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2015年6月

2015年6月19日 (金)

国立大学経営力戦略は役に立つのか?(3)

「経営力を強化するための方策」については、運営費交付金の改革について、既に公表されている以上の情報が示されず、制度の全体像が依然として不明なことが残念である。文部科学省は、当事者として仕切る力を失っているのではなかろうか?重点支援の規模感が全くないので、大半の国立大学関係者は、この先も運営費交付金の総額は漸減になると悲観している。肝心の文部科学省に、予算を死守する戦う姿勢がないからである。この戦略に価値が出るとすれば、そうした姿勢を打ち出すこと以外にはなかったと考えるが、虚勢も張れないほど体に力が入らないのだろうか?また、大学の個性に応じて支援すると言いつつ、大学間の連携・連合の促進ばかりを強調している点にも疑問を感じる。私自身は、複数大学を1法人の傘下に置く方式による改革を進めるべきだったと考えているので、業務の連携には反対ではないが、入試業務や教養教育を共同実施するくらいならば、大学自体を統合したらどうか?うがった見方かもしれないが、文部科学省から統合を勧められたくないと思えば、そういう可能性がある相手との共同実施は避けるだろう。これまでの経験からも、枝葉末節の協力は予算目当てに進むかもしれないが、本質的な組織再編が、大学任せのボトムアップで進むわけがない。さらに、具体的な施策に関しては、個別的な検討スケジュールばかりで、経営の前提となる施策の全体像が明確に示されていない。特定研究大学・卓越大学院・卓越研究員という施策も、中身が分かるような記述にならない状態が数ヶ月も続いているので、本気で実現しようとしているとは思えない。大学法人に自立を促したいとの趣旨は理解しないわけではないが、結局、国の財政事情で従来レベルの運営費交付金の予算が計上できないために、それぞれの法人が縮小均衡の地点を探して、経営的に不時着せよと言うことなのだろう。国際的競争力がどうのこうのと言っても、所詮は国による資源投入を絞るので、相対的に順位が下がるに決まっている。そうした当たり前の事実から目を背けて、国立大学法人の経営力が乏しいために、国際競争力に後れを取ったと責任転嫁の布石を打っているのではないかと勘ぐっている。

 

最後に、「経営力戦略の具体化に向けて」という章には、中身らしいものがなく、タイトルと中身が全く符合していない。競争的資金改革と運営費交付金改革は一体で行うのが国の方針だと理解していたが、この文書からは、別々のところで、別々の視点から検討されており、誰も主体的にまとめようとしていないとしか感じられない。タイトルと中身が符合していないのは、ここばかりではなく、特定研究大学以下の3つの施策も、「未来の産業・社会を支えるフロンティアの形成」という節に記述があり、どういうロジックなのか、タイトルの付け方がさっぱり分からない。この戦略を書き下ろした人から、タイトルと中身の関係について、詳しく説明を聞きたいものである。結論として、この戦略は、まるで役に立たないと断じざるを得ない。寂しい限りである。

 

 

国立大学経営力戦略は役に立つのか?(2)

