« 2024年9月 | トップページ | 2024年11月 »

2024年10月

2024年10月31日 (木)

高座のうへも光みちたる心地して

九州場所の展望

 新大関の大の里関が話題の中心ですが、先輩の2人の大関にこそ優勝に絡んでほしいと思います。特に、琴櫻関には初優勝を強く期待します。横綱照ノ富士関は、病気やけがを抱えており、いつ引退してもおかしくないので、3人の大関には横綱を目指す義務があると思います。次の大関という意味では、若隆景関への期待が高まります。初場所には、三役に上がって、大関獲りをスタートさせてほしいと願います。入幕を果たした5人の力士の中では、優勝経験がある尊富士関に12勝以上を期待します。順調ならば、来年後半には、大関を目指しているでしょう。新入幕の獅司関にはパワーで、朝紅龍関にはスピードで、ぜひ勝ち越してほしいと思います。十両では、白熊関の復活に注目したいと思います。また、嘉陽関が、先場所の勢いを継続して、新入幕を勝ち取ることができるかが楽しみです。新十両の安青錦関、若碇関、琴栄峰関には、まずは特長を生かして勝ち越しを期待します。再十両の生田目関には、今度こそ、自分の形で押し切る相撲を増やして、勝ち越してほしいと思います。大の里関よりも若い世代(伯桜鵬関もその一人)が十両で切磋琢磨して、来年には、それぞれ幕内で活躍してほしいと願います。幕下上位では、2枚目の宮城さんに期待しています。今場所は、関取昇進を攫む最大のチャンスです。身長が171㎝、体重が116キロで、筋肉質の体を作り上げており、正攻法で、前みつを引いて頭を付ける相撲を取れれば、十両も夢ではないはずです。今場所から、元大関の琴奨菊関の秀ノ山部屋(墨田区東向島に建設中)が独立しました。調理は力士ではなく、専門のシェフに依頼するようです。相撲部屋の伝統を踏まえつつも、時代に合わせて変わる勇気を持つべきだと思いますので、秀ノ山親方の今後の部屋の運営や指導法に注目したいと思います。

 

沢村賞

 沢村栄治という伝説の名投手の賞なので、選考基準が高すぎて、2024年は該当者なしになってしまいました。7項目の基準値を下げるか、4項目以上の基準をクリアすれば可とするか、選考の方法を変更するしかないと思います。沢村投手の時代は、打撃技術が未熟で、先発完投が当たり前とされ、投手の分業システムは存在していませんでした。今の時代に、10完投など誰が達成できるでしょうか?投げたくても、チームの勝ちを優先して監督コーチが交代させるでしょう。今年なら4項目を達成していた戸郷投手(巨人)に授賞すれば良かったのではないでしょうか?選考委員は、一時代前の名投手たち(堀内、平松、山田、工藤、斎藤)なので、このままの選考基準を維持すれば、沢村賞は該当なしが続くことになりそうです。ドジャースの山本投手のように、有力な投手がMLBに流出するので、なおさら選考が難しくなります。沢村栄治さんが生きていれば、相対評価で良いから、最も優秀な成績を上げた者に授賞すべしと言っていたのではないでしょうか?

 

フランスとニッポンの教育

 西村カリン「フランス人記者、日本の学校に驚く」(大和書房)は、1970年パリ生まれの女性ジャーナリストによる、フランスの学校との比較を通じて日本の教育システムを考えるヒントを提供しようとする作品です。当然、フランス流を押し付けるものではありません。日本人が当たり前と考えているやり方に、別のやり方もあるという気付きを与えるものです。特に、日本には、意見の相違を前提に、議論することを強く勧めています。著者の指摘で心に響くのは、入管施設でスリランカ人のウィシュマさんが病死した事件で、1人一人は優しいのに、システムが優しくないのはなぜかと、私たちに問うている点です。その原因は、組織の中で、自分自身の考えを上にきちんと伝えることへの躊躇です。袴田事件の再審の扉が長く開かなかったことにも、著者は、同根の問題があると睨んでいるようです。記者として、官房長官に自身の考えを問うても、通り一遍の官僚答弁しか戻ってこないことに、日本人の弱点を見ています。逆に問うべき側の日本人記者も、重複する質問で時間を浪費する傾向があると、冷ややかに見てます。要は、自分の頭で考え抜いて、自分の言葉で、責任を負って発言するという訓練が不足していると分析しているのです。これは、フランス人が、高校レベルで「哲学」の授業で学ぶ技法であり、フランス人らしく生きるための知識なのです。哲学は、大学入学資格であるバカロレアの試験でも重視される科目です。かつて学生時代に、フルニエ教授の哲学講義の教科書(和訳)を読んで、大学教養レベル以上の内容だと感心しました。日本の教育の伝統が儒教を源流としているゆえに、徳目を疑うことなく学び、それに倣うことで、聖人に近づくという鋳型に嵌めるタイプの教育から離れられないための弱点だと思います。孔子からデカルトへの転換によって、そういう弱点を克服しなければ、世界との競争に勝っていけないと分かっていても、相変わらず、学習指導要領は、道徳は学ばせるが、哲学は学ばせようとはしていないのです。大学の教養で受けられる哲学の授業では、フランスの高校の哲学のような内容は、通常扱われません。したがって、日本人の多くは、思考力において、フランスの高校卒業レベルにも達することがないのです。著者は、コロナ禍による休校措置に伴うオンライン授業に関しても、日仏の取り組みの違いについて述べています。気になるのは、日本は安定感重視のやり方で、公平という良い面もあるが、欧米との競争には展開の速さでは負けるとしている点です。教師に与えられている裁量の余地が小さいと、危機への対応には遅れが生じるとも指摘しています。なかなか鋭いと思います。「踊る大捜査線」で、レインボーブリッジの閉鎖は、本部が責任を負って現場に任せない限り不可能でした。日本の教育を再生するためには、議論が必要だと思います。

 

2024年10月30日 (水)

たが車ならん、見しり給へりや

カルトっぽい相撲部屋

 西岩部屋の所属の力士が、部屋に対して誹謗中傷を行った親と、戸籍上の縁を切るという事態に至りました。家族よりも親方についていきたいという気持ちなのでしょう。事実に反する誹謗中傷なら確かに問題ですが、カルトでもないのに、家族と正式に縁を切るというようなことまでする必要はないでしょう。西岩部屋は、独特の古風な指導法を採用しており、今の時代の若者には、なかなか耐えられない環境のようです。入門者がすぐに辞めて行くので、相撲ファンとしても気になっていました。相撲部屋の目標は、関取(十両以上)を育てることです。力士を見ていると、精神力を含めて、もって生まれた器というものがあり、誰もが関取になれるわけではありません。甘い世界ではないと知れば、別の道を探すもの良いでしょう。食事と住まいが保障される部屋の居心地が良いために、30歳を遥かに過ぎても力士を続ける人もさほど珍しくありませんが、基本的に無給で貯えもなく、手に職もない状態では、力士を辞めて以後、生活に困ります。面倒見の良い関取は、付け人をしてくれた力士の就職の世話をしていると聞きますが、皆が恵まれたセカンドキャリアへと転身できるわけではありません。様々な事情がありそうですが、家族との縁を切るという選択は、絶対に止めるべきだったと思います。相撲部屋がカルトになったようで、非常に気持ちが悪いと感じます。古風な指導法も、他の部屋に倣って、時代の変化に対応して見直すべきでしょう。

 

性的な偽動画

 アメリカや韓国では、既に被害が出て、法規制の議論が始まっています。ディープフェイクポルノというようです。知人の女性の裸の動画を回覧して、辱めている卑劣な人間たちには、軽蔑しか感じませんが、加工して動画を作っている人間には、その技術をもっと有効に使うべき道はないのかと憐れみを感じます。こうした行為は犯罪ですが、取り締まりを行う立場からすれば、加工しますという誘引行為をした、元になる画像を提供して加工を依頼したという段階で、即逮捕できるようにすべきでしょう。偽動画が流布されて、被害が発覚して、警察に被害の申告があって、始めて捜査に動き出すのでは、遅いのです。ネットに流出すれば、完全に消し去ることは難しくなります。この種の犯罪被害をなくすためには、囮捜査を可能にして、加工を誘引する人間、加工を依頼してくる人間たちを一網打尽にすると、大きな抑止力になるでしょう。陰に隠れて、知らないうちに人間の尊厳を傷つけようとする輩を、積極的にネットパトロールして取り締まるのも、警察の重要な仕事に位置付けるべきだと思います。

 

船井電機の倒産騒動

 破産手続きの開始とともに、約2000人の従業員全員が解雇されました。給料の支払いもできないとのことです。3月末の負債額は、約460億円とされ、経営破綻が迫っていたようです。それにしても、会社を支えてきた従業員をいきなり放り出すようなやり方は、経営者の風上にも置けないと思います。影響を受けるのは、従業員に止まりませんが、なぜ、いきなり全員即時解雇というような最悪の決定をしたのでしょうか?近い将来、経営者からの説明があるでしょうが、真っ当な神経を持った経営者であれば、こうした事態に至らぬうちに、従業員の再就職への道筋をつけながら、何らかの形での企業の存続を模索するでしょう。一体、これまで、経営者は何をしていたのか、心あるジャーナリストには事実関係の掘り起こしをお願いしたいと思います。FUNAIブランドで、知られた存在だった企業が、いきなり破産で全員解雇とのショッキングなニュースが流れて、日本の企業でもこんなことが起きるのかと驚きました。この世は、まさに無常です。解雇された従業員の方々には、各方面から救済の道が開けることをお祈りします。

 

2024年10月29日 (火)

あまり有心すぎて、しそこなふな

竜王戦第3局

 世界遺産の仁和寺で行われました。先手の藤井7冠が、佐々木勇気8段の向い飛車作戦に手を焼きながらも、互角かやや不利な形勢から抜け出して、終盤力を生かして、攻め勝ちました。角2枚を使った構想は見事でした。最後は、21手詰めを読み切って、余裕の勝利となりましたが、藤井7冠が5四角と打った時点で、勇気8段には詰みを遁れる受けがないことを理解できた人は、全国でも極めて少数だったでしょう。Abemaの評価値も、75:25くらいでしたので、守りを固めて優勢を維持すれば勝てそうだという見方をする人が、一般的だったと思います。凡人と違って、詰みがあれば、その道を追求するのが、藤井7冠です。最終盤は持ち時間をほとんど使わずに的確に指していましたので、勇気8段のすべての応手を読んで、攻め勝てると確信していたはずです。これぞ藤井7冠というような凄い終盤力を見せつけました。勇気8段としては、スピード勝負で勝てると踏んで踏み込んだ途端に、雁字搦めの体勢に追い込まれたので、藤井7冠の恐ろしさを痛感したと思います。この1局では、釈迦如来と孫悟空くらいの差を感じました。次局では、勇気孫悟空の逆襲を期待しましょう。

 

自公政権の過半数割れ

 あえて非主流が長かった石破総理で衆議院選挙を戦った自民党の思惑は完全に外れました。裏金議員12人を非公認にして、残りも比例との重複立候補を禁止にした措置も、有権者には響かなかったということです。非公認が支部長を務める支部に2000万円を配布したことも、大きな打撃になりました。思えば、裏金が発覚して以降の岸田総理時代の中途半端な対応のつけが回ってきたということです。石破総理になって、ある程度支持率が高いうちに解散すれば、失う議席を最小限にして乗り切れるという判断も、裏目に出ました。立憲民主党、国民民主党の躍進は、自民党の度重なる失敗の賜物です。今回の選挙で興味深かったのは、出口調査の結果で、無党派層の特に10~30代の若い層が、自民党離れを起こした点です。受け皿になったのは、立憲民主党ではなく、国民、れいわ、参政、保守です。維新、共産、公明は、逆に支持を減らして、議席も減少しています。維新は、大阪府では圧倒的な強さを維持していますが、全国化には大きくつまずいた格好です。自公で過半数割れの状況で、政権との距離感をどうするのか、戦略が問われるでしょう。国民民主党にも同じことが言えます。政策のバランサーとしてうまく立ち回れれば、今回得た無党派層からの支持を維持できるでしょうが、期待外れとなれば、次回は票が逃げていくでしょう。興味深い2つ目のポイントは、自公への支持が厚い県が西に偏っていることです。自公で小選挙区を独占しているのは、山形、群馬、富山、鳥取、山口、徳島、高知、熊本です。議席数で比較すると、北海道、東北、南関東、東京、東海では、立憲民主党が自民党を上回っていて、正に政権交代を求める声が勝っているのです。自民党は、北関東、近畿、中・四国、九州に、固い支持地盤があることが分かります。東京、大阪、愛知といった3大都市圏では、自公政権に見切りをつけているという結果です。このことはかなり深刻だと思います。最後に指摘しておきたいのは、比例との重複立候補という仕組みは、不可とすべきではないかという点です。裏金議員とされて重複を認められなかった候補は、小選挙区で落選したら議席を失いますが、かりに重複可とされていれば、比例で復活もあったでしょう。小選挙区で惜敗率高く落選した者が比例で復活という仕組みは、当該小選挙区だけが2人の議員を排出できることにもなり不公平です。獲得した票数が少ない候補が当選するというのも、矛盾だと感じます。こうした変則な選挙システムを採用している国はないのではないでしょうか?今回、自民党の戦略で、非公認や重複立候補不可の扱いがあったので、このシステムの矛盾が浮き彫りになりました。議論が進むことを期待したと思います。

 

秋のバラ園

 旧古川庭園へ行ってきました。洋館は修繕工事中で、バラの借景にはなりません。平日の入園者は、女性が8割くらいです。大半が中高年です。バラは、枯れかけているものもあり、最盛期のものもありました。女優やオペラ歌手の名前を冠した品種は、豪華な印象です。深紅のイングリッド・バーグマンやオレンジがかったカトリーヌ・ドヌーヴが典型例です。ピースという黄色のバラは、現在の世界を象徴しているのか、花の数が少なかったのが残念です。白バラが最盛期で、特に、鈴木善幸夫人のマダムサチという品種は、正に見ごろでした。隣のプリンセス・ミチコは、比較すると、やや盛りを過ぎた状態でした。大腿骨を骨折された上皇后陛下のご快癒をお祈り申し上げます。薄紫のバラは、青系とされているようですが、ラベンダー色のライラックという品種は、見ごろでした。今夏の猛烈な酷暑を乗り越えて、例年通りに楽しませてもらって、庭の手入れをしている方々には感謝です。

 

2024年10月28日 (月)

おのずからあるべきことはなほすべくもあらじ

大学設置認可

 山形県飯豊町に2年前に開学した電動モビリティ専門職大学が、早くも来年度の募集を停止することになりました。在学生は、2年次に3名、1年次に1名で、定員40人という小規模校ですが、さすがに大学の体を為していないので、在学生を卒業させて廃止とするのもやむを得ないでしょう。飯豊町は、人口7000人弱で、大学を設置するような背景人口は持っていません。私が問題にするのは、何ゆえに、このような専門職大学を認可したのかということです。結果論で言うわけではありません。大学の設置認可の際には、学生募集の見込みもチェックされます。この専門職大学の設置審査で、その点が問題にならなかったはずはありません。結局、書類が整っていればOKで、審査の中身はザルだったということでしょう。認可を担当した人間は、責任を取らせて審査から外すべきだと思います。私学の6割が入学定員割れになっていながら、まだ、甘い審査をして高等教育機関を増やしているのは、まったく腑に落ちません。そもそも、入学定員40人というごく小規模な大学を認可する必要があるのでしょうか?開学2年目で募集停止とは、前代未聞です。

 

竹内まりやさん

 NHKでロングインタビューを中心とした音楽番組が放送されました。特に、出身地の出雲に焦点が当てられています。兄弟姉妹が多い旅館を営む家庭で、一人だけ、「まりや」という聖母の名前を付けた子どもが、世界に知られる楽曲を作ることになるとは、親の慧眼を通り越して、出来過ぎた話です。大社高校在学時代に、アメリカのイリノイ州の高校に留学する機会を得たことが、彼女の人格形成の面で、人生の転機になったというのが良く分かります。大学卒業後に、歌手として芸能界にデビューし、ヒット曲にも恵まれましたが、26歳で歌手活動を休止した後、山下達郎さんと結婚し、子どもも授かります。家事をこなしながら、ソングライターとして提供した楽曲もヒットしましたが、1984年に、「Variety」というアルバムで再デビューしました。この中に収録された「Plastic Love」は、世界中でカバーされて、スタンダード曲になっています。その後も、山下達郎さんとの共同作業で数年ごとに生み出されるアルバムは、いずれも完成度の高いポップスの王道を行くような作品群となっています。私は、「駅」のような私小説っぽい作品が、特に好きです。年齢を重ねることで、歌詞の内容も変化して、「人生の扉」のような中高年の心に響くような作品が増えています。今回、出雲という自分のルーツを訪ねる番組構成を選択したのは、自分の中に流れている古代からの神話、歴史、伝統文化を、強く意識するようになったのかも知れません。10年ぶりのオリジナルアルバムでも、竹内まりやに期待されているポップスの王道を外さない彼女ですが、家族や故郷を歌う作家的な性格の濃いアルバム作品を一つくらいは作っても良さそうです。ファンとしては、彼女を誰よりも理解している山下達郎さんにも、共に歩んだ作品制作について、あの世に旅立つ前には、きちんと語り残してほしいと願っています。彼の仕事の半分は、竹内まりやに捧げられているのですから・・・。照れくさいのかな?

