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2024年12月

2024年12月23日 (月)

若き人、ちごどもなるは、肥えたるよし

江戸時代の私塾

 大場一央「戦う江戸思想」(ミネルヴァ書房)は、日本のかたち、今日の当り前を作ったのは江戸時代であるとして、政治や経済などの各分野がいかにつくられてきたのかを論じている作品です。著者は、幾つかの私立大学で非常勤講師をしている研究者ですが、こういう作品を世に出すほどの力量がある人が正規職に就いていない状況は、実に不可思議です。「はじめに」で、「物言わぬ良識人に本書を読んでもらえれば幸い」と述べていますが、恵まれない研究者人生への思いが込められているのかもしれません。ここでは、教育に関する記述の中で、私塾に焦点を当てたいと思います。私塾は、藩校と寺子屋の中間的存在です。藤樹書院(中江藤樹)、古義堂(伊藤仁斎)、護園塾(荻生徂徠)、懐徳堂(三宅石庵)、咸宜園(広瀬淡窓)、松下村塾(吉田松陰)など、1500もの私塾があったとされます。身分に拘わらず、誰でも学問に興味があれば参加できました。林家の私塾を昌平坂学問所という幕府の教育機関にしたのが、松平定信です。寛政異学の禁で、藩校を含めて朱子学を教育の中心にしたことから、折衷学の学派から反発が起こりました。主体的な学問という流れが起きたのは、皮肉なことに、定信の禁令がきっかけでした。著者は、折衷学の巨魁として、細井平洲(上杉鷹山の師匠)と広瀬淡窓を取り上げています。平洲は、「仁とは、自分のことは脇に置いて、人の事情をしみじみと想い、世話苦労をいとわないということである」としています。「己の責任で学問を組み立て、その正当性を仕事における成果で証明していく」人物で、市井の人々からも人望が厚かったとのことです。淡窓は、「天を敬いながら、理によって人生をより良くしようと努力した」人物です。咸宜園は、明治以降も存続して、4000人もの多彩な人材(高野長英、大村益次郎、清浦圭吾ら)を輩出しました。寄宿舎で共同生活しながら、学力に応じて1~9級のランクに分けられて、特に読書力を徹底的に鍛えられたようです。入門時は、学力・年齢・地位に関わらず、最下位から学問を始めます。今の我が国の大学は、学生様に対する甘いだけの教育サービス機関に堕しており、本当に学問を身に着けさせるなら、咸宜園をモデルに出直した方が良さそうに感じます。

 

高校無償化

 所得制限のない高校無償化は、維新が提案している施策ですが、少数与党が予算の成立などで維新の協力を得るためのコストとして検討するとのことです。約6000億円を必要とするとの見積もりですが、103万円の壁の引き上げで、国民民主党との協議が物別れに終わったことから、維新に乗り換えるという戦略のようです。本当に所得制限のない高校無償化という政策が、日本にとって意味のあるものなのか、例えば、少子化を食い止める切り札になるのか、疑問に感じます。また、無償化と言っても、高校に通わせたら、関連する費用の自己負担もあります。無償化という看板は、かなり怪しいものです。更に、所得制限がないという点では、経済的に余裕のある家庭にも、税金で援助するわけですから、もっと喫緊に支援の必要があるところに予算を重点化して回すべきだと誰でも考えるでしょう。高校生のうち私学が3割なので、本当に高校を無償化したいなら、すべて国公立高校にして、教育環境も全国一律にしたらどうでしょうか?私学を現状のままに維持するならば、学校単位の助成制度は廃止して、1人当たり定額の教育クーポンを全ての高校生に配布するというような施策が考えられます。高校無償化の6000億円の財源がすぐに出てくるわけでもなく、文科省の予算内で6000億円を捻出するのは不可能です。優先順位という意味では、コロナ禍後に急拡大している小中学校の不登校児童生徒への支援を先に考えるべきだとも思います。魚釣りのように、野党の好みの施策を採用すれば、教育予算全体のバランスが崩れます。少数与党の弊害が顕著に表れるのを見過ぎすわけにはいきません。

 

最もリアルな国際政治

 豊島晋作「教養としての国際政治」(KADOKAWA)は、WBSのキャスターが、豊富な海外経験を生かして、起こりうる戦争について、リアルに考えることを勧めている作品です。確かに、一般の日本人は、戦争は絶対にしてはいけないというだけで、実際に起きる可能性については目を背けがちです。核兵器についても、絶対反対というだけで、プーチンのような核による威嚇にどう対抗するのか、考えようともしません。著者は、思考停止状態を脱する必要を唱えているのです。日本にとって、大きな危機は台湾有事です。習近平政権は、台湾の武力統一を選択肢としているからです。彼らなりに、米軍が参戦する事態を想定して、潜水艦やミサイルといった戦力の強化を進めています。トランプ政権の再登場で、アメリカが中国の軍事行動を抑止できるかどうか、不透明さが増していると思います。実際に戦闘が始まれば、日本が巻き込まれるのは必至です。自衛隊は、先島諸島の領土や国民を守れるでしょうか?アメリカや日本は、犠牲を払っても、台湾の主権を守る用意があるのでしょうか?私たちは、日本国としての実利をどう考えればよいでしょうか?著者は、自分たちの正しさを世界に分かりやすく物語(ナラティブ)として力強く発信するべきだと述べています。特に、アメリカを、日本の安全のために寄り添わせることが重要だとしていますが、トランプ政権に対して、どんな論理(あるいは実利)を提示できるでしょうか?著者の指摘のように、イスラエルをモデルに考えるとすれば、再武装はもちろんのこと、核の先制使用も排除しない同盟国になるという選択肢が現実味を帯びてきます。安保ただ乗りでは、トランプさんでなくとも、アメリカには受け入れられそうにありません。なお、著者の気遣いは、謝辞に2ページにも及ぶWBSのスタッフの氏名の列記に表れています。漏れがないか、間違いがないか、慎重に確認したものと思われます。ご苦労様です。

 

2024年12月22日 (日)

若くよろしき男の、下衆女の名よび馴れていひたる

コメ不足の失政

 銘柄米は高騰したままですが、安いコメも争奪戦で、品薄だそうです。日経新聞に、「安いコメ消失、崩れる序列」という記事がありました。今夏は、小売店からコメが消えた時期があって、業務用に回るべきコメを供給がひっ迫した小売店が買いに出たという図式もあったようです。そのために、インバウンドで需要が膨らんだ飲食店も、高いコメを仕入れざるを得なくなっているとのことです。一般のコメとブランド米の価格差が縮小気味になっているのも、コメ不足という背景によるものです。農水省は、需給バランスの乱れは一過性だとしていますが、インバウンドという要素の軽視で、需要を見誤ったのではないでしょうか?また、農業人口の高齢化もあり、我が国の主食であるコメの生産力の減退についても、正しく見積もっているのか、疑問を持ちます。コメの価格が上がることを、むしろ歓迎しているのではないでしょうか?消費者の立場からは、農水省が単に怠慢なのか、実は黒幕なのか、判断がつきませんが、コメの価格高騰は、裏金問題以上の大きな政治的な黒星だと思います。

 

日本経済の衰退

 日経新聞に、1人当たりの名目GDPで、2022年に韓国に抜かれ、2024年には台湾に抜かれたという記事がありました。2030年代には、こうした逆転も予想されていたようですが、大幅な前倒しになりました。こうした結果は、大幅な円安の影響によるものですが、日本経済の衰退を象徴するものだと思います。2024年の実質成長率は、アジア太平洋地域でも唯一マイナスになるとのことです。特に、日本経済研究センターの試算によれば、20年代の労働生産性が韓国や台湾を大きく下回るとのことで、近い将来への展望が明るいものにはなりそうもありません。高齢人口の割合が大きいことも、韓国や台湾に抜かれる原因なのかも知れません。上記のようなデータを目にすると、人口減少で慢性的にマンパワー不足なのですから、定年を廃止して、働ける高齢者は生涯現役で労働生産に関わるような社会に構造改革すべきだと感じます。ただし、高齢者が従事できるのが、低賃金な単純労働の職種だけというのでは、話になりません。韓国や台湾の方が我が国よりも裕福になったというデータは、多くの日本人には衝撃的でしょう。新聞の片隅の記事でしたが、危機感を共有すべきです。

 

摂関政治の実相

 有富純也編「日本の古代とは何か」(光文社新書)は、最新研究によって解明されてきた奈良・平安時代の歴史に関して、解説する作品です。興味を持ったのは、「光る君へ」の背景になった藤原氏による摂関政治です。第2章は、「藤原氏は権力者だったのか?」というタイトルになっています。道長は、関白になったことはなく、摂政も1年だけです。内覧として20年を過ごし、右大臣、左大臣として太政官のトップに君臨していました。道長によって、藤原良房から続いてきた摂関政治が形骸化されたとも言えるのです。面白いのは、道長の時代は、文献史料に恵まれているため、政治的に充実しているように見えるだけかもしれないと記されていることです。ロバートの秋山さんが演じた実資の小右記を始め、複数の史料があるので、この時代だけ研究が進みやすいのです。摂関政治が行われた時期について、後期律令国家と見るのか、初期権門体制と見るのか、20年も論争があり、学説は定まっていないとのことです。摂政関白になる要件は、天皇の外戚、太政官のトップ、藤原氏のトップの3つであり、すべてを満たす人物がいなければ、次第に、天皇の外戚が重視されるようになりました。このため、道長たちも、娘を次々と入内させて、次の天皇になりうる子を生ませることに執着していたわけです。どうやら、摂関政治という表現も、将来、消える可能性もあるようです。日本史研究の分野としては、まだ未成熟の分野だそうですので、学校教育で習ったことが変わることもありうると心得ておきましょう。

 

2024年12月21日 (土)

殿上の名對面こそなほをかしけれ

日本の犯罪小説

 杉江松恋「日本の犯罪小説」には、いわゆるミステリ作家とは言えない小説家も取り上げらえています。例えば、水上勉、石原慎太郎ですが、他にも、阿佐田哲也の麻雀放浪記、池波正太郎の剣客商売のように、犯罪自体ではなく、博打や剣術に主題を置いているものも含まれています。取り上げられている作家は、大藪春彦から高村薫まで18人ですが、私に最も馴染みがあると感じるのは、宮部みゆきさんです。彼女は、代表作の「火車」「理由」「模倣犯」の三部作や、「ソロモンの偽証」などの犯罪小説だけでなく、時代小説の名手でもあります。江戸のホラー小説というべき「三島屋変調百物語」は、既に計9冊を数えており、私の数え間違いでなければ、累計37話に達しています。一つ一つが完成度が高い中編ですから、本当に、作家としての生産力が高い作家さんだと感じます。主な受賞歴を見ても、主要な文学賞を総なめにしており、後は、より広い文化への貢献を顕彰するようなもの、紫綬褒章、文化功労者、最後に、文化勲章をもらうくらいではないかと思います。まだ、60代前半なので、順番待ちという感じでしょうか?この方の優れた点は、配置された人間たちを自在に操ってストーリーを生み出す創造力と、流れるように読み進めることができる明晰な文章を紡ぐ圧倒的な国語力にあると感じます。いつか、三島屋シリーズが、文楽や歌舞伎にならないかと密かに期待しています。特に、文楽は、怪異ものを扱うのが得意ですから、幾つかの話を組み合わせて、おちか物、富次郎物を、それぞれ床本にできないでしょうか?

 

死体調査官

 バーバラ・ブッチャー「死体を話す」(河出書房新社)は、NYで死体調査官をしている著者が、日々の業務から抽出したエピソードを記した貴重な体験記です。中でも、一番衝撃的なのは、9.11直後からの遺体の身元確認作業の記述です。日本でこうした事件が起きることを望みませんが、一度の無数の犠牲者が出て、しかも、遺体の損傷が非常に激しいという事件でした。遺体を見慣れている者にとっても、精神的に過酷な体験でした。現場に行くための苦労(交通が閉鎖状態)、同僚の無事を確認したときの安堵感、遺体の登録・保管システムの構築、身元特定のタフな作業、大勢の支援者(専門性を持つボランティア)たちの受け入れ、変形した遺体の部位の選別、DNA検査、身元が判明した遺体の引き渡し、遺族からの情報収集と説明など、不眠不休状態で、精神的におかしくなる人が出てきます。憂鬱が蔓延して、自殺しようとする者さえ現れます。全員がイライラして、現場の雰囲気は最悪になっていきます。こうした状況の中で、慰安の時間が必要だとして、みなでナイトクルーズに行き、バーベキューをしたりします。この場面で、同僚のドクターから、重要な言葉が発せられています。「バーバラ、人生は続くんだよ。人間は、食べて、けんかして、愛して、セックスする。それが続くだけだ、パーテイをやってもいいんだよ、生きていていいんだ」9.11の過酷な現場にいた人たちから、学ぶとすれば、こうした経験のすべてです。著者によれば、消防士の遺体袋に、人間の心臓、車のキー、ペニスしか入っていなかった例もありました。バラバラの遺体、変形した部位を、何日も見せられれば、頭がおかしくなりそうです。死体調査官の仕事は、精神の安定が求められます。数千人のバラバラになった遺体を、遺族に届けるという膨大な作業は、想像がつきません。日本で同じことができるでしょうか・

 

