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2015年7月26日 (日)

なぜ我が国は世界の高等教育の変革を傍観しているのか?(3)

2に、サービス産業としての大学セクターの人材育成に関する生産性の低さが、明らかになってしまう不安である。特に、我が国は、博士課程の社会的評価を上げられず、苦労して博士を取得することに十分な魅力がない、世界でも珍しい国になっている。米国では、学費が高騰した結果、社会的な格差・不平等を次世代に維持・拡大する要因になっているとの批判が強くなっている。米国の授業料に比べて、我が国の国立大学の授業料は非常に安い。それでも、博士課程に進学すると、人生の選択として損だと考える学生が多くなっている。世界の大半の国とは真逆である。これを高等教育の失敗といわずして何と言えようか?それでも、価格の割には、教育研究の質は高いと自負している大学人もいるだろう。しかし、文部科学省は、そう判断していないのではないか?我が国の有力大学は、例えば、マレーシアのように海外から分校を積極的に誘致している国に出て行って、世界の大学と競い合った経験もない。真剣勝負をしていないので、同じ条件下で、互角の勝負ができるのかは予断を許さないどころか、経験の差で不利ではなかろうか?文部科学省には、海外大学の分校誘致には消極に終始した歴史があるので、日本企業では当然に行われている、海外に大学サービス拠点を輸出して現地で稼ぐという活動に、イメージが沸かないのだろう。しかも、自らの方針に海外での成長戦略がないので、海外の動向は、全くの他人事で、自分の身に降りかかってくるものとは認識されないのである。高等教育セクターの競争力のなさは、市場というよりも、政策の失敗と批判されることになる。文部科学省にとっては、極めて都合が悪い。

 

 

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