 

変わりゆく沖縄

 二階堂ふみさんが「ふるさとの島」を訪ねる番組が、NHKで放送されました。沖縄を離れて15年の彼女にとっては、初めての体験ばかりだったようです。やんばるの伝統的な長寿食は、かつて沖縄県の健康長寿を支えていた食事ですが、いまやその伝統が廃れて、沖縄県の平均寿命は下から数えた方が早いくらいです。長寿食のレストランに遠方からの観光客が行くのは、それが健康長寿を促進する最先端の食事だからです。古いものが一周回って先頭に躍り出ています。沖縄には、美しい海ばかりでなく、素晴らしい宝が残っているのです。基地の街であるコザでは、懐かしい紫というバンドのメンバーだった人(79歳でも現役)から、ベトナムへの出発を待つ兵士との交流、コザ暴動などの話が聞けました。二階堂さんにとっては、生まれる前の大昔の話です。アメリカ兵からリクエストが多かったWar Pigという楽曲には、貧しい出身の兵士たちの悲哀と怒りが籠められています。久高島は、沖縄の古い信仰の形が残っている無形民俗文化財の島です。200人の村落が共同体のようになっています。生粋の島人である高齢女性たちの話を聞けば、近代化以前の人々の暮らしぶりのイメージが鮮明に浮かびます。すべての生活の中に、神への信仰が根付いているのです。以上のように、自然との共生、基地との折り合い、共同体と信仰というテーマが1時間の中に、織り込まれて、沖縄を理解しようとする若い人には、良い入門編になっていると感じました。沖縄の昔を良く知っている人には、異論があるかも知れませんが・・・。

 

2024年10月27日 (日)

色あひのはなばなと、いみじうにほいあざやかなる

世田谷区とふるさと納税

 住民税の流出額は、2024年度で、110億6900万円に上っています。東京23区は、地方交付税の不交付団体なので、この流出額は穴埋めされません。高所得ほど、ふるさと納税の枠が増えるので、所得2000万超の人は利用者の9%ですが、その寄付金合計は、全体の4割を占めています。税制でふるさとを応援する制度のはずが、返礼品をもらえるだけもらえば得ができるという実に不可解な制度になっています。自分が住んでいるのも関わらず、世田谷区が歳入不足になっても一向に構わないのでしょうか?世田谷区としても、背に腹は代えられないので、返礼品の競争に参画していますが、まだ3億3000万円ほどにしかなっていません。この先、どんなに頑張っても流出分を埋めるほどには至らないでしょう。私は、流出規模が大きい自治体を選挙区とする政治家に、制度改正を担ってもらうしかないと思います。当面、制度の根幹は変えられないでしょうから、個人の寄付枠を圧縮することにしてはどうでしょうか?例えば、30万円を上限にすれば、現在の収入が1500万円超の人の枠と同額程度になりますので、ふるさと支援の寄付枠としては十分ではないでしょうか?中間層には影響がないので、大きな騒動にはならないはずです。総務省も政治に翻弄されている状態だとは思いますが、不可解な制度をそのまま残していくのは、後世の歴史家からは、救いようのない愚か者の時代だったと言われても仕方がないと思います。

 

福井中3殺害事件の再審決定

 名古屋高裁金沢支部で再審が認められました。有罪の根拠となった目撃証言が信用できないと判断されたものですが、捜査機関による不当な働きかけによって嘘の証言が行われた疑いがあると述べています。1986年の事件ですが、捜査に行き詰まると証拠を捏造する体質は、袴田事件の静岡県だけではなく、歴史的に続いていたことが分かります。検察側は、裁判所に促されて証拠開示を行いましたが、証言に矛盾があると知りながら確定前の裁判で明かさなかったのは、正義を貫くべき検察官としての資質を疑われても仕方がないでしょう。この事件に関しては、2011年に高裁支部で再審が認められたのち、2013年に高裁で取り消された経緯がありました。再び検察側が抗告する可能性もあり、さらに長引くかもしれません。しかし、袴田事件の教訓に学ぶならば、早く再審裁判に入ったらどうでしょうか?また、当時の捜査関係者に対して、不当な働きかけがなかったのかどうか、検察として、きちんと聞き取り調査を行うべきでしょう。犯人とされ、懲役7年で服役した原告が無罪だとすれば、彼の人生を狂わせた捜査機関の責任をどう取るのでしょうか?また、真犯人を野放しにしてしまった杜撰な捜査はどう改善されるのでしょうか?さらに、刑事裁判で、証言の信憑性があると判断してしまった裁判官も、間違った判決を出してしまったわけですから、日本の刑事司法は本当に信頼できるのでしょうか?ほかにも冤罪事件が相当数眠っているのではないかとの疑いを持ちます。

 

インサイダー取引

 証券取引等監視委員会から、東京証券取引所の20代の社員が強制調査を受けています。親族に情報を複数回伝えて、その親族は、少なくとも数十万円の利益を得ていたとのことです。金融庁に出向中の30代の裁判官が強制調査の対象になっていたことが報道されたばかりです。不自然な取り引きから、インサイダー取引が発覚したようです。犯罪としてはリスクが大きく割に合わないものだということですが、情報が確実に金になるという濡れ手で粟の誘惑は、投資をやっている人間には、なかなか抗しがたいものでしょう。取引を推奨するくらいは、構わないと勘違いしていたのかも知れません。いずれにせよ、インサイダー取引を防ぐのは、人間の心の中の障壁しかないので、悪魔の誘惑にも勝てる心の強さを関係者に培うしかないと思います。また、インサイダー取引を行えば、必ず発覚するという監視力の強化も必要です。一般の投資家からは、もっと多くの疑惑が隠れているのではないかと、勘繰られても仕方がないでしょう。インサイダー取引は、やれば確実に捕まるということが常識となるよう、証券取引等監視委員会の機能強化を図ってほしいと思います。

 

2024年10月26日 (土)

撫子のいみじう咲きたるにぞいとよく似たる

総理の逆切れ

 自民党は、非公認とした候補の支部に2000万円を活動費として配布していました。選挙には使わない金だという説明をして、石破総理は逆切れしているのですが、それならば、選挙後に時期をずらして、かりにも疑いの目で見られないようにするのが当たり前でしょう。支部長が候補者本人であれば、選挙を通じて政策を説明することに使われることを前提に、配布したとしか考えられません。裏金議員として12人(二桁!)を非公認として選挙を乗り切ろうとした作戦は、不成功に終わりそうです。非公認を追加しても自公で過半数割れとなれば、政策ごとに部分連合を作って、その実現を図るしかないでしょう。国会承認人事についても同様です。その前に、党内の結束の維持に相当な努力を求められそうです。過半数が確保できても、3年の任期を全うできるかは、野党との連携次第だと思います。石破茂という政治家の本質は、むしろ、野党との連携に親和性があるのではないでしょうか?自民党の中で足を引っ張る連中には手古摺るでしょうが・・・。

 

ビジネスケアラー

 団塊世代が75歳以上になり、働く中高年が介護の都合で、離職しなければならないケースが増えています。要介護者と同居している人間が、労働と介護を両立させることが難しいのです。要介護喉の認定の際に、同居しているとワンランク下がりますから、介護保険で使えるサービスも抑えられます。自己負担で介護サービスを利用するにも収入とのバランスで限度があるでしょう。2022年の介護・看護理由の離職者は、10万6000人に上っています。5年で7%増加しました。働きながら介護をしている人は、2025年には、300万人超になるそうです。経済損失も9兆円に上るという試算もあり、やはりビジネスケアラーの負担軽減策として、介護保険で利用可能なサービスの枠を増やす、離職を抑制するために介護施設への優先的な入所枠を確保するなどの措置が考えられますが、全体の介護サービスの拡大がなければ、ビジネスケアラーだけを優先的に扱うことは不可能です。職場の方で、時短などの働き方の調整を行うことも、併せて促進すべきでしょう。

 

錦鯉

 中国への錦鯉の輸出が、昨年11月から停止状態になっていました。日本における検疫施設の許可を更新しなかったからです。やっと10月に6か所の許可が下りたので、錦鯉の競りにも中国のバイヤーが戻ってきます。全体の2割ほどのシェアがある中国ですから、錦鯉の生産者さんには、辛い1年だったと思います。それにしても、錦鯉は観賞用ですから、福島原発の処理水の放出問題とは何の関係もありません。無関係のビジネスを理由も示さずに1年間停止状態にするのは、異様な話です。日本の魚介類が危険だというのなら、中国人観光客の爆食はどう説明するのでしょうか?彼らは、政府のいうことが嘘だと知っているわけです。中国を支配する共産党には表立って逆らうわけにはいかないものの、本物の寿司を食べたければ、日本に来るのです。共産党さえいなくなれば、随分と付き合いやすい国になりますが、私が命を終えるまでには、そういう日は来そうにありません。共産党支配の終焉までは、中国には気を許せないでしょう。戦場で相まみえることがないことを祈るだけです。

 

2024年10月25日 (金)

あつきこと世にしらぬ程なり

コメの高騰

 いつもサミットで買っている「つや姫」5キロの値段が、3980円になりました。前回、3080円ほどになっていたときも、少し驚きましたが、今回の高騰にはショックを受けました。こうなると一粒もおろそかにできないという気持ちになります。流通業者の買い入れ価格が大幅に上昇したというニュースは見ていましたが、ついに末端の小売に高騰の波が押し寄せたという感じです。以前は、月に2度ほどは、25%引きの特売日があり、その時に買うようにしていたので、実質的にはコメの価格が倍になりました。これは異常事態です。年金生活の家計には大きな負担増です。麺類で代替するなど、生活防衛の手段は講じていますが、主食の大幅な値上がりは、農政の大失敗だと思います。裏金問題も重要ですが、物価対策のうち、コメの生産に関する見通しの甘さは、自公政権にとって深刻な結果を招くと思います。食料品は全てが価格上昇していますが、特にコメに関しては、品薄⇒高騰と推移しており、令和の米騒動はまだ続いていると言っても過言ではない状況だと思います。与党の政治家の方々は、分かっているのでしょうか?

 

毒キノコ

 青森県に住んだ時には、職員の中に、キノコ博士のような方がいて、キノコの鑑定の難しさについて聞いた記憶があります。今年も、徳島県で、キノコ狩りで収穫したキノコで、中毒になったケースが報道されています。お客さんが持ち込んだキノコを鉄板焼きで食べた人たちが、吐き気や嘔吐、下痢の症状を起こして、入院した人もいたとのことです。ヒラタケに間違えたのは、ツキヨタケでした。厚労省も、ツキヨタケ、テングタケ、クサウラベニタケなど中毒事件が多いキノコへの注意喚起をしています。難しいのは、世の中に流布している毒キノコの見分け方、無毒化する方法などは、すべて嘘だということで、目利きでない人は安易に採らないことが肝心です。

 

第三次世界大戦

 ビル・エモット「第三次世界大戦をいかに止めるか」(扶桑社)は、台湾有事のリスクと関係国が果たすべき役割を論じています。超大国の弱さが世界を危険に晒すという見方をしています。リーダーがいない中で、冷戦時代の抑止という言葉の今日的な意味を追求することが必要だとしています。ウクライナ戦争からの教訓として、著者は、次の8点を挙げています。経済や金融の制裁は打撃にはなるが脅すだけでは抑止にはならない、政治的な思惑は短期的には経済的側面は軽視される、西側が対応するタイミングとスピードがカギとなる、政治と国民の適応力は外部支援の獲得と維持に欠かせない、核兵器の使用を通じた戦争のエスカレーションが大きな役割を果たす、外部勢力の不在が相手を勢いづかせる、大義と正当化の物語が有効なこともある、核兵器による威嚇はその紛争での核兵器の有効性に左右される。著者は、日本の防衛戦略は、自衛から制約付きの抑止に移行しつつあると分析しています。ただ、憲法の制約があるので、台湾有事の際に、何ができるのかは不明確だとしています。台湾から100キロしか離れていない与那国島に自衛隊の駐屯地を開設しており、少なくとも米軍と連携して後方支援活動を行う準備は整えているものと思います。台湾を支持して参戦することは難しそうです。中国軍が、我が国の領土を攻撃してこなければという前提ですが・・・。抑止という意味では、インド、豪州、韓国、フィリピン等の東南アジアとの外交上の友好関係は、非常に重要でしょう。それにしても、台湾有事が起きると、著者の言うように、第三次世界大戦の切っ掛けになるかも知れません。短期的な損得勘定に溺れることなく、一貫性のある方針を堅持したいものです。

 

2024年10月24日 (木)

もとめてもかかるはちすの露をおきて

中央銀行の独立

 軽部謙介「人事と権力」(岩波書店)は、丹念な取材に基づく「事実」の掘り起こしによって、日銀総裁ポストを巡る諸勢力の攻防とアベノミクスを中心とする金融・経済政策の動向を、可能な限り客観的に分析しようとする作品です。こうした地道な作業ができるジャーナリストは、同時代を生きる私たちにとっても、後世の歴史家にとっても、非常に貴重な存在です。中央銀行の独立性が法的に保障されている中で、総裁・副総裁、審議委員のポストの人事を通じて、安倍政権が日銀の金融政策を間接的にコントロールしようとした有様を、細かい事実の積み上げによって、明らかにしている点に、この作品の価値があります。人事の裏舞台に関する取材は、人間同士の深い信頼関係がなければ、無理だと思います。軽部さんが、長年にわたり、経済ジャーナリストとして培ってきた高い評判と広い人脈の集大成が、この作品だと感じます。安倍総理が、黒田総裁を選んだのは、自分と政策で一致しており、デフレ脱却について強い意思と能力を持っているという条件に適ったからです。総裁を筆頭に、リフレ派の人物を任命することで、政権は、日銀を統治することに成功して行きますが、日銀のOBや職員は、独立性がもはや実質的に担保されなくなったと感じたことでしょう。著者も、そうした問題意識を強く持ったからこそ、この作品が生まれたわけです。岸田総理は、何をしたかったのかよく分からない方ですが、著者は、安倍前総理の意向に反して、リフレ派を審議委員に入れなかった岸田総理の男気(バランス感覚)を財務省が評価していたことを紹介しています。現在の植田総裁の任命に関しては、異次元緩和の正常化に向けての歩みを、慎重に思慮深く進められる人物だとして、岸田総理が自分の意思で行いました。この結果、リフレ派は衰退しましたが、経済学者の新総裁には、政治との関係という重い荷物が肩に載せられています。著者は、総裁の政治任命化に関して、政権側の要請が配慮されなかったために取られた手段だったという指摘に、一定の理解を示しています。政治任命化には、日銀にも責任の一端があるということになります。謙抑的な著者は、だからこうすべきだと断定的には述べていませんが、日銀の独立性を、人事の面から制度的に保障する工夫が、今後、検討されるべきだとしています。異次元緩和の後始末は、まだ始まったばかりです。安倍派は解体状態ですが、政治との関係は、日銀にとって、大きな課題であり続けます。

 

生活保護と医療費

 生活保護受給者になれば、医療費や薬剤費の自己負担がないことはよく知られています。タクシー代がないからと、必要のない救急車の要請まで行っている受給者もいます。札付きなのか、さすがに緊急性がないとして搬送を断られていましたが・・・。無料にすれば、どういうことが起きるか容易に想像がつきます。想像の通り、無用な受診や過剰な投薬が起きており、厚生労働省も、年間1.7兆円にも増えた生活保護者の医療費の削減対策を進めようとしています。なぜ弊害が分かっていながら、無料にするのでしょうか?基本的に自己負担ありに制度改正すべきだと思います。自己負担が一定額以上になった場合は、生活保護費を上乗せすれば、本当に困っている人間を救済することが可能でしょう。無料というのは、無駄が生じる元になりますので、制度的な欠陥です。早く改善すべきです。

 

就活生へのセクハラ

 厚労省の調査によれば、インターンシップ中にセクハラを受けたと回答した学生が、30.1%に上っています。日本の企業文化はセクハラに甘いということではないでしょうか?世界に知られたくない恥ずかしい結果ですが、日経新聞によれば、厚労省は、就活生へのセクハラ防止義務を企業に課す方向で、法改正の検討に入るとのことです。就活生ならば、セクハラ被害を企業側に訴えにくいだろうという計算が働いているものと推測します。真に情けない卑劣な社員が少なくないことを前提に、企業内のルールを構築する必要がありそうです。対等の関係の相手には、羊のように行動している人間が、就活生という弱い立場の相手と見れば、いきなりオオカミに変身するようでは、そもそも企業における人間教育ができていないのではないでしょうか?法制度の整備によって、今のままでは、首になる従業員が多数出てもおかしくありません。セクハラ志向の従業員に甘い企業は、社員のリクルートがうまく行かなくなるだけでなく、社会的信用を失ってビジネスが行き詰まり、生き残れなくなると思います。それにしても、10人のうち3人までがセクハラ被害に遭っているとは、あきれたセクハラ天国ではありませんか?