生成AIと著作権法

 日本新聞協会は、内閣府に対して、現行法体系が生成AIビジネスに対応できないとして、著作権侵害に対する法整備を求めています。無秩序なデータ収集によって、収益機会が奪われているという主張です。現行法では、権利者に無断で、生成AIに学習させることが可能になっているために、取材から編集までの活動を経て制作したコンテンツの権利者に対する対価なしに、学習させたものをベースにして、新たに生み出した著作物で競合するビジネスが可能です。コンテンツの学習を無断でできる法制によって、ただ乗りを許すという方針には、生成AIの発展を促進するという政策意図があったでしょうが、やはり、コンテンツを生み出している著作権者の利益を損ねることへの配慮が欠けていたと感じます。世界でも、一方的にコンテンツを生成AIの学習という名目で吸い上げられる側の利益とのバランスを取る動きが始まっているので、出遅れることなく、法整備に関して検討すべきだと思います。

 

殿上の名對面こそなほをかしけれ

日本の犯罪小説

 杉江松恋「日本の犯罪小説」には、いわゆるミステリ作家とは言えない小説家も取り上げらえています。例えば、水上勉、石原慎太郎ですが、他にも、阿佐田哲也の麻雀放浪記、池波正太郎の剣客商売のように、犯罪自体ではなく、博打や剣術に主題を置いているものも含まれています。取り上げられている作家は、大藪春彦から高村薫まで18人ですが、私に最も馴染みがあると感じるのは、宮部みゆきさんです。彼女は、代表作の「火車」「理由」「模倣犯」の三部作や、「ソロモンの偽証」などの犯罪小説だけでなく、時代小説の名手でもあります。江戸のホラー小説というべき「三島屋変調百物語」は、既に計9冊を数えており、私の数え間違いでなければ、累計37話に達しています。一つ一つが完成度が高い中編ですから、本当に、作家としての生産力が高い作家さんだと感じます。主な受賞歴を見ても、主要な文学賞を総なめにしており、後は、より広い文化への貢献を顕彰するようなもの、紫綬褒章、文化功労者、最後に、文化勲章をもらうくらいではないかと思います。まだ、60代前半なので、順番待ちという感じでしょうか?この方の優れた点は、配置された人間たちを自在に操ってストーリーを生み出す創造力と、流れるように読み進めることができる明晰な文章を紡ぐ圧倒的な国語力にあると感じます。いつか、三島屋シリーズが、文楽や歌舞伎にならないかと密かに期待しています。特に、文楽は、怪異ものを扱うのが得意ですから、幾つかの話を組み合わせて、おちか物、富次郎物を、それぞれ床本にできないでしょうか?

 

死体調査官

 バーバラ・ブッチャー「死体を話す」(河出書房新社)は、NYで死体調査官をしている著者が、日々の業務から抽出したエピソードを記した貴重な体験記です。中でも、一番衝撃的なのは、9.11直後からの遺体の身元確認作業の記述です。日本でこうした事件が起きることを望みませんが、一度の無数の犠牲者が出て、しかも、遺体の損傷が非常に激しいという事件でした。遺体を見慣れている者にとっても、精神的に過酷な体験でした。現場に行くための苦労(交通が閉鎖状態)、同僚の無事を確認したときの安堵感、遺体の登録・保管システムの構築、身元特定のタフな作業、大勢の支援者(専門性を持つボランティア)たちの受け入れ、変形した遺体の部位の選別、DNA検査、身元が判明した遺体の引き渡し、遺族からの情報収集と説明など、不眠不休状態で、精神的におかしくなる人が出てきます。憂鬱が蔓延して、自殺しようとする者さえ現れます。全員がイライラして、現場の雰囲気は最悪になっていきます。こうした状況の中で、慰安の時間が必要だとして、みなでナイトクルーズに行き、バーベキューをしたりします。この場面で、同僚のドクターから、重要な言葉が発せられています。「バーバラ、人生は続くんだよ。人間は、食べて、けんかして、愛して、セックスする。それが続くだけだ、パーテイをやってもいいんだよ、生きていていいんだ」9.11の過酷な現場にいた人たちから、学ぶとすれば、こうした経験のすべてです。著者によれば、消防士の遺体袋に、人間の心臓、車のキー、ペニスしか入っていなかった例もありました。バラバラの遺体、変形した部位を、何日も見せられれば、頭がおかしくなりそうです。死体調査官の仕事は、精神の安定が求められます。数千人のバラバラになった遺体を、遺族に届けるという膨大な作業は、想像がつきません。日本で同じことができるでしょうか・

 

生成AIと著作権法

 日本新聞協会は、内閣府に対して、現行法体系が生成AIビジネスに対応できないとして、著作権侵害に対する法整備を求めています。無秩序なデータ収集によって、収益機会が奪われているという主張です。現行法では、権利者に無断で、生成AIに学習させることが可能になっているために、取材から編集までの活動を経て制作したコンテンツの権利者に対する対価なしに、学習させたものをベースにして、新たに生み出した著作物で競合するビジネスが可能です。コンテンツの学習を無断でできる法制によって、ただ乗りを許すという方針には、生成AIの発展を促進するという政策意図があったでしょうが、やはり、コンテンツを生み出している著作権者の利益を損ねることへの配慮が欠けていたと感じます。世界でも、一方的にコンテンツを生成AIの学習という名目で吸い上げられる側の利益とのバランスを取る動きが始まっているので、出遅れることなく、法整備に関して検討すべきだと思います。

 

2024年12月20日 (金)

牛飼は、おほきにて、髪あららかなるが

相続トラブル

 地主と家主1月号に、三重県の方の、9年に及ぶ遺産分割協議の体験記が掲載されていました。資産家の一族が、相続対策として、跡取りになるはずだった子が亡くなった後に孫を養子にしたこと、公正証書による遺言で、遺産の3分の2を孫に、6分の1ずつを子の兄弟に相続させるとされたことから、子の兄弟が遺留分侵害訴訟を提起したのです。体験記を書いたのは、その孫に当たる方ですが、一番辛かったこととして、遺産分割協議中の家賃収入は貯め込んでおく必要があり、必要な修繕などに充てることができなかったことだとしています。また、不動産鑑定士の選定でも双方が自分に有利な鑑定をしてもらおうと、非常に揉めたようです。最終的には、選任していた弁護士を交代させて、不動産の大半を相続することができたそうですが、精算金として合計2000万円の支払いをしたことに加えて、9年間に失ったものは大きかったと述べています。仲が良かった一族が感情的な対立状態に陥り、取り返しがつかないほど不仲になってしまったのは、本当に取り返しのつかないことでした。遺産を巡る紛争は、どのような決着になろうとも、親族間の絆を破壊してしまいます。被相続人が意思を明確にした公正証書遺言があるにも拘らず、不公平だとして遺留分侵害訴訟をするのはいかがなものかと思いますが、この制度自体を見直す必要もあるのではないでしょうか?被相続人の意思として、このバランスが適当だと判断している以上、民法がそれでは不公平だと介入する必要があるのでしょうか?この体験記を読んで、そういう思いを強くしました。

 

区分マンション投資

 最近は、営業の電話がかかってくることも少なくなった印象ですが、2021年6月に投資用のワンルームマンションを合計7戸購入して、2022年4月に一部を売却、さらに、2024年5月までに、かろうじて年間数万円の黒字になる1戸を残して、他の所有物件を売却したという苦い体験の紹介が、地主と家主1月号に出ていました。教訓は、節税になるというトークには乗るな、友人の紹介で安心してはダメ、投資は不動産の勉強をしてから、赤字ならすぐに売却するということです。1300万円ほどの損失に止めることができたのは、早い決断の結果でした。幸いだったのは、ほとんどの物件で、ローンの残債が、売却価格よりも少なかったことです。この方の場合、始めに、4戸(南関東2、東北1、東京1)、追加で3戸(東京新築2、中古1)をフルローンで、勧められるままに、4か月間で購入しています。さらに加えて、4戸の購入も勧められたと言います。手付を払った後に、相談した友人から、専門家(税理士)の助言を聴くべきだと言われて、漸く、危ない泥沼に入らされていることに気が付いたとのことです。資産形成を助けるという誘い文句は、飛んでもない甘い罠でした。そのまま進んでいれば、地獄のような深みに嵌るところでした。みなさん、不正直な不動産屋さんには、気を付けましょう。

 

次期エネルギー計画案

 2040年の計画では、再生可能エネルギーの比率を40~50%にするとされています。現状の2倍程度という目標ですが、達成するには、具体的にどのような行動、投資が求められるのか、、国民に詳しく知らせる必要があると思います。太陽光発電のメガソーラーのような基地を拡充するのは、かなり難しくなっていると感じます。空地に膨大な数のパネルが建設されている景観を見れば、残念な思いがするからです。吉野は全山が見渡す限りの桜が鑑賞できる名所ですが、例えば、地元の美しい里山が一面のパネルに覆われるような姿を想像するのは、誰もが嫌でしょう。洋上風力発電を進めることは重要でしょうが、強力な台風が来ても被害を免れるような強靭な施設ができるのか、好立地の設置場所が漁業者との調整を含めてどれほど得られるのか、現実のモデルとなる洋上の発電基地を見せてもらわないうちは、国民は半信半疑です。ペロブスカイト太陽光発電が普及することへの期待も高まりますが、コストや生産の面で、2040年までに、現実的に、どの程度まで普及が可能なのでしょうか?目標を達成するために、どのような課題があるのか、大切なことなので、説明が必要だと感じます。また、CO₂排出削減効果についても、次期エネルギー計画が未達に終わり、化石燃料に頼る状況が続けば、どんな問題が起きるのかも明確に示すべきでしょう。原発反対を叫んでいた人たちは、エネルギーは足りているなどと無責任なことを平気で口にしていましたが、単に化石燃料を消費して、CO₂を増やしただけでした。さらに、エネルギー源を輸入して国富を減らすだけという図式からも、可能な限り脱却すべきです。エネルギーの貿易収支の改善についても、国民への情報提供を求めたいところです。その意味でも、原子力を単に繋ぎだとするのは、現実的だと思えません。継子扱いしてれば、人材が枯渇して、本当にエネルギー源として維持できなくなるでしょう。本当に、そうしたいのでしょうか?そうすることが日本のためになるのでしょうか?

 

2024年12月19日 (木)

雑色・随身は、すこし痩せてほそやかなるぞよき

読売巨人軍の田中将大さん

 楽天から自由契約になった田中投手の来シーズンの所属先が決まったのは、大変喜ばしいことです。楽天における成績が下降していたことで、限界説を唱える人も少なくないようですが、NPBを盛り上げるためにも、ぜひマウンドでの勇姿を見せてほしいと願います。読売巨人軍は、あくまで戦力として期待するから契約したものと受け止めますが、田中将大選手のような球史に残るような選手には、燃え尽きるまで活躍の場を与えるべきだと思います。かりに2025年シーズンが最後になるにしても、本人として納得のいく有終の美を飾って欲しいのです。MLBを見ても、日本人は選手の年齢を気にしすぎていると感じます。田中選手には、栄養、トレーキング、コンディショニングの工夫によって、選手寿命を延ばすということにも、挑戦してほしいと願います。幼馴染の坂本選手とともに、できれば40歳までやるつもりで、最新の科学的な成果を踏まえて、取り組んだらいいでしょう。新天地での活躍を祈ります。

 

ペットと賃貸

 地主と家主1月号は、「ペット共生物件」がテーマです。私は、新築の賃貸物件で、始めから、ペット可として運用しています。そういう条件があったので、見目麗しい小型犬を飼われている方も入居しています。今やペットは立派な家族であり、春風亭一之輔師匠の家庭では、一之輔師匠よりも、飼い犬君が上位の地位を占めているほどです。賃貸物件において、登場している専門家は、犬か猫かに特化するという方法も勧めています。猫は、爪とぎをする、時々嘔吐する、網戸を開けて脱走する、トイレは見られたくない、キャットステップから安全確認をすることを好むという特徴に注意が必要とされます。複数のペットを可とする場合は、不妊・去勢手術を必須とするとも助言しています。ただ、賃貸物件では、1匹までが普通でしょう。こうした特集が組まれることからも、ペット可は次第に増えているので、共生物件が当たり前の時代が来ると思います。ペットを通じて夫婦の会話が弾む(それ以外は話題がない)という話はよく聞きます。また、単身者はペットが唯一の家族として心の支えになっているのだと思います。現代人は、ペットとの共生で、ストレスを緩和して、心の安定を保っているのではないでしょうか?

