鬼の生みたりければ
NHKの宙わたる教室
原作は伊与原新さんと表記されていますが、原作にはないエピソードが追加されているために、定時制高校の科学部が、素晴らしい学会発表を行ってJAXAから連携の声がかかるという本筋とは関係がない部分が膨らんでいます。もはや、別の作品になったと言っても過言ではないでしょう。池井戸潤さんばりの弱者たちの大逆転というストーリーが好きだという人は、別物を見せられている感じがして、違和感を持つのではないでしょうか?脚本のアラを探すわけではありませんが、高校の校舎内に不良が乱入して大切な実験装置を破壊するという犯罪行為に対して、公立高校が警察への被害届も出さないのは、つじつまが合わないと思います。小説が映像化される場合に、原作の内容が変形されてしまうことは、珍しくありません。原作者としては、NHK版は、小説とは別物と割り切って考えているのでしょうが、読者が残念な思いをしていることについては、どんな風に考えているのか、知りたいと思います。マンガの実写化で、原作者がテレビ局による改変に苦悩した挙句、自ら命を絶つという悲劇があったことを想い起こしました。
存在が消えかけている文科省
石破総理の施政方針演説の中で、教職員の働き方改革及び待遇改善については、簡単に言及がありましたが、その他の行政課題に関しては、具体的には触れられていません。不登校が急速に増加していること、国立大学が人件費の捻出に困難を抱えていることなど、教育に関する課題は、深刻さを増しているにも拘らずです。科学技術に関しては、重点分野を列挙していますが、そのための施策については、中身がありません。しかも、どちらかと言えば、国際競争に勝って金を稼ぐための技術開発に重きが置かれています。要は、石破内閣は、文科省の行政分野には無関心だということなのです。もともと安倍派の得意とする分野だったことも影響しているのかもしれません。所信表明では、石破総理の個性を前面に出そうとしているのだろうと受け止めますが、国民の望む政策との優先順位のズレが気になります。地方創生や防災対策は、詰まるところそれぞれの自治体が主体になる話です。結局、国は予算をばらまく以外にできることがないのではないでしょうか?また、防災庁を作っても、関係府省の調整以外に、何をどんな手段で実現するのかもよく分かりません。霞が関界隈で、文科省の存在が薄れているのは、既に明らかでしたが、いよいよ透明な存在になってきました。文科省の方々は、どんな思いなのでしょうか?
人生ゲームの転換
子どもの時に、誰もが楽しんだロングセラーゲームですが、この度、お金から幸せへと、ゲームの目的の転換が行われました。高望みをしない若い世代の価値観に寄り添ったものでしょうか?人生の目的は、お金を蓄積することではなく、沢山の幸福を味わうことだという発想には共感できます。数多くの歌にもあるように、お金で愛や幸福を買えるわけではないのですが、お金が不足しているために、幸福度が下がることもあります。ゲームで、幸福を表す価値を得たり、失ったりするのは、幸福になるための手段をすべて抜きにしてしまうという問題がありそうです。また、誰にとっても、ある経験で同じように幸福が得られるという想定も、現実社会とは異なっています。幸福は人それぞれですから、修道院の中に至高の人生を見出す人もいれば、王侯貴族のような贅沢三昧の生活に憧れる人もいるでしょう。さらに、同じ労働をするにしても、その労働に価値を見出せば、その人の幸福度は増すのです。やらされるだけならば、苦役になります。推しの相手が引退すれば、幸福度は下がりますが、本当に、その相手のためになるならば、引退も歓迎すべきことに気づき、幸福を分かち合う気にもなれるはずです。ゲームはあくまでも、幸福を探求する人生の旅を単純化して、みなが同じ価値観で競争する構造に設えられていますから、各自、自分ならどうだと突っ込みながら楽しめば良いでしょう。
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