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【望郷】苫小牧港は今日開港50周年らしい


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苫小牧ブログ から無断借用)


我がふるさと苫小牧市の情報をウオッチするために、地元の後輩のブログを毎日読んでいる。

礎:Today’s Topics 北海道議会議員 沖田清志の‘ON’と‘OFF’

今年は、苫小牧港が開港して、50年の節目の年です。
今日が、開港して第1船が入港した日。
その時は、約5,000人が集まって、第1船の入港を歓迎したそうです。
当時の人口比から見ると、凄いもんです。



高校の後輩が道議を務めているのだけど、ほぼ毎日更新していて楽しく拝読している。
ネット選挙になったらば、こういう人材は強いのかどうか。
でも実は、地方の議員にとって困るのは選挙民のほうがネットに弱いことだろう。

さて、そこで知ったのは、今日4月25日が苫小牧港に最初の船が入稿して50年だということ。

1963年(昭和38年)だから、私はすでに生まれていて1歳3ヶ月。
まだ、浜町のアパートの2階に住んでいたので、母がちょっと目を離すと、踊り場に転がっていた頃だろうか。

苫小牧港開港50周年記念事業日程決まる@苫小牧民報

苫小牧港開港50周年記念事業の日程が決まった。25日の開港記念日セレモニーを皮切りに、フェリーのショートクルーズと船内見学会、帆船の寄港、第3回みなとオアシスSea級グルメ全国大会など夏までイベントが続く。

 西港北埠頭(ふとう)キラキラ公園で25日午前10時50分から始まるセレモニーでは、50年前の第1船入港を記念し、打ち上げ花火やタグボートの放水が行われ、在港船が一斉に汽笛を鳴らす。公園の完成記念も兼ねている。



今日は、このセレモニーが有って沖田道議も参加していたらしい。

記念事業の詳しいスケジュールは、こちら
7月16日の開港記念式典まで、いろんなイベントが有るようだ。

気になるのは、第3回みなとオアシスSea級グルメ全国大会in苫小牧

B級ならぬ、海だからSea級というくだらなさが、たまらない。

第1回は広島県三原市

第2回は福島県小名浜市

そして第3回ということなのだけど、みなとオアシスという制度の道央での第1号は苫小牧みたい。北海道では第4号だね。

1.北海道みなとオアシス制度

 「北海道みなとオアシス」制度とは、旅客ターミナル、広場、海浜など、みなとの施設やスペースを活用した地域活性化を目指す住民参加型の取組みに対して、活動の拠点となる施設あるいは地区を「北海道みなとオアシス」として登録を行い、各種支援を講じるものです。



まあ、要は、港周辺の道の駅みたいなものなんだろう。
港の観光資源化の一貫というところか。

7月には帆船海王丸も来るみたいだし、これから暖かくなる中で盛り上がるんだろうね。
Sea級グルメは、ホッキライスバーガーなのかなあ。

でもやっぱり、苫小牧で港といえば、港まつりだよね。

ポスターデザイン募集してるね。(pdf)

とまチョップのテーマソングも募集しているし、

どうしちゃんだろうなあ。

でも観光産業は重要だからねえ。

みなと祭行きたいなあ。

持続しない自分

最近、怒りが持続しないなと思う。

ブログやニュースで触発された怒りが、ある考えに至って、それをブログに書くというサイクルが弱っている。

最近、ブログ更新が少ないのはなぜなのだろうかと考えるうちに思い至ったのが、「持続力の低下」だった。

とくに「怒りの持続力」が低下しているのはまずいなと思う。
感動というか、涙腺の弱り方は、これまた甚だしいものがあるわけだけど、それはまあ、歳だね、ということで済ませられる。
でも、「怒りの持続力の低下」を「歳だね」と笑って済ませる訳にはいかない。

年寄りが怒りっぽくなるというのは、実は自分の能力低下が受け入れられなくて苛立っているからだという説もある。
当たり散らしているわけだ。
それも結構なエネルギーが必要だから、元気な証拠といってもいい。

