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【考察】日本相撲協会は日本の縮図かも:2014年6月23日


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(大相撲公式キャラ、ひよの山)

昨日、ある酒の席で思いつきで話したらば、結構面白かったので書いてみます。

日本相撲協会は、公益財団法人になる時にいろいろもめたわけですが、そのおかげもあって、改革が進んできました。

日本相撲協会公式サイト

サイトもキレイだしね。

でも、親方という指導層は幕内経験者で日本国籍じゃないといけないとか、
女性は「おかみさん」という形でしかかかわれないとか、
若手の登用がなかなか無くて、団塊世代が人事面でのさばっているとか、
巡業というイベントは地方興行主という名のヤクザが絡んでいたのをなんとか排除したとか、
いろんな側面でこれまでの日本社会を象徴していると思うんです。

時天空が「間垣」取得@日刊スポーツ

大相撲の幕内時天空(34=時津風)が年寄名跡「間垣」を5月29日付で取得していたことが17日、分かった。引退後に日本相撲協会に残って親方となるための名跡を得るのは、モンゴル出身力士では初めて。時天空は1月に日本国籍を取得している。



国際社会に開かれているように見えて、幹部は日本人だけで、女性役員がいないとか、
親方株という形で、事実上新規参入に制限があるとか
現場に若い日本人が少なくなって、外国人が支えているとか、
管理職である協会役員に自浄作用がないとか、
これまで言われてきたことを書き出しても、
なんだか日本企業の象徴のような感じがします。

しかも、少子化の影響で、新弟子は少ないし、
一時期、団塊世代の親方が多くなったこともあり部屋数が多くなったのはいいけど
結局、経営が破綻したり、後継者不足で、親方の定年後に吸収合併したりしています。
(参考:wikipedia相撲部屋Category:現在活動していない相撲部屋

時天空が取得した(購入したとか、譲られたとか、書けないのだろうねえ)間垣は、
以前、元・二代目若乃花が持っていた親方株で、間垣部屋は親方が病気で2013年に閉鎖。
空白になっていたので取得できたのですが、なかなかまれなことです。

間垣部屋 春場所後に閉鎖…伊勢ケ浜部屋に移籍へ@スポニチ

間垣部屋が3月の春場所を最後に閉鎖され、間垣親方(元横綱・2代目若乃花)や力士らは伊勢ケ浜部屋に移籍することが日本相撲協会関係者の話で分かった。



このところ、部屋の合併が相次いでいまして、同じ記事で紹介されてます。

また、放駒親方(元大関・魁傑)が2月に65歳の定年を迎える放駒部屋の力士らは、芝田山部屋に移る方向となった。芝田山親方(元横綱・大乃国)は放駒親方の弟子。関係者によると、間垣親方は体調不良のため部屋運営が困難で、同じ青森県出身の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)のもとに移る。



このサイトが、部屋の合併については詳しいです。

中小企業が、戦後数を増やしたのに、このところ後継者不足で閉めるところが増えているのと重なります。

中小企業・小規模事業者の数(2012年2月時点)の集計結果を公表します@METI

中小企業・小規模事業者の数は、1986年以降長期に渡って減少傾向にあり、今回の集計結果でもそのトレンドが持続していることが明らかになりました。



一節に400万社と言われてきた中小企業は、2012年に初の400万社割れとなり、今では360万社くらいと言われます。
後継者不足で事業承継ができないのが原因と言われています。
相撲部屋と一緒にしちゃいけませんかね?

さらに、新人を採用しても続かないのも、こうした中小企業と同じです。
せっかく弟子をとっても、きつい指導に耐えられずにやめるものが多くなり、
体罰を伴うシゴキや、先輩によるカワイガリなどもっての外です。

力士以上に問題なのは、呼び出しとか床山とか構成人員の後継者が少ないことではないかと思います。
光の当たる仕事はいいけど、重要な脇役がいないというのは、
社長はいても職人がいない日本の中小企業の問題でもあり、
日本の古典芸能全てに共通した文化継承における大きな問題になっています。