まず、「基本的な考え方」については、国立大学の役割を、「社会変革のエンジンとして知の創出機能を最大化していくことにある」とし、第3期中期目標期間に「持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す国立大学への転換を推進していく」としている。転換という表現が気になるが、従来からある国立大学の機能の一端を強調しているだけのようにも見える。転換と言うならば、何かをやめてイノベーション創出に邁進することを明らかにしなければなるまい。要は、産業競争力会議などの主張に沿って、恭順の意を表明しているに過ぎないのだろう。このような戦わない姿勢が、この文書の底流にあるために、大学関係者としては虚無感を抱かざるを得ないのである。「国立大学の経営力の強化」という節では、民間からの共同研究や寄付金による「財源の多元化」が唱われているが、そもそも国からの運営費交付金が長年にわたって削減される中で、多元化を文部科学省から指導されるのは筋違いではないかと感じる。基本的な考え方に記されているのは、良くてきれい事、悪く言えば、見え透いた虚偽である。国立大学の総入学定員を引き下げたいのであれば、数値を示して方針を明確にすればよい。ただし、その維持のための財源措置に関しては、国が責任を持つ覚悟が必要である。また、移行に伴うリストラについては、余剰となる人員の再配置、就職斡旋、職業訓練など、構造改革に伴う処理についても設計しなければならない。また、受益者負担に関する視点が、恐らく故意に、すっぽり抜け落ちているが、国立大学の財務状況に鑑みれば、早晩、授業料を始めとして受益者負担を強化せざるを得ない。その場合は、経済的な困難を抱える学生に対する給付型奨学金などによる国の支援を施策として打ち出すのは当然ではないか?さらに、経営力の強化と言いながら、コスト削減を如何に進めるか、具体策が何も示されていない。特に、人件費の抑制は喫緊の課題である。現場では、今後も、人事院勧告のラインに沿って、国家公務員準拠で給与が上がるものと考えている教職員が多い。現実には、そのような措置を可能とする収入の当てはない。運営費交付金の削減が続くとすれば、少なくとも、その削減幅以上に、授業料などによる収入増を実現しなければ、近未来、国家公務員並みに給与を維持することができなくなるのは必然である。戦略的な資源配分よりも、比重として圧倒的に大きい課題について見て見ぬふりをしているのでは、国立大学法人の経営力を語る資格はないのではないか?そもそも、人件費管理を含む経営自体が法人評価の一丁目一番地なので、法人化後10年以上が経過しているにも拘わらず、「確かなコスト意識」を求めているようでは、評価システムが機能していないのではないか?と言うことは、大学側がお粗末であると同時に、文部科学省の責任はより重大と言うことにならないか?

国立大学経営力戦略は役に立つのか?(1)

2015616日付けで、文部科学省から、国立大学経営力戦略が公表されたが、国としてかなる方策で国立大学法人の経営力を上げるのか、その経営力をどのように測定するのか、なぜ経営の改善ではなく経営力の強化を課題とするのかなど、種々の疑問がわいてくる。この文書自体は、大臣名で発出された政治的宣言でもなく、これに基づいて文部科学省として施策を実行する計画でもなく、性格が曖昧である。読み方によっては、国立大学法人への注文とも、政治を含めて社会に対して文部科学省の立場を明らかにするPR用のビラとも言える。中央官庁からの文書としては、今後の施策の方向を明らかにする方針の表明が一般的だが、これだけ中身が固まっていない文書は、とても計画とは言えない。やむなく、戦略という名称を持ってきたのだろうが、目標も手段も明確になっていないので、とても戦略の名に値するものとは思えない。文書が、「基本的な考え方」、「経営力を強化するための方策」、「経営力戦略の具体化に向けて」という3章から成っているので、順に気づいた点を明らかにしてみたい。

2015年6月 3日 (水)

第5期科学技術基本計画案はもっと大胆な方が良いのではないか?(3)

4に、「地方創生」に資する科学技術イノベーションの推進を盛り込んだのは、政治的なバランス感覚だろうが、地方創生の意味は、むしろ、地方からの日本全体の創生である。人口減などは、地方だけの課題ではない。そこに示されている4つの視点は、従来からの地域イノベーション成功の鍵を繰り返したに過ぎない。当該地域に成功の必要条件が揃わない中で、如何に好循環のきっかけをつかむかを、地方は模索している。国の政策として打ち出すのであれば、内向きの成功パターンに拘らず、外国からヒト・モノ・カネを地方に導入するとか、逆に外国のイノベーション拠点に地方から参画するとか、日本全体を創生する提案をした方が面白い。地方だけの創生ならば、あえて国の基本計画に記述せず、専ら地方の人間に任せればよい。

 

5に、科学技術外交に関して、取り上げるのは適切だが、一体何が目的で行う必要があるのか、理由付けを明確にしなければならない。外国からの頭脳循環(研究者・留学生)に期待しているのか、外国とのビジネスに科学技術イノベーションによる成長戦略を見出しているのか、科学技術協力で外交的な得点を上げたいのか、何を目的にするのか、明確になっていない。私自身は、国立大学の海外分校の設置も、科学技術外交の文脈の中で、検討に値する施策だと考えている。将来、日本に定住してくれる知的レベルの高い専門人材を育成する手段として、国策により進める価値のある取組だと思うからである。18歳人口減少の折から、国立大学の入学定員を縮小していけば、我が国のトップレベルの研究者は、米・英・独・仏・豪・中などの主要大学に流出していくことになるだろう。

 