でも、怒りが持続しないというのは、諦めが先に立つからだろう。
これは、生命力は落ちている感じがする。

原因として考えられる一つには、情報への反応の瞬発力をFacebookで発散しているというのがある。
シェアして意見を書いたりすると、それである程度満足してしまう。
ブログに至らないのだ。

でも、それでは考えが深まらないし、他の意見や知識と結びつけて展開しないと、横に広がっても行かない。
考えを横に広げていくのは自分の持ち味だと思っているので(拡散するだけかもしれないけど)、そこが出来ないというのは、良くない。

もう一つは、やはり年齢的なこともあるだろう。

持続力が問題になる歳になったというのは、色々な意味で感じるけれども、社会への怒りとか、お役所仕事への怒りはなくしてはいけないし、考え続ける力を衰えさせてもいけない。

そう再確認したくて、このエントリを書いてみた。

【新宿】新宿御苑の温室がオープンしてました



私、温室が好きです。

温室育ちではありませんが、植物園の温室は好きです。
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ということで、長年工事中の新宿御苑の温室のオープンを心待ちにしていました。
なのに土曜日に、花見の下見に行ったらば、オープンしているじゃないですか!

うっかりしていました。

新宿御苑大温室の開館について(お知らせ)@環境省:2012年11月16日

新宿御苑において、平成19年度から建替工事整備に伴い閉館していた温室の工事が、この度終了したことから、下記のとおり開館することになりましたのでお知らせします。



5年も工事していたんですね。

1.開館日:平成24年11月20日(火)

2.開館時間:午前9時半~午後3時半(閉館午後4時)

3.入館料:無料(ただし新宿御苑への入園料が必要です(一般200円、小・中学生50円))

4.施設内容
[1]概要
 絶滅危惧植物の保護増殖、ワシントン条約で保護されている洋ラン等の栽培を行う特別室を設置し生物多様性の保全を強化するとともに、建物の省エネ化を図っている。
構成:主温室、特別室、トイレ、機械室等
規模:面積約2,750m2 高さ約15m (旧温室は約3,380m2)
植栽種数:約500種類(品種含む。内、高木約100種、低木・地被約400種)
その他鉢栽培の洋ラン等を適宜展示
[2]温室設計のポイント
・一つの大型温室とすることで広がりのある空間を確保し、高低差のある通路による立体感のある鑑賞
・温室内の高い位置から園内が見えることで庭園との連続性を演出
・順路の定まった通路を骨格として、自由な出入りが可能な動線
・夏期には外気を効率的に取り入れ、植物の生育と利用環境に配慮
・極端な高温を嫌う植物のため、地中に設けたクールチューブからの冷気を夏期の温度抑制に利用
・暖房時の省エネのため、温室のガラスに複層ガラスを使用することで高断熱性を確保
[3]各室
ア.主温室(約1,660m2)
観賞温室で、高低差約3mの園路や池を配置し、植物の性質毎に以下のような展示コーナーを設置。
a.人と熱帯の植物(花木、果実のなる植物等)
b.熱帯池沼の植物(オオオニバス、熱帯スイレン等)
c.熱帯低地の植物(熱帯雨林、熱帯季節林、沖縄、小笠原の植物)
d.乾燥地の植物(ソテツ、サボテン等)
e.熱帯山地の植物(ランと熱帯山地の植物)
イ.特別室(約180m2)
 亜熱帯性の絶滅危惧植物、歴史的遺産である洋ランのための隔離栽培温室(特別室)を2室整備。入園者は、室外からガラス越しで見学。



たまに確認しないといけませんね。

新宿御苑ホームページ

新宿御苑へようこそ

新宿御苑の最新自然情報


【まとめ】ゴルフブログfujita244のゴルフBKの記事まとめ



ゴルフのことはBloggerを利用した別ブログに分けて、書いています。

fujita244のゴルフBK

ゴルフBKというのは、イラストレーターの野村タケオさんのブログからパクった言葉。

ゴルフBK=ゴルフバカ、ということです。

こちらの今年分のラウンドなどのエントリをまとめておきます。

霞ヶ浦カントリー倶楽部:2013年1月5日ラウンド

市原ゴルフクラブ柿の木台コース:2013年2月3日ラウンド

ゴルフスイングメモ

石岡ゴルフ倶楽部:2013年2月11日ラウンド(今年3回目)