叩き上げが育ちにくい状況もあり、即戦力になる外国人や大卒新人をスカウトする傾向が強くなっています。
でも、大卒で横綱になったのって、輪島だけなんですよね。
幕内上位までは早いんですが、その上になかなか行かない。
いま話題の遠藤も、幕内上位の壁に弾かれて負け越していますしね。

ハングリーとか何とか言うのではなくて、日本人力士が心の地力が弱いのではないか、と感じます。
世界が狭いのではないでしょうか。体験レベルの差というか。
教育の問題が、日本人横綱がいない問題につながってくるとか、こないとか。

組織の閉鎖性、経営陣の能力の低さ、部屋経営の弱体化、所属人員の減少などなど。

いろんな側面から、日本社会の縮図が相撲協会なんじゃないか。
そんなことを考えたのでした。


【論考】アイドルはトーク力重要な時代に「まゆゆ」でいいのか?

マジなアイドル論をこんなところで書いてどうするという気もしますが、思いついたので。
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(サイトから転載)

先週末は、AKBの総選挙で渡辺麻友が指原莉乃を逆転して1位になり、続いて大島優子の卒業コンサートで雨がやみ、昨日は劇場での卒業というAKBな週末でした。
(その中で、私は飲み会と麻雀だったわけですが)

AKB自体は、2012年の前田敦子の引退で、AKB48の注目度が下がるのではないかという危機感もあり、進めていた地方展開を急いで、AKB48で引っ張るのではなく、地方組織の活性化によるグループ全体でのエネルギー総量のアップによる変貌を図った感があります。

今年は、さらにその地方グループを前に出す戦略に拍車がかかり、SKEの松井珠理奈、NMBの山本彩、HKTの指原莉乃、AKBの渡辺麻友を描いたアドトラを走らせるという宣伝展開を行っていました。

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さらに、今年の春には、2013年大晦日に大島優子の引退が発表され、昨年からの麻里子様や板野友美、秋元才加という初期メンバーの相次ぐ引退もあって、選抜メンバーの弱体化を防ぐという意味もあるかと思いますが、地方グループを含めたグループ全体の再編成という大組閣を行いました。
ある意味では無謀とも言える、AKBと地方との兼任(スケジュールが組みにくいし、メンバーは疲れが溜まるから、今年は休業が多いんです)が増え、乃木坂47との交換留学(松井玲奈が乃木坂で何をしているかしらないんですけど)というグループを超えた組閣まで行ったわけです。

さすがに無茶だったのか、その後の残留とか異議申立ても多かったそうですけどね。

その裏側で、着々と進められていたのが、実は、AKB48そのものの原点回帰でした。
渡辺麻友のチームB復帰や、大島チームKへの松井珠理奈、山本彩という地方エースの兼任、たかみなのチームAでのキャプテン復帰など、AKBあっての地方を意識させ、また、AKB創世記の苦労を知らないメンバーたちへの創業精神の注入を意図した人事だったと言えます。

その成果が、今回の渡辺麻友の初戴冠だったのではないかと感じています。

つまり、地方に拡散しようとするAKBのエネルギーをもう一度秋葉原の劇場を中心とする原点回帰で、[アイドル]の王道を極めようとするのが[まゆゆ]の存在なのです。

一方で、それが本当に今のアイドルとして正しい姿かというと、疑問があります。

すでに、アイドルは[トーク力]がないとキャラが立たない時代に入っているからです。
アイドルは、言葉少なく微笑んでいればいい時代ではないのです。

このトーク力重視になったことについては、マツコ・デラックスさんが語っていたそうです。

マツコ、AKB48・渡辺麻友の問題点を指摘……「指原さんの役目ってデカかった」

「渡辺麻友さんは王道だと思うんだけど、今のアイドルってそれだけじゃないじゃん」と主張する。現代のアイドルは可愛さや清楚さだけでなくトーク力も求められていると語り、「そういうものも求められる中で、指原さんがした役目ってデカかったと思うんだよね」と指摘。



まゆゆも、それは感じているから、この一年の彼女のバラエティ力の向上は目覚ましいものがありました。雑誌・ブブカ等での発言内容や、「めちゃいけ」でのキャラ設定などにも、そうした変化は十分感じられました。

