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沼津経営塾

お互いに切磋琢磨して、人生をより良いものにしていきたい。コツコツ学ぶ仲間の集いです。月1回沼津三島にて勉強会を開いています。

【価格改正?】

おはようございます!
小野です。

六日目、宜しくお願い致します。

「価格改正?」
先日、ある会社様から、配線工事の見積依頼を頂きました。
その担当者の方とお話をすると、N社からもらった見積金額に、
自分でもできそうな工事なのに、どうしてそんなにかかるのか?
もっと安くやってくれる会社がないのか?と探る中、
うちの会社に連絡をして頂いたようです。

工事金額が高いといっても、その方の感覚的なものもありますし、
工事の内容では、高額になる可能性だってありますから、
現場を見ないとわからないとお伝えし、実際にその会社に伺いました。

余談ですが、実は以前、電気屋さんからの紹介で、その会社の社長の自宅を
電話工事をさせて頂いたことがありました。
今でもすごく印象に残っていることがあり、その話をご担当者にしてみました。

「私、社長の奥様から、お見合いを勧められたことがあったんですよ。
『うちの社員さんとお見合いをしなさい!』と言われまして…
35年も前の話ですけどね!(笑)」
すると、今までの緊張が少しずつ解けてきたようで。

「それはご縁ですねぇ~ 是非工事お願いしますよ!」
「N社の工事金額は〇〇万円なんですが、高いですよねぇ?」
「N社より安ければ、そんなに安くしなくてもいいですよ。」
「別の工事もあるのですが、お見積もりできます?その金額は…」などと、
気さくに、そして金額まで教えて下さいました。

ところで、どうしてうちの会社に電話を頂いたのですか? とお尋ねすると
「HPで見まして… ウフフ」  そのウフフで、この人、おのちゃんマンを
見たな! とピンときました。(笑)

現場調査してみて、N社の見積り、間違いなく高いです。
いや、うちの会社が安いのか? 安すぎるのか?
多分、ふつうにいったら、うちの会社、相当安いです。

「そんなに安くしなくてもいい」のひと言をいただいて、
いつも「23円のプライスカード」を握りしめている私にとって
さて、コールの金額をどうするのか? 悩んでいます。(笑)

私の頭の中の価格表?を、もう一度改めないといけないようです。

見られている

 「 見られている 」

       2023.1.31(火)      タクシー会社勤務
                         古橋 力

温かいコメントをいただき、ありがとうございます。
ブログ3日目です、よろしくお願いします。


標識3
減速して、今は何時?何曜日?と考えてしまいます  


先日、無線配車であるお宅へお迎えに行きました。30代くらいの女性がスーツケースを持って出てきました。私はいつも通りに、トランクに入れるかを確認します。座席の横に載せるとのことで手伝いました。乗車のお礼を言い、行き先は浜松駅でしたので道順を確認して出発しました。電車の時間も確認します。

念のためにと早めにタクシーを呼んでくれたそうで、時間は余裕がありました。
お客様によっては、ぎりぎりの時もあります、そんな時は無理のない範囲ですが車線変更をしたりして、気持ちも焦ってしまいます。

助かるなあ、などと思いながら走らせていると、「古橋さん、私を分かります?」と言われました。私はその女性のお客様は初めてお会いします(と思います)。
何かしでかしたのか、どこかでそれを見られていたのか・・・・(汗)。
「すみません、多分初めてお会いすると思いますが・・・」と答えました。

「今までで、一番の接客対応です。新人の丁寧さではなくてベテランの安心感が伝わりました。」と言われました。 ・・・・・?

実は、同じ会社で日勤ドライバーをしているとのことでした。その方は、早朝の出勤で夕方前には退勤しているので顔を合わせることがありません。
どこかで見られているのですね、気を付けるというのはおかしいですが、まともな行動をしていこうと思いました。

私は、特別な接客をしたわけでなく、いつもしていることをいつもの様にしました。同業者に「安心感がある」と言われたことは、嬉しかったです(急にはずかしくなりました)。いろんなお客様を、いろんな状況でお乗せします。自分の接客をさらに高めて、安心して乗っていただけるよう心掛けたいと思いました。


家族の笑顔

 「 家族の笑顔 」

           2023.1.30(月)
                         タクシー会社勤務
                         古橋 力

コメントありがとうございます。ブログ2日目、よろしくお願いいたします。

トヨタ自動車の社長、豊田章男氏が退き、後任として佐藤氏が社長に選ばれたというニュースが流れました。53歳だそうです、若いですね。レース場で内示を伝えたそうです。うるさくて誰にも聞かれない!からだそうです。驚きました。


それでは、本題です。
今月の後半は、我が家の『スーパーハッピーウィーク』でした。私と妻の結婚記念日、妻の誕生日、1日おいて娘の誕生日と、4日間に3つのイベントが集中しています。施主の私は、毎年どうしようかと頭をなやませています。
以前はその都度していましたが、最近は1日にまとめてお祝いをしています。

今年は、「プレゼントに欲しいものは?料理などはどうしようか?」と聞いてみたところ、カミさんは「特にないから一緒に旅行に行きたい」とのこと。旅行などの遠出をしばらくしていないので暖かくなったら計画することにしました。

娘は、「まつ毛の育毛剤」でした、?? これは自分の管轄外ですのでカミさんに任せました。娘は、ブライダル関係の会社に勤めていますのでこうしたことにも気を使うのでしょう。

27回目の結婚記念日、カミさんは5?歳、娘は24歳になります。3つのイベントの料理なので奮発しました。

料理は、私達が結婚前からお世話になっているお店に頼みました。カミさんは毎日、家族のご飯を気合を入れて作ってくれていますので、その日は手を休めてゆっくりとしてほしいと思いました。

娘は、結婚式のプランナーをしています。平日は、お施主さんとの打ち合わせ、週末は結婚式があり、帰宅時間も遅いです。施主からのお礼の手紙がよく届いています。大変そうですが、楽しんで仕事をしているようです。今日は、ゆっくりとしてほしいです。

母もこのウィークを楽しみしています。美味しい料理とケーキ、そして普段は飲まないお酒もいただけます。何よりも、4人揃ってのこうしたイベントで、笑顔になれることが嬉しいと言ってくれました。

