婿取りして四五年まで産屋の騒ぎせぬ所
女性の階級
橋本健二「女性の階級」(PHP新書)は、本人とは別に、夫の有無や夫の所属階級による格差を分析しています。女性の格差については、男性に比べて研究が遅れており、1980年代になってようやくバイアスの解消に着手されたとのことです。下位の階級ほど女性比率が高いのは、家父長制的な性格を持つ企業組織の在り方に問題があるとの指摘は、その通りだと思います。今でこそ、女性の正規職員も増え、管理職を務める人も増えてはいますが、主戦力は男性だという企業組織が殆どです。そのような企業では、女性に期待される役割が、年収の低い職種に限られているのです。貧困率を見ると明白なのは、アンダークラスのシングルマザーが61.0%と高くなっていることです。新中間層や労働者階級のシングルマザーは、シングルマザーではないアンダークラス並みです。要は、シングルマザー⇒貧困率が高いということです。著者は、男性以上に女性たちの格差は深刻だとしています。人生の岐路は、どの階級のパートナーを得るか、フルタイムの仕事を続けるか、続けない場合は専業主婦になるか、パートタイムで働くかといった選択です。こうした岐路を経て、女性の人生は、十数種類のパターンに分かれて行きます。さらに、ライフステージの変化が、階級の移動をもたらします。主婦は、危険と隣り合わせの危うい地位です。離死別によってアンダークラスに流入する恐れがあります。その他、アンダークラスになりやすいのは、父親の学歴が低い、学校を中退している、卒業から就職までに空白がある、いじめや不登校を経験しているという人ですが、暴力や虐待などを行う毒親に育てられた子どもは、職に就いた後にも転落する可能性が高いという分析結果もあります。遺伝なのか環境なのか、両方なのかという問題はありますが、戦争や大災害などの攪乱要因がなければ、階級の変動は少なくなり、階級は固定化します。したがって、特に女性が、アンダークラスから上昇する機会が幾重にもある社会システムを作ることが求められます。
親と子
ギブソン「親といるとなぜか苦しい」(東洋経済新報社)は、親という呪縛から子どもが自由になる方法を示す本です。どんな親も子にとっては毒を抱えており、子はそれから逃れるために親から自分を切り離すことを運命づけられていると思います。親を客観的に観る、親を否定することが簡単ではないので、著者は、それを実行するためのヒントを提供しているのです。親の精神的成熟度のチェックリストで、親の精神的な未熟さを知ることから始めます。その上で、親がどんなタイプの人間なのかを分析して、どういう対処方法があるのかを冷静に考えるのです。著者は、自分の感情を抑え込まないで、怒りに目を向けるとともに、全力で頑張らなくていいと勧めています。また、親は、「できた人間」でもなく、いつか変わってくれるというのは幻想だと指摘しています。堂々と距離を置いて構わないと述べています。私自身は、このような本を読んだわけではありませんが、14歳くらいの時に、両親に対する幻想を捨てて、自分の道を進むことに専念する構えができたように思います。社会的地位の高い親の場合は、子は大変窮屈な思いをすることになるでしょう。歌舞伎を始め伝統芸能の宗家などは、職業選択の自由を奪われて、親子が師弟になってしまいます。心の中は複雑になるでしょう。週刊誌を賑わせる事件がしばしば起こるのも、無理からぬ面があると思います。
忘れられた日本史
八木澤高明「忘れられた日本史の現場を歩く」(辰巳出版)は、文献史学からは抜け落ちている民俗的な記憶を現場から呼び起こそうとする作品です。もちろん、現場に行っても、過去の人びとが蘇るわけではなく、住居などの痕跡も、昔であればあるほど、ほとんど残っていません。しかし、現場の風景の写真には、確かにかつて人びとが暮らした記憶のようなものが感じられます。著者が取り上げているのは、呪術信仰(拝み屋)、感染症、からゆきさん、蝦夷に渡った和人、風待ち港、姥捨山、北米への出稼ぎ村、アイヌ部落、蝦夷の英雄(人首丸)、無戸籍者の谷、飢饉、平家落人集落と殺人事件、潜伏キリシタン、難破船と波切騒動、本土決戦の特攻基地(館山湾)、遊女の宿、大阪の墓地群、原発事故による立ち入り禁止地区(浪江町)です。これらのテーマに関して、少なくとも幾つかについては、初めて知ったという読者も多いと思います。岩手県奥州市は、2024年の話題の中心にいるドジャーズ大谷翔平選手の故郷として有名ですが、著者は、人首丸(ひとかべまる)の墓碑を山中深くに訪ねています。蝦夷の首領阿弖流為(あてるい)は、坂上田村麻呂に降伏した後、田村麻呂の助命の嘆願虚しく、大阪府枚方市で処刑されましたが、人首丸は山に籠って最後まで戦って、数年後に討ち取られたとされています。それが、蝦夷の最後の組織的な抵抗でした。人首丸は、教科書では教えない蝦夷の英雄だったのです。歴史は常に勝者による歴史です。取り上げられている人たちは、確かに忘れ去られていますが、そういう人たちが確かに日本の片隅で生きていたことは覚えておきたいと思います。
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