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沼津経営塾

お互いに切磋琢磨して、人生をより良いものにしていきたい。コツコツ学ぶ仲間の集いです。月1回沼津三島にて勉強会を開いています。

【金の為なら】

おはようございます!
小野です。

sugatani.jpg

“キンメダイの姿煮”は見たことも食べたこともありますが
“黒毛和牛の姿煮”? どれだけ大きいんだ?
五日目、宜しくお願い致します。

「金のためなら?」
ある取引先の社長から、事務機を扱っている会社の方を
紹介して頂きました。その会社はOA機器や文具などを
企業に販売している会社で、手広くやられているようですが
以前お付き合いのあった電話業者を変えたいという要望があり
うちの会社を紹介して頂いたのです。
電話機はうちの会社から仕入れて頂き、工事もうちの会社で行うので
簡単に言うと、営業をしないで商品販売と工事が出来るというものです。
もちろん、電話機は仕切りを入れて販売するので、自社での販売と
比べると利益は少ないですが、営業経費と思えばいいのかなぁ?
と思っています。
特にお断りする理由もなく、同じようなお取引をさせて頂いている
会社もありますので、お受けすることにしました。
実際、もう数社のお打合せや、納品もあり、商売的には特に大きな問題も
ありませんし、ありがたいことではあるのですが。

ただ…
先日、その責任者の方の車の後を、私は車でついて打ち合わせに
同行したのですが、私の前で窓から手を出し、たばこの灰を
指でピョンピョンとやるのです。それ、私からすると、「×」なんです。
そして私たちが使う言葉遣いと、乱暴とまでいいませんが、
ちょっと違うんですよね。

結局、私の思いと少しズレていて、イヤだな~って感じなんです。
だったら取引をやめたほうがいいとも思うのですが、
売上もほしいですし、結局“金”のために自分の思いを曲げるのか?
って事になっちゃうんですが・・・

ここは割り切ってお付き合いをしながら、少しずつでも
沼津電話の理念を理解して頂き、影響を与えられるようなお取引を
していったほうがいいのでしょうか?
まだお取引が始まったばかりで、どう転ぶかもわからない状況ですが
気になっちゃたんです。

【最後の猫ちゃん】

おはようございます!
小野です。

昔は便器が割れるくらいの水圧があったのですが
最近はジョウロのようです。こんなところでも老いを感じます。
四日目、宜しくお願い致します。

「最後の猫ちゃん」
2月22日は「猫の日」だそうで、ラジオでも猫のことが
取り上げられていました。

その話の中で、私と同世代の女性が20年飼い続けた猫ちゃんが
急に動けなくなり、慌てて病院に連れて行くと“脳梗塞”という
診断が下ったそうです。
献身的な看病の甲斐もなく、亡くなってしまったのですが、
「また子猫ちゃんから育てるには年齢的に無理があるので
諦めようと思う」と話していました。
猫の寿命もドンドン延びているんですね。
今自宅にいる猫ちゃんたちが、元気に生き続けてくれたら、
最後には面倒を見ることが難しくなるかもしれません。
そう考えると、今いる猫ちゃんが最後の猫ちゃんになるのかな?
とも思うと、切なくもあり、かわいらしさも、増し増しです。

猫用保険に入ったほうがいいのかなぁ?
元野良猫でも入れるのかなぁ?
手術代、何十万円とか、聴いたことがありますし、
病気になった時、「元野良猫ですからいいです」って
もう言えないもんなぁ~(汗)
皆さんはどうされているんだろう?

うちの家猫ちゃんがきてからというもの、
小野家がグッと明るくなりました。
あっ、前は暗かったわけではありませんが。(汗)
おばあさんのところに毎日おやつをもらいに行くチビに
話しかけているおばあさんを見ていると、なんかちょっと以前より
元気になったようにも感じますし、娘のお尻を踏み踏みしたり
息子について歩き、足元をずっと離れなかったり、膝の上に
ちょこんと乗ってきたりと、猫ちゃんにたくさんの癒しをもらい、
家族の会話が間違いなく増えてます。
やっぱり、保険、入っておいたほうが良さそうだなぁ。

【自己紹介】

おはようございます!
小野です。

うちの猫ちゃんにご褒美を!と、コンビニで猫の缶詰を買おうと
レジに持っていくと、外国人の店員さんが「オハシ、ツケマスカ?」と。
「いらニャイです。」と言っておきました。
三日目、宜しくお願い致します。

「自己紹介」
先日のブログで書かせて頂きましたある会のお誘いの時に
参加者全員が自己紹介をする時間がありました。
実は、静岡経営塾では、人を引き付ける会社紹介(5分以内)と
人を引き付ける自己紹介(30秒以内)を作るという課題が出ています。
そんなことを意識、皆さん(20名くらい)の自己紹介を聞いていると
まぁ、魅力的な自己紹介は一人もいなく、今思い出そうとしても
誰一人浮かんできません。あっ、私もその一人ですが・・・(涙)
しかも、円卓、男性がほとんど、飲み始めての自己紹介ですから、
聴いている人もマバラだったかもしれません。
あっ、手品をやる時のいちばん難しい状況と一緒だ!(汗)

確かに30秒くらいで自分の魅力を伝える、印象に残る自己紹介が
出来るというのは、難しいですよね。
それだけに、相手に自分の魅力が届くインパクトのある自己紹介は
大切だと思います。
円卓、親父たちが飲み始めてもみんなを振り向かせるくらいの
自己紹介したいです!

これを機会に沼津経営塾の皆さんも、一緒に作ってみたらどうでしょう?
次回の沼津経営塾、3月4日に発表してみては?
苦労して作ったとしても、役に立つこと、間違いないと思います。
そして、やっぱり聞いていただいた皆さんからの感想が大事だと
思います。
自分が伝えたいことがどこまで伝わっているか? 
その時の印象など、自分ではなかなか分かりませんもんね。
一回作っちゃえば、ちょっとのアレンジで、どこでも使えるから
絶対いいと思うんです。
勿論、自己紹介ですから、何が正しいとか正解は無いと思いますが
だからこそ、その時の印象を聞けるのは大切だと思います。

【久し振りのお誘い】

おはようございます!
小野です。

お腹が痛くなってしまい、コンビニでトイレを借りようと入店すると、
トイレの扉に「使用時には店員に声を掛けて下さい」という張り紙がありました。
レジまで行き、「すみません、トイレをお借りします!」と伝え
再度トイレに向かうと、後から来た人が黙ってトイレに入っていきました。
俺のが先なのに… 漏れなくて良かったです。
あっ、トイレを借りた場合、お礼に「大」の場合はおにぎり、
「小」の場合お茶を買うようにしています。
二日目、宜しくお願い致します。

「久し振りのお誘い」
私は今から20年以上前、ある会に所属していました。
ある取引先の社長から、「これから会社を継ぐんだったら
入会しておいたほうがいいぞ!」と言われ、
言われるがまま、入会をしたことを覚えています。
その会に入会して良かったと思うのは、人との縁を頂けたことです。
杉井さんとも、その会を通じて出会うことが出来たので、
本当に感謝しています。

先日、本当に久し振りにその会の先輩から
「今度、飲み会があるんだけど、小野ちゃん来ない?
他のみんなも会いたがってたよ!」と連絡を頂きました。

ずっとご無沙汰ですし、たまにはこんな機会に縁をつないで
おいたほうがいいかなぁ?と思い、参加させて頂くことにしました。
当日、久し振りの再会にワクワクしながら伺うと
なんと、別のある会へ、のお誘いでした。(汗)
確かに、そこには以前お世話になった先輩たちがいらっしゃいましたが・・・
正直、がっかりしましたよ。

奉仕の会だと話していましたが、会費月額2万円。
それだったら、その2万円を使って、個人的に施設などに
貢献したいですよ。
そして、もう一つ驚いたことに、私が知っているだけで2名、
会社を整理された方がいらしたのです。
いやいや、私は奉仕の会がいけないなんて言いませんし、
奉仕の心は、本当に大切なことだと理解しています。
でも、お金もかかるし、奉仕どころじゃないだろうに。(汗)

お酒がすすむにつれ、ゴルフの話などが飛び交う様子を見ていると、
私の入会する場所じゃないと、簡単に分かりました。

あっ、声を掛けて下さった先輩はきっと私の役に立つと思い
声をかけてくれてのだと思います。
そうして、覚えていて下さることは本当にありがたいことです。
これからも、出会うことが出来たこのご縁を大切にしていこうと思います。

【健康だとわからない】

おはようございます!
小野です。

先日、お風呂で「いつもと違う香りのシャンプーだなぁ~」と気づき、
メガネをかけ、そのボトルを見てみると、「猫用」と書いてありました。
心なしか、ちょっと髪の毛が“ねこっ毛”になりました。
一週間、宜しくお願い致します。

「健康だとわからない」
何回かブログに書かせて頂いているので、皆さんはご存じだと
思いますが、私は小学校の頃、今でいう不登校児でした。
家族には本当に迷惑をかけたと思います。
そんな私ですが、実は中学、高校と皆勤賞をもらうほど
学校が好きになったのです。(笑)
中学と高校両方での皆勤賞は同級生でそういなかったと思います。
すごいと思いませんか?

では、どうしてそんなに変わったのか?
それは小学5年生の時、担任の先生が昼休みに毎日体育館で
テニスをしていて、何回かそのボール拾いをやらされたのですが
「小野のボール拾いは良いなぁ~」とおだてられ、
まんまと毎日ボール拾いをさせられるようになったのです。
そんなどうしょうもないきっかけで、私は不登校にお別れしたのです。
まぁ、皆勤賞というと、とにかく健康でないともらえない賞ですよね。
私はありがたいことに6年間、病気もケガもなく、「健康」で
通い続けることが出来たということです。

今、歳のせいなのか体調を崩す機会が増え、気づいちゃったことが
あるんです。

それは以前、社員さんが体調が悪いから休みたいと申告してきた時、
「ちょっと熱くらいだったら出てきてよ! 人がいないと困るの
分かってるでしょう!?」って、こんな調子で会社に来てもらうことが
何回もありました。(汗)
難病にかかってしまった社員も、調子の悪い中、
それでも会社に出て来てくれていたにも関わらず、
「なに座り込んでるの? お客様の前でしょう!」と
言ってしまったり…(汗)

今こうして、自分が体調を崩して感じるのは、
“体調の悪い時は休んだほうがいい” 
そう! やっと理解したのです。
もちろん、昔から頭ではわかっていたつもりです。
でも、いざその状況になると、「それくらい大丈夫だろう!」と。

本当に申し訳なかったと今になって反省しています。

一週間のお付き合い、ありがとうございました

 「  一週間のお付き合い、ありがとうございました  」

                        2024.2.24(土)
              古橋 力     タクシー会社勤務

連日のコメントをありがとうございます。おかげさまで、ブログも7日目になりました。
本日のブログは、岡崎巡り・その3です。お付き合いください。
明日からの沼津ブログの襷は、小野さんが受けてくれます。

「岡崎巡り・その3」

朝早くから岡崎巡りをしましたが、じっくりと見入ってしまい、あっという間に夕方になってしまいました。今日は、大樹寺、滝山寺東照宮を紹介します。何とか、暗くなる前に観ることが出来ました。

○大樹寺
大樹寺(だいじゅじ)は、松平家(徳川家)の菩提寺です。当時から、江戸幕府将軍家の位牌所と位置づけられていました。歴代将軍の等身大の位牌が安置されています。
桶狭間の戦いで負け、今川義元戦死を受け、大樹寺に身を寄せた家康が自害をしようとしたそうです。住職が家康に説法して、自害を思いとどまらせたと言い伝えられています。「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」は、極楽浄土に生まれ変わることを心から願い求めることという意味です。徳川軍の旗印にもなっています。それを家康は成し遂げたのです。
本堂は1855年の火災で焼失していますが、三門(山門)、多宝塔は500年前の当時のまま存在しています。多宝塔は、国の重要文化財です。

多宝塔と本堂
  本堂と多宝塔

三門
  三門

○ビスタラインとは・・・
本堂からは三門、総門を通して岡崎城が望めるように建築されていたのです。これを、現代の岡崎では、ビスタラインと呼んでいます。実際に総門の開口部を見ると、岡崎城が見えました。約3キロあります。市民の理解があって、このライン上には高層建築物を建てないとのことです。素晴らしい事だと思いました。
      