娘は、この春に結婚しますので、こうした形でのお祝いは最後になるかもしれません。または、旦那さんが加わってくれるかもしれませんが。
まだまだ長生きして、こうしたイベントをたくさん経験してもらいたいと思います。

これからも家族が笑顔になるように、行動していこうと思います。



CL楽習

「 CL楽習会 」

      2023.1.29(日)      タクシー会社勤務
                       古橋 力

佐野さん、静岡と沼津のブログ当番おつかれ様でした。襷を受け取りました。
一週間、よろしくお願いします。

1月20日は「大寒」でしたね。温暖と言われている、ここ静岡県の西部でも寒波の襲来で日中の最高気温が、2℃という日がありました。皆さんのところは大丈夫でしたか。これだけ冷えると体の節々にこたえます。養生しながら無理しすぎないでいきましょう。
それでは、1日目よろしくお願いします。

1月22日に、島田CL楽習会に参加させていただきました。振り返ってみたいと思います。

杉井さんが、ブログ「杉井のひとこと」の中で交通事故に遭われたと書かれていました。写真から、かなりの事故だったと想像できますが、それを全く感じさせない杉井さん、すごいです。事故のことも、自分の顔で道路のアスファルトに窪みをつけてしまった!と、ユーモアをまじえて話してくれました。

私が、手の骨折の手術後で包帯をまいていたなら、「○○をしない理由」にしていると思いました。

参加者の近況報告では、各自の今年の目標も発表しました。一部を紹介します。

・1日に12000歩を歩く、1月に8冊の本を読む。

・思ったら実行、会える時に会ってお礼を伝えたい。貯筋(ちょきん)をするためにジムに通う。

・一年前からジョギングをしている。1日に5000歩を、スマホのアプリを使って歩く。

・私はこの会、唯一の70代。60代は華、70歳になると体が変わる。それを伝えていきたい。


杉井さんのお話をまとめてみました。

・60歳代は、仕事を定年して、金銭的にも体力的にもしたいことに余裕をもって臨める。今が続くと思いがちだがそんなことは無い。50代なら60代、60代なら70代、10年先のことを考えて今を行動する。

・仕事に変わる楽しみを持つと良い。

・歳を重ねると、お金の為に働くのではなく自分の価値、生きる手応えの為に働くのが良い。何かの為に、貢献する喜びを感じたいものだ。

・したいことが出来ないとボケるので、免許返納はしない方が活動的でいられる、特に男性は。野菜よりも肉を食べてタンパク質を摂ると良い。


私に言われているようでした。私は来年、60歳になります。自分が還暦とは驚いてしまいますが事実です。体も元気だと思っていましたが、膝や腰、思わぬところが急に痛くなります。ですが、40代と同じ様に体をつかってしまい調子を落とすことがあります。先ずは毎日のラジオ体操を習慣にして、更に体の為にできることを増やし、「貯筋」をしたいと思います。

10年前には、私や家族にとって激変の出来事がありました。杉井さんをはじめ、沼津経営塾の皆さん、多くの方とのご縁をいただき、今の自分が成り立っていると思います。
杉井さん、諸先輩方と顔を合わせられて刺激をいただける楽習会、これからも参加していきたいと思います。

「理想と現実」

2023年1月28日
おはようございます。皆さんコメントありがとうございます。
今までは、いろんなイベントに出かける立場でしたが、
これからは、自分達でイベントを開催して、お客様や業者様に声をかけ、
沢山の方に来てもらえるようにしていこうと考えています。
そして、私が育ったこの地域がみんなに知ってもらえたら嬉しいです。
7日目の最終日になります。
最後宜しくおねがいします。

7日目 富丘佐野農園(株) れっどぱーる 佐野真史

「理想と現実」

皆さん、日ごろのお買い物などでも感じていることと思いますが、
色んなものが値上げをしていますね。

日料品はあまり買う機会がないので良くわかりませんが、仕事では、燃料費、電気代、生産資材、段ボール、等、色んなものの値段がびっくりするほど上がっています。
かといって、苺の納め金額が上がっているかというと、上げていないのが現状です。

先日、スーパーのバイヤーさんと話をしたのですが、日料品のいわゆる日配商品は、内容量を減らして、実質的な値上げを行っているようですが、農産物でも、それと同じことをしたところ、かえって、割高感が出てしまうようで、売りにくいとのことでした。やはり、普段から見慣れている量目は大事なようです。

その話を聞いて、やはり農産物での値上げは結構厳しいものがあるように思いました。
実際に、色んなものが値上がりしているのに、野菜物は、去年よりも安いようです。
天候の影響もあり、豊作のようです。
そこに農産物を売る難しさがあると思います。

自分達の作物の出来が良い時は、よその家の出来も良いのです。
だから、どうしても、自分達が良いものが出来るときは、みんな良いものが出来るので、
需要と供給のバランスが崩れて、値崩れを起こします。
そして、最終的に、豊作貧乏になってしまします。

逆に肥料は、どんどん値上がりしています。
去年7000円だった肥料が10000円以上になっています。
物によっては、2倍になっているものもあります。
それが現実です。

ですので、今までと同じように、同じ金額で、同じように販売していても利益はどんどん少なくなっていきます。
杉井さんが以前から仰っていた、嵐が来たことを肌で感じるようになってきました。
社員さんを守るためにも、本気でやらなければ潰れてしまいます。
今こそ今まで学ばせていただいたことを実践するときが来ているように思います。
他社との差別化を発揮し、独自性を磨いていかなければと思います。

それと同時に、今までの物の流れをどこかで変えていかない限り、利益は増えてきません。
やはり、考えられるのは、自分で売るしかないという答えにたどり着きます。
まだまだ卸に回す苺の量は多いですが、卸の部分を減らし、自分達の店舗での販売や、苺摘みに力を入れ、全量自分たちで販売、加工、摘み取り体験で苺を消費していくことに取り組んでいこうと思います。

今の段階でも、沢山収穫できた時は、お願いをしてスーパーさんに買っていただいています。
ここを乗り切りなければ現状は変わらないと思いますが、まだまだ自分の覚悟が足りないです。
楽なところに逃げてしまう自分がいます。

