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新宿に沖縄の夏がきた

今年も、7月の終わりは伊勢丹で大沖縄展開催です。

第17回めんそ~れ~ 大沖縄展□7月27日(水)~8月1日(月)最終日6時終了 □新宿店本館6階=催物場

そして屋上ではオリオンビアフェスト

orion_convert_20110728125911.png

沖縄の歌手の歌声を聞きつつオリオンビールを飲むのはたまらんですな。
今日は、それほど暑くないし、明日は雨の予報なので売れ行きが心配ですが、
土日でぐっと沖縄感が高まるでしょう。

ビアフェスタに登場する歌手たちのラインアップは以下のとおり。
schedule1.gif

個人的には、金曜日のラインアップが沖縄感が高いと思いますね。
特に夜は、ぐっと渋いセレクトです。

土曜日は盛り上がる感じですね。

新宿エイサー祭りもやるしね。
新宿に沖縄がやってくる!

エイサーもすっかり新宿の夏の風物詩になりました。
私も毎年楽しみにしています。

エイサーは沖縄の盆踊りで鎮魂の踊りですからね。
今年は、東日本大震災への思いも込めて演じてくれるでしょうね。

ああ、沖縄行きたいなあ。

8月は伊勢丹も休むらしい

何年振りなんでしょうか。

百貨店が店休日を設けるのは。

本当は数年前から検討されていたけど、現場の反対で踏みきれなかったらしい
輪番停電だの節電だのの外圧で、ようやく8月だけ休みを作った。

店舗休業日のお知らせ

ということで、新宿伊勢丹は8月2日(火)、9日(火)、23日(火)、30日(火)が休みです。

9月以降はまた無休らしいけど、そんなに客入ってないと思うなあ。
機会損失を怖がっているんだろうけど、お客様もそんなに百貨店で買う気はないと思うよ。
がんがんにクーラーかけて電気使うくらいならば、休んだほうが利益は出ると思うけどね。

自己新記録の3冠達成!:宍戸ヒルズカントリークラブ

今日は、夏休み第一弾として休みを取り、今月3回目、今年11回目のラウンド。
マイミクさんたちと2組で宍戸ヒルズカントリークラブへ。

ここは、男子プロゴルフの日本ゴルフツアー選手権で有名なコース。
東西36ホールあるのですが、大会開催で使用する西コースを回りました。
しかし、当然ながらコースコンデションは大きく異なり、
とくにラフが広い範囲でかなり短く刈られていました。
それによって獰猛なライオンが丸刈りの柴犬になった
くらいの難易度の違いがあったんじゃないでしょうか。

でも、フェアウェイの狭さとロングホールの距離は本番並らしいし、
やっぱりOBが浅いので、林に入ったりグリーン周りで距離を誤るとすぐOBです。
またコースがセパレートする赤松がしっかりしていて、
林の中に入れると出すだけになってしまいます。
さらに、池を大胆に使ったレイアウトが綺麗でした。

さて、そのコースで今回、自己ベストを出してしまいました。

細かいホールバイホールは省略しますが、前回嘆いたアプローチが今回は非常に良かった。
ウエッジを二回使ったホールが3ホールしか無い。
さらに寄せワンが7ホールあって、そのうちパーが3,バーディが1という充実感。

OUTは、7番パー4でドライバーがスライスしOBで前進4打などもありトリプルボギー。
と崩れたのが1ホールだけ。
しかも、次の8番パー5をドライバー、4Wとナイスショットしグリーンサイドまで運び、寄せワンのバーディ。
と、取り返しています。

バーディ1、パー4,ボギー2,ダボ1、トリ1の 42(14パット)

寄せとパットが噛みあい、4Wがうまく打てたので距離を稼げたのが功を奏しましたね。
ハーフでの自己ベストを達成しました。

後半のINでは、90切りを目指して粘りましたが、大きく崩れてしまいます。

12番パー4は180ヤードを超えると10ヤード以上打ち下ろす変則ホール。
しかも、グリーン周りは、前にクリーク、後ろは10ヤードほどでOBという厳しさ。
ドライバーを使わずに5番アイアンでティーショット。
ややスライスも思惑通り平らなラフから170ヤードの打ちおろし。
これをUTで打ったのですがグリーンをオーバーしOB。
普段170ヤード打っているクラブだからと打ち直したらば、やはり同様で、
さらに7アイアンでは届かず、グリーン手前のクリークに入る始末。
2OB に1ペナで5打罰。
結局10とすべての貯金を吐き出します。

それでも、後半11オーバーで89なので、あと4つあるからと粘ります。
ここまで7オーバー。
13番パー3は右に吹かしてボギー。
14番パー4は2オン2パットのパー。
15番パー5は600ヤード近い名物ホール。
狭いフェアウェイなのでドライバーではなく4Wでティーショット、
さらに4Wをセカンド、サードと続けますが、3打目は引っ掛けて林の中へ。
前に大きな木がスタイミーになっており、出すだけで寄せきれず2パットのダボ。
これで10オーバー。
あと1打しか余裕はなくなります。

16番パー3はワンオン2パットでパー。
今日は、アイアンが良くてパー3で3つワンオンのパーでした。
17番パー4は400ヤードクラスの長いミドル。
ドライバーはナイスショット、4Wもまあまあで残り50ヤード。
ここから寄せをミスリ、カラーからパターで打つも寄せきれず、
ファーストパットもわずかにショートして2パットでダボ。
ここで、80台は夢と消えました。

パー4,ボギー2,ダボ2,+6が1 で 48(15パット)

42-48の90(29パット)

それでも、ハーフベスト、ラウンドベスト、パットベストと3冠達成です。
全体にセカンドが良かったですね。
ティーショットもドライバーばかりではなくマネジメントしたのが成功し、
さらにティーショットのミスはセカンドと寄せでカバーした感じ。

だいたい、いいスコアの時は出来過ぎなものですが、
今回は90と言っても、5罰打を含んでいますから、
自分なりに、まだまだ伸び代があるのが嬉しい。

中間距離が打てるようになるとさらにスコアが伸びるような気がします。
マネジメントの大切さを改めて学んだラウンドでした。


今日の数値
ストローク: 90
パット数: 29
フェアウェイキープ率: 35%
パーオン率: 27%
ボギーオン率: 38%

今年11回目のラウンド。
平均ストローク:97 (↑)
平均パット数:35 (↑)
フェアウェイキープ率:31%(─)
パーオン率:20% (─)
ボギーオン率:37% (─)

喪失から立ち上がる「ヒトの力」を信じよう:【観劇】「ミス・ユウ~不在~」

何度か涼しい土曜日に、下北沢OFFOFFシアターまで
三ツ矢雄二さんの劇団「アルターエゴ」の公演「ミス・ユウ~不在~」を見てきました。

公演が火曜日までなのでネタバレ厳禁の部分もありますが、まあいいか。
今回は、自らパニックシアターを率いる中村まりこさんの書き下ろし作品。

もちろん、3.11以降に書いたもので、創作者があの震災以降をどう考えるかという問いに答えるものでした。
中村まり子さんには、震災以降何度かお目にかかりましたが、
東京にいたものの余震で眠れない日が続いたとこぼしていましたし、
また、フランスの友人たちから日本にいないでこっちにおいでと何度も言われたらしい。
フランスからか掛かってくる電話と話していると時差の関係で昼も夜もない感じになり、
体調を崩したりされていました。

そうした心穏やかならぬ日々を超えて、彼女が作品に込めた祈りが心に染みました。

あらすじは、タイトル通り「不在」を抱えて、心が崩れ落ちた女性3人と、
彼女たちを支える(?)男性2人が暮らす1軒屋に
ある日、新たな入居者がやってくる。
新参者の男性に惹かれる女性たち、安定していた5人の間で崩れるバランス。
と書くと、ありがちな世話物に思われそうですが、
この芝居がポスト3・11なのは、その新参者がたくましくもセクシーでもないこと。

庭を世話し、料理を作り、お風呂掃除やトイレ掃除を率先して行う華奢な青年。
この実に世間離れした青年の役を、女形などで成果を出してきた窪田亮さんが好演していました。
(ダブルキャストなのですが、私はマイミクでもある窪田さんの回を観劇)

超然とした視線と面持ちが、このマチアという名の主人公をよく描出していて、
天使が化けているネコと話ができるという中村台本によくあるファンタジックなシーンを
違和感なく定着させていたので、逆に別キャストはどうなっているのか気になるほど。

実に彼の存在が芝居を立ち上がらせていたなと思うわけですが、
その他のキャストも、ズレや違和感を抱えた人物をよく描写していました。
内面の違和感を表情の内側に落としこんで、
眼の色(なんか白目がいつも赤いとか)や視線の不安定さで
極端におかしく演じずに、異常さを見せていたなと感心しました。

そうした役者の力量で、不在を抱えたヒトが、それを忘れたり別のもので埋めるのではなく
埋められない不在を抱えたまま生きて行くことが、大人になる事なんだという
出発を誓うラストへの流れは、実に納得しつつ心に落ちてくるシーンとなりました。

建物を再建するときに庭を残すという選択も、再興のために全く新しくなるのではなく
どこかに土地の記憶が残る風景を残しておきたいという作家の願いなのでしょう。


この芝居が、誰かの不在(恋人だったり、結婚相手だったり、子どもだったり)をきっかけに
心を病み、自殺を計った女性たちが天使に助けられて1箇所に暮らしているという設定は
いま多くの肉親の不在を抱えて避難所で暮らす被災者を含む、
多くの現代人をイメージしたものだと思います。

その不在は、別の何かで埋めるのではなく抱えて生きて行く強さを持つこと。
作者の祈りは、昨年来古い友人たちを相次いで亡くしている作者自身を反映し
この震災で、どう生きて行くのか思いあぐねているだろう多くの被災者はもちろん、
被災していないことに申し訳なさを感じる非被災者へのメッセージなのではないかと思いました。

最小不幸社会よりも、幸福の芽を探そう

菅直人首相が、就任時に施政方針演説で「最小不幸社会」というスローガンを立てたのをご記憶でしょうか?