 

西山朋佳女流3冠の棋士編入試験第4局

 宮嶋健太4段との対戦は、西山女流が勝利して、最終局に女性初の棋士誕生への期待を繋げてくれました。西山女流の先手で、三間飛車から美濃囲いに組んで、角と飛車の交換に成功して、玉形の固さを生かして、柔軟な受けによって有利を築いていきました。宮嶋4段は、1筋からの突破を試みましたが、西山女流の7一歩、5八銀によって、横からの龍による攻めを封じられて、攻勢は不発に終わります。逆に、西山女流は、2六香から5一角成で、彼女らしい剛腕の切り返しを見せ、2四金のタダ捨てが決め手になりました。宮嶋4段にも、まだ粘る手順があるにはあったようですが、現実的に指せなかったのも仕方がありません。第2局は、体調不良で、第3局は、強敵との対戦で、連敗してしまいましたが、そこから立て直して、最終局に希望をつないだ西山女流の精神力は高く評価すべきだと思います。例えていうなら、西山朋佳さんは、「極道の妻たち」で主演を演じた岩下志麻姐さんのような存在です。棋士になれるかどうかは、確率50%でしょうが、自分を信じて集中してほしいと思います。恐らく、将棋ファンの大半が朋佳姐さんの勝利を祈っているので、相手の柵木4段もやりにくいでしょうね。歴史的な対局になるので、両者には、その重圧を楽しんでもらえばよいと感じます。柵木4段は、負けても誰も非難しないので、どうぞご安心ください。でも、勝った場合は、悪魔的なキャラとして記憶に残ることになるかも知れません。さて、来年1月、どんな決着が待っているでしょうか?「柵木はん、覚悟しいや!」

 

2024年12月18日 (水)

猫は、上のかぎりくろくて、腹いとしろき

「光る君へ」の終わり方

 道長の死とともに貴族社会の絶頂期が終わり、武士の時代への兆しが描かれて、主人公の「嵐が来るわ」というセリフで、長いドラマの幕が閉じられました。最終回は、脚本家からのメッセージ色が強い内容となりました。第1は、歴史に隠れている女性の果たした役割です。ドラマの中では、一族の栄華を支えるために、未来の天皇を生むための道具としての女性が描かれました。逆に、彰子のように一族の精神的な支柱にまでなった女性もいました。夫からの愛が得られず苦悩し続け、最後は、臨終の夫のために彼の心の女性である紫式部を敢えて迎え入れるという倫子のような器の大きな女性もいました。第2は、人の心を動かし、歴史を作る文学の力です。清少納言と紫式部の会話で、このテーマが語られます。また、和泉式部日記、栄花物語(赤染衛門)などの平安女流文学の有名人たちが、宮廷のサロンの雰囲気を作るという筋立てになっています。最終回には、源氏物語を熱く語る更級日記の作者(菅原孝標女)まで登場させています。要は、文学の勝利が宣言されているのです。第3に、人生における真の幸福とは何かという問題です。誰もが理想とする人生を歩めていません。望月の歌を詠んだ道長さえもです。ただ、臨終の床にいる道長に対して、紫式部が平和な世を築いた功績を褒めている姿は、阿弥陀如来の化身のようでした。その紫式部は、最終的に、自分が詠んだ和歌集を制作して娘に渡すことで、人生の一区切りをつけたようにも見えました。女御を退いて後、西は大宰府まで旅をし、東の方にも足を伸ばしていたのは、鎌倉時代の西行を想起させます。文学者としての人生を全うしようという意味がありそうです。実は道長がモデルになっていた光源氏の最期を描かなかった理由を、紫式部は道長に語りますが、かなり切ない愛の告白になっています。道長の死の場面には、倫子だけが登場するのにも、道長の幻を追い求めて心が乱れるという紫式部の思いが反映しているものと受け取りました。以上のように、様々なことを考えさせられる最終回でした。

 

猪苗代湖ボート事故

 仙台高裁で、逆転無罪の判決がありました。1人が死亡、1人が重傷を負った事故でしたが、ボートの運転者が、十分な見張りを行っていたとしても事故は避けられなかったと認定した結果です。遊泳禁止区域に、ライフジャケットを着て湖面に浮かんでいた被害者たちがいるという想定ができなかったことも判断の材料になったようです。遺族は、この判決に納得しないので、最高裁への上告がなされ、裁判が続くのではないかと思います。司法には、世の中の常識を十分踏まえた判断が求められると感じます。被害者家族は、リゾートによくあるバナナボートのような遊具に乗るために、順番待ちをしていたようですから、その付近の水際の湖面で遊んでいたものと考えられますが、偶々、そこが遊泳禁止区域だったとしても、重大な事故を起こした以上、運転者側の過失をみとめるのが、常識的な判断だと思います。水の上は、道路とは違いがあるようですが、横断禁止の道路を渡っていた人間を轢いても一切罪に問われないというようなことは考えられません。高裁の逆転判決ですから、このケースでは過失を問えないというよほどの事情があるのかもしれませんが、世間の常識から逸脱するような判断をすれば、司法への信頼は損なわれます。最高裁で再び有罪になったとしたら高裁が非難されますし、最高裁で無罪が確定すれば、日本の湖はモーターボートや水上バイクで轢き殺されても文句が言えない場所なので、遊泳は絶対にしない方が良いということになるでしょう。

 

奈良県の2.7億円

 若い世代の日韓文化交流イベントとして、2025年10月に奈良公園で、K-Popの無料コンサートを実施するために、補正予算に2.7億円が計上されたとのことです。これを聞いて、随分と財政に余裕のある県なのだと感じました。友好都市との交流であれば、中・高生の派遣・受け入れ、芸術文化・スポーツ交流などが考えられますが、そうした事業の予算であれば、10分の1の2700万円もあれば可能です。草の根的な文化交流によって、人間と人間の触れ合いが、友好関係を深めることになるので、そうした手法を取るわけです。商業的なイベントを県費で行うのは、コスパが悪い、筋が悪い、効果が薄いという問題があると思います。県議会で補正予算は可決されたので、あとは県民の方々の考え次第ですが、別のより良い金の使い方について、若い世代から提案を受け付けたらどうでしょうか?どうしてもK-Popコンサートをやりたいなら、有料化するしかないでしょう。補正予算が余るはずなので、差額をもっと有効な手作りの事業に使えばよいでしょう。

 

2024年12月17日 (火)

牛は、額はいとちひさく

公教育の崩壊

 鈴木大裕「崩壊する日本の公教育」(集英社新書)は、政治による教育の不当な支配の結果、公教育が崩壊寸前であると警鐘を鳴らしています。特に、新自由主義が教育現場を荒廃させていると厳しく批判しています。発表してきたエッセイを集約したものなので、全体は体系を為していませんので、気になる部分を読めばよいと思います。私は、教員の働き方改革に関する弊害に興味を持ちました。共感するのは、働き方改革の本質は、学習環境の向上であり、そのためには、児童生徒に対する教員の数を増やすことが肝要だとする点です。こうした当たり前のことが無視されて、教職調整額の増額の仕方という狭い施策に矮小化された議論がなされているのが、今の日本です。著者は、教員を、サービス労働者扱いするのは、本来の専門家としての尊厳を損い、あるべき裁量を奪ってしまうことに繋がると批判しています。最早ないものねだりかもしれませんが、確かに、教員には、教育者としての役割を十分に発揮できるよう、相棒の特命係のような自由度があってしかるべきでしょう。ただ、今や、個々の教員の質には、かなりの格差があります。当たりの先生は少数です。なってほしい人には避けられて、なるべきではない人が教員に採用されているケースが見られます。採用試験で合格させても、過半数が辞退するというのは、異常な事態です。子どもを学校に通わせた経験がある保護者には、経験上、教員や学校を信頼できない理由があるのです。悪い例が良い例を駆逐してしまって、今日の教員不信が根付いてしまったのではないでしょうか?多忙すぎる現場の負荷を軽くするために、学校の機能を外部に移すという方策も取られています。スポーツなどの部活動がその典型です。著者は、この点にも問題があるとしています。ただ、日本の学校が役割を抱え込み過ぎているのは事実です。何かを切り捨てないと、国が教員の数を増やそうとしない以上、現場はパンクするでしょう。最後に、教員の地位を向上させるモデルとして、著者が、フィンランドを挙げていることには、賛成です。公教育再生の一丁目一番地は、教員だからです。教員の社会的地位の向上以外に、望ましい解決策はありません。

 

昭和天皇拝謁記

 原武史「象徴天皇の実像」(岩波新書)には、昭和天皇拝謁記を読むというサブタイトルが付されています。目からウロコの内容が、幾つか含まれていて、刺激的でした。興味深い点を挙げてみます。第1に、昭和天皇は1948年ごろにキリスト教へ改宗を考えていたことがありました。神道的な儀式を行う天皇が改宗とは、まさに驚天動地です。また、忠君愛国自体は悪くないので、弊害ない程度に、教育勅語もあった方が良いとしています。世の中の変化についていけない様子が伺われます。第2に、共産主義に対する警戒感が非常に強く、北朝鮮の影響が濃い朝鮮人学校は潰した方が良いとしています。東大、京大に対しても、国費を使って左翼を生み出す教育をしていると嫌っています。天皇という地位が脅かされるという危機感があったためでしょう。第3に、2.26事件の際に、皇道派の青年将校たちが、自分を退位させて秩父宮を天皇に担ごうとしたという疑念を持っていました。自らの地位を脅かすことを画策した青年将校らへの嫌悪感は、非常に強いものでした。第4に、米軍が御所ではなく皇太后の住まいを空襲したことは、戦争継続を強く支持していた皇太后を意図して狙ったものだと考えていました。皇太后は、天照大御神の神話を現実だと信じていた人です。第5に、朝鮮併合は正しかったが、鴨緑江で止めておけば良かった(満州へ進出してからおかしくなった)としていることです。昭和天皇が、戦後も、朝鮮併合を正当だったとしていたのは驚きです。第6に、自分の母親(皇太后)との関係がぎくしゃくしていたことです。英国留学以降は、皇太后は、昭和天皇が祭祀をおろすかにするとして、否定的に見ていたのです。皇太后は、自身が神功皇后のように天皇になるか、秩父宮を即位させたかったようです。第7に、戦後、天皇の退位を巡って、高松宮との確執があったことも明らかにしています。昭和天皇は、一時、退位を考えましたが思い直し、退位を面と向かって勧めた高松宮を嫌悪したのです。第8に、戦後の鳩山、岸の公職追放解除については、強い疑問を投げかけています。特に、岸は主戦論者で責任が重いと非難しています。第9に、皇太子の進学先は、東大(南原総長)が嫌だから、学習院の方が良いとしています。南原の全面講和、天皇退位の主張に、皇太子が影響されることを嫌ったためです。ただ、学習院にも、清水幾太郎のような天皇制批判論者がいることは、非常に不満であったようです。第10に、靖国神社への参拝をしなかったのは、アメリカへの復讐を企む右翼の反米思想に利用されたくないという理由でした。戦死者やその遺族にとっては、道義的に理解できない考え方でしょう。最後に、著者は、昭和天皇の負の遺産について述べています。象徴としての在り方の省察、膨大な犠牲者を出した沖縄戦への反省、中国国民に与えた苦難への悲しみと戦争への反省などは、平成になって、新しい天皇と皇后によって、なされたものです。ただ、天皇による韓国訪問が未だに実現していません(状況が好転する見込みが更に薄くなっています)。昭和天皇の負の遺産は、令和にも引き継がれているのです。

 

経団連のFUTURE DESIGN 2040

 この秋にまとめられた経団連による政策提言集です。教育・研究分野に関しては、重点として、博士人材の育成、基礎研究の振興、大学の統廃合、留学生の増加、初中教育の抜本改革などが並んでいます。博士人材に関しては、企業による採用が進まないために、我が国では博士の価値が上がらないという問題があります。経団連が博士を増やせと言っても、基本的には、構造は変わらないと思います。基礎研究に関しては、科研費と運営費交付金を拡充せよと提言しているのは評価できます。資源の選択と集中を続けてきたために、大学における研究環境が劣化してしまったことに気が付いたようです。ただ、20年も続けてきた政策のどこに問題があったのかを明確に分析すべきです。選択と集中で狙いを定めて投じた予算が、思いのほか、成果を生んでいないという問題もあるのではないでしょうか?大学の統廃合に関しては、文科省のやる気次第でしょうが、機微な課題であり、実行を先送りして逃げてばかりいると感じます。海外に留学する日本人が少なくなっているという問題の根源は、留学適齢期の人口減少とともに、留学費用負担に関する家計の余力の低下、企業による派遣の減少という要因が複合しています。恐らく国費だけでは解決しません。初中教育に関しては、個の教育、飛び級、文理融合というキーワードが並んでいますが、教員不足、不登校などの本質的な課題への取り組みが優先されるべきでしょう。これらの経団連による提言を実現するには、文科省予算を相当拡充する必要があります。財務省の方針に鑑みれば容易なことではない状況で、正鵠を射ている正しい指摘もありますが、結局、全体として絵に描いた餅になってしまうのではないかと危惧します。

 

2024年12月16日 (月)

足四つ白きもいとをかし

シビル・ウォーアメリカ最後の日

 アメリカ合衆国で内戦が起きるというショッキングな内容です。アマゾンプライムで観ました。報道写真家たちが主人公で、ニューヨークからワシントンまで迂回しながら、PRESSと表示された車で1400キロを移動していくロードムービーになっています。道中では、無政府状態に起こりうる人間たちの闇の姿が描かれます。中でも狂気の極みと感じるのは、出身地の区別による容赦ない殺害です。ミズーリやコロラドの出身なら生粋のアメリカ人でOK、香港の出身なら中国人とされ問答無用、即射殺です。描かれているのは、現代のアメリカ人の一部が持っている偏見、差別意識、暴力志向が、内戦状態で解放されてしまっている地獄絵図です。心の中にある闇が、顕在化したら、こうですよという映画なのです。最後に、大統領がホワイトハウスで殺害された直後の現場を、若い写真家が一心不乱に撮影するシーンで、映画は終わります。新しいスター報道写真家の誕生は、未来への希望になります。しかし、それに至る前には、前世代の経験豊かなジャーナリスト及び報道写真家が犠牲になります。反乱軍側も、大統領らを殺す目的で行動しています。政府軍側、反乱軍側、どちらが正しいというわけではなく、聴く耳さえ持たない単なる殺し合いになっているのです。懸念されているアメリカの国民の分断が進めば、こういう未来が待っていると予感させる問題作です。連邦政府に反旗を翻すのが、カリフォルニアとテキサスの連合(旗は星が二つ)だというのも興味深い点です。民主党と共和党の重要な拠点州が手を組んで、独裁化した大統領に立ち向かうという構図にしているのです。内戦が最終局面に至っているにしては、都市が荒れていないのでおかしいとは感じますが、細かいことは置いておいて、局地戦の戦闘の緊張感、人間の底知れぬ残酷さ、内戦を引き起こした政治家の愚かさは、よく伝わってくると思います。この作品が、対話によるアメリカ再生への契機になればと祈ります。

