込もうとしたのかなという部分も読み取れなくはないけど、だとしたら犯人の動機は父親殺害じゃなくてもっと炎上系に寄せておいた方がいいと思った。メッセージの接続性が弱すぎる。
そういえば、主人公が抱える秘密が親友を文字通り炎の中に叩き込んだことだったのは示唆的に過ぎたかも。
過去の類似作品に対してやや良かった点としては犯人が殺害対象の顔を模った仮面を被っているという不気味さ。で、まぁそれが「お前自身=お前の中にあるお前の罪に向き合え」というメッセージになっていたり、サムワン・インサイド(中に誰かいる)を回収している部分はまぁ、悪くはなかった。