しかし、無理している感じがある。

やはり、指原莉乃が昨年一位になった理由が時代の流れだったという感じがしてきます。

前田敦子がセンター時代のAKBはトークで前に出るキャラといえば、峯岸みなみでした。
いかんせん、彼女は坊主頭事件で世の中からドン引きされ、未だに傷が癒えていません。

AKBでトークを仕切るのは、たかみなであり、中身を引っ張るのが大島でした。
前田は受け答えができないセンターでした。
その空白のセンターを大島ほかが彩るのがAKBだったわけです。
そして、その大島あっての前田、前田あっての大島という関係は、総選挙での1位、2位の繰り返しのあと2012年の前田の引退で大島のワントップになります。
その大島のワントップ時代に、デフェンスの裏をつくような出入りで台頭したのが指原でした。
当意即妙な話術、頭の回転の早いツッコミ、トークの仕切りと、前に出るほどに[ヘタレのさし子」は輝く存在になっていきました。
その彼女をHKTに持って行き、地方から中央への還流を測ったのが昨年でした。
その結果、今年の総選挙で、HKTからのジャンプアップの多かったこと。
SKEが昨年一足多くのメンバーが上がってきた中だけに、今年はNMBの低迷を感じましたね。

大島、指原に共通するのは、やはり回転の早いトーク力ではないでしょうか。
この二人は、演技力も相当なものがありますが、やはりトークが面白い。
他のアイドルグループでも、ベリーズ工房から「ももち」がクローズアップされたり、アイドリングからは「菊池亜美」がソロでよく出ているのは、やはりトーク力が大事な番組が多く、歌番組が少ないテレビ事情と無関係ではありません。

そうしたトーク力全盛時代に、まゆゆがトップということはどういうことなのか。
大島が受けていたたかみなの振りは、指原が受けるからいいということなのでしょか。

多分、小嶋陽菜が年末までに卒業するでしょうし、たかみな総監督の下で、まゆゆ、ゆきりんの2トップな感じなのか。

まゆゆの次に続くのは、珠理奈なのか、さや姉(山本彩)なのか、ぱるる(島崎遥香)なのか、それとも若手が一気に出てくるのか。
今回不慮の事故で怪我をした、入山杏奈、川栄李奈なのか。

[まゆゆ]がトップの時代というのは、どういう時代なのか、よく考える必要があると思います。

私は、HKTの宮脇咲良がオモシロイと思ってますけどね。

【言葉】目的と語彙の使い方が肝要なんだと思う2つの記事から考えたこと:2014年3月31日



他人の文章を読んで、モヤモヤとした考えが生まれた時に、もう一つ別の文章を読んでスッキリすることがあります。
今回は、そういうお話。

この記事を読んで、編集者の仕事を始めた頃に、難しいことを難しく書くのは簡単で、難しいことをわかりやすく書くほうが難しい、と言われたことを思い出しました。

専門的な文章を読むには訓練が必要という当たり前だがあまり知られていないこと@Colorless Green Ideas

専門用語は、文章を小難しくするために用いられるのではない。無論、専門家が学をひけらかすために難しい用語を使っている例が全くないわけではない。だが、多くの専門家はむしろ文章を分かりやすくするために専門用語を用いている。

実際、専門用語を使わないとすると、かえって分かりにくくなってしまう。



西日本新聞のコラム(「STAP細胞をめぐる一連の大騒動」)を引用して、専門家はなぜ「難しい言葉」を使うのかを書いた記事。
元記事のコラムを書いた新聞記者が勘違いしている点を見事に指摘している記事だけど、この記者に代表される【「難しいこと=専門用語」がわからないことを偉そうに書く】という言説、あるいはテレビのコメンテーターの【科学のことはわからない私が普通】という芸風が、どうして生まれるのだろう、という以前から持っていた疑問は解決されない。

Colorless Green Idea(CGID)という、このブログは、

このブログは、ことばや数についての話を分かりやすく伝えることを目的としています。難しい内容を一般の人でも分かる形で伝えていきたいと考えています。



ということだそうだけど、だとすれば、当然、専門用語をどう噛み砕いて書くかをいつも考えているだろう。
でも、その人が、専門用語を使う言説空間の擁護を、以下の言葉で済ませるのは納得がいかない。