三門とビスタ
         ↑ この間からお城が見えました

○滝山寺東照宮
徳川家光は、この大樹寺に東照宮を造るように命じましたが、大樹寺境内ではなく、人里離れた滝山寺に造られました。滝山寺東照宮(たきさんじとうしょうぐう)です。日本三大東照宮の一つなのです(久能山と日光)。

紅葉

紅葉がきれいな石階段を上っていくと、檜皮葺の滝山寺本堂が在りました。その横に、東照宮が見えます。塗装の復元工事が終わったばかりで、見事な色合いでとても綺麗でした。私感ですが、滝山寺と東照宮の空間は、パワースポット感がありました。

石階段

東照宮
  滝山寺東照宮


今回、岡崎を巡りましたが、随所で「家康・愛」を感じました。家康生誕の地を市民で盛り上げているのだと思いました。
去年は、大河ドラマで「どうする家康」が放送され、地元浜松も舞台となり、私の中では家康がマイブームとなっていました。家康にまつわる様々な場所を巡ることで当時に思いをはせることが出来ました。家康ではありませんが「厭離穢土欣求浄土」で戦争のない平和な世の中になってほしいものです。

一週間、お忙しい中コメントをいただき、ありがとうございました。
小野さん、明日からの襷をよろしくお願いします。

岡崎巡り、その2

  「 岡崎巡り、その2 」

                         2024.2.22(金)
               古橋 力     タクシー会社勤務

連日のコメントをありがとうございます。
ブログ6日目です。本日も、お付き合いをよろしくお願いします。

岡崎大河ドラマ館は、岡崎公園内の二の丸にありました。休日でイベントも開催されていたので、賑わっていました。展示物は、撮影禁止のものも多く、ドラマ関係以外でも見ごたえがありました。その理由は、後で知ったのですが、「三河武士のやかた家康館」という建物がもともとあって、ここをドラマ館としてリニューアルオープンしたからだと思います。

ドラマ館外観

松潤と
三河最強の武士、本多忠勝


岡崎城とドラマ館を観たあと、お昼を食べようとあらかじめ調べておいた、八丁味噌を伝承しているお店に歩いて行ってきました。八丁味噌という言葉は、よく耳にしますがどういう物なのかは知りません。探って、いえ楽しんできました。味噌を始め、いろんな商品がありました。

カクキュー、かりんとう

岡崎城から西へ、八丁(約872m)にある八丁村(現・八丁町)で作られていたのでこの名がついた様です。今は、カクキュー、まるや、の2社がこの地で作っていす。尺貫法では、1丁=60間、1間=6尺=1.818m、8丁=約872mです。

みそ樽
カクキューの食堂から見ることが出来ます
矢作川の自然石を、地震でも崩れないように積み上げるには
10年以上の修行がいるそうです
みそカツ、なべ焼き
八丁味噌カツ       八丁味噌なべ焼きうどん・田楽
独特の味です。美味しかったです。

八丁味噌は、ダシや調味料を混ぜないで、6尺(1.8m)の木の樽に丸石を積み上げて重しとして、豆と塩と水だけで約2年間、熟成させる豆味噌だそうです。製法の基準を満たしていれば、八丁味噌を名乗れるようです。家康も、この製法の八丁味噌を好んで食して、75歳という当時としては長寿を全うしたと言われています。

皆さんが良く食べている赤だしの味噌汁は、八丁味噌と米味噌(1:1)とダシで作られているそうです。
豆味噌(八丁味噌など)は、愛知・岐阜・三重県で製造されています。浜松では愛知県の食品が身近に売られているので八丁味噌もスーパーに並んでいます。先日も妻が、八丁味噌で味噌鍋を作ってくれました。
岡崎城と合わせて、八丁町へ訪れる事をお勧めします。





家康がが生まれた岡崎城

  「 家康が生まれた岡崎城 」

                           2024.2.22(木)
                  古橋 力    タクシー会社勤務

コメントをいただき、ありがとうございます。
ブログ5日目です、よろしくお願いします。

昨年末に、岡崎市の「大河ドラマ館」へ行ってきました。現在は、岡崎、浜松、静岡の各ドラマ館は、閉館しています。
岡崎城や岡崎の街も巡ってきました。

岡崎城
岡崎城下古地図
東海道が城下に取り込まれました

岡崎城は、徳川家康の祖父である松平清康によって、丘陵地に築かれました。
家康は、岡崎城で産声を上げました。
家康の時代は、石垣もなく茅葺の土の城だったようです。浜松城も同じで、家康の時代は土の城でした。後の、堀尾氏によって天守や城郭の本格的な整備が行われました。 家康が江戸に移ったあとに、豊臣家臣の田中吉政が天守を築き、城郭の拡張をして今の岡崎の町を作りました。東海道を城内に入れて、町の防衛のために、二十七曲とよばれる道を整備しました。

大手門
お堀と立派な大手門

総構え、と呼ばれる城下は江戸城、姫路城、熊本城に次いで4番目に大きいそうです。確かに天守の規模に比べて城郭が広いと感じました。天守閣は、昭和34年に鉄筋コンクリート造・3階5層で外観復元されました。

ぐるりと歩いて回ってみましたが、けっこう疲れました。

本田忠勝像
本田忠勝像と堀

岡崎城と城郭は、岡崎公園として市民の憩いの場として親しまれています。春には、800本のソメイヨシノが咲き、5月には五万石藤と呼ばれる藤の花が咲き、多くの観光客で賑わいます。
「岡崎城・岡崎公園」を散策すると、「家康」を感じることが出来ると思いました。
場所は、国道1号線沿いで交通の便も良くて寄りやすいと思います。私の意見ですが、お勧めします。
明日は、ドラマ館、八丁味噌などを紹介します。

仕事を再確認

 「  仕事を再確認  」

                          2024.2.21(水)
                古橋 力     タクシー会社勤務

コメントをいただき、ありがとうございます。
本日4日目です、よろしくお願いします。

今回、再任の声を掛けていただいたこと、とてもありがたいです。
年明けから班長になり、緊張しながら仕事に励んでいます。
私は班員18名の班を任されています。本社営業所には、大ベテラン!の方が多くいます。日頃のあいさつから良い関係を作っていこうと思っています(汗)。

班長は、会社と乗務員のパイプ役を担います。会社側の通達、班員の意見をそれぞれに伝えるのです。班長業務を整理してみました。

班長会への出席。班員の相談・指導・教育。班ミーティングの開催。事故・トラブルの対応。予約仕事。運行管理の補助。新人社員教育などです。
すべて自分の業務より優先します。

運行管理業務は、かなりの頻度で行っています。忘れていることも多く、システムの変更もあって、慣れるのには時間が掛かりそうです。カウンターにいる私に、乗務員さんが、「安心するね」「ひさしぶりだね」と声を掛けてくれました。がんばらなくてはと嬉しくなります。

事故対応にも出動しました。今は、どんな小さな事でも警察への届け出が必要です。おかげさまで、事故扱いにならない案件が2回ありました。乗務員さんは動揺していますので、気を遣いながらも正確な報告を心掛けたいと思いました。こうした出動は無いに越したことはありませんね。

新入社員の実地添乗研修もしました。私は助手席に乗って、出庫から入庫、入金までを一緒に行います。実際にお客様を乗せていきます。接客、機器の操作、運転技術を指導します。自分の子供と同じくらいの人、同じ年代の人、主婦、などいろんな方々がおられます。せっかく入社したのですから応援したいと思っています。社内で会うと、こんなことがありましたと声を掛けてくれます。嬉しいです。

予約仕事は、主にジャンボタクシーですることが多いです。お得意さま、企業さまが使ってくれています。10名フル乗車の時は、いつも以上に安全に気を付けました。時間や距離も長いので、体力を要します。無理せずに対応をしなくてはと、あらためて思いました。

あっという間に2ヵ月が経とうとしています。班長仕事の確認というよりも、自分の仕事がどれだけ出来ているのかを問われているのだと思います。
9年前に班長になった時とは、仕事や班員への対応や見方が変化していると思いました。年月を経て、冷静に仕事に対応できているのかなと感じています。

今まで以上に責任を感じますが、緊張感は必要だと思うようになりました。
こうして文章にまとめることで、気持ちや行動を整理することが出来ました。
せっかくいただいた大役(私にとって)です。少しでも周りの役に立てたらと思います。

班長再任の依頼

  「  班長再任の依頼  」

                        2024.2.20(火)
            古橋 力       タクシー会社勤務


コメントをありがとうございます。
ブログ3日目です、本日もよろしくお願いします。

私は、3年くらい前のコロナ禍に、運行管理者から乗務員への職種変更を言い渡されました。サラリーマンですからこういう事はあります。当時の会社、業界の状態からは仕方がありません。乗務員もこの時に、面談をして合意した人が退職していきました。かなりの人数でした。

思ってもいなかったことでしたので、私の気持ちは落ち込みました。ですが、また乗務員としてハンドルを握れるのですから、自分のことだけを考えて楽しみながら仕事をしようと思ったのです。

「自分のことだけ」、というと誤解を招くと思いますが、仕事は今までと同様に取り組みます。班長や運行管理は、仕事柄まわりへの気遣いや目配りが重要ですので、それらを今まで程しなくても良いという意味です。


昨年末に、上司から「日勤の班長になってくれないか」と打診がありました。私は、ハンドルを握って3年が経過して、心身ともに「ドライバーモード」になっていましたから、即答はしないで猶予をいただき考えました。

気持ち的には、昔の様にいわゆる「やる気」が起こりませんでした。役職は、60歳までですから、あと数ヵ月しかありません。他に適任者がいるのではないかと思いました。再任は聞いたことがありませんし、体力的にもこなす自信がありません。
前回と同じような人事ではないか、などなど、考えた末に丁重にお断りしました。

あらためて乗務員として頑張るぞ、と思いました。

それから1か月後に、別の上司に呼ばれ、あらためて班長への就任を頼まれました。会社の状態などの説明を受けましたが、受けるつもりはありませんでした。
ですが、話を聞くうちに、お世話になった方からの打診でもあり、受けなくてはと思い始めました。そして受けることにしました。

乗り気ではないまま受けましたが、やるからには頑張っていこうと思います。

目まぐるしい変化


  「 目まぐるしい変化 」
                           2024.2.19(月)
                 古橋 力     タクシー会社勤務

コメントをありがとうございます。ブログ2日目です、よろしくお願いします。

この4年間は、コロナウイルス感染の影響で私のいるタクシー業界を含め多くの業種で多大な影響が出ましたね。近年は、コロナの規制が緩和されて、人の流れも増えてきました。私も忙しく仕事をさせて頂けて、ありがたいです。

マラソン
浜松シティーマラソン2024が開催されました
家の近所がコースです、友人もがんばってました

私は、タクシー業界、今の会社にお世話になって10年が経ちました。10年ひと昔ではなくて、1年ひと昔くらいの間隔で変わってきていると思います。今日は、その変化について書きたいと思います。


○ 社会のキャッシュレス化に合わせて、専用のタブレットが導入されました。
QRコード、電子マネー、クレジットカードに迅速に対応できます。若い方、ビジネスマンはほぼキャッシュレスです。財布に現金を持っていません。高齢の方でスマホ決済を使う方もいて感心しています。


○ 制服の帽子の着用義務がなくなりなりました。私の会社では、制服制帽を着用してきました。私は、雨の日、日差しの強い日、暑い日、とても重宝していましたので、がっかりしましたが、任意ですので私は被って仕事をしています。制帽の支給はなくなりましたので、大事に使います。


○ 業務中の「あいさつ」を、しない事になりました。
自社の車とすれ違う時に手であいさつをしていたのですが、ネット上で危険な行為だと発信された事案があり、私の会社でも廃止になりました。私は、今でも軽く手や指で合図をしてしまいます、習慣になっているのですね。ここまで気にしなくてはいけないのか?と個人的には思います。


○ 車内の乗務員者証の顔写真と氏名表記が、なくなりました。
これは、静岡県タクシー協会の決定です。タクシーの助手席の前に、運転手の名前と顔写真入りの証明書が提示されていたのをご存知でしょうか。名前と写真がなくなり、登録番号のみになりました。乗務員の写真や個人名をネット上で流す行為が頻発していて、個人情報を守るためです。この少し前から、自己紹介票が廃止になりました。同じ経緯でした。「○○さんね、またお願いしますね」といった会話がなくなってしまいました。


○ 無線機が無くなり、配車が機械化されました。
デジタル無線機に代わって、より伝わり易いNTTの電波を使うタブレットになりました。それに伴い、配車センターの「人」が「車」を選んで配車するのではなく、「機械」が最適な「車」を瞬時に選びます。無線室のオペレーターの声が聞こえて、人情味のある配車でしたが、それも聞こえなくなり機械的な配車になってしまったと思います。寂しいですが、これも日が経てば慣れるのでしょうか!?