 

エイレングラフ弁護士

 ローレンス・ブロック「エイレングラフ弁護士の事件簿」(文春文庫)は、事件の謎を解明する探偵小説といよりも、依頼主のために捜査や裁判を操作するために手段を択ばぬ悪漢小説です。弁護士とは言うものの、ミッション・インポッシブルのスパイ的な工作を実行するのが、主人公です。一番近い存在は、「笑ウせぇるすまん」の喪黒福造でしょうか?ただし、「ドーン」と手ひどい罰を食らわせるような場面はなく、代わりに、詩を引用しながら、ニヒルな笑いで閉めるのがエイレングラフ流です。このブラックユーモアに嵌ると、エイレングラフ中毒になりそうです。アメリカの法廷は、腕の良い高額な報酬を取る弁護士次第でどうにでもなるという実情も、この作品の背景にありそうです。さらに、メフィスト的な策略で、犯罪を糊塗してしまうというのは、ある意味で、スーパーヒーローとさえ言えるでしょう。業界全体がダークサイドに深く漬かっていることを逆手に取っているのです。週刊文春の2024年ミステリーベスト10において、海外部門第9位にランクインしている作品です。

 

日韓関係の寄り戻し

 韓国大統領の弾劾決議が可決され、憲法裁判所の審理を経て罷免が成立すれば、次期大統領選では、いわゆる革新系の候補が勝利する可能性が高くなります。韓国のことなので、私たちには、どうにもできませんが、再び日韓関係が厳冬の時代に入るのではないでしょうか?隣国日本との外交関係が、政権によって大きく変動するということは、不安定極まりないと思います。かりに予想通りのことが起きた場合、対抗策を今のうちに考えておくべきではないでしょうか?北朝鮮寄りの新政府による反日政策が一つ実行されれば、こちらも一つお返しをするという準備をしておくという意味です。韓国人が嫌いだとか、怪しからぬとか、くだらない感情論で言っているのではありませんが、国と国の関係では、相手の出方次第で、こちらも対抗措置を取るのが当たり前です。自分たちの正義を信じて怒りを振りかざす相手に対して、常に宥める側に回ってきましたが、効果は長続きしませんでした。その後、徹底して反日政策を繰り返した政権には、無視という態度で接しました。しかし、相手に痛みは伝わりませんでした。次は、対抗措置の準備があると予告して、自制を促すべきだと思います。例えば、差し当たって影響が小さいがインパクトのある方策として、韓国からの映像作品の輸入や芸能人・スポーツ選手の来日などのビジネスを制約したらどうでしょうか?また、新政府が日本を仮想敵とみなしている事実、学校教育で反日教育がなされ続けているために若い世代さえ反日感情が抜けないことを、日本も広く広報し、中学校でも教えたらどうでしょうか?さらに、日本から韓国への観光客については、安全確保が難しくなるので抑制するなどの措置も考えられます。当然ながら、外交や投資・通商も冷え込むでしょうが、韓国人の中にも政府とは違った親日的な考えを持つ人がいます。ゆえに、親日派との関係は強化することも重要です。我が国として、韓国の選挙に介入するというようなことはあり得ませんが、親日派が反韓国と受け取られるような状況から脱するための支援をするのは、我が国の国益にかなうことだと思います。要は、今度、日本を敵視する政権が韓国に誕生した場合は、無視ではなく、こちらも断固たる対抗策を講じると予め示すべきだと思います。

 

2024年12月15日 (日)

女は寝起き顔なんいとかたき

人口減少社会

 河合雅司「縮んで勝つ」(小学館新書)は、人口減少日本の活路を示そうとする試みです。著者の発想は、人口減少を前提に、それに対応する社会構造への転換を実現するという現実的なアプローチです。まず、現実を見るべしとして、赤字ローカル路線の延命策の末路、郵便ポストは空っぽ、水道料金が平均5割アップ、20年後に農業従事者8割減、東京圏の買い物難民5人に1人、全世代型社会保障という幻想などの項目で、厳しいデータを突き付けています。その上で、人口減少を逆手に取る作戦として、7つの活路を示すのです。具体的には、外国人依存からの脱却、女性を真の戦力に、生産性の向上という経営目標、高付加価値商品の開発、中小企業の海外進出、市町村の枠を超えた30万人規模の独立国(生活圏)、人口集積の二層化(自宅はそのままで土日に利用、週日は拠点のセカンドハウスに集住)の7つです。安い労働力としての外国人移民は長期的にはダメージの方が大きいとしています。これには、異論もあるでしょう。出稼ぎ型の外国人の活用に、依存している業界も現実にあるからです。今後も、外国人労働者を安定的に確保できなければ、生産を支えるマンパワー不足に陥るでしょう。一方、本格的な移民の受け入れには、リスクがあることも事実です。社会的包摂という課題への備えなく、受け入れを拡大すれば、日本人との軋轢が地域で起こることは容易に想像ができます。もっとも、経済成長が鈍化して、円安により賃金が実質的に伸びない日本への移民は簡単に増えないでしょう。また、30万人規模の生活圏構想についても、市町村間の調整が必要で、容易に実現しないと思います。過疎の地域を集めても、圏域が広大になり過ぎて、各種のサービス提供は効率化できないからです。域内の交通・物流の確保にも苦労しそうです。人々の住み慣れた土地への執着が強ければ、人口集積の二層化も絵に描いた餅にしかなりません。過疎で高齢化した地域であっても、そこに住み続けたいという人を、各種のサービスから切り捨てることは、倫理的な観点からできないことでしょう。無理に進めれば、現代の姥捨てになってしまいます。能登半島地震の被災地のムラの様子を見ていれば、「縮める」ことの難しさを痛感せざるを得ません。結局、人類の歴史に鑑みても、人口減少の国が栄えるという道はないと諦めて、みながつましく生きることを良しとするくらいしかないと諦観する方が最大多数の幸福に近づけるのではないでしょうか?

 

年収の壁の歌舞伎

 与党と国民民主党の協議の行方に注目が集まっています。現行の103万円から国民民主党が主張する178万円にどれくらい近づけるかが見ものです。与党の提示した素案は123万円でしたが、グリーンが見えないほどの距離だと拒否されました。確かに、足して2で割った数字よりもかなり低めの提示だったという印象です。協議において、国民民主党は、簡単に妥協せずによく頑張ったというかたちを残したいのでしょう。150万円に近い辺りが落としどころでしょうか?国民の目には見えませんが、この舞台を黒子で回しているのは、財務省主税局です。国民民主党の税制調査会長も財務省出身ですから、役者としては、ここが見せ場だと気合の入ったところを見せてはいますが、落としどころは腹に呑み込んでいるのではないでしょうか?与党側も、いきなり妥結額を提示するのでは、いくらなんでも妥協しすぎだという批判が党内からもありえます。ここは、低めの球を投げて、腹を探っているという芝居をする必要があります。恐らく、グリーン上のピンの位置は分かった上で、駆け引きをしているように見せているのだと思います。こうしたベタな芝居を好むわけではありませんが、財務省主税局のシナリオと歌舞伎役者たちの演技を見守りましょう。

 

チケット転売の防止法

 転売で稼ぐ人たちによって、実需のファンたちのチケット入手が困難になっている状況があります。もちろん、転売は禁止だとされていますが、Webを通じて高額で取引されているのが実態です。サイトの運営者に対して、イベントの主催者から、転売している人間を特定する情報の提供を簡単に求められるような仕組みが必要です。また、転売を積極的に防止する措置を取らなかった場合には、違法行為の幇助であるとして高額の罰金及び事業の廃止命令が科されるような仕組みも検討すべきでしょう。所要の法改正を急いでほしいと思います。他方で、自分の都合が変わって行けなくなった場合に、リセールできるような場も設ける必要があるでしょう。大相撲でもチケット入手が困難になっていますが、高額で譲るという転売が横行しています。リセールに出たチケットも直ぐに買われてしまうので、転売目的で買いあさっている人間がいるのではないかと強い疑いを持ちます。その他に、お茶屋さんや旅行社が、インバウンドなどによる需要を見込んで、かなりの数を優先的に抑えている実態があります。特に、お茶屋さんは、抱き合わせでお弁当その他の土産をセットにしていますので、チケットの2倍以上の支払いになります。こうした不明朗な商行為も規制してほしいところです。少なくとも、イベントの主催者には、チケットの販売先に関する情報公開を義務付けたらどうでしょうか?転売を商売にしている人間(ダフ屋)については、チケットが入手できない、転売できない、転売されたチケットは無効になるような厳しいシステムの整備を行うべきだと思います。

 

2024年12月14日 (土)

なに事ももてなしたるをこそよきにすめれ

和歌山地裁の無罪判決

 資産家の死亡事件に対する注目の裁判は、間接証拠による殺人の証明が不十分であり、本人による覚醒剤の過剰摂取という可能性もあると判断して、裁判員たちが無罪と評決したようです。簡単に言えば、動機や機会という点で疑わしいところはあるが、どのような手段で殺したのかという点での十分な証明が欠けていたということなのでしょう。これに対して、本人が誤って過剰摂取したのならば、その現場に、接種に使用した器具や覚醒剤が入っていた袋なりが残っているはずではないかという疑問を抱きます。そうしたものがないならば、杉下右京やコロンボでなくても、辻褄が合わないと考えるでしょう。刑事裁判の場は、結局、真実の探求が肝心で、様々な可能性を潰していって、被告による犯罪であることが確実かどうかを判断するものだと思います。素人目にも辻褄が合わないケースを想定して、真実の探求を止めてしまうと、外部から侵入した形跡がない状況でも、今回の被告のように、無罪になってしまうでしょう。家に中に2人しかいない状況で、不審死があっても、証拠を隠滅されて具体的な殺害方法を検察側が特定できず、無罪判決が出るとすれば、完全犯罪の方法は、かなり広がることになります。恐らく検察側が控訴するでしょうから、大阪高裁では、真実の探求を深めてほしいと思います。亡くなった資産家の無念を晴らすためにも、辻褄が合わない想定は排除して、合理的疑いなるものを、さらに精査するよう願います。

 

学士院会員

 学士院の新会員6人(全員男性)が発表されました。いずれも立派な業績を上げた方ですので、異議はないのですが、学士院の女性会員は、驚くほど少ないことに気が付きます。会員リストから拾ってみると、大塚栄子さん(核酸化学)、川合真紀さん(物理化学)、中西準子さん(環境リスク管理学)、西澤直子さん(植物栄養学)の4人です。会員(任期は終身)の定員は150人で、現在の会員数は137人となっていましたので、女性比率は、僅か2.9%ということです。ほぼ男性の学者クラブなのです。過去の学術業績に基づく選考なので、女性の会員が増えるのはこれからなのかもしれませんが、かりにも特別職の国家公務員(非常勤)の選任なので、これほどまでに著しい男女格差は、放置できないと思います。まずは、現員と定員の差を利用して、女性研究者を各部に追加することを考えたらどうでしょうか?当面、女性比率10%を目標にしたらよいと思います。学士院は、ノベール賞、文化勲章の受賞者を始めとする碩学泰斗の組織ですから、それにふさわしい学術業績という基準を大きく損なうような選考をする必要はありません。ただ、女性研究者が、日本学士院に増えなければ、日本という国が、学術の世界においてさえ、未だに男女差別を脱却できない遅れた国だと誤解されかねないことを憂慮します。学士院の会員各位に、ぜひお考えいただきたいと思います。

 

倫理資本主義

 マルクス・ガブリエル「倫理資本主義の時代」(ハヤカワ新書)は、「資本主義のインフラを使って道徳的に正しい行動から経済的利益を生み出し、社会を大きく改善することができる、またそうすべきだという主張を展開」するものです。強欲で収奪的な行動よりも、持続可能性を考慮した行動の方が、大きな利益に繋がるというわけです。日本にも、三方よしの経営など、著者の主張に近い共生の哲学が商家に伝わっています。著者の主張のポイントは、資本主義自体を否定せず、むしろ擁護していることす。原点として拠り所にしているのは、国富論とともに道徳感情論を著したアダム・スミスです。また、ホモ・サピエンスという種が協力を優先することで繁栄を築いている動物だという真理も、彼の論拠になっています。日本人の多くは、経済活動に倫理的要素を加えることで、持続可能な繁栄を追求することにより、社会が安定的に発展するという考え方に、大きな違和感を持たないと思います。ただ、著者が、応用編に記している、企業に倫理部門を作る、子どもに選挙権を付与する、次世代のAI倫理を企業活動に導入するという提案については、様々な異論がありそうです。著者は、子どもの選挙権は、誕生時から付与し、3~4歳までは、保護者によって代理行使させると述べています。このような案に賛成する人は少ないでしょう。なぜなら、子どもが主体的に物事を判断できるような知性を備える年齢になるまでは、選挙権を付与することが適当だとは考えられないからです。また、自立した人間として、社会的な責任を完全に負うことができないなら、選挙権だけを与えるのは論理的におかしいでしょう。議論を喚起する目的で、あえて、このような提案をしているものと受け取ります。未来を担う子どもの視点を政策に取り入れるべきだという発想には賛同します。