 

2024年10月23日 (水)

あやしからん女だにいみじう聞くめるものを

障碍者の雇用代行

 法定雇用率の達成が困難な会社に代わって、障碍者が働く場を提供するビジネスです。厚生労働省によれば、利用している会社は1200社を超えるとのことです。本業と無関係な農作業などをやらせて、手取り10万円程度の低賃金が支払われる仕組みです。この給与分+農園の使用料を負担することで、障碍者の雇用としてカウントされるので、本業で障碍者の働く場を確保するという法の趣旨からは逸脱しています。代行ビジネスは、日本にしかない抜け道のようなものだとの批判があります。雇用されている7300人を超える障碍者の中には、農作業にやりがいを感じている人もいるでしょうが、いかにも数合わせの雇用は、国際的にも批判の対象になってしまうと思います。かりに必要悪だとして認めるにしても、通常の正規職員の平均賃金で割った数字を、障碍者雇用とカウントすべきではないでしょうか?かりに、50%だったとすれば、代行ビジネスでは2人の障碍者を雇用しなければ、1人と数えられないということになります。代行による障碍者の給与についても、せめて50%の水準を確保してほしいと思います。それ以下の低賃金なら、カウント外にしたらどうでしょうか?

 

就学義務

 日本では、家庭で学習するホームスクーリングやフリースクールでの学習は、正式な就学とは認められません。不登校は、保護者が義務を果たしていないことになるので、違法状態だと言わざるを得ません。ただ、文科省も、無理やり学校に来させる必要はないと、不登校を容認する姿勢を取っているので、就学義務違反で保護者が罰せられることはないでしょう。ただ、小中の不登校が29万9000人を超えているので、それらの児童生徒の学習機会の保障については、制度的な措置が必要になっています。恐らく、不登校の受け皿となるシステムを全体として構築して、就学義務の履行を徹底するという方向になるでしょう。フリースクールへの公的な支援を始めている県もありますが、学習機会の保障という意味では、保護者の経済的負担の軽減策も必要です。不登校の児童生徒が、代替の学習機会を選択できるように、受け皿の整備確保も、市町村教育委員会の業務にするしかないと思います。緩やかな形で学校と繋がることができるようなら、学校の人的資源を活用できますが、教育委員会からのアプローチに反応しない家庭もあるようです。学習機会の保障の観点からは、そうしたケースにどう対処するのかがポイントになるでしょう。義務+支援で、子どもが取り残されないようなシステムを構築すべきだと思います。

 

顧客満足

 満薗勇「消費者と日本経済の歴史」(中公新書)は、1960年代以降の消費者運動の歴史を学ぶには、とても役立つ作品です。消費者⇒生活者⇒お客様という時代の変化の捉え方は、興味深いと感じます。特に、終章に書かれている内容は、現在の日本経済を考える際に、重要な視座を提供してくれます。お客様時代の勝者は、例えば、セブンイレブンです。鈴木敏文さんが推進してきたビジネスは、顧客満足がキーワードになっています。しかし、著者は、その追求が、社会全体からは好ましい結果をもたらすとは限らないと問題提起しています。著者が言う顧客満足のジレンマとは、生産性向上とはトレードオフの関係になること、期待水準が上がり続けてしまうこと、外部不経済の発生が見えにくくなることです。サービス産業は、製造業と比較して、生産性が低いので、顧客満足の追求が、日本経済の長期停滞の原因にもなっているというのです。労働コストの圧縮やグローバルな調達によって、顧客満足は上がりますが、従業員の労働環境や待遇にしわ寄せがきます。著者は、顧客満足の追求が、結果的に、個人消費の伸びを抑えるので、経済社会の疲弊を招いていると述べています。他方では、トラック運転手の労働問題、コンビニ店オーナーも過重労働、接客におけるカスハラなども、顧客満足の行き過ぎが、社会問題の根底にあるとも指摘しています。最後に出てくる「顧客満足の社会的責任」というフレーズが、著者の主張です。日本には、世界に誇るべき顧客満足度の高い社会システムが構築されていますが、人口減少時代に入り、頑張って動かしてきたシステムの維持が難しくなっています。無理をやめることで不幸な人が救われるのなら、少し不便でも、持続可能なシステムで満足することが、合理的な解決策だと思います。

 

2024年10月22日 (火)

講師もはえばえしくおぼゆるなるべし

竜王戦第2局

 佐々木勇気8段が先手で、矢倉の戦型から、藤井7冠に快勝しました。珍しく中盤で、藤井7冠にミスがあったようです。62手目に、6四に歩を打たなかったために、逆に歩を打たれて、互角の形勢が崩れました。かりに、6四歩としていれば、後手有利にも展開できたようです。終盤は、先手玉に迫る勝負手も、粘りも利かなかったので、あっさりと投了に至りました。藤井7冠らしくない一局でした。このようなミスは、渡辺9段や永瀬9段とのタイトル戦では一切なかったので、勇気8段を苦手としているのかも知れません。次局以降の立て直しに注目です。勇気8段の勝利で、今年の竜王戦が俄然面白くなりました。藤井7冠も人間ですから、調子が悪い日もあるということが分かりました。

 

ベトナムの日本離れ

 技能実習生の来日が2年連続で減少しています。大企業が特定技能への転換を図っている面もありますが、最大の送り出し国であるベトナムで希望者が減っているという問題があります。より高い賃金を求めて韓国等へ流れていく傾向にあるようです。減少幅は、今後、加速すると予測されていますので、1次産業や中小規模の製造業などは、人材不足に陥る恐れがあるでしょう。また、特定技能で入国している者のうち、日本語能力に課題があるケースもあり、解雇されて路頭に迷う外国人もいるとのことです。技能実習生のような支援・保護団体がないからです。早期に改善する必要があるでしょう。選ばれる国にならないと、外国人によるマンパワーの確保が行き詰まる可能性があります。ベトナムの日本離れは、深刻な危機へのシグナルに他なりません。技能実習生が逃亡して、国内の治安を悪化させているケースも後を絶たないので、外国人労働者の問題は、いい加減にはできないはずです。

 

レプリコンワクチン

 ワクチンの成分が別の人に伝播するという科学的な根拠に欠ける不安が広がって、接種した人の入店お断りという飲食店まで出ているのは、異様な光景です。日本看護倫理学会さんからの緊急声明が、大きな影響を及ぼしたものと思います。製造している製薬会社から反論も出ており、噂は次第に収まるのかもしれませんが、厚生労働省が認可したワクチンの安全性に疑問があるので使用を控えるべきだというのは、学会としては、なかなか思い切った声明です。恐らく自信があるのでしょうから、公開討論や裁判闘争でも結構ですので、国や製薬会社と戦ったらどうかと思います。本当にワクチン成分が別の人に伝播するなら、少数の人に接種すれば、新型コロナ感染症対策になるので経済的です。夢のような話ですが、最先端技術によるワクチンについて、どうしても不安だという人は、選択しなければ良いと思います。ただ、学会として緊急声明を出す場合は、大衆の不安をあおる結果についても十分考慮して、極めて慎重であるべきだと思います。むしろ、緊急性や重大性に確信のある方だけで個人の名前で意見表明を行う方が、適切だったと感じます。反ワクチン運動に塩を送るような日本看護倫理学会に対する風当たりを懸念します。レプリコンワクチンを接種した人への社会的な「差別」を助長しているという批判もあるでしょう。中には誹謗中傷の類もありそうで、残念なことですが、学会の運営への悪影響は避けられないと思います。

 

2024年10月21日 (月)

その説経の事はききも入れず

強盗事件への対処法

 首都圏では、闇バイトで実行犯を集めて強盗の指示を出すという犯罪が頻発しています。実行犯は逮捕されても、首謀者には今のところ辿り着かず、警察も手古摺っているように見受けられます。犯罪者があらゆる手段を用いて新手を編み出すのに対して、警察は、手を縛られているために、首謀者に迫る効率的な捜査ができないなら、早くできるようにすべきだと思います。この話題に関連して、社会学者だという人が、地上波の情報番組において、なぜか若者の貧困という課題の解決が必要だなどと発言していたのには、驚きました。相対的貧困の増加に対する社会政策が必要であることは自明ですが、真面目な人間には意味がある政策も、犯罪の実行を命じられることを予感しながら闇バイトに応募する犯罪予備軍をなくすことにはどれほど効果があるでしょうか?強盗事件の頻発への対応は、首謀者を逮捕することが最優先事項です。現行法制の下で、警察に全力で頑張ってもらうしかありません。戸建てに住む高齢者が、強盗を防ぐために直ぐにできることも限られています。緊急事態に、到底間に合わないような間抜けな話を持ち出すようなコメンテーターは、無用だと思います。なぜ民放はこのような頓珍漢な人間を使っているのでしょうか?

 

NPBのオワコン化

 両リーグで、CSの試合が行われており、球場には、多数のファンが応援に来ています。一見盛況のようですが、社会的な関心は年々下がっているのではないでしょうか?大谷選手を中心とするドジャースの地区シリーズ、リーグ優勝決定シリーズの試合の情報番組での取り上げられ方と比較しても明らかです。かりにドジャースとヤンキースがワールドシリーズを戦うと決まれば、そちらの話題で、NPBの日本シリーズなど吹き飛んでしまうでしょう。今年は、大谷選手が打者として歴史的な記録を作っているので、特別ではありますが、彼ばかりでなく、他の日本人選手の活躍への注目度を見ても、もちろん報酬の面でも、MLBでのプレーを目標にする選手が増えるのは仕方のないことです。このままでは、NPBの価値は低下の一途ではないでしょうか?もはや2リーグに分かれている必要もないと思います。成績が低迷しているチームは、別のオーナーにチェンジさせるのも良いでしょう。資金力がない球団は、優勝争いから長く遠ざかっており、厳しい表現をすれば、お荷物です。何も改革をしないと地域密着のJリーグやBリーグに対抗できないと思います。

 

賃貸住宅とLPガス事業者

 長年の商慣習にメスが入りました。従来、LPガス事業者が、賃貸集合住宅における供給契約をオーナーさんから獲得するために、各戸のガス器具などの設備を無料で提供して、それらに要した費用を、入居者さんからもらう使用料金に、説明もせずに上乗せしていたのです。2024年7月に施行された省令で、こうした商慣習は、過大な営業行為として、新規の契約に関しては、禁止されました。LPガス事業者の変更ができないような契約上の制約も不可となりました。2025年4月からは、LPガス料金の表示を、基本料金、従量料金、設備料金(基本的に該当なしになっていく)の3項目に分けることにもなりました。不明朗な商慣習による借主のステルス負担は一掃されるはずです。確かに、おかしな話だと感じていましたが、アパートのLPガス契約のからくりは、オーナーさんには当たり前の設備の節約術でした。不明朗な契約にメスが入ったのは、大きな前進です。ただし、既存の契約に関しては、暫くの間、従来の商慣習が残ることになります。

 

2024年10月20日 (日)

烏帽子に物忌つけたる

米食離れ

 コメの価格が高騰しているために、麺類への代替が進んでいます。私も、安いうどんやカップ麺を昼食にすることが多くなりました。気候変動で品種によっては、生産量が減少していますが、一時的にコメの需給がひっ迫した時期に、国が備蓄米を出さなかったことが、米食離れを促進してしまったのではないでしょうか?コメが主食として安定的に安価で手に入るという安心感を与えられなくなれば、コメ好きだった人間も、コメから離れて行きます。品薄の後は、価格高騰で、消費者としては、生活防衛に走るしかありません。悪循環です。これで良いのでしょうか?