伝説を目の間にするロッカー

ムーンレイクゴルフクラブ茂原コース:2013年2月18日ラウンド(今年4回目)

ALBA×HONMA GOLFカップ2013 予選に出るよ

スポニチゴルファーズ倶楽部に入会してみた

紫カントリークラブすみれコース:2013年3月4日ラウンド(今年5ラウンド目)

フットジョイ FJスポーツBoaシューズ買っちゃいました

エンゼルカントリークラブ:2013年3月20日ラウンド(今年6回目)

またひとり、ゴルフ界に「熊本女子」の優勝者

狭山ゴルフクラブ:2013年4月8日ラウンド(今年7回目)

雲雀ゴルフ倶楽部:2013年4月14日ラウンド(今年8回目)

スリクソンZT-X 2010年モデルを買いました

ラウンドのこと、ギアのこと、スイングのことなどなど、ゴルフのことはゴルフBKに書いてますので、そちらもよろしくお願いします。

【考察】社長さんの知恵袋全12回のまとめ



f:id:fujita244:20130228160049j:plain(オフィスフロッグスのマスコット』


 


友人の会社サイト(リニューアルしたらしい)のコンテンツとして以前書いた連載を、別ブログに転載しました。


写真をたしたりしましたが、文章は全て、連載時のママです。


2010年4月から2011年3月という時期は、今から見れば古くも見え、遠くも感じるものになってしまった部分もあります。


やはり東日本大震災という事実・経験は大きい。


でも、いま読んでも頷けることも書いてあり、自分でも少々驚きました。いつも自分の文章に驚くんですよね、いま書けるかなって。


きっと、その時の時代の空気とか自分の置かれている状況に文章が左右されやすい体質だからでしょうね。


ということで、12回分をまとめてリンクしておきます。



よろしければお読みください。

第1回:昔書いた連載が消えてしまうのがもったいないのでコピペしてみる。


第2回:ツイッターで何ができるか:2010年5月


第3回:ソーシャル・メディアの背景:2010年6月


第4回:ユビキタス化するメディア:2010年7月


第5回:コンテンツってなんだろう?:2010年8月


第6回:デザイナーからプロダクトメーカー(仮)へ (その1):2010年9月


第7回:デザイナーからプロダクトメーカー(仮)へ(その2):2010年10月


第8回:デザイナーからプロダクトメーカー(仮)へ(その3:完結編)2010年11月


第9回:ソーシャルの時代が来たようです:2010年12月


第10回:「リアルかネットか」ではなく「リアルもネットも」の時代:2011年1月


第11回:ソーシャルメディアサミットで考えた:2011年2月


第12回:ソーシャルの彼方にあるもの:2011年3月

【考察】テレビが面白くないのは「正直な信号」なのではないか



私が子供の頃、テレビが有る家は珍しかったので、テレビを見ないときは布をかけたりして「日焼けから守る」とか言っていた。
田舎の祖父母の家には、扉付きの「家具調テレビ」というのがあって、TVを見るときに観音式の扉を開けるものだった。
その後も、脚付きのテレビが登場したり、テレビを乗せるテレビ台はおやじがたまにしか飲まない高い洋酒が入っているような場所だったり、テレビは自らが貴重な存在であることを、その体で現していた。

その頃、テレビ番組は熱狂と共に待ち焦がれるもので、崇め祀られもし、何ともアリガタイものだった。

テレビが庶民のものとなり、三種の神器から一人暮らしの必需品となっても、ブラウン管時代にはその大きさからワンルームの真ん中を占めるものだった。
その頃のテレビ番組は視聴者の「あこがれ」を映しだすものだった。
生活の中心であり、話題の中心であり、一人暮らしの寂しい心を満たすものだった。

