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2015年7月26日 (日)

なぜ我が国は世界の高等教育の変革を傍観しているのか?(2)

端的な答えは、文部科学省が動かないからである。私も長い間、文部科学省が国内中心の官庁だから、外国の動向に対しては重きを置かないからだろうと判断してきたが、最近になって、もっと根の深い理由があるのではないかと思うようになってきた。単に、公務怠慢だとか、人口減少で守りに回っているとか、そうした面もあるとは思うが、ここまでグローバル化が進んだ世界で、不作為を決め込むのは、情報格差をなくすと都合が悪いことがあるからだと考えたのである。では、どういう不安があるのだろうか?

 

1に考えられるのは、私学を中心に、国からの資源投入を節約した高等教育機関が大きな役割を果たしているものの、その教育研究の質に関しては、かなり多数の大学が大学としての世界標準を満たしていない事実を突きつけられるという不安である。パンドラの箱を開けてしまえば、海外に対しては質保証が甘いとして恥をかくことになり、国内からはこれを放置してきた国への責任追及になる。OECD諸国の中で対GDP比で最低の国費投入比率が続いているために、安かろう、悪かろうの高等教育になっている事実が明らかになると、真っ先に文部科学省と財務省が困るのである。世界標準を満たさない大学を今さら排除することもできず、ただでさえ、大学が多すぎると政治家からも批判がある中で、現状を養護してきた文部科学省の立場は最も危うくなるのである。レベルの高い大学は少数で、私学の多数は、標準以下の大学だという印象を裏書きすることになってしまうと、我が国の大学全体への評価・評判が大きく損なわれるだろう。そうなれば、財務省は、その名に値しない大学を徹底的に縮小・淘汰させてしまう道を選択するかもしれない。

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