 

大家さんの心づかい

 「地主と家主」11月号には、入居者さんへの大家さんからの心づかいの例が紹介されています。多くは、プレゼントです。例えば、トースター又はゲーム機、引越し直後のお役立ち品の詰め合わせ、中元・歳暮、実家のコメ、野菜といったものが選ばれています。マンションの1室を共用スペースにしている、クリスマスイルミネーションを入居者と作るという大家さんもいます。私は、更新してくれた方には、エアコンや浴室(又はキッチン)のクリーニングを提供するようにしています。管理会社の方には、入居者さんからの要望で動いてもらった場合には、タイミングを見てお礼をすることも大切だと思います。

 

夫婦財産契約

 富裕層の御夫婦は、一般人には分からない苦労があるようです。婚姻前に、婚姻中の財産管理方法や離婚時の財産分与に関して取り決めておくのが、夫婦財産契約です。「地主と家主」11月号によれば、トラブルを未然に防ぐために、同族企業オーナーのような方が、締結するケースが増えているということです。念のための契約とは言え、離婚の際の財産分与についての取り決めをするというのは、心が高揚している婚姻前には思いもつかないことです。なお、この契約は、法務局に登記しなければ、第三者には対抗できません。夫婦間のみならず家族間で法廷拘束力のあるガバナンス契約を締結する例もあるとのことです。資産承継の在り方について定めることで、相続や離婚時のトラブルを避けるのです。なお、不動産購入に関する書類は、お金の出所が辿れるように長期間保存しなければならないとされています。私のような身には、縁遠い話ですが、「地主と家主」に取り上げられているような大規模な不動産のオーナーさんには、必要な知識だと感じます。何か結婚生活も、ドライな印象になってしまいますが・・・。

 

2024年10月19日 (土)

説経の講師は顔よき

女性天皇

 反対論の最大の根拠は、古代からの伝統のようですが、21世紀の日本で、国家の象徴、国民統合の象徴とされる存在について、男女で差別することを問題にしないわけにはいかないと思います。英国のように、生まれた順での継承順位に従って、天皇の位に就く仕組みに改めるべきでしょう。法律改正を要しますので、速やかな国会での議論を期待したいと思います。宮家についても、同様に、女性が創設・継承することも可とすれば良いでしょう。なお、皇族を離れた方については、その子孫も含めて、天皇の地位に就くことは考えられないと思います。伝統に固執すれば、天皇制の維持が危機に瀕するにも拘らず、女性天皇を否定している「保守派」の方々は、何を優先すべきかの判断を間違えているとしか思えません。世代が移り変われば、秋篠宮家を含めて、いずれ宮家が消えて行きます。悠仁親王殿下が天皇に就かれて、男子が生まれなければ、男系の継承者がいなくなってしまうのでは?天皇制を終焉に導くための伝統主義なら、論理矛盾ではありませんか?男系男子で皇統を維持できたのは、第2夫人、第3夫人による出産の可能性があったからです。今さらそのような時代には戻せませんので、女性天皇を否定することは、天皇制を終焉に導く圧力を掛けることに他なりません。世論が女性天皇支持に動いているのは、そういう事情を呑み込んで、象徴天皇という存在の存続を強く望んでいるからでしょう。そうした考えの方々は、ロジカルな保守派と言って良いと思います。

 

超青田買い

 星野リゾートが、大学1,2年生にも内定を出すことで、2~3年後に入社する人材の確保に乗り出しているとのニュースを見ました。ホテル・観光業界は、特に人材不足なのでしょうが、ここまで青田買いをする企業が出てくれば、他も追随することになりそうです。学生にとっても、腕試しの意味もあるので、この業界に関心があれば、1年次、2年次の学生も星野リゾートへの就職希望を出すでしょう。ただ、授業への出席は二の次になるので、大学側としては、迷惑以外の何物でもありません。超青田買いが常識になると、大学で学ぶ価値は、どうしても下がります。企業の本音は、本人の知的なレベルや行動特性が確認できれば、大学で身に付ける程度の知識は、それほど重要ではないということなのでしょう。大学は就職予備校ではないものの、就職を左右する意味もないならば、何のために高い学納金を払って4年間かけて卒業するのかという根本的な疑問さえ湧いてきます。星野リゾートに対して、大学や文科省は、言うべきことをきちんと言わないといけないと思います。

 

賃上げできない企業の行く末

 衆議員選挙に際して、与野党こぞって、最低賃金の時給1500円までの引き上げの実現を主張しています。違いは、達成時期くらいです。商工会議所からは、地方の中小企業には、そのレベルまで賃上げをする財務力がないとの消極的な見解が示されています。理屈の上では、人件費の上昇分を価格転嫁できない競争力のない企業は、資本主義のルールに従って退場もやむなしということになるのでしょうが、実際に、競合が多く、消費者が少しでも安いものを求める業種に関しては、価格決定力を持てない企業が多いと思います。また、大企業による調達についても、取り引き先の中小企業の賃上げへの理解・協力があるとはいえません。最低賃金の上昇による地方企業の倒産などという笑えない事態は、避けるべきでしょう。雇用が失われる地域経済へのマイナスが、むしろ大きくなります。ほぼ毎回見ている「マツコの知らない世界」では、地方の手作りの人気商品に関して、マツコさんから、もっと価格を上げた方が良い、手間の割には安すぎると、しばしば指摘がなされます。確かに、東京のデパートに持ってくれば、1.5~2倍の価格でも十分売れそうですが、当該地域の物価・賃金水準に照らせば、その商品の値付けとしては妥当なのだと思います。やはり、東京と地方の感覚には、かなり差があるのです。最低賃金の上昇は、地方の中小企業における環境整備が前提になると思います。

 

2024年10月18日 (金)

よる寝おきてのむ水

野犬は一掃すべき

 最近、各地で野犬が増えて、地域住民の生活を脅かしているというニュースを見ます。野犬の元は、飼い犬で、捨てられたものが、増殖しているわけです。当該自治体でも、一定数を保護して、飼い犬として譲渡可能な状態にして、家庭に戻す活動をしています。昔は、野犬は捕獲して、殺処分されていたので、犬に対する愛護の精神は大きく前進したと思います。それで、地域住民の生活とのバランスが取れていれば良いのですが、現状では、恒常的に野犬ありの地域になってしまっているのは異常だと思います。もしも、保護しきれず、残った野犬を生かしておきたいのなら、せめて増殖しないように去勢手術をするべきでしょう。なぜか野犬に同情してエサを与える人もいます。これが一番罪作りです。ご本人は、善行のつもりですが、閻魔庁では恐らく他人に迷惑となる身勝手な行為を責められて、厳しく裁かれると思います。私も子ども時代に雑種の犬を飼っていて、毎日朝夕、散歩に連れて行っていましたので、基本的に犬好きですが、野犬に脅かされている地域があるとの報道に接して、これは、まずは野犬を一掃する=捕獲するしかないと考えました。その上で、保護犬として譲渡可能性がある犬については、NPOの協力を得て訓練したら良いと思います。飼っていた犬を野犬にした人間に対する刑事罰も導入したらよいと思います。どうしても飼えない場合は、自治体が設ける窓口で、飼育料を支払って、保護犬として譲渡先を探してもらうという方法で、野犬になる犬を減らすしかないでしょう。すべての飼い犬にはチップを付けて、捨てられても飼い主が分かるようにすることも必要です。野犬になった犬が可哀そうですが、殺処分の原因を作ったのは、元の飼い主であって、自治体ではないことを正しく認識すべきです。自治体は、地域住民の生活を第一に守るべきです。

 

裏金議員を推薦?

 公明党が自民党の裏金議員(非公認)を推薦するのは、何故でしょうか?頼りにしている創価学会の皆さんは、納得して支援してくれるのでしょうか?大きなお世話ですが、自民党以上に裏金議員を支えるという方針には、よほどそうしなければならないという説明があるのでしょう。その説明が表に出てこないので、動員される方々がお気の毒だとしか思えないのです。裏金議員の選挙区でも、対立候補が乱立していれば、結果的には当選するでしょう。与野党対決の構図にできなかった野党の方に問題があります。この逆風の選挙を乗り切れば、自公政権は長く続くと思います。立憲民主党の立候補者予定者を下げられなかったのは、折角の機会を逸する可能性が強いと思います。野党の政策が違い過ぎることも、与党には幸いしています。与野党対決など、政策面から見ればおかしいのです。しかし、裏金議員を推薦して公明党が持つのでしょうか?

 

スポーツの誹謗中傷

 J1町田が、あまりにも酷いケースについて刑事告訴したとのニュースがありました。具体的な中身が不明ですが、監督や選手に対する誹謗中傷が度を越しているようです。どういう人間が、何の目的で、愚にも付かないコメントを送り付けるのか、そんなことをして何が面白いのか、さっぱりわかりません。以前にも書きましたが、SNSなどでの誹謗中傷が止まないのは、刑事罰まで食らうケースが少ないこと、民事裁判での賠償額が非常に低廉なことに、起因していると思います。町田への誹謗中傷事件を契機に、卑劣な行為を行った場合は、その責任を厳しく問われることを、明確にしてほしいところです。ゴミだの、サルだの、馬鹿だの、死ねだの、人格を否定するような言葉を投げかけるなら、スタジアムからも出禁にされるでしょう。SNSなどによるスポーツ全般への誹謗中傷についても、被害を受けた側が、泣き寝入りしなくても良いシステムが構築されることを願います。

 

2024年10月17日 (木)

をりからあはれなりし人の文

サッカー日本代表対豪州戦

 満員の埼玉スタジアムでの試合だったので、3点くらいは取った欲しかったと思います。地力という点では、シュート数の違いくらいの大差があったと感じます。豪州は、移動のバスで渋滞に巻き込まれたということもあり、不利な中で引き分けという成果を得たので、実質的に豪州の成功と言って良いでしょう。ほとんどの時間、5バックで守りに徹した豪州の辛抱強い戦いぶりが目立ちました。高さでの優位を生かして、スピードでも健闘していたと思います。両翼からの攻撃にも、中を固めて決定機を作らせませんでした。こういう相手には、ゴール前に出て行く人数を前半から増やす必要があったと思います。例えば、望月選手を前線のターゲットとして起用するのはどうでしょうか?あるいは、上田選手と小川選手を同時に使うのはどうでしょうか?豪州クラスのチームが徹底的に引いて守ってきた時の対策が弱かったというのが、結論です。76分に追いついてからの攻撃にも課題があったと思います。惜しいチャンスもありましたが、決定機とは言えませんでした。引き分けでも仕方がないという感じだったのでしょうか?同じオウンゴールでも、日本が与えた方は凡ミスに近い、豪州の方は疲労の中での反応の遅れなので仕方がないと思います。ともあれ、ワールドカップ予選は、突破すれば合格なので、先制されても負けないタフなチームになったと楽観的に評価しましょう。

 

短歌界の地殻変動

 上野誠編「短歌を楽しむ基礎知識」(角川選書)は、ネット空間の中の短歌を含めて、様々なかたちの短歌に関して広く目配りしつつ、短歌の歴史を踏まえた視座を備えた鑑賞へと誘うようになっています。編者でさえも、戸惑うような「短歌」が生まれているようなので、私のような人間が、新聞歌壇に掲載されている短歌に違和感を持つのは、当然のことだと知りました。若い人たちによって、ネット空間で詠まれている短歌は、魂の叫びというより言葉遊び、大きな感動というより軽い薄味な心の動き、写実というより妄想、想定している共感の輪は小さくて十分と受け止めればよいと思います。そうした作品の作り手に対して、歴史を踏まえてという主張は、大きなお世話に聞こえる可能性が高いでしょう。新しい短歌の作り手の作品が、どの程度、歴史的な評価に耐えるものなのか、10年もすればわかると思います。小島ゆかりさんによれば、短歌界には、団塊世代の男性が新聞歌壇(もともと女性が多い)に投稿する、高校生などの若い人が自分試しの意味で新聞に投稿する(賞を受ければ大学入試で評価対象になる)という二つの新しい潮流があるそうです。ネットの短歌界には通常の歌壇とは別のスターが誕生していくようです。従来とは異なるかたちの短歌が、混沌とした中から、次第に形になっていくだろうというのが、上野さん、小島さんの見立てですが、持続的に鑑賞に堪えうる作品を残していける人は、極めて少ないだろうと想像しています。プロにならなくても、自分の日記のような短歌を詠んでいくことは、大いに意味のあることだと思います。ただ、新型の短歌の評価は非常に難しいと思います。引用されていた新型の受賞作には、ピンときたものはありませんでした。

 

世田谷区ファミリー農園の閉園

 10月10日付けで、急な連絡が入りました。12月末で、私が借りている農園が閉鎖されるので、返金手続きを始めるとのことです。地主さんの都合で閉園もありうるというのが前提なので、仕方はありませんが、秋の菜園計画に、冬を越して育てるタマネギ、エンドウ、ソラマメを入れて、準備していたので、3面分の予定が狂いました。今後は、本格的な冬が来る前に収穫できる葉物に変更することにします。当てが外れてがっかりです。私以外の9人の借主も同じ気持ちだと思います。周囲はすべて住宅になっているので、恐らく土地を売却するか、賃貸住宅を建てるのだろうと思います。11月からは、別のファミリー農園の申し込みが始まるので、またトライしようと思います。区画の土壌改良もやっと進んでいたのに、野菜づくりができなくなるのは、勿体ないと思います。

 

2024年10月16日 (水)

枯れたる葵

古墳と埴輪

 和田晴吾「古墳と埴輪」(岩波新書)は、古墳と埴輪の意味を解き明かそうとするものです。この領域に関して、最新の考古学の知見を提供するものでもあります。興味深いと感じたのは、他界へと向かう船、魂を他界へと誘う水鳥の埴輪です。ここに古代の死生観が表現されているからです。また、今城塚古墳(継体天皇墓?)の埴輪群は、人物や動物の埴輪を含めて大王の王宮を表現するもので、非常に面白いと思います。家や囲の埴輪もあり、当時の大王に関わる建造物のイメージが湧きます。古墳は、死後の世界を可視化したものと言えます。さらに、大和朝廷にとって、古墳づくりが国づくりとなり、古墳に全国秩序が生まれました。現実世界の秩序が他界にも及ぶことになったのです。巨大化は、王権の権威を特別に誇示する必要があった時代に起こった現象です。人海戦術で巨大な盛り土の古墳を造営することは、軍事力を見せつけるという意味もありました。やはり、天皇陵とされている古墳の発掘調査も排除することなく、古代史の学問の進歩に意味のある発掘調査を最高のチームを組んで計画的に行うべきだと思います。未だに新発見があるのは、主要な古墳の調査が遅れているからに他なりません。皇室の祖先の墓だとして天皇陵とされている古墳に蓋をしてしまえば、学問の進歩は望めません。

 

柳沢正史教授

 オレキシンの発見以降、覚醒と睡眠に関する世界最先端の研究を推進しています。現役の筑波大学教授です。過日、情熱大陸に出演されていました。国際統合睡眠医科学研究機構を率いて、10年以上になります。毎日忙しくしていますが、睡眠の取り方などに関する素朴な質問にも、面倒がらずに答えるなど、地上波にも出演する気さくな面も持っています。機構を率いるということで、著名な学術雑誌への論文投稿、産学連携による成果の実用化、産学連携を含む研究費の獲得、大学院生等への教育指導と、いくら時間があっても足りないでしょうが、10年余りの実績によって、筑波大学の最も重要な研究拠点として世界的に認知されていると思います。情熱大陸で紹介されていた機構の研究室のスタイルには、彼が過ごしていたアメリカ流のマネジメントが採用されています。人間関係が極めてフラットで、科学の真理を探究する学徒の集団は、無用なストレスのない研究者の楽園的な環境になっているように見受けました。もちろん、意味のある成果が出せないと、研究を続けることができなくなるという競争の厳しさはあるはずです。この機構が発足する際に、筑波大学で働いていたので、柳沢機構長が作り上げてきた研究拠点の成長・発展を頼もしく感じました。柳沢教授の活躍で、睡眠学への認知度も10年余りで随分上がったと思います。

 

九条ネギ泥棒

 京都府八幡市で、囮の畑に防犯カメラを設置して、九条ネギ泥棒を捕まえたところ、同じ九条ネギの生産者だったとの報道がありました。動機は不明ですが、自分の畑のネギの生育が悪く契約先に納入するために、育ちの良い九条ネギを狙ったのではないかと言われています。ネギの刈り方で、玄人の犯行だと分かるそうです。私も、ベランダで九条ネギを作ってますが、別の人の作物を奪うという行為に至った人間は、もう生産者をやめるべきだと思います。生産者の誇りを捨てた、同業者との連帯の意識も捨てたということですから、生産者として生きていく資格はありません。この夏に、15㎡のファミリー農園で育てたカボチャを盗まれて、収穫直前の作物を奪われる気持ちが良く分かりました。素人でも、この野郎という凶暴な気分になったので、農業を生業にしている方の怒りは、最大級に激しいものだと思います。執念で犯人を特定し、逮捕に漕ぎ着けて良かったです。ただ、近隣の同業者が犯人とは、複雑な思いでしょうね。

 

2024年10月15日 (火)

よき男の車とどめて案内し問はせたる

静かな学級崩壊

 石井光太「スマホ育児が子どもを壊す」(新潮社)は、保育園・幼稚園から高等学校まで、子どもに起きている変化とその原因を考えるルポルタージュ作品です。小学校の教室では、壊れた子ども(勝手に教室から出る、床に座り込んで動かない)に構わずに授業を進める情景が描かれます。今の幼児は、呑みこむ力が弱い(保育園の給食は毎日おかゆ)、赤ちゃんの時にハイハイをしていない(運動機能が未発達のため危ないので運動会は廃止)、おままごとをしない(家事や子育ての疑似体験がない子になる)ようです。小学生では、男子の8割が「女の子」投げをする(ソフトボール投げの記録は低下の一途)、褒められ中毒が多い(親に煽てられて育っている)、校内での暴力事件が急増している(未熟な子がパニックになって暴力を走る)、保健室は予約制(別室登校の児童が増加、コロナ禍後は不登校も増加)とのことです。中学生は、学校の人間関係から解き放たれる時間がない(独りぼっちが怖い)、集団から浮くことへの恐怖症(力を合わせて無競争社会を作る)、クラスメイトの意識が持てない(みんなちがって、みんなどうでもいい=他者への無関心)、自分の感情を正確に分析して把握することが下手(些細なことで絶交する)です。高校生は、自分のスペック内で小さな夢を見る(競い合ったりするのは無意味)、自分の人格を分割して使い分ける(他人の別の顔を見ると裏切られたと反発する)、半数がネット依存傾向(SNSは無免許の大型バイクで事故必至)、教育困難校の教師の仕事は福祉のそれに近い(そもそも勉強に不向きな子どもが在籍⇒定員割れしていないと面倒見られない)とされています。著者が指摘しているのは、人間が生育するための環境が失われていることへの危機感です。この作品を読めば、なぜ小学校教員のなり手が減っているかが分かります。私たちが学んだ時代の小学校には全く考えられないような子どもの状況が、そこにあるからです。さらに、親に起因する問題も教員を苦しめることになります。静かな学級崩壊というよりも、学校システム全体の危機を国家的な課題だと認識すべきでしょう。