○ 新人専用の教育部門ができました。
私は、先輩方と共に仕事をして、良いことも悪いこと!もアドバイスをもらって仕事をしてきました。会社の方針ですから、見守っていきたいです。


○ 班長再就任を打診されました。
この件は、明日のブログで書きたいと思います。

サービス業は、社会情勢やお客様のニーズに対応することが大事なのだと実感します。ネットの影響力は大きいのですね。
環境の変化に違和感を感じているだけではいけませんから、肯定的にとらえて活用していこうと思っています。

焼津CL子育て学習会

     「  焼津CL子育て学習会  」
                           2024.2.18(日)
                 古橋 力     タクシー会社勤務

佐野さん、一週間のブログ発信をありがとうございました。
韓国の農業事情を知ることが出来ました。私も、佐野さんをはじめ日本の方が優れていると思っていましたので、韓国の先進性に驚きました。
先日、日本のGDPが世界4位になったと報道されました。私は目先のことが気になってしまいます。自分が出来る事、今すべきことを考えて生きなくてはと思いました。

沼津経営塾の襷を引き継がせていただきます。ブログ1日目です、よろしくお願いします。

2月10日に、今年2回目となる「焼津CL子育て学習会」が開催されました。
振り返ってみたいと思います。

元教師のTさんの近況報告です。「あやちゃん」のコンサートがあるので楽しみにしています。ファンクラブへ毎月ハガキを書いていて、先日、チケットの予約をするために電話をしたら「いつもハガキを書いて下さるTさんですね」と言ってもらえて嬉しかった。メールだったら覚えてくれていないと思います、とのことでした。
素晴らしいお話だと思いました。
今の時代、メールが主流ですが、手書きのハガキは人と人をつなぐ素晴らしいツールだとあらためて思いました。

蘭 4
焼津学習会で毎回、花の一輪挿しを飾って下さるNさんの蘭です
それをいただけたので、自宅の玄関に飾りました


この日は、小学生の子供を持つ女性・Aさんからの相談がありました。Aさんは、私の妻の会社の同僚です。お子さんの相談で数年前から学習会に参加しています。自身の子供への関わり方の相談でした。
Aさんは、心配性で、ヘリコプターペアレントの傾向があり、小6の子供に過干渉にしてしまうそうです。また、お子さんは自分が我慢すればうまくすむと考えているのか、その場で意見を言わずにいるとのこと。子供が自分勝手な解釈をするのではなく、他者に対して助けや協力を求めて生きていって欲しいと思っています。今後どのように接していったら良いのか悩んでいるという相談でした。
(ヘリコプターペアレントとは、子供の周りをヘリコプターの様に空中で停まったり、旋回したりして干渉やコントロールをする親のことを言うそうです)

自分なりに考えましたが対処法が浮かんできません(汗)。

杉井さんのアドバイスです。
子供が親のいう事を聞くのは、小学生までです。中高大学、社会人になっていくと親よりも友人、会社の人などの影響を受けるようになります。このお子さん本人は気にしていない、お母さんの方が苦しんでいるのでは。子供は、収まるところに収まるものです。
大人でさえ、周りに聞かないで自分勝手に判断している人が多いです。
子供ではなく、親がどういう人生を創るのかを見せることが大事です。
失敗や損をしない人生は無いです。ノウハウ、ハウツーでそれなりのことは出来るが、目先のことだけになります。対局的な方向性を見つけられない。昔から引き継がれている古典や歴史から方向性を学ぶことは大事です。
以上、私なりに、杉井さんのアドバイスをまとめさせていただきました。

私自身のことを振り返ると、子供をコントロールしようとしていたと思います。そして、ノウハウやハウツーを重視してきました。

杉井さんのお言葉です。
人生や物事で、真っ白、真っ黒に分けられることは殆どありません。灰色があるのです。好きな人、好きな事だけを選んで嫌いな人や物事を捨てていたら、何も描けないのです。良い事、悪い事が起こるのが人生。それらを受け入れて、この自分で生きていくのです。

今年も2ヵ月が経とうとしています。進む方向を修正したいと思います。
学習会に参加させていただき、ありがとうございました。

 「ダモイ 帰国!」 

2024.2.17
皆さんおはようございます。
コメントもありがとうございます。
本日最終日になります。
ながーーいブログになりましたがお付き合いいただきありがとうございました。

2024年1月21日~1月24日  韓国視察  

7日目  「ダモイ 帰国!」  富丘佐野農園株式会社 佐野真史
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最後に視察の場所として案内していただいたところが、「全北スマートファーム革新センター」でした。こちらの施設についたのが18時を過ぎていて、辺りは真っ暗でした。
「全北スマートファーム革新センター」は国が運営する若手農業者を育成する施設でした。広大な敷地に、広大なハウスが立ち並び、ハウスの中を案内していただいたのですが、完全に工場です。工場で、トマトや、苺、キュウリを育てていました。
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ここは完全に国がバックアップしていて、農業をやってみたいと考えている若者を1年半ほどかけて、座学から、実践までを勉強して、その勉強が終わると、何人かのチームを作り、経営を学びながら、農業で儲ける方法を自分たちで探していくという取り組みをしているところでした。
ある程度のお金を借りて、ハウスの賃料から、生産資材、電気代、肥料代等を払い、売り上げを上げて、利益を出し、実際に農業で儲かるのかどうかを勉強させるという事でした。
ハウスは最先端のハウスで、温度や湿度、CO2などすべて自動管理でした。完全に工場です。工場の中で、苺がぶら下がっているようで、なんだか変な感じがしましたが、今の若者は、日本の若者と同じく、農業は大変で、汚いというイメージがあり、そのイメージから取り壊していく必要があると仰っていました。
なので、最先端で、衛生的で、カッコいい農業でないと今の若者は就農しないのが現実のようでした。
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そんな中でも、真面目に農業を志す方がいるようで、この施設で勉強するにも、誰でも良いというものではなく、厳しい試験があるという事でした。
私は、静岡県の試験場などに行くこともありますが、試験場なんてレベルではありません。ここでも韓国が、国を上げて、就農者の人口を上げようと必死になっていると思いました。
こういった取り組みひとつとっても、何としてでも這い上がろうとしている国と、目的もなく過ごしている国との差がはっきり見えました。
どちらが上だとか、下だとかはもはや、関係ないのかもしれません。それよりも真剣にそして必死になって今後の農業問題に取り組んでいかないと、韓国と、日本の農業の未来に大きな差が生じてくるのだろうと思いました。

移動距離も長かったですが、韓国の農業の現状を見させていただきとても勉強になりました。韓国に来て、現地のありのままの状況を見て、昔からの言葉ではありませんが、人から聞く話よりも直接自分の目で見ることがいかに大切なのかが分かりました。私が杉井さんに一番最初に出会った時にも、「井の中の蛙だよ」と言われましたが、韓国に来てみて、改めて、日本だけに居ても「日本の中の蛙」だということが解りました。海は広いです。自分が今まで当たり前だと思っていたことが、当たり前ではないことが多いです。自分が「日本の蛙」だということも韓国に来てみて始めた分かったことです。今からでも遅くないので、色んなところを見てみたいと思う様になりました。

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沢山の刺激をいただき、今回の視察のお土産を写真として記録に残し、今後の参考にしようと思いながら、ホテルに戻りました。
ホテル着は22時半ころの予定でした。
レンタカーを返し、高速列車に乗り、ソウルの駅からタクシーでロッテホテルまで向かいました。
列車の中で、今日撮った写真を韓国グループラインにアップし、皆の思い出をラインで共有しました。
タクシーに乗っているときに、西村さんから連絡があり、ホテルに着いたら、杉井さんと皆で飲む約束をしました。(沢山刺激をいただき、これでお酒を飲めたら最高だ。早くホテルにつかないかな?ビールをたくさん買っていこう。唐揚げも買った方がいいかな?)この後の打ち上げが楽しみでした。
ホテルに到着し、お金を支払おうと思ったら、ユンさんから預かっていたタクシー料金が見当たらないのです。どこのポケットに入れたか忘れてしまい、上着のポケットや、ズボンのポケットに手を入れて探していると、ズボンのポケットの中に10万ウォンがありました。
皆は、先にタクシーから降りて、荷物を下ろし、私が支払いをするのを待ってくれていましたが、(早くお金を払って私も降りなければ)と思って焦りながらも、現金を払い、そのままタクシーから降りました。
荷物は皆が降ろしてくれてあったので、そのままホテルのロビーに向かいました。

ロビーから部屋に行く前に、飲み会用のビールとつまみを買いに行こうということになり、コンビニまで服部さんと歩いていきました。歩いているときも充実した一日に満足し、(早く杉井さんと飲みたいな。)と思いながら歩いていると、何か右足のズボンの右ポケットに違和感を感じました。
「ん?」
あれ、いつも右ズボンのポケットに入っている携帯がない!!!!!!
「えっ!!うそ!!」
上着のポッケット、ズボンのポケット、バックの中、あらゆる所を探しました。
「携帯がない!!!!!」
もう、頭が真っ白です。先を歩いていた服部さんに
「服部さん、携帯がない。」
というと、
「またーーー。うそでしょ。」
嘘ではありません‥‥‥。

そこから大パニックです。心臓の鼓動は早くなり、外気は冷たいのに、それ以上に、手足が冷たくなってきました。
(どうしよう…・)泣きそうですが、泣いていられません。
即刻、ホテルのロビーに戻り、自分の荷物の中を確かめました。
「どこにもな――――い。」
パニックです。この視察はある意味、携帯電話の凄さを知る研修ともなったために、
その大事な携帯を落としたと考えたら、眩暈がしてきました。

服部さんの誘導で、とりあえずどこで失くしたかを思い出してみました。
その間に服部さんは私の携帯に電話をしてくれましたが、繋がりません。
何度もかけてくれましたが、繋がらないのです。
どこで失くしたかを思い出していったところ、タクシーでした。
私はホテルのフロントに行って携帯をタクシーに落としたかもしれないと伝えたのですが、焦っていて上手く伝わりません。

その後日本語が上手な方が来てくれたのですが、状況を話したところ、タクシーのレシートは無いか?と聞かれたのですが、その時に限って、早くタクシーから降りなければならないと思って、レシートを貰わなかったのです。
もうドキドキは最高潮!するとフロントの男性の方が、
「タクシーから降りる姿をカメラで撮っているので、上手くいけば、ナンバープレートが写っているかもしれません。」
と言ってくれたのです。もうその一点に望みを賭けるしかありません。
服部さんも何度も携帯に電話をしてくれましたが、一向に繋がりません。
頭の中は、(どうしよう!どうしよう!どうしよう!・・・。) どうしようで一杯です。
思いつくことは困る事ばかり‥‥。
段々と帰国することも心配になってきました。

フロントの男性の方に
「そちらのソファーに座ってお待ち下さい。」
なんて言われましたが、座ってなんていられません。解ったら
そんな姿を見かねたフロントの男性が
「お客様お部屋でお待ち下さい。何か解ったら連絡しますから。」
と言ってくれたのですが、どうしてよいかもわからなかったので、とりあえず部屋に向かいました。

そして部屋につき、服部さんに西村さんへと私が携帯を無くしたことを伝えてもらいました。
フロントから連絡を待っていたのですが、この時間がとても長く感じました。
するとドアをノックする音が聞こえて、もしかして何かわかったかな?
と期待してドアを開けたところ
「申し訳ありませんお客様、タクシーの車は写っているのですが、ナンバープレートが写っていませんでした。もう一度お聞きしますが、レシートか何かもらいませんでしたか?」
と言われたのですが、レシートは貰っていないのです。
私は(今からタクシーに乗って駅まで戻ったらどこかに携帯が落ちているかもしれない。もう一回駅まで行けば先ほどのタクシーがいるかもしれない)などと、色んなことを考えていましたが、駅まで戻るにも45分くらいかかります。そうこうしていると24時を回ってしまします。