専門的な文章を理解することは、山登りのための訓練にたとえることができる。しろうとがいきなり高い山に登ろうとしても、それは無理だ。しっかりと山登りの訓練をしなくてはならない。そうでなければ、頂上にはたどりつかないし、途中で遭難してしまうかもしれない。山登りの訓練をしっかりと済ませることで、はじめて安心して山に登ることができる



こういう話で済ませると、専門用語を勉強する訓練が必要な世界があることを肯定するだけで終わってしまう。
もちろん、それだけはないことも脚注で補って書いている。

学術論文と新聞記事とは対象読者が大きく異なっている。専門紙を除けば、新聞記事は広く一般の読者が読むものである。このため、新聞記者は、一般人が理解できる言葉で記事を書かなくてはならない。このコラムを書いた記者はこうした新聞記事執筆の常識が、学術論文にも適用できると思ってしまったのかもしれない。



このとおりなので、できれば、この脚注で指摘したことをふくらませて、もう1本記事を書いてほしいなと思う。

そんな時に、別の記事を読んだ。

メール全盛時代に消えゆく「難解な言葉」―愛着持つ人々も@Wall Streeet Jounal

そして今、筆者はこうした難解な言葉――難しく意味深長かつ興味深いもの――が消え始めているのではないかと心配している。



こうした見解から筆者は社会の変化を心配する。

難解な言葉の消滅に大きな責を負うべきはテクノロジーだ。私たちはより速く、より短い言葉でコミュニケーションを図るよう条件付けられつつある。携帯電話のメールやツイッターの投稿、さらには急いで書き上げる電子メールにさえ、難解な言葉を挿入する余地はない。私たちはあまりに多くの異なるチャンネルを通じてやりとりしているため、純粋に必要性から、言葉の短縮化が進んでいる(「R u with me?」といった具合だ)。



たしかに、テクノロジーの進歩で生じる新しいメディアの普及と言葉の変化は対になっている部分がある。

たとえば日本の場合、テレビというメディアの普及で起きたのは、地方の言葉の崩壊だった。
NHKの決めた「標準語」が日本語に起こした変容は大きい。

そして、この数年での大きな変化はSMSの普及と、書き言葉の「ネット言葉」化だろう。

ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ
藤原 智美

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こうした本に見られるように、言葉の変化は確実に生まれ、多分それは思考を変える。
言葉は思考に直結するのだから。

そして、メディアと言葉もまた相互に依存して変化している。

新聞というメディアに特有の言葉を使っている事を忘れ、専門家のメディアである「論文誌」で使われている言葉に疑義を申し立てるコラム氏には、言葉が「目的を持ったメディアによって変化する」ことを指摘しておきたいが、それよりも、「言葉が簡単であることを良しとする風潮」が背景にあるような気がしてならない。

新聞記者は、やはり社会の変化に敏感だから、難しい言葉で難しいことを言ってて悦に浸ってんじゃねーの?という社会の声なき声に反応して、あのコラムを書いたのだろう。

でも、なんだか、それって私には気持ち悪い。

それが、WSJの記事を読んで感じた、コミュニケーションと言葉の関係で、すっと腑に落ちた。

ニューヨークにあるコミュニケーションスキルのトレーニングを手がけるシンタクシスの共同創業者エレン・ジョビンさんは「新しいことを教えてくれる人たちが世界にいることを喜ぶべきだと私は思う」と話す。「知らない言葉を聞いたときは、それ以前には知らなかったことを学ぶ機会を得て幸せに思う――ただ、その言葉が啓蒙(けいもう)というよりは、むしろわかりにくくさせるような単にばかな業界用語でない限りだけど」と言う。



言葉は、コミュニケーションの道具として進化したはずなのに、コミュニケーションを阻害させる要因にもなりうる。

 言葉を選ぶ際は、自分の動機を考えるのが重要だとジョビンさんは言う。「ひけらかすために難しい言葉を使っていて、相手は自分の言葉を理解しないとわかっているなら、それは不親切かつ苛立たしいもので、相手が否定的に反応するのは無理もない」と話す。