 

男の孤独死

 ジョイナー「男はなぜ孤独死するのか」(晶文社)は、孤独による男の死を防ぐ方法を示唆する作品です。男性に絞っているのは、女性に比べて自殺が多いからです。特に、社会的な成功を収めた男性に、人生の終盤の過ごし方の参考としてほしい内容です。男が孤独になる原因について、著者は、子どもの頃から甘やかされがちなこと、俺の邪魔をするなという態度で生きていること、お金や地位を友とする生き方をしてしまうことだと分析しています。その結果、人生の充実期に至って、「頂上の孤独」現象に陥るのです。そうなると自己破滅への道が待っています。著者が示している例(銃、ゴルフ、自動車レース、アルコール、セックス、不倫・離婚)には、異論があるかも知れませんが、のめり込むような形で耽溺したり、家庭崩壊に至るとすれば、確かに問題でしょう。特に問題視しているのは、男が迫っている孤独という危機の深刻さに気が付いていないことだとしています。解決策として著者が挙げているのは、自然を愛し健康を取り戻す、他者との小さなつながりを持つということです。人類の長い歴史に照らせば、当然に効くと考えられる「薬」だと思います。犬や猫を見れば癒される、自然の中を歩くことで気分が爽快になる、家庭菜園で汗を流せば健康になるというのも、自然と人間の密接な関係を表していると思います。きょういく(今日、行くところがある)、きょうよう(今日、用がある)が高齢者には大切だという話を聞きますが、社会的なつながりが、人間を元気にするということが分かります。自然と社会に関わっていければ、孤独による死という最悪の結果から逃れることができそうです。

 

ネット世論

 ネットの言論には大きな偏りがありそうだというのは、世の中の常識です。谷原つかさ「「ネット世論」の社会学」(NHK出版新書)は、データ分析に基づき、ネット上の言論に関して分析しています。XのようなSNSには、感情を伝染させる力があります。閉じたコミュニテイの中で同じ意見ばかり飛び交う環境にいると、発信が過激化するという現象があります。意見の分断が顕著になるのは、同じ羽根の色の鳥ばかりが、棲み分けているからです。著者によれば、選挙の際に自民党に言及した投稿の多くは、ごく少数のアカウントによるオリジナルポストがX上の「世論」を作っているとのことです。その「世論」は、怒りの感情をベースに繋がっている傾向があります。SNSでは、少数派が偽りの多数派として登場し、オフラインとは異なる「世論」を形成する可能性があります。こうした分析は、ネットにおける言説について何となく感じていたことと整合します。著者は、SNSを乗りこなすためには、事実と意見を区別する、事実に基づいて考える、たえず出典を問うことが大切だとしています。また、ネット世論の癖を知って、自分がネットで見ている内容だけが、社会全体の世論ではないという客観的な視座を持つべきだとしています。ただ、そういうことができる人は、始めから、ネット世論に迎合するような単細胞にはならないと思います。意見は誹謗中傷にならなければ自由ですが、厄介なのは、事実無根のフェイク情報の発信です。将来的には、AIによって、ネットの言説がチェックされて、誹謗中傷やフェイクを排除する仕組みが導入されることになるのではないでしょうか?

 

2024年10月14日 (月)

はなひて誦文する

ノーベル平和賞

 日本原水爆被害者団体協議会への、2024年ノーベル平和賞の授賞が決まりました。平和賞は競合する候補が多いとは言え、思えば、随分待たされたものです。核兵器使用の危機は、これまで何度もありました。戦後80年を前に、被爆者が高齢で死に絶えないうちにというタイミングでの授賞です。ウクライナ戦争でのロシアによる核兵器使用のブラフも影響しているのでしょう。「オッペンハイマー」というアカデミー賞に輝いた映画も、核兵器による人類生存の危機を想い起こさせてくれました。様々な事象が、このタイミングでの授賞に関わっているように感じます。これまでの被団協の活動実績については、十分に授賞に値すると思いますが、今後重要なことは、被爆者が死に絶えた後にも、核兵器廃絶の訴えを継続するということです。広島や長崎ほかの若い人たちが、被爆者の子孫として、運動の中核を担ってほしいと願います。考えてみれば、広島や長崎の被爆者の大半は、既にこの世にいないのです。幸い彼らの言葉が資料館などに保存されていますので、少なくとも日本に生まれた人間の責務として、彼らが残した言葉に耳を傾ける必要があると思います。ノーベル平和賞は、団体にとって大きな勲章になるでしょうし、世界の人々が、広島や長崎で起こった悲劇に関心を寄せる切っ掛けになると思います。日本政府も、改めて、核兵器禁止条約の批准に取り組むべきでしょう。唯一の被爆国であり、核兵器を保有しない国でありながら、この条約を批准できないという理屈は、到底成り立たないと思います。広島出身の岸田総理が、条約批准を決断していれば、政治家としての功績になったのに、どうして動かなかったのでしょうか?やはり、何のために総理になったのか理解しがたい方でした。

 

法務大臣と統一教会

 いきなり選挙に突入してしまったので、大きな問題になっていませんが、こともあろうに、法務大臣に、統一教会の集会にたびたび出席し、選挙活動にも手を借りた人間を任命するとは、あまりにも非常識ではないでしょうか?統一教会というカルトが引き起こしてきた問題は、裁判になったケースだけでも長い歴史があるので、その本質を知らなかったなどという言い訳は通用しません。統一教会の宗教法人としての解散請求が行われている最中でもあり、統一教会シンパの法務大臣を誕生させたことには、任命権者への不信感を通り越して、落語の与太郎話のようなお笑いネタだとさえ感じます。人事が上手い下手だの問題ではなく、このタイミングでなぜ統一教会と関係の深い政治家を法務大臣にしたのか、石破総理の常識を疑わざるを得ません。事前の身元調査が不十分だったのでしょうか?もしも失敗だったのなら、早く交代させるべきでしょう。

 

大阪万博の不人気

 チケット販売が、開幕まで半年の時点で、目標の1400万枚に対して、714万枚に止まっています。販売した分も企業による購入が大半というのですから、国民が個人としてぜひ行ってみたいという気持ちになっていないということです。大阪に行くなら、同じお金を使うなら、USJなどの方が目的地としてはるかに魅力的でしょう。万博には集客の目玉がないからです。入場料収入が予算の8割を占めるということですから、チケット販売が目標未達になれば、イベントとしての赤字を誰がどう負担するのかという問題も起こります。私自身は万博自体には無関心ですが、イベントとして中身がない上に、巨額の公費を投入することは、極めて問題であると感じます。関連の経済効果を過大に見積もって、イベントとして関西圏に成長をもたらしたというような物語を作って誤魔化すのでしょうが、万博があるから大阪に行く、なければ行かなかったというようなケースだけを経済効果と見積もる必要があると思います。また、子どもたちをぜひ連れて行きたいと学校が思わないようなイベントに、学校を動員しようとするのは、やめるべきだとも思います。大規模災害が起こった場合に、子どもたちが安全に家に帰れる保証がないければ、とても連れて行けないというのが教員の常識的な判断です。

 

2024年10月13日 (日)

はやう見し女のことほめいひ出でなどする

公約の財源

 財政規律無視の公約は、結局、実現しないでしょう。例えば、国公立大学の授業料の無償化については、国立大学分だけでも総額3500億円程度になるので、これを既存の文科省予算から捻出するのは不可能です。何らかの追加財源が必要になります。給付付き税額控除などの経済対策を行えば、別の施策を縮小する必要があるでしょう。防衛予算の確保のための増税を行わないなら、その代替財源(既存の施策の縮減)を示す必要があります。まさか、すべて赤字国債ということではないでしょう?また、国公立大学の入学者だけを優遇するわけにもいかないので、私学への進学者にも相当な授業料への支援措置を用意する必要があるでしょうから、高等教育費全体では、1兆円くらいを考えておく必要がありそうです。簡単に捻出できる規模ではありません。1970年代からは受益者負担が当然とされてきた高等教育を、2020年代に至って無償化するというのは、比較的恵まれた環境に育った子どもを優遇しているようにも見えます。低所得層への給付型奨学金という手法では、なぜいけないのかがよく分かりません。与党よりも気前の良い政策を打ち出して、気を引こうとしているだけでしょうか?あるいは、中間層からの集票を狙うための餌なのでしょうか?今年、東大が授業料の値上げに踏み切りましたが、物価変動に合わせて授業料分の予算措置を増額していく必要もあります。どういうシステムを考えているのか、知りたいものです。もしも政権交代が実現したら、財源問題と制度設計で、ひと騒動ありそうな予感がします。

 

第三のビールの運命

 本麒麟を愛用していましたが、サミットでも、350ミリ6本パックで、約100円高くなりました。そうなると、一番しぼりや晴れ風との価格差が小さくなったので、満足度を考慮するとお得感がなくなってきました。日経新聞にも、第三のビールの消費量が7~9月期に急落しているとの記事がありました。レモンサワーや酎ハイへの転向が進んでいるものと思います。第三のビールの開発も止まっているとのことで、いずれは、消えていくのかもしれません。350ミリあたりのビールの税額は、下がりましたが、まだ63.35円となっており、6本パックを買えば、380円ほどの税金を負担していることになります。ビールを愛飲している人には、かなりの重税です。ワインが、760ミリボトルで、60円ですから、ビールが酷く差別されているのが分かります。是正しようという政治家はいないのでしょうか?

 

極悪女王

 女子プロレスのヒール役の代表格だったダンプ松本さんの引退までの半生を描く5回シリーズのNetflix作品です。主演のゆりやんレトリィバァさんの極悪レスラーとしての演技が評判になっています。主演女優賞を授けても良いのでは?レスラー役の唐田さん、剛力さんも、徐々に体を大きくして、女子プロレスの格闘家らしい迫力ある動きを生み出していました。そういう意味で、本格的な女子プロレス映画になっています。女子プロレスの全盛期は、10代の女性たちが会場を埋めていました。松本さんも、一世を風靡していたジャッキー佐藤さんの熱心なファンでした。体格を見込まれたのか、研修生に合格して、プロレス選手を目指しますが、同期にスターとなる長与千種選手がいました。松本さんは、ヒール役に組み込まれますが、暫くは心根が優しすぎて芽が出ませんでした。家族を含めて誰からも自分の存在を認められない悔しさを、憎しみの情念に変えて、極悪の権化、ダンプ松本が誕生します。この変身のシーンは印象的です。それまでのヒールは、引き立て役でしたが、ダンプ松本は、スター選手の対抗軸として、極悪同盟を率いるという物語を生み出します。大衆から誹謗中傷、罵詈雑言を一身に浴びながら、それらを糧として生きるという徹底ぶりです。移動の際にも、同じバスに乗ることさえ拒否します。マット上では、人気絶頂のクラッシュ・ギャルズを、凶器を使い流血させて、徹底的にいじめる役目を担っていました。大衆には、巨体で極悪を演じ切るダンプ松本に、嫌悪感と同時に、憧れ、崇拝する気持ちがあったのだと思います。スポットライトを浴びる眩しい存在に感じる劣等感、引け目を、攻撃的な情念に変換して、暴れまわる極悪同盟のようになりたいと空想する気持ちは、十分理解できます。もともと友情をはぐくんでいた長与選手との壮絶な髪切りマッチは、伝説的な試合です。プロレスラーに演出は付き物ですが、ダンプ松本の場合は、本質とは極端に異なるキャラクターの創出で、さすがに長く続けるのは難しかったでしょう。ダンプの引退試合は、再び大暴走、大混乱で正式には幕を閉じますが、余白の部分で、会社から与えられた役割を捨てて、みなで純粋なレスリングを見せるというラストに繋がっていきます。それを目を輝かせて見る少女が、次の担い手として希望のバトンを受け取ることが暗示されて、作品は幕を閉じます。実際に、ダンプ松本が引退すると、女子プロレスの売り上げは大きく減少し、経営者たちは、彼女の集客力の高さを思い知らされることになります。極悪の権化を失えば、善の女神たちも輝けなくなります。ただし、血が流れるような見世物を、地上波のゴールデンタイムで扱うことは無理でしょう。ダンプ松本の極悪は、1980年代という時代の産物でした。何でもありの活力にあふれた時代で、それを経験してきた者としては、この作品に、大いなる懐かしさとともに、当時の青春の煌めきと苦さを感じます。

 

2024年10月12日 (土)

物しり顔にをしへようなる事いひ、うしろみたる

風間流サッカー

 風間八宏「サッカー受ける運ぶ解剖図鑑」(X-Knowledge)は、簡潔にサッカーの6項目の技術を解説する内容です。止める、蹴る、運ぶ、受ける、外す、見る(見ない)の技術と超一流の実例に加えて、風間さんと森保日本代表監督との対談が掲載されていて、サッカーを考えるヒントに溢れています。サッカーで一番面白いのは、ゴールシーンなので、キックやヘディングに関心が集まりがちですが、止める、受ける、外す、見るという部分がうまくいかなければ、シュートが打てませんし、打っても決まりません。特に、ボールが来る前に相手の位置を見るという部分は、非常に重要です。バロンドールを何度も受賞しているメッシ選手は、この6項目のすべてに秀でています。外すの節に出ている「敵が場所」という指摘は特に面白いと感じました。得点するには、相手のセンターバックが守っている場所をいかに攻めるかが重要だというのです。ポイントは、動かして反対に動くです。逆を取ることで、マークを外してシュートに持ち込むわけです。空いているスペースに運ぶのではないことに、風間流の極意がありそうです。対談では、森保監督がワールドカップ優勝を目指すという目標を掲げている意味が分かります。交代枠が5人になったので、戦術理解度の高い粒ぞろいの選手層を持っているジャパンには有利です。アジアカップ制覇を逃したのは残念でしたが、次の機会に更なる高みへの到達を実現しましょう。風間さんには、なでしこの監督をお願いできないでしょうか?

 

良い会社

 森憲治「良い会社の条件」(日本実業出版社)は、長期投資家に評価される会社の条件を示すものです。良い会社とは、すなわち、「高いリターンを長期的に生み出すことが期待できる会社」のことです。ポイントは、ROEです。投資の時点では数値が分かっているのですが、将来も高い数値を維持できるかは、とても難しい問題です。いったん投資すると、撤退の判断が遅れるという傾向があります。一度惚れた銘柄への深情けという投資家にありがちな心理です。著者は、それを、「茹で蛙」状態と表現しています。長期的に高業績を辞するには、価格決定力が必要です。過当競争に巻き込まれて、薄利のビジネスに埋没している業種もあります。飲食、アパレルの多くの企業が、それで苦労しています。ラーメン店などのように、材料費や人件費を価格に転嫁できなければ、消耗戦の末に廃業を余儀なくされるでしょう。もう一つ、長期の成長を実現するポイントは、会社の起業家精神です。新しいビジネスの開拓へのチャレンジを怠れば、会社の成長は止まります。すべてが成功するわけではありませんが、ユニクロのような会社は、失敗を恐れないという文化が、今日の成功のカギになっていると思います。ただし、その精神を持続することも大変難しいことです。著者の指摘は、日本の企業の半数近くが、なぜPBRが1以下と異常に低い水準なのかを理解する助けにもなります。過度なリスク回避、長期ヴィジョンの欠如、現金至上主義の文化が理由だとされていますが、これを克服しないと投資先として選択されないということになります。当然と言えば当然ですが、該当する会社の経営者の方々は日々何をされているのでしょうか?

