夜の浅草寺もいいものだ
下町の風景に突然スカイツリー。
マイミクさんのイベントのヘルプ役なのだけど、
長くやってきた活動を今年で最後にしたいということで、
ヘルプ役としても色々と思いは深いものがありました。
吉原の遊女たちの生活に関するイベントで、
歴史資料や明治時代に外国人向けに発売された絵葉書などに残る
当時の写真や個人所蔵の写真、絵画などをプロジェクターで映しながら
これまで3回にわたって彼女たちの「光と影」について語ってきたもの。
午前中、講義と言うか写真を見ながら歴史的な背景や事情・状況を話す。
今回は、影の部分がメインなので、ショッキングな写真も多く、
とくに関東大震災時の吉原で起きた火事に関する写真では
近くの花園池に重なりあう死者の写真がありました。
このとき、多くの遊女や奉公人が火災に飲まれ、
火から逃げようと池に飛び込み、犠牲になっています。
というような話を含めて下知識を持った上で、
会場から電車移動で三ノ輪の浄閑寺へ。
ここは投げ込み寺として知られ、いまでも遊女の慰霊塔があります。
他には、永井荷風の記念碑があるんですが、写真を取ったんだけど、
うまくSDカードから書き出せてません。
浄閑寺から吉原までは徒歩。
当時の日本堤と堀はどのへんで別れるかが、今でも道路の高低でわかります。
この辺は、偽ブラタモリ状態。
吉原は、見返り柳から衣紋坂を通って、大門跡、吉原公園などを巡ります。
大の大人が30人ばかりで午後の吉原を散策する図は、傍から見ればかなり不思議。
歴史的建造物はもう無いのですが、裏道の昭和初期の建築と思われるアパートなどを
昭和33年の地図を見ながら、区割りが変わってないとか言いながら見て歩きます。
終点は、吉原弁天。(このサイトに詳しい)
ここは、関東大震災で多くの死者が出た花園池の跡に、
供養のために弁天様を祀ったところなんですが、
そこでボランティアで掃除をしている人が、なんと、冒頭で話した
花園池に多くの死者が溺れた写真を取った人のお孫さん(といっても本人はおじいさん)。
その写真の原盤を見せて下さいました。
いまは田園調布にお住まいなのだけど、おじいさんの縁もあるからと
この観音様の掃除をボランティでやっているのだとか。
そんな人に会えるとは、驚きです。
近くの公園で、三島屋の今川焼きをみんなで頬張って、少し温まって解散。
吉原病院から台東区の循環バスめぐりんで浅草に出ます。
浅草寺裏で降りて、境内を通って二次会会場へ。
五重塔がライトアップで素敵です。
二次会、三次会と流れて、家についたのは夜中でした。
この会を通じて多くの人と知り合い、また多くのことを知りました。
mixiのコミュとはいえ、実に深い縁が出来たものです。
これから新しい活動をコミュ主は始めるらしいのですが、
そちらの活動もお手伝いしたいと考えています。
書けない話がいっぱいなのですが、出会いとは面白いものです。