専門用語を知ることの快よりも、専門用語を使われた疎外感から生じる不快のほうがが上回る人のほうが多いという事実が、西日本新聞のコラムの背景にあるのではないだろうか、と感じた。

だから、CGIDが指摘した事実は、たしかに真実なのだけど、読者にはどこかで心を打たない人も多いと思う。
要は、目的に応じた言葉の使い方が大事だという基本の話なのだけど、ネット上に誰もがメディアを作りうる現代では、、この基本が実に難しいテーマになってしまったな、ということなのではないだろうか。

私が編集者として気をつけていたのは、文中では理解を促進するためには、専門用語は前後の文脈で理解できると思う範囲では、そのままにして、注をつけるとか別の言葉で補うということだった。

もちろん、そのほうが良いのだけど、文章量に制限がある印刷メディアでは、その補うスペースの確保が実に難しい。
だからこそ、ネットメディアの登場は福音だと思うんだけど、あまりにも多用される「詳しくはウェブで」にも飽きてきたし、ネット言説空間もまた魑魅魍魎が有象無象というような、「書けないけど打てる言葉」であふれていることで、馴染めない。

なんだか、隔靴掻痒な感じが否めないなあ、と、自分でも、そんな言葉を使って締めたりして。

要は、言葉はコミュニケーションの道具で、そのコミュニケーションの相手に応じて言葉は変わらないと伝わらないよね、ということで、それは、専門用語のほうがわかりやすい相手には、それを使った方がいいし、そうじゃない相手には、その相手に固有の専門用語があるはずなのだ。

WSJの記事は続けてこう書いている。

 相手のことを考えよう。相手がどういった言葉に慣れているのか完全に確信を持てるようにはならないが、それに近づくことはできる、とジョビンさんは話す。話しながら、聞き手に合わせて微調整するといい。目的はうまくコミュニケーションをとることだ。自分の言っていることが相手に伝わらなければ、うまくコミュニケーションできない。



だから、自分がいろんなヒトと会話したいと思えば、相手に応じて使う言葉を変えられるだけの語彙を自分の中に持つ必要があるということだと思う。


 どういう種類の言葉を使うかを決めるために、「難解な言葉を投げてみて、相手の反応を見る。ぽかんとした反応を見せたら、言葉を調整する」とBahrawyさん。「人には居心地の良さを感じてもらいたい」と言う。「私の友達になりたい、私の近くにいたいと思ってもらえるようにしたい」



語彙は、人に誇るためや人を欺くためではなく、相手と分かり合うためにあるのだからね。

【震災】復興のスピードを考えるために1948年を調べてみた:2014年3月11日



東日本大震災から3年。

復興のスピードが鈍いと言われる。
でも、あまのじゃくな私は、思ってしまうのですね。

どの程度進めば「復興のスピードが早い」のだろう。

確かに、遅々としているが、その被災規模(広さ、破壊程度、人口減等)を思えば、手を付けていても実現まで時間がかかるのも無理は無いのではないか、とも思う。

東北3県は広い。1地域レベルの復興の規模ではない。

ただ、その復興が本来あるべきスピードに達していないとすれば、それが何に起因するのか、を考える必要が有る。

そんなことを考えていて、そういえば戦災の復興はどうだったのだろうかと思った。

神戸の震災などもあるけども、規模を考えると日本の歴史で遡れば戦争からの復興に匹敵する問題ではないかと思ったからだ。

1948年に、日本はどの程度「復興」していたのだろうか。

検索していて見つかったのが、この記録映画。

第2次世界大戦による壊滅的被害から復興へ向かう鉄道を描いたドキュメンタリー映画




三陸鉄道の全線開通をニュースで見たので、リンクするかも。

三陸鉄道は続くよどこまでも―アイデア&実行力で持ちこたえた3年間@スポニチアネックス

東日本大震災の津波で線路の多くが被災した岩手県の三陸鉄道は、来月6日に全線開通する。万年大赤字だった第三セクターは、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」ブームの後押しだけではなく、独創的なアイデアと卓越した実行力で、3年間破綻せずに持ちこたえてきた。1万8000人以上の死者・行方不明者を出した未曽有の大災害を乗り越え、被災者とともに未来へ走り続ける。