もうどうにかなってしまいそうでしたが、そんな時に服部さんが、
「ここは韓国だからね…。日本じゃないからね‥‥。ん…。」
と言ったのです。
私も、焦ってはいたものの、この言葉を聞いたときに、
(そうだよな、ここは日本じゃないし、俺は生きている。パスポートも、クレジットカードもある、ここでジタバタしていても時間だけが過ぎてしまうかもしれない。昔は携帯が無くても生きてきた。)

(CLを学んでいるんだ。携帯を無くした事実を受け入れろ。CL的に何をするべきか考えろ。)
(感情はコントロール出来ない。今自分がやらなければならない行動って何だ。あるがままを受け入れ、
目的のためになすべきことをなす。落ち着いて考え、行動するしかない。)と自分に言い聞かせていました。

その結果、私の目的は日本に帰る事でした。それも皆と一緒に。
そうとなれば、携帯を無くしたことをいつまでも気にしてはいられません。
携帯には飛行機のチケットをダウンロードしてあったので、同じチケットが使えるかどうかわからない状況でした。とにかく静岡空港行きのチケットを手に入れることが必須でした。

研修だったので、パソコンを持っていましたし、ホテルの部屋に戻ってきていたので、Wi-Fiは使えます。
(チケットをもう一枚とるしかない。とにかくチケットさえ手に入れば日本に帰れる。日本に帰ったら携帯は何とかなるだろう。とにかく飛行機のチケットを手に入れよう。)
と思った私はホテルで次の日の飛行機のチケットを取り始めました。先ずはチェジュ航空のサイトから申し込もうとしたのですが、繋がりません。
次に、ネットで検索を掛けて探したのですが、焦っているせいか、日にちや、時間の入力を間違えてしまいます。探しているうちに、このサイトは信用しても良いものだろうか?と心配になったり、オーバーブッキングということにならないのか?などと色んなことが頭をよぎりました。手が震えてきます。
何とか探していると、Trip.comというサイトでチケットを入手しました。一安心しましたが、明日空港に行って飛行機の椅子に座るまで何が起こるかわかりません。

1人で携帯もないのに、韓国に置いてきぼりにされたらたまりません。何としてでも帰るぞと強く思っていました。
次の日、飛行機のチケットを確認したところ、確定されていました。
(これで日本に帰れる。)
きっと大丈夫と思い、空港に向かいました。
空港では一緒に行った仲間たちは自動発券機を使ってチケットの発行をしたのですが、私のパスポートだけ認識されないのです。またもや、不安になってきました。(ここまで来てダメだと言われたらどうしよう。)
すると、係の女性からサービスカウンターへ行けと案内されました。
サービスカウンターでパスポートを見せたのですが、ドキドキです。
受付の方が私の顔を何度も見るのです。また、隣のパートナーと何回も何かを話しているのです。
何も悪いことをしていないのに‥‥。

すると、携帯の翻訳機能で、同じ名前で、同じ生年月日の方がいるのですが、あなたはどちらですか?と聞かれたのです。両方とも私だと伝え、携帯を無くしたことをジェスチャー交じりで伝えました。必死でした。
すると、「オッケー」と言われ、念願のチケットを渡されました。
(これで皆と一緒に日本に帰れる。)そう思った瞬間でした。

この後、手荷物検査をし、搭乗時間まで免税店で買い物をしていると、義隆君が私の所に走ってきました。(何かあったのかな?)と思い話を聞いたところ、「SANO MASAFUMI」と書かれた紙をもって私のことを探している人がいるという事でした。急いで搭乗口に行き、その方と話をしたところ、ここでも同じ名前があることを聞かれ、携帯を無くしたことを伝えると、一言
「残念でしたね。大変でしたね。」と日本語で慰めてくれました。
その後は搭乗口も通過し、やっとのことで、目的でもあった飛行機の座席に着席しました。

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最後の最後で色んなことがあり、またも忘れることのない研修になりました。
私ってどうしてこんなのでしょうか?自分のことが情けなくなりますが、これもまた自分です。
こんな自分とうまく付き合っていくしかありません。
とっても良い研修でしたが、最後の最後で、沢山の方にご迷惑をおかけしてしまいまい、申し訳なかったです。
優しく私を見守ってくださった仲間の皆さんには感謝しています。
こんなおっちょこちょいですが、笑い話のネタに使ってください。

1週間をかけて韓国研修の報告にお付き合いいただきありがとうございました。
今回のブログ当番のお陰で、韓国研修のことを文章で残せました。

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長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

来週から古橋力さんに襷を渡します。力さん宜しくお願いします。


「韓国農業視察」

2024.2.16
皆さんおはようございます。
小野塾長も明洞ナンタ劇場に行かれたことがあったのですね。びっくりです。
4人のシェフの中に女性の方がいたのですが、スタイルも良く美人でその方ばかりを追ってしまいました。汗
そんなに言葉を発するわけでもなく、人を笑わせるには、表情などの表現を研究しているのだと思いました。
皆さんも一度行ってみるといいと思いますよ。
長―いブログになってしましましたが、あと2日間お付き合いください。

2024年1月21日~1月24日  韓国視察 

5日目  「韓国農業視察」   富丘佐野農園株式会社  佐野真史

1月23日は厚志さん達と別れて、私と服部さんと足立さんと義隆さんの4人と、ユンさんの計5人で、韓国の農家さんの視察に行きました。この視察はこの韓国研修の私の2つ目の重要課題でした。
韓国では、私達が思っていた以上に、苺の人気があるらしく、街を歩いていても至る所で苺のデザートのメニューであったり、写真であったり、苺デザートのサンプルが目に入ってきました。

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これだけ町中に、苺のデザートを販売しているところがあるということは、沢山の苺を生産しているところがあるということになります。そのことがとても気になっていました。屋台などでも生苺を販売していて、1パックあたり、500グラムで、15000ウォン(約1500円)程度で売られていました。日本での今の時期の価格は、スーパーでおおよそ300グラムで、500円~600円位なので、思った以上に高値での売価でした。

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この状況を見て、やはり情報として聞くだけと、実際に現地に来て自分の目で見たり聞いたりするのとでは、大きな違いがあることが解りました。
苺も外国の苺といった硬そうで酸っぱそうなイメージとは違って、日本の苺と言われてもわからないようなものばかりでした。
視察先は、苺農家が2件と、お米農家が1件で、もう一か所は、韓国の若手農業者の担い手を育てる目的でつくられた、全北スマートファーム革新センターという、研究施設を案内していただきました。
韓国も日本と同じく、ソウルのように、ビルが立ち並ぶ近代都市もあれば、農村地帯もあります。

農業の話とは離れますが、私達は視察先まで、電車とレンタカーを使って移動したのですが、電車に乗る時は、改札の機械が無いのです。スマホで切符を入手するようです。レンタカーは、レンタカー乗り場に行って、ユンさんがスマホで車の鍵を開け、エンジンもスマホがあれば、始動するのです。なので、駅員さんも、レンタカーの係員さんも見かけないのです。少子高齢化が日本以上に進んでいる韓国にとって、労働者不足はとっても深刻な問題らしく、それを解決する手段として、IT化が進んでいるようです。いずれ日本もこうなるのだろうなと未来の日本を見たように思いました。

一か所目の苺農家さんは、ユンさんとも長いお付き合いの方で、「ザ・ハウス」という苺栽培の会社を経営しているムン・ソンウクさんのハウスを見させていただきました。
生憎の雪という天候の中、親切に、私達を迎え入れてくださいました。

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ハウスの中を見せていただいたのですが、すっきりとした広いハウスに、吊り下げベット方式という、オランダの苺の栽培システムを取り入れていました。
今日本でも栽培が進んできている白い苺の栽培もされていました。
ここで苺の試食もさせていただいたのですが、果肉が程よく硬く、酸味が少なく、食べやすい苺でした。
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この苺は韓国で品種改良を重ねて作られたらしく、日本の苺と言ってもわからないほど、レベルが高いものでした。私は、この事実を見るまでは、少なからず、日本の農業技術の方が高いと思っていましたが、実際に現場を見た感想は、ほとんどレベルの差はないように思いました。この事実にショックを感じましたが、これこそ受け入れるしかありません。これが本当なのだと思いました。
ハウスを見回って事務所でお話をさせていただきました。
ムンさんと名刺交換をし、事務所に置かれたものを見てみると、日本のいちごジャムや、苺のお菓子などが棚に並べられていました。よく見てみると、静岡市でも有名な苺屋さんのジャムが棚にありました。その光景を見ただけでも、何度も日本に足を運んで勉強に来ているのだと思いました。

私の名刺を見たムンさんは、パソコンの前に座り、何やらキーボードをいじっていたのですが、すると大きなモニターから「れっどぱーる」のホームページが映し出されました。
まさか、自社のホームページを韓国の農園の事務所で見ることになるとは思ってもみなかったので、このことはとても衝撃的でしたが、よくよく考えてみると、今の世の中、インターネットにさえ繋がれば、どこの国に行っても、何でも見ることが出来るのだと思いました。落ち着いて考えてみれば当たり前のことかもしれませんが、韓国で自社のホームページを見たことによって、世界は繋がってると思いましたし、また、自分達の情報も世界に向けて発信しているのだと思ました。

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このことは本当に衝撃的で、インターネットの見方が変わりました。今までは、国境というか、国と国の間に壁のようなものがあると思っていましたが、そのようなものはなく、いとも簡単に、世界と繋がるのだと思いました。また逆に、恐ろしさもあることを頭の中に入れておかなければいけないと思いました。
ムンさんはとても良い方で、私達を昼食に誘っていただきました。もし私だったら、お互いに情報交換をして、それで終わりにしていると思いました。わざわざ地元の美味しいお店を紹介してくれて一緒に食事をしてくれるとは思ってもいなかったので、韓国の方の方が、接客上手というか、もしかしたら、私達が忘れてきているご縁を、私たち以上に大切にしているのかもしれません。相手を軽視すること自体が、自分達の方が上の立場だと考えている証だと思います。経済大国日本と言われていたころの日本人の傲慢さが私に染み付いているのかもしれないと思った瞬間でした。皆さん優しかったです。

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つぎに案内していただいた場所は、ノンサン地区という、韓国でも一番の苺の生産地を紹介していただきました。ノンサン地区では町全体で、苺の生産に力を入れていて、ノンサンで苺の品種改良を行ったり、ノンサンに住む子供たちに、地元の苺に慣れ親しんでもらおうと、苺の食育などにも力を入れているところでした。
地元の苺の生産者さんと一緒に、毎年苺フェスティバルを行っている場所があるということで、案内していただきました。私はどんな場所なのかな?と思っていたのですが、「もうすぐ着きますよ。」
と言われて見えた来た光景に、度肝を抜かれました。
私が夢にまで見てきた【いちごらんど】がそこにはあったのです。
その光景を見た私は、(いちごの国は韓国にあった)と思いました。あの時の衝撃は今でも忘れません。

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苺の遊具に、苺の滑り台、苺の写真スポット・・・・。
(やられた―!!!!)
と思いましたが、今まで私が思い描いていたものを生で見ているような感覚でした。夢の中に入ったような感覚で、何とも言えない感動がありました。

この施設は、ノンサン地区を苺で盛り上げようと、行政と農家、住民たちが一緒になって立ち上げたものでした。遊具のほかにも、苺の歴史を学べる「いちごミュージアム」があり、そこでは、ノンサンで今まで栽培された苺の品種の歴史が書かれていたり、苺の病害虫を説明しながら遊べるゲームがあったり、3D眼鏡で体験する装置があったりと、とにかくいちごに特化した施設なのです。
これにはびっくりしました。
行政や、農家が一体になって今後の農業について考え、取り組んでいるところに、もはや日本の苺がどうのこうの言っている場合ではないなと思いました。