でも、菅さんが「最小不幸社会」と言ったのはもっと前で、2003年の民主党メルマガで述べていました。

民主党メールマガジン
DP-MAIL 第116号 2003年10月9日

編集・発行/民主党広報・宣伝委員会

>私は、政治の目標は「最小不幸社会の実現」と考えています。国民の中には、
「不幸」に遭遇している人がいます。そして、人々の「不幸」になる原因は様々
です。その原因を政治の力、つまり「権力」で取り除けるものはできるだけ取
り除き、不幸を最小化すること、それが政治の目標だと思います。
 
なぜ「最大幸福」と言わないで「最小不幸」というかと言えば、病気や貧困と
いった不幸の原因は、相当程度政治の力で取り除くことができますが、「幸福」
のかなりの部分は、恋愛や美意識といった政治という「権力」が関与すべきで
ない分野の問題と考えるからです。一部の人が無理に「幸福」を押し付けよう
として権力を使うと、そこには一種の強制や独裁が生まれます。政治権力は、
人の生死をも左右する強制力を伴うものだけに、その行使は人々の「不幸」の
原因を最小化することを目標とすべきであり、美意識のような個人的選好に属
する「価値」の実現を目標とすべきでないというのが、私の政治に対する基本
的哲学です。


びっくりしました。
こんな前から言っているのに、施政方針演説まで気がつかない、というか話題になってないなんて。

最小不幸社会@菅直人公式サイト
>2003年10月 2日 00:00 :
昨日の予算委員会で私の政治哲学として「最小不幸社会」という考え方を披露した。政治の目標は人々の不幸を最小化する事という意味。私がこの言葉を使い始めたのは20代の学生時代から。今回の民主党マニフェストでも使う予定。


20代から使っているオリジナルな言葉だそうですが、
この実現のために政治家として頑張ってきたんですね菅さんは。

それにしても野党というのは寂しいものですね。
だから、与党になって、自分の言葉が報道されるのが嬉しくて楽しくて仕方が無いのでしょう。

たとえ、それが「個人の発言」であっても新聞では一面だし、TVのニュースではもちきりだし。
野党の代表だった頃には考えられない持て囃し方です。

ダボスで響いた「開国」「絆」「最小不幸社会」@KAN-FULL-BLOG
>《最小不幸社会》という言葉も、海外で初披露した。“The Least Unhappiness”という耳慣れない表現が理解してもらえるか少し心配だったが、ベンサムの「最大多数の最大幸福」を前置きで述べてから、きちんと意味を説明して話したところ、大きな反響があった。最小不幸社会という言葉は私が若い頃から使ってきたオリジナルな言葉だが、逆にそのことが、好感をもって受け入れられることになったようだ。

海外でも披露しちゃっているようです。
当然、ベンサムの話をしないとナンノコッチャになるわけですが、
本当に「哲学的」な言葉だと思われたんでしょうか?
まあ、哲学的であって、政治的な実現可能性については議論していないのかもしれません。

そしていま、首相として辞任期限を設けずに「やめるから頑張る」と言っている菅さんは
「最小不幸社会」を実現するために、まず「最大多数の不幸」を作っているようにすら見える。
「最大多数の不幸」を減らしていく作業はすべて「最小不幸社会」に向かう道になりますからね。

「不幸を減らす」という作業が政治家のできることだと信じているようですが、
菅さんはトルストイはご存知なのでしょうか?

関連エントリ:トルストイは正しかったか?

トルストイは、「幸せな家は似ているが、不幸な家庭はとりどりに不幸である」と言っています。

つまり不幸の原因は家庭により違うが、幸福はある程度共通するわけです。
さらに言えば、不幸を取り除くことで幸福になるとは限らない。
他人から見れば不幸の原因がたくさんある家庭でも、一家が幸福を感じていることはあるわけです。

それを、あなたは不幸だからと決めつけて、お金を挙げることが最小不幸社会なのでしょうか?

この辺の議論は、多くの人がしているので深くは追求しませんが、
今度の東日本大震災の被災者に対しても、
不幸でない程度の補助をすることが優先していて、
幸福になるような試みを政府がすることはないように見えます。
きっとそれは、ボランティアの仕事だと考えているのでしょう。

政府と連動して活動する助け合いジャパンに関わる人達が、
「幸福」を感じられるような時間を作ったり、
仮設住宅で少しでも幸福に過ごせるようにと行っている姿を見ると
政府の活動に欠落している部分を埋めているのだなと思います。

それはひとつの実践の姿として素晴らしいと思うのですが、
一方で「不幸」に目を向けるばかりで、
「幸福」を目指さない政府の姿勢が気になって仕方がない。

その姿勢が、さらなる不幸を招いているような気がしてしまうのです。

不幸をなくすことも重要でしょうが、どうやれば人は幸福になるかという視点が
復旧から復興へと進む今後の展望には必要ではないかと思えるのです。

最小不幸社会は、運動のスローガンとしては正しそうに見えるけども
その活動の先が楽しそうに見えない。

活力がみなぎってくる感じがない。

やはり人間は、幸福を目指すエネルギーで動くのではないでしょうか。
その活力を奪うのが「最小不幸社会」というスローガンに思えてくるのです。

菅さんの言葉のセンスがないことは、この間いろいろな発言で思うところですが、
その原点は、この「最小不幸社会」にあったのだと改めて思った次第です。

下手な人ほど基本をおろそかにしている

夕べは、千駄木でうまい焼き鳥と旨い酒をしたたかに飲んだのだけど、
その友人との飲みの場で出た話から。

料理下手な人は、たいてい基本通り、レシピ通りに作らずに
いきなり自分独自の味を出そうとする、という話が
先日ツイッター上で出まわって共感したよね、という話になった。

【話題】料理が苦手な人ほどカレーをレシピ通りに作らず、チョコなど入れる
>料理が苦手な人に多いのが、最初から“背伸び”している人だという。例えば、自分は料理を苦手と思っている人にアンケートをとったところ、
カレーを作るときに大半の人がカレーのルウを2種類以上混ぜていた。コーヒーやチョコレートなどのちょい足し工夫も大多数。
ところが1種類のルウで基本通りに作ったことがあるかというと、大半の人はないという。情報がありすぎて、突然応用編からはいってしまう。



料理下手な人は、レシピ通りにやってみて最後までそれを守ることが出来ない。

例えば発言小町のこの人

料理下手は直らない?
>カレーのルーのみ余りました。
ジャガイモとニンジンをレンジでチンして、フライパンで炒めて盛り付けしようと考えました。
レンジの「根菜ボタン」を押し、自動で出来上がります。
しかしフライパンでも炒めるので、残り3分で取り出しました。そして鉄フライパンにて、焦げ目は多少付きましたが、炒め終え、ルーに混ぜました。
とても自信作だったので、主人も喜ぶだろうと、かなりの自己満足ぶりでした。
美味しいと言って貰えると思ったら、野菜が堅くて全然食べれない、無理!と言われました。


これは料理とはいえないような気もするけど、一番の問題は
コメントしているひとが多いように「味見をしていない」こと。

料理下手の特徴の一つが、無駄に自信家なのか、味見をしない。
自分の味付けを確かめずに誰かに食べさせるという発想が解らない。

そして、何故かアレンジしたがる。
しかも、基本から何かひとつだけアレンジするのではなく、突飛なことをする。
ひとつだけ変えてみるのならば、味が変わったときに原因がわかるが、
いろんなコトを一変に変えてしまうので、何が悪かったか分析できなくなってしまう。
そして、「おかしいなあ」などと言っているのだ。

おかしいのは、その人の発想だと思うが、本人はたいてい気づいていない。

歌が下手な人も同じようなところがある。

FNS27時間テレビ関係の番組で歌が下手なテレビ局員選びというのをやっていた。

それを見ていると、歌が下手な人ほど、難しい歌を歌っている。
スーパーフライとかいきものがかりとか、流行っているから歌うんだろうけど難しいよね。
音程が取りにくい上に、譜割りが独特なので歌詞と音を連携させにくい。

さらに、たいてい歌が下手な人はリズム感が悪いのにリズミカルな歌を選んで、
曲の進行と自分の進行が離れてしまう。
歌より早く終わったり、遅くなって違う場所を歌っていたり。

これは、いわばレシピ通りに歌えていないということで、料理下手と共通する。
しかも、微妙に自分なりのアレンジを加えたりする。

写真ベタも同じではないかという話になった。
最近はデジカメが良くなったこともあり(予算が少なくなったこともある)
取材の際にカメラマンを付けずにライターに写真も取ってきてもらう仕事が多い。

インタビューの仕事で、相手の顔写真を取ってきてもらうだけなのに、
相手の全身が入るほど画角を広くして取ってきたり、
周りが入りすぎて、出してはいけないポスターだの商品だのが一緒に写っていたり、
アップにしすぎて頭が切れていたり、変な感じで手が切れていたり、
とにかく使えない写真を取ってくる人がいるというのだ。

今はモニター付きだから、その場で確認すればわかりそうなことが満載の写真を
なんの反省もなく持ってくるのだという。
プロのカメラマンでも、最近はその場で自分でも確認し、
撮影相手に良く撮れた写真を見せて、その場で安心させる事が多い。
篠山紀信がAKBをとっている時でもそうしていた。
なのに、素人のくせに確認もしないで相手にも見せないで帰ってくる。

ポートフォリオは、顔が画面の3分の2くらいになるように縦長と横長を押さえる。
男性ならばネクタイの結び目が入るくらい、女性ならば、鎖骨くらいまで入れて取る。
顔をど真ん中に置かずに、顔を斜めにして向いている方の空間を少し多めに開ける。

などなど、基本となることはあるので、それを教えて撮りに行かせても、
現場の雰囲気で、とか言って、アレンジした写真ばかり取ってくる。
基本も抑えた上でアレンジした写真を取るのが常識だろと怒っても、
全然気がつかないというか、怒られている理由がわからない。

そういう人がいるらしい。

どの分野でも同じなのかもしれない。

何かが下手な人は、基本を抑えず、レシピ通りにやらない上に
途中の確認をして自分の達成度を確かめることもしない。
そして結果を評価されて「おかしいなあ」とか言っている。

仕事でもそういう事はありそうだ。

まずは基本を抑える。教わったとおりにやってみる。
自分のやり方があっているか、途中で確認する。
成果が出たらば、少しづつアレンジしてみる。
そして、いつの間にか自分のやり方が出来てくる。

そういう事なんじゃないですかね?

