「うちら」の世界@24時間残念営業このブログがニュースとしてネットを飛び交っていて、なるほど読んで見て、納得することもあり、これまで腑に落ちなかったことが腑に落ちたことあり、勉強になったので、さらに考えてみました。
導入が割と好きですね。
最近は冷蔵庫に入ったりなんかくわえたりするのが流行りらしいです。
このへんのことについては、書こうと思ってうまくいかなくていくつか文章を放置してあったんだけど、今日、どこぞのまとめ見て不意にまとまったので書いてみる。
なおこのエントリは、本来だったらもうちょい精密に考えなきゃいけないところを、自分の経験に引き寄せすぎて、ちょいとざっくりと処理しちまってるので、あんまり論としてはよいものではないです。
ストレートに問題に入っていながら、自分の立ち位置を保証している。
振りかざした感じがしないところも、炎上しにくい感じ。
このエントリでは、最近頻発している「従業員の行為が炎上して企業が謝罪」について、どう考えたって問題になるのだし、しかも炎上してるのを見て、なんで真似するのか、という「バカじゃないのこいつら?」という疑問について、「バカなんですが、そのバカがどうして起きるか知ってますか?」という問いを投げかけ、答えたもの。
しかも、「バカだ」で終わらせてはいけない、というところから始まっている。
さて、件の炎上した人たちについては、バカに見える。現実問題としてアホだなあとは思うわけだが、俺自身の思想によって、バカであるという判断では終わらせられない。もしバカなのだとしたら、過去にも同様にバカはいたはずで、過去のバカと現在のバカはあまり変わらない、彼ら、彼女らだけが特異的にバカなのではない、と考えるわけだ。つまり、彼ら、あるいは彼女らが悪いというのはではなく、環境やら状況やらに理由があってこうなった、ということをまず考える。実際悪くねえかっていったらそりゃ悪いことしてるんだけど、そういう状況に至ったのにはなにがしかの理由があるはずだ、ということだ。
そして、この言説を書いているのが、大学教授とか姿勢の学者とかではなく、コンビニの店長らしいというのが、実に「文化人類学的」でさえある。
現場を観察し、フィールドで体感している、「彼ら」の行動分析だからだ。
彼らの社会は「うちら」で完結する。「うちら」の外側はよくわかんないものである。よくわかんないものが干渉してくれば反発する。そして主観的には彼らは「なにも悪いことはしていない」。彼らにとって「悪いこと」とは明確な脱法行為のみである。あるいは「うちら」の結束を乱す行為だ。なにか、よくないことをしでかして、叱られたとする。しかし罰せられない。それは許されているということだ。明確な処罰が下されない限りは許されている。
彼らの感覚としては「所与の権利」の範囲が非常に広い。権利が広いため、たいていのことをしても許される「ことになっている」。許さないものがあるのだとしたら、それは許さない側の理屈がおかしい。「うちらなんにも悪いことしてないのになに文句言ってくるの」ということになる。
この分析は、実に納得できた。
そして、そうかと気がついた。
彼らの行動原理は「大丈夫」「いいんじゃね?」「問題無いべ」であり、
「いやあダメでしょ」「それはヤバイって」「普通違うでしょ」というような優等生の論理ではない。
この「根本原理の違い」を明確に分析してくれたので、気がついたことがある。
その前に、この根本原理の違いが何に起因するのか。
何故、みんながこの問題を捉えきれてないのか。
筆者は、はてなーにはわからないのかもしれないと釘を指す。
このブログを書いているのがはてなブログであることから、はてなユーザーとのギャップを指摘する。
これは、読者層に理解できるかどうかを規定している点で、筆者の配慮が伺える。
俺がなにゆえこういう考えに至ったかというと、そういうものを日常的に見ているからだ。俺のブログを読んでいる人は、はてなのアカウントを持っている人がわりと多いだろうし、そしてはてなはおそらくネットのなかでも特異的に高学歴の人が集まっている場所だと思う。俺はよくこのことに言及するが、根拠は「自分の周囲から聞こえてくる会話」と、ブコメなりなんなりから漠然と把握される「はてなユーザーの平均的なイメージ」との乖離があまりに大きいからだ。
はてなブログは、IT系が多いように感じる。
私もFC2とかココログとか、色々書いてみたけど、そのサービスを選ぶ人達がいて、なんとなくブロガータイプが別れる気もする。
もちろんアメブロは特殊だけど。
そして、ネットでは可視化されない社会があると筆者は指摘する。
どうオブラートに包んでもうまく表現できないだろうから、あえて露骨な言葉を使う。この世には「低学歴の世界」というものがある。ネットからは非常に可視化されにくい場所だ。ここでは当用漢字ですらも通用しないことが多い。(略)抽象的な概念はかなり通じない。そもそも「概念」という言葉そのものが通じないだろう。個別具体的な事物を束ねて、現象として説明するような言葉では、なにも伝わらない。
この「低学歴の世界」という言葉はショッキングだ。
この問題については、このブログを読んで、さらになるほどと思った。
私のいる世界@ひきこもり女子いろいろえっち最近のいろんなお店で起こるおバカな事件とネットの炎上のことで、いろいろ記事読んだ。
「低学歴の世界」って言葉が一番心に残った。
この言葉みた時、自分の居場所ってすとんとわかった気がした。
私はその世界にいるから。
はてなの中で感じてたなんかの違和感って、私ははてなの空気と違う「低学歴の世界」の人間だからなんだ、って思った。
ここで書かれていることは、いま起きていることなのだろうと思う。
それは、私が学生の時代の地方とは全く違うけれども(当たり前だね30年以上前だもの)