いちご摘みも始まっていますが、天候によって苺の実の入り方が違うので、中々予想するのが難しいですし、
食べる量も、人によって様々です。苺が足りないと思っていても、天候が良くなれば余ってしまします。
また、その逆もあります。
何でも問題点はあると思います。その問題を何とか乗り越えなければ先が無いように思います。
れっどぱーるでは、今後、苺摘みに力を入れていくことを社員の皆にも伝えてあります。
若い社員さんも加わったことで、みんなで、意見を出し合って試行錯誤を繰り返しながら、突破口を見つけたいです。

その突破口を見つけるのが、今シーズンの重要課題になってきます。
苺の生育状況と、お客様数の調整をどうするか?
どちらもコントロールできませんが、予想はつきます。
今こそ、みんなで力を合わせ、一歩前進するときが来ています。

やはり、今年は、勝負の年です。
気を引き締めて取り掛かっていきます。
本気で覚悟を決めないと大波に飲み込まれてしまいます。
気づくのが遅いですが、今からでもやれることをしていきます。

一週間私の拙いブログにお付き合いいただきありがとうございました。
明日からは、古橋力さんの登場です。
1週間よろしくお願いします。


「れっどぱーる15(いちご)の日」

2023年1月27日
おはようございます。昨日、一昨日ととても寒かったですね。
外の水道も凍り、ハウスの井戸のポンプにも影響が出てしまいました。
普段から備えていれば防げたことなのですが、そういったところに
手を抜いているから、いざとなった時にあちこちトラブルが起きてしまいます。
普段からきっちりした仕事をしていこうと思いました。

来週からは、古橋力さんがブログを担当してくださります。
宜しくお願いします。

それでは6日目です。

富丘佐野農園(株) れっどぱーる 佐野真史

「れっどぱーる15(いちご)の日」

1月14日からいちご摘みをスタートしたわけですが、
それに伴って、1月15日と言えば、15(いちご)の日です。
れっどぱーるでも、毎月15日はいちごの日として、何か催し物をしていこうということになりました。
それが、 1月は、たまたま日曜日。
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何回か書かせていただいていますが、今年でれっどぱーるは15周年を迎えます。
その15周年を記念して、1月15日をれっどぱーるれっどぱーる(いちご)の日として
マルシェを行いました。
以前からご協力いただいているハンドメードの皆さんや、
今回初の試みでもある移動販売車の業者様にお願いして、マルシェを盛り上げていただきました。
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当日は雨の予報もあったのですが、時々薄日が差してきて、比較的この時期にしては温かく、
お客様が来てくださるか心配でしたが、なんと、第二駐車場がほぼ満車になるというくらい
沢山の方が来てくださいました。
お客様の中には、「15周年おめでとうございます。」と言ってくださる方もいて、
そんな声掛けに胸がいっぱいになり、涙が溢れてきました。たくさんの方々に支えられて
ここまで来れました。苺が売れなくて困った15年前。駐車場も4台止まれるだけの
広さでした。それが40台以上の車が止まれる駐車場が一杯になるようになりました。
感慨深い思いでしばらくの間駐車場を眺めました。
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皆で作った「あおぞらパーク」にも、販売車が並び、賑やかでした。
ベビーカステラのポレポレさん
クレープ小山さん
唐揚げ14番さん
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以上の3店舗です。私は、声を掛けたりするのが苦手なのですが、
3店舗とも嫁さんが声をかけてくれ、来ていただきました。
天気が怪しいなか、イベントを盛り上げてくれましたし、
唐揚げも、ベビーカステラも、クレープもみんな美味しかったです。
元気で前向きな嫁さんには頭が上がりません。

「あおぞらパーク」をひときわ賑わせてくれたのがこちらです。
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そうです。シャボン玉です。
子どもたちがシャボン玉を追いかけて、楽しんでくれました。
その光景を見ていて、もっともっと子供たちが喜ぶ場所にして、大勢の人がゆっくりと時間を
過ごせる空間を作っていきたいなと思いました。

私は以前、道が狭くてお店の規模にも、限界があると思っていましたが、
逆転の発想で、道が狭いからこそ、皆さんにゆっくりしていただける場所になったし、
音楽もかけることが出来ます。
弱みを強みに変えていくことはとても重要なことですし、難しいと思っていましたが、
難しいと思って何も考えないことの方が、恐ろしいことだと思う様になりました。
考えれば何かのアイデアが浮かんでくるものです。
まだまだ可能性はあると思います。
沢山の方が喜んでいる姿を思い浮かべてアイデアを出し、実現していきます。

300円のシャボン玉の機械と、石鹸水で人が笑顔になっている光景を見て、
人を喜ばせるのは、お金を掛けなくても出来るということが解りました。
相手が喜ぶことを考えていきます。

「いよいよ苺摘みのスタート!」

2023年1月26日
おはようございます。れっどぱーるの佐野です。
昨日は寒かったですね。外の水道が凍ってしましい、大変でした。
寒くなるとわかっていたのに、 対策不足から、色んなことが起きました。
準備をしておくことは大切ですね。
さて、来週からのブログ当番を募集いたします。
立候補をお願いします。
それでは5日目宜しくお願いします。

5日目 富丘佐野農園(株) れっどぱーる 佐野真史

「いよいよ苺摘みのスタート!」

れっどぱーるでは、今月の14日からいちご摘みをスタートしました。
苺摘みの初日ということもあり、朝の朝礼も緊張しました。
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こうして、社員さんを目の前にすると、初めは家族しかいなかったのに、
沢山の仲間が増えたなと時の流れを感じます。
また、今いるメンバーは、全員去年から頑張っていくれているメンバーなので、
色んなことを経験しています。なので、今年のいちご摘みのスタートは、
例年に比べると、心配事も少なかったです。
というか、みんな成長して、私がいろいろと口を出さない方がうまくいきます。
私の大切な仲間たちです。

