高座のうへも光みちたる心地して
九州場所の展望
新大関の大の里関が話題の中心ですが、先輩の2人の大関にこそ優勝に絡んでほしいと思います。特に、琴櫻関には初優勝を強く期待します。横綱照ノ富士関は、病気やけがを抱えており、いつ引退してもおかしくないので、3人の大関には横綱を目指す義務があると思います。次の大関という意味では、若隆景関への期待が高まります。初場所には、三役に上がって、大関獲りをスタートさせてほしいと願います。入幕を果たした5人の力士の中では、優勝経験がある尊富士関に12勝以上を期待します。順調ならば、来年後半には、大関を目指しているでしょう。新入幕の獅司関にはパワーで、朝紅龍関にはスピードで、ぜひ勝ち越してほしいと思います。十両では、白熊関の復活に注目したいと思います。また、嘉陽関が、先場所の勢いを継続して、新入幕を勝ち取ることができるかが楽しみです。新十両の安青錦関、若碇関、琴栄峰関には、まずは特長を生かして勝ち越しを期待します。再十両の生田目関には、今度こそ、自分の形で押し切る相撲を増やして、勝ち越してほしいと思います。大の里関よりも若い世代(伯桜鵬関もその一人)が十両で切磋琢磨して、来年には、それぞれ幕内で活躍してほしいと願います。幕下上位では、2枚目の宮城さんに期待しています。今場所は、関取昇進を攫む最大のチャンスです。身長が171㎝、体重が116キロで、筋肉質の体を作り上げており、正攻法で、前みつを引いて頭を付ける相撲を取れれば、十両も夢ではないはずです。今場所から、元大関の琴奨菊関の秀ノ山部屋(墨田区東向島に建設中)が独立しました。調理は力士ではなく、専門のシェフに依頼するようです。相撲部屋の伝統を踏まえつつも、時代に合わせて変わる勇気を持つべきだと思いますので、秀ノ山親方の今後の部屋の運営や指導法に注目したいと思います。
沢村賞
沢村栄治という伝説の名投手の賞なので、選考基準が高すぎて、2024年は該当者なしになってしまいました。7項目の基準値を下げるか、4項目以上の基準をクリアすれば可とするか、選考の方法を変更するしかないと思います。沢村投手の時代は、打撃技術が未熟で、先発完投が当たり前とされ、投手の分業システムは存在していませんでした。今の時代に、10完投など誰が達成できるでしょうか?投げたくても、チームの勝ちを優先して監督コーチが交代させるでしょう。今年なら4項目を達成していた戸郷投手(巨人)に授賞すれば良かったのではないでしょうか?選考委員は、一時代前の名投手たち(堀内、平松、山田、工藤、斎藤)なので、このままの選考基準を維持すれば、沢村賞は該当なしが続くことになりそうです。ドジャースの山本投手のように、有力な投手がMLBに流出するので、なおさら選考が難しくなります。沢村栄治さんが生きていれば、相対評価で良いから、最も優秀な成績を上げた者に授賞すべしと言っていたのではないでしょうか?
フランスとニッポンの教育
西村カリン「フランス人記者、日本の学校に驚く」(大和書房)は、1970年パリ生まれの女性ジャーナリストによる、フランスの学校との比較を通じて日本の教育システムを考えるヒントを提供しようとする作品です。当然、フランス流を押し付けるものではありません。日本人が当たり前と考えているやり方に、別のやり方もあるという気付きを与えるものです。特に、日本には、意見の相違を前提に、議論することを強く勧めています。著者の指摘で心に響くのは、入管施設でスリランカ人のウィシュマさんが病死した事件で、1人一人は優しいのに、システムが優しくないのはなぜかと、私たちに問うている点です。その原因は、組織の中で、自分自身の考えを上にきちんと伝えることへの躊躇です。袴田事件の再審の扉が長く開かなかったことにも、著者は、同根の問題があると睨んでいるようです。記者として、官房長官に自身の考えを問うても、通り一遍の官僚答弁しか戻ってこないことに、日本人の弱点を見ています。逆に問うべき側の日本人記者も、重複する質問で時間を浪費する傾向があると、冷ややかに見てます。要は、自分の頭で考え抜いて、自分の言葉で、責任を負って発言するという訓練が不足していると分析しているのです。これは、フランス人が、高校レベルで「哲学」の授業で学ぶ技法であり、フランス人らしく生きるための知識なのです。哲学は、大学入学資格であるバカロレアの試験でも重視される科目です。かつて学生時代に、フルニエ教授の哲学講義の教科書(和訳)を読んで、大学教養レベル以上の内容だと感心しました。日本の教育の伝統が儒教を源流としているゆえに、徳目を疑うことなく学び、それに倣うことで、聖人に近づくという鋳型に嵌めるタイプの教育から離れられないための弱点だと思います。孔子からデカルトへの転換によって、そういう弱点を克服しなければ、世界との競争に勝っていけないと分かっていても、相変わらず、学習指導要領は、道徳は学ばせるが、哲学は学ばせようとはしていないのです。大学の教養で受けられる哲学の授業では、フランスの高校の哲学のような内容は、通常扱われません。したがって、日本人の多くは、思考力において、フランスの高校卒業レベルにも達することがないのです。著者は、コロナ禍による休校措置に伴うオンライン授業に関しても、日仏の取り組みの違いについて述べています。気になるのは、日本は安定感重視のやり方で、公平という良い面もあるが、欧米との競争には展開の速さでは負けるとしている点です。教師に与えられている裁量の余地が小さいと、危機への対応には遅れが生じるとも指摘しています。なかなか鋭いと思います。「踊る大捜査線」で、レインボーブリッジの閉鎖は、本部が責任を負って現場に任せない限り不可能でした。日本の教育を再生するためには、議論が必要だと思います。
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