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今回苺の施設は2か所見学させていただいたのですが、そこに関わる人たちが皆、熱心で農業を何とかしようと必至になって取り組んでいるところが印象的でした。韓国の方たちと今の私を比べると、熱意で劣っていることが明らかに分かりました。
目が違います。
私は30代前半で、れっどぱーるを立ち上げ、死に物狂いで経営を安定させようと努力してきました。その頃と今の私を比べたら、明らかに、必死さが減ってきていると思います。それは自分でも何となくわかっていたことなのですが、今回の韓国視察でそのことがはっきりとわかりました。
どこか心の中で、(もうこのくらいでいいだろう。)と思ってしまう自分がいましたが、韓国のいちごらんどを見て、私も日本のいちごらんどを作ってやろう!!と思う様になってきました。消えかけていた炎がめらめらと燃え始めてきました。ただ見てきて凄かったで終わらせることが無いように、自分の夢に向かって一歩踏み出していこうと思いました。

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 「ご褒美」

2024.2.14
皆さんコメントありがとうございます。
今回韓国でのご縁の大切さを学ばせていただいたばかりですが、先日韓国から携帯に電話がかかってきました。電話に出ると、1月22日の時に、御挨拶させていただいた、池田さんという女性の方からでした。
こちらの池田さんは、京丸園さんの緑さんに紹介していただいた方だったのですが、今月の28日に、静岡県に視察に来るというお話でした。京丸園さんに行ってその後何か所か視察に行きその流れで、れっどぱーるにも寄ってみたいというお話でした。6次産業化に興味のある方がいるらしく、れっどぱーるの移動販売車を見たいという事でした。視察に行って1か月もたたないのに、このようなお話をいただけるのは光栄なことですし、またこれもご縁なのだと思いました。
韓国の皆さんの行動力には学ぶものが沢山ありそうです。
私達も積極的に行動し、現状を変えていくことが必要だと思いました。
それでは、5日目宜しくお願いします。

2024年1月21日~1月24日  韓国視察  

5日目  「ご褒美」   富丘佐野農園株式会社   佐野真史

韓国研修の第1目的でもあった交流会を終え、いよいよ頑張った後のご褒美です。
一旦ホテルに戻り、いざソウルの街に繰り出しました。

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時刻は18時を回っていました。
太陽が顔を出していた時には気温はそれでも-7℃くらいでしたが、私達が町へ繰り出したころから段々と気温が下がり始めていきました。
街では寒いと思わせないほどの人があふれていました。

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歩道では、屋台が並び、クレープや、ミ二たい焼きや、韓国おでん、いちごあめなどいろんなものが売られていました。私もキッチンカーで販売をしてい売るのでわかるのですが、寒い中での販売はとても大変です。
私たちは車の中で販売するからいいのですが、韓国の屋台で販売する方たちは、普通に屋台の前に立ち、販売しているのです。-10℃以下にはなっていました。信じられません。ここでも商売に対する熱意というか、必死さを感じました。寒いから止めたいなんて思っていたら、生きていけないなと思いました。

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街を歩いていると、美味しい焼肉屋さんや、餃子屋さん、豚足屋さん、海鮮屋さんなど、沢山のお店がありました。やっぱり、「韓国はこうでなくっちゃ」と思った瞬間でした。ソウルの街は寒いけど、人も多いです。
町全体に活気がありました。
やはり、韓国を楽しむのなら、24時前でなければいけないと思いました。初日の24時の街とは全然違いました。

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この後、ユンさんお勧めの餃子とうどんのお店に行きました。地元のユンさんがお勧めということもあってお店の入り口には、案内待ちのお客様が10名ほどいらっしゃいました。お店を変えようか迷いましたが、美味しいうどんという事なので、少しの間待つことにしました。
3階建ての建物の、3階に案内されました。

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しばらく席が空くのを待っていたのですが、ここで厚志さんが、
「寒い!寒い!」
とブルブル震えているのです。
勿論この日も寒かったです。すでに-10度以下にはなっていたと思います。
私は何気に厚志さんの格好を見ると、勿論さっきまで事例発表をされていたので、スーツでした。
私は(???。)と思い、厚志さんに
「厚志さん、スーツのスラックスの中にヒートテックとか履いていますか?」と聞くと、
「んんん。何も履いていない。」   
と言うのです。(えっ!!!)そりゃ寒いわけです。-10℃以下で、スーツのスラックスのズボン一枚で暖かいわけがありません。

そこで私は予備に持っていたホッカイロを厚志さんに渡すと、
「俺はいいから、佐野さんが使いなよ。」
と言うのです。厚志さんと言ったら、農業界のレジェンドです。経営塾でも親分的存在です。その方がブルブル震えている姿は見たくありません。さらに私は、ホッカイロを3個も服に貼っていましたし、まだまだ平気でしたので、是非、厚志さん使ってくださいとホッカイロをお渡ししました。

それでも、あの寒さは尋常ではありません。骨身に染みる寒さなのです。
そこで私は厚志さんに、思い切って
「私は、ズボンの下に、ヒートテックを2枚履いているのですが、1枚履きますか?」
と提案したのです。その提案にレジェンドの厚志さんはブルブル震えながらも、そこまでは大丈夫と断られてしまいました。
もしかしたら、恥ずかしいのかなと思い、もう一度聞くと、
「気持ちだけで十分だよ。」
と、こんなやり取りをしているうちに、席を案内されて暖かいお店の中に入りました。
冷え切った体に、暖かいうどんは最高に美味しかったです。
以前も感じたことなのですが、韓国は食べ物がおいしいのです。まだまだいろんな名物があるようなのですが、
食べ歩きに来るのもいいかもしれませんね。もう少し暖かい時にね‥‥。

体が温まったところで、ソウルの新世界百貨店で行われていたクリスマスイルミネーションを見に行きました。
外に出た瞬間に、温まった体も一気にクールダウンです。
でも、澄んだ空気の中で見るイルミネーションは綺麗でした。
こういう綺麗なものを見ると家族にも見せてあげたいなと思ってしまいます。
家族で行く旅行もいいけど、こうして仲間で行く旅行もまた格別です。その時その時が良い思い出です。
こういった写真を見るとあの時の光景が蘇ります。

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次に向かったのが、明洞ナンタ劇場に向かいました。
このナンタ劇場では、3人のカリスマシェフを中心に韓国の伝統芸能「サムルノリ」のリズムを基本に、コメディーとドラマを融合した舞台で、キッチンでシェフたちが準備を始めたころ、機嫌の悪いマネージャーが1時間で10個のウェディングケーキを作るように注文します。キッチンは突然大混乱となり、時間内に作ろうと必至に包丁で刻んだり、叩いたり、混ぜたりと激しいパフォーマンスを繰り広げる生パフォーマンスが行われました。
このショーは世界各国の方が見に来るらしいのですが、言葉は発しないで、ほぼほぼ、パフォーマンスと、ジェスチャーで笑いを取っていました。何となく見ているだけで楽しくて、ドリフのコントを思い出しました。なんと、この劇の一コマに、関内恵さんがステージ上に招かれて、3人のシェフたちと一緒に、料理の支度をしたのでした。突然のことでびっくりしていた恵さんでしたが、韓国の劇場デビューはとても良い思い出になったことと思いました。このショーの下調べをし、予約をしてくれたのは西村さんでした。西村さんのお陰で楽しくてダイナミックなショーを見て大満足でした。

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ショーを見て大笑いしましたが、韓国に来てからまだ一度も焼き肉を食べていません。
さてこれから焼き肉です。厚志さん達とは焼肉屋さんに向かう途中で解れ、
私達は、ユンさんお勧めの焼肉屋さんへと向かいました。
やっと焼肉とビールにたどり着きました。

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異国の地でもある韓国で、農業関係の情報交換をし、色んなものを見て、聞いて、美味しいものを食べ、ソウルを満喫した一日でした。寒くても一度は来てみる価値があると思いました。
街にも活気があり、街の人たちも元気です。
日本に足りないものがあるように思いました。
今回ユンさんや、地域コミュニティーの皆さんにお世話になりましたが、皆さん暖かい人ばかりでした。
こういった人との繋がりがまた違うステージへと進むきっかけになるのかもしれないなと思いました。
ご褒美のお肉とビールはおいしかったですが、それよりも、
この仲間の方たちと一緒の思い出を作れたことに幸せを感じました。

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 「ユニバーサル農業・日韓社会的農業交流会」

2024.2.14
皆さんおはようございます。
今日はバレンタインデーですね。
学生の頃はチョコが貰えるかどうかどきどきしながら学校に行ったことを思い出します。
今は義理チョコもなくなってきているようですね。
これも人との関りが希薄になってきている証かもしれないですね。
義理とわかっていても貰うと嬉しいものです。
相手が喜ぶことを見つけて、笑顔を増やしていけると自分も笑顔になるのでしょうね。
笑顔の連鎖っていいですね。
それでは4日目宜しくお願いします。

2024年1月21日~1月24日  韓国視察  

4日目  「ユニバーサル農業・日韓社会的農業交流会」 富丘佐野農園株式会社  佐野真史

1月22日月曜日。
韓国入りして2日目の22日に、目的の1つでもあるユニバーサル農業の事例発表会がありました。
この事例発表会は、13時からという事だったので、午前中は、ソウルの街や、建造物の観光に出かけることにしました。

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9時にホテルのロビーに集合し、いざ出発。
皆さん覚えていますでしょうか?なんとこの日の最低気温は-14℃。さらに雪景色です。朝9時でもまだ気温は-14℃でした。天気予報は当たりました。
ホテルのロビーから出た瞬間に、ピリッというか、痛いというか、風が痛いのです。顔はどんどん冷たくなるし、鼻の穴がこわばるのです。今までに味わったことのない感覚でした。まさに冷凍庫の中です。

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きっと濡れたタオルを振り回したら、完全に凍ります。
「嵐を呼ぶ男はだれだ!」とそのことばかりが気になっていました。
私は、スーツのスラックスの下に、ヒートテックインナーを二枚履き、厚手のベンチコートを着て、首にはマフラー、手袋、帽子はファー付きの帽子です。貼るホッカイロを3つ服に付けていました。それでも寒いと思うほどでした。そんな中、私達を観光場所に案内してくれたのが、杉井さんでした。

杉井さんは寒いと言いながらも、すたすた歩き、名所を観光本で調べてくれてポイントを見つけては皆の写真を撮ってくれました。下調べをしてこなかった私はついていくだけで、必死でした。とにかく寒いのです。

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さらに、22日は月曜日ということも有り、ソウルの観光スポットの建物は休館日が月曜日で休みでしたが、ソウルの街の中を歩き、商店街や、市場のようなところあがあったり、寒い中でも路上で商売をするらしく、支度している人もいました。
発展した街の中に昔の石造りの門があったり、教会があったり、博物館があったりと、ちょっとホテルの周りを歩いただけでも色んなものを見ました。

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観光も終わり、いよいよ本番です。
昼食から厚志さん達と合流し、地元の食堂で韓国料理を食べ、会場に向かいました。

会場では、今回お世話になりました、地域アカデミー社の皆さんが会場のセッティングをしてくれていました。
私が連絡を取り合っていたユンさんもここの会社の社員さんです。
会場について荷物を置き、地域アカデミーの方々に挨拶をし名刺交換をしていると、女性の方が私の所によって来たのです。

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するとその女性の方は  「私のこと覚えていますか?」
と言ってきたのです。私は真面目な人間なので、嫁さん以外に彼女はいません。(笑)
なので、正直誰だろうと思ったのですが、
「以前、私もあなたのお店に行きました。可愛いフードトラックを見せてもらいました。」
というのです。
私は忘れていましたが、思い返してみると、ユンさんのほかにも女性の方が韓国の方をれっどぱーるに連れてきたことを思い出しました。
そうなのです。ユンさんのほかにもれっどぱーるに来たことがある方がいたのです。

その事実にまたもやびっくりしました。お名前はリーさんです。このリーさんがこの後、皆の発表の通訳をしてくれました。
本当にどこでご縁が繋がるかわからないものです。
出会いは大事にしていかないといけないですね。

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時間が経つにつれて徐々に人が集まり始め、いよいよ事例発表会が行われました。
ユンさんが司会進行を務め、地域アカデミー顧問のオ・ヒョンソクさんの挨拶から始まりました。

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韓国農業の現状を教えてくれたのは、教育農場センターのセンター長でもあるイ・ギョンチャンさんでした。韓国農業も、少子高齢化が進み、日本と同じような悩みを抱えていました。話を聞いていて思ったのが、韓国では国自体が農業を何とかしようと考えて実行しているところでした。韓国でも障害者の雇用を積極的に行っていて、韓国ではそのことを社会的農業と呼んでいました。障害者の方を雇用するといった考え方は同じなのですが、取り組み方が、日本と韓国では違う印象を受けました。