テレビが次第に平面だとか存在を主張しない薄さとなり、プラズマや液晶となってくっきりハッキリ映るものとなって、なんだかテレビ番組がつまらないとか、ドラマに出る役者にカリスマ性が無くなったと言い出した。
漫画や小説のテレビ化ばかりで台本がつまらないとか、アイドルも小粒で、ドラマの主役はモデル上がりの基礎がない俳優・女優で、大根役者勢揃いだとか何だとか。

でも、それは、内容の問題だけではないのかもしれない。

動物行動学に「正直な信号」という用語がある。

動物が発する信号(鳴き声、羽の色など)は、その個体が性選択に有利な個体であること(つまりDNAの伝達に有利なこと)を示しているような、進化にとって「正直」でなければ長く固定しないという考え方だ。
これは、ザハヴィのハンディキャップ理論などで指摘されている。

つまり、進化に適応している「正直な信号」を動物は、その一見奇抜な形態や装飾や鳴き声などで発しているというのだ。

姿形が、その存在意義と密接な関係にあるというのは、「正直な信号」とはいえないだろうか?

そう考えると、テレビが、その形態を薄くするという「進化」を選択したのは、「正直な信号」だったのかもしれない。
過剰な情報量を提示する存在であるはずのテレビが、できるだけ人間の空間を所有しない方向に進化する(つまり体積が少なくなる)ことで、人間の情報処理に必要な量を所有しない方向(薄く、つまらない情報を発する)存在であるということを「身を持って示した」ということなのだから。

こういうどうでもいいことを風呂で考えている時間が楽しい。

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【観劇】こども・若草歌舞伎公演で考えた歌舞伎のお家のこと

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(会場の緞帳)

日曜日に、人形町で、子ども歌舞伎の発表会を見に行った。

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(会場の日本橋社会教育会館は、小学校に隣接)

江戸時代の芝居の本場、昔の二丁町である人形町で歌舞伎を演じるというのも大変素敵なのだけど、子ども歌舞伎・若草歌舞伎の「発表会」ではなく、十分に「公演」と呼べるものだったことに驚いた。

最初の演目、松羽目物の「墨塗り」では、健気な黒子に感心し、達者なやり取りで笑いをとり、
続く「白浪五人男」の「浜松屋の場」という名場面、弁天小僧菊之助の名台詞で十分に酔わせ、
さらに口上で唸らせ、かっぽれ踊りも微笑ましく、見事な演目、見事な芝居だった。

演者には小学生から高校生までいるから、その出来栄えにばらつきはあるのは当たり前だが、内容を見て、演じた子供の顔ぶれを見ると、年齢よりも舞台へのあこがれの強さが、こうした実演の時には、大きな差になるのかもしれないと感じた。

3交代の配役なので、演技は見られなかったがかっぽれ等の踊りを見た中で、ピカイチだった子がやはり芝居も良い出来だったらしい。この子は中学1年生だけど、歌舞伎への熱意と憧れが一番強いのだそうだ。踊りをする、演技をするということ以上に、どう踊るか、どう演じるかを考える時に、自分を超えたあこがれの役者の真似をするというのが、この時代は重要だし、歌舞伎の場合はとくに型が要求されるので、その型をどういう鋳型から持ってくるのか、そこが上達の早道でもある。

自分なりにうまくやるのでは、いつまでも型どおりにはならないし、型がなければ文字通り「形無し」となるのが伝統芸能というものである。
だから、講師の言葉をうのみにするのも大事だが、その模範演技はやはり憧れの役者がいたほうが上達しやすい。

だから、芸能へのあこがれがきちんと強い子が早く上達するのではないか。
そして、当代の歌舞伎役者もまた、そうした憧れの型となるべき手本を自らの周りに持っているから、あれだけ息子世代がずらりと居並んでいるのではないか。

