なぜ我が国は世界の高等教育の変革を傍観しているのか?(4)
第3に、そもそも高等教育に関して戦略らしい戦略がも部科学省にないことが明らかになってしまう不安である。未来の高等教育はどうあるべきなのか、主張できるものがあるのだろうか?自信があれば、人文社会科学を、国立大学から消滅させる政策の意義を国際会議で堂々と主張してはどうか?国費を削減しておいて、大学を機能強化する「秘策」も披露したらよい。世界の動向に関心を持てば、どうしても自らの施策が成り立たないことを自覚することになる。それを避けるには、関心を持たなければよいのである。我が国は海外から何も学ぶことはないと、心理的な鎖国を正当化していれば済むのである。我が国の大学が自力で海外に進出して成功する条件はまったく整っていないので、グローバル化に関する施策は常にやっているふりになる。世界のトップレベル大学は、外国人留学生について、高額な授業料を負担してくれる客、収入を稼ぐ道具と位置付けている。我が国の国立大学にが、英国や豪州のように3倍の授業料を取ったら、私費留学生は来てくれるだろうか?円安の力も借りて、コストパフォーマンスで選んでも貰っているうちは、本当の実力だと思わない方が良い。確か、文部科学省は、10年以内に、世界のトップ100大学に10校をランクインさせる政策目標を掲げていたはずである。どのランキングで測定するつもりか明らかではないが、予算削減の中で、どのように成績アップを図るのか、そろそろ具体的な作戦を明らかにしてみたらどうなのか?あるいは、U-Multirankの登場によって、そのような目標自体が時代遅れに見え始めているのではないか?確たる戦略がないために、その時々の流行の言説に右往左往する姿は、実に頼りない。目を閉じていれば、世界から取り残されるだけである。既に世界からお呼びもかからない、相手にされていないとさえ感じる。
今、文部科学省は歴史的なピンチに立っている。東京オリンピック・パラリンピックという世界的イベントを獲得したのは幸運だったが、新国立競技場の建設を巡って、組織の力量不足を露呈し、業を煮やした官邸から当事者の地位をはく奪されてしまった。これまで協力してくれた人たちを傷つけて、彼らの社会的信用さえ損なった責任は大きい。また、文化庁も、明治産業遺産のユネスコ世界遺産委員会での登録をめぐって、実質的に主導権を官邸や外務省に奪われてしまった。さらに、上記のように高等教育に関して、世界の動向に照らした政策らしい政策を展開することもなく、28年度概算要求のプロセスは全く先の見えないものになっている。体たらくを指摘するのは簡単だが、これ以上の地盤沈下は、我が国の将来に禍根を残す。今こそ叫ぼう、文部科学省、ガンバレ!!
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