れっどぱーる15周年のいちご摘みスタートの日

約200名の予約をいただいていましたが、その中でも、一番に来てくださったのが、こちらのお客さまでした。
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こちらのお客様は、何年も前に、結婚式の時にれっどぱーるの苺を使っていただいてからの長いお付き合いになります。
苺の収獲初めの「でかほっぺ」を朝から並んで買っていただいたり、知り合いに送ってくださったりと大変お世話になっています。
毎年いちご摘みに来てくれて、お子さんも年々大きくなられ、お会いするのが楽しみです。
何とこちらのお子さんは、れっどぱーるのホームページにも出演してくれています。
このように、生の苺の販売が始まると、いろんな思い出のあるお客様が足を運んでくださいます。れっどぱーるを立ち上げの頃から
来てくださっている方もいて、昔からの知り合いと会うような感覚でお会いするのが楽しみの1つとなっています。
沢山のお客様と一緒に時を過ごしているようでとても嬉しくなります。感謝のひとことです。
「ありがとうございます。」
開店と同時にお客様が受付を終了して、ハウスへと向かっていきました。
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ハウスでは、夏から大切に苺を育ててきた社員さんが衣装を変えて、
お客様をハウスに案内してくれます。
夏は、苺の栽培の技術者で、冬になると自分たちが育てた苺
を皆様にご案内するガイド役に変身します。
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この笑顔見てください。
決してやらせではありませんよ。(笑) よく見たら、みんな眼鏡です。
赤のワイシャツにジーンズに、ハット。
「れっどぱーる ファンタジーワールド」をイメージして
若手社員さんがコーディネートしてくれました。
私は、着ぐるみを提案しましたが、却下されました。(涙)
このメンバーで苺摘みに来てくださるお客様をおもてなしします。
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若手社員のF君と、E君です。
笑顔が似合う好青年です。
今まで、社員さんに私が、あれをやってくれ、これをやってくれと言っていましたが、若手社員さんが加わり、仲間が増えることによって自主的に改良したり、工夫してくれるようになってきました。おとなしい人、良く喋る人、もくもくとやる人、おっちょこちょいな人などいろんな人がいますが、みんないい人たちです。
皆を束ねてゴールを目指して舵を切っていくのが私の役目です。
みんなの力を借りながら、ゴールを見失わずに、進んでいきます。

是非、皆さんも、遊びに来てみてください。
きっと苺のガイドさんたちが、笑顔いっぱいで迎えてくれると思います。
予約お待ちしています。


「商品開発」

2023年1月25日
皆さんおはようございます。
ブログへのコメントありがとうございます。
「五誓の言葉」を毎日読んでいますが、まだまだ言葉の深い意味が見えてきません。
この言葉の深い意味は、本気になって合格した時に、見えてくるものなのですかね?
この研修は、奥が深いですね。
それでは。4日目になります。
今朝は今シーズン一番の寒気が流れ込んでいるようですね。
苺に影響がないことを祈ってます。

4日目  富丘佐野農園(株) れっどぱーる 佐野真史

「商品開発」

れっどぱーるを立ち上げて15年になりますが、初めの頃は生の苺のみの販売をしていました。
3年ほどして、お客様が徐々に増えてきたものの、まだまだ自分の目標には達成しませんでした。
12月から2月くらいまでは、苺のシーズンということもあり、それなりに売れていましたが、3月以降になるとどんどん来店してくださるお客様が減っていきました。
この状況を何とかしたい。苺は5月末まであります。

その頃、地元の農家さんたちと東名高速でマルシェを開催することがありました。
今まで物を売ったことがなかった私は、生の苺のみを販売していたのですが、なかなか売れません。
仕事をしているみんなのことを考えたら、自分の日当分くらいは、売りたいです。
でも売れない事実を味わった時に、
(どうしたら苺が売れるようになるかな?)
と真剣に考えました。

身をもって分かったことは、パックに入ったままの苺はそんなにたくさん売れるものではない。という事でした。
パックに入ったままは売れない。
どうしたら売れるか?

するといい案がひらめいたのです。
(パックに入っているままでダメなら、すぐに食べられえる状態にしてみたらどうだろうう。)
と考えて、思いついたのが、包丁でヘタを取り、苺を半分に切ってちょっとかわいいカップに入れて販売することでした。

試しに売ってみたのですが、パックに入ったままでは売らなかった苺が売れるようになったのです。
さらに冷ケースに入れて冷やして売ったら、たくさん売れるようになったのです。
1カップ300円のカット苺が1パックで3つ出来上がりました。
当時600円で販売していた苺の1パックがカットしただけで900円になったのです。

この経験が苺の加工へ進むきっかけとなったのです。
同じ苺を切っただけで価値が1.5倍になったのです。
このことを知ってしまった私は、苺の加工に力を入れていくことになりました。
スムージーに、ジュース、ソフトクリームに、パフェ、クレープなど、どんどん商品を作っては販売し、メニューを増やしていきました。

当時の私たちは、前に進むために必死でした。必死で物事を考え、実行し、成功するときも、失敗するときもありました。
そのことが今の自分たちの肥やしになっていると思いますが、それから月日はたち、自分達も年を重ねた今、
今ある商品を販売しているだけで、当時のように必死で考えることが減ってきました。

何か新しい商品をと考えているのですが、思いつかず、悩んでいました。
そして迎えた15周年。今年こそは何か新しい商品を誕生させたいという思いが強くなりました。
昔は、自分が何とかしなければどうにもなりませんでしたが、今のれっどぱーるには、周りを見渡せば、真面目で頑張り屋の若い社員さんたちがいます。
(そうだ、15周年の新商品は、若手の社員さんを中心に考えてもらおう。きっと若い子の方が、アイデアも豊富だし、色んなものを見ているから面白いものが出来るかもしれない。もしかしたら、自分達が考えた商品が売れれば、仕事に対する遣り甲斐にもつながってくるかもしれない。)
と思い、新商品開発を若手の女性スタッフさんたちにお願いしました。