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この後、杉井さんのお話と、厚志さんの取り組み発表が行われました。
私達は、1経営体3分の時間をいただき、異国の地で、自分達が今まで行ってきた取り組みを発表させていただきましたが、リーさんに通訳をしてもらいながらの発表だっただけに、いつもとは違う状況の中での発表に、最初から最後まで緊張しっぱなしでした。

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発表も終わり、質問タイムになると、どんどん質問が出てきました。日本でしたら質問タイムになると片づけを始める方がいたりするのですが、韓国の方たちは、時間がギリギリまで質問をされていました。
この姿勢は、農業を良くしていこう。前に進んでいこう。良いことは取り込んでいこうという意欲の表れだと思いました。ここでも韓国の人たちの熱量を感じました。
終始皆さん真剣で、大変良い勉強をさせていただきました。

国境を超え、まさか自分が韓国まで来て、自分が今まで取り組んできたことを発表するようになるとは思ってもいませんでした。経営塾に参加させていただき、会社を良くしていきたいと思う経営者さんたちと一緒に切磋琢磨しながら、このような場所で発表させていただくこと自体が、夢のようでした。仲間の力も大きいですが、皆が1つにまとまり、行動していくことによって、1人では不可能なことも、仲間となら可能になることもあるのだと思いました。大変良い経験になりました。

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まだまだ続きます。
明日もよろしくお願いします。

「眠らない町ソウル」

2024.2.13
おはようございます。
皆さんブログへのコメントありがとうございます。
関内さんやっぱり飛行機ってビールは飲んではいけないのですかね。
やはり、機内で飲んで良いものと悪いものがありそうですね。
CAさんも韓国の方だったので、聞けずにいました。
飛行機の一般常識的なことも利用する前に学んでおいた方が良いかもしれませんね。
それでは3日目宜しくお願いします。

2024年1月21日~1月24日  韓国視察  
「眠らない町ソウル」

飛行機でのビールタイムを諦め、次の日に行われる事例発表の原稿に目を通しているうちに、仁川空港に到着しました。本当に韓国は近いです。
飛行機を降りて出国検査がありましたが、この検査が長かったです。夜の21時30分頃に到着して空港を出たのが22時30分でした。
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空港からホテルまではタクシーで1時間ほどかかりましたが、杉井さんと西村さんと一緒のタクシーで向かいました。このタクシーの運転手さんが優しくて、私が大事に大事に韓国まで持ってきたアサヒのスーパードライを飲んでもいいかと尋ねたところ、快く飲んでもいいと言ってくれ、飛行機の中でずっと我慢してきたビールをやっと飲みました。杉井さんと冗談で「つまみは出てこないよね。」なんて話していたら、粉々になったアーモンドを渡してくれました。ちょっとびっくりしましたが、食べたら別料金がかかるかもしれないと思い、運転手さんのお気持ちだけ頂きました。


運転手さんとはグーグルの翻訳アプリでやり取りをしていったのですが、思った以上に言葉が通じました。たまに全然違う答えに訳されているときがありましたが、携帯があれば海外も何とかなるなと思った瞬間でした。
色んな韓国の事を教えてもらいながら、夜の韓国の街を案内してくれました。
韓国のマンションの価格とか、韓国の一流企業の初任給の話や、個人企業の方が多く競争が激しく生きていくのも大変だと仰っていました。
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それにしても韓国はマンションが多いのです。私はマンションの一室の金額を聞いたところ、20億ウォン(2億円)もするとのお話でした。そんなに高くては買う人がいないのではないかと思い、空き室状況を聞いたところ、マンションを建てると、すぐに一杯になってしまうという事でした。
また、新入社員さんの初任給にも興味がありました。若い子たちは一流企業に入社するために一生懸命勉強して、受験をし、やっとの思いで大手企業に就職するようです。韓国での大手企業と言ったら「サムソン」の名前が出てくるそうです。その「サムスン」の初任給は1200万ウォン(120万円)だと言っていました。それを聞いた私は、年収であってほしいなと思いましたが、残念!月収でした。

今までの自分の人生は‥‥‥。深く考えないことにしました。
でも良い事ばかりではなく、「サムスン」のような大企業は、30歳でリストラがあるという事でした。
なので、入社しても必死で頑張らなければ、リストラされてしまうという事でした。
そんな韓国の事情を教えてもらいながら、ホテルへと向かいました。
気になっていた、次の日の天気のことを聞くと、その運転手さんも明日からの寒波は最近では味わったことがない寒さだから気を付けた方がいいよとアドバイスをくれました。

私達は、夕飯をソウルで食べようと思っていたので、運転手さんにホテルの近くのお勧めの食べ物屋さんを聞いたところ、ソウルは24時間食べ物屋は営業しているので、どこでも食べられるよと教えてくれました。
(流石、ソウル。眠らない街なのかな?)と思いながらも、焼き肉とビールが楽しみでした。
宿泊ホテルはソウルのロッテホテルでした。
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ホテルに到着した時は、ロビーで服部さんが待っていてくれました。
義隆君、足立君、恵さんは別のホテルに宿泊だったので、各ホテルのチェックインを済ませてからロッテホテルのロビーに集合し、食事をしに、ソウルの街に繰り出しました。

24時間眠らないという町とはにどんな街なのだろうとワクワクしながら繁華街を目指したところ、
どう見ても食べ物屋さんが営業しているようには見えないのです。おかしいな?と思った私達でしたが、
どこに行けばよいかもわからず、とりあえず20分ほど歩いてお店を探したのですが、結局見つけたのは屋台で、寒さも厳しくなってきていたので、ほかの店を探しましたが、それらしいお店はなく、何とか見つけたお店は営業時間ギリギリで、持ち帰りなら良いということで、各自、ピザや、唐揚げを注文し、ホテルの部屋で食べることとなりました。

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待っている間にビールをコンビニで買おうと思い、向かったのですが、、コンビニも店じまいの様子で、あっさり断られてしまいました。すぐに移動して見つけたコンビニでは、義隆君が交渉してくれ、何とか買い物が出来、そこでやっとお目当てのビールを買いました。
ビールを買い、唐揚げとピザを受けとり、ホテルに着いたのは日付も変わり、1時を超えていました。これでは皆で飲むわけにもいかず、各部屋に戻って食事をすることとなりました。
私はこの時思ったのですが、ソウルは24時間眠らない街ではなく、24時に眠る街の間違いじゃないのだろうかと思いました。
私は服部さんと部屋で韓国ビールで乾杯をし、揚げたての唐揚げを食べ、分厚いピザも食べ、ソウル入り初日が終わりました。




明日はいよいよ韓国へと来た重要課題の一つである情報交換会の様子を書かせていただきます。



 「いざソウルへ!!」

2024.2.12
皆さんおはようございます。コメントをありがとうございます。
3連休の最終日になります。
何処も人が多いようです。やはり3連休は皆さん何処かに行きたいのでしょうね。
れっどぱーるでは先週の悪天候の影響で、苺の実の入りが鈍く苺摘みの土曜日開催を中止させていただきました。天候はコントロール出来ませんので、相手がいらっしゃることなので、早めの対応をしていこうと思います。
昨日早速古橋さんがブログ当番の立候補をしてくださいました。
早めの対応をありがとうございます。来週に向けて準備を宜しくお願いします。

それでは2日目お願いします。

2024年1月21日~1月24日  韓国視察 

2日目  「いざソウルへ」  富丘佐野農園株式会社  佐野真史

前回の韓国研修は、成田からの出発でしたが、今回は静岡空港から韓国の仁川空港を目指しました。
前回の韓国行は、久しぶりの海外という事と、成田空港からの出発ということも有り、かなり緊張していましたが、今回は静岡空港からの出発ということで、大分気持ちが楽でした。
静岡空港までは、関内恵さんと一緒に向かい、空港で、杉井さんと西村さん、足立君と、義隆君と合流しました。
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ここで出発前に盛り上がった話題がソウルの天気と、気温でした。
今では、ネットで、世界各地の天気予報を調べることが出来るので、到着時の天気を調べたところ、
確か2℃くらいでした。
それよりもびっくりしたのが、次の日の気温です。
最高気温 -7℃  最低気温 -14℃
だったのです。今シーズン一番最強の寒波が韓国を覆う予想でした。
(うそでしょ)と思いましたが、ネットでの天気予報にはそう記されていました。
(うそでしょ)と思ったのは私だけではなく、
『今回韓国に行くメンバーの中に嵐を呼ぶ男がいる』と噂が流れてきました。
その時にはわかりませんでしたが、その後日、その噂は確信へと変わることとなりました。
皆さん-5℃とかくらいなら経験したことはあると思いますが、-14℃って経験したことあるでしょうか?
もう、冷凍庫の中です。
行く前から韓国の天気を見ていたので、私はホッカイロを沢山支度してスーツケースにしまい込んでおきました。
色々と不安もありましたが、今回も杉井さんや、西村さんも一緒だったので、お二人を見失わなければ何とかなると思い、皆の後をついて行動していました。
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出国手続きも終え、いよいよ飛行機に搭乗です。
静岡空港は成田空港などと違い、搭乗口が1つしかないので、スムーズに移動しました。
その後席に着席し、気持ちは修学旅行の小学生のようです。
何かわからないのですが、ワクワクしてきました。
私は、飛行機に搭乗する前に飛行機でビールを飲もうと思って、ビールとつまみを買い、後で、機体が安定したら飲もうかと思って楽しみにしていました。
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いよいよ出航です。
ゴー――――!と大きな音とともに、飛行機が動き出しました。シートに体が押し付けられます。
窓側に座った私は、移り行く景色を見ながら(行ってきます。)と小さく囁きました。
どんどん飛行機は高度を上げていき、日本の夜景が小さくなっていきました。

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こんなに短期間で二度も韓国に行けることに幸せを感じていました。
少したってからシートベルト着用のサインが消え、いよいよビールを一本いただこうと思って袋からビールを取り出し、「プッシュ!!」とやろうと思ったのですが、
周りからそのような音は聞こえてきません。
飛行機での過ごし方をあまり知らない私は、
(ん!もしかしたら飛行機ってビールを飲んではいけないのかな?)
と思う様になりました。

でも飛行機って機内食があり、アルコールは飲み放題なんてことも聞いたことがあったので、
(飲んでもいいんだよね。)と思いましたが、
(いや待てよ。ここは富士山よりも高いところを飛んでいるんだ。もしここでビールをプシュッと開けた瞬間に泡が飛び散ったりしたら大惨事になる。色んな人の迷惑になるから止めよう。)
と、たかが一本のビールを飲むか飲まないかでこんなに迷う自分が情けないような、笑ってしまうような、結局2時間くらいのフライトなので、我慢することにしました。

その後、ゆっくりと夜のフライトを楽しみました。真っ暗の中にピカピカと赤く光る翼の光を今でも覚えています。この光は地上から良く見ていました。その光が、目の前にあると思うと、空を飛んでいる実感が湧いてきました。
真っ暗の空を見ながら私も飛行機で海外に行くようになったのだなと自分の人生のステージが少しずつ変わっていくのを感じました。
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明日はいよいよソウル入りです。
明日もよろしくお願いします。

「韓国への思いと、人のご縁」 

皆さんおはようございます。
小野園の室伏さんから襷を受け取り、一週間ブログ当番をやらせていただきます。
私は先月の1月21日~24日まで杉井さん西村さん厚志さん達と2度目の韓国視察に行ってきました。沼津経営塾では関内恵さんも一緒に行ってきました。
とても勉強になったことがありましたが、勉強になったで終わらせるだけではなく、今回このタイミングで沼津経営塾のブログ当番が回ってきたので、1週間をかけて、2度目の韓国視察に行くことになった理由から、視察の様子そして、大ハプニングまでを書かせていただき、文章として韓国視察の様子を自分の宝物として残していこうと思いました。
読み辛いところもあるかもしれませんが、お付き合いください。

