汗の香すこしかかへたる綿衣のうすきを
AIを信頼できるか?
2022年の出版ですが、大沢、川添、三宅、山本、吉川「私たちはAIを信頼できるか」(文藝春秋)という作品は、社会学、言語学、AI研究の専門家らによる論考と座談によって、AIと人間社会の未来について考えるヒントを提供しています。座談では、「AIは神になれるか」という興味深い設問が立てられています。確かに、AIの結論を頼りに、人間が行動するのであれば、神と人の関係に近くなります。著者の一人によれば、現時点では、機械装置による予測と意思決定を信じるのは、とても難しいという結論のようです。ただ、何世代か後には、そうした可能性も出てくるのではないかとも述べています。例えば、将棋の場合は、AIによる評価値を使って、研究を進めることが常態化しているので、AI=最強=神に近い状況です。AIのように指すことが棋士としての成功になっていますが、その路線に抗って、研究が進めにくい局面に持ち込んで勝負する方向に賭けている棋士も出てきています。将棋は極端な状況ですが、社会全体としては、AIへの信頼は、さほど高くはないと感じます。生成AIでも、明らかな間違いもあり、曖昧な答えしか得られないことが多いからです。要約も便利な機能でしょうが、自分で考えなくなれば、人間の方が退化します。
国立大学の授業料
東大が値上げに踏み切りましたが、地方の国立大学では、自主的な改定には及び腰の大学も少なくないようです。そこで、国が定める標準額のアップを求める声もあります。本来、国立大学法人への運営費交付金は、収支差を埋めるという意味がありましたが、最早、そうした「保障」も消えてしまったようです。人事院勧告に準拠した人件費の増額さえも、財源不足で実施の目途が立たない状況に陥っていく大学が増えています。今年は何とかできても、来年は難しいなどという声も聞こえてきます。もともと、国立大学の教職員の給与は国際的に比較すれば安いのですが、国家公務員並みの賃金改定さえも「贅沢」な事柄になっているのです。こうした状況を恥と思わないならば、国立の看板を下ろすべきではないでしょうか?財務省は、法人化した以上、人勧準拠を保障する気はありませんし、文科省もない袖は振れぬという感じで、基本的には自力で財務基盤を充実させてほしいというスタンスです。7月に有識者会議を設けて、国立大学法人の課題を整理し始めましたが、報告をまとめるのが2025年度末だというので、文科省高等教育局の常套手段である時間稼ぎに過ぎないようです。国立大学の授業料の値上げは、国が運営費交付金を増やさない限り、構造的に不可避です。法人化したからと言って、このことを大学のせいにするのはお門違いです。経団連が、選択と集中の行き過ぎにやっと気が付いて、運営費交付金及び科研費の増額を提言するようになったのは、暗闇の中に現れた一筋の光のように感じます。
中国人民の対日感情
言論NPOが中国の団体と共同で行った世論調査によれば、中国人の対日印象は、2023年から23.8ポイント低下して、実に87.7%が「良くない」と回答したそうです。中国国内のSNSで流布されている情報(国家による統制あり)が、こうした結果に影響を与えていると分析されています。逆に、日本人の対中感情は、少し改善したとは言え、89%が「良くない」なので、お相子だとも言えます。こうした調査は、意味がないと言いませんが、何か大きな事件があったわけでもないのに、1年で24.8ポイントも変動するというのは、世論調査として不可思議です。中国人が日本との関係が重要だとする割合も、33.8ポイント急減して26.3%となるなど、変動が大きすぎると感じます。誰かが操作しているか、世論調査の回答者の属性が変化したのではないでしょうか?数字を真に受けると、一般の中国人への認識を誤る恐れがありそうです。
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