すると先頭に立って動いてくれたのが去年入社したYさんでした。
Yさんはおとなしく人を引っ張っていくタイプではないと思っていたのですが、責任感が強く、苺のデザートをネットで調べ、どんなものがあるか私に見せてくれました。
写真を見ながらYさんと相談して、インスタ映えのするパフェを作る事に決めました。
‘‘れっどぱーる15周年記念パフェ‘‘です。
パフェを作るとなったら、女性スタッフさんたちがネットでいろんなパフェを見て「これいいね」、「ここはこうすると綺麗だね」などと楽しそうに話していました。そんな光景を見ていて、私も楽しくなってきました。
作りたいものがある程度絞れてきたところで試作です。
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女子3人でお菓子教室のようです。
色々と試行錯誤していました。
出来上がりがこちらになります。
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商品名は、「華紅苺」中国っぽいですが、当て字で、‘‘はなほっぺ‘‘と名付けました。
苺の盛り付けから、名前の命名まで女性スタッフさん達でやっていただきました。
若い社員さんたちが考えた新商品です。
是非売れてもらいたいです。
こちらの商品を先日の14日から販売を開始したところ、
開店早々に注文してくださったお客様がいました。
写真
れっどぱーるの久しぶりのデザートの新商品です。
女性スタッフの頑張りが実ることを祈っています。みんなの力を借りて物事を進めていくのも楽しいものだと思いました。皆ありがとう。第二弾、第三弾も行っていこうと考えています。

「五誓の言葉 2」

2023年1月24日
おはようございます。
れっどぱーるの佐野です。皆さんコメントありがとうございます。
杉井さんの一生懸命さは、仕事の時も、お酒を飲むときも、けがをした後でも、感じています。
とても真似のできることではないです。 少しでも近づけるように、自分をコントロールしていきます。
小野塾長、体調のすぐれない中、「五誓の言葉」の試験官をしていただきありがとうございました。
あの時の小野さんは、いつもと違って、試験官としての迫力が凄かったです。
覚悟が違うのでしょうね。

3日目 宜しくお願いします。

富丘佐野農園(株) れっどぱーる 佐野真史

「五誓の言葉 2」
きのうの続きになります。
「五誓の言葉」を覚えた方たちは、列になって自分の順番を待っていました。その列は、10人ほどの列になり、待っていても中々順番が回ってこないことに気付きました。その時の私は、まだ言葉を覚えていません。
でも、覚えなきゃ覚えなきゃと思えば思うほど焦ってきて集中できず、覚えません。
(このままではだめだから列に並びながら覚えよう)
このまま書いているだけでは、覚えないし、列に並びながら覚えることにし、柿園の足立さんの後に並びました。
並びながらも、参加者さんの叫びは続きます。
その叫び声とともに、覚えた言葉を口ずさんでいたのですが、何回も何回も参加者の方の「五誓の言葉」を聞いているうちに覚えてきたように思いました。

一緒に口ずさみながら言葉を発していたのですが、人によっての違いを感じるようになってきました。
ある人は、大きい声を一生懸命に発していると思うのですが、
(大きい声をだして頑張っているな)
と思うだけの場合と、一緒に言葉を口ずさんでいるうちに、何でかわからないけど涙が出る人がいるのです。
心が熱くなるというのか、体が熱くなるというのか、とにかく誰が発した言葉かわからないけど感動するのです。
不思議でした。いったい誰なんだと思って、二階から降りてくる人を確認したら海野さんでした。
階段を下りてきて力を出し切ったような海野さんの姿を見て、またも涙してしまう自分がいました。
私も海野さんのように何かを掴みたいし、至らない自分をもっともっと見つめたい。自分自身を磨きたいし、合格してその後の景色を見てみたいと思う様になりました。

(よし自分も合格に向けて頑張ろう。私がここに居られるのも、今日も仕事を頑張ってくれている社員さんがいるからだ。皆も苺のピークを乗り越えようと頑張っているんだ。合格して帰ろう)
と決意を新たにしました。

すると、ひときわレベルの違う声が聞こえてきました。
やはり、身震いしました。聞いている限りだと、きっと泣きながら叫んでいるに違いないと思える声でした。
その声を聴くだけで涙が出てくるのです。
「五誓の言葉」は5つの言葉で成り立っています。その方は、順調に5つの言葉を叫び終えたのですが、再び5つ目の言葉を叫び始めました。声を絞り出すかのように・・・。
(終わったか?)と思った時、もう一度5つ目の言葉を叫び始めました。
聞いていて、胸が締め付けられるような声でした。
(声を絞り出すとはこういう事か…。)

私は、剣道をしていたので、大声を出すのは苦手ではありませんでしたが、明らかに、声の質が違います。泣き叫ぶレベルです。
最後のひとことを絞り出したと思ったら、試験管の声が聞こえました。
「合格」
この合格の言葉は列で待っている人たちにも聞こえました。皆感動したと思います。
合格は誰だ?
合格者が地下室から登ってきました。

京丸園の厚志社長でした。
皆、拍手と握手で出迎えました。
(流石厚志さん。お疲れ様。)
厚志さんの潤んだ目が今でも忘れられません。

覚悟の違いを見えつけられたように思いましたし、必死につかみ取ろうとする姿勢が今の私との一番大きな違いだと思いました。
言葉が覚えられず、それを言い訳にして逃げようとする自分・・・。泣きながらでも必死になって全力を出し切ろうとする厚志さん‥。
そこにはとてつもなく大きな壁が見えました。

色んな刺激を受け過ぎたのか、その後は何だか集中が途切れてしまったのか、一瞬放心状態になりました。
言葉を覚えたつもりになって並んでいると、段々と自分の順番になってきました。
(ここまで来たら、当たって砕けろだ。)
なんて思っていました。

私の前の足立さんが地下室に入っていきました。いよいよです。私も地下室の前で待っていったのですが、
地下への階段から雰囲気が違うのです。張り詰めた空気に身が引き締まりました。

足立さんの「五誓の言葉」が始まりました。地下でやっている人の声を1階で聞くのとはわけが違って、同じ地下で聞くと全然迫力が違います。
正直、足立さんが「五誓の言葉」と叫んだ瞬間に逃げ出したくなりました。
何度階段に手を伸ばしたかわかりません。本当に、あの場所から逃げ出したかったです。
足はふるえ、心臓はドキドキしてくるし、手は汗ばんでくるし、最悪です。
言葉を思い出してみても、この期に及んで飛び飛びの言葉しか出てこないのです。
もう、降参して逃げ出したい。そんな思いでした。