 

非公認12人という賭け

 政治資金収支報告書に不記載があった自民党議員のうち、12人が非公認、比例重複不可が37人となっています。役職停止や戒告を受けた議員でも、公認された人はいますし、逆に戒告を受けていないが、非公認になった人もいます。処分の重さや金額の多寡が、非公認や重複不可の措置と、整合していないことは、理解不能です。何とかして二桁の非公認を作りたかったのだと考えるしかなさそうですが、東京6区(世田谷区の一部)の越智隆雄議員は、非公認とされて立候補を断念しました。前回も比例での当選でしたので、逆風の中の選挙では勝ち目がないと判断したのでしょうか?非公認の候補者たちも、当選すれば、追加公認されそうなので、執行部としては、こうした措置は有権者へのポーズであって、裏金批判を最小限の被害で乗り切りたいという趣旨なのでしょう。しかし、冷遇を受けた側は、基準のあいまいさもあって、生きるか死ぬかの選挙で足を引っ張られたという深い恨みが残ることが容易に想像できます。結果的に自公で過半数の確保はできるかもしれませんが、石破内閣は、与党内に遺恨が生じる不安定な状態になっており、長く持ちそうもありません。かりに、自公で過半数割れになると、政治的な混乱による日本経済への悪影響を懸念します。少なくとも、政権交代によって、衆議員選挙で主導権を握るという目論見は完全に外れました。自滅気味の与党は、厳しい戦いになるでしょう。

 

2024年10月11日 (金)

さし出でして我ひとりさいまくる者

孤独のグルメ特別編

 もともと、松重豊さんが演じる井之頭五郎さんが、腹が減って、店を探して、食べ歩く番組ですが、今回の特別編では、それぞれの回のゲストが料理人や客として登場するという趣向です。したがって、タイトルが、「それぞれの孤独のグルメ」になっています。テレ東は、ほとんど深夜に放送しているので、必然的に録画で見ることになります。第1回は、爆笑問題の太田光さん、第2回は、マキタスポーツさんがゲストです。松重さんは、相変わらず、見事な食べっぷりで、その胃袋の大きさに憧れます。来年正月明けに、孤独のグルメの劇映画(パリも舞台)が上映されるとのことで楽しみにしています。松重さんが監督もされています。

 

老人介護施設の経営難

 テレビの情報番組で、運転資金不足によって、老人介護施設の職員への給与の支払いが滞ったために、大量退職して、入所者が介護を受けられず放置された状態に陥っているというケースが報道されていました。経営者は事態の収拾に動くでもなく、逃げている状態なので、恐らく、自治体の担当部局が、入所者を他の施設へ移動させるための調整を行っているのだと思います。介護が受けられない状態で入所者を放置している経営者には、刑事罰の適用があってしかるべきだと思います。経営難で、職員への給与が支払えない状況になれば、介護の提供は不可能です。学校の経営以上に、介護施設の経営には大きな社会的責任があると思います。一旦、経営難に陥れば、要介護の入所者やその家族に、計り知れない迷惑をかけることになります。老人介護施設の開業には、公的なチェックがあるのでしょうが、現に、破綻している施設があるので、入所者の移動先を確保するための互助的なセーフティーネットを作る必要があると思います。また、経営状況について定期的に監査を入れて、きちんと把握しておく必要があるでしょう。職員不在で、入所者が取り残されているなどという事態は考えられません。

 

インフルと新型コロナ

 世田谷区からの65歳以上への支援で、各2500円で予防接種を打つことができました。特に副反応はなく、これで安心とは言えないまでも、新型コロナ感染症については流行が終わったわけではないので、できることをしておく意味はあると思います。今は、電車の中でもマスクをしている人は少数で、感染しても軽症という経験をした人も多いので、何となく油断があるように思います。新型コロナ感染症の現状についても、データが示されないためにリスクの判断ができないのは、気分の良いものではありません。インフルのように毎年予防接種を打つことになるのでしょうか?

 

2024年10月10日 (木)

きしめく車にのりてありく者

鈴乃屋の倒産

 1988年のピーク時から売り上げが4分の1になり、とうとう上野広小路の老舗呉服店が、破産したとの記事を日経新聞で見ました。着物が売れないのは、普段には着る人が減ったこと、晴れ着はレンタルで十分と考える人が増えたことが原因でしょう。小説家の林真理子さんは、着物が一種の道楽だったようですが、着なくなった着物を売る値段が安すぎると書いておられました。バカらしいので、売らずに、欲しい方に差し上げることにしているそうです。かつては、高価な着物は資産と考えられて来ましたが、実際には、使う人が少なくなったために、資産としての価値が崩壊してしまったというわけです。鈴乃屋さんの倒産も、そういう世の中の流れで仕方がないことですが、着物という伝統文化が、継承の危機を迎えているのは、寂しいことです。もう一般の人は、過去のように着物をしばしば着る生活には戻れないと思います。着物の文化は、能・狂言、歌舞伎・文楽・日本舞踊、落語・講談、茶道・華道、相撲などの伝統芸能文化の担い手によって、維持されるしかないでしょう。

 

国家の科学技術力

 引用論文指標で測る科学技術力という意味では、日本は、2000年代以降、大きく凋落してきました。ノーベル賞の受賞者数という意味では、意外に健闘しているのですが、よく考えれば、ノーベル賞は、過去の業績であり、過去の栄光なのです。今後は、受賞が漸減するでしょう。科学技術力の衰退の主な原因は、企業による研究開発が基礎の探求を重視しなくなったこと、大学の若手研究者のポストが任期付きの不安定なものになったこと、国の科学技術予算の伸びが停滞してしまったこと、日本人の博士課程進学者が減少していることなどです。国の科学技術政策は、一貫して、「選択と集中」を是としてきました。財政状況を踏まえて、科学技術のすべての分野で世界と競争するのは諦めるべきだというのが財務省の基本思想です。また、研究力の高い大学に集中投資する、特定の研究者に手厚く研究費を配分することで、世界との差を埋められるとも考えていたのです。最適配分すれば、競争に後れを取らないはずという理屈は分かりますが、実際には、配分機関が良かれと思って配分した結果が、世界との競争に勝てるような確たる成果を生んではいません。業績がある人に追加で大きな研究費を注ぎ込んでも、得られる付加価値はさほど大きくならないものです。有名教授の研究室は教育訓練の場としては意味がありますが、研究開発投資としては、コスパの悪いものになるのです。「選択と集中」の歴史は、国の科学技術力の凋落の歴史と重なります。理屈が正しければ、実践や成果が伴わなくても、人間は失敗から学べないものです。優れた若者が博士課程に進まなくなり、給与や待遇が悪く、研究時間も潤沢とは言えない大学には、最優秀の頭脳が残らなくなりました。要は、本来、研究者の楽園であるべき大学は、2000年代から、長らく、じり貧状態なのです。大学ファンドという施策によって、一国一城の主が割拠しているような大学を、企業のような組織体に変質させる実験的な試みが始まって、東北大学が第1号に選ばれました。国が想定した新型の大学が本当に実現可能なのか、企業を始めとする周囲のステークホルダーのマインドセットが構想通りに変化しうるのか、経験則に照らせば、懐疑的にならざるを得ません。また、構想に沿った計画を実行することで、新型の大学に生まれ変わることが、本当に国民、国家のためになるのか、大学ファンドの具体的な成果を、数年ごとに検証すべきだと思います。当然ながら、実験は失敗することが多いのです。途中から軌道修正することもありうるでしょう。主要な大学がこぞって応募しているので、振り回されれば、日本の科学技術力がさらに低迷する可能性が高いのではないでしょうか?大学ファンドによる大学改革は、妄想が混じったかなりリスクのある賭けだと思います。

 

検事総長の未練

 袴田事件の再審裁判は、検察の控訴断念で、地裁判決が確定しました。あまりにも長すぎた冤罪事件にピリオドが打たれたことには、ホッとしましたが、重要な物証の警察による捏造という大問題について、検察トップの認識が甘いと感じます。あくまで捏造はなかったと考えているようですが、そうした未練はすべて断ち切らないと犯罪捜査の是正が前に進まないと思います。有罪にするために、確たる物証が欲しいと思っていたところに、改めて現場を捜索したところ、欲しかった物証が出ましたというような馬鹿げた話に乗ってしまったことが、この冤罪事件のターニングポイントでした。こんな都合の良い話は、おかしい、裏がありそうだと思わないような人間は、検事にならない方が良いと思います。冤罪事件を作ってしまった警察、検察関係者をあくまで守りたいと未練を見せる検察トップは、袴田事件からの教訓をスルーしているようなものです。これでは、再び三度、現場が冤罪事件を引き起こしかねません。検察のメンツなど、かなぐり捨てても、袴田事件の捜査のどこに問題があったのかを明らかにして、失敗の本質に学び、冤罪を防ぐために守るべき規範として現場に徹底するべきです。

 

2024年10月 9日 (水)

蚊のほそごゑにわびしげに名のりて

大相撲の悲惨な巡業

 大相撲は、この頃、なぜか急に人気が高まり、巡業のチケット販売も極めて順調です。それはおめでたいのですが、コロナ禍でしばらく地方を回れなかったという事情もあり、できるだけ希望を応えようと無理をした日程を組んでいます。そのために、旅から旅へと巡業が続き、力士には過度な負担がかかっていると思います。本場所で痛めた体を回復させる暇もなく、巡業に参加し続けるのは、実際、相当きついようで、持病と思われる診断書を提出して、巡業を休む力士が続出しているのです。力士側にとっては、やむを得ない措置ですが、チケットを買った客からは、お目当ての力士が見られないので、相当不満の声が上がっています。また、力士が休めば、取り組み数が減りますので、終了予定時間まで間が持たなくなっていると聞きました。親方によるトークでつなぐとか、力士から提供してもらったグッズ争奪のじゃんけん大会をやるとか、余った時間の使い方に工夫が必要だと思います。巡業は、地方のファンと直接触れ合う機会なので、一期一会で、客をもてなし、楽しませることが大切です。巡業担当は、安易に妥協せず、知恵を出してほしいと思います。世代交代が進む大相撲に、少し人気が戻ってきて、またチケットの売れ行きに胡坐をかくような油断があるのではないでしょうか?

 

自滅気味の石破内閣

 衆議員選挙を控えての時期にしては、新政権からの目玉になる新政策の打ち出しが弱すぎます。すべての選択を選挙後に先送りするのでは、有権者にとって選挙する意味がないのですが・・・。非主流派時代に語っていた言葉が、逆に自分を縛ってしまっているのでしょうか?岸田政権は、結局、何を達成したいのか最後まで明らかにしない不思議な政権でした。岸田文雄さんという政治家が、強烈な意思、思いを持たないリーダーだったからだと受け止めています。石破茂さんという政治家は、もう少し自己主張が明確なリーダーだと期待されて総理になったはずです。ご本人は安全運転のつもりで、自己主張を控えているのでしょうが、党内基盤の脆弱さを露呈して、信念のない頼りない総理だから、長期政権にはなりそうもないと見切られてしまうのではないでしょうか?候補者の公認問題に決着をつけるに当たって、甘くなれば野党を利する結果を招き議席を減らす、辛くすれば旧安倍派などからの反発で政局になりかねないので、早くも石破総理は正念場を迎えています。こうした修羅場を潜った経験がないだけに、主体性が感じられない石破総理の自滅を懸念します。

 

犯罪予備軍

 世の中には軽率な人間がいますが、最近は、あまりにも簡単に犯罪者になってしまうケースが目立ちます。高額報酬を求めて、特殊詐欺や強盗の実行犯に身を落とす人間が、後を絶ちません。実行犯は逮捕されても、首謀者が捕まらないと、再び同様の事件が起きます。こういう犯罪類型では、潜入捜査で組織の全貌を把握しないと、犯罪の根絶は難しいと思います。賛否両論がありそうですが、捜査方法として、取り入れることを検討すべきだと思います。また、軽率な犯罪予備軍への対策として、囮捜査という手法も取り入れたらどうでしょうか?闇バイトに応募して指示に従ったら、警察官が待っていたというような手法が取れれば、軽率な人間が本物の闇バイトに応募してしまうことを牽制する効果が期待できます。また、闇に落ちることを防げれば、本人を立ち直らせる機会も作れます。要は、相対的貧困が拡大している中で、犯罪予備軍の軽率な行動を抑えないと、特殊詐欺などの実行犯として使い捨て出来る駒が減らないのです。首謀者を追い詰める一方、犯罪予備軍を減らすことが重要で、そのためには捜査する側に新たな武器を与える必要があると思います。

 

2024年10月 8日 (火)

しのびてくる人見知りてほゆる犬

竜王戦第1局

 先手の藤井7冠が、いわゆる藤井曲線で、消費時間も余裕がある中で、勝ち切ったわけですが、終盤、佐々木勇気8段が仕掛けた2五桂の罠に、同香と取ってしまうと、逆転もあり得たようです。角換わりの戦型で、佐々木8段の3五歩という研究手が出て、挑戦者のペースになりかけましたが、藤井7冠の6七歩で、そのペースが狂い始め、持ち時間の消費が激しくなりました。8八歩ではなく、8七角と勝負していれば、後手にも主導権を握るチャンスがありました。悔いが残るのではないでしょうか?結果として、残り時間の差が佐々木8段を苦しめたと感じます。終盤は、自玉が詰まないことを読み切っていた藤井7冠に対して、攻め合いの勝負に出た佐々木8段が、一直線に負けに追い込まれたという感じです。最後の罠も、短時間で1七桂と打たれたので、読み切られていたようでした。藤井7冠の3三金で佐々木8段の投了となりました。素人眼には、いかにも早すぎるように見えましたが、Abemaの広瀬9段の解説を聞いて、なるほど仕方がなかったと納得しました。佐々木8段が、先手となる第2局にどんな作戦で臨むのか注目です。第1局は、タイトル戦に慣れるので、精一杯だったようにも感じます。扇子でしきりと頭を仰いでいた姿が印象的でした。

 

路上飲酒禁止条例

 渋谷区では、条例によって、駅周辺地区での路上飲酒の禁止を、通年に拡大しました。午後6時から翌朝5時までの間、路上や公園などでの飲酒が禁止されます。騒音やゴミなどの問題への対応が、モラルに訴えるだけでは不十分な時代になっているということでしょう。恐らく、路上飲酒問題は、渋谷以外にも広がっていくと思います。これまでの常識やモラルが通用しなくなっているためです。いわゆる世間という縛りが機能しなくなっているからでしょう。外国人はもちろんのこと、特定の組織に属していない人間が増えれば、そうなるのも当然です。わざわざ渋谷に来て、路上や公園で酒盛りして騒ぐ人間たちは、迷惑な存在でしかありません。条例で渋谷から弾かれる彼らは、別の繁華街へと流れて行くでしょう。いずれ、東京都内のみならず首都圏へと、同じような条例が制定される自治体が増えて行くものと思います。

 

防災庁構想

 石破総理の構想の中身が不明確ですが、防災・減災対策の強化、デジタル技術の活用促進、避難所の快適性の向上などが目的になっているようです。交付金を倍増する計画の地方創生との連携という課題もあるのかも知れません。基本的に、関係府省から事務を移管するのではなく、手が付いていない施策を充実させるために、内閣府の防災担当の人員を増やして、その機能を強化することを目論んでいるようです。ただ、自然災害に強い国土を作るという意味では、国土交通省の所管事務が圧倒的に大きな役割を担っているので、防災庁ができた場合でも、防災・減災に振り向ける資源の優先順位付けなどの調整は、防災庁に移管するわけにはいかないでしょう。また、デジタル技術の活用に関しては、文科省の防災科学技術センターが中核になって、民間の協力を得て、彼らが収集している情報データも統合的に一つの地図に集約するという作業が、被災地の対策本部などで行われています。タテ割りになっている情報が、一元的に共有されるので、人命の救助活動、物資の輸送、避難所への支援などにも具体的に役に立っていると聞きます。防災庁はあくまで東京に置かれることもあり、機動的に動かせる人員もないならば、現地あるいは東京で、何をするのか、できるのかが良く分かりません。水害にも見舞われた能登地震の被災地でも、警察、消防のみならず、水道などのインフラ技術者、保健などの専門家たちが、都道府県の枠を超えて現地に入って、救助、捜索、復旧、健康・生活支援を担っています。近隣での互助は相当進んでいます。現場の人たちに、防災庁の人間が出る幕がどこにあるのか、よく聞くべきだと思います。