パターを変えても良くならない:麻生カントリークラブ

今年に入って早いもので10ラウンド目です。

18日の祝日に茨城県行方市の麻生カントリークラブに行ってきました。
潮来インターからなので、遠いイメージがありましたが新宿から1時間30分程度で行けました。
高速がすいているのは、1000円じゃなくなったからでしょうか。

実はこのところのパターの不調にたまりかねてパター買っちゃいました。

ミズノHST-521
【激安パター】 ミズノMIZUNOHSTシリーズ HST-518パター

激安3000円位。

今まではピンアンサー3という昔ながらのパターを使っていました。
20代の頃にゴルフを始めたときに買って、転職しゴルフをやめてからも
何故かパターだけは持っていたので、そのまま使い続けていたというシロモノ。
でも、グリップをオーバーラッピングにしたり、逆オーバーラッピングにしたり、
もとに戻したり、いろいろ試行錯誤してきましたが、
どうにもまっすぐヘッドが出せないので、ヘッドが大きいのにしてみました。

いままでは大きいヘッドに抵抗感があったのですが慣性重量でまっすぐ出せそうな方にかけてみたわけです。

そのデビュー戦となった今回のラウンドですが、やはり暑くてボーッとしました。

スタート前にいつもよりも多めにパター練習したのですが、
慣れないせいか距離がわからない。

OUTは結局21パット。

5番パー4で3パットのトリプル、6番パー4で2オン3パットのボギー、7番パー5で3オン4パットのダボと3パット以上が連続したときは、さすがに実は持っていったピンパターに戻してしまいました。
合計14本の中にピンパターを忍ばせたあたりに、パターへの信頼感がないことがわかります。

でも、8番9番とピンパターを使っても勘が戻らないので、INではもう一度HSTに戻しました。

全体としてはドライバーでのOBはなく、大幅な曲がりも打ち損じも少なかったし、
アイアンは、構えよりも右にでる感じがありパーオンが少なかったのですが、
大幅なダフリ、チョロもハーフで1回くらいに減ったんです。

でもスコアはまとまらない。

やはりアプローチとパターなのでしょうか。

1打ごとにクラブを記録していますが、アプローチウエッジを複数回打ったホールが8ホール有ります。
これが全部乗っていれば10打くらい縮まります(3回とか4回打っているのもあるので)
半分でも90台には届くわけで、やはり課題はアプローチの正確性ですね。

OUT パー1,ボギー2,ダボ4,トリ1,+4が1 で 53(21パット)

9番パー3の池超でしっかり池に入れて前進4打をチョロして5オン2パットの+4ですから勝負弱い。
パーならば49ですからね。

お昼ごはんがランチバイキングだったのですが、暑さで食欲がなく、
ソウメンとか冷やし中華とか冷たい物メインで済ませました。
麻生カントリーはHPにQRコードを乗せていて、
携帯電話を使ったゲームが出来て、飲み物券が当たったりする企画をやってます。
私もこれで飲み物券をゲットしておいたので、タダでお昼のビールを飲んでしまいました。
暑いときはビール飲まないほうがいいんですけどね。うまいんだよねえ、やっぱり。

後半のINはパターをHSTに戻したところ、少し距離感が出てきて、16パット。
これは寄せワンが3ホール有ったためです。
ロングパットを入れたということではありません。
でも、パター回復の兆しと見て、しばらくはこれで行ってみたいと思います。

IN パー1,ボギー5,ダボ2,トリ0、+4が1 で 49(16パット)

ボギー、ボギーと来た12番パー4。
ドライバーを引っ掛けてアンプレアブル。
第3打が落ちたのはバンカーの先にバンカーがあるダブルバンカーの手前。
アプローチを54度で上げたらば、ロブショットで二つのバンカーの間に落ちるというミラクルショットを打ってしまいました。
さらに3パットでこのホール8(+4)

何とか100切りしたいと粘りますが、16番を終わって、連続パーで99という状況。
17番パー4は池を避けて4Wで打つも引っ掛けて左へ。
第2打のUTをチョロして、もう一度UTでグリーン手前へ、
そこから54度でアプローチが寄って、ワンパットでボギー。

最終18番ロングはパーならば100。
ここでドライバーがナイスショット。
セカンドもライがいいので4Wで打ったらばスライスしてOB。
打ち直しがナイスショットで残り100ヤード。
50度のウエッジでのアプローチはグリーン横のラフにこぼれたけど、
そこからの寄せワンで、結局OBを除けばパーに当たる7。
結局、OB分はみ出て102という次第。

気負いがあるのか、実力以上の背伸びなのか、100叩くとすごくがっくり来るようになりました。
102なんて、1年前ならば喜んでいたスコアなのにねえ。

ストローク: 102
パット数: 37
フェアウェイキープ率: 35%
パーオン率: 16%
ボギーオン率: 27%

2011年10回目のラウンド。
今年の平均値は以下のとおり。

平均ストローク:98 (→)
平均パット数:36 (→)
フェアウェイキープ率:31%(→)
パーオン率:20% (→)
ボギーオン率:37%(↓)

「嫌原発」ではなく「縮原発」ですかね

原子力発電所の問題というのは、いろいろな分野の問題が絡まり合っていて
一筋縄では行かないし、利益代表も多くて、誰のための利益なのかを考えるのも難しい。

原子力発電は、核爆発力で発電しているわけではない

で書いたように、科学的な原理から技術的な側面だけを考えても問題は多いし、

「脱原発」で行けるのか、行けないのか。

で触れたように論理的な思考を繰り広げる人も問題の混在を紐解けないでいるように見える。

菅政権の側面、エネルギー政策の側面、節電と企業の側面、地域経済の側面、
純粋な科学技術の側面、偏在化する原子力発電技術の側面、今すぐとこれからの側面。

どうしても、こうしたいろいろな側面が絡みあい、利益相反したりしながら問題が存在する。
その辺を「反原発」とか「脱原発」という言葉がうまく汲み取っていないような気もする。

「反原発」というよりも「気分は嫌原発」ではないかと思うし、
「脱原発」というとなくなっちゃいそうだけど「方向性は縮原発」ではないかと思う。

私は、現代社会というのは「自然を踏み出した」から成立していると思っている。
生き物としてのヒトというのは、自然から取り出す利益が他の動物よりも効率的で大きい。
その結果、自然適応できて地球上に生息しただけではなく、自然を超えて爆発的に増殖した。
食べ物の栄養を取り出すレベルでは採食よりも農耕という方法を選び、
そのエネルギーをより多く取り出すために「品種改良」を行って来た。
化石燃料からエネルギーを取り出すにも、ただ燃やすのではなく効率的な方法を探り、
技術革新でより大きなエネルギー、より使いやすいエネルギーとして「電気」に行き着いた。

そして、エネルギー政策は「エネルギーをそのまま使うのではなく電気に変換する」ことが前提になっている。
熱だろうと光だろうと原子力だろうと、電気エネルギーに変換する。

でも本当にこの先「電気」しか無いんだろうか?

電気というか電磁波の持つ「周波数さえ変えれば、いろんなコトに使える便利さ」には、代替物がないんだろうな。

なんでこんなことから始めたかというと、人間は時代をもどることは出来ないということを再確認したいから。
電気エネルギーではないエネルギーで社会運営を行う時代(江戸時代とか)に戻れないでしょう?

だとすると「エネルギー」と呼んでいるけど「電気」ということなのではないか。
「エネルギー政策」ではなくて「電気政策」なのではないか。
ガス会社とかも色々あるけど、「電気」を誰がつくり、誰が届け、誰が使うか。
それが「エネルギー政策」なんじゃないの、ということの再確認なのです。

自然エネルギーだの再生可能エネルギーだのというけれど、
太陽熱でお湯を沸かすとかいう話を考えているわけじゃないでしょう。

地域冷暖房はガスのほうがとか、そういうことじゃなくて、結局「電気」でしょう?

では「電気を原子力で作るのは、アリなのか無しなのか」。

これだけ大規模な災害を引き起こした「原子力発電」という仕組みに継続の余地はあるのか。
私も、あまり大規模に継続することはできないだろうと思います。
それは、心情的にもだし、経済的にも無理でしょう。
企業が事業ドメインとして継続を打ち出すには株主の賛成も得にくいし、
立地を手当てするのも難しいでしょうし、自治体の協力も得にくい。
すべて、かなりの「金」が必要となるので、経済的な利点が低い技術になってしまいます。

経済原理で考えれば、原発は先を買いにくい技術になってしまったと言えます。
反とか脱とか言わなくても先細りの縮小傾向にある「縮原発」に向かわざるをえない。

でも、既に稼動している原発は止めれば全て終わりというわけではない。
使用した燃料棒はどうするのか、ゆっくりとした燃焼は続けなければいけません。
もともと不安定な物質だから放射線が出て変化しようとするわけで、
それを止めることは出来ないわけです。今の技術では。

廃炉にするにしろ、脱原発するにしろ、原子核や原子力研究に投資して
放射性物質をより早く安定させる技術とか、放射性遮蔽のより効果的な方法とか
色々研究成果を出していかないと、それこそ放っておくわけには行かないのです。

だとすれば、暴走しないレベルで稼動させ、安全を確保できるような運転システムを開発し
小さく原発を使っていく方法を考えるのもありなのではないでしょうか?

