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予算なのか資金なのか

先日書いたブログについて、魔人ブウとツイッターでやり取りをしていた。

そのやりとりで思うことがいろいろ有ったので、ブログにまとめようと思っていたら、
先にブログにまとめられてしまった。

人件費じゃ予算を消化できないので高額研究機器を購入@「コラーゲン食って肌がぷりぷりになるわけねーだろ(笑)」社長のブログ
>形式上は「政権の方針と仕分けの結果の整合性が取れていないじゃないか」ということだけれど、背後に「仕分け結果はけしからん。政権の方針と全然違うじゃないか。おかげで7000人の雇用が1/3程度縮減されちゃうぞ」というポジショントークが感じられたので、これに激しく同意ってどういうことよ、と思ってTwitterで突っ込んでみた(僕は通常は「morohoshidan」というアカウントを使っているけれど、公式発表は「amidalachan」を使っている)。

コメントで、先に書かれちゃったと書いたら、若だんななりに書けばいいと
お返事をもらったので、こちらでも書いてみる。

やりとりはまとめてみた。

研究予算と雇用の話@togetter



元はといえば、軽々しく「禿同」なんて言葉を使うのがいけない。
「なるほどね」くらいの意味で使ってしまうんだけどね。

サイエンスポータルにレビューを書いている科学新聞・中村氏の意見に
珍しく賛同できる点が多かったので、「禿同」してしまったのだけど、
ポジショントークといえばその通り。

でも、JSTのレビューでポジショントークしないで、どこでするかという内容でもある。

魔人ブウと私の論点は、「研究予算は研究に使う物」で
事業仕分けでは、その要不要を説いているのに
「雇用」とか「別の役割」を持ち出すのは筋が違う、
というところだろう。

それに加えて、上記のブログで
>ポイントはやっぱり「人件費は別とか言うと予算の使い道がない」というところ。

と指摘されているように、
私が「研究予算」を研究者が使う予算という視点で見ているのに対して
魔人ブウは「研究予算」は研究をすすめるための資金と見ている点にある。

研究業界以外の人は、「研究者が使う予算」と「研究をすすめるための資金」の何が違うとおもうかもしれない。

でもこれが相当に違う視点になってしまうのが、今の研究界の問題なのだ。

>年度末になると、「お金が余って困っている」という話が平気であちこちから出てくる。それで、そういう事態になると大変だから、最初から高額機器を購入するような研究をやろう、と。要するに無駄遣いすることが目的化しているわけですね。

予算は、年度で使いきりという指定がある。
使いきらないで残して来年使いたいと言ってもだめなんだ。
だから、年度末になると欲しくもない機器を買う人もいれば、
大量に消耗品を買って翌年度に使う人もいる。
使い切れないほどボールペンがある独法の事務所などというのが出てくる。

消耗品が研究に使えるものならばいいけど(試薬とか、試料とか)
必ずしもそうではない研究室もある。

それは、この使い切りのために予算に辻褄を合わせようとするからだ。

企業では、少しでも使いしぶりをして翌年にお金を残すのは当たり前だ。
それは、予算ではなく、資金だからだ。
たまに利益が出すぎたから今年のうちに何か買わなくちゃと言って
高級車を買ったりする企業や経営者もいるけど、そういうところは早晩潰れる。

利益が出て税金で持って行かれるにしても、お金は残しておかないといけない。
翌年の売上は誰も保証してくれないからだ。

国の予算は違う。
翌年も続くことを念頭において、今年を使い切る。
使いきらずに残すと、来年予算が削られるという信仰もある。
しかも、単年度決算で複式簿記で資産算定などもしない。

でも、そうした姿勢や考え方が、いまの収入に見合わない予算編成を生んだのだ。
そして、予算を得ている側も予算を使い切ることばかり覚えて、
予算を活かすことを忘れてしまったのだろう。

研究資金の確保は研究室を運営するPIの仕事だけど、
その資金は、日本の場合、ほぼ国からの予算に限られている。
欧米だと研究室への寄付を募る(個人からでも、企業からでも)ために
ダンスパーティを開いたり、研究報告会を開いたりするので、
自分の研究を一般の人に分かってもらうための努力が不可欠だ。

でも、日本では研究予算を取ってくるためには、一般に分かってもらうのではなく
国(役人や議員)が理解できるような研究をする必要がある。

予算を獲得することに腐心している研究者はたくさんいる。
それは研究予算がなければ研究ができないからだけど、
一度研究を大きくすると、次の予算がなければ継続できないからだ。

ある研究予算で雇ったポスドクや特任助教が
いつ次のポジションにつけるかどうかわからないから新しい予算で雇用継続するし、
機械だって一度買えば終わりではなくメンテナンスフィーがかかる。
一度研究を大きくすれば、それを維持するのに必要な資金は減らすことはできない。

でも研究資金は恒常的なものではなく、特に高額な競争的研究資金には任期がある。
いずれ、その予算はなくなるのだと思えば、残さずに使ってしまえという気にもなるのだろう。
次の新しい予算枠はどれか、文科省もJSTも科研費もいろいろな資金を需要に応じて創りだす。
そうして、研究予算は膨らんでいくばかりである。

年初に建てた予算が余ったらば、翌年に回せないかとみんなが思っている。
でも必要以上の予算を要求したのではないかと追求され切られることを恐れて、使い切る。

さらに翌年より多くの予算を要求し、それに合わせて人を雇い、機械を買い、研究をすすめる。
成果も出るだろうけど、その成果が資金に見合ったものかどうか評価をする人はいない。
これがいつまで続けられるか。

どこかでそうしたサイクルを断ち切る必要がある。
それには、まず予算を残しても良い、
もう一歩進んで予算を残した研究プロジェクトは評価に価する、
というところに行かないといけないのではないだろうか。

無駄遣いをなくすには、使わないことを評価しないと始まらない。
政治主導とか事業仕分けとかより前に、こうした予算消化のルールを変えてほしい。

予算消化って言葉もずいぶんな言葉で、使いきり思想が込められてますな。

元々の論点とずれた話になってしまったけど、こんな話を考えていたわけです。
こんなコト書いて、大丈夫か俺?
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モノじゃなくコトで商売しているもの

論点が違いますが、

人件費とかモノではない費目が研究予算として使いづらい問題の方も気になりますね。

そうですね

ソフトとか、いまだに形がないものは費用にしにくいですね。

役務とか、訳がわかりません。
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プロフィール

fujita244

Author:fujita244
2000年から新宿在住。
21世紀とともに新宿を闊歩。
高度成長期の一億総中流育ち
頭も身体もサイズM。
フツーのオッサンから見て
フツーじゃなさそうな話を
書いています。

2011年12月に
「若だんなの新宿通信」から
「フジタツヨシの新宿通信」
に変更しました。

2012年12月20日にはてなブログも始めました。
「fujita244's field」です。
2013年2月1日からゴルフ専用のブログもはじめてます。
「fujita244のゴルフBK」です。
2つのサブブログもよろしくお願いします。

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