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2024年12月18日 (水)

猫は、上のかぎりくろくて、腹いとしろき

「光る君へ」の終わり方

 道長の死とともに貴族社会の絶頂期が終わり、武士の時代への兆しが描かれて、主人公の「嵐が来るわ」というセリフで、長いドラマの幕が閉じられました。最終回は、脚本家からのメッセージ色が強い内容となりました。第1は、歴史に隠れている女性の果たした役割です。ドラマの中では、一族の栄華を支えるために、未来の天皇を生むための道具としての女性が描かれました。逆に、彰子のように一族の精神的な支柱にまでなった女性もいました。夫からの愛が得られず苦悩し続け、最後は、臨終の夫のために彼の心の女性である紫式部を敢えて迎え入れるという倫子のような器の大きな女性もいました。第2は、人の心を動かし、歴史を作る文学の力です。清少納言と紫式部の会話で、このテーマが語られます。また、和泉式部日記、栄花物語(赤染衛門)などの平安女流文学の有名人たちが、宮廷のサロンの雰囲気を作るという筋立てになっています。最終回には、源氏物語を熱く語る更級日記の作者(菅原孝標女)まで登場させています。要は、文学の勝利が宣言されているのです。第3に、人生における真の幸福とは何かという問題です。誰もが理想とする人生を歩めていません。望月の歌を詠んだ道長さえもです。ただ、臨終の床にいる道長に対して、紫式部が平和な世を築いた功績を褒めている姿は、阿弥陀如来の化身のようでした。その紫式部は、最終的に、自分が詠んだ和歌集を制作して娘に渡すことで、人生の一区切りをつけたようにも見えました。女御を退いて後、西は大宰府まで旅をし、東の方にも足を伸ばしていたのは、鎌倉時代の西行を想起させます。文学者としての人生を全うしようという意味がありそうです。実は道長がモデルになっていた光源氏の最期を描かなかった理由を、紫式部は道長に語りますが、かなり切ない愛の告白になっています。道長の死の場面には、倫子だけが登場するのにも、道長の幻を追い求めて心が乱れるという紫式部の思いが反映しているものと受け取りました。以上のように、様々なことを考えさせられる最終回でした。

 

猪苗代湖ボート事故

 仙台高裁で、逆転無罪の判決がありました。1人が死亡、1人が重傷を負った事故でしたが、ボートの運転者が、十分な見張りを行っていたとしても事故は避けられなかったと認定した結果です。遊泳禁止区域に、ライフジャケットを着て湖面に浮かんでいた被害者たちがいるという想定ができなかったことも判断の材料になったようです。遺族は、この判決に納得しないので、最高裁への上告がなされ、裁判が続くのではないかと思います。司法には、世の中の常識を十分踏まえた判断が求められると感じます。被害者家族は、リゾートによくあるバナナボートのような遊具に乗るために、順番待ちをしていたようですから、その付近の水際の湖面で遊んでいたものと考えられますが、偶々、そこが遊泳禁止区域だったとしても、重大な事故を起こした以上、運転者側の過失をみとめるのが、常識的な判断だと思います。水の上は、道路とは違いがあるようですが、横断禁止の道路を渡っていた人間を轢いても一切罪に問われないというようなことは考えられません。高裁の逆転判決ですから、このケースでは過失を問えないというよほどの事情があるのかもしれませんが、世間の常識から逸脱するような判断をすれば、司法への信頼は損なわれます。最高裁で再び有罪になったとしたら高裁が非難されますし、最高裁で無罪が確定すれば、日本の湖はモーターボートや水上バイクで轢き殺されても文句が言えない場所なので、遊泳は絶対にしない方が良いということになるでしょう。

 

奈良県の2.7億円

 若い世代の日韓文化交流イベントとして、2025年10月に奈良公園で、K-Popの無料コンサートを実施するために、補正予算に2.7億円が計上されたとのことです。これを聞いて、随分と財政に余裕のある県なのだと感じました。友好都市との交流であれば、中・高生の派遣・受け入れ、芸術文化・スポーツ交流などが考えられますが、そうした事業の予算であれば、10分の1の2700万円もあれば可能です。草の根的な文化交流によって、人間と人間の触れ合いが、友好関係を深めることになるので、そうした手法を取るわけです。商業的なイベントを県費で行うのは、コスパが悪い、筋が悪い、効果が薄いという問題があると思います。県議会で補正予算は可決されたので、あとは県民の方々の考え次第ですが、別のより良い金の使い方について、若い世代から提案を受け付けたらどうでしょうか?どうしてもK-Popコンサートをやりたいなら、有料化するしかないでしょう。補正予算が余るはずなので、差額をもっと有効な手作りの事業に使えばよいでしょう。

 

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