 

2024年12月13日 (金)

改まざるものは心なり

被団協の日本政府批判

 ノーベル平和賞の授賞スピーチで、代表が、原爆による死者への保障が日本政府からないことを批判していました。生存者には医療支援などがあるが、死者は放っておかれているという批判のようです。この主張の根拠は不明です。例えば、東京大空襲や沖縄戦における一般人の死者たちも同様に、補償をもらっていないはずですが、原爆による死者がなぜ特別なのでしょうか?被団協には、原爆による死者が政府から補償をもらうべきだとする根拠を示してほしいと願います。90歳を超える老人が言ったことを咎めるのは、大人げないかもしれませんが、論理的に成立しないと考えられる主張は、誰が言ったとしても、その根拠を正すべきだと思います。この主張は、団体の出発点からのものらしいですが、悪くとれば、被爆者は特別だという歪んだ特権意識のようにも聞こえるからです。団体に対する誤解のもとにもなりえます。被団協への授賞は、ノルウェー議会の選考委員会が、ロシアによる核兵器使用の威嚇に対して、その非を論じる生き証人にスポットライトを当てることで、強力な世論喚起の材料にできると考えたからでしょう。被爆者が日本政府に強く求めるべきことは、唯一かつ最後の被爆国として、核兵器禁止条約を批准することではないでしょうか?なお、同行した高校生たちの存在は、核廃絶に向けて、被爆者から思いを引き継ぐという意味で、未来への希望になります。授与者側も、未来への活動継続に期待しているのだと感じます。

 

高騰するマンション価格

 日経新聞によれば、東京都の新築マンション価格の平均が、年収の17.8倍に達したとのことです。これでは、とても普通の人には手が出ないでしょう。首都圏で見ても、13.1倍ですから、新築マンションの購入が難しくなっている状況が分かります。開発業者も、資金が潤沢な海外を含む富裕層を重視して物件開発を行う傾向にあるとのことです。住むためではなく、投資対象としての性格が強くなってきました。こうした傾向は危険なシグナルではないでしょうか?円安もあり、都内の高級マンションは割安だとして、海外からのマネーが集まることは、一概に悪いことだとは言えませんが、本来の住むための物件としての役割を超えて、価格が過度に高騰すれば、実需層は住宅難民になってしまいます。さらに、いずれは膨らんだバブルがはじけて、その後遺症に日本全体が苦しむことになります。政府として、新築マンションへの投資を基準を設けて抑制策を実行すべきではないでしょうか?

 

女性研究者のロールモデル

 高橋真理子「科学に魅せられて」(日本評論社)は、自然科学分野で初めて文化勲章を受章した女性科学者である太田朋子さんを含む28人の女性科学者へのインタビューを通じて、科学的業績の裏側にあった女性としての種々の赤裸々な体験を伝えようとするものです。著者は、朝日新聞科学部で長年活躍した科学ジャーナリストの草分けの一人です。著者によれば、猿橋勝子さんが1981年に創設した「猿橋賞」(50歳未満の自然科学分野の女性研究者を顕彰)の存在が、女性科学者にとって大きかったとのことです。第1回の受賞者は、太田朋子さんでした。取り上げられた28人のうち、7人が歴代の受賞者です。受賞者には、猿橋効果が実感されており、受賞後は、科学者として活動がしやすくなったようです。ただ、著者は、女性研究者への学術界の差別をなくす動きが一般化したのは、2020年以降に過ぎないとも指摘しています。そう考えると、女性の活躍促進に関して、何と遅れた国なのでしょうか?アメリカでは、1980年代、欧州では、1990年代から、女性科学者を増やす政策が始まっています。未だに我が国で理系に女性が進まない傾向があるのも、人生の選択として無理からぬところがあります。もう一つ、著者による興味深い指摘は、学術界の男女平等は、家事分担における意識革命があって初めて実現したという点です。優れた業績を上げた女性科学者のパートナーの多くは、家事育児をきちんと分担しています。逆に言えば、家事育児を女性の役割だと決めつけるような男性は、パートナーにはできないのです。こうした意識革命を著者は、非常に大きな社会の変化で、女性科学者の未来を明るいものにしていると感じています。この作品は、女性研究者が自らの人生について語っている得難い記録であり、ロールモデルとしての彼女らに続く若い世代に対する、とても為になる助言になると思います。

 

2024年12月12日 (木)

なほ顔にくげならん人は心憂し

恥の上塗り

 元大阪地検検事正が準強制性交罪で起訴された事件の裁判で、被告側は、一旦起訴内容を認めておきながら、次回からは一転して無罪の主張をする方針に転換したようです。相手は抗おうと思えばできたはずで、同意があったと認識していたという苦しい言い訳を持ち出そうとしています。常識ある弁護士なら、こういう弁護は引き受けたくないでしょう。弁護士稼業も宮仕え以上に、心理的に負担が大きい辛い仕事もしなければならない時があるということでしょうか?セカンドレイプという言葉がありますが、元検事正は、保身のためでしょうが、被害者の苦しみなどどうでもいいということなのでしょう。かりにも秋霜烈日を使命とする検事としてキャリアを積んできた人間がすることとは思えません。見苦しい恥の上塗りをすることは、検察組織全体に、さらに迷惑をかけることになるとも想像できないのでしょうか?世間の目は、問題を起こした人間が1人存在するだけで、組織全体を判断してしまいます。この事件で、検察への信頼度がかなり低下したことは否めないと思います。

 

内乱罪

 韓国では、大統領による戒厳令が、内乱に当たると判断されているようです。しかし、考えてみれば、大統領から権力を奪うのであれば内乱ですが、権力を持っている大統領自身が、内乱を起こすというのは、語義矛盾のような気もします。国会の機能をマヒさせるような政治家の拘束を命じたために、内乱ということになるのかもしれませんが、世界でしばしば起こる内乱=クーデターとは様相が異なります。大統領に戒厳令を発する権限がないなら別ですが、後に裁判によって権限行使が不適とされれば内乱になるというのなら、実質的に権限の行使は難しくなります。民主的に選挙で選ばれた議会を、軍を動員して抑え込むという手法は、悪手、禁じ手だと思いますが、今、韓国で起きている労働組合を支持母体とする野党が主導権を握ろうとしている流れは、まさに北朝鮮の思うツボであり、戒厳令の根拠として提示されていた懸念が現実化しているようにも感じます。内乱という用語は、自分の敵方が内乱を画策しているのだと主張するときに、便利なものとも言えます。また、内乱だとすれば、参加した兵士らも処罰対象になるはずです。彼らは、自分たちの行動は、正当な命令の執行であり、内乱を引き起こしているとは思わなかったでしょう。総合的に考えれば、今回のケースでは、内乱というよりも、権限の著しい濫用といった方が、座りが良いのではないでしょうか?国際政治学者の方々に、学術的な観点から解説を願いたいところです。

 

12月文楽公演

 江東区文化センターで開催された国立劇場主催の文楽公演(第2部)を鑑賞してきました。演目は、一谷嫩軍記(熊谷桜の段、熊谷陣屋の段)、壇浦兜軍記(阿古屋琴責の段)です。一谷の方は、平家物語で有名な熊谷次郎直実の逸話がもとになっています。若い平敦盛を討った後、思うところあって出家したという話を、文楽では、殺された敦盛が実は・・・と捻っています。見どころは、吉田和生さんによる熊谷の妻相模の心情表現です。次々起こる新しい事態に動揺を見せながらも、最悪の悲劇に直面しても耐え忍ぶ姿は、武士の妻としての覚悟が伺われます。身代わりに我が子を殺めるという筋は、文楽では、よく出てきますが、忠義によって人情が抑圧される社会へのやるせなさに、江戸時代の観客が共感したものでしょう。。壇浦の方は、桐竹勘十郎さんによる傾城阿古屋の琴、三味線、胡弓の演奏場面が見どころです。演奏に乱れがあれば嘘をついていることになるので、これらの演奏は、それぞれ、水責め、天秤責め、矢柄責めに当たる「拷問」だと説明されます。この人形は、左手が演奏の動きをするので特殊です。しかも、傾城なので、頭が重く、遣うのには体力を消耗するでしょう。平家の残党である景清への深い思いを吐露しつつ、心の動揺を抑えて琴責めを乗り切った阿古屋の健気さ、気丈さが、観客の心に響きます。また、演奏に乱れなし、ゆえに景清の行方を阿古屋は知らぬと評価を下した重忠の器量にも、天晴だと拍手が送られたと感じます。阿古屋の装束は、非常に豪華で一見の価値ありと思います。なお、今回の会場は、区立の実用的な文化ホールに過ぎず、雰囲気としては、人間国宝の方々が公演を行うような場ではないと感じました。新しい国立劇場の杮落としまで、10年くらいは今の状態が続くのでしょうか?演者の方々には、とても耐えがたい状況だと同情します。東京での公演は、毎回場所が変わるようで、地方巡業をしているような感じになります。こうした感想を持っているのは、私だけではありません。伝統芸能を愛する人たちを納得させるために、文化庁は、事態の早期収拾に全力を注がないといけません。文化庁を名指しで批判する声が、観客の方々の会話から聞こえてきます。

 

2024年12月11日 (水)

女は己をよろこぶもののために顔づくりす

大石静さん

 大河ドラマ「光る君へ」が最終盤を迎えています。基本的には、女性の人生がテーマになっています。決められたレールの上を走るだけでは、本当の自分を生きられません。それゆえ、自由に生きなさいというのが脚本家からのメッセージです。主人公は、道長からの依頼を受けて、中宮のサロンに天皇を引き入れるために、中宮の家庭教師的な女御になり、源氏物語という歴史に残る文学を完成させます。教養豊かなキャリアウーマンとして、申し分のない立派な実績です。しかし、ドラマの終盤では、主人公は、自分が選んだ人生に悔いを感じています。別の選択、別の人生があったのではないかと悩みます。だから、一人娘には、やりたいことをやりたいようにやりなさいと強く助言するのです。日本という国では、まだまだ女性の社会的な活躍の場が限られています。男女共同参画という面では、本当に遅れた国なのです。心の中の障害が越えられない日本人が多いということです。キャリアの成功と引き換えに結婚・家庭生活や別のキャリアの可能性を犠牲にした紫式部に、現代のキャリアウーマンの苦悩を重ねている作品なのです。また、もう一つ、望月の歌を詠むほどの権力者となった道長の成功と挫折も、大きなテーマになっています。彼が目指した民衆のための政治は、「刀伊の入寇」を巡っての上級貴族たちの退廃ぶりが示すように、道半ばで頓挫しました。彼自身の限界もあります。朝廷は武力を持つべきではないという日本国憲法のような考えにとらわれていた道長は、国外からの侵略には、ほとんど無力でした。民衆の身体財産の安全さえ守れないなら、朝廷の存在価値は無に等しいものになります。大宰府を中心とする武士の集団が、外敵を押し返して一件落着しますが、貴族から武士へと政治権力が移行する兆しが描かれていました。このエピソードは、平和ボケした日本の在り方と重なって見えます。以上、二つの大きなテーマを私たちに提起した大石さんの企みは、この作品の成功を導きました。売り物の戦闘シーンがないため、宮廷の権力闘争だけでは見せ場が難しいと感じていましたが、当初の期待以上の大河ドラマになったと高く評価します。

 

教師失格

 練馬区立中学校の元校長に対して、過去の女子生徒への性的暴行傷害の罪により、懲役9年の判決が東京地裁でありました。別の生徒のわいせつ画像も保存していたとのことです。教師と生徒の関係を利用して、卑劣な行為を繰り返していたようです。時効を主張したり、相手側の同意があったなどと、見苦しい言い訳をしていたのは、教師というよりも、人間として失格だとも言えます。国民として信じられないのは、なぜ、こういう人間が教師の仮面をかぶり続けて、校長にまでなったのかということです。教育委員会という教員主体の組織への不信感が募ります。教え子を毒牙にかけるような教師の存在を撲滅しない限り、公立の学校への信頼は戻ってこないでしょう。教育委員会の内部では庇い合いの力学が働きかねないので、独立した監査体制を首長部局に作って、都道府県内の公立学校の教員に対して、保護者や生徒からの「告発」を受理して、調査し処分する権限を持たせるべきだと思います。要は、長年にわたり、性的暴行を繰り返すことができた土壌を一掃しなければ、この事件のような被害者が、これからも出てしまうということです。

 