原発を嫌って閉じ込めて見えなくする「嫌原発」ではなく、
嫌でも仲良くしていく、オープンにして見える形で見張っていくことはできないでしょうか。

原発を闇に葬るのではなく、金遣いの荒い、街の嫌われ者に荒ませるのではなく、
問題児だけど、なんか出しているけど、みんなで見守って寿命をつきさせてやろうじゃないの。

そうしないと町の人達が被る被害が何時までも計算できないと思います。

原発から目をそむけるのではなく、見守るしかないのだろうと思います。
そして、大きな古原発(40年以上)は、先にお休みいただく。
若い元気な原発は、安全対策も新しいし、発電方式も事故が起きにくいものになっているので
ぐれないように見守りつつ役に立っていただく。

そういう付き合い方を考えていくことが肝要で、
全部止めろという急進的な意見も、電力が足りなくなるから動かせというようなこれまでの延長線上の議論も、すでに原発を取り巻く状況に馴染まないと思います。

そしてエネルギーという曖昧な言い方ではなく「電気」をどうするかを考える「電気大綱」に着手すべきなんだろうと思います。
そうすれば、発電、送電、蓄電というレベルでの議論もしやすいのではないでしょうか。

言葉の問題だと言われるかもしれませんが、結構、言葉の問題で行き詰っていたり
言葉の使われ方でいいようにされたりしているのが現状なんじゃないですかね。
そこん所をきちんと見つめることも大事かもしれません。

「脱原発」で行けるのか、行けないのか。

ブログの中で原発の問題に論理的に検討している人は少ないように思う。
感情的な意見を書いている人は多いけど、私は出来れば頷けるような話が読みたい。
じゃあ、お前はどうなのかと言われそうなので、
今日読んだブログを見ながら感じたことを書いておきたい。

まず前提として、「反原発」と「脱原発」と「原発維持」があるとしよう。

反原発というのは、原発反対で、原発が稼働すること自体がダメ。再稼働もダメ。

脱原発というのは、エネルギー政策の中心だった原発依存から脱して、原発を無くしていこう。

原発維持は、今ある原発は安全性を見なおして粛々と再稼動して、とにかく使っていこう。

というような感じなのかと思っていたのだけど、あってる?

ただ、色々な意見の中で、脱原発だったはずが反原発になっていたり、この辺が曖昧なカンジがするんですが。

脱原発宣言 看板だけ掲げるのは無責任だ(7月14日付・読売社説)@YOL
>深刻な電力不足が予想される中で、脱原子力発電の“看板”だけを掲げるのは無責任だ。

菅首相批判なんだか、エネルギー政策批判だか解らない社説だけど、
原発動かさないと電気が足らないのに、電気の確保ができないままだと無責任だというわけですね。

菅さんの「個人的な発言」(総理の記者会見が個人的な意見で良いわけがないのですが、こういう無茶を肯定するのが民主党なんですねえ)では、エネルギーの基本を原発依存から自然エネルギーへという「希望」を語っているだけですから、此処で言う脱原発は「方向性」であって、今ある原発をどうするかは別の話だと思います。
いまある原発は全部止めろというのは、「反原発」なんじゃないでしょうか?

私が事故後、脱原発派に転向した一番の理由@Life is Beautiful
>ここまでの情報を集め、私なりに論理的に考えた結果到達したのが、「日本はエネルギー政策を大幅に見直し、今まで原発にかけて来たさまざまな予算を、自然エネルギーに振り分けるべき」という結論である。

中島さんの意見も「方向性」の話で、そういう意味では「脱原発」なんだな。
エネルギー政策の転換というのが「脱原発」で、その点で中島さんは菅総理を応援している。

政治ドラマはどうでも良いから政策そのものに目を向けよう
>日本の首相が、ここまではっきりと国民の意思を代表して、国民の利益のために既得権者からの権利を奪おうと政策転換をはかることは日本の歴史上きわめてまれな行動である。今この段階で、われわれ国民が菅首相をサポートせずに「民意を反映した政策の大転換」はありえない。私自身、決して民主党支持者でも左翼でもないが、今回のエネルギー政策に限っては菅首相をサポートすべきと考えたのは、これが理由である。

この立場を表明して一貫しているのはさすがだと思う。
換算の発言をロジカルに読み解いているという点では、このブログの一連の記事は素晴らしい。
ただ、菅さんが中島さんが言うほどきちんと考えていないように見えるのは不安だが。

安心だが安全ではない社会@池田信夫ブログ
>脱原発で火力が増えると、短期的な安心は高まるが、長期的な安全性は下がる。つまり脱原発は、将来世代にコストを先送りしているのだ。

池田先生は一貫して「脱原発」に意味はないと言い続けている。
原発が抱えるリスクは、他のエネルギー源との比較で小さいという。
エネルギー源の採取から発電までのトータルで見れば、
原発の事故など炭鉱事故やタンカー事故、油田事故などと比べて微々たるものであり、
携帯電話の電磁波のほうが危険なのだとまで話が発展している。

携帯電磁波の人体影響@池田信夫ブログ
>私は、ソフトバンクが携帯電話をやめろといっているのではない。逆である。原発から出るガンマ線も携帯から出るのも電磁波であり、リスクはゼロではない。前者だけを誇大に騒いで「人命を守るためには何兆円コストをかけてもいい」などというのは、リスクを減らす社会的コストを考えない極論である。携帯電話も原発も、リスクを管理して使うしかないのだ。

池田先生は経済学者として論理的に話を進めた結果、
脱原発なんてばかじゃないの?という立場が徹底している。
これもまた素晴らしいし、読んでいて小気味いいが、
時々言わずもがなのことをわざと?言って不評を買うところまで
自分のポジションを確立しなくてもいいのにとも思う。

さて、こうした論理的な人たちの話を呼んでいると、
論理的な話ができない人だと以前ツイッター上でレッテルを貼られた経験のある私も
少々考えてみたくなる。

長くなったので、別のエントリで。

原子力発電は、核爆発力で発電しているわけではない

原子力発電所の事故が起きて、原子力発電の方法が世の中で流布されて
しかも、チェルノブイリとフクシマは炉の形が違うとか、
発電方式にもいくつかの種類があることは、世に知られたのだろうか。

未だに、原子力発電は、核分裂を使って発電すると思っている人がいて、
中性子がぶつかってタービンを回すんだとか
(どうやってぶつかるんだ!通り抜けちゃうだろ)
小さい核爆発で電気が生まれるんだとか思っている人がいるらしい。

サイエンスコミュニケーションというようなことではなく、
日本の原子力教育の衰退が、今回の事故を生んだような気さえする。
小学校の電気の時間とか、中学校の原子核の時間とか、高校の物理の時間に
原子力発電と原子爆弾の違いを教えていないのが、
文部科学省の「人災」なのではないだろうか。

核というメタファー@池田信夫ブログ
>JBpressの編集長が「テロ攻撃に遭えば、原子炉が巨大な原爆に早変わりする」と書いているのには驚いた。日本人の中には、いまだに「原発=原爆」という連想があり、それが問題を必要以上に複雑にしている。

池田先生が指摘するJBpressの記事はこちら
>テロ攻撃に遭えば、54基の原子炉そのものが広島や長崎に投下された原爆とは比較にならない巨大な原爆に早変わりする危険性がある。

これ無理ですから。
大量の放射線を出すことはあっても「爆発」は出来ません。
それだけの濃縮がされていないし、核分裂の仕方が異なります。

ただ、ずっと放射線を出し続ける存在であるのは、ある意味「核爆弾」よりもたちが悪い。
広島、長崎は人が住んで復興できましたが、
原発事故が起きた周辺で同様に人が立ち入ることができるかは、まだわかりません。

渋谷・電力館を始め、発電施設周辺の啓蒙施設に、
これまでどれだけ多くの人が来場し、
原子力発電所における発電の仕組みを学んだのでしょう。
そこで本当に原子力について学んでもらっていたのだろうかと考えてしまいます。

私は、原子力発電という「技術」はさらに洗練されて改善されて継続すべきだと思います。
発電技術の多様性を確保し、組み合わせていくことが将来必要になると思うからです。
脱原発しようとも、一度解き放った原子力は管理し続けていくしか有りません。
ほっておいて無くなるものでないならば、利用していくほうが得策だと思うからです。

ただ、その「技術」を運営する組織と仕組みは、大きな改善と洗練が必要でしょう。
今回の事故は、原子力発電技術に伴うリスク管理の不全という人災でした。
いえ、技術に伴う事故は、必ずそれを取り扱う人間が起こした事故であり、
すべて人災なのだと私は思います。
技術が暴走し、勝手に事故に至るのではなく、技術を扱う人間が暴走し事故に至るのです。

原子力発電も核分裂が暴走し爆発するのでなく、管理さえすれば事故には至らないわけです。
フェールセーフが出来ていなかったことは反省し、新たな発電所を作る機会が生まれればいいと思います。
それは多分日本ではないような気はしますけれども。

この円高を被災地支援に生かせないのか

円高が進んでますね。

ドルよりもユーロの問題だと思うのに、どうして報道では1ドルいくらの話ばかりなのでしょう。

9:50現在で
1ユーロ=112.010688
1ドル=78.72
ということです。

財務大臣が何を言おうと、この円高は、EUの自爆ですから変えられません。
こんな相場に介入しても仕方がない。

そんなことよりも外国製の援助物質をどんどん輸入したらどうでしょう。

輸出企業の困ったばかりを考えるよりも、この状況を日本のために活かせませんかね。

目の前の状況をどうすれば日本全体にとって良い結果に持っていけるか。
そういう視点での議論が少ない気がします。
固定した枠組みで、日本の柱は輸出機械だから円高は悪といいますが
今、日本は、食品の輸入が必要になりますし(東北でコメが取れなくなるわけですし)
外国で生産している衣料などが安く国内に提供できるわけです。

この円高は、被災地支援にとって神風になるかもしれない。
国内の物資不足で進まない仮設住宅に輸入資材を適用したり、輸入住宅を投入できるし、
食料や衣料品などの生活に不可欠な物資の値下げが期待できるわけでしょう?

これだけ日本国の競争力が落ちているのに円高になるのはありがたいことではないのでしょうか?