足立さんの「五誓の言葉」が終わりました。
いよいよ私の番です。足はふるえているので、もうよくわかりません。
試験管の前に立ちました。試験官は、小野さんです。
もうやるしかない。大きく息を吸って「五誓の言葉」と叫んだ瞬間に
覚えたはずの言葉が出てきません。頭が真っ白ってこのことです。

落ち着け落ち着けと思い、言葉を思い出そうと思いましたが、出てきません。
もうその場に居ても立っても居られない私は、
「すみません。言葉が出てきません。」と言って辞退しました。というよりも、逃げ出しました。

すっかり自信を無くし、
(やっぱり俺って駄目だな。)
と思いましたし、情けなかったです。皆のようになりたい。自分を磨きたいと思っても、言葉を覚えない自分がいて、逃げ帰ろうとも思いました。
でもそこで私を支えてくれたのは、会社で頑張ってくれている仲間でした。
『会社のことは任せてください。それよりも、研修頑張ってきてください。』といって送り出してくれたみんなに、申し訳ないのと、情けないのとで気持ちが折れそうになりましたが、みんなが頑張っている様子を思い浮かべたら、
(よし、何回でも挑戦しよう。)
と前向きになれました。

その後必死になって言葉を覚えようとしましたが、短い文章の中の、最後の一文「悔いるところなかりしか」
という箇所が言えず、苦戦を強いられました。
そこで声をかけてくれたのが山中湖で保険屋さんをしている天野さんでした。
天野さんは、「佐野さん。どうも最後の一文が苦手みたいだから外で練習しよう。」と誘ってくれたのです。

私は、天野さんの顔を見て何度も何度も最後の一文を大きな声で叫びました。天野さんも、もう大丈夫だから試験に行ってみようと言ってくれたので試験に臨みましたが、またも、最後の一文になると文字が消えてしまい、詰まってしまうのです。
精いっぱい頑張ったかと言われるとなんて答えたらよいかわかりませんが、研修もタイムアップになってしましい、「五誓の言葉」の研修は終了してしまいました。

終わってみて、自分の無能さを改めて実感しましたが、これが本当の自分の姿であるし、自分の能力です。
やはり、私は能力が高いわけでもないので、コツコツと努力を積み重ねていくしかないのだと思いました。
合格することがすべてではないと思いますが、それを言い訳にして、本気になって取り組んでいない自分がいるように思いました。

「五誓の言葉」をやる前は、
(俺だって本気を出せばできる)
と生意気に思っていましたが、そこのところに傲慢な自分の姿があるように思いました。
一生懸命に挑戦している仲間の姿を見て、合格して涙している仲間を見て、自分のことを再度見直すことが出来ました。
どうせ涙を流すのなら合格して涙を流したい。それが私の本心です。
もう一度チャンスがあったら挑戦したいです。
自分を見つめるきっかけをくださった杉井さんと、西村さんに感謝しています。
ありがとうございました。

「五誓の言葉 その1」

2023年1月23日
皆さんおはようございます。
れっどぱーるの佐野です。
コメントありがとうございます。
今は、どの業界も人材不足と聞いています。
そんな中、れっどぱーるを選んでくれた社員さんたちを守っていくのが私の役目です。
人としての成長と、経営者としての役割を果たしていきます。

2日目 富丘佐野農園株式会社 れっどぱーる 佐野真史

「五誓の言葉 その1」
2023年1月7日。2023年になって初めての静岡経営塾が行われました。
今年は、苺の収獲が遅れて、収穫のピークが1月の第1週になりそうだったので、欠席の連絡をしていましたが、西村さんから
「今回は、参加しておいた方がいいですよ。」
と誘っていただきました。

それでも、収穫と、販売が何とかなるか心配でしたが、部長に相談したところ
「皆で力を合わせて頑張りますので苺のことは心配しないで経営塾に参加してください。」
と背中を押してもらい、土曜日の1日だけですが、参加させていただくことにしました。

参加を決めたのは良かったのですが、完全に見落としていたことがありました。
それは、車のスタッドレスタイヤです。
年が明け、元旦からバタバタと仕事をしていて、気付いたときには、金曜日。
金曜日に少しでも仕事を回しておこうと頑張っていたので、山中湖までの移動手段のことは何も考えていませんでした。
そんなところに、メールで、
『山中湖は雪が降るかもしれないので、スタッドレスタイヤに履き替えた方がいい』
との連絡が来ました。
私は、そのメールを見て唖然としました。
「まずい、何もしたくしていない。どうしよう。」
年が明けたばかりの金曜日。それも夕方のことでしたので、途方にくれました。
(ノーマルタイヤのまま行ってしまおうか?)とも思ったのですが、途中で事故でも起こしてら、
新年早々沢山の方にご迷惑がかかるし、頑張りますと言ってくれた社員さんたちに申し訳ないと思い、
何とかならないか考えました。

スタッドレスタイヤを装着していそうな知り合いに連絡をしたのですが、ノーマルタイヤのままで、まさか私のためにタイヤを変えてくれとも言えず、困っていたところに、車屋の同級生からたまたま連絡がありました。
苺のことだったのですが、話の用件を聞いた後に、スタッドレスタイヤを装着した車がないか聞いたところ、
1台空きがあるという事でした。すぐさまお願いをし、その日の夜に車を借りに行きました。
車を借りに行く道中で、新年早々自分の準備不足の至らなさに呆れました。
また、呆れたのと同時に、友達のタイミングの良い連絡に、(やっぱり、経営塾に参加する運命だったんだ)なんて思ったりもしました。
友達に助けられ、雪が降っても大丈夫!ホッとしてその晩は休みました。

次の日の土曜日、苺が沢山実っているということで、朝1時間ほど苺を収穫して山中湖を目指しました。
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青空が綺麗な朝で、(いったい、今日は何をやるのだろう)と不安と、期待が入り混じった状態と書きたいところですが、正直、不安ばかりでした。
(もしかしたら正月早々サバイバルじゃないだろうな。)
不安のお化けが大きくなっていきましたが、山中湖に近づくにつれて覚悟が決まってきました。
落ち着くために山中湖により、冬の山中湖を眺めてから研修所に向かいました。
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研修所に着くと西村さんがいて、車の整理をしていました。
(ん?いつもと違うぞ。)
そう思っているうちに、続々と研修に参加する方々がやってきて、いつもとは違う顔ぶれに、より一層何をやるか不安になってきました。
今月から参加される新メンバーの方もいると、前々から話は聞いていたものの、いったい誰がその人達なのかもわからずに、車から降りてくる方々を観察していました。社員さんと一緒に来る経営塾のメンバーの方々も多く、今からMGでもやるのかとも思えるほどの人数でした。