 

2024年10月 7日 (月)

物きかむと思ふほどに泣くちご

戦争ミュージアム

 梯久美子「戦争ミュージアム」(岩波新書)は、毒ガスから原爆まで14件の展示施設を紹介しています。始めに取り上げられている大久野島は、野生化したウサギの島として知られています。この島に陸軍の毒ガス工場がありました。著者は、資料館によって、日本軍が製造した毒ガスの量の多さ、製造に関わった人たちの健康被害、毒ガスを兵器として使用した事実を知ったと述べています。中国に残した毒ガスの廃棄に、日本政府は、毎年度6000万円余りの予算を計上しています。毒ガスの廃棄には極めて長い時間がかかるということです。他に印象深いと感じたのは、特攻兵器の数々です。予科練平和記念館に関する記述には、敵の戦車に爆雷を抱いて飛び込む土竜作戦が紹介されています。飛行機から飛び出す人間ミサイルのような桜花、人間魚雷と言われた回天、爆薬を積んだモーターボートの震洋、棒付きの機雷で爆破する伏龍など、本土決戦に備えた非人間的な兵器に、若者の命が消耗させられました。予科練の戦死率は、実に8割です。24000人が戦地に赴き、19000人が帰らぬ人となりました。彼らが、死を免れない特攻作戦に従事されられたためです。こういう不合理な作戦遂行を指導した人間たちには、本当に腹が立ちます。様々な状況において国策の犠牲になった人たちの無念を忘れぬために、各地の戦争ミュージアムの存在は貴重だと思います。

 

競売不動産

 素人は手を出すなと言われています。主な理由は、物件の現地調査が難しい、購入資金にローンを利用しづらい、買受人の責任と費用で引き渡しを受ける必要があるからです。それでも、やってみたいと考える方には、山田、竹本「競売不動産の教科書」(プラチナ出版)が参考になると思います。入札者については、再犯目的の競売不動産専門業者、仕入れの方法の一つとして活用する建売住宅を扱う業者、債権者である金融機関、居住や投資目的の個人、当該物件の賃借人などです。東京都内の競売物件では、マンションが73%を占めています。人気が高いのは、築浅の中古ファミリー用のマンションです。城西、城南地区のものが人気になります。空き家や引き渡し命令がとれている物件には、競合が集まるので、かなりの上乗せをしないと落札できません。結果として、都内の場合は、競争があるために、割安感は小さいようです。一般的に、入札価格は、成約予想価格の8割から付帯費用を引いた金額が基準になり、競合の予想を加味して決められます。落札するには、千円単位の駆け引きが求められます。2023年の落札価格の売却価格に対する上乗せ率は、マンションの場合で49%です。やはり、競合に勝つために、かなり頑張って上乗せしていることが分かります。人気物件(西小山駅徒歩5分の築古マンション16坪1LDK)には、38本もの入札があったとの新聞記事も紹介されています。情報力の格差を考慮すれば、素人では、お得な物件を落札できそうにありません。

 

たまがわ花火

 10月5日に、二子玉川で、花火大会がありました。有料観覧席を購入できたので、小雨の中、家族で見物に行きました。18時の打ち上げ開始直前に、ようやくAブロックの席に着きましたが、二子玉川駅から会場までは、多摩堤通りに群衆が集まるので、通常の3倍くらいの時間を要しました。浴衣を着ている女性たちもいますが、雨に濡れて大変だったと思います。また、無料席の場所取りをして、長時間雨が降る中で待っていた人たちも、全身がすっかり濡れてしまったと思います。1時間ほどの花火は、見ごたえがありました。特に、第4幕のデジタルスターマインは、音楽とのシンクロと多様な花火の組み合わせで楽しめました。ちょうど、2000年になる際に、パリのエッフェル塔から打ち上げられていたフランス流の花火を想い起こさせるような作品でした。パリの花火には、音楽に加えて、レーザーの演出が加わります。たまがわ花火にも取り入れたら面白いでしょう。第5幕の能登への祈りも、色鮮やかな大型で豪華な花火が連発されていたので、迫力がありました。やはり、江戸時代から、私たちの祖先は、一発一発の大輪の花火を鑑賞してきたので、少し間があった方が、色や形の変化が心に残ります。能登の復興は、長い道程になるので、花火を鑑賞した無数の人たちとともに、応援して行きたいと思います。時々、霧雨が激しく顔を打つような天候でしたが、カッパで上半身を、傘で下半身を守りながら、50分ほど空を見上げていました。退場の混雑を避けるために、かなり早く席を立つ人もいましたが、私たちも、第6幕が始まる時点で、吉沢口へ向かいました。二子玉川駅方面は、大混雑するので、用賀駅まで徒歩で移動し、バーミヤンで食事をして帰りました。帰り際、店に入ってくる花火の見物客の人たちを見かけたので、やはり退場にはかなりの時間を要したものと思います。

 

2024年10月 6日 (日)

酒のみてあめき

沖縄独立?

 日経新聞の調査で、中国語の偽動画が拡散されていることが分かりました。琉球は、中国に属するのだそうです。拡散を請け負う大量の情報工作アカウントが存在するのだそうです。沖縄には、米軍基地があり、近未来に台湾侵攻を目指す習近平政権には、目障りな存在なのでしょう。歴史的に沖縄が中国に領有されたことはないのですが、沖縄の人々が、日本からの独立を欲しているかのようなフェイクニュースを流して、中国の世論を誘導する意図があるのだと思います。台湾有事の際に、石垣島あたりが中国軍に狙われそうだとの見立てがありますが、沖縄が日本から独立したいのなら、中国が助けるというような理屈をひねり出すつもりかも知れません。愛国心を学ぶことが義務付けられていますから、特に国際情勢に知識を持たない中国人は、こうした愛国的なフェイクニュースで洗脳されるように仕向けられているわけです。サッカーの代表戦で、日本に負けたことが、国の屈辱であるかのように大げさに反応するのも、中国最強、中国最高という誤った観念に支配されているからでしょう。中国の大衆は、国の情報操作によって、飛んでもなく反日、愛国の傾向を強めていますが、経済的な行き詰まりを踏まえれば、溜まったマグマがどういう形で噴出するか、非常に不安だと感じます。深圳の日本人学校の児童の殺人事件も、一つの暴発ですが、これからも様々な形で事件が続くことを懸念します。

 

自閉症スペクトラム障害

 将棋の永瀬9段が、将棋世界11月号の中で、自ら、この障害であることを明らかにしています。彼が尊敬する人物として挙げているアインシュタインも、同じ障害の持ち主でした。一般的な症状は、対人関係を築けない、一定のパターンの行動を繰り返す、特定の手順を繰り返すことに拘る、限られたことにしか興味を示さない、他人の感情に気づかないなどです。子どもの20~50人に1人の割合で、男性の患者が女性の2~4倍であるとされています。薬による根本的な治療法はないとのことです。脳の遺伝的な性格に由来する障害なので、メカニズムも複雑なのでしょう。症状を緩和する様々な療法が試みられています。永瀬9段のように、将棋だけに打ち込んでいる棋士は稀ですが、良い意味で、自閉症スペクトラム障害が作用しているように思います。ただ、藤井7冠のような傑出した棋士は別にして、自分以外の棋士(特に後輩たち)への関心が低いという傾向は感じます。年長者への敬意、謙譲の精神については、特に拘りを持っていることが分かります。藤井7冠を非常に高く評価するのも、単に強いだけでなく、彼の価値観に適合しているからなのです。自閉症スペクトラム障害であり、それを克服することに努力していることを知って、永瀬9段の発言や行動を見聞きすれば、非常に良く理解できると思います。棋士にも、専ら将棋だけの人と、将棋以外にも多趣味の人がいますが、前者の人は、永瀬9段と同じ障害を持っている可能性はあると思います。

 

大相撲の死に体

 物言いがつくような取り組みでは、しばしば、体(タイ)の生き、死にが、問題になります。内館牧子「大相撲の不思議3」(潮出版社)には、死に体の見極め方として、体が後方へ30度以上傾いている、つま先が上を向いている。足の裏が返っているの3つが引用されています。こうなっては、相撲が取れないので、負けたと見なされるわけですが、土俵際、捨て身で逆転技をかけている力士は、後ろに傾き、つま先が上がっているかもしれません。大相撲で、時に同体と見て取り直しになりますが、どの時点で体がなくなったかは、判断が分かれるのです。逆に生き体は、逆転の可能性が残っていると判断される体勢のことで、恐らく、力士の潜在能力によって異なると思います。足腰が良いために、かなり無理な体勢からも元へ戻れる力士もいます。内館さんは、琴ノ若(先代)が朝青龍に対して、かばい手をついた一番が取り直しになったことを批判しています。かばい手は、手を突かないと相手が怪我をするほど危ない体勢にある場合に行われ、力士の心がけとして教えられます。相撲協会にも抗議が殺到したようですが、日本の精神文化が否定されては、大相撲の伝統が廃れるという趣旨でした。内館さんも、相当頭にきたようで、相撲協会に対して、朝青龍に対する師匠の教育がなっていないと言ったそうです。朝青龍は、まわしを離さずに勝負を捨てていなかったのですから、あえて、琴ノ若のかばい手は不要だったのかも知れません。かりに上に乗られて押しつぶされても、俺は大丈夫だというほど、向こう意気が強い人でした。外国人力士が、かばい手をするような時代が来るのでしょうか?

 

2024年10月 5日 (土)

なでふことなき人の笑がちにて物いたふいひたる

イスラエルの暴走

 アメリカ大統領選挙運動の期間で、現政権が、イスラエルに対して武力による攻撃を抑え込む圧力を掛けることが難しい状況を利用して、ガザ地区のハマスだけでなく、レバノンのヒズボラの戦闘力の低下を狙って、イスラエルが攻勢を強めています。地上侵攻まで行うなどやりたい放題ですが、ヒズボラを支援するイランも本気度のある応戦に至りました。本来ならば、レバノンという国家がイスラエルからの攻撃に対処すべきですが、国家の体を為していないようですし、軍事力でレバノンの味方をする国もないので、イスラエル軍対ヒズボラ(民兵組織)という非対称性の戦争になっています。経済制裁で苦境にあるイランが本格的に参戦することはないのでしょうが、中東は明らかに不安定化しています。結局、アメリカ大統領選挙という実質的な権力の空白期を、イスラエルが悪用しているという構図です。国際法に照らせば、どう見てもイスラエルの行為は正当化できませんが、国連の安全保障理事会は久しく機能不全に陥っており、イスラエルの暴走を外から止める手段は、事実上ないと思います。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ地区及びレバノン侵攻という事実を踏まえれば、日本国憲法前文は、無責任な絵空事に聞こえて来ませんか?アメリカとの同盟関係だけに頼るわけにはいかないと自覚する必要があると思います。

 

棋士編入試験第2局

 西山女流3冠の棋士編入試験第2局は、試験官の山川4段が後手で勝って、1勝1敗となりました。Abemaで視聴していましたが、山川4段が飛車を捕獲するなど駒得することで中盤から優位に立って、終盤に、西山女流が勝負手を繰り出して玉頭からの攻撃で逆転を目指したのに対して、山川4段はベテラン棋士のような負けにくい4二金のような手を指して、逆転を封じたという流れでした。最後は、着実に寄せて粘る西山女流を投了に追い込みました。山川4段の受け将棋の強さが目立ちました。西山女流の真田軍のような玉頭に殺到する迫力ある攻めにも動じることなく、玉を安全にするために冷静な対応をしていたのには、感心しました。西山女流は、コロナ感染症から回復したばかりで、対局中も咳が続いていたので、集中力の持続に問題があったのではないでしょうか?万全の体調で大切な対局に臨めなかったのは、気の毒でした。第3局以降の対局には、元気な状態で臨んで、抜群の終盤力を発揮してほしいと思います。

 

土俵の女人禁制

 大相撲の土俵には、女性が入れないとされています。江戸時代なら、弘法大師が開いた高野山にも女性は入ることが許されないなど、女人禁制の場所がありましたが、今日では、そうした禁制の大半は廃止されました。それが現代の常識です。土俵がなぜ女人禁制のままなのか、公式の説明はないのでよく分かりません。内館牧子「大相撲の不思議3」(潮出版社)によれば、①土俵が結界である。②結界は聖域で、障害物は入れない。③女は障害物である。④なぜなら女は不浄だからだ。⑤なぜなら、開口部から血を流すからだ。⑥だから女は結界内には入れない。⑦だから女は土俵に上がれないという理屈があるようです。内館さんは、あくまで相撲協会自身が決断すべき事柄だとした上で、聖域だというならば、その重みをきちんと示すべきだと述べています。横綱審議委員として協会に注文を付けたこともあるようです。伊勢神宮でも一定額以上の寄付をすると、神さまに一段近づいた場所での参拝が許されますが、スーツにネクタイ着用を求められます。内館さんが言いたのは、せめて同じように服装コードを設けるべしということでしょう。クールビズは不可になります。私は、神さまの住居としての社殿でもない土俵自体が聖域だというのは、かなり無理があると感じます。土俵を清める儀式が行われていることは理解していますが、あくまで力士が相撲を取る場としての措置に過ぎません。要は、単なる相撲場なのです。高校球児にとっての甲子園は憧れで、心の中では神聖な場所でしょうが、信仰に基づく聖域とは言えません。また、女性を不浄だと決めつける思想を公益財団法人が維持するのは、まったく不適切だと思います。女性が宮司にも権禰宜にもなれる時代に、女性蔑視を克服できないのは、時代遅れです。相撲協会は、伝統墨守に固執するあまり、大相撲の未来を危うくしているように見えます。それに気づいて、これまでのシステムを全体に見直すべきでしょう。危機にあるにも拘らず、見て見ぬふりを続けているのは、愚かなことでしかありません。内館さんのような根っからの相撲好きで、きちんとモノを言う人を排除するのでは、変革への希望は持てません。チケット完売で危機意識も持たずに安住しているのは、情けないことです。

 

2024年10月 4日 (金)

ゐるままにすなはちねぶりごゑなる

ビックリハウス

 富永京子「ビックリハウスと政治的関心の戦後史」(晶文社)は、1980年代のサブカルチャー誌を拠り所に、なぜ若者の政治参加や社会運動の実践が衰退したかを読み解こうとする試みです。私自身も、「話の特集」や「ビックリハウス」を購読していた時期があるので、興味を持ちました。当時は、かなり過激なものも含めて、社会問題を取り上げる政治色の濃い雑誌が相当数ありました。それらも併せてしばしば読んでいたので、言葉遊びのサロンのようなビックリハウス専門というような読者像を描くのは間違っています。あえてあるとすれば、糸井重里さんのようなコピーライターになりたい青少年でしょうか?その当時は、大学紛争のような政治の時代は終わっており、一部に燃え残っている感じの人たちがいましたが、ごく少数でした。キャンパスで対立するセクト間での殺人もありましたが、大勢の学生には無縁の話でした。せいぜい、大学の学費の値上げにクラスで反対決議をしたくらいです。ビックリハウスの投稿は、簡単に言えば、権威に対するパロディでした。批判精神は持ちつつも、政治的な主張を声高にするような場ではないという前提で、仲間内で言葉遊びを楽しんでいただけです。それ以上でも、それ以下でもないのです。投稿で、社会を変えるというような意図はありません。社会運動をやりたいなら、別の場があったわけで、ビックリハウスは、軽いパロディのサロンで良かったのです。大げさに言えば、知的な遊戯場といえるでしょう。もちろん、ビックルハウス命というわけではなく、政治や社会に無関心というわけでもなかったことを言い添えておきます。

 