株価は下がってますから企業にとっては辛いことも多いかもしれませんが、
限られた税収で多くの支援をするには、円高を利用する気構えが必要ではないでしょうか。

寄付金も外貨のものは円に変えずに、そのまま外貨で輸入物資に変えられませんかね?
そういうところに柔軟な対応をしてもらいたいのですがいかがでしょう。
円高なのに、無理に円に替えるとせっかくの義捐金が目減りしちゃいますからね。

使い方次第で、為替は損にも得にもなると思いますが、どんなものでしょうか。

官僚が優秀だから政治家もマスコミも政局の話ばかりしていられる

政局報道ばかりで、いつ菅さんがやめるかの話にしか興味がないような大マスコミ。

そんな毎日の中でも、官僚の皆さんは粛々と仕事をしてくださっているわけです。
税金の徴収が行われるのも、厚生年金の運用がおこなされて損を出すのも、
様々な手当が毎月きちんと支払われるのも、すべて優秀な官僚さんのお仕事です。

国会が空転しようと、既に決まった法律さえあれば、その運用を考えて、
換骨奪胎に腐心しようとも、決局は実行されるのは官僚さんのおかげです。

そうとでも思わないと、毎日ニュース見るのが苦痛だわ。

任期がある大統領制では、やめる日が決まっているわけで、
そうした残り少ない任期の中でも、政治は動いていくわけでしょう?

いわゆるレームダックという状況で、たしかに決め事はしにくいかもしれないけど、
政治日程は進んでいくだろうし、政務は行われるわけですよね。

今の菅総理は、いわば任期のケツが決まっている(まあ、決まってないけど)
レームダックな総理だと考えて、粛々と政治日程を進めていただけませんでしょうかね。
そこでも決めないといけない案件は山積みなわけで、
「この総理の下では決められない」とか子どもじみた反発ばかりしてないで、
オトナの対応をしてもらえませんでしょうか、与野党の皆さん。

大人の集団である官僚は、誰が上にいようと同じだから、
粛々と実務を進めていく。そして日本はいつもと変わらないわけです。
なんてありがたい事なのでしょう。

そうでも思わないとやってられない感じが嫌だね。


新宿コマの再開発は歌舞伎町を救えるか

長いことほったらかしになっていた感のある新宿コマ劇場の跡地開発。

2008年末に閉館だから、3年がかりでようやく発表になりましたね。


「新宿コマ劇場」跡地、ホテルとシネコンを核とした複合ビルへ再開発@新宿経済新聞
> 「新宿コマ劇場」の跡地再開発について東宝(千代田区)は7月11日、ホテルとシネマコンプレックスを核とした複合ビルを新築する計画を発表した。

「新宿コマ劇場」跡地、ホテルとシネコンを核とした複合ビルへ再開発

新宿コマといえば、歌舞伎町の中心にある建物で、いわばシンボルです。
だいたい歌舞伎町というのは、歌舞伎施設誘致を焦って先に町名にしたという
おっちょこちょいな街なのですが、歌舞伎座誘致に失敗したあとに
東宝が立てた施設が新宿コマ劇場なわけです。

新宿コマ劇場の歴史@株式会社コマ・スタジアム
>新宿コマ劇場は、1956(昭和31)年12月に、阪急・東宝グループの創始者である小林一三翁の「新しい国民演劇の殿堂を作る」という理念に基づき、「新宿コマ・スタジアム」の名称で開場。コマのように回りながら迫りあがる3段の円形舞台が、「コマ」劇場の名前の由来になりました。ギリシャ時代の古代劇場をヒントに造られたスタジアム形式の館内は、2088席と首都圏では最大級の客席を誇りました。
大衆演劇の発展に努め、美空ひばりさん、北島三郎さんを始めとする数多くのスター歌手による座長公演で知られ、「演歌の殿堂」とも呼ばれ親しまれて参りました。


ところが、今回の再開発で劇場が無くなってしまいました。
>建築面積は1251坪、地下1階、地上31階、高さ130メートルの高層ビル。9階~31階は「新宿東宝ビル ワシントンホテル(仮称)」に、3階~6階のシネマコンプレックスは「TOHOシネマズ新宿」になり、低層階には飲食店が入る。

新宿コマ周辺に沢山あった映画館も老朽化が進んでいる上に
新宿コマ劇場の閉館で人通りが途絶えて、ますますエロ優先の街になってしまい、
映画を観るのに歌舞伎町の奥になんて行かなくなっています。

靖国通り沿いのピカデリーや、新宿通りのバルト9がありますからね。

その辺を東宝は読み違えているような気がします。

総座席数約2,500席の映画館!新宿コマ劇場跡地に都内最大級「TOHOシネマズ新宿(仮称)」が2015年春オープン予定!@シネマトゥデイ
>「TOHOシネマズ新宿(仮称)」の設立理由について中川氏は「新宿バルト9や新宿ピカデリーにより新宿に映画ファンが戻り始めている」と新宿での集客の見込みを予見。年間集客数は「最低でも100万人」を目指し、「マーケットとしては拡大すると思う。当ビルによって周囲も活性化していけば」と展望と期待込めた。

新宿の映画需要ではなく、ピカデリーやバルト9が見やすいから客が来ているわけで、
コマ周辺の昔ながらの映画館はダメでも、シネコンならば歌舞伎町にも集客できる。
その読みはどうなんでしょうか?
靖国通りからコマ劇場までの動線を何とかしないと、行きにくい事この上ないですよ。

新宿コマ劇場跡地:巨大シネコンに ホテルも 地上31階ビル建設へ /東京@毎日新聞
>同社によると、93年ごろには、年間約600万人が新宿区内の映画館を訪れ、約80億円を売り上げていた。うち6割は歌舞伎町での興行だった。しかし郊外に多くのシネコンができたことから、04年には、区内の映画館の興行収入は約40億円まで落ち込み歌舞伎町周辺にあった映画館のほとんどが撤退した。
その後、新宿3丁目に「新宿ピカデリー」(10スクリーン、約2200席)や「新宿バルト9」(9スクリーン、約1800座席)など巨大シネコンが参入、新宿の映画興行は活況を取り戻しつつあった。会見した同社の中川敬専務は「新宿での映画興行が回復している。売り上げ目標は100億円を目指したい」と語った。


歌舞伎町地区とその他の新宿地区を同列に捉えて分析して良いものでしょうか?
新宿駅から行きやすい場所と、行きにくい場所があると思いますけどね。
しかも、コマ前の諸施設や周辺との連動、街の活性化に
東宝が積極的に取り組む気が見えないんです。

周辺との建築バランスを考えていない高層ホテル計画。
ワシントンホテルとしても、どのクラスの客層狙いなのでしょうか?
ホテトル嬢がうろうろするホテルにはならないでいただきたいものです。


さらに言えば、新宿コマ劇場跡地に映画館だけでいいんでしょうか?
東宝は、今や劇場では採算性がないと判断したようです。
まあ、新宿コマ劇場も演歌の殿堂では集客不足だったわけですが、
シアターアプルという地下の劇場もあり、演劇ファンには馴染み深い場所でした。

この場所に演劇が戻ってくることはないというのは演劇ファンとしては寂しい限りです。

そして、東宝の姿勢に疑問を持たざるを得ません。
東京宝塚劇場や芸術座の改装でも決して演劇ファンから評判が良くない東宝ですが
コマの跡地に劇場を建てないというのは、決定的に東宝が演劇を見切った感じがしませんかね?

新宿では吉本のお笑いシアターばかりが席巻していくのでしょうか。

魅力の感じられない外観といい、集客力のある店舗構成にもならなそうですし
歌舞伎町を好転させるものとなるのかどうか大いに疑問な計画発表でした。

スマートフォンってちっともスマートじゃないのが嫌

昨日、@hitoshiに触発されて、infobarの可愛さを語ってしまったのだけど

関連エントリ:infobarはガジェットとしての可愛さがたまらない

その中でも、ちょっとスマホへの不満を書きました。
>そう、これまでスマホに買い換えなかった理由というのが、
この「電話を掛ける気がしない」ということと「持ちたくならない」ということだったんです


最初の電話を掛ける気にならない理由は、私が「おじさん」だから仕方がないとして
もうひとつの「持ちたくならない」理由は、
実はスマートフォンって、ちっとも「スマート」じゃないからなんです。

私なんかが「スマート」って言葉からイメージするのは

それ行けスマート!」だったりしますからね。

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この映画のスマートのように単に「賢い」だけじゃなく
「洒落ていて」「スタイリッシュで」「ユーモアがある」
感じが「スマート」には欲しいなと思ってしまいます。

今のスマートフォンには、この「ユーモア」がない。
それに、見た目もごつくて「スマート感」がないんですよね。
「スタイリッシュ」にしようというのはエクスペリアだとか、
外国産の機種には一部感じますが、日本製はなんだか無骨だったり、
ハードスペックばかりを強調したり、「洒落てない」なあと思います。

私は、若い時には「スマート」というのが自分の人生のキーワードだった位
「スマート」という言葉がもともと好きなんですが、
今のスマートフォンの「スマートじゃない感じ」がたまらなく嫌なんです。

だから、INFOBARA11の「可愛さ」というのが他のスマートフォンに無い
このジャンルの商品における独自性に感じたのかもしれません。

結局アンドロイドスマートフォンは、UIがiPhoneの亜流にとどまっていて
背景の上にアプリアイコンが浮かんでいるものばかり。
画面スライドも横にフリックするという点で共通で、
それでは、いつまでもiPhoneの優れたUIを追い越せるわけがないんです。

この時点で、やり方がちっとも「スマート」じゃないわけですよ。

そこがスマートフォンに乗り換えたい気分にならない最大の理由だったので、
二台目のガジェットとして必要な「可愛さ」をINFOBARに求めてしまったんだろうなあ。

ほんと、可愛いですからねえ。

早く「スマートだなあ」と思わせる「スマートフォン」を作っていただきたいものです。
その際には、二台目じゃなく、ケータイから切り替えますよ。

原子力安全・保安院の判断は本当に安全なのか?

