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右向け左の経営術:中村さんの志がわかる

豚組各店など、西麻布・六本木で画期的な飲食店を出し続けるグレースの社長・中村さんの本。

OnedariBoys3周年でいった、豚組やきやで、そのうまさに驚愕したわけですが、
Twitterを利用した店の案内や、サイトで今日の豚をお知らせするなど、
特異なマーケティング展開、飲食店経営者にしては広く知的な視点など、
不思議な魅力を持つ中村社長のことが知りたくて、本を買ってみました。

グレースのサイトから

私たちは、「外食企業」ではありません。

この考え方にある、中村さんの経歴、偶然飛び込む羽目になった飲食業界について
書き連ねてありますが、私がなんと言っても気になったのは

「百年後「老舗」と呼ばれる店を作ろう」という信念。

今良ければ、5年で儲かれば、といったバブル後の刹那的な儲け主義に一線を画した「志」。

そう言うものだけが人を動かし、人を呼ぶんだろうなと。
とくに、日本人も経済的なバブルでものを見る目を持ち、海外を知る人が増えたので、
「本物」志向は変わらずに残っていくと思う。

その市場の変化に、どうもメーカーやコンサルタントがついていっていない感じがする。
市場の0.1%を取る努力。それは「志」のもとに統一された「人」の力しかない。

その点で、一つ心配なのは、
2011年に株式公開を目指すと書いてあること。
そのときにも「志」はつながっているのだろうか。
企業理念はつながっていくのだろうか。

私たちは、約束します。

4766211669右向け左の経営術―常識と戦え!
中村 仁

グラフ社 2008-07
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一つだけ難を言うと、このブックデザインはどうなのかな?
内容に比して、チープに見えるのだけど。

ナショナリストに義務はない

目から鱗の指摘が多い、このブログだけど、今日もまたハタと膝を打った。

ナショナリストとパトリオット@内田樹の研究室
>若者がナショナリズムに惹きつけられる理由はわかりやすい。
それは帰属する集団がないからである。


この言葉から始まり、ナショナリストがいかに「楽なものか」が語られる。

>誰でも自己申告すれば、ナショナリストになれる。
そして、国民国家という巨大な集団に帰属する代償として、ナショナリストに求められるものは何もないのである。
ゼロ。
ナショナリストにはどのような義務もない。
好きなときに、好きな場所で、好きな人間を相手に、気が向いたら、ナショナリストになることができる。


しかし、ナショナリストというのは、選ばれた立場と言うよりは、他になるべきものがないものだったのだな。

>彼は自分がさしあたり所属している集団について(それが家族であっても学校であっても、会社であっても)「ここは私がいるべき場所ではない」というひそかな不安と不満を感じている。

そうした揺らいだ存在の人間が
>本人も他の成員たちからの敬意や愛情を感じることができず、「私たちの集団が存立してゆくためには、どうしてもあなたがいることが必要だ」と懇請されることもなく、自分の能力がこの場でゆたかに開花していると実感することもない。

そして、ナショナリストであることを選ぶ。
だとすれば、これはかなり悲しい存在である。
しかし、往々にして、そうした同情を寄せるべき存在でなくなってしまう。
なぜならば、ナショナリストは、自分以外のものに対して、興味を持たず横暴だから。

>ナショナリストは国際関係について熟知している必要がない(アメリカ大統領の名前を知らなくてもノープロブレムである)、もちろん外交内政についても、歴史についても(政治思想史についてさえ)、無知であることはナショナリストの名乗りにいささかも抵触しない。
むしろ、そのような外形的知識の裏づけなしに「いきなりナショナリスト」でありうることの動機の純正さが尊ばれる。


しかも、口で言う割には何もしない。
>もう一つ大きな特徴は、ナショナリストにはその立場を証明するための直接行動が要求されないということである。

だから、効率的な立場を求める若者がナショナリストを選ぶのだという。
>商品交換のスキームで社会的行動の特質を考量する人たちが「権利が多く、義務が少ない」ナショナリスト・オプションを選好するのは怪しむに足りないのである。


ナショナリストに対して、反論するのは難しい。彼らがシンプルにして誰も持たない土俵でしか戦わないからだ。
でも、だからといってナショナリストになるのは、あまりにも悲しい。

