2024年12月23日 (月)

若き人、ちごどもなるは、肥えたるよし

江戸時代の私塾

 大場一央「戦う江戸思想」(ミネルヴァ書房)は、日本のかたち、今日の当り前を作ったのは江戸時代であるとして、政治や経済などの各分野がいかにつくられてきたのかを論じている作品です。著者は、幾つかの私立大学で非常勤講師をしている研究者ですが、こういう作品を世に出すほどの力量がある人が正規職に就いていない状況は、実に不可思議です。「はじめに」で、「物言わぬ良識人に本書を読んでもらえれば幸い」と述べていますが、恵まれない研究者人生への思いが込められているのかもしれません。ここでは、教育に関する記述の中で、私塾に焦点を当てたいと思います。私塾は、藩校と寺子屋の中間的存在です。藤樹書院(中江藤樹)、古義堂(伊藤仁斎)、護園塾(荻生徂徠)、懐徳堂(三宅石庵)、咸宜園(広瀬淡窓)、松下村塾(吉田松陰)など、1500もの私塾があったとされます。身分に拘わらず、誰でも学問に興味があれば参加できました。林家の私塾を昌平坂学問所という幕府の教育機関にしたのが、松平定信です。寛政異学の禁で、藩校を含めて朱子学を教育の中心にしたことから、折衷学の学派から反発が起こりました。主体的な学問という流れが起きたのは、皮肉なことに、定信の禁令がきっかけでした。著者は、折衷学の巨魁として、細井平洲(上杉鷹山の師匠)と広瀬淡窓を取り上げています。平洲は、「仁とは、自分のことは脇に置いて、人の事情をしみじみと想い、世話苦労をいとわないということである」としています。「己の責任で学問を組み立て、その正当性を仕事における成果で証明していく」人物で、市井の人々からも人望が厚かったとのことです。淡窓は、「天を敬いながら、理によって人生をより良くしようと努力した」人物です。咸宜園は、明治以降も存続して、4000人もの多彩な人材(高野長英、大村益次郎、清浦圭吾ら)を輩出しました。寄宿舎で共同生活しながら、学力に応じて1~9級のランクに分けられて、特に読書力を徹底的に鍛えられたようです。入門時は、学力・年齢・地位に関わらず、最下位から学問を始めます。今の我が国の大学は、学生様に対する甘いだけの教育サービス機関に堕しており、本当に学問を身に着けさせるなら、咸宜園をモデルに出直した方が良さそうに感じます。

 

高校無償化

 所得制限のない高校無償化は、維新が提案している施策ですが、少数与党が予算の成立などで維新の協力を得るためのコストとして検討するとのことです。約6000億円を必要とするとの見積もりですが、103万円の壁の引き上げで、国民民主党との協議が物別れに終わったことから、維新に乗り換えるという戦略のようです。本当に所得制限のない高校無償化という政策が、日本にとって意味のあるものなのか、例えば、少子化を食い止める切り札になるのか、疑問に感じます。また、無償化と言っても、高校に通わせたら、関連する費用の自己負担もあります。無償化という看板は、かなり怪しいものです。更に、所得制限がないという点では、経済的に余裕のある家庭にも、税金で援助するわけですから、もっと喫緊に支援の必要があるところに予算を重点化して回すべきだと誰でも考えるでしょう。高校生のうち私学が3割なので、本当に高校を無償化したいなら、すべて国公立高校にして、教育環境も全国一律にしたらどうでしょうか?私学を現状のままに維持するならば、学校単位の助成制度は廃止して、1人当たり定額の教育クーポンを全ての高校生に配布するというような施策が考えられます。高校無償化の6000億円の財源がすぐに出てくるわけでもなく、文科省の予算内で6000億円を捻出するのは不可能です。優先順位という意味では、コロナ禍後に急拡大している小中学校の不登校児童生徒への支援を先に考えるべきだとも思います。魚釣りのように、野党の好みの施策を採用すれば、教育予算全体のバランスが崩れます。少数与党の弊害が顕著に表れるのを見過ぎすわけにはいきません。

 

最もリアルな国際政治

 豊島晋作「教養としての国際政治」(KADOKAWA)は、WBSのキャスターが、豊富な海外経験を生かして、起こりうる戦争について、リアルに考えることを勧めている作品です。確かに、一般の日本人は、戦争は絶対にしてはいけないというだけで、実際に起きる可能性については目を背けがちです。核兵器についても、絶対反対というだけで、プーチンのような核による威嚇にどう対抗するのか、考えようともしません。著者は、思考停止状態を脱する必要を唱えているのです。日本にとって、大きな危機は台湾有事です。習近平政権は、台湾の武力統一を選択肢としているからです。彼らなりに、米軍が参戦する事態を想定して、潜水艦やミサイルといった戦力の強化を進めています。トランプ政権の再登場で、アメリカが中国の軍事行動を抑止できるかどうか、不透明さが増していると思います。実際に戦闘が始まれば、日本が巻き込まれるのは必至です。自衛隊は、先島諸島の領土や国民を守れるでしょうか?アメリカや日本は、犠牲を払っても、台湾の主権を守る用意があるのでしょうか?私たちは、日本国としての実利をどう考えればよいでしょうか?著者は、自分たちの正しさを世界に分かりやすく物語(ナラティブ)として力強く発信するべきだと述べています。特に、アメリカを、日本の安全のために寄り添わせることが重要だとしていますが、トランプ政権に対して、どんな論理(あるいは実利)を提示できるでしょうか?著者の指摘のように、イスラエルをモデルに考えるとすれば、再武装はもちろんのこと、核の先制使用も排除しない同盟国になるという選択肢が現実味を帯びてきます。安保ただ乗りでは、トランプさんでなくとも、アメリカには受け入れられそうにありません。なお、著者の気遣いは、謝辞に2ページにも及ぶWBSのスタッフの氏名の列記に表れています。漏れがないか、間違いがないか、慎重に確認したものと思われます。ご苦労様です。

 

2024年12月22日 (日)

若くよろしき男の、下衆女の名よび馴れていひたる

コメ不足の失政

 銘柄米は高騰したままですが、安いコメも争奪戦で、品薄だそうです。日経新聞に、「安いコメ消失、崩れる序列」という記事がありました。今夏は、小売店からコメが消えた時期があって、業務用に回るべきコメを供給がひっ迫した小売店が買いに出たという図式もあったようです。そのために、インバウンドで需要が膨らんだ飲食店も、高いコメを仕入れざるを得なくなっているとのことです。一般のコメとブランド米の価格差が縮小気味になっているのも、コメ不足という背景によるものです。農水省は、需給バランスの乱れは一過性だとしていますが、インバウンドという要素の軽視で、需要を見誤ったのではないでしょうか?また、農業人口の高齢化もあり、我が国の主食であるコメの生産力の減退についても、正しく見積もっているのか、疑問を持ちます。コメの価格が上がることを、むしろ歓迎しているのではないでしょうか?消費者の立場からは、農水省が単に怠慢なのか、実は黒幕なのか、判断がつきませんが、コメの価格高騰は、裏金問題以上の大きな政治的な黒星だと思います。

 

日本経済の衰退

 日経新聞に、1人当たりの名目GDPで、2022年に韓国に抜かれ、2024年には台湾に抜かれたという記事がありました。2030年代には、こうした逆転も予想されていたようですが、大幅な前倒しになりました。こうした結果は、大幅な円安の影響によるものですが、日本経済の衰退を象徴するものだと思います。2024年の実質成長率は、アジア太平洋地域でも唯一マイナスになるとのことです。特に、日本経済研究センターの試算によれば、20年代の労働生産性が韓国や台湾を大きく下回るとのことで、近い将来への展望が明るいものにはなりそうもありません。高齢人口の割合が大きいことも、韓国や台湾に抜かれる原因なのかも知れません。上記のようなデータを目にすると、人口減少で慢性的にマンパワー不足なのですから、定年を廃止して、働ける高齢者は生涯現役で労働生産に関わるような社会に構造改革すべきだと感じます。ただし、高齢者が従事できるのが、低賃金な単純労働の職種だけというのでは、話になりません。韓国や台湾の方が我が国よりも裕福になったというデータは、多くの日本人には衝撃的でしょう。新聞の片隅の記事でしたが、危機感を共有すべきです。

 

摂関政治の実相

 有富純也編「日本の古代とは何か」(光文社新書)は、最新研究によって解明されてきた奈良・平安時代の歴史に関して、解説する作品です。興味を持ったのは、「光る君へ」の背景になった藤原氏による摂関政治です。第2章は、「藤原氏は権力者だったのか?」というタイトルになっています。道長は、関白になったことはなく、摂政も1年だけです。内覧として20年を過ごし、右大臣、左大臣として太政官のトップに君臨していました。道長によって、藤原良房から続いてきた摂関政治が形骸化されたとも言えるのです。面白いのは、道長の時代は、文献史料に恵まれているため、政治的に充実しているように見えるだけかもしれないと記されていることです。ロバートの秋山さんが演じた実資の小右記を始め、複数の史料があるので、この時代だけ研究が進みやすいのです。摂関政治が行われた時期について、後期律令国家と見るのか、初期権門体制と見るのか、20年も論争があり、学説は定まっていないとのことです。摂政関白になる要件は、天皇の外戚、太政官のトップ、藤原氏のトップの3つであり、すべてを満たす人物がいなければ、次第に、天皇の外戚が重視されるようになりました。このため、道長たちも、娘を次々と入内させて、次の天皇になりうる子を生ませることに執着していたわけです。どうやら、摂関政治という表現も、将来、消える可能性もあるようです。日本史研究の分野としては、まだ未成熟の分野だそうですので、学校教育で習ったことが変わることもありうると心得ておきましょう。

 

2024年12月21日 (土)

殿上の名對面こそなほをかしけれ

日本の犯罪小説

 杉江松恋「日本の犯罪小説」には、いわゆるミステリ作家とは言えない小説家も取り上げらえています。例えば、水上勉、石原慎太郎ですが、他にも、阿佐田哲也の麻雀放浪記、池波正太郎の剣客商売のように、犯罪自体ではなく、博打や剣術に主題を置いているものも含まれています。取り上げられている作家は、大藪春彦から高村薫まで18人ですが、私に最も馴染みがあると感じるのは、宮部みゆきさんです。彼女は、代表作の「火車」「理由」「模倣犯」の三部作や、「ソロモンの偽証」などの犯罪小説だけでなく、時代小説の名手でもあります。江戸のホラー小説というべき「三島屋変調百物語」は、既に計9冊を数えており、私の数え間違いでなければ、累計37話に達しています。一つ一つが完成度が高い中編ですから、本当に、作家としての生産力が高い作家さんだと感じます。主な受賞歴を見ても、主要な文学賞を総なめにしており、後は、より広い文化への貢献を顕彰するようなもの、紫綬褒章、文化功労者、最後に、文化勲章をもらうくらいではないかと思います。まだ、60代前半なので、順番待ちという感じでしょうか?この方の優れた点は、配置された人間たちを自在に操ってストーリーを生み出す創造力と、流れるように読み進めることができる明晰な文章を紡ぐ圧倒的な国語力にあると感じます。いつか、三島屋シリーズが、文楽や歌舞伎にならないかと密かに期待しています。特に、文楽は、怪異ものを扱うのが得意ですから、幾つかの話を組み合わせて、おちか物、富次郎物を、それぞれ床本にできないでしょうか?

 

死体調査官

 バーバラ・ブッチャー「死体を話す」(河出書房新社)は、NYで死体調査官をしている著者が、日々の業務から抽出したエピソードを記した貴重な体験記です。中でも、一番衝撃的なのは、9.11直後からの遺体の身元確認作業の記述です。日本でこうした事件が起きることを望みませんが、一度の無数の犠牲者が出て、しかも、遺体の損傷が非常に激しいという事件でした。遺体を見慣れている者にとっても、精神的に過酷な体験でした。現場に行くための苦労(交通が閉鎖状態)、同僚の無事を確認したときの安堵感、遺体の登録・保管システムの構築、身元特定のタフな作業、大勢の支援者(専門性を持つボランティア)たちの受け入れ、変形した遺体の部位の選別、DNA検査、身元が判明した遺体の引き渡し、遺族からの情報収集と説明など、不眠不休状態で、精神的におかしくなる人が出てきます。憂鬱が蔓延して、自殺しようとする者さえ現れます。全員がイライラして、現場の雰囲気は最悪になっていきます。こうした状況の中で、慰安の時間が必要だとして、みなでナイトクルーズに行き、バーベキューをしたりします。この場面で、同僚のドクターから、重要な言葉が発せられています。「バーバラ、人生は続くんだよ。人間は、食べて、けんかして、愛して、セックスする。それが続くだけだ、パーテイをやってもいいんだよ、生きていていいんだ」9.11の過酷な現場にいた人たちから、学ぶとすれば、こうした経験のすべてです。著者によれば、消防士の遺体袋に、人間の心臓、車のキー、ペニスしか入っていなかった例もありました。バラバラの遺体、変形した部位を、何日も見せられれば、頭がおかしくなりそうです。死体調査官の仕事は、精神の安定が求められます。数千人のバラバラになった遺体を、遺族に届けるという膨大な作業は、想像がつきません。日本で同じことができるでしょうか・

 

生成AIと著作権法

 日本新聞協会は、内閣府に対して、現行法体系が生成AIビジネスに対応できないとして、著作権侵害に対する法整備を求めています。無秩序なデータ収集によって、収益機会が奪われているという主張です。現行法では、権利者に無断で、生成AIに学習させることが可能になっているために、取材から編集までの活動を経て制作したコンテンツの権利者に対する対価なしに、学習させたものをベースにして、新たに生み出した著作物で競合するビジネスが可能です。コンテンツの学習を無断でできる法制によって、ただ乗りを許すという方針には、生成AIの発展を促進するという政策意図があったでしょうが、やはり、コンテンツを生み出している著作権者の利益を損ねることへの配慮が欠けていたと感じます。世界でも、一方的にコンテンツを生成AIの学習という名目で吸い上げられる側の利益とのバランスを取る動きが始まっているので、出遅れることなく、法整備に関して検討すべきだと思います。

 

殿上の名對面こそなほをかしけれ

日本の犯罪小説

 杉江松恋「日本の犯罪小説」には、いわゆるミステリ作家とは言えない小説家も取り上げらえています。例えば、水上勉、石原慎太郎ですが、他にも、阿佐田哲也の麻雀放浪記、池波正太郎の剣客商売のように、犯罪自体ではなく、博打や剣術に主題を置いているものも含まれています。取り上げられている作家は、大藪春彦から高村薫まで18人ですが、私に最も馴染みがあると感じるのは、宮部みゆきさんです。彼女は、代表作の「火車」「理由」「模倣犯」の三部作や、「ソロモンの偽証」などの犯罪小説だけでなく、時代小説の名手でもあります。江戸のホラー小説というべき「三島屋変調百物語」は、既に計9冊を数えており、私の数え間違いでなければ、累計37話に達しています。一つ一つが完成度が高い中編ですから、本当に、作家としての生産力が高い作家さんだと感じます。主な受賞歴を見ても、主要な文学賞を総なめにしており、後は、より広い文化への貢献を顕彰するようなもの、紫綬褒章、文化功労者、最後に、文化勲章をもらうくらいではないかと思います。まだ、60代前半なので、順番待ちという感じでしょうか?この方の優れた点は、配置された人間たちを自在に操ってストーリーを生み出す創造力と、流れるように読み進めることができる明晰な文章を紡ぐ圧倒的な国語力にあると感じます。いつか、三島屋シリーズが、文楽や歌舞伎にならないかと密かに期待しています。特に、文楽は、怪異ものを扱うのが得意ですから、幾つかの話を組み合わせて、おちか物、富次郎物を、それぞれ床本にできないでしょうか?

 

死体調査官

 バーバラ・ブッチャー「死体を話す」(河出書房新社)は、NYで死体調査官をしている著者が、日々の業務から抽出したエピソードを記した貴重な体験記です。中でも、一番衝撃的なのは、9.11直後からの遺体の身元確認作業の記述です。日本でこうした事件が起きることを望みませんが、一度の無数の犠牲者が出て、しかも、遺体の損傷が非常に激しいという事件でした。遺体を見慣れている者にとっても、精神的に過酷な体験でした。現場に行くための苦労(交通が閉鎖状態)、同僚の無事を確認したときの安堵感、遺体の登録・保管システムの構築、身元特定のタフな作業、大勢の支援者(専門性を持つボランティア)たちの受け入れ、変形した遺体の部位の選別、DNA検査、身元が判明した遺体の引き渡し、遺族からの情報収集と説明など、不眠不休状態で、精神的におかしくなる人が出てきます。憂鬱が蔓延して、自殺しようとする者さえ現れます。全員がイライラして、現場の雰囲気は最悪になっていきます。こうした状況の中で、慰安の時間が必要だとして、みなでナイトクルーズに行き、バーベキューをしたりします。この場面で、同僚のドクターから、重要な言葉が発せられています。「バーバラ、人生は続くんだよ。人間は、食べて、けんかして、愛して、セックスする。それが続くだけだ、パーテイをやってもいいんだよ、生きていていいんだ」9.11の過酷な現場にいた人たちから、学ぶとすれば、こうした経験のすべてです。著者によれば、消防士の遺体袋に、人間の心臓、車のキー、ペニスしか入っていなかった例もありました。バラバラの遺体、変形した部位を、何日も見せられれば、頭がおかしくなりそうです。死体調査官の仕事は、精神の安定が求められます。数千人のバラバラになった遺体を、遺族に届けるという膨大な作業は、想像がつきません。日本で同じことができるでしょうか・

 

生成AIと著作権法

 日本新聞協会は、内閣府に対して、現行法体系が生成AIビジネスに対応できないとして、著作権侵害に対する法整備を求めています。無秩序なデータ収集によって、収益機会が奪われているという主張です。現行法では、権利者に無断で、生成AIに学習させることが可能になっているために、取材から編集までの活動を経て制作したコンテンツの権利者に対する対価なしに、学習させたものをベースにして、新たに生み出した著作物で競合するビジネスが可能です。コンテンツの学習を無断でできる法制によって、ただ乗りを許すという方針には、生成AIの発展を促進するという政策意図があったでしょうが、やはり、コンテンツを生み出している著作権者の利益を損ねることへの配慮が欠けていたと感じます。世界でも、一方的にコンテンツを生成AIの学習という名目で吸い上げられる側の利益とのバランスを取る動きが始まっているので、出遅れることなく、法整備に関して検討すべきだと思います。

 

2024年12月20日 (金)

牛飼は、おほきにて、髪あららかなるが

相続トラブル

 地主と家主1月号に、三重県の方の、9年に及ぶ遺産分割協議の体験記が掲載されていました。資産家の一族が、相続対策として、跡取りになるはずだった子が亡くなった後に孫を養子にしたこと、公正証書による遺言で、遺産の3分の2を孫に、6分の1ずつを子の兄弟に相続させるとされたことから、子の兄弟が遺留分侵害訴訟を提起したのです。体験記を書いたのは、その孫に当たる方ですが、一番辛かったこととして、遺産分割協議中の家賃収入は貯め込んでおく必要があり、必要な修繕などに充てることができなかったことだとしています。また、不動産鑑定士の選定でも双方が自分に有利な鑑定をしてもらおうと、非常に揉めたようです。最終的には、選任していた弁護士を交代させて、不動産の大半を相続することができたそうですが、精算金として合計2000万円の支払いをしたことに加えて、9年間に失ったものは大きかったと述べています。仲が良かった一族が感情的な対立状態に陥り、取り返しがつかないほど不仲になってしまったのは、本当に取り返しのつかないことでした。遺産を巡る紛争は、どのような決着になろうとも、親族間の絆を破壊してしまいます。被相続人が意思を明確にした公正証書遺言があるにも拘らず、不公平だとして遺留分侵害訴訟をするのはいかがなものかと思いますが、この制度自体を見直す必要もあるのではないでしょうか?被相続人の意思として、このバランスが適当だと判断している以上、民法がそれでは不公平だと介入する必要があるのでしょうか?この体験記を読んで、そういう思いを強くしました。

 

区分マンション投資

 最近は、営業の電話がかかってくることも少なくなった印象ですが、2021年6月に投資用のワンルームマンションを合計7戸購入して、2022年4月に一部を売却、さらに、2024年5月までに、かろうじて年間数万円の黒字になる1戸を残して、他の所有物件を売却したという苦い体験の紹介が、地主と家主1月号に出ていました。教訓は、節税になるというトークには乗るな、友人の紹介で安心してはダメ、投資は不動産の勉強をしてから、赤字ならすぐに売却するということです。1300万円ほどの損失に止めることができたのは、早い決断の結果でした。幸いだったのは、ほとんどの物件で、ローンの残債が、売却価格よりも少なかったことです。この方の場合、始めに、4戸(南関東2、東北1、東京1)、追加で3戸(東京新築2、中古1)をフルローンで、勧められるままに、4か月間で購入しています。さらに加えて、4戸の購入も勧められたと言います。手付を払った後に、相談した友人から、専門家(税理士)の助言を聴くべきだと言われて、漸く、危ない泥沼に入らされていることに気が付いたとのことです。資産形成を助けるという誘い文句は、飛んでもない甘い罠でした。そのまま進んでいれば、地獄のような深みに嵌るところでした。みなさん、不正直な不動産屋さんには、気を付けましょう。

 

次期エネルギー計画案

 2040年の計画では、再生可能エネルギーの比率を40~50%にするとされています。現状の2倍程度という目標ですが、達成するには、具体的にどのような行動、投資が求められるのか、、国民に詳しく知らせる必要があると思います。太陽光発電のメガソーラーのような基地を拡充するのは、かなり難しくなっていると感じます。空地に膨大な数のパネルが建設されている景観を見れば、残念な思いがするからです。吉野は全山が見渡す限りの桜が鑑賞できる名所ですが、例えば、地元の美しい里山が一面のパネルに覆われるような姿を想像するのは、誰もが嫌でしょう。洋上風力発電を進めることは重要でしょうが、強力な台風が来ても被害を免れるような強靭な施設ができるのか、好立地の設置場所が漁業者との調整を含めてどれほど得られるのか、現実のモデルとなる洋上の発電基地を見せてもらわないうちは、国民は半信半疑です。ペロブスカイト太陽光発電が普及することへの期待も高まりますが、コストや生産の面で、2040年までに、現実的に、どの程度まで普及が可能なのでしょうか?目標を達成するために、どのような課題があるのか、大切なことなので、説明が必要だと感じます。また、CO₂排出削減効果についても、次期エネルギー計画が未達に終わり、化石燃料に頼る状況が続けば、どんな問題が起きるのかも明確に示すべきでしょう。原発反対を叫んでいた人たちは、エネルギーは足りているなどと無責任なことを平気で口にしていましたが、単に化石燃料を消費して、CO₂を増やしただけでした。さらに、エネルギー源を輸入して国富を減らすだけという図式からも、可能な限り脱却すべきです。エネルギーの貿易収支の改善についても、国民への情報提供を求めたいところです。その意味でも、原子力を単に繋ぎだとするのは、現実的だと思えません。継子扱いしてれば、人材が枯渇して、本当にエネルギー源として維持できなくなるでしょう。本当に、そうしたいのでしょうか?そうすることが日本のためになるのでしょうか?

 

2024年12月19日 (木)

雑色・随身は、すこし痩せてほそやかなるぞよき

読売巨人軍の田中将大さん

 楽天から自由契約になった田中投手の来シーズンの所属先が決まったのは、大変喜ばしいことです。楽天における成績が下降していたことで、限界説を唱える人も少なくないようですが、NPBを盛り上げるためにも、ぜひマウンドでの勇姿を見せてほしいと願います。読売巨人軍は、あくまで戦力として期待するから契約したものと受け止めますが、田中将大選手のような球史に残るような選手には、燃え尽きるまで活躍の場を与えるべきだと思います。かりに2025年シーズンが最後になるにしても、本人として納得のいく有終の美を飾って欲しいのです。MLBを見ても、日本人は選手の年齢を気にしすぎていると感じます。田中選手には、栄養、トレーキング、コンディショニングの工夫によって、選手寿命を延ばすということにも、挑戦してほしいと願います。幼馴染の坂本選手とともに、できれば40歳までやるつもりで、最新の科学的な成果を踏まえて、取り組んだらいいでしょう。新天地での活躍を祈ります。

 

ペットと賃貸

 地主と家主1月号は、「ペット共生物件」がテーマです。私は、新築の賃貸物件で、始めから、ペット可として運用しています。そういう条件があったので、見目麗しい小型犬を飼われている方も入居しています。今やペットは立派な家族であり、春風亭一之輔師匠の家庭では、一之輔師匠よりも、飼い犬君が上位の地位を占めているほどです。賃貸物件において、登場している専門家は、犬か猫かに特化するという方法も勧めています。猫は、爪とぎをする、時々嘔吐する、網戸を開けて脱走する、トイレは見られたくない、キャットステップから安全確認をすることを好むという特徴に注意が必要とされます。複数のペットを可とする場合は、不妊・去勢手術を必須とするとも助言しています。ただ、賃貸物件では、1匹までが普通でしょう。こうした特集が組まれることからも、ペット可は次第に増えているので、共生物件が当たり前の時代が来ると思います。ペットを通じて夫婦の会話が弾む(それ以外は話題がない)という話はよく聞きます。また、単身者はペットが唯一の家族として心の支えになっているのだと思います。現代人は、ペットとの共生で、ストレスを緩和して、心の安定を保っているのではないでしょうか?

 

西山朋佳女流3冠の棋士編入試験第4局

 宮嶋健太4段との対戦は、西山女流が勝利して、最終局に女性初の棋士誕生への期待を繋げてくれました。西山女流の先手で、三間飛車から美濃囲いに組んで、角と飛車の交換に成功して、玉形の固さを生かして、柔軟な受けによって有利を築いていきました。宮嶋4段は、1筋からの突破を試みましたが、西山女流の7一歩、5八銀によって、横からの龍による攻めを封じられて、攻勢は不発に終わります。逆に、西山女流は、2六香から5一角成で、彼女らしい剛腕の切り返しを見せ、2四金のタダ捨てが決め手になりました。宮嶋4段にも、まだ粘る手順があるにはあったようですが、現実的に指せなかったのも仕方がありません。第2局は、体調不良で、第3局は、強敵との対戦で、連敗してしまいましたが、そこから立て直して、最終局に希望をつないだ西山女流の精神力は高く評価すべきだと思います。例えていうなら、西山朋佳さんは、「極道の妻たち」で主演を演じた岩下志麻姐さんのような存在です。棋士になれるかどうかは、確率50%でしょうが、自分を信じて集中してほしいと思います。恐らく、将棋ファンの大半が朋佳姐さんの勝利を祈っているので、相手の柵木4段もやりにくいでしょうね。歴史的な対局になるので、両者には、その重圧を楽しんでもらえばよいと感じます。柵木4段は、負けても誰も非難しないので、どうぞご安心ください。でも、勝った場合は、悪魔的なキャラとして記憶に残ることになるかも知れません。さて、来年1月、どんな決着が待っているでしょうか?「柵木はん、覚悟しいや!」

 

2024年12月18日 (水)

猫は、上のかぎりくろくて、腹いとしろき

「光る君へ」の終わり方

 道長の死とともに貴族社会の絶頂期が終わり、武士の時代への兆しが描かれて、主人公の「嵐が来るわ」というセリフで、長いドラマの幕が閉じられました。最終回は、脚本家からのメッセージ色が強い内容となりました。第1は、歴史に隠れている女性の果たした役割です。ドラマの中では、一族の栄華を支えるために、未来の天皇を生むための道具としての女性が描かれました。逆に、彰子のように一族の精神的な支柱にまでなった女性もいました。夫からの愛が得られず苦悩し続け、最後は、臨終の夫のために彼の心の女性である紫式部を敢えて迎え入れるという倫子のような器の大きな女性もいました。第2は、人の心を動かし、歴史を作る文学の力です。清少納言と紫式部の会話で、このテーマが語られます。また、和泉式部日記、栄花物語(赤染衛門)などの平安女流文学の有名人たちが、宮廷のサロンの雰囲気を作るという筋立てになっています。最終回には、源氏物語を熱く語る更級日記の作者(菅原孝標女)まで登場させています。要は、文学の勝利が宣言されているのです。第3に、人生における真の幸福とは何かという問題です。誰もが理想とする人生を歩めていません。望月の歌を詠んだ道長さえもです。ただ、臨終の床にいる道長に対して、紫式部が平和な世を築いた功績を褒めている姿は、阿弥陀如来の化身のようでした。その紫式部は、最終的に、自分が詠んだ和歌集を制作して娘に渡すことで、人生の一区切りをつけたようにも見えました。女御を退いて後、西は大宰府まで旅をし、東の方にも足を伸ばしていたのは、鎌倉時代の西行を想起させます。文学者としての人生を全うしようという意味がありそうです。実は道長がモデルになっていた光源氏の最期を描かなかった理由を、紫式部は道長に語りますが、かなり切ない愛の告白になっています。道長の死の場面には、倫子だけが登場するのにも、道長の幻を追い求めて心が乱れるという紫式部の思いが反映しているものと受け取りました。以上のように、様々なことを考えさせられる最終回でした。

 

猪苗代湖ボート事故

 仙台高裁で、逆転無罪の判決がありました。1人が死亡、1人が重傷を負った事故でしたが、ボートの運転者が、十分な見張りを行っていたとしても事故は避けられなかったと認定した結果です。遊泳禁止区域に、ライフジャケットを着て湖面に浮かんでいた被害者たちがいるという想定ができなかったことも判断の材料になったようです。遺族は、この判決に納得しないので、最高裁への上告がなされ、裁判が続くのではないかと思います。司法には、世の中の常識を十分踏まえた判断が求められると感じます。被害者家族は、リゾートによくあるバナナボートのような遊具に乗るために、順番待ちをしていたようですから、その付近の水際の湖面で遊んでいたものと考えられますが、偶々、そこが遊泳禁止区域だったとしても、重大な事故を起こした以上、運転者側の過失をみとめるのが、常識的な判断だと思います。水の上は、道路とは違いがあるようですが、横断禁止の道路を渡っていた人間を轢いても一切罪に問われないというようなことは考えられません。高裁の逆転判決ですから、このケースでは過失を問えないというよほどの事情があるのかもしれませんが、世間の常識から逸脱するような判断をすれば、司法への信頼は損なわれます。最高裁で再び有罪になったとしたら高裁が非難されますし、最高裁で無罪が確定すれば、日本の湖はモーターボートや水上バイクで轢き殺されても文句が言えない場所なので、遊泳は絶対にしない方が良いということになるでしょう。

 

奈良県の2.7億円

 若い世代の日韓文化交流イベントとして、2025年10月に奈良公園で、K-Popの無料コンサートを実施するために、補正予算に2.7億円が計上されたとのことです。これを聞いて、随分と財政に余裕のある県なのだと感じました。友好都市との交流であれば、中・高生の派遣・受け入れ、芸術文化・スポーツ交流などが考えられますが、そうした事業の予算であれば、10分の1の2700万円もあれば可能です。草の根的な文化交流によって、人間と人間の触れ合いが、友好関係を深めることになるので、そうした手法を取るわけです。商業的なイベントを県費で行うのは、コスパが悪い、筋が悪い、効果が薄いという問題があると思います。県議会で補正予算は可決されたので、あとは県民の方々の考え次第ですが、別のより良い金の使い方について、若い世代から提案を受け付けたらどうでしょうか?どうしてもK-Popコンサートをやりたいなら、有料化するしかないでしょう。補正予算が余るはずなので、差額をもっと有効な手作りの事業に使えばよいでしょう。

 

2024年12月17日 (火)

牛は、額はいとちひさく

公教育の崩壊

 鈴木大裕「崩壊する日本の公教育」(集英社新書)は、政治による教育の不当な支配の結果、公教育が崩壊寸前であると警鐘を鳴らしています。特に、新自由主義が教育現場を荒廃させていると厳しく批判しています。発表してきたエッセイを集約したものなので、全体は体系を為していませんので、気になる部分を読めばよいと思います。私は、教員の働き方改革に関する弊害に興味を持ちました。共感するのは、働き方改革の本質は、学習環境の向上であり、そのためには、児童生徒に対する教員の数を増やすことが肝要だとする点です。こうした当たり前のことが無視されて、教職調整額の増額の仕方という狭い施策に矮小化された議論がなされているのが、今の日本です。著者は、教員を、サービス労働者扱いするのは、本来の専門家としての尊厳を損い、あるべき裁量を奪ってしまうことに繋がると批判しています。最早ないものねだりかもしれませんが、確かに、教員には、教育者としての役割を十分に発揮できるよう、相棒の特命係のような自由度があってしかるべきでしょう。ただ、今や、個々の教員の質には、かなりの格差があります。当たりの先生は少数です。なってほしい人には避けられて、なるべきではない人が教員に採用されているケースが見られます。採用試験で合格させても、過半数が辞退するというのは、異常な事態です。子どもを学校に通わせた経験がある保護者には、経験上、教員や学校を信頼できない理由があるのです。悪い例が良い例を駆逐してしまって、今日の教員不信が根付いてしまったのではないでしょうか?多忙すぎる現場の負荷を軽くするために、学校の機能を外部に移すという方策も取られています。スポーツなどの部活動がその典型です。著者は、この点にも問題があるとしています。ただ、日本の学校が役割を抱え込み過ぎているのは事実です。何かを切り捨てないと、国が教員の数を増やそうとしない以上、現場はパンクするでしょう。最後に、教員の地位を向上させるモデルとして、著者が、フィンランドを挙げていることには、賛成です。公教育再生の一丁目一番地は、教員だからです。教員の社会的地位の向上以外に、望ましい解決策はありません。

 

昭和天皇拝謁記

 原武史「象徴天皇の実像」(岩波新書)には、昭和天皇拝謁記を読むというサブタイトルが付されています。目からウロコの内容が、幾つか含まれていて、刺激的でした。興味深い点を挙げてみます。第1に、昭和天皇は1948年ごろにキリスト教へ改宗を考えていたことがありました。神道的な儀式を行う天皇が改宗とは、まさに驚天動地です。また、忠君愛国自体は悪くないので、弊害ない程度に、教育勅語もあった方が良いとしています。世の中の変化についていけない様子が伺われます。第2に、共産主義に対する警戒感が非常に強く、北朝鮮の影響が濃い朝鮮人学校は潰した方が良いとしています。東大、京大に対しても、国費を使って左翼を生み出す教育をしていると嫌っています。天皇という地位が脅かされるという危機感があったためでしょう。第3に、2.26事件の際に、皇道派の青年将校たちが、自分を退位させて秩父宮を天皇に担ごうとしたという疑念を持っていました。自らの地位を脅かすことを画策した青年将校らへの嫌悪感は、非常に強いものでした。第4に、米軍が御所ではなく皇太后の住まいを空襲したことは、戦争継続を強く支持していた皇太后を意図して狙ったものだと考えていました。皇太后は、天照大御神の神話を現実だと信じていた人です。第5に、朝鮮併合は正しかったが、鴨緑江で止めておけば良かった(満州へ進出してからおかしくなった)としていることです。昭和天皇が、戦後も、朝鮮併合を正当だったとしていたのは驚きです。第6に、自分の母親(皇太后)との関係がぎくしゃくしていたことです。英国留学以降は、皇太后は、昭和天皇が祭祀をおろすかにするとして、否定的に見ていたのです。皇太后は、自身が神功皇后のように天皇になるか、秩父宮を即位させたかったようです。第7に、戦後、天皇の退位を巡って、高松宮との確執があったことも明らかにしています。昭和天皇は、一時、退位を考えましたが思い直し、退位を面と向かって勧めた高松宮を嫌悪したのです。第8に、戦後の鳩山、岸の公職追放解除については、強い疑問を投げかけています。特に、岸は主戦論者で責任が重いと非難しています。第9に、皇太子の進学先は、東大(南原総長)が嫌だから、学習院の方が良いとしています。南原の全面講和、天皇退位の主張に、皇太子が影響されることを嫌ったためです。ただ、学習院にも、清水幾太郎のような天皇制批判論者がいることは、非常に不満であったようです。第10に、靖国神社への参拝をしなかったのは、アメリカへの復讐を企む右翼の反米思想に利用されたくないという理由でした。戦死者やその遺族にとっては、道義的に理解できない考え方でしょう。最後に、著者は、昭和天皇の負の遺産について述べています。象徴としての在り方の省察、膨大な犠牲者を出した沖縄戦への反省、中国国民に与えた苦難への悲しみと戦争への反省などは、平成になって、新しい天皇と皇后によって、なされたものです。ただ、天皇による韓国訪問が未だに実現していません(状況が好転する見込みが更に薄くなっています)。昭和天皇の負の遺産は、令和にも引き継がれているのです。

 

経団連のFUTURE DESIGN 2040

 この秋にまとめられた経団連による政策提言集です。教育・研究分野に関しては、重点として、博士人材の育成、基礎研究の振興、大学の統廃合、留学生の増加、初中教育の抜本改革などが並んでいます。博士人材に関しては、企業による採用が進まないために、我が国では博士の価値が上がらないという問題があります。経団連が博士を増やせと言っても、基本的には、構造は変わらないと思います。基礎研究に関しては、科研費と運営費交付金を拡充せよと提言しているのは評価できます。資源の選択と集中を続けてきたために、大学における研究環境が劣化してしまったことに気が付いたようです。ただ、20年も続けてきた政策のどこに問題があったのかを明確に分析すべきです。選択と集中で狙いを定めて投じた予算が、思いのほか、成果を生んでいないという問題もあるのではないでしょうか?大学の統廃合に関しては、文科省のやる気次第でしょうが、機微な課題であり、実行を先送りして逃げてばかりいると感じます。海外に留学する日本人が少なくなっているという問題の根源は、留学適齢期の人口減少とともに、留学費用負担に関する家計の余力の低下、企業による派遣の減少という要因が複合しています。恐らく国費だけでは解決しません。初中教育に関しては、個の教育、飛び級、文理融合というキーワードが並んでいますが、教員不足、不登校などの本質的な課題への取り組みが優先されるべきでしょう。これらの経団連による提言を実現するには、文科省予算を相当拡充する必要があります。財務省の方針に鑑みれば容易なことではない状況で、正鵠を射ている正しい指摘もありますが、結局、全体として絵に描いた餅になってしまうのではないかと危惧します。

 

2024年12月16日 (月)

足四つ白きもいとをかし

シビル・ウォーアメリカ最後の日

 アメリカ合衆国で内戦が起きるというショッキングな内容です。アマゾンプライムで観ました。報道写真家たちが主人公で、ニューヨークからワシントンまで迂回しながら、PRESSと表示された車で1400キロを移動していくロードムービーになっています。道中では、無政府状態に起こりうる人間たちの闇の姿が描かれます。中でも狂気の極みと感じるのは、出身地の区別による容赦ない殺害です。ミズーリやコロラドの出身なら生粋のアメリカ人でOK、香港の出身なら中国人とされ問答無用、即射殺です。描かれているのは、現代のアメリカ人の一部が持っている偏見、差別意識、暴力志向が、内戦状態で解放されてしまっている地獄絵図です。心の中にある闇が、顕在化したら、こうですよという映画なのです。最後に、大統領がホワイトハウスで殺害された直後の現場を、若い写真家が一心不乱に撮影するシーンで、映画は終わります。新しいスター報道写真家の誕生は、未来への希望になります。しかし、それに至る前には、前世代の経験豊かなジャーナリスト及び報道写真家が犠牲になります。反乱軍側も、大統領らを殺す目的で行動しています。政府軍側、反乱軍側、どちらが正しいというわけではなく、聴く耳さえ持たない単なる殺し合いになっているのです。懸念されているアメリカの国民の分断が進めば、こういう未来が待っていると予感させる問題作です。連邦政府に反旗を翻すのが、カリフォルニアとテキサスの連合(旗は星が二つ)だというのも興味深い点です。民主党と共和党の重要な拠点州が手を組んで、独裁化した大統領に立ち向かうという構図にしているのです。内戦が最終局面に至っているにしては、都市が荒れていないのでおかしいとは感じますが、細かいことは置いておいて、局地戦の戦闘の緊張感、人間の底知れぬ残酷さ、内戦を引き起こした政治家の愚かさは、よく伝わってくると思います。この作品が、対話によるアメリカ再生への契機になればと祈ります。

 

エイレングラフ弁護士

 ローレンス・ブロック「エイレングラフ弁護士の事件簿」(文春文庫)は、事件の謎を解明する探偵小説といよりも、依頼主のために捜査や裁判を操作するために手段を択ばぬ悪漢小説です。弁護士とは言うものの、ミッション・インポッシブルのスパイ的な工作を実行するのが、主人公です。一番近い存在は、「笑ウせぇるすまん」の喪黒福造でしょうか?ただし、「ドーン」と手ひどい罰を食らわせるような場面はなく、代わりに、詩を引用しながら、ニヒルな笑いで閉めるのがエイレングラフ流です。このブラックユーモアに嵌ると、エイレングラフ中毒になりそうです。アメリカの法廷は、腕の良い高額な報酬を取る弁護士次第でどうにでもなるという実情も、この作品の背景にありそうです。さらに、メフィスト的な策略で、犯罪を糊塗してしまうというのは、ある意味で、スーパーヒーローとさえ言えるでしょう。業界全体がダークサイドに深く漬かっていることを逆手に取っているのです。週刊文春の2024年ミステリーベスト10において、海外部門第9位にランクインしている作品です。

 

日韓関係の寄り戻し

 韓国大統領の弾劾決議が可決され、憲法裁判所の審理を経て罷免が成立すれば、次期大統領選では、いわゆる革新系の候補が勝利する可能性が高くなります。韓国のことなので、私たちには、どうにもできませんが、再び日韓関係が厳冬の時代に入るのではないでしょうか?隣国日本との外交関係が、政権によって大きく変動するということは、不安定極まりないと思います。かりに予想通りのことが起きた場合、対抗策を今のうちに考えておくべきではないでしょうか?北朝鮮寄りの新政府による反日政策が一つ実行されれば、こちらも一つお返しをするという準備をしておくという意味です。韓国人が嫌いだとか、怪しからぬとか、くだらない感情論で言っているのではありませんが、国と国の関係では、相手の出方次第で、こちらも対抗措置を取るのが当たり前です。自分たちの正義を信じて怒りを振りかざす相手に対して、常に宥める側に回ってきましたが、効果は長続きしませんでした。その後、徹底して反日政策を繰り返した政権には、無視という態度で接しました。しかし、相手に痛みは伝わりませんでした。次は、対抗措置の準備があると予告して、自制を促すべきだと思います。例えば、差し当たって影響が小さいがインパクトのある方策として、韓国からの映像作品の輸入や芸能人・スポーツ選手の来日などのビジネスを制約したらどうでしょうか?また、新政府が日本を仮想敵とみなしている事実、学校教育で反日教育がなされ続けているために若い世代さえ反日感情が抜けないことを、日本も広く広報し、中学校でも教えたらどうでしょうか?さらに、日本から韓国への観光客については、安全確保が難しくなるので抑制するなどの措置も考えられます。当然ながら、外交や投資・通商も冷え込むでしょうが、韓国人の中にも政府とは違った親日的な考えを持つ人がいます。ゆえに、親日派との関係は強化することも重要です。我が国として、韓国の選挙に介入するというようなことはあり得ませんが、親日派が反韓国と受け取られるような状況から脱するための支援をするのは、我が国の国益にかなうことだと思います。要は、今度、日本を敵視する政権が韓国に誕生した場合は、無視ではなく、こちらも断固たる対抗策を講じると予め示すべきだと思います。

 

2024年12月15日 (日)

女は寝起き顔なんいとかたき

人口減少社会

 河合雅司「縮んで勝つ」(小学館新書)は、人口減少日本の活路を示そうとする試みです。著者の発想は、人口減少を前提に、それに対応する社会構造への転換を実現するという現実的なアプローチです。まず、現実を見るべしとして、赤字ローカル路線の延命策の末路、郵便ポストは空っぽ、水道料金が平均5割アップ、20年後に農業従事者8割減、東京圏の買い物難民5人に1人、全世代型社会保障という幻想などの項目で、厳しいデータを突き付けています。その上で、人口減少を逆手に取る作戦として、7つの活路を示すのです。具体的には、外国人依存からの脱却、女性を真の戦力に、生産性の向上という経営目標、高付加価値商品の開発、中小企業の海外進出、市町村の枠を超えた30万人規模の独立国(生活圏)、人口集積の二層化(自宅はそのままで土日に利用、週日は拠点のセカンドハウスに集住)の7つです。安い労働力としての外国人移民は長期的にはダメージの方が大きいとしています。これには、異論もあるでしょう。出稼ぎ型の外国人の活用に、依存している業界も現実にあるからです。今後も、外国人労働者を安定的に確保できなければ、生産を支えるマンパワー不足に陥るでしょう。一方、本格的な移民の受け入れには、リスクがあることも事実です。社会的包摂という課題への備えなく、受け入れを拡大すれば、日本人との軋轢が地域で起こることは容易に想像ができます。もっとも、経済成長が鈍化して、円安により賃金が実質的に伸びない日本への移民は簡単に増えないでしょう。また、30万人規模の生活圏構想についても、市町村間の調整が必要で、容易に実現しないと思います。過疎の地域を集めても、圏域が広大になり過ぎて、各種のサービス提供は効率化できないからです。域内の交通・物流の確保にも苦労しそうです。人々の住み慣れた土地への執着が強ければ、人口集積の二層化も絵に描いた餅にしかなりません。過疎で高齢化した地域であっても、そこに住み続けたいという人を、各種のサービスから切り捨てることは、倫理的な観点からできないことでしょう。無理に進めれば、現代の姥捨てになってしまいます。能登半島地震の被災地のムラの様子を見ていれば、「縮める」ことの難しさを痛感せざるを得ません。結局、人類の歴史に鑑みても、人口減少の国が栄えるという道はないと諦めて、みながつましく生きることを良しとするくらいしかないと諦観する方が最大多数の幸福に近づけるのではないでしょうか?

 

年収の壁の歌舞伎

 与党と国民民主党の協議の行方に注目が集まっています。現行の103万円から国民民主党が主張する178万円にどれくらい近づけるかが見ものです。与党の提示した素案は123万円でしたが、グリーンが見えないほどの距離だと拒否されました。確かに、足して2で割った数字よりもかなり低めの提示だったという印象です。協議において、国民民主党は、簡単に妥協せずによく頑張ったというかたちを残したいのでしょう。150万円に近い辺りが落としどころでしょうか?国民の目には見えませんが、この舞台を黒子で回しているのは、財務省主税局です。国民民主党の税制調査会長も財務省出身ですから、役者としては、ここが見せ場だと気合の入ったところを見せてはいますが、落としどころは腹に呑み込んでいるのではないでしょうか?与党側も、いきなり妥結額を提示するのでは、いくらなんでも妥協しすぎだという批判が党内からもありえます。ここは、低めの球を投げて、腹を探っているという芝居をする必要があります。恐らく、グリーン上のピンの位置は分かった上で、駆け引きをしているように見せているのだと思います。こうしたベタな芝居を好むわけではありませんが、財務省主税局のシナリオと歌舞伎役者たちの演技を見守りましょう。

 

チケット転売の防止法

 転売で稼ぐ人たちによって、実需のファンたちのチケット入手が困難になっている状況があります。もちろん、転売は禁止だとされていますが、Webを通じて高額で取引されているのが実態です。サイトの運営者に対して、イベントの主催者から、転売している人間を特定する情報の提供を簡単に求められるような仕組みが必要です。また、転売を積極的に防止する措置を取らなかった場合には、違法行為の幇助であるとして高額の罰金及び事業の廃止命令が科されるような仕組みも検討すべきでしょう。所要の法改正を急いでほしいと思います。他方で、自分の都合が変わって行けなくなった場合に、リセールできるような場も設ける必要があるでしょう。大相撲でもチケット入手が困難になっていますが、高額で譲るという転売が横行しています。リセールに出たチケットも直ぐに買われてしまうので、転売目的で買いあさっている人間がいるのではないかと強い疑いを持ちます。その他に、お茶屋さんや旅行社が、インバウンドなどによる需要を見込んで、かなりの数を優先的に抑えている実態があります。特に、お茶屋さんは、抱き合わせでお弁当その他の土産をセットにしていますので、チケットの2倍以上の支払いになります。こうした不明朗な商行為も規制してほしいところです。少なくとも、イベントの主催者には、チケットの販売先に関する情報公開を義務付けたらどうでしょうか?転売を商売にしている人間(ダフ屋)については、チケットが入手できない、転売できない、転売されたチケットは無効になるような厳しいシステムの整備を行うべきだと思います。

 

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