問題点は、ここに尽きる気がしてきました。

第一、この組織の実態がよくわからない。

原子力安全・保安院

原子力安全・保安院とは?
>原子力安全・保安院は、右に掲げる各分野のエネルギー施設や
産業活動の安全確保を使命とする国の機関です。
たゆまず「安全」という永遠のテーマに
取り組んでいきます。


この「右に掲げる」というのが
・高圧ガス
・都市ガス
・液化石油ガス
・火薬類
・鉱山
・電力
・原子力

とあるわけです。
つまり「原子力と産業の安全院(Nuclear and Industrial Safety Agency)」
という英語名称が示すとおり、原子力専門部署ではありません。
でも組織的には、原子力関連が過半数を占めるわけですけどね。

内閣府の原子力安全委員会とのダブルチェックになっていて、
独立行政法人の原子力安全基盤機構とも連携してますよ。

となっているわけですが、この独法知ってますか?
平成15年に出来たので、まだ8年くらいですか。

目的:原子力施設及び原子炉施設に関する検査等を行うとともに、原子力施設及び原子炉施設の設計に関する安全性の解析及び評価等を行うことにより、エネルギーとしての利用に関する原子力の安全の確保のための基盤の整備を図る。

主な業務:
原子力施設及び原子炉施設に関する検査その他これに類する業務
原子力施設及び原子炉施設の設計に関する安全性の解析及び評価
原子力災害の予防、原子力災害(原子力災害が生ずる蓋然性を含む。)の拡大の防止及び原子力災害の復旧に関する業務
エネルギーとしての利用に関する原子力の安全の確保に関する調査、試験、研究及び研修
エネルギーとしての利用に関する原子力の安全の確保に関する情報の収集、整理及び提供


つまり、原子力安全・保安院の下請け作業をする独法です。
こういうのを天下り先として有していると言われてしまうわけですね。
役員は、3人が通産省出身、1人が人事院、1人が京大名誉教授(原子炉の専門家)、1人がジャルの整備出身。

こういう組織でいろいろ調べたり検査をしたりしているわけですね。

それにしても、原子力安全・保安院のいうことが信用できないというのが
今最大の問題だなと改めて思うわけです。

菅総理にしても細野大臣にしても、なんとなく彼らの「安全」が疑わしいと思っている。
海江田大臣は自分のところの組織ですから信じてあげないといけないと思っているでしょうが、
それにしても、彼らの出した安全宣言を受けて玄海町まで行ったのに
あっさり菅総理にひっくり返されて、いまさらの「ストレステスト」です。
腸が煮えくり返るところでしょうが、菅さんはああいう人なわけで、
その大元となるのは原子力安全・保安院の言う「安全」に信頼が置けないからではないでしょうか?

大体、なぜいまさらストレステストなのか。

EUはフランスとドイツの確執もありながらも、
とっくに実施に移す段取りを整えて議論してきたというのに、
当事国である日本で議論すらしていないのがおかしい。

【 2011年7月7日 全原子力発電所対象にストレステスト実施 】@サイエンスポータル編集ニュース
>ストレステストは、福島第一原子力発電所事故を受けて、欧州連合(EU)が6月から域内すべての原子力発電所を対象に始めた安全性試験。6日、枝野官房長官は記者会見で「原子力安全・保安院のチェックで原子力発電所の安全は確認されたと認識している。一方で、これで大丈夫かという疑問の声もあることからもっと分かりやすく理解してもらう努力も必要と考えている」とストレステスト実施の意味を語った。

「これで大丈夫か」というのは、原子力安全・保安院の言うことだけで信用できるのか?
という意味でしょう。
そりゃそうですよね。
客観的な試験、しかもIAEAとか国際機関のもとで行われるような試験無しで、
今まで通り「大丈夫です」と言われて、日本国民のうち誰が信じますかね?
納得出来る回答がないままに、押し切られそうになった玄海町長だって怒りますよね。

原子力を取り巻く「安全」について、抜本的に見直してから
出直すしかないというのは、もっと早い時期から分かっていそうなものですが
その辺を「曖昧」なままに進めようとする役人の手管に
海江田さんはまんまと乗ってしまったわけで、それを止めたという意味では
今回の菅さんの発言は「真っ当」だと言えるでしょう。
ただ、あまりにもその判断が遅すぎるという点は否めませんが。

こうした視点をくれたのは、このブログだった。

今の段階で、なぜストレステストが必要なのか@Life is Beautiful
>つまり、菅総理としては、福島第一のような事故を繰り返さないためには、今まで原子力安全保安院がやってきたようなものなんかよりもはるかに厳しいストレステストが必須だと言っているのである。とりあえず今の組織(経産省の下の保安院)のままで応急措置だけすれば十分というスタンスの経産省と、どちらが「国民の安全」を重視しているか明確だ。

これは過大評価な気もしないではないが、確かに菅さんにしては少なくても珍しく間違ってはいない。
ただ、震災4ヶ月目に入ってする議論なのかという気はする。

とにかく、原子力安全・保安院の「安全」を信じられないという世論を意識した分、
菅さんの決断は、海江田が涙しようが、ましだとは思う。

infobarはガジェットとしての可愛さがたまらない

実は、急遽思い立って7月7日にinfobarスマホを買ってしまいました。

もともとケータイがauなので、買い換えようかどうしようか悩んでいたのですが、
今のケータイがまだ13ヶ月目で誰でも割の2年縛り中だったこともあり、
新規契約して2台持ちにしてしまいました。

iPhoneでまったく電話をしなかったように、どうもスマホで電話を掛ける絵面が浮かばないんです。

そう、これまでスマホに買い換えなかった理由というのが、
この「電話を掛ける気がしない」ということと「持ちたくならない」ということだったんです。

ケータイはもともと電話ですから、特に二つ折りケータイにしてからは、
口のところに通話口がある感じが、黒電話世代のおじさんとしては落ち着くわけです。

でも、スマホは耳の横に四角いものを置いて、口のあたりは丸見えなので、
なんだか落ち着かないし、本当に話が聞こえているのか不安だったりします。
だから、スマホで電話している人を見ると、ケータイより声がでかい気がしませんか?
あれは、大きな声を出さないと通話マイクに入らないような気がして、
深層心理が電話での声を大きくさせているように思います。

デザイン的にもごつくてでかいスマホは持ち歩きたくならなかったんですね。
iPhone3GからiPhone4に買い換えなかった理由が、手に持ったときのフィット感の無さでした。
iPodや3Gにあった丸みが手にフィットして心地良かったのに、
iPhone4の手に持ちにくさ、しかも手に持つと電波の入りが悪くなるという
Appleには考えられないような設計が(今は解消したんでしょうが)
ソフトバンクの電波が入らないことと相まって、どうしてもiPhoneに戻りたくなくなってしまったのです。

一時はdocomoのタブレットの絶妙の大きさと@hitoshiのプレゼンにやられそうになりましたが、
ノウハウは晒すが価値&勝ち:@hitoshiの講演から
そこにアンドロイドauの怒涛の攻撃が始まり、スマホへの買い替えを検討していたところに
INFOBARスマホ(A11)が発売になりました。

最初は、UIに興味がわき、デザイン的には色の組み合わせがボタンに残っているだけで
INFOBARと言っていいの?とすら思っていました。
しかし、店頭で手に持った瞬間にグラっと来たわけです。

その手に収まった感じの心地良さは、最初にiPhone3Gを持ったときのそれと似ていました。
そしてHACCAの場合、白の色合いとカバーの材質感がさらにグッと来るわけです。
NISHIKIGOIとHACCAではカバーの材質感が異なっていて、コートとマットの違いがあります。

このマット感の手触りが、何時間でも持っていたいと思わせる上に、
これは電話でもPCでもない事を触感で解らせてくれる、
いい意味でのガジェットとしての「おもちゃ感」があるのです。

上質のおもちゃが持っている「質感」がハードにもUIにもある。
それがINFOBARスマホの楽しさなのです。

UIについては、やはりガジェット名人の@hitoshiがブログを書いていました。

INFOBARにAndroidの未来を見た@hitoshi annex
>今や、僕の中ではiPhoneよりもINFOBARの方が可愛いくらいですからね。少し前までは想像すらできなかったことが起きています。

この「可愛い」という言葉が、まさに的を射ていると思います。

そして指摘がまた、いちいち正しい訳ですが、
結局、INFOBARの何がiPhoneより優れているかというと
たぶん優れていないだろうと思います。
他のアンドロイドスマホは、iPhoneを凌駕しようとしてiPhoneに何かをくっつけてしまった。

@hitoshiは見事に言い表しています。
>僕にとって、iPhoneの最大の強みとは、そのUIの美しさや洗練さ、そして作り込みにあると思っています。徹底して気持ちよく使えるようにデザインされた凄みこそが、iPhoneの最大の武器です。それは技術力というより、センスや経験、そして妥協しない作り込みが大事であって、それをAndroidがキャッチアップするのは相当に大変だろうなと考えていたわけですが、実は、徹底してこだわる環境と能力のあるデザイナーさえ揃えば、かなりのところまでiPhoneに対抗できてしまうことが証明されたのではないかと思うのです。

iPhoneと勝負するにはスペックで上回ったり、
iPhoneに付いてないものをつけてガラケー並に使えたりすることが必要なのではなく、
「センス」と「デザイン」だったわけです。
そして、これが今の日本のメーカーの商品開発力での最大の欠点だったりします。
それは、商品開発を多数決でやるからでしょう。会議で通すときに誰が決めているのか。
何を基準に決めているのか、その資料はどのようなデータで出来ているのか。
そこでもう負けているわけです。というか土俵が違うわけです。

INFOBARは真っ向から「センス」と「デザイン」で勝負に来た。
そして、画面デザインやページ構成を別のものにした。
(ページにアプリを「置く」のではなくアプリアイコンでページ構成した)

さらに、年々大きくなるスマホの世界で、あえて画面も含めて適正サイズを探した。
>最近のスマートフォンは基本的に巨大化する傾向があって、もちろんそれには画面が広くなるメリットもあるのですが、それと引き替えに不便なことも増えていたのですね。例えば端末が重くなること。あるいは、片手で操作しづらくなること。こういうデメリットについては僕自身もあまり意識的でなくて、むしろ「画面が大きい方が表示される情報の一覧性が上がって便利になる」と歓迎していました。

でも画面を大きくするならば、iPadやGaraxyTabのようなタブロイド端末にはかなわないわけで、
どうしても携帯電話としての「適正」を探す必要があったはずなのです。
でも、各社どこもそれをやらなかった。
初期のカローラとサニーの100cc競争のようなものです。(例えが古いなあ)
大衆車なのにどんどん大きく重くなり、5ナンバーサイズ一杯になってしまった。
そこに、初代シビックが登場したときのような潔さとガジェットとしての楽しさを
スマホ乱立の中でINFOBARに感じたといったら言いすぎでしょうか。
(もしくは例えが古すぎて解らないでしょうか。でもスマホはPC初期よりもコンパクトカー初期に似ているかもしれません)