2024年1月21日~1月24日  韓国視察  

1日目  「韓国への思いと、人のご縁」    富丘佐野農園株式会社  佐野真史

去年の10月に静岡経営塾で韓国に行き、厚志さんがモデルになった「めねぎのうえんのガ・ガ・ガ―ン!」
の韓国語バージョンの出版報告会を行いました。
その時に以前「れっどぱーる」に来たことのあったユンさんと衝撃の再会をしたのですが、その時に厚志さんは年が明けた2024年の1月に再度韓国に来ると宣言していました。

私も、ユンさんとの衝撃的な再会から(もしかしたら何かのご縁があるかもしれないな)と思っていました。このことを静岡経営塾のブログに書いたところ、杉井さんからも再度厚志さん達と一緒に韓国に行ってみたらどうですかとコメントをいただきました。いつもなら1月と言ったら苺の収穫と販売が忙しくて、日帰りの用事も入れないほどでしたが、なんだか韓国が気になり、(もう一回行ってみたいな)と思う様になりました。

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そのことを嫁さんに伝えたところ、
「私も何かご縁があるような気がするよ。厚志さん達が行くのなら、もう一度一緒に行って来たらどう?」
と言ってくれたのです。私はてっきり、
「苺の忙しい時に韓国なんて行っていられないでしょ!」
と言われるのかと思い、ダメもとで聞いてみたのですが、思いもよらない回答が帰ってきて、
(よし、もう1度韓国に行ってみようかな)と思う様になりました。
嫁さんにそう言ってもらえたら、行くしかありません。

その後、12月に行われた経営戦略講座の時に厚志さんに、
「韓国で行われるユニバーサル農園の事例発表会に私もお供させてほしいです。」
と伝えたところ、行くのなら一人でも多いほうがいいと言われ、御一緒させていただくことになりました。
その時に一緒に研修に参加していたのが、服部さんと関内さんでした。
研修中にいろんな話をしていくうちに二人も韓国に行ってみたいという話になり、講座が終わる時には、韓国のお供として、私と、服部さんと、関内恵さんが行くことになりました。

私も再度行くのなら、何か目的を持ち、旅行気分で終わりにしてはもったいないと思い、厚志さんに相談したところ、
「お世話になったユンさんに相談してみたら」
とアドバイスをいただきました。厚志さん達は韓国の障害者雇用を行っている農園を見学に行くことが決まっていたので、同行させていただき勉強させてもらえばいいかな?と思っていましたが、どうせ行くのならユンさんに思い切って相談してみようと思ったのです。

その時に思い出したのです。
以前、ユンさんと「れっどぱーる」に来た時にLINEの交換をしたことを。
ユンさんとライン交換をした当時は、傲慢極まりない人間だったので、
(韓国の人とLINEの交換などしたって何の意味があるんだ。まあ、別に登録した後に削除すればいいや。)
と思うほど、酷いやつでした。本当に悪ですね…。
それが今になって役に立ったのです。
友達登録を見直したらユンさんのLINEがあったのです。
ちなみにLINEの交換をしてから一度も連絡をしたことがありませんでした。
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ユンさんとLINEの交換をしたのはかれこれ7~8年前のことでしたので、私が友達登録を残してあっても、ユンさんが友達登録を削除したかもしれません。
そんな不安がありながら、メッセージを送ってみましたが、その日には返事がなかったので、無理かな?と思っていたのですが、次の日に、メッセ―ジが戻ってきました。それも日本語で。

これで、ユンさんと連絡を取れることが解りました。
その後、私達の韓国での日程を伝えると、一緒に来る仲間の作物を教えてほしいと連絡が来ました。
やり取りを進めていくうちに、ユンさんが韓国の苺農家さんと、米農家さんを案内してくれることになったのです。

これは大チャンスでした。私は今まで農業視察と言っても国内の農家さんのところにしか行ったことがありません。まして同じ作物というと、静岡県内が多かったです。
ここまで流れが出来れば私の韓国視察の目的が具体化してきました。
韓国での苺栽培の栽培技術と、流通、販売方法を学ぶ事です。
そうと決まったら韓国に旅経つ日が待ち遠しくなってきました。

しかし、そこは経営塾。
楽しみばかりではありません。
厚志さんの事例発表の後に一緒に行く私たちも、会社紹介をすることになったのです。
そう、「ご褒美は後で。」です。

韓国の方たちを目の前にどんな話をすればいいか迷いましたが、我が社で取り組んでいる農業の「6次産業化」ことを短くまとめて発表することにしました。

まさか10月に韓国に行き、その3か月後に再び韓国に行くことになるとは思ってもいませんでしたが、何かの縁があるのか、とんとん拍子で話が進んでいきました。

明日は、「いざソウルへ」です。
1週間を通して視察のことを書かせていただきます。
お付き合いください。




2/1沼津経営塾



2024年2月10日


小野園三島店  室伏 剛


皆さんコメントをありがとうございます。
いよいよ7日目、最終日です。
宜しくお願い致します。

2月1日に行われました沼津経営塾では細谷さんが学ばれ活用されている
『ISD個性心理学』なるものを教えて頂きました。
個性心理学とは分類検証学ともいわれているようです。
心理学というより統計学と捉えるとピンッとくるかもしれませんね。

人は大きく分類すると3つのパターンに分けられるそうです。
『月』信頼・愛情を大切にするタイプ
『地球』やり甲斐・実力を大切になるタイプ
『太陽』パワー・資格に重きを置くタイプ
更に動物に例えて12分類、60分類とグループに分かれ、最終的には100万通り以上に分類されるそうです。もはや最終的には一人一人皆違うといった所でしょうか。(笑)

そう言えばちょうど10年ほど前に弊社の若女将がこの個性心理学を学んでいて、私と私の家族の診断をしていただいた事がありました。
その時の資料も保管してあったので今回改めて読み直してみました。

父、母、妻、息子、娘、皆それぞれですが私が思う印象とは随分違った面もあることに驚きました。
例えば私の思う妻は、しっかり者だけど天然(笑)。自分のことは後廻しに周りの人を優先する。堅実で石橋を叩いても渡らない(私と結婚したことが人生最大の冒険(笑))繊細な面を持ちつつも根は明るい。といった印象ですが、個性心理学によると『「地球」放浪の狼タイプ』とあり、デリケートで勘の鋭い芸術人間(無い無い・・・(笑))そして感情の起伏が激しく夢とロマンを求め束縛されることが嫌いとあります。

細かく書くと長くなりますので割愛しますが、今まで生きてきた環境で全く別の印象に変わるとは思いますが、妻の根本にはこのような本質があるのかもしれないと思うとこれからの関わり方も変わっていきそうで面白いなぁと思いました。

私はというと『「月」強い意志を持ったこじか』とあり、殆ど良いことしか書いてありません。(笑)要約すると義理人情に厚く面倒見がいい。ボランティア精神に溢れるお人好し。
結婚しても愛情の深さは変わらず金運も良いのでお金に困ることはないでしょうと書いてあります。
そもそも悪いことはあまり書かれていないのですが、まぁ良いことは素直に受け入れましょう(笑)

今までは自分目線で相手を判断してしまうことが多い私でしたが、今回の細谷さんの説明やディスカッションを通して、人はそれぞれ違っていてそれでいいんだと思えた瞬間でもありました。
それにしても細谷さんの説明がメッチャ上手で話がスッ―と入ってきて、とても有意義な時間となりました。
細谷さん、ありがとうございました。

明日からは佐野さんがブログを担当してくれます。
佐野さん、宜しくお願い致します。

営業



2024年2月9日


小野園三島店  室伏 剛


皆さんコメントをありがとうございます。
それでは6日目、宜しくお願い致します。


昨日も書きましたが週に1日~2日ほど製茶工場でのお茶作りを中断して小野園三島店の仕事をしています。
両親の負担軽減、特に外回りをしている父親の負担を減らさなければとの思いと、両親にもしものことがあった際にバトンタッチできるための準備でもあります。
ですので店舗で接客をすることも勿論ありますが営業回りをする時間をできるだけ確保するようにしています。

量販店さんのルート営業をメインに、今まで父親に任せっきりだったお得意先を約3分の1ほど私が担当しています。
また新規開拓のための営業も少しずつですが行っております。
反省も多い日々ですが毎回振り返りをしながらスキルアップを心掛けています。

量販店さんでも、当然商品をどのスペースにどのように陳列させていただくかで、お客様の目につき購入していただけるかは大きく変わります。
もっとこのように陳列すれば売り上げがきっと伸びるだろうなぁとか、ここのスペースともし入れ替えてもらえたらお客様の目に入りやすいだろうなぁなどと思うことが多々あります。
とはいえ父親から引き継いだ私がいきなり自社目線の希望だけを伝えたところで快くは思ってもらえないでしょうし、先ずは店長さんを始め売り場の担当者さんとの人間関係作りを一つ一つ大切に積み上げているところです。

量販店さんのスタッフさんが「この人が言うのなら聞き入れてやろうか」と思ってもらえるよう、自分には何が出来るのだろうか、また店舗全体の売上にも貢献するために自分にできる提案は何だろうか、常に相手の立場に立って考え行動し、信頼関係を築いていきたいと思います。

交通事故



2024年2月8日


小野園三島店 室伏剛


皆さんコメントをありがとうございます。
それでは5日目、宜しくお願い致します。


昨年の11月、三島市のス〇イウォーク様へルート営業に行った帰り道のことです。
国道一号線の下り坂を信号待ちで停まっていました。
今は週に1~2日程度ですが工場でのお茶作りを休ませていただき、三島店の営業巡りをしています。
この日も、この後に数件の量販店様への納品と一件の新規営業をさせていただく予定でしたので、私は車中でこの後の段取りなどをイメージしていたと思います。

ほんの一瞬ですがバックミラーに後方から近づいてくるトラックが映りました。
ですがそのトラックのスピードと私の車との距離があまりにも至近距離で『ゾッ』とした瞬間、後ろから衝突され、私は車ごと対向車線に弾き飛ばされていました。

車の後部はガラスが粉々に砕け車体はグシャっと潰れ・・・(汗)
すぐ横に丁度広い路肩がありまして何とか車が動きましたので移動しました。

10分ほど待ったでしょうか。消防署の職員さんと警察官の方々が駆けつけてくれて
警察官の方曰く「これ結構ひどいよ・・・(汗)」
でも見たところ相手のトラックはラジエーターの水が漏れていることと、フロント部分が凹んではいましたが、それほど酷くは無いようにお見受けしました。

その後、消防署の方の作業処理や警察署の方の現場検証を待つことになりました。
事故の衝撃で私の身体はいつも通りなのか異変があるのかよく分からない、ちょっとした放心状態のようでしたが徐々に首にかなりのこわばりを感じてきました。
その後、レッカー車で自宅まで車と一緒に運んでもらい直ぐに病院に行きました。


診察の結果はむち打ち、車は廃車となってしまいました。(涙)
私は完全に停車していたこともあり、過失割合は10対0となりましたが、相手方から支払われる補償ではとても次の車を購入できる金額とはならず、私の加入している車両保険を使用して次の車を購入することとなりましたし、今現在も通院したりと、どちらにしても事故はしない方が良いですね。(涙)

でも考えようによっては、よくあの衝撃でこの程度のむち打ちで済んでいるのか不思議なくらいですし、事故の瞬間は前方に10台ほどの車が停車していましたが何故か玉突きにもならず、対向車線に飛ばされた時にもしトラックでも来ていたら大惨事になっていたことでしょう。私はツイている!(笑)
皆さんも事故にはくれぐれも気を付けてくださいね。



ちょっとだけして差し上げたこと。



2024年2月7日


小野園三島店   室伏 剛



皆さんコメントをありがとうございます。
それでは4日目、宜しくお願い致します。


先日いつものように朝6時に起床し身支度を終え、店舗周辺の掃き掃除に取り掛かろうとした時です。見たところ60代位の白髪のとても品のある女性の方が声をかけてきました。
「三島駅までの近道はありますか?」その方は徒歩できたらしく片手にスーツケースを握っています。
当店から三島駅までは比較的、直線道路しか無いため、徒歩ですと別段どのルートで行っても近道などというものは無いように思います。
とても慌てている様子でしたので「どうしました?」と尋ねると「7:00過ぎに三島駅発の新幹線に乗りたいのだけど、ここまで来るバスが遅れてしまって・・・(涙)」

