【観劇】私の涙腺崩壊の訳:はやびと「海と日傘」:2014年5月26日
寡聞にして、この「海と日傘」という作品を書いた松田正隆さんについては全く知らず、この作品も初見でした。
松田さんは、長崎出身。
1962年生まれだから、同い年。(Wikipedia)
同世代の作家なのに知らないというのもどうかと思いますが、
この「海と日傘」で1994年に第40回岸田戯曲賞も受賞している方でした。
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今回、芝居を見て、いやあ、すごい本を書く人がいたものだと驚きました。
いわゆる「静かな芝居」で、何が起きるわけでもない普通の人々の暮らしを、普通の言葉で描写し、時間が過ぎたあとに、見た人の心に何かの変化を起こす。そんな芝居。
静謐な芝居が特徴の平田オリザさんが組んだというのも頷けます。
さて、この芝居のあらすじは、このブログが実に詳細に書いてます(今回の芝居のものではないけど)ので、そちらを見ていただくとして(手抜き)、私は、途中から、もう号泣していました。
全く説明的なセリフがないので、主人公夫婦二人の状況、過ごしてきた環境、周りとの関係などは、芝居の中で、少しづつ薄皮を剥ぐように明らかになっていくのですが、その何気なく交わされるセリフの中にある「幸福と不幸」「気遣いといらだち」「暖かさと冷たさ」が、いちいち、私のような夫婦二人で生きていく暮らしを選んだものには、刺さるんですよねえ。
子供を挟まずに、相手と二人だけの暮らしは、干渉しすぎても、ほっときっぱなしでも成立しません。
そして、もし相手が先に死んだらというのは、この歳になるとぼんやりと頭に浮かびますし、昨年、叔母が亡くなった時に叔父と交わした「先に逝かれるのは辛いぞお」という言葉を思い出します。
叔父が辛かったのは、叔母がいないことではなく、いつもの様に声をかけて、その言葉が空を切る時だといいます。
「誰もおらんのがわかっとるのに、つい、なんか言うやろ。どうでも良い返事でもいいから帰ってくるのが当たり前だったのが、何も帰ってこないわけだわな。それがなあ辛い」(東大阪の人なので、関西弁でお届けします)
子どもたちが近所に住んでいる叔父でも叔母との二人暮らしの中で気づいたリズム、空気が消えたことに「辛い」とこぼす。もちろん子どもたちにはそんなことは言わないわけです。心配かけるから。
他人の私(あ、この叔父は私の妻の父の姉(つまり叔母)の旦那さんなので、私とは血縁ではない)にだから言える言葉だったりします。
おじさんと話してから、薄らぼんやりとあった、妻を失うことへのイメージが、時々鮮明に浮かんで、その恐怖感は夜中に飛び起きそうになるほどです。
(念の為に書いておくと、うちの妻は病弱ではないので、この作品のような現実は全くないのですが)
それが、この作品でつきつけられた感じがしたのです。
作品の最後で、余命三ヶ月と診断された妻が亡くなり、その葬式が終わって、2日ぶりに茶漬けを食べようとして「おい、雪が降ってきたぞ」と妻が病身で臥せっていた部屋に声をかけ、その声を受け止める相手がいないことに気づき、泣き出します。
そこにいるはずの妻の消失を初めて実感した瞬間です。
妻が死んだことも、葬式を出したこともわかってはいても、ぼんやりと薄皮がかかった向こう側の出来事のようだったのが、言葉を空を切った時に、失ったことに気付かされるわけです。
大声を上げるのではなく、顎を震わせすすり泣きながら茶漬けを書き込むというエンディングに、ただでさえハンカチを当てっぱなしのやられていた私の涙腺は崩壊しました。
さて、この作品は、演じるのにとても難しいものだと思います。
普段の日常生活のように、舞台の上の相手の言葉に感じ、そこで生じた感情をセリフに込める。
言葉にしていない感情を表情や声のニュアンスで表しながら、観客に届くようにある程度強調するというのは、とても高度なテクニックで、やりすぎても行けないし、少ないとわからない、微妙なさじ加減が必要です。
役者が演じてしまっては、鼻につく。
舞台の上で生きるとよく言いますが、まさに「生きる」ように演じなければならない。
今回のキャストはみなさん実にうまく「いきて」いらっしゃいました。
もちろん、主役の妻を演じた荒井ゆ美さんも、素晴らしかった。
ただでさえ細いのに、病弱を具現化するのに更にダイエットして細くしていたのではないでしょうか。
そして舞台上では、この「才能はあるのだろうけど、いい加減で仕事も続かない夫」を支える気丈で病弱な妻を実に精細に描写していました。
主人公の佐伯洋次役の中村シユンさんは、初めて拝見したと思うのですが、素晴らしかったです。
実にリアルに、いい加減な作家である主人公の日常をうつむきがちにていねいに演じてました。
全篇、九州北部(佐賀・唐津あたりと思われます)の方言で演じられるのですが、言葉がナチュラルで、標準語で演じるよりもニュアンスが細かく感じましたね。
佐伯と何らかの関係があったと思われる前任の担当編集者(女性)が「転勤前の最後の仕事」として原稿を取りに来た時に、お茶を出すのですが、夫婦茶碗とお客様用の茶碗で、そういう細かいところに、妻のプライドと非言語メッセージが入っているような、演出も良かったですね。
この芝居を見て、妻を大事にしようと思ったのに、風邪を引いている妻を置いて、土日、友達と熱海に遊びに行ったのは内緒です。