そんなことを考えたのは、この子ども歌舞伎の理念と関係がある。

この子供・若草歌舞伎を牽引するNPO日本伝統芸能振興会の専務理事であり舞台想像研究所の所長である竹柴源一さんが、幕間に話していたように、歌舞伎は3座が形成された江戸歌舞伎だけではないし、確かに、歌舞伎役者は歌舞伎のお家の子だけのものではない。だから、多くの子供達に開放したいという考え方は素晴らしいし、十分に賛同できる。

なので、こうした活動を支援したいという気持ちもある。

ところで、歌舞伎を大衆のものではなく、お家のものにしようと考えているのは、各家なのだろうか。
そこには、興行主としての松竹の存在が大きいであろうことも予想できる。

竹柴さんのお話にもあったように、たまたま松竹が興行主として歌舞伎を牽引しているから、結局、みんな松竹の興行に出ているけれども、松竹が歌舞伎を創始したわけでも何でもない。
でも、中村屋が自主公演をしていることを松竹が快く思っていないという噂もある。
どうも、この子ども歌舞伎についても松竹が裏で邪魔をしているようだという話も聞く。

ただ、歌舞伎の跡継ぎは実子という機運が戦後生まれたのは、さらに別の理由もあるように考える。
歌舞伎の家柄が実子を中心とするようになったのは、松竹の陰謀だけではなくて、むしろ、天皇家の有り様を始めとした、日本の家族制度の有り様の変化が背景にあるのではないだろうか。

松下電器も跡取りが女婿だったように、古来から商家は優秀な番頭などを娘と結婚させることで家を守ろうとするのに対して、武家は跡取り息子を大事にしてきた。
武家が官僚や企業に分散する中で、日本の中流家庭まで跡取り息子が大事で、養子縁組が少なくなっていく。
さらに、天皇家が乳母を廃し、将来の皇后陛下になる人が自ら自分の子供を自分の手で育てるようになっていくと(美智子さんことね)、そうした機運は日本全国に飛び火した。

芸養子よりも実子を跡取りにというのは、そうした機運と無関係ではないだろう。

さらに、興行が味方に付く場合もある。

例えば、梨園の出ではない坂東玉三郎はメインストリームではなかったのだけど、結局、興行が後押しをして歌右衛門の死後、大きな役を付けられるようになったし、今や人間国宝でもある。
最近では、ラブ様こと片岡愛之助が芸養子だ。

踊りから入るも良いし、部屋子が出世するのでも良い。
国立劇場だけではなく、この若草歌舞伎から歌舞伎界を変えるような役者が出れば、興行主も黙って入られないだろう。

結局、この公演は、芝居そのものだけではなく、その背景となる状況にまで考えさせられる舞台だった。

【観劇】別役実は常に現代の作家なのだなあ

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土曜日に、我が家から短いミドルホールどころか上手くすると我家のベランダからドライバーで打つと届きそうなくらいに近い新宿サニーサイドシアターで、観劇しました。

別役実という日本を代表する劇作家の二人芝居を女優二組で二本という企画。
(当初は3本だったはずだけど、蓋を開けたらば2本になっていた)

有名な台本とはいえないけど、独特の世界観は健在で、不思議な感覚を味わわせてくれる。

1本目の作中に「それだけ聞いているとどこにもオカシイところはないけれども、可怪しいんです」というようなセリフがあったけれど、まさにそれが別役の世界。

普通を装った登場人物がセリフを口にするたびに、その可笑しさ、世間とのずれ具合がグイグイと見る側に迫ってくる。

そして「普通」とか「普遍」とか「常識」自体が持っている「おかしさ」に無自覚でいる我々の存在そのものを露わにしていくのだ。

1本目は「トイレはこちら」。
首吊り自殺をしようとしている女性の、まさにその場所にトイレのガイドという荒唐無稽な職を思いついて実行しようとしている女性が現れる。そのふたりの、どれだけを取り上げれば理屈が通っているように見えて、どう考えてもおかしな言葉たちが交わされる噛みあわなさ、そして、荒唐無稽であるはずのトイレのガイドを利用する客が現れるという「現実のほうが想像よりもおかしい」ことがあることを示した作品。