>パトリオットは自分が今いる場所を愛し、自分が現に帰属している集団のパフォーマンスを高めることを配慮し、隣人たちに敬意をもって接し、今自分に与えられている職務を粛々と果たすことをおのれに課す。
そのような「場所」や「集団」や「隣人」たちの数を算術的に加算してゆくことを通じて、やがて「国民国家」にまで(理論的にはそのあとは「国際社会」まで、最後には「万有」に至るまで)「私の帰属する集団」を拡大してゆくことをめざすのがパトリオットである。
若い人たちにはできることならパトリオットをめざしていただきたいものだと思う。


パトリオティズムとナショナリズムの違いを指摘して、
その本質に迫る言説だと思うが、どうだろうか。

Wikipediaによれば、
パトリオティズム(英:Patriotism)とは愛国主義・愛郷主義・祖国愛・郷土愛のこと。
ナショナリズム(英: Nationalism、民族主義、国家主義、国民主義)は、思想や運動の一種。

人間からの距離という意味では、郷土の方が国家よりも近いのは
物理的にも心理的にも当然だけど、どうもそれだけではないように思う。

もう一度戻れるなら何歳に戻りたいですか

などという話は、夜分遅くなったバーのカウンターでありがちな話題である。

夕べもそんな話になった。
新宿某店のカウンターで、私は「戻りたい年齢など無い」と
身も蓋もない返事をしたのだった。

でも事実だから仕方がない。

いつでも今の自分が大好きでいたいのだ。
「いたい」というくらいだから、「いつも好きでいる」ことができてきたわけではない。

それは、今の自分が大嫌いで、死んでしまえばいいのにと思ったこともある。
というか、ずっとそう思っていた節がある。

それが、ここ数年、あのときに戻りたいと思わない自分に気がついた。
小学校の記憶も、中学校の記憶もどんどん薄れていくというよりも、ほとんど覚えていない。
過去のことはどんどん忘れる。
高校生の時のことも、この間30年ぶりに会った友人に指摘されてだいぶ思い出したけど、
彼と話すまでは本当にほとんど忘れていた。

身を削るように働いていた時代もあったし、
奥歯が折れるほどかみしめなければいけないような思いもした。

それはそれで、どれも良い思い出で、その頃のことを否定するつもりはみじんもない。
そのときがあって、今があるという肯定的な気持ちすらある。

バブルの頃は楽しかったし、案外もてていた頃もある。
大学時代はサークル一色で勉強は次週ばかりで授業には本当に出なかった。
楽しかったと思うし、いい思い出ばかりだけど、
そのことに戻りたいと思ったことはない。

いつも明日はどうしよう、来週はどうしようと、先の予定から今を逆算して、行動を決める癖がある。
納品日が決まっている仕事を長年してきた成果、元々そう言う性格なのか。
その成果、昨日のことは忘れがちで、明日以降のことばかり考えている。

だから過去に拘泥しないのかもしれない。
常に今があって、未来を選択している。
どういう未来が待っているかは、現在の選択にかかっている。
現在の自分は、過去においてなされた選択の結果だ。

だから、現在の自分があるのは過去の自分のお陰であり、所為でもある。
どこかに戻ってやり直したいとか、あの頃に戻って選択しなおしたいとか、
そう言うことを思ったことがないのは、結局、今の自分が一番好きだと思っているからだろう。

では、もう一度生まれ変わったらば、今の自分になるかと言ったらば、ならない気もする。
同じような選択は二度とできないのが、人生なのではないか。

それを噛みしめて、抱きしめて、受け入れて、明日を選択し続ける。
それが、私の決断なのかもしれない。

決断ポトフに取材されないから、自分で書いてみた。

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プロフィール

fujita244

Author:fujita244
2000年から新宿在住。
21世紀とともに新宿を闊歩。
高度成長期の一億総中流育ち
頭も身体もサイズM。
フツーのオッサンから見て
フツーじゃなさそうな話を
書いています。

2011年12月に
「若だんなの新宿通信」から
「フジタツヨシの新宿通信」
に変更しました。

2012年12月20日にはてなブログも始めました。
「fujita244's field」です。
2013年2月1日からゴルフ専用のブログもはじめてます。
「fujita244のゴルフBK」です。
2つのサブブログもよろしくお願いします。

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