腕時計で時刻を確認すると、切符を購入することなどを考慮すると車で向かっても猶予は殆ど無い状態です。「私の車で送りましょうか」「良いんですか」「余り時間に余裕はありませんので直ぐ乗ってください」とスーツケースを荷台に積み込み出発です。(笑)

三島駅に向かいながら経緯を伺うと、ご自宅がチョット複雑な立地にあるらしく、バスを乗り継ぎながら三島駅に向かう途中のトラブルとのことでした。
行先は金沢への一人旅行とのこと。
元旦に震災のあった石川県ですが、昨年から企画を立てていた事と、少しでもお金を使うことでお役に立てるかもしれないとの事でした。

数日前、私は営業に出てしまいお会いすることは出来ませんでしたが、その方が当店に寄ってくれて、先日のお礼にと美味しい最中を届けに来てくれました。

本当~に小さな出来事ですが、経営塾で学ばせていただく前の10年前の私なら、見知らぬ人を今回のように送っていくような発想はなかったかもしれません。
自分から話しかける、一言添える、といった事を通して人間関係が以前よりも深まっているように感じています。
今回のような相手のお役に立てたこと、そしてこのように行動できるようになった自分の心のゆとりを嬉しく感じられた出来事でした。

新年会



2024年2月6日


小野園三島店   室伏 剛



皆さんコメントをありがとうございます。
海野さん、真剣にコメントしてください。(笑)
宮本さん、どうしようかなぁ~(笑)
それでは3日目、宜しくお願い致します。

先月の1月23日(火)に小野園本店の新年会を開いていただきました。
12月はお歳暮シーズンで繁忙期となりますので、弊社は忘年会を行っておりません。
またコロナ禍でもあったため新年会も数年ぶりの開催となりました。

今回は約20名の方が参加をしました。久し振りに従業員さんたちとお酒を酌み交わし、とても楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

店舗で働くスタッフさんの殆どが女性です。
皆さんを見渡すと社長、私を含め男性は僅か4名だけ。
改めて女性スタッフさんたちで店舗が回っていることを実感しました。
みんなの写真を掲載できないのが残念ですが、御殿場市の駅前にある社長オススメの素敵な小料理屋さんで美味しい食事をして、二次会は飲み屋さんへ移動をしてカラオケで盛り上がりました。

女性スタッフさんは旦那さんの仕事の転勤や、お子さんの育児などの都合もあり、この数年で数名の方の入れ代わりもありましたが、みんな笑顔で笑い合っている姿に良いチームだなぁと思いました。

仕事以外でコミュニケーションを取ることってとても大切なことのように感じています。
それぞれのお子さんのことや仕事以外に大切にしていることなどを知ることが出来て、より親近感も感じました。

そして毎年この時期になると、工場でもこれから訪れる新茶期に向けて機械一つ一つのメンテナンスなども始まります。
今まで以上に美味しいお茶を作るべく色々なことを見直しているところです。

新年会で普段あまり話すことの無いスタッフさんたちとの絆も深められましたし、
「さあ、新茶に向けて頑張るぞ~!!」

全空連昇段審査会②



2024年2月5日


小野園三島店  室伏剛


皆さんコメントをありがとうございます。
アレッ辻さんバレました。(笑)
でも空手ネタは本日で終了です。(笑)
それでは2日目、宜しくお願い致します。



少年二段の審査は二種類の形を演武した後、組手を二試合行います。
資格を持った5名の審査員の先生方により合否が決まります。
生徒たちも合格目指して自分のクセ、身体の使い方などを修正しながらキレ、緩急、
そして正確性のある動きを身に付けていきます。

昨年末から気持ちを切り替えて稽古に励みだしたY君ですが、別の指導員の先生が指導するとふて腐れているのかダラダラと稽古をしていることもあります。
でも手を抜きながらも私の方をチラチラ見たりします。
空手がただ嫌いで怒られるのが嫌なのか、それとも構ってもらいたいのかなぁと思いながら
私も二言三言声を掛けたり気づかないふりをして放っておくこともあります。

今回受審する5名の生徒を対象にこの時期だけ毎週金曜日に特別練習を行っているのですが、金曜日の会場だけ距離の離れた場所にあります。
Y君のお父さんは帰宅が遅いらしく、お母さんは車の免許を持っていないため私が送り迎えをしています。その道中は空手のこと家でのことなど色々と話をします。
まぁ彼から話しかけてくることは殆どありませんが(汗)

一昨日の最後の特別練習の帰り道、コンビニに寄りました。
「Y,お腹減ったろ肉まんでもコロッケでも何でも好きなものを買ってあげるから選びな」と私が言うと「お腹いっぱいだからいらない」「稽古を一生懸命やったんだからお腹空いてるだろ」「お腹いっぱい」「じゃあ明日の朝食べれば」「用意してあるから大丈夫」「分かった。じゃあ車に乗って待ってて」と車に戻らせチキンを3つ買いました。(3人兄妹なので(笑))
Y君の自宅に到着し降りる際にチキンを手渡すと「ありがとう」と素直に受け取り家に入っていきました。
その時何となく気づいたのです。
そうだよなぁ~、中二のお兄ちゃんにはケンカじゃ適わないし、以前はたまに稽古中にお兄ちゃんに泣かされていたなぁ~
小3の妹に手を挙げればお兄ちゃんなんだからと、きっと親にも怒られてきたんだろうなぁ~
もう小6、でもまだ小6、きっと甘えたり構ってもらいたいのかもしれないなぁ~
自分のこの対応はきっと甘いのだと思いますが、これからもY君の幸せを応援していきたいと思いました。

本日の昇段審査会ですが、5名の生徒たち皆、自分の実力を発揮することは出来ました。
結果は後日となりますが、合否に関わらず頑張った生徒たちに心からエールを送りたいと思います。


全空連昇段審査会①





小野園三島店  室伏剛



希代さん、ブログ当番お疲れさまでした。
本日より一週間担当させていただきます。
それでは1日目、宜しくお願い致します。


本日、2月4日(日)は『全日本空手道連盟 後期昇段審査会』が開催されます。
私が所属する無限塾秀志館からは初段1名、二段4名の合計5名の生徒さんが受審します。
(当初は6名の予定でしたが1名の生徒さんが怪我をしてしまい棄権となってしまいました。)

全空連の規定では18歳未満で取得できる最高段位は二段までとなっております。
ですので生徒さんたちも先ずは初段合格を一つの目標とし日々の稽古に励んでいます。
そして初段を取得できた生徒さんに限り、一年以上経過すると次の目標の二段を受審する資格が与えられます。

今回の5名は昨年秋に受審する決意を固め、週2回の通常稽古と週1回の特別練習、そして毎日自宅での30分以上の自主練に励んでいるのですが、二段を受審する小学6年生のY君だけは、ど~にもやる気が見られません。

私を含め常時数名いる指導員の先生方も、何とか合格させようと必死に教えてくれていますし、生徒たちも合格目指して、技の意味を理解することから始まり、自分のクセ、身体の使い方などを修正しながら指導員に言われたことを素直に体現できるよう一生懸命です。
Y君を除いては・・・

Y君はお茶らけて稽古に集中していないことが多々ありました。
どこか『自分にはどうせ勝てない』という自信の無さから来ているのかも知れないと思っていました。
私も何度も注意をしてきましたが、その時は改善するのですが再び手を抜いてダラダラと稽古をしています。
生徒人数もそこそこ多いこともあり、私も注意をする回数が次第に減っていきました。

そんなY君ですから、昨年の秋に今回の昇段審査会を受審したいと申し入れがあったときは正直驚きました。
今のままでの練習ではとても合格は難しいから、私から断念するように伝えようかと、
何度も迷いましたが、今回のことをキッカケに真剣に取り組むようになってもらえたらと思い、
『今から真剣に取り組めば何とか間に合うと思います。』と伝えました。

~長くなりますので明日に続きます。~(汗)

孔丘

2024/2/3(土)                  希代和也

2024年も早くも2月になりました。
年明けから今年は本当に様々なことが起こっているので今年は
本当にどうなってしまうのだろうと不安になります。
 そんな2024年を迎える年末年始にゆっくり時間がとれる機会があったので
何か普段読まないような本をあえて読んでみようと思い、書店で見つけた
宮城谷昌光さんの「孔丘」上下を読むことにしました。
宮城谷さんは中国の偉人を題材にたくさんの小説を書いているのでご存知の
方も多いと思います。

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また、孔丘は「論語」の「孔子」として登場する人物で知らない人はいない偉人だと思います。
「孔丘」は孔子になる前の人間孔丘の一生が描かれている作品でした。
あまりにも有名人で、また論語の中で語られる聖人としてのイメージが強い人物ですので、
聖人孔子としての生涯では無く、ある種の人間臭さや葛藤があり人間孔丘としての一生を
歴史的経緯を含めながら描いている作品ですので読む方によって感想は違うと思いますが
個人的にはズシンと重みを感じ、孔丘の都度の行動について読み終えても時々思いだし考えされられます。

孔丘を始め宮城谷さんが題材にする偉人たちが生きていた時代は治世とはほど遠い
乱世の時代に生きた人間ですが、今の日本も平素かと言われると好き好む関係なく乱世に近い
時代だと思いました。これから天災はじめ世界情勢を含めて有事の時代真っ只中を生きていく必要があるので
そうした中でも生き方の指針を少しでも、過去に生きた人から学んで生きたいと思いました。

ハザードマップ

2024/2/2(金)                       希代和也

 1月の消防団の訓練ではハザードマップを使用して
大雨が降った場合に、町のどの辺が冠水のリスクがあり、
どの辺が土砂崩れの危険があるのかを知りました。
以前はハザードマップのようなものはあってないようなものの
印象がありましたが、今では毎年のように地震・台風・大雨があるので
どこに住むのかを決める用意の一つに利便性や交通の便と同じように
ハザードマップ・災害のリスクというものが重要視されているそうです。
 また最低でも1週間の備蓄を各家庭で用意することで支援が来るまでの
最低限を過ごせるそうなのですが、いざ自分が備蓄をしているかと問われると
簡単なことが故になかなかしていないのが現状です。
天災はいつどこで起こるか分かりませんが、それに備えておくということ重要性もありますが
「想定外」という言葉がよく使われたように、人の想定を超えるのが自然だと
思うので個人的には起こってしまった以上は、その時はその時なのかなと思いました。
 東海地方もずっと南海トラフ地震の危険性を言われていますが、様々な事情から
住む場所を変えるということはなかなか難しいと思います。
いつか来ると言われている以上、自分が生きている間に何か大きな災害の当事者になることは
必ずあるという覚悟は持っておきたいと思いました。
いざその時に、自分がどういった行動をとるかは分かりませんが、平時のありがたさを感じ
出来る備えを少しでもしておきたいです。

新しい道具

2024/2/1 (木)                            希代和也

 これまではプラグから電源をとっていた電動工具が
コードレス化して蓄電バッテリーで使える工具が増えてきました。
また、そもそも工具としてもなく人力で行っていたことでも工具で
行えることが増えてきました。
 ただ、面白いことに工具以上に蓄電バッテリーの方が値段が高い場合が多く、
あまり電動工具化する度に購入していても工具ばかりが増えていくのでどの程度工具に頼って
どこまでを人力や他の道具で代替して行うかの見極めることがより大事なのだなと思いました。

昨年、久々に一緒に仕事をした伊東のKさんはよく使われているバッテリーのタイプの
電動ブロワー(風を出す道具)ではなく、ガソリンタイプのブロワーを使っていました。
バッテリーのタイプのよりは大きいサイズでしたが、風の威力も格段に違い
ガソリンタイプなのでバッテリーが途中で切れたら取り替える必要もなく1人でやっているKさんに
とってはとても使いやすい道具なのだなと思いました。
「バッテリー式のタイプに比べても値段が安いから便利だよ」とKさんも言っていました。
Kさんは他にもいくつかほしい工具があるらしく、どれもそんなのがあるのかと
聞いているだけで便利そうな物ばかりでした。

そうした工具の存在をそもそも知っているのかどうかで、買って実用するかどうかの
選択肢が1つ増えるので、情報や知っているかということはとても重要だなと思いました。
それ一つを導入することでこれまでの効率が格段に向上する物であれば使う価値があるものを
まずは自分が情報収集やよくアンテナをたてておく必要があると思いました。
知らないと選択肢も0のままなので、0を1にすることが小さなことのように感じても
大事なことなのだと実感しました。