トヨタ自動車の工場再開まで1年半かかっている。

工場設備の復旧@会社再建:トヨタ自動車75年史

1945(昭和20)年8月14日の空襲で損壊した工場の修復が進むにつれて、各地に疎開していた機械設備も挙母工場に戻され、徐々に生産体制の復旧準備が整った。

1946年4月には「臨時復興局」が発足し、豊田喜一郎社長自らが局長に就任して復興の指揮にあたった。機械設備の修復とあわせて、将来のための設備拡充も実施され、計画どおり1年間で工場復旧が完了した。1947年3月には本格的に生産が再開され、臨時復興局は解散された。



黒電話の開発に成功したのが1948年。

異例の開発体制で生みだした「4号形電話機」@時代とOKI

電話の復旧と足並みを揃えるように、終戦の翌年には当時の逓信院電気試験所が、新形電話機の開発計画を発表しました。このプロジェクトには、OKIを含めた国内メーカー4社が参画(後に6社で試作機を開発)。共同開発は、特許を含めて、各社が工場や製造技術も相互に公開しながら試作を行うという、異例の全面協力体制が組まれます。そこには、戦後復興のためのインフラをより強固にすべきというビジョンと、日本の電話機を世界のトップレベルに昇華させたいという強い思いが込められていました。



4号型電話機というのが懐かしい形の電話機でしてね。
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戦後3年で、すでに日本の産業が立ち上がっていることを思うと、それから56年経った現代の東北の産業の立ち上がり加減は確かに遅い気がする。

さらに1948年には、福井で地震が起きていて、さらに大変な思いをされている地域もある。

また、有名なところでは、帝銀事件、片山内閣総辞職、芦田内閣成立、新制高等学校成立、昭和電工事件(贈収賄事件)出足だ内閣総辞職、第二次吉田内閣発足、東京裁判結審、一方で、省庁が現在の名前になったり、国際的には、大韓民国と北朝鮮の成立、ベルリンの壁が出来たなどなど、日本も終戦の混乱から戦後体制に移行し、国際的にも色んな意味で、戦後の冷戦体制が築かれる年でした。

つまり、戦争から3年というのは、それだけ社会的に大きな変化が可能だということ。

翻って、震災から3年で、たしかに政権は民主党から自民党に変わり、安倍晋三首相になりました。
その間、震災復旧から、復興へと変わらないと「遅い」と言われても仕方がない期間が過ぎたように思います。

ただ、戦争後の3年と、震災後の3年の大きな違いには、社会制度の問題、つまり建築や企業に関する規制が大きくなっていることもあるのではないか。

そんな「違い」に目が向いていくのでした。

【仮説】OK基準とNG基準:2013年12月10日



世の中には、OK基準で生きている人と、NG基準で生きている人がいて、同じものを見ても相容れないのかもしれない。

というようなことを、昨夜考えていた。

OK基準というのは、OKされたことを基準としている人で、「それは大丈夫」「ここまでは大丈夫」と示されると動けるけど、OKの基準がないと判断も出来ない人のこと。

NG基準は、NGとされたことを基準として生きている人で、「それはダメ」「ダメに決まっているじゃない」と言われて育ってしまい、NGが先に立ってなかなか踏み出せない人のこと。

これは裏腹で、「大丈夫と言われてないからNG」というのがOK基準ということもできるし、「ダメと言われてないからOK」だと思うのがKG基準とも言える。


OK基準の人は、OKの範囲が明確だとポジティブ思考になれるけど、反対に勝手にNGを判断しがちになると自己規制が強いネガディブな人になる。

NG基準の人は、ネガティブな人に思いがちだけど、NGとされたことだけがダメで、それ以外はOKだと判断していまうと超ポジティブというか、ぶっ飛んだ人になる。

日本は、NG基準な社会で、OKを慮りながら広げていくグレーゾーンが広い社会だ。反対から見れば、完全なNGさえ踏まなければ大抵のことは大丈夫だとも言える。法規制が多く見えるけど、実は現場判断で動いている超法規的なところがある。