比較的若い二人の役者さんが元気に演じていた。
声優ぽい発声が気になったけど、丁寧なセリフ回しと言うよりは、勢いがあってよい。
若い人がやる別役はこうなるんだよなあ、という感じで見られた。
「そうじゃないんですよ」とか「だからですね」といった、別役の世界独特の台詞回しが、どうしても「そう~じゃ、ないんですよお」という感じで強く立ってしまう。
そこを抑えめにやったほうが別役っぽくなるのだけど、別役っぽいってなんだという話ですからね。

結局、首吊しようとしている女性が「なぜ首をつろうとしているか」の説明がないところが別役らしい面白みだけど、この本が今ひとつ落ち着かない理由かもしれない。
彼女が毎日のように失敗してるだろうことを示すと、もう少し不条理が生きていくるように思った。

この本に掲載されているようです。
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2本目は「寝られます」。
マイミクの荒井ゆ美さんが登場。
「寝られます」とだけ書いてある部屋の主人(実は魔女)を好演。

摩訶不思議なムードを漂わせた部屋に女性の左足が落ちているという電話がかかってくる。
そして「寝られます」と書いてあるのを見て、宿屋だと思って入ってくる左足が義足の女性。
実は、この女性が、30年前にこの街であった公民館爆弾事件の実行犯で、その時に自分の足を吹き飛ばしていた。しかも、自分が吹き飛ばしてはいない死んだかもしれない子どもたちと亡くしたはずの左足の記憶を成仏させるために、この街に戻ってきたという、話の中にさらに話が入れ子状に広がる複雑なストーリーを見るものに納得させてくれた演技だった。

この本に掲載されているようです。
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2本とも大変面白かったし、別役は、やはり現実が混沌としていて、以前だったら驚くようなことが普通に起きる時代に見ると、さらに輝きを増すなあと思わせれくれた。
その意味では、常に、その現在の作家なのかもしれない。

ベケットの「ゴドーを待ちながら」が繰り返し演じられるように、別役実は何時の時代に演じても、見るものに示唆的なのだと思った。

それだけに、繊細に演出しないと、見るものにわかりにくい。
今回は、音楽やセットは良かったが、衣装が気になった。
当然、衣装はその人物を印象づける。
それだけに、人物設定と密接に結びついていてほしいのだけど、私には違和感があった。

まあ、ほんの些細なことなのだけど。

なぜ、首をくくろうとする女性が、結婚式の二次会の帰りみたいな格好なのか。
なぜ、トイレのガイドを考えついた女性はベレー帽なのか。

きっと、一生懸命考えた役作りの一環なのだろうけど、もう少し抑えたものでも良かったように思う。
その人を主張しない服装が、別役作品には似合うと思うのだ。

もっと、背景に溶け込んでしまうような服でやると、良かったように思うのだけど。古いかな。

中島みゆきの「狐狩り」が転換で流れたのは良かったなあ。
あのシュールさが、別役にはピッタリだな。

40人くらいしか入らない小屋で、オーディションで配役を決めた芝居ということらしいけど、贅沢なことなだなあと思う。
そういう贅沢さが、いまの日本にはあって、そこで演じられるのが別役実だというのがなんともシュールな感じがした。

テーマ : 演劇・劇団
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

fujita244

Author:fujita244
2000年から新宿在住。
21世紀とともに新宿を闊歩。
高度成長期の一億総中流育ち
頭も身体もサイズM。
フツーのオッサンから見て
フツーじゃなさそうな話を
書いています。

2011年12月に
「若だんなの新宿通信」から
「フジタツヨシの新宿通信」
に変更しました。

2012年12月20日にはてなブログも始めました。
「fujita244's field」です。
2013年2月1日からゴルフ専用のブログもはじめてます。
「fujita244のゴルフBK」です。
2つのサブブログもよろしくお願いします。

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