アジア系のアメリカ史

 チョイ「アジア系のアメリカ史」(勁草書房)は、アジア系の観点からアメリカ史を再解釈するする試みです。20年以上、大学で、このテーマを講じている著者によれば、キーワードは、暴力、消去、抵抗です。すなわち、アジア系への嫌悪と暴力、アジア系の経験を消去しようとする圧力(忘却への誘い)、アジア系による抵抗としての創造的な力の3点です。著者は、時系列を遡るかたちで、これらを論じて行きます。最も新しいトピックは、コロナ禍におけるアジア人へのヘイトです。差別の対象は、中国系はもちろん、他のアジア系にも広がりました。潜在的なアジア系への差別感情が、「中国ウィルス」という言葉で刺激された結果です。また、看護の担い手として前線で重要な役割を果たしていたフィリピン出身の看護師たちが、死者の多数を占めたという事実を紹介しています。危険な仕事を担わされたためでしょう。1975年のベトナム戦争後の、インドシナ難民の移住に関しても、大きく取り上げられています。ベトナム、ラオス、カンボジアを離れた100万人以上がアメリカに受け入れられています。大量の難民は、戦争のトラウマを抱えながら、アメリカ社会に受容されていき、彼らの影響によって、アメリカ文化も変容していることが紹介されています。日本人との関係では、1942年の12万人の日系アメリカ人の収監が取り上げられています。敵性外国人と決めつけられて、強制移住、隔離させられました。著者は、正義が否定されたと表現しています。この黒歴史が、アメリカ人に適切に知られていないことにも注意が必要です。未だにこうした措置を正統だったとして、今日の不法移民への厳しい対処にも適用すべきだという見解があるからです。日本人を含むアジア系の歴史を知ることは、アメリカへの理解には欠かせません。こうした科目が教えられている大学が広がることを期待しましょう。著者が時系列を遡る形式にしたことは、今、アメリカで起こっているアジア系への差別に注目した上で、その由来を、歴史を遡って理解するという意味があると思います。悪くない工夫です。

 

女流棋士のライフサイクル

 女流棋界は、福間さんと西山さんが牽引していますが、福間さんは、妊娠中で、出産を控えています。その後は、子育ての期間になります。また、第二子が生まれる可能性もあるでしょう。西山さんは、棋士編入試験の受験中で、女流棋士+棋士という初めての存在になるかもしれません。もちろん、結婚⇒妊娠・出産というステージを経験する可能性もあり、要は、女性の妊娠・出産について、対局スケジュールでどのような配慮をするか、具体的に検討する必要があると思います。これまでは、女性の妊娠・出産に関して、特段の配慮もなく、対局に臨めなければ単に不戦敗にされていました。福間女流は、タイトル保持者でもあり、出産の時期を避けて予定を組み直す必要があるでしょう。福間さんと西山さんに続く女流棋士も、若い人が多く、女性のライフサイクルに配慮した対局スケジュールは必須だと思います。将棋連盟は、女流棋士たちから意見を聞いて新しいルールを作るべきでしょう。

 



2024年10月 3日 (木)

いそぐ事あるをりにきてながごとするまらうど

石破総理の主体性

 これまでは、非主流派として、堂々と自説、正論を述べてきた方ですが、トップに就いたとたんに、予算委員会での論戦を避けて、新政権の政策の詳細を示すことなく、いきなり衆議員選挙に突入する道を選びました。こうした方針変更は理由があるのでしょうが、変節したことは否定しがたく、今後の政権運営が思いやられます。自民党にとっては、逆風が予想されるので、ボロが出ないうちに衆議員選挙を終えて、被害を最小化しようというのは、石破総理らしくないでしょう。自分の政治家としての経歴に傷をつけるような選択をするのは、間違っていると思います。負けるべき議員は負けるでしょうが、総理が堂々としていれば、政権は信頼されます。総裁として3年の任期があるわけですから、その間に達成する目標を示して、堂々と国民に信を問うべきでした。こんなことでは、自民党が石破総理によって変わるという期待が萎んでしまいます。姑息な手法は、支持率も下げるので、結局のところ通用するとは思えません。特に経済政策については、重要ですから、ブレーンの協力も得て、世界の投資家を納得させるようなものを作るべきです。それには時間がありません。石破総理で、日本経済は大丈夫でしょうか?裏金議員も公認するようなので、石破総理は、どこで主体性を発揮するつもりでしょうか?始めから高くもない支持率が1か月以内に急降下してもおかしくありません。

 

喜劇人に反省は無用

 萩本欽一さんの言葉です。週刊文春で読みました。世の中の人は、自分の行動を反省して、次の機会に生かすというパターンで、失敗を繰り返すことを避ける知恵を学んでいます。反省をしないということは、同じような失敗をしても仕方がないということになります。恐らく、喜劇人は、今のこの瞬間で笑いを取ることだけに集中した方が、良い結果が得られるということなのでしょう。過去の反省から学ぶという姿勢からは、一番大切な瞬間の瞬発力は生まれないということです。考えるより先に体や口が動いているのが、理想の喜劇人だというわけです。そうは言っても、芸事ですから、今度はこうしたらどうかというような省察は行っているでしょう。ただ、その結果を実践しようと考えて行うのはダメで、体に染みつかせる、考える間もなく体が動いているレベルにまでならないと、使いものにならないという意味だと思います。相撲などの短時間で勝負がつく格闘技に似ています。

 

大阪府・市の教育改革

 髙田一宏「新自由主義と教育改革」(岩波新書)は、大阪の教育改革への全面的な批判を展開しています。主な論旨は、新自由主義の教育改革によって、公正重視から卓越性重視へと重点が変わり、小中の学校選択制によって、格差の拡大と地域の分断が起こっているというものです。高校の淘汰と進路保障の危機を招いており、学力向上という目標についての検証がなされていないと批判しています。要は、新自由主義による教育改革は失敗で、子どもの権利保障の観点から、教育改革をやり直す必要があるという指摘です。私も新自由主義の改革が常に正義だとは思いませんが、教育委員会の従来にやり方に任せていては、学校教育のマネジメントが時代遅れになったままだという危機感は共有します。維新の会が主導した教育改革は、多数の保護者からの支持を受けて行われたものでしょう。競争原理の導入による改革は、公平な評価と適正な処遇という実務の裏付けがあって始めて機能しますが、学校の背景にある地区自体に潜在的な格差があるので、単純に学力テストの点数で資源配分をしたら、公教育の破壊に繋がります。かつて、東京都内でも、有名な中学校への越境入学が盛んな時代がありました。大阪でも、学校選択制が導入されたために、区域外からの希望者が多い学校が生まれているようです。かりに公立でも校長に人事権を始めとするマネジメントとの権限を与えれば、本当の学校間競争が可能になるかもしれません。中途半端な状態での競争は、公教育の現場に弊害をもたらしたという指摘は、的外れではないと思います。ただ、新自由主義だからダメだったという立論は、公平な評価だとは言えません。従来型の教育委員会任せで、低学力、不登校・中退、いじめなどの問題への対応が、より良い結果を得られたという保障は全くないのです。学校区で縛られてきた保護者や児童生徒から、選択制が支持されているのも分かる気がします。行きたくない学校、信頼できない教師から自由になれるからです。それほど公立学校への信用が落ちているという問題が根底にあり、新自由主義の教育改革は、それを副作用覚悟で、劇薬を使って治そうとする試みだと思います。別の治し方があるなら、理念ではなく、総合的な実行プランを示すべきでしょう。批判だけなら誰にでもできます。

 

2024年10月 2日 (水)

あまり心よしと人にしられぬる人

プロレスと大衆

 Netflixで「ミスター・マクマホン 悪のオーナー」というドキュメンタリー作品を観ました。主人公は、WWEというプロレス団体を巨大なビジネスに成長させた辣腕の経営者です。もちろん、彼に対しては毀誉褒貶があります。非常に興味深いのは、40年以上にわたり、彼が常に虚構と現実を曖昧にする手法を使って、大衆を扇動してきたことです。自分はもちろん、実の家族や愛人役なども、その駒に使います。大衆の興味を引くように、かなり際どい物語をこしらえて、自身は、観客から大ブーイングを食らうような、最低の父親、嫌われる経営者、女性蔑視の尊大な男に成り切るのです。トランプさんが大統領になる前に、対抗する勢力の首魁として登場し、マクマホンさんの率いるチームに勝利して、マット上で彼の髪を切るというような演出もありました。プロレスの観客は、こうした品の悪い屈辱の演出に特に興奮するようです。トランプさんの大衆の扇動手法は、明らかにプロレス会場で培われたものです。かつてのプロレスは、善と悪の戦いを見せるものでしたが、今は、全員が悪で、中に極悪がいるというような演出です。大衆が憧れる対象が、誰よりも強い肉体を持ち、あらゆる欲望丸出しで、手段を択ばず、すべてを手に入れる支配者のような人間に変わったと言えるでしょう。観客席の大衆には、富も、名声も、筋肉も、愛人もないので、すべてを持っている悪人たちが眩しく映ります。嫌悪しながらも、強い憧れを抱くのです。マクマホンさんは、そうした心理をうまく利用して、大衆を引き付けて行くのが上手でした。また、自分自身も、肉体改造に励んで、時にはレスラーとの格闘さえ見せて、虚構の人物像を作り上げて行きました。ただ、最終的に、複数の女性から性的虐待を訴えられたことで、上場企業になっていたWWEから去ることになります。虚構を演じている中で、自分自身、現実との境が分からなくなってしまったのかもしれません。現代の政治家は、みな同じような状況に置かれていると思います。少なからず、本当の自分を抑えて、大衆受けする自分を演じているはずです。虚構と現実の折り合いをつけるのは、それほど簡単ではないと思います。誰もが善人ではいられません。

 

住宅ローンの基準金利

 大手5行が、0.15%の引き上げを行うことを発表しました。変動型の利用者の金利負担が増えることになります。金利のある世界への転換に伴い、仕方がないこととは言え、個人消費への影響が出ると思います。さらに金利が上昇して行けば、ローンの負担に耐えかねる利用者も出かねません。不動産価格が長期的に上がり続ける保証もなく、人生最大の借金である住宅ローンの基準金利の上昇は、実質的に可処分所得を引き下げるので、石破新政権にとって、思いのほか大きな問題になるのではないでしょうか?個人消費が経済成長のカギだというなら、金利上昇の影響を緩和する合理的かつ効果のある経済政策を打ち出してほしいと思います。

 

王座戦第3局

 後手の藤井7冠が稀に見る大逆転で永瀬9段に勝ち、王座のタイトルを3連勝で防衛しました。角換わりの戦型で、長い中盤は両者互角が続きました。終盤では、永瀬9段が優勢になり、残しておいた持ち時間を投入して、見事に最善手を指し続けて、ほぼ勝勢となっていました。ただ、両者1分将棋になっていたことで、藤井7冠が乾坤一擲、9六香と王手したのに対して、永瀬9段が、当たり前に見える9七歩と打った瞬間に、評価値が大きく逆転しました。解説の中村8段、本田6段も、永瀬9段のまさかの失着に、驚愕の表情を浮かべていました。9七桂と跳ねておけば、詰みに向けて9筋に歩が使えるので、永瀬9段の勝利は動かなかったはずです。歩を使えなくなったので、藤井玉が積まなくなりました。それが藤井7冠が仕掛けた罠でした。ここに誘い込む前には、永瀬9段の馬の筋を変えさせるという仕込みもしています。持ち時間を使い切った藤井7冠でしたが、1分将棋の中でも、最善の対応で、決め手を与えない指し回しができる上に、必殺の罠の仕掛けまで整えているとは、本当にすごいと思います。なかなかの勝負師でもあります。難解な将棋で勝利を手中にしたようにみえた永瀬9段でしたが、藤井7冠の仕掛けた魔法にやられてしまったという感じです。Abemaで終盤を視聴していましたが、一つのミスですべてを失った永瀬9段の姿に、将棋の残酷さを改めて痛感させられました。またゼロからやり直すと述べていた永瀬9段の闘志、健気さには、心から拍手を送ります。天晴な人格者です。ぜひ応援しましょう。

 

2024年10月 1日 (火)

精進の日のおこなひ

石破新総裁の目つき

 誰が自民党総裁になっても構わないのですが、石破新総裁の目つきは、何とかならないものでしょうか?質問に答える際に、自説を唱えて行くうちに、次第に、相手に絡んでいるような目つきになってきます。あたかも、酒に酔って、絡まれているような嫌な印象を与えるのです。こういう目が据わっているような人とは、一緒に酒を呑みたくないと感じてしまいます。直せないならば、縁の太い眼鏡を掛けたらどうでしょうか?他人の顔について、あからさまに難を指摘するのは失礼ですが、日本の行政のトップとなる人なので、あえて申し上げています。あの怖い目つきを何とかしないと、顔から受ける印象が自民党への投票へのマイナスとなるのではないでしょうか?党内基盤も脆弱だと言われていますので、衆議院選挙に勝たないと、足を掬われる可能性もあります。誰かご本人にアドバイスしてあげてください。なお、石破政権の発足が決まった直後からの株安が元に戻ることなく選挙に突入すれば、とても自民党は勝てそうにないと思います。党役員や閣僚の顔ぶれを見ても、新鮮味が感じられません。70代の人をあえて何人も大臣にする必要があるのでしょうか?単なる論功行賞ですか?失望されるだけです。

 

七代目三遊亭圓楽師匠

 空位になっていた圓楽の名跡を、王楽さんが継ぐことになりました。笑点でお馴染みの好楽師匠の息子さんで、五代目圓楽師匠の弟子ということですから、七代目になる資格は十分だと思います。もしかしたら、五代目、六代目と同様に、遠くない将来、笑点のレギュラー回答者になるのかもしれません。いずれにせよ、圓楽の名跡を継ぐことは、圓楽一門の総帥としての役割を担うことになります。圓楽一門会で、王楽師匠の落語を聞きましたが、父の好楽師匠より、明らかに上手です。しかし、演じる落語の巧拙以上に、いかに一門の繁栄を築くことができるかという課題に取り組まなければならないでしょう。しばしば話題になりますが、落語家の人数が非常に増えました。真打になっても、落語を演じるだけで生活して行くのが大変だろうと思います。一般的には、15年ほどの修業を経て、真打に昇進するのですが、チケットが常に完売するような人気のある師匠は、極めて限られています。過去の経緯で4団体に分かれている状況も、今となっては不可解です。六代目は、顔も広く、他団体の落語家さんたちとも、心を開いて親しく交流していたようですので、七代目圓楽師匠にも、4団体の統一への雰囲気づくりに尽力してほしいと思います。

 

Jリーグの天王山

 J1のリーグ優勝争いも佳境です。先日、広島と町田の首位攻防戦がありました。ホームの広島が、2-0で勝利して、残り6試合の時点で、勝点差が3になりました。まだ決定的な差ではありませんが、直接対決で勝利したことは、かなり優位に立ったと言えるでしょう。広島の2点は、前半20分過ぎまでに決めたものですが、いずれも、右サイドから中野選手が上げたクロスに、中央の選手が合わせた形でした。MOMは、中野選手でしょう。町田は、後半から、選手を入れ替えて、広島の右サイドからの攻撃に対処しましたが、明らかに先発の起用を間違えました。先制されてしまうと、町田が得意とするカウンター攻撃は、広島の早い対応と帰陣で、ほとんど機能しませんでした。高さを生かしたロングボールも正確性を欠いて、決定機が作れませんでした。枠内シュートの少なさが、それを物語っています。むしろ、後半、広島に3点目が入ってもおかしくない場面を作られていました。この試合を見る限り、誰が見ても、広島が攻守に町田を上回っていたと言えるでしょう。J1新参で旋風を巻き起こしている町田の攻守が、他チームに研究されて、次第に通用しなくなっていると感じます。このままでは、リーグ終盤戦で、町田が失速してもおかしくないと思います。優勝に一歩近づいた広島の対抗馬は、神戸の方になるのではないでしょうか?ただし、ACLによる過密日程の影響が唯一ない町田にも、コンディションの面で、一縷の望みがあると思います。

 

« 2024年9月 | トップページ | 2024年11月 »

最近のトラックバック

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