欧米は、OK基準な社会で、OKを合意形成して動いていくグレーゾーンが狭い社会だといえる。反対から見れば、NGがはっきりしていてわかりやすい。イギリスに長く成文法がなかったのは、OKが合意されてないものがNGという公私の区別と中間領域の明確さがあったからだろう。

日本は、いまNG基準とOK基準が暗黙の了解で使い分けられているというか、共存していて気持ちが悪いことになっているのではないだろうか。

どっちかに統一しないと、国際法上も国家としても危うくなりそうな気がする。
他の国からわかりにくい暗黙の了解(NG基準)をやめて、OKを合意形成する社会にしていかないと、他国からの信頼も得られないし、NGの範囲もOKの範囲も異なってしまっている世代間格差も埋められないように思う。

すでに、OK基準とNG基準の戦いは始まっていて、すれ違っている。

【考察】「うちらの世界」を読んで考えた:2013年8月8日

彼らの行動原理は「大丈夫」「いいんじゃね?」「問題無いべ」であり、
「いやあダメでしょ」「それはヤバイって」「普通違うでしょ」というような優等生の論理ではない。


この「うちら」の世界は、NG基準だけど、解釈がOK優先だ。
ダメと言われてないことはやってもいいのだ。
でもそれは、OK基準の社会ではない。

OK基準でNG優先な欧米の思考方法では、してはいけないことを明確にして、それ以外はOKなのだから。
それが契約社会であり、明文化されてなければ、それはOKなのだ。
その思考方法の前では、内輪でのOKを優先する思考法は成立しない。

それダメでしょ、じゃなくて、大丈夫だよね、で通ってしまう狭い世界がいたるところにあるということ。



狭い社会の「大丈夫」はOK基準ではなく、NGを狭く規定して、OKを曖昧にしているから生まれる。

NG基準の社会は、社会通念とか社会道徳とか、行動規範の共有というのがあって成立する。

日本はそういう社会だと思い込んでいたけれど、それが揺らいでいることを明らかにしたのが「うちらの社会」だったと思う。

このままでは駄目だ。

だから、OK基準に転換し、何がOKかを合意形成していかないと日本社会は立ち行かないのではないか。
「誰が大丈夫だって言ったんだ」ということを明らかにしていくのが、教育だろうし道徳だろう。

でも「大人がいなくなった社会」で誰が道徳を教えられるのか、そこが次の問題。
結局、教育に行き着く。

実は、OK基準とNG基準について考えだしたのは、特定秘密保護法について考えている中でだった。

アメリカの要請で作られたはずの特定秘密保護法が、何故指示をしたアメリカも驚くようなザル法になってしまったのか。
それは、彼我の政治家の思考の出発点の違いではないのか。
そこでいきついたのが、NG基準とOK基準だった。

秘密保護法とか、道徳の復活とか、最近の自民党の活動が、NG基準社会からOK基準社会への転換に使えるのならば、それは必要だと思えるけど、そうなっていない(というか、そういう意識のもとではない)ことが、ファシズムに向かっているようにみえる理由ではないだろうか。

OK基準の社会は、OKの合意形成という背景をなくしてしまうと、OKを与える社会になってしまうから。
OKを肯定し、NGを少なくする社会にしていかないと、息苦しい社会になってしまうから。

そこら辺が問題の根源ではないのか、と思う次第。

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プロフィール

fujita244

Author:fujita244
2000年から新宿在住。
21世紀とともに新宿を闊歩。
高度成長期の一億総中流育ち
頭も身体もサイズM。
フツーのオッサンから見て
フツーじゃなさそうな話を
書いています。

2011年12月に
「若だんなの新宿通信」から
「フジタツヨシの新宿通信」
に変更しました。

2012年12月20日にはてなブログも始めました。
「fujita244's field」です。
2013年2月1日からゴルフ専用のブログもはじめてます。
「fujita244のゴルフBK」です。
2つのサブブログもよろしくお願いします。

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