殺伐たる底辺校の実態、というやつなのだろう。
でも、それだけではなくて、親の世代が急加速するネット化についていけてないという問題がある。
親も学校もインターネットがなにかって教えてくれない底辺の子供は、インターネットっていうのをどこで覚えられるのか、私にはわからない。
田舎は世界が狭い。
高校生はもっと狭い。
親とテレビと学校以外に、誰が何を教えてくれるのか。
教えてくれる大人がいれば、少しは開けるのは、このブログ著者が体現している。
叔母さんの掲示板にゲームの感想書いた時、本名で書いたから、これは叔母さんだけに見えるんじゃなくて、誰からも見れるから書く内容に気をつけてね、って教えられた。
その時、ハンドルネームって教わった。
そのあと、ちょっとだけ通ってた塾の先生からも教わった。
わからないことはネットでどうやって調べればいいか、ってことも教わった。
学校ではどうなっているのか。
私の高校は、パソコンの授業で、パソコンフリーズさせた人は、使用禁止にされた。
私もしょっちゅうフリーズさせたから、おまえはもう触るな、ってやらせてもらえなくなった。
フリーズってなにか、フリーズってどうやったら直せるか、そういうことはぜんぜん教わらなかった。
そういう学校で、どうやってインターネットおしえてもらえるのか、私の体験ではわからない。
教育現場で、教育してない。
情報の授業とかあるのにね。ますますネットリテラシーに差がついていく。
アイスケースにはいるな、って教える親は、どんな世界にもいるわけじゃない。
それを知らないまま育ったDQNが、社会でDQNなことして、炎上してすぐきびしい制裁受けるけど、常識をおしえてくれない大人たちの世界がそのままなくならないんなら、その世界でこれからもDQNが次々育つと思う。
実は、このエントリを始めた時、この点を書こうと思っていたのだけど、私が書くよりも何倍もリアリティをもって彼女が書いている。
「低学歴の世界」って言葉は、すごいうまくいいあらわした言葉だと思った。
でもそこに属してるのは、低学歴の子供たちだけじゃないから。
「低学歴の大人」や「子供を低学歴にする大人」が作ってる世界に育った子供たちが低学歴になる。
常識をおしえてもらえなかった子供たちが、その子供たちだけの常識作る。
でも、これは「低学歴」だけの問題ではない。
「社会常識」と言う言葉が、この国で崩壊していることの現れなんだと思う。
「自分たちの世界だけで完結する」を学歴問題にしないほうがいい @人工事実 この手の「低学歴の人間は自分たちの世界で完結」みたいな論って、一見納得しやすいけど、先に述べたように同様の構図で企業の不祥事は起こり、しかもそっちの方が社会的な影響も大きかったりするし、偏差値の高い大学の学生が次々とネットでやらかしている訳で、学歴の問題にしちゃうと、いろいろなものを見落とすよなーと思った次第。
それダメでしょ、じゃなくて、大丈夫だよね、で通ってしまう狭い世界がいたるところにあるということ。
ネットにおける「うちら」の世界と学歴問題@togetterこういう議論含めて、社会学的な論考がなされるけど、あんまり意味は無い。
社会学って、どうも役に立たない感じがする。
最初にあげた24時間残念営業の中の人の視線は、そういう社会学的な問題ではなく、文化人類学なのだ。
そして、科学研究室を文化人類学者が調べたような、ねちっこい視線で見続けて本質をあぶりださないと、この問題は繰り返されるだけだと思う。
はてブコメントも今ひとつ冴えてないかな。
「うちら」の世界 - 24時間残念営業@はてブそして、あまりみんな触れてないけど、この
「うちら」の世界で秀逸なのは、奥さんとの会話。
うちの奥さまいわく、
「だから、子供できるだろ、結婚すんだろ。そうすると落ち着くんだよ。伝統芸だろ」
芸かよ。
「いまでもこの方法は有効だと思うんだけど……でもなあ……昔はそういうのが有効だった理由って、暴れるだけ暴れて、それって反抗するってことだったんだけど、やるだけやれば、反抗してた大人たちはそれなりに大したもん、というところに落ち着いたからじゃん。そういうの、ないからね、いま」
「ないですか」
「ないよ。大人もいなくなりつつあるし、反抗でもない。両方の側面からアウト」
大人との対立とか反発で行われた「成人儀式」ならば落ち着きもするけど、そうではなく、無自覚と根拠レスの肯定で行われている世界は、直しようがないということ。
それは、
私のいる世界、で書かれている「低学歴の大人」の世界の継続だから。
確かに識者の中には、日本では既に階層社会化していて、低所得層では学歴を得ることもできなくなっているという声もある。
それは、社会党や共産党が救いたい世界なのかもしれないが、救えるのか?
24時間残念営業は、「うちら」の世界をこう締める。
同じ場所でけっこうな期間にわたって店をかまえていて、彼らが高校生のころから見てたりもするんだけど、昔だったら、男は肉体労働、女は水商売っていう上がりのかたちがあったはずなんだけど、受け皿のほうが少ないせいか「どうやって生活してんだろこいつら」と思うようなのが増えてる。
引きこもり女子は、私のいる世界で、こう訴える。
それで、この「低学歴の世界」を、そうじゃない違う世界と切り離さないで、って思った。
(特定のブログの人にじゃなくて、不特定多数に向けて、です)
どこかでパイプ繋げて。
それじゃないと、いつまでも、ちゃんとした世界に入れなくて、この世界に取り残される人がたくさんいる気がした。
私には処方箋はないです。
問題は教育で、大人を教育しないといけないレベルなんだとは思うけど。
ここをどうにかしないと、日本は底が抜けるなという直感だけは身震いするほど、感じた。