GIGAスクールの現在地

 文科省等が推進している構想ですが、実施状況や成果に関する正式な報告がないために、投資した公的資金が、現場でどのような効果を生んでいるのか、解決すべき課題と対策は何かというような点については、よく分かりません。早く、こうした情報を国民にフィードバックする必要があると思います。古壕典洋、牛島純編著「ICT教育の現実と未来」(彩流社)は、現場の教員からの報告を取りまとめて、私のような問題意識に応えようとしている著作です。興味深い点を幾つか紹介します。小学校では、第1に、効果の二面性がある⇒主体性を引き出す反面、学習への集中力を削ぐという問題があります。教員は、教室内の格差が増幅することを懸念しています。端末を巡るトラブルについて学校の責任がどこまでなのか曖昧である⇒不適切な使用についてすべてを管理できないというのです。加えて、学びのための余白の不在⇒教員の負担が一層増えていると重荷に感じているのです。第2に、理想を現実のズレがあるとも指摘しています。教育格差への付き合い方、学校の役割の見直しについて、教員には戸惑いがあるようです。また、自分たちが得意としてきた旧来のやり方を崩してまでやるべきなのかという教育内容の優先順位付けにも疑問を持っていることが分かります。中学校では、解決すべき課題として、教員が多忙で研修機会が十分に作れない、生徒の自分で考える力が低下してしまう、生徒がルールやマナーを守れないという点を挙げています。また、未来への展望として、一斉授業から個別学習へと学校教育のスタイルが変化していくのではないかとしています。当然、教員の役割の変化も起きるので、新しい教師像への順応という点にも不安があるようです。政策を推進している側が意図したものではないでしょうが、GIGAスクール構想の実施によって、教育格差が助長されるとともに、働き方改革の一環で学校の機能が民間教育機関などに取って代わられることで、公教育の変質が促進されることへの懸念が、現場には強くあると感じます。

 

2024年12月10日 (火)

をのこは、また、随身こそあめれ

J1最終節

 神戸が湘南にホームで完勝して、連覇を自力で決めました。2位の広島、3位の町田は、ともに敵地で敗れました。優勝争いが佳境になってきて、神戸の勝負強さが際立ったと感じます。これで、天皇杯との2冠となり、現時点では、ヴィッセル神戸が日本一のサッカーチームであると言って差し支えないと思います。ACLや天皇杯の試合も加わって、過密日程の中で、リーグ連覇を達成したのは、大迫選手らの代表経験がある者と若手中堅の選手との差が解消してきている、いわゆる全体の底上げができたためだと感じます。特に攻撃的な守備で相手からボールを奪う組織的な連動が見事でした。湘南戦でもその成果はいかんなく発揮されました。来年はACLでの優勝を狙ってほしいと思います。広島、町田は、それぞれよく健闘したと思います。優勝のチャンスがありましたが、今季終盤での敗戦が痛かったと思います。神戸は、前節の柏戦でも敗色濃厚な状況で、最終盤で同点に追いつくなど、優勝への強い執念がありました。期待を裏切ったチームは、鹿島、横浜FM、浦和、川崎でしょう。鹿島は指導体制が安定せず、横浜FMは守備の脆さがあり、浦和は攻守の軸が定まらず、川崎は新旧交代期ということで、来季の巻き返しを見守りたいと思います。これらの実績あるチームの低迷の間隙を突いて、町田や東京Vのような若い選手が主力のチームが躍進したシーズンでした。J2に降格する3チームのうち、使える予算が少ない鳥栖は、シーズン終盤には盛り返してきた印象で、来季へ期待が持てると思います。基本的には、守備を安定させないと長いシーズンで好成績を上げることは難しいので、神戸のようなスタイルに学んで、1シーズンでJ2から這い上がってほしいと思います。

 

シリアのアサド政権の崩壊

 アサド大統領がロシアに亡命して、独裁政権が崩壊しました。長引く紛争で、国内外に避難していた何百万人という国民がもとの住家に戻れるならば、内戦の終結は望ましいことです。ただ、これでシリアの民主化が進むという保障はなさそうです。軍事力でシリアを解放した勢力は、アルカイダ系で、また新しいイスラム過激派が支配する国家が誕生しただけなのかもしれません。一難去ってまた一難、シリアが政治的に安定した状態になるとは限りません。国内で、新たな宗教戦争が起きる恐れもあります。ロシアも、シリア内に基地を有しており、その拠点を維持しようとするでしょう。2010年代のアラブの春と言われた、独裁者が排除された後の民主化が、必ずしも機能しなかったことは、歴史が示すところです。その挫折で、今は、過激派組織が台頭する冬の時代になっています。シリアの新政権が、アメリカ、サウジ、トルコが支援する勢力によって構築されることが、気休めかもしれませんが、やや安心材料です。新政権の中身次第ではありますが、もともとは豊かだったシリアの新たな国づくりに、日本としても可能な限り協力すべきだと思います。

 

熊を愛する人たち

 秋田市のスーパーに入り込んで、捕獲・殺処分された熊について、「山に返せ」と地元自治体などに対して主張する人たちが、かなりの数いたようです。熊への愛護精神は尊重しますが、熊が山に止まって里に出ない保障がないので、殺すという判断は間違っていないと思います。山里の過疎化の影響もあり、人間と熊の生活空間が近くなり過ぎているために、山菜取りに山に入った人が襲われる、熊が街の方に餌を求めて出没するケースが増えています。狩猟をする人が少なくなり、熊の個体数が増えてきている面もあるのでしょう。生息域の外延が人間の生活空間に入り込んできているために、どうしても、こうした事件が起きるわけす。街の中に熊が来てしまうのは、決して偶然ではありません。こうした事件を減らすには、結局、熊の個体数を抑えるため一定数を捕獲せざるを得ないと思います。特に、街に出没した個体は再来を防ぐためにも駆除するしかありません。熊は犬や猫のように家庭で飼うわけにもいかないので、保護熊という概念はないのです。山里の住民たちの大半にとっては、熊は危険動物でしかありません。森の熊さんのような牧歌的な存在ではないのです。

 

2024年12月 9日 (月)

物もいはでも往ぬる者は

交通警察の仕事

 愛知県岡崎市で迷惑運転を繰り返す車について、地上波で報道があります。市内の道路で、相当多数の被害があるのですが、岡崎署は運転者を押さえるに至っていません。事故を誘発するような危険な運転をしていることが、車載カメラで捉えられているので、証拠には事欠かないはずですが、こういう迷惑な運転者を野放しにしているのは、実に不可解です。全国放送されているので、愛知県警でも十分認識しているはずですから、取り締まりの必要がないと考えているはずはありません。こういう運転者からは自動車免許を取り上げるしかないと思います。交通警察の動きが甘いと、事故が誘発されるでしょう。模倣犯も出てくるでしょう。公道で迷惑行為を繰り返す運転者には、容赦ない権力行使をするという当たり前のことを、きちんと実行してもらいたいと思います。地上波では、弁護士から、必ずしも、あおり運転に該当するとは言えないかもしれないとの解説もありました。まさかそんな気弱な見解で愛知県警が動かないとは思いませんが、早くしないと国民からの非難が愛知県警に向けられるのではないでしょうか?

 

ファジアーノ岡山

 来季からJ1に昇格します。J2の3位から6位までによるプレーオフの戦いは見事で、サッカーの実力としては、十分にJ1昇格に値すると感じます。懸念するのは、本拠地のスタジアムが陸上競技場でピッチとの距離があると同時に、その収容人数も最大で16500人と少ないことです。ゴール後方に両軍サポーターが陣取るというスタイルも取れません。運営会社では、25000人規模の専用スタジアムの建設を目指すとしていますが、来期には間に合いません。選手を始めコーチ・スタッフの方々には酷な言い方になりますが、J2でシーズン3位になったV・ファーレン長崎には、20027人収容の真新しい専用スタジアムがあるので、Jリーグの発展のためには、長崎が昇格した方が良かったのではないかと感じます。昇格を契機に岡山に専用スタジアム建設が進むのなら結構なことですが、ファジアーノ岡山のように、戦力は一流、施設は二流というようなチームは、なかなか厄介な存在です。運営会社の経営陣には特段の奮起を期待したいと思います。

 

硫黄島玉砕戦

 NHKの2006年放送の番組「硫黄島玉砕戦~生還者61年目の証言」が、池上彰さんの「時をかけるテレビ」という番組で再放送されていました。島の地形が変わるほどの大量の砲弾が撃ち込まれ、司令官の死で組織的な抵抗が不可能となり、実質的戦闘が終結した後の地獄がポイントです。投降することは許されず、死ぬ前に敵を1人でも多く殺せという命令に従って、壕の中に息をひそめているうちに、アメリカ軍が壕の入り口を封鎖して生き埋めとなり、極限の飢えと渇きに苦しみ、重傷で最期を覚悟した戦友が自決する際の手榴弾の爆風で空いた穴から這い出して、意識朦朧の状態で、アメリカ軍に捕獲されて生還したという証言には、兵隊を人間扱いしない軍の指導者たちの狂気と冷酷さを改めて感じざるを得ませんでした。今日、硫黄島は自衛隊の管理下にあり、気軽に行ける場所ではありません。しかし、約2万人の戦死者を出し、まだ1万人ほどの遺骨の収集が完了していないのです。何よりも、硫黄島の戦いについて、私自身、学校教育の中で教えられた記憶がないことが、極めて残念です。太平洋戦争の中で、アメリカ兵にも多大な犠牲が出た戦闘として、アメリカ側は、時系列で詳細な記録を残しています。捕虜からの証言とも照らし合わせて、戦闘の全貌を、貴重な軍事情報データとして、後世に伝えようとしているのです。教育もせず、記録も残さず、戦後の日本人は、硫黄島で戦死した先人たちに顔向けできるのでしょうか?実際には地獄だった硫黄島玉砕戦を美化して、沖縄戦や本土決戦への覚悟を喧伝した連中と、硫黄島の戦い自体をスルーしている戦後の日本人とは、ほとんど同罪ではないかと思います。組織的抵抗を終えた段階で、投降させておけば、壕に隠れていた数千人は助かったはずです。優れた指揮官として栗林中将を礼賛するだけでは、硫黄島で起こった悲劇の真実から目を背けていることになるでしょう。

 

2024年12月 8日 (日)

歯もなき女のくひて酸がりたる

ヘルパーさんへのハラスメント

 日経新聞によれば、福岡県の調査では、訪問ケアでハラスメントや暴力の被害にあったヘルパーさんが4割もあり、そのうち3分の1が仕事を辞めたいと思ったということです。暴言や威圧による精神的な暴力が76%と多いのですが、セクハラ被害も42%ほどあります。深刻な被害が起きてからでは、ヘルパーさん本人にはもちろん、事業者にとっても、取り返しがつきません。それでなくても、ヘルパーさんの確保は難しくなっているからです。安心して働いてもらうための防犯対策は必須ですし、そのための費用は自治体からも支援すべきでしょう。その上で、加害者(家族を含む)に対する介護サービスを停止するのが当然だと思います。場合によっては、警察の捜査が入ることにもなるでしょう。ハラスメント被害には泣き寝入りはしない、させないという社会的な意思を示すべきだと思います。さもなければ、健全なサービス利用者にも、ヘルパーさん不足による迷惑が掛かります。ハラスメントで介護サービス停止になるのは自業自得です。家族を含めて、ヘルパーさんの人格を尊重できないような人間には、介護サービスを受ける資格はありません。こういうことへの対応を甘くすることは、システム全体を崩壊させることに繋がります。

 

政府効率化の大風呂敷

 イーロン・マスクという人が、トランプ政権で、連邦政府のスリム化、効率化により、年間2兆ドルの歳出削減を実現するとして始動し始めました。アメリカのことですから、その結果を遠くから眺めていれば済む話ですが、似たような歳出削減の大風呂敷は、我が国の民主党政権でも、経験したことがあります。マスクさんは、政府による規制を廃止することで、関係部署及び職員を切り捨てるという手法を取ろうとしているようです。歳出削減は、国民からの支持を得るための、戦利品のようなものなのでしょう。その意味で、歳出削減自体が目的ではなさそうですが、日本では、財源捻出のために、事業仕分けという形で、予算カットが行われました。確かに、カットしても社会的な影響がない事業もありましたが、大半は、民主党の白馬の騎士たちが、狡賢い悪い官僚たちの企みを阻止して、世の中を正したというドラマづくりのために、犠牲になったと認識しています。マスクさんの率いる政府効率化省も、規制は悪だという乱暴な論理で、政府機関や職員を切り捨てることで、アメリカの歴史に禍根を残すことになりそうです。教育省などは、トランプ大統領も参戦したことがあるプロレス団体WWEの経営者(マクマホン夫人)がトップですから、消滅してしまうのかも知れません。

 

TikTokへの警戒

 アメリカでは、規制法について、連邦高裁で合憲との判断が下されました。規正法では、アメリカ人のデータが中国政府に奪われる安全保障上の懸念を根拠に、アメリカでの事業を中国資本から分離することを求めています。我が国では、こうした懸念がまだ薄いようですが、アメリカがその気で動いているので、政府として追随する必要があるかどうか検討すべきだと思います。欧州では、欧州委員会がTikTokへの監視を強化します。こちらは、ルーマニア大統領選挙に、このアプリを用いて、ロシアが選挙干渉をした疑いがあるためです。特定候補の宣伝が、アルゴリズムや有料広告で行われたことを、ルーマニア政府が明らかにしています。民主主義の危機への懸念です。我が国でも、ネットを活用した選挙活動(応援)によって、選挙結果に影響が出始めていますので、無関心ではいられません。TikTok問題については、関係府省が複数になるので、総合的に調査検討する場が必要だと思います。

 

2024年12月 7日 (土)