必要にして十分な大きさとコンパクトな中に技術はぎっちり詰まっている充実感、
そしてクールなデザイン。

docomoのスマホやauのアンドロイドauがカローラやサニー、そしてその派生車種だとすると
INFOBARはホンダシビックのようだなと思うのです。
(まあ、auはauなので別会社というわけではないのですが)
iPhoneはミニクーパーみたいなものかもしれません。

かえって分かりにくいですね。

でも、オモチャとしての満足度の高さというのはケータイに必要な要素だと思います。
そして、INFOBARはそこが良く分かっている人が作っているのだなと思ったわけです。


新宿に不安をかきたてる建築物が現れた

新宿6丁目の日本テレビゴルフガーデン跡地に建築中の新宿イーストサイドスクエア。

震災後一時ストップしていた工事もすっかりもとに戻り、
壁やら窓やらが取り付けられてきたのですが、これが何やら不安な感じ。

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窓は凸凹しているし、壁が穴だらけだし。
設計は2年くらい前でしょうから、その時は「斬新」で済まされていたでしょうが、
3.11以降の目で見ると、なんだか「不安」です。

地震で壊れて窓が外れたり、壁が抜け落ちたビルみたい。

これが家の間近に立つかと思うとちょっと憂鬱です。
だからといって垂直の窓が良いかというものではないのですが、
こういうガラス張り建築も暑苦しいなとか、
地域冷暖房にはどのような工夫がしてあるのだろうとか、
省エネ対策はどうなっているのだろうとか、
余計なことが気になるようになってしまいましたね。

近所住民としては避難したときに助けてくれる場所であってくれるといいんですが。
三菱地所とか日土地とか、ちゃんと考えてくれてるんでしょうね?


ライブに必要なのは「いき」なんだ

このところ、色々なライブで歌を聞く機会が多くて、いろいろ考えた。

4月に宮崎応援チャリティコンサートに行ってきた
5月にSala's Companyのライブに行ってきました

とブログでも書いたりしていたけど、
歌手と言っても、大箱を一杯にするポップスの大御所とかじゃなく
夜の静寂に揺蕩うライブハウスの渋いのでもなく、
友人知人の営業的なライブや、シャンソニエのノンジャンルライブだったりしたのだけど。

6月27日に水道橋・東京倶楽部でボーカルナイト。
7月3日に新宿・シャンパーニュで、ノンジャンルライブ。

歌手と言ってもいろんな人がいるし、いろんなジャンルがあるし、
まあ、聞く方の好みもあるし、ライブの良し悪しを問うのは野暮なのでやめておきます。

でも、考えたのは、ライブは「いき」が大切だねってこと。

歌手は「粋」じゃなきゃ、見に来た人は楽しめないし
息遣いが聞こえるほど近い場所では、
「声」というか「息」まで気を使わないといけないってこと。

じゃ「粋」ってどういう事かというと「聞き手に気づかれない工夫をしている」こと。
無理して高い音出してますとか、うまく歌ってますというのは「粋じゃない」

第一声から聞き手に「歌を聞いている」という気分を超えて「楽しさ」を与えてくれる「声」。
それには、マイクに「息」を入れないようにしないといけない。
「声」だけがマイクを通してスピーカーから聞こえてくるようなマイク使い。
声以外の迫力とか情感とかはライブハウスでは近くにいるから伝わりやすい。
でも、マイク以外から「生声」とともに息遣いが聞こえてくるのではダメだと思うんだなあ。

出した息が全て声にならないといけないんじゃないだろうか。

息継ぎがセクシーな場合もあるけど、それはまた別の角度からの個性で。
役者のセリフでも息が漏れていると、聞きづらいですよね。
歌はそれが更にハッキリしているなと思った。

あと会場の空気を一瞬にして自分の色に変える「声音」そして「存在感」。
これは、場慣れも必要だし、ベテランになれば備わっていくように思うけど、
それ以上に「お客さんに何を伝えたいか」がはっきりしているかどうか、
つまり自分のマーケティングが出来ているかどうかも大きいような気がした。

自分自身がどう見えるか、どう聞こえるかをよく知って選曲しないと、
なかなか場を自分色に染められないものだなあと感じた。
それは、この二つのライブが、一人でやるソロライブではなく、
ボーカルナイトは3人が2曲づつという構成、
ノンジャンルライブは4人が2~3曲という構成で、
中堅、若手(まだ修行中の人もいた)の出演だったので、
余計に、そういう事を考える機会になったのだった。

ライブって言うのは、「ナマ」ってことなんで、
「生き=息=粋」というような連想が湧いたのでした。

そうそう上手くはいかない:セゴビアゴルフクラブ・イン・チヨダ

4日月曜日、代休を適用して平日ゴルフに行ってきました。
平日なので、1万円ほどで回れるのは嬉しいですね。

今回行ったセゴビアゴルフクラブ・イン・チヨダは、1月に99で回ってます。
(この時のことはブログでアップしてませんね)

まあ、そんなこともあって今回も100切っちゃうぞ、と勇んでラウンドしたのですが、
結果は、スコア以上に心理的には撃沈でした。

OUTは、3112ヤード。やや長く池が効いているホールが多い前半です。

1番443ヤードのパー5。
ドライバーはやや左も、まあまあの220ヤード。
まだ220くらいあるので8Iで残り100ヤード残して、50度のウエッジで3オン。2パットのパー発進。

2番346ヤード パー4。
ドライバーは今度はやや右に出てラフ。7Iで残り140ヤードをオン。2パットのパー。

3番120ヤード パー3。
8Iで打つも右に出てグリーンを外し、54度のウエッジで寄せきれず、2パットのボギー。

と、ここまでは出来すぎで、今日もやれるぜと思ったのがいけなかった。

4番376ヤード パー4は右に大きく池が広がる名物ホールの一つ。
コースマネジメントと思っててUTで打ったらば、
シャンク気味に右へ出て右対岸に届いてから池に転がり落ちる。
ワンペナで対岸に遠回りして移動し、UTで打つもフェアウェイに届いたのに、
斜面を登り切れず、池に転がり落ちて、さらにワンペナ。
結局5オン2パットでトリプルボギー。

5番385ヤード パー4。
ここも池を避けて4Wで打つも、右へ出て樹の根元。
フェアウェイへ出して、次に打った7Iでのショットが左ラフにあるはずが行方不明でワンペナ。
5オン3パットでダブルパーの8。

6番390ヤード パー4。
ドライバーで打ったらば、今日一番のショット。
ここは右ドッグレッグしているので、正面突き抜けて、林の裏へ。
木の隙間を狙って打ったらば、うまく抜けたけどグリーン奥の池へ転がり落ちる。
54度で打ったつもりが50度で打っていて、跳び過ぎちゃったのが原因だった。
もう、暑さで朦朧としていたのかもしれない。
4オン4パットでダブルパーの8。

これで前半は終わった感がでて、あと3ホールはボギー、トリ、パー。
パー3でバンカーが目玉になって一度で出なくて6とか。
最後何とか寄せワンのパーフィニッシュ。

パー3,ボギー2,ダボ0,トリ2,+4が2で、52(21パット)

大きいワングリーンなので、アイアンが乗ってしまうと、かえってパターが大変なことになる。
前回は、乗らずに寄せワンが3回あったのが功を奏したのか。
今回は、アイアンがだ振らずに打てていたので、距離は考えたとおり打てても、
やはり横にブレるので、難しいラインが残ってしまうことが多かった。
寄せワンは1回だけでも、パーオンが3回特にパー5は2ホールともパーオンは嬉しかった。

この辺りから予報では曇だったのに思った以上に晴れて太陽が出てきて、暑くなってきた。
でも風があるので気持ちはいいが、その風はスコア的にはやばい感じ。

後半はINを回ります。2916ヤードなのでOUTよりは短く、ドッグレッグが多いかな。

10番292ヤード ドライバーが右に出てOB。
打ち直しはナイスショットで残り50ヤードほどを54度ウエッジで乗せて3パット。トリプルボギー発進。

11番479ヤードロングは3オンするも3パットでボギー。

12番371ヤードミドル。ドライバーが右に真っ直ぐ出るOBで、
前進4打から7Iで乗せて、3パットのトリプルボギー。

3ホールで早くも7オーバー。午後も終わった感じですね。

でもここから2ホール連続パーで希望をつなぎます。
特に14番パー3は名物アイランドグリーン。
前回来たときは池に入れましたが、今回は向かい風の強い中でしたが
129ヤードを6番アイアンで奥いっぱいカラー部分にオン。何とかパーを取りました。

ここからショットは復調するもパットがどうしようもなくなります。
何とか10切りするためにはボギーで行きたいところを
ダボ、ダボ(しかも3パット)という状況で、残り2ホールパーならば100切り。

17番160ヤードパー3は、ここも向かい風ながらUTでナイスショット。
ピン右5メートルに付けましたが、そこから3パット。

今日は、カップを舐めまくりで、50センチが入りません。

18番も2オンしてバーディパットが入れば99というところまで持ち込みましたが
結局3パットで101という無様な結果に終わりました。

パー2,ボギー3,ダボ2,トリ2の 49(23パット)

合計 52-49の101(44パット)

44パットというのは昨年12月の東庄ゴルフクラブで120叩いたときの45パット以来の悪さ。

前回1月にセゴビア回ったときは37パットで99でしたから、
パットが7多いのにスコアは2しか違わないのをよしとすべきでしょうか?