とりあえず車を止めて研修所の中へ移動です。
「荷物は最小限にしてください。」
と西村さんの声が聞こえてきました。
(んんんんん?何をやるんだ。)
いつもの研修のバックをもって部屋の中に入りました。

部屋の中は、参加者の方で一杯です。椅子にも座れません。皆総立ちです。
そんなところに杉井さんが来て紙を配ってくれました。
「これを覚えて、試験官の前で思いを込めて話してください。」

その紙には一番上に『五誓の言葉』と書かれていました。
紙を見た瞬間に、今日は噂には聞いていた『五誓の言葉』をやるんだと初めて知りました。
聞いたことはあったものの、様子や、やり方は一切わからないので、皆さんの行動を見て同じようにやって行こうと思いました。
先ずは紙を見ないで話せるようにならなければなりません。
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私は、読んで覚えるのが苦手なので、紙に書いて覚えることにしました。紙に書いている間にも、経営塾の先輩方は、
「俺行こうかな?。」 
「じゃあ、次は俺が行くよ。」
なんて話をしているのを聞いて、(カッコいいな!)なんて思って何回も何回も同じことを繰り返し繰り返し書いていました。
そんな時に、鼻をすする音が聞こえてきたのです。
(ん? 誰だ)
と思って目を向けるとそこには、涙を流している海野さんの姿がありました。
どうしたのかと思ってティッシュを渡したのですが、海野さんが
「自分が情けない」と言って涙を流していたのです。
(いったい何が?)
と思いましたが、その海野さんの涙は、きっと集中内観の時の至らない自分や、情けない自分を見つめたときに出る涙と似たものがあるのではないかと思いました。
私も早くその場面に出くわしたい。きっと何かの景色が見えるに違いないと思う様になりました。
私は、言葉を覚えるのに必死で、まだまだ言葉の意味さえ理解しないで、ただただ覚えることに必死でした。
(皆どんな様子でやるのだろう)と思っているときに衝撃が走りました。

研修所の二階から叫びというか、訴えというか、悲鳴というか、すさまじい声が聞こえてきたのです。
鳥肌が立ちました。
その時を思い出して書いている今でさえ、鳥肌が立ちます。
とにかくすごいのです。
トップバッターは誰かわかりませんでしたが、聞いていて、涙が出てきました。
(なんなのだろう。この感覚は。)
誰がやっているのかも、どんなことをしているのかも知りませんでしたが、ただただ涙が出てきました。
これが『五誓の言葉』か・・・・。唖然としました。
私は、言葉を覚えるのに精いっぱい。
この違いは何だ。
続々と挑戦していく方たちの叫びに、身震いと涙が止まりませんでした。

明日に続く…。

「お陰様で、れっどぱーる15年」

2023年1月22日
皆さんおはようございます。
鳥居さんからバトンを受け取り、一週間ブログ当番を務めさせていただきます。
苺も最盛期に入り、バタバタしていますが、頑張ります。

1日目 富丘佐野農園(株)佐野真史

「お陰様で、れっどぱーる15年」

農協共販を抜け、れっどぱーるの店舗を立ち上げて、今年で15年目になります。
思い返すと色んなことがありましたが、沢山の方に支えられてここまでやってきました。
長いようで短いような15年。
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32歳で始めた商売の道。気付くと47歳です。
勢いだけで農協共販を抜けたころが懐かしく思います。
大分とがっていたと思います。
当時は、農協の仲間との決裂もあったり、苺を売っても思うように売れずに、世の中を憎んでいました。色んな人の助けをもらいながら日々を過ごしていたのに、世の中は自分の敵ばかりだと勝手に思いこみ、歪んだものの見方をしていました。
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その歪んだ自分があったお陰で今の自分がいると思えるようになりましたが、周りの人たちは本当に迷惑だったと思います。
当時を振り返ると恥ずかしい限りですが、そんな自分ですが、15年間ここまでやってきたことを褒めてやりたいと思う様になってきました。
苺の販売は去年の12月20日からの販売でしたが、常連のお客様や、新規のお客様が朝から並んで苺を買い求めに来てくれるまでになりました。私もサンタの格好をしたりして少しでもお客様に喜んでもらおうと思い苦手なことにも挑戦しました。
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お正月には、ウサギ年にちなんでウサギの被り物をして甘酒を配ったりして、正月早々から苺を買いに来てくださるお客様がちょっとでも笑顔になってもらえたらと思って企画しました。
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正直、れっどぱーる15周年とはいえ、今のご時世悪い話題ばかりです。
生活必需品が値上がりし、燃料や、電気、ガス、あらゆるものが値上がりしています。
そんな中、趣向品である苺を今まで通り買ってくださるのか?
私たち農業に、この値上がりがどのように影響してくるかとても不安です。
でも不安ばかり抱えていても何も変わりません。
こんな状況でも苺を買いに来てくださるお客様はいらっしゃいます。
そのお客様に、また次も来てもらうにはどうすればいいかを考えるようにしました。

ちょうど去年の11月末からの経営戦略講座にも参加して、自社の強みや、戦略を考えてきたので、今実践しているところです。
最近我が社の近くでも新たに苺の直売を始める方がいますが、15周年の今年は、我が社にとっても、私の人生にとっても、とっても大事な一年になると思います。
若手の社員さんもぐんぐん成長していますし、人(ひと)的にチャンスの時だと思います。
このチャンスの時に、どこまで他社を引き放し、頭一つ抜け出せるかが問われているように思います。