老いたるをとこの寝まどひたる

未来の天皇陛下の進学先

 秋篠宮悠仁親王殿下の進学先が、筑波大学になりそうだという報道がありました。推薦入学での受験をされたとのことです。どの大学を選択されても自由ですが、茨城県つくば市の筑波大学のキャンパスは、塀などで囲われておらず、外部の人も自由に入れるために、殿下の安全性の確保が非常に難しいという問題があります。付属高校は、まだ、キャンパスが狭いので、同じようにオープンな環境でも、警護官が常駐する警備室で校内をモニターできる体制を整えることで、何とか安全性を保つことができたのでしょう。そのくらいのことは、大学のキャンパスでもやるでしょうが、事があってから駆け付けるのでは、距離があるので遅すぎるということになりそうです。そうだとすれば、警護官が常に殿下に張り付くしか安全性の確保ができないと思います。そうした警護を好まれないとすれば、安全性の確保は危うくなります。警護は頭の痛い問題です。また、つくば市までの通学には時間を要するという問題もあります。その間の安全確保にも気を配らなければなりません。場合によっては、筑波大学の茗荷谷の小さなキャンパスの方で授業を受けられるような環境を整備するということも考えられますが、つくば市に通学しないとすれば、学生同士の交流が極めて限られることになります。もしも、ご本人が望まれるのならば、つくばキャンパスの最も新しい国際学生寮に入るという選択肢もあるでしょう。1つのユニットに数名が居住する形で、外国人を含む学友とともに暮らすという経験ができます。殿下のお考え次第ですが、筑波大学の学生生活を十分に堪能するには、お勧めです。筑波大学を受験されたということは、以上の事情は全て考慮の上だと思います。受け入れる側は特に安全性の確保については緊張するでしょうが、人間形成の上で重要な意味を持つ大学生活が、殿下にとって極めて楽しいものになることをお祈りします。

 

大相撲ロンドン公演

 来年秋のロンドン公演のPRのために、八角理事長と弟子の北の若関らが、ロンドンへ行きました。公演は5日間と短いものですが、大相撲という格闘技+芸能文化で、イギリスの人たちに日本の伝統を感じてもらう意義は大きいと思います。ただ、少し心配な面もあります。PRのための写真で、北の若関が、紋付き袴姿ではなく廻し姿で、ロンドンの街をバックにポーズを取っていることです。力士は、土俵では、廻し姿になりますが、街では、正装しているものです。彼らは、武士であり、野蛮人でも、単なる格闘家でもありません。街の中で、裸ということは、本来ありえないのです。人前で裸になることがないイギリス人に誤解されないか、懸念します。なお、公演時には、横綱が欠かせませんので、照ノ富士関に加えて、新しい横綱の誕生が強く望まれます。チャンスを迎えている琴櫻関、豊昇龍関には、初場所での好成績を強く期待します。ロンドン公演もチケットの争奪戦になりそうですが、国技館での初場所のチケットも、相当入手困難な状況になっています。お茶屋さん、旅行社などのエージェントが売れ行き好調と見て、かなりの数を押さえているものと推測します。

 

宅建士法定更新講習

 全日本不動産協会で、法定更新講習を受けました。オンラインでの受講も可能ですが、新しい宅建士証を即日受け取れるので、半蔵門に出向き、丸1日間の講習を受講しました。受講者の年齢幅は非常に広く、昭和10年代生まれの高齢の方も見受けられました。講習に用いるテキストは4分冊で、恐らく目を通すだけでも1週間ほどかかりそうですが、掻い摘んで重要な点だけを解説するスタイルでした。5年ごとの更新講習は、その間の法改正などのフォローアップには欠かせません。関係法令が多いために、知らなかったこともかなりありました。講習では、紛争事例に学ぶことに重点が置かれています。弁護士さんによる判例解説の中で特に興味を惹かれたのは、過去の重要事項説明ミスが不法行為とされれば損害賠償責任を負うこと、取引当事者の意思能力の確認が宅建業者の基本的義務とされたこと(同席する親族が主導して、権利者自身が迎合的に同意するに止まる場合は無効とされる可能性が大)、通常損耗の範囲を契約書に具体的に記しておかないと特約は無効とされること(消費者契約法の観点から借主負担は賃料の3か月分以内とすることが適当)です。税理士さんからの紛争事例の解説では、居住用財産を譲渡する場合に、夫妻で土地と建物を共有にすることにより、それぞれが3000万円の特別控除が使えるので、課税額が抑えられるが、建物を所有していない者は除外されてしまうこと(譲渡する前に建物も共有名義に改めるべき)、更地にして譲渡する場合は、取り壊し後1年以内に契約を締結しないと特例の適用がないこと(基本的に買い手が決まる前に建物の取り壊しを行うのは危険)です。正確な理解がないままに宅建業者が助言してしまうと、損害賠償責任を問われます。自分自身の居住用財産の譲渡でもよくよく注意したいものです。

 

2024年12月 6日 (金)

老いたる女の腹たかくてありく

デジタルアーキビストの国家資格化

 デジタルアーカイブ学会の主催するシンポジウム(オンライン)で、現場から見たデジタルアーキビスト像を巡って意見交換がありました。実務を担当している人の中には、組織においてデジタルアーカイブの価値への認識が低く、孤軍奮闘して体を壊すに至ったなどの悩みがあるとのことでした。また、公文書館の実務を行うアーキビスト、大学において科学技術データの収集保存を行う技術専門家、博物館・美術館などでデジタルアーカイブを管理運営する担当者など、様々な専門家との役割の区分及び養成課程の整理が必要だという指摘にはありました。デジタルアーカイブ学会では、人材養成の方向性に関して、中間まとめが発表されており、民間資格である正デジタルアーキビストをもとに、デジタル技術で多様なコンテンツを収集・保存・活用する基礎となる国家資格を検討することを提案しています。もちろん、国家資格の創設には、幾つものハードルがあります。その一つ一つをクリアしていくために、実現への課題の整理と実現までのロードマップを策定することが必要だと思います。主な課題として、担当府省をどこにするのか、資格の基本的性格及び試験制度をどうするか、国家資格化の必要性をどう説明するのかというような論点があります。現在の民間資格でも、企業の方の取得が増えて半数近くに上っています。望むらくは、不動産業界における宅建士のように、デジタル情報を扱う広範な組織に、この資格が認知されて、試験(筆記・実務)+更新講習によって、デジタルアーカイブの管理運営に当たる分厚い人材を確保するような流れを作りたいものです。

 

韓国大統領による非常戒厳

 宣布された戒厳令は、与党を含む国会の反対で頓挫し、早々に、解除されたました。宣布も解除も突然で、日本にいる私たちには、大統領がなぜこのような力による反対勢力への政治・言論弾圧に出たのか理解できません。少数与党の国会なので、野党ペースで予算や法案などの審議が進むのは避けられません。これも民意の表われですから、甘んじて受け入れるしかないはずです。気に入らぬと言っても、戒厳令とは極端過ぎるでしょう。今回の宣布・撤回によって、大統領の権威は地に落ちましたので、彼との連携で北朝鮮などへの外交・軍事的圧力を掛ける戦略が難しくなりました。韓国社会が政治的に分断状態にあることは理解していましたが、ここまでその溝が深く、対話による妥協という穏便な手法による解決が見込めなくなっているとは知りませんでした。外務省は兆候をつかんでいたのでしょうか?今後、大統領への弾劾、あるいは辞任ということになるのか、隣国の動乱には高い関心を持たざるを得ません。反日勢力が勢いを取り戻すのも困りますので、韓国国民には、現実主義的で安定した政権への支持を強く望みます。

 

研究大学の大学院拡充

 文科省が、研究力が高い国立大学について、学部の定員を削減して、大学院を拡充するという方針を示しました。恐らく、対象になりそうな大学は、よほど有利な条件でも示さない限り、この方針に従うことはなさそうです。そもそも文科省は、博士課程を拡充しましたが、博士に対する社会的需要を喚起することには失敗しています。博士課程に進学すると就職先を探すことに苦労するという笑えない状況があることは、広く知られています。それゆえに進学者が増えないのです。世界の中で珍しい低学歴社会が改まる兆しはありません。企業自身が、人材として可塑性が高い修士を好み、博士を積極的に雇用するつもりがないのです。東京大学さえも、博士課程の学生を確保することに難渋しているほどです。結果として、中国などからの留学生が博士課程に多数在籍することになります。要は、大学院を拡充しても、日本人の進学志望者が増える見込みはないのです。あるいは、無理に定員を埋めれば、学生の質を下げることになり、大学院の研究力はむしろ下がります。人材需要側の経済界からの要望があるならともかく、人材供給側が勝手に大学院を拡充する計画を作るのは、無謀だと感じます。社会的なニーズがある以上、研究大学における学部の定員を削減する必要はないと思います。学部を縮小すれば、大学院への進学者の確保はさらに困難になります。

 

2024年12月 5日 (木)

下衆の家に雪の降りたる

プラごみ条約案の先送り

 プサンでの条約案の政府間交渉は、成案を得るには至りませんでした。元となるプラスチックの生産段階からの規制、使い捨て製品の使用制限、途上国支援の仕組みなどでの厳しい対立があったためです。プラごみは食物連鎖を通じて、人体にも影響を及ぼす恐れがあり、世界全体で対処が必要だという認識は共有されているはずです。ただ、具体的な方策となると、国ごとに利害関係が異なり、条約案の成案を得るには、まだ道のりが遠いようです。日本も、この会合には参加したはずですが、国内ではほとんど報道がなされていませんでしたプラごみの危険性に関しては、認識が広まっているとは思いますが、国際条約への主体的な参画への意欲はまだまだでしょう。島国で領土は世界61位ですが、領海を含むEEZ(排他的経済水域)の総面積は、世界6位です。海洋国家として、海の健全性には無関心でいられないでしょう。簡単に対立が解消することはなさそうですが、外務省及び関係府省には、より積極的な参画を求めたいと思います。

 

緊縮予算と国債金利

 フランスのバルニエ内閣が国債金利の急上昇を踏まえて、歳出を抑制する2025年予算案を作成したところ、緊縮に反対する野党によって内閣不信任決議を可決される危機に瀕しています。フランスは、EU主要国の中では、対GDP比6%もの財政赤字で突出しています。放漫財政を続ければ、格付けが下がって国債が売られる、緊縮予算を組めば政権基盤の弱さから不信任を突きつけられるという板挟みの状況なのです。内閣不信任となれば、議会の賛成が得られる別の人物を首相に据えることになりますが、議会で過半数を確保していないマクロン政権にとっては、極めて頭の痛い状況になるでしょう。日本人にとっては、単にフランスの国内問題と受け取られがちですが、日本でも、今のような財政規律の緩みが続いて行けば、同じような政治の不安定さに苦しむ時代が来るのではないでしょうか?単年度の赤字国債の対GDP比については、フランスと似通った状況ですが、債務残高に関しては、フランスの111.8%に対して、日本は257.2%と大きく上回っています。それでなくても、金利のある世界は必至ですから、必然的に、財政赤字を抑制することは一層難しくなります。フランスで起きていることを、他山の石とすべきでしょう。財政赤字は、明らかに日本のアキレス腱です。特に将来世代への足かせです。私のような60代の人間は、破綻しないうちに命を終える方が幸福でしょう。

 

輪島塗の危機

 岩波書店の雑誌「図書」12月号に、眞木啓子さんという工芸店の方の「能登・輪島を想う」というエッセイが掲載されています。「輪島の主要な産業である漆器は、まるで止まっています。」と記されています。塗師屋の50~70%は辞める方向に向かっているというのは、忌々しき事態です。地震+水害で、完膚なきまでにやられて、茫然としているのです。そして、天災からの復興は、公の仕事だと主張しています。確かに、輪島塗の文化が存亡の危機にあることは明らかで、産業復興の成否は、地元石川県の肩にかかっています。能登大地震からの再生は、和倉温泉と輪島塗が輝きを取り戻さなければ、成功には至らないでしょう。復興へのロードマップを早く示してほしいものです。人が散ってしまえば、復興は不可能です。

 

2024年12月 4日 (水)

汗の香すこしかかへたる綿衣のうすきを

AIを信頼できるか?