OBが2,ペナルティが4と、これだけで8打罰。
ショットは良くなってきているとは思うんですが、マネジメントが悪いですね。

アライメントというかアドレスがちゃんとできてない気がします。
パターも打ちたい方向に真っ直ぐ出ていかないし。
そういう基本からやり直さないとね。

今回はパーオン率が良かったんですがボギーオン率が悪かった。
フェアウェイキープ率: 28%
パーオン率: 38%
ボギーオン率: 22%

2011年に入ってからの平均は以下のとおり。()内は前回からの上下。

平均ストローク:98 (↓)
平均パット数:36 (↓)
フェアウェイキープ率:31% (-)
パーオン率:20% (↑)
ボギーオン率:38% (↓)



役不足なの?力不足なの?:【観劇】似非紳士

金曜日の夜に赤坂に行くのは久しぶり。
Unit Blueju第三回公演「似非紳士」を見てきました。
$Unit  Blueju(ユニット ブルージュ)

場所は赤坂レッドシアター
私は初めてですが、新しい劇場でした。
ホテルの地下にあるので、ややわかりにくいですが、入ってみると十分な広さです。

公演は、7月4日(月)の昼夜まであるので、ぜひ行ってあげて欲しいです。
金曜日の夜だというのに、150席強の客席が埋まりきっていません。
主演の力でチケット完売かと思いきや、どうも客席に呼び込む力が弱いようです。

夕刊フジでも取り上げられたと聞いていたので、
こりゃメジャー路線に乗ったのねと思っていたんですがねえ。
かえって、大変な状況にあるようです。

なので、お時間ある方はぜひ足を運んであげてください。
と言いながら、観劇の感想はマジで書きます。
これから見る人は、後で読んでね。

続きを読む

赤ちゃんは仰向けに寝かせよう

昔は、頭の形が悪くなるから、仰向けではなくうつ伏せにとか言っていたような。

私は、日本人らしいフラットな後頭部をしていますが、
これは仰向けに寝ていたからだと言われたものです。

でも、うつ伏せよりも仰向けのほうがいいらしい。


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この本の中で、喉頭の後退と乳幼児突然死症候群の関係について述べた章があります。

それによれば、人間の喉頭の後退(舌の根元より下に収まる)は
生後1年半を過ぎないと完全には起こらず、一方で生後4ヶ月くらいから口呼吸が始まるので
この間の時期には、のどちんこが気管の開口部(喉頭)にはまり込んで空気の通り道をふさいでしまうことがあり、そのための窒息死が、乳幼児突然死症候群なのではないかということらしい。

実際に、オランダでは「赤ちゃんを仰向けに寝かせよう」キャンペーンをしたら
一年以内に乳幼児突然死症候群の症例が40%も減少したそうだ(1991年)。

乳幼児突然死症候群@wikipedia
>アメリカ小児科学会は1992年に、SIDSの発生率は、乳児を仰向けに寝かせることで有意に減少させられるという声明を発表した。日本小児科学会でも、健康な乳児は仰向けに寝かせることを推奨している。

乳幼児突然死症候群(SIDS)をなくすために@厚生労働省
>乳幼児突然死症候群(SIDS:Sudden Infant Death Syndrome)は、それまで元気だった赤ちゃんが、事故や窒息ではなく眠っている間に突然死亡してしまう病気です。
日本での発症頻度はおよそ出生4,000人に1人と推定され、生後2ヵ月から6ヵ月に多いとされています。発症は年々減少傾向にありますが、平成19年においては全国で158人の赤ちゃんがこの病気で亡くなっています。
SIDSの原因はまだわかっていませんが、育児環境のなかにSIDSの発生率を高める3つの因子があることが、これまでの研究で明らかになってきています。


日本でも「あおむけ寝」を推奨してますね。
母子手帳にも書いてあるらしい。

でも、子育てって、本当に時代によって言うことが変わりますね。
お母さんたちは大変だなあ。

人間は水辺の猿だったのか:【読んだ本】人類の起源論争

もともと、アクア説=水生類人猿説には興味があった。

人間の特徴である、二足歩行も、体毛の薄いのも、呼吸がコントロールできることも、
全て、水の中で進化したと考えるとつじつまが合うと思っていたからだ。

しかし、その程度の【辻褄】の相方ではなく、もはや人類が猿から別れたあとに起きたことは、
これしかないと思わせてくれた本だった。


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著者のエレイン・モーガンは25年にわたって、このアクア説を主張し続け
これまでに4冊の本を表している生粋のアクア説学者である。
そして、この本は、その彼女がこの25年でライバルである「サバンナ説」が衰亡していくのを眺め、
自説の中で過去の主張に間違っていたこともあったことを認め、
実に広い範囲の文献から事実を拾い集めて、表したアクア説の集大成とも言える本である。

この本が優れているのは、アクア説にとって有力となる話を並べ立てたのではなく、
ライバルである「サバンナ説」が「モザイク説」へと交代していく流れを記し、
人類の起源についての諸説を網羅し、それへの反論を丁寧に加えている点にある。

しかも、ある専門分野の視点だけではなく、化石を始めとする事実をならべ、
それに別の分野からの視点を絡ませ、体毛の向き、体脂肪率、涙や汗の意味、
喉頭の位置、ウイルス抗体の有無、などなど解剖学的、進化学的な点からも
人類が今ある形をしている意図と意味を読み解いていこうとしている。

実に知的にフェアでわくわくとする、一流の謎解きを追っかける推理小説のような面白さがあるのだ。

諸事実は本書を読んでいただきたいが、最後にラミダス猿人の発見が
「サバンナ説にとって、とどめの一撃になるのではないか」(215p)
と締めくくっていることを示しておきたい。

人類の祖先は、「木々の多い氾濫原」付近で二足歩行になり、
しかもその場所は、アファール低地という紅海の近くであったというのである。

これが、これまでの南アフリカのサバンナに降り立ったときに始まったというような
人類の起源の神話と大きく異なっている。
それを知るだけでも十分に知的な興奮を味わえると思う。

一つ不満は、この本のタイトルと値段だ。
原書はThe Aquatic Ape Hypothesis (水生類人猿仮説)というものなのに
「人類の起源論争 アクア説はなぜ異端なのか?」では、
著者の意図にそぐうものとは言えないのではないか?

しかも、どういう主張なのかわかりにくい。
それを補うかのように表紙に、「思想と論争の25年 アクア説の集大成」とか、
なんか文字がこちょこちょ入っている。
だったら、タイトルを変えたほうが良いのではないだろうか?
しかも、2200円だし。

翻訳本出し、それほど売れるとも思えないから、この値段なのだろうけど、
もう少し安くならないのかなあ、と思ってしまう。

この分野を概括する知識は得られるのでお得といえばお得な本なのだけど。

水の中を歩くには、他の猿も二足歩行になるとか、
関連豆知識もたくさん得られます。
実にすばらしい本でした。


女の由来―もう1つの人類進化論女の由来―もう1つの人類進化論
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何も変わっていない被災地、何もしていない政府

昨日、ご実家が宮城県の方と話す機会があった。

3月末に親戚の葬儀で現地に行ったり、ゴールデンウィークに実家に帰ったり
この3ヶ月で数土、被災地に足を運んでいるそうだ。

「子供の頃海水浴をしによく行った叔母さんの家は津波で流されたけど、
おばさんたちはすぐに逃げたので助かった。海沿いの人は津波への備えがあったので良かった。
でも、2キロほど内陸のおじさんの家まで津波が来るとは誰も思わなったので、
そこでは亡くなった親戚があった。わからないものです」

叔母さんの家には車で向かったのだが、カーナビが示す目印になるべき施設が
ひとつもないことが驚きだったそうだ。

「とにかく、色がないんですよ。自衛隊が動線を確保するために道路の瓦礫を取り除いたから
車で走る分には問題ないんですが、道路の横は瓦礫が積まれている同じ景色が続くばかりで
街を彩るものが何も無いんです」

その状況は、3ヶ月の現在、少しは変わったのだろうか。

「何も変わっていません。政府は何もしていないとしか思えません。
自治体に任せたって、役場が流されたり、首長が死んだりしているところは、
自治体としての機能が失われている。そういう小さい市町村は、打つ手が無い」

復興担当大臣が3ヶ月立って、ようやく決まった。
原発の問題ばかりが喧伝され、津波被害が残る地域についての報道が少なくなる。
でも、そちらが広範囲で、被害の大きな被災地だということを忘れてはいけない。
まだまだやるべきことはたくさんあるし、復興に手が付いてないのが実情なのだ。

現地の声を聞かないと分からないものだなと改めて思った。

2011年6月の人気記事

今年も半分終わりましたね。

2011年6月の人気記事です。

記事数:22エントリ(前年同月は64エントリ、前月は29エントリ)

5月に比べるとまた記事数が減ってしまいましたが
連泊で出かけたりすると減っちゃうんですよね。
今月は仕事で出張も多くて、書けるような話も少なかったというのもあります。

アクセス数ベスト10は第1位から以下のとおり

豚のいた教室に感じていたことが見えた件

LED電球とか電球型蛍光灯とかに変えてみた

アカデミーがない国に首席科学官がおけるか?

Wii Fit Plusのゴルフレッスンはマジで疲れます

新宿はビアガーデンも省エネで:京王アサヒスカイビアガーデン

スパ・リゾート・ハワイアンズに行きたい

レトルトとは思えない本格派:陳麻婆豆腐を作ってみた

世界初演だそうで:アンドロイド演劇「さようなら」

ホールAはでかすぎる:シモン・ボリバルユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ

菅さんのやる気はますます上がっているなあ:沖縄全戦没者慰霊祭

今月も、6月に書いたものと過去記事が3対7という感じ。

しかも、過去記事はテレビで放映された映画の検索結果とか、
キーワードがわかりやすいものが多かったですね。

陳麻婆豆腐は、ほんとうに旨いです。
先週も作りました。
amazon
楽天市場
Yahoo!
楽天
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プロフィール

fujita244

Author:fujita244
2000年から新宿在住。
21世紀とともに新宿を闊歩。
高度成長期の一億総中流育ち
頭も身体もサイズM。
フツーのオッサンから見て
フツーじゃなさそうな話を
書いています。

2011年12月に
「若だんなの新宿通信」から
「フジタツヨシの新宿通信」
に変更しました。

2012年12月20日にはてなブログも始めました。
「fujita244's field」です。
2013年2月1日からゴルフ専用のブログもはじめてます。
「fujita244のゴルフBK」です。
2つのサブブログもよろしくお願いします。

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