今までは、自分が何とかしようと思って色んなことをしてきましたが、最近は自分の実力も解ってきましたし、若手の社員さんの頑張る姿を見て、これからの時代に向けて若手社員さんの力を発揮できる組織にしていった方が今後伸びていくのではないかと思う様になりました。
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私にあるものは47歳までの実績と経験です。ないものは年齢的な若さと発想です。
逆に、若手社員さんにあるものは、若い肉体と柔軟な発想です。ないものは実績と経験です。
このことを考えたときに、両者のあるもの同士を組み合わせることが出来れば、
これからの厳しい時代も何とか乗り越えていけるのではないかと思っています。
そのために必要なのは、信頼関係だと思います。
縦の関係よりも、横の関係が必要になってくると思います。
若手社員さんの成長も含めて自分が今まで杉井さんや、経営塾で教わったことを実践で使う時が来ています。
相手を観察し、自分の発する言葉を考えながら話し、相手のやる気を削がない人になることが必要です。
これを機に、人を育てることを経験し、自分も成長できる一年にしていきます。

一週間拙いブログですが、お付き合いを宜しくお願いします。

至福の時

’23年 1月21日

おはようございます。。
 皆さんに応援して頂いたお陰で、勇気を頂き、毎日投稿することに、やり甲斐を感じながら取り組むことができました。
どうもありがとうございます。
 明日からは、レッドパールでお馴染みの、富丘佐野農園株式会社の佐野 真史さんが書いてくださいます。
佐野さん。楽しみにしています!

 では、七日目、よろしくお願いします。

「至福の時」

 典型的な日本食である“おにぎり”を、(おいしい)と感じるようになったのは、ごく最近、今から三-四年前のことで、それまで私は、おにぎりが好物ではありませんでした。
 さて、ご存じの通り、私は、タクシードライバーをしています。そして、勤務シフトというものがあり、数日に一度「早(ハヤ)日勤」というシフトで勤務をしています。ハヤ日勤の日は、午前6時半から、乗務開始です。
 私は、ハヤ日勤の日は、5時台に家を出るので、出勤前に朝食を取る時間がありません。
ハヤ日勤が導入され始めた頃、5時台に家を出た私は、6時前に会社に着き、車両点検をして、事務所で点呼を受けてから、自宅へ向かい、家で朝食を取っていました。なにしろ「腹が減っては、いくさができぬ。」が、私の信条ですから・・・。
 ハヤ日勤の日の私のそういった動きは、会社の上司からしっかりとチェックされていて、一-二か月後に、所長から「ハヤ日勤の朝一に、そういう事はやめて下さい。」と、注意を受けました。それからは、私は、ハヤ日勤の朝には自宅へ戻らずに、2-3本、乗務をして、そのうちに他のドライバー達が出勤して来て、我が社の配車態勢が整ってから、コンビニへ行って朝食を取る事にしています。
 私は、コンビニでおにぎりを買いました。コンビニのおにぎりの多くは、ビニールの包装のし方で、ご飯と海苔が分離されています。そして、食べる直前に、フィルムをはがして、海苔でご飯をくるんでいただけるようになっています。そのおにぎりに一口かぶりついた時に、昔嗅いだことのある海苔の香りがして、思わず、(おいしい)と感じました。
 それ以来、私は、食事のためにコンビニやスーパーに行くと、決まっておにぎりを買って食べていました。しかし、それと同時に、朝、コンビニのおにぎりをいただくと、たいてい夜になってから腹痛がしたり、下痢していました。おそらく、加工段階で使われている食品添加物が原因だと思いますが・・・。
 なので、(それならば、自分でおにぎりを作って持っていこう)と思い、ハヤ日勤の前日には、おにぎりを作るようになりました。
 ふと気がつくと、私の最も近くにいるカミさんも、時々おにぎりを握って職場へ持参していました。カミさんを見ていると、握ったご飯は、ご飯だけでラップにくるみ、海苔を別のビニール袋に入れているではありませんか! カミさんも、おいしさに対する飽くことの無き探求、工夫をしていたのです。それ以来、私は、おにぎりが大好物になりました。
 ハヤ日勤の午前中、休憩時間に、弁当袋をあけ、輿水さんから買った“いぶりがっこ”を一切れいただく。それから握っておいたおにぎりを、別の袋から取り出した海苔でくるんで、あんぐりと、かぶりつく。“パリッ”という音とともに、海苔の香りがして、口の中にうす塩のご飯の味と海苔の味が広がる・・・。視覚:海苔とご飯の色。聴覚:やぶれる海苔の音。嗅覚:潮の香り。触覚:海苔の手触りと、おにぎりの重み。噛み応え。そして、口の中に広がる味覚。五感で感じられる“至福の時”です。
 しかし、もし、私が、コンビニのおにぎりをいただく機会がなかったら、おにぎりのおいしさには気づかなかったろうと思います。小売業の先進的な業態であるコンビニエンスストアの存在から、典型的な日本食であるおにぎりの価値を発見できたという意味で、これは、逆輸入現象ではないか?と思っています。
 ご飯と海苔の分離包装スタイルを開発してくれた先人の方。
どうもありがとうございます。
 日夜、コンビニ業界でお仕事をしてくださっている皆さん。
どうもありがとうございます。
 私は、タクシードライバー勤務、十二年目になります。勤めているFタクシーの中でも、古株ドライバーの仲間入りをしています。
 私は今まで、この仕事で、お客様を目的地まで安全に送り届けるということをやって
来ました。そして、それは、これからも同じです。
 私がこの仕事を辞められないのは、休憩時間に、おにぎりと共に過ごす至福の時を知ってしまったためかも知れません。

お母さんへのハガキ(300×400)

 読んでいただき、どうもありがとうございます。
 

Hギャラリー

’23年 1月20日   鳥居直樹

おはようございます。応援して頂き、どうもありがとうございます。
 六日目、よろしくお願いします。
布施さんからのおハガキ(300)
「Hギャラリー」
 Hさんは、私と同年配の女性の方で、以前は三島に住んでいらっしゃいました。何度か、私のタクシーを利用して下さいました。
その後、御殿場へ引越され、穏やかに暮らしていらっしゃいます。
 以前も紹介させて頂きましたが、Hさんはライフワークとして、絵を描いていらっしゃいます。
 朝、温かいコーヒーを淹れ、その香りに包まれながら絵を描いている時が、Hさんにとって“至福の時間”なのだそうです。
私は、人生を味わわれているHさんの生き方に共鳴しています。
 今日は、Hさんの絵を、お楽しみください。

あさがお(300)

青い妖精(300)

紫