 2022年の出版ですが、大沢、川添、三宅、山本、吉川「私たちはAIを信頼できるか」(文藝春秋)という作品は、社会学、言語学、AI研究の専門家らによる論考と座談によって、AIと人間社会の未来について考えるヒントを提供しています。座談では、「AIは神になれるか」という興味深い設問が立てられています。確かに、AIの結論を頼りに、人間が行動するのであれば、神と人の関係に近くなります。著者の一人によれば、現時点では、機械装置による予測と意思決定を信じるのは、とても難しいという結論のようです。ただ、何世代か後には、そうした可能性も出てくるのではないかとも述べています。例えば、将棋の場合は、AIによる評価値を使って、研究を進めることが常態化しているので、AI=最強=神に近い状況です。AIのように指すことが棋士としての成功になっていますが、その路線に抗って、研究が進めにくい局面に持ち込んで勝負する方向に賭けている棋士も出てきています。将棋は極端な状況ですが、社会全体としては、AIへの信頼は、さほど高くはないと感じます。生成AIでも、明らかな間違いもあり、曖昧な答えしか得られないことが多いからです。要約も便利な機能でしょうが、自分で考えなくなれば、人間の方が退化します。

 

国立大学の授業料

 東大が値上げに踏み切りましたが、地方の国立大学では、自主的な改定には及び腰の大学も少なくないようです。そこで、国が定める標準額のアップを求める声もあります。本来、国立大学法人への運営費交付金は、収支差を埋めるという意味がありましたが、最早、そうした「保障」も消えてしまったようです。人事院勧告に準拠した人件費の増額さえも、財源不足で実施の目途が立たない状況に陥っていく大学が増えています。今年は何とかできても、来年は難しいなどという声も聞こえてきます。もともと、国立大学の教職員の給与は国際的に比較すれば安いのですが、国家公務員並みの賃金改定さえも「贅沢」な事柄になっているのです。こうした状況を恥と思わないならば、国立の看板を下ろすべきではないでしょうか?財務省は、法人化した以上、人勧準拠を保障する気はありませんし、文科省もない袖は振れぬという感じで、基本的には自力で財務基盤を充実させてほしいというスタンスです。7月に有識者会議を設けて、国立大学法人の課題を整理し始めましたが、報告をまとめるのが2025年度末だというので、文科省高等教育局の常套手段である時間稼ぎに過ぎないようです。国立大学の授業料の値上げは、国が運営費交付金を増やさない限り、構造的に不可避です。法人化したからと言って、このことを大学のせいにするのはお門違いです。経団連が、選択と集中の行き過ぎにやっと気が付いて、運営費交付金及び科研費の増額を提言するようになったのは、暗闇の中に現れた一筋の光のように感じます。

 

中国人民の対日感情

 言論NPOが中国の団体と共同で行った世論調査によれば、中国人の対日印象は、2023年から23.8ポイント低下して、実に87.7%が「良くない」と回答したそうです。中国国内のSNSで流布されている情報(国家による統制あり)が、こうした結果に影響を与えていると分析されています。逆に、日本人の対中感情は、少し改善したとは言え、89%が「良くない」なので、お相子だとも言えます。こうした調査は、意味がないと言いませんが、何か大きな事件があったわけでもないのに、1年で24.8ポイントも変動するというのは、世論調査として不可思議です。中国人が日本との関係が重要だとする割合も、33.8ポイント急減して26.3%となるなど、変動が大きすぎると感じます。誰かが操作しているか、世論調査の回答者の属性が変化したのではないでしょうか?数字を真に受けると、一般の中国人への認識を誤る恐れがありそうです。

 

2024年12月 3日 (火)

さる心地に道心おこしてつきありくらんよ

敬遠されるマイナ保険証

 12月から、従来の健康保険証に代わって、所有している人(国民の約6割)はマイナ保険証の利用が義務付けられるものとばかり思っていましたが、従来の保険証も有効期限までは使えるのだと知りました。マイナ保険証がない人(約4割)には、資格確認書が届くということです。まだ少数ですが、マイナ保険証をやめる人もいるようです。ポイント付与でメリットは享受したので、もうマイナ保険証を保持する意味を見出せないからでしょう。私も、これまでは、あえて医療機関には健康保険証を持参していました。マイナカードを紛失すると面倒だからです。恒に財布に入れておくのは、財布ごと無くす(盗られる)危険が付きまといます。クレジットカードの停止・再発行手続きさえ、それぞれに原則本人が電話をかける必要があり、かなり面倒で気を使います。特に、紛失したマイナカードが悪用されないか不安があります。マイナ保険証が、利用者にとって具体的なメリットを生まないのであれば、これ以上の普及は望めそうもありません。また、資格確認証の発行の事務も相当な負担になるでしょう。そうまでしてマイナ保険証を推進する意味はあるのでしょうか?

 

自宅の被災認定

 能登半島地震から11か月が経ちますが、NHKの調査で、罹災証明書の発行手続きに必要な建物の被災認定作業において、再調査の申請が多数に上っていることが分かりました。対象市町村において、全体の28.7%もの再調査申請があるとのことです。被害が大きかった輪島市に至っては、42%を超えています。この再調査の実施が、自治体に大きな負担となっているのです。専門家が皆無の自治体もあり、一般の職員がマニュアル片手に1件1件調査を行うので、作業効率も上がりません。報道では、再調査の結果、一部損壊から半壊にグレードが上がったケースが紹介されていました。この認定結果は、受けられる支援の金額に直結しますので、少しでも可能性があれば、再調査を求めるのは人情でしょう。認定基準が複雑で、自治体の事務負担が過大になることは、本末転倒だと感じます。特に、罹災証明書の発行がこれほど遅延しているのは、被災者の方々を無用に苦しめる結果となっています。東京に暮らす人間には能登の事情は詳しく分かりませんが、再調査の作業を他県からの専門家の派遣によって、迅速化すべきだと思います。なお、判定基準の簡素化による作業効率アップも、併せて検討すべきでしょう。

 

中国は覇権国家となるか?

 玉木俊明「ユーラシア大陸興亡史」(平凡社)は、ユーラシア大陸の東西に位置する中国とヨーロッパの文明の発展の歴史の流れを分析して、近未来への潮流を把握しようとする作品です。第10章が、「中国は覇権を握るのか?」となっていることが象徴的です。結論としては、著者は、「アングロサクソンが築き上げた仕組みを利用し、自動的にコミッションが入る新しいシステムの構築に成功したとき、中国は覇権国家になる」としています。その関係で、著者が注目するのは、上海+香港の金融市場、中露のユーラシア連合(軍事+資源)、一帯一路政策(経済圏)です。未開発の土地がなくなり、先進国で人口減少が始まりつつある現在、近代世界システムは終焉に向かっているが、コミッション資本主義は継続するというのです。一帯一路の経済圏から巨額のコミッションを得られるようになれば、中国が世界経済の中心になる可能性が高いと見ています。以上のような大きな歴史的転換が起こるかどうかは、私には分かりません。かりに、そうした交代が起きるとすれば、軍事的な衝突が避けられないと思います。日本は巻き込まれるのは必至です。その場合、特に核兵器の使用への危機感を高める必要があると考えます。広島・長崎を最後にしたいという希望は日本人に共有されていますが、世界には、核兵器の悲惨さなど省みない独裁者もいるからです。

 

2024年12月 2日 (月)

鬼の生みたりければ

NHKの宙わたる教室

 原作は伊与原新さんと表記されていますが、原作にはないエピソードが追加されているために、定時制高校の科学部が、素晴らしい学会発表を行ってJAXAから連携の声がかかるという本筋とは関係がない部分が膨らんでいます。もはや、別の作品になったと言っても過言ではないでしょう。池井戸潤さんばりの弱者たちの大逆転というストーリーが好きだという人は、別物を見せられている感じがして、違和感を持つのではないでしょうか?脚本のアラを探すわけではありませんが、高校の校舎内に不良が乱入して大切な実験装置を破壊するという犯罪行為に対して、公立高校が警察への被害届も出さないのは、つじつまが合わないと思います。小説が映像化される場合に、原作の内容が変形されてしまうことは、珍しくありません。原作者としては、NHK版は、小説とは別物と割り切って考えているのでしょうが、読者が残念な思いをしていることについては、どんな風に考えているのか、知りたいと思います。マンガの実写化で、原作者がテレビ局による改変に苦悩した挙句、自ら命を絶つという悲劇があったことを想い起こしました。

 

存在が消えかけている文科省

 石破総理の施政方針演説の中で、教職員の働き方改革及び待遇改善については、簡単に言及がありましたが、その他の行政課題に関しては、具体的には触れられていません。不登校が急速に増加していること、国立大学が人件費の捻出に困難を抱えていることなど、教育に関する課題は、深刻さを増しているにも拘らずです。科学技術に関しては、重点分野を列挙していますが、そのための施策については、中身がありません。しかも、どちらかと言えば、国際競争に勝って金を稼ぐための技術開発に重きが置かれています。要は、石破内閣は、文科省の行政分野には無関心だということなのです。もともと安倍派の得意とする分野だったことも影響しているのかもしれません。所信表明では、石破総理の個性を前面に出そうとしているのだろうと受け止めますが、国民の望む政策との優先順位のズレが気になります。地方創生や防災対策は、詰まるところそれぞれの自治体が主体になる話です。結局、国は予算をばらまく以外にできることがないのではないでしょうか?また、防災庁を作っても、関係府省の調整以外に、何をどんな手段で実現するのかもよく分かりません。霞が関界隈で、文科省の存在が薄れているのは、既に明らかでしたが、いよいよ透明な存在になってきました。文科省の方々は、どんな思いなのでしょうか?

 

人生ゲームの転換

 子どもの時に、誰もが楽しんだロングセラーゲームですが、この度、お金から幸せへと、ゲームの目的の転換が行われました。高望みをしない若い世代の価値観に寄り添ったものでしょうか?人生の目的は、お金を蓄積することではなく、沢山の幸福を味わうことだという発想には共感できます。数多くの歌にもあるように、お金で愛や幸福を買えるわけではないのですが、お金が不足しているために、幸福度が下がることもあります。ゲームで、幸福を表す価値を得たり、失ったりするのは、幸福になるための手段をすべて抜きにしてしまうという問題がありそうです。また、誰にとっても、ある経験で同じように幸福が得られるという想定も、現実社会とは異なっています。幸福は人それぞれですから、修道院の中に至高の人生を見出す人もいれば、王侯貴族のような贅沢三昧の生活に憧れる人もいるでしょう。さらに、同じ労働をするにしても、その労働に価値を見出せば、その人の幸福度は増すのです。やらされるだけならば、苦役になります。推しの相手が引退すれば、幸福度は下がりますが、本当に、その相手のためになるならば、引退も歓迎すべきことに気づき、幸福を分かち合う気にもなれるはずです。ゲームはあくまでも、幸福を探求する人生の旅を単純化して、みなが同じ価値観で競争する構造に設えられていますから、各自、自分ならどうだと突っ込みながら楽しめば良いでしょう。

 

2024年12月 1日 (日)

削り氷にあまづら入れて

東京メトロとホームドア

 すべての地下鉄駅に設置済みかと思っていたら、清澄白河駅で人身事故があって、半蔵門線+田園都市線がストップして、家族の帰宅が1時間ほど遅くなりました。もちろん、車内は体力を消耗するほどの大混雑です。こうした事故は朝夕に多く、引き起こす人間は通勤客への迷惑を冥途の土産にしようと考えているものと推測します。予防するために、東京メトロには、すべての駅にホームドアの設置を急いでほしいと願います。通行人がいる歩道へビルから飛び降りるのも、孤独な旅立ちを回避するため、道連れを作るためでしょう。他人に迷惑のかからない別の方法は、幾らでもあります。鉄道の人身事故による経済的な損失を、ホームドアで予防できるのなら、社会的には安い投資です。他方で、列車に飛び込むという手段が、どれほどの迷惑になるのか、どれほど無残な死に様なのか、地獄行き確定の保証を付して、HPで説明したらどうでしょうか?

 

外交音痴の治し方

 石破外交の始めの一歩は、かなり悲惨な結果でした。成果ゼロだったとは言いませんが、外交の基礎になる社交の部分がほぼ欠けている総理には、これからも外交が重荷になるでしょう。マルチの場では、新規に参加した者は、会議の前に、自己紹介がてら、会議室を一回りするのが当たり前ですが、席に座ったままで自分から動こうとしていなかったのには、驚きました。こうしたことを、外務省のせいにするのは、酷です。子どもではないので、そんなことまで面倒見られません。総理の外交音痴を直すために、指南役を付けることを強くお勧めします。少なくとも、どんな場では、どんな行動が適切で、何がまずいのか、マナーの基本を理解して、実践的な練習もしておくと良いでしょう。身なりの点も、スタイリストを付けて、整えるべきだと感じます。見てくれが昭和の町会議員のようでは、相手に侮られても仕方がありません。また、基盤となる社交性を上げるための努力も必要です。外国語(英語)についても、適切な教師について、品格のある言葉遣いを特訓した方が良いと思います。私のイメージは、オードリー・ヘップバーンが主演したマイ・フェア・レディにおける貴婦人の作り方を真似て、総理に実践するということです。相当頑張らないと、外交音痴は解消できません。慣れれば自然にできるようになるので、自信も付きますから、今からでも学んでおいて損はありません。

 

宮城野部屋を復活せよ

 何よりも、宮城野部屋から伊勢ケ浜部屋に吸収された力士たちが気の毒です。かなり多数が辞めて行きました。部屋があったら、角界に残っていたはずです。旧宮城野部屋の期待の力士たちの成績も上がっていません。伊勢ケ浜と宮城野では、親方+力士の集団の性格も、かなり違います。熱心な相撲ファンは、贔屓の部屋の千秋楽パーティを楽しみにしていますが、伊勢ケ浜集団は、親方の性格が影響しているためか、総じてファンサービスの心づかいに欠けています。親方が根暗なのは、NHKでの解説を聴いていても良く分かります。他方で、宮城野集団は、親方が先頭に立って、ファンサービスに熱心です。力士もそれに倣って行動しています。宮城野親方の技術解説はピカ一でしたので、NHKは初場所の解説席に迎えてほしいと思います。宮城野部屋の閉鎖は、相撲協会内の権力争いが背景にあっての、不公平かつ不合理な措置だったので、早く元に戻すべきです。力士志願者が減る中で、横綱白鵬、宮城野親方は、少年力士の養成に力を注いできました。今の協会幹部たちの中で、そうしたことを実践してきた人がいるでしょうか?もちろん宮城野親方も完璧な人間ではありませんが、大相撲の将来に役に立つ人間の力を削ぐことばかりに執心しているのは、大局を見ない愚か者としか言えません。一日も早く、宮城野部屋を復活させるべきです。恐らく、伊勢ケ浜部屋のパーティ参加者の多数が、ファンサービスの良い宮城野部屋のパーティに参加することになると思います。

 

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