以上、問題点の指摘が長くなったが、今後、最終案までに改良されることを期待してのことである。科学技術イノベーションという最先端の分野でありながら、関係者には閉塞感が共有されている。そんな中での基本計画については、戦略は明確、行動計画は具体的、構造改革を大胆に推進するものにして、産学官の関係者を鼓舞し活性化して欲しい。

 

 

第5期科学技術基本計画案はもっと大胆な方が良いのではないか?(2)

2に、従来かなり注力してきた拠点形成という施策を後退させないことである。WPICSTI自体が主導してきた施策だが、最初にスタートした5拠点のうち評価で継続になったのは1拠点に止まった。他の4拠点の成績が悪かったわけではなく、10年間も支援したのだから、大学や研究機関の経営責任で維持して欲しいと考えたくなるのも分かる。しかし、この10年で運営費交付金は大幅に削減され、大学等研究機関に経営上の余力が乏しくなってしまったために、立派な成果を上げているWPI拠点が規模縮小を余儀なくされている。また、オープンサイエンスの推進においても、拠点形成について明確にされていない。単に事業費を配分する程度では、新たな科学の手法として、近未来に本流の位置を占めるとは思えない。

 

3に、経済・社会的な課題への対応では広範な行政課題を網羅的に記述しているが、科学技術イノベーション政策によって、何をどれほど解決しようというのか、明確にしなければならない。課題は多いが、結局、民間任せというのでは基本計画の性格上まずい。今やCSTIにも、SIPImPACTという実現手段がある。民間の金を使うにしても、政策誘導をどうするのか筋道を示さなければならない。経済・社会的な課題の解決で、いつまでに、何を、どれほどの3点を、国民に約束することなしに、国民の科学技術イノベーション予算への支持を得るのは難しい。夢ばかり語って嘘になってはいけないが、10年後には、iPS技術で医療・健康分野をこう進歩させる、ICTとロボット技術の発展で生産・生活の場にこんな革命を起こすというようなコミットメントなしに、未来に向けて科学技術投資を呼びかけても虚しい。もう少し、国民に魅力的でダイナミックな提案が欲しい。その際には、予算全体のポートフォリオ戦略を描くとともに、廃止・縮小するプログラムを特定して、最大限メリハリを利かせなければならない。そうしたストーリーが弱いと、国民の関心は高まらない。

第5期科学技術基本計画案はもっと大胆な方が良いのではないか?(1)

2015528日付けで、総合科学技術・イノベーション会議基本計画専門調査会から、「第5期科学技術基本計画に向けた中間取りまとめ(案)」が公表された。まず、優れていると考える点を挙げてみたい。第1に、私が常々真正面から取り組むべき3つの本質的課題と言ってきた、学術研究における相対的地位低下、博士課程を中心とする人材育成の挫折、イノベーション創出へのシステム構築の不備について的確に捉えている。第2に、オープンサイエンスの推進、産業構造の変革(Industrie4.0)など、先進諸国の動向に関して感度よく取り入れている。第3に、システム化、国際頭脳循環、オープンイノベーション、オープン・クローズ戦略など、重要なキーワードを用いて積極的に発信するとともに、センサー・ロボティクス・先端計測などの個別開発領域を、事業化・産業化の文脈に照らして抽出している。第4に、小保方事件を踏まえて「研究の公正性」を始め、社会との対話に、かなり深く注意を払っている。最終案に至るまでには、更に改良が加えられるはずなので、以下では、もっとこうした方がよいと感じる点について、述べておきたい。

 

1に、3つの本質的課題を解決する道筋を示すことである。例えば、学術研究に関しては、国際共同研究を増やすことが論文の価値を高める道だと言われているが、研究費配分において、何らかの策を講じて政策誘導するという方針は明確にされていない。大学院博士課程の再生に関しては、改革の具体策は、専ら文部科学省に任せてしまっているように見える。運営費交付金の減額によって、国立大学などの現場は疲弊しており、競争的資金から研究者の人件費の一部を補填するくらいで、事態が好転するとは思えない。卓越研究員制度は、JSPSの既存施策とどこが根本的に違うのか理解しづらく、実現可能性も高いとは思えない。イノベーション・エコシステムの構築に関しては、理論的な解説に終始しており、評論家の作文のような印象さえ与える。施策の迫力不足は、国の予算的制約が厳しいということの裏返しかもしれない。

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