国立大学法人の第3期中期目標・計画は実行できるのか?(1)
国立大学法人は、平成28年度から新たな中期計画期間に入るので、各法人から文部科学省に対して、目標・計画に関するゼロ次案のようなものが、6月30日までに提出された。これから、内容を精査して詰めていくことになるが、現時点で感じている懸念を述べてみたい。
1期・2期において、国立大学法人は、中期目標・計画に関して、かなり慎重な態度で原案作成を行ってきた。中期目標・計画の内容は、国と法人との契約であり、たとえ1事項でも未達成であれば、その事項を含む領域の評価が確実に低くなるため、結果として総合成績に影響し、それが次期の運営費交付金の配分額に影響するからである。想定を遙かに超えた抜群の成果を認められることは稀であるために、失敗をなくすることを優先する作戦になる。従って、大胆な目標、難度の高い計画は、できる限り回避してきた。第3期の準備にあたり、それが大きく転換したとは思えないが、中期計画期間において新たな取り組みで予算獲得を狙う場合は、中期目標・計画に根拠を書き込むことが求められるとともに、文部科学省を始め国からの大学改革への圧力も高まっているために、2期までの抑制基調を忘れて、国立大学の存在意義を明らかにしようと、欲張った内容に成りすぎる傾向にあるのではないかと感じる。もちろん、全ての大学法人のゼロ次案を見たわけではないので、一部の大学の傾向かもしれない。財源措置の責任を負う立場の文部科学省との協議の中で、獲得しうる資源の限界を認識し、冷静さを取り戻して内容を大幅に絞ることも予想される。社会の要請に必死に応えようとして、真面目さのあまり、あれもこれもと盛り沢山になったことは、一概に責められない。しかし、財務省のみならず、文部科学省からもしばしば財政難のサインが出ている中で、資源の制約を忘れたかのような計画は、旧日本軍の「失敗の本質」と同様の、無謀な作戦に陥っているのではないかとの印象を持つ。あるいは、作戦の裏付けすらない単なるスローガンになっているのかもしれない。それではまずい。機能強化という用語が文部科学省の通知でも頻繁に使用されているために、追加の資源なくして、国際水準向上に至る機能強化が可能であるかのような錯覚に陥ってしまったのだろうか?運営費交付金を削減してきた結果、論文指標に見る学術研究、大学院博士課程学生の質・量、大学発のイノベーション創出において、国際的地位が低下・停滞しているのは明らかである。国としてその課題を解決する政策を大胆に打つでもなく、個々の法人が持ち場で頑張れば、状況が好転するのだろうか?そんな阿呆な話を信じる人はいない。
« 国立大学経営力戦略は役に立つのか?(3) | トップページ | 国立大学法人の第3期中期目標・計画は実行できるのか?(2) »
« 国立大学経営力戦略は役に立つのか?(3) | トップページ | 国立大学法人の第3期中期目標・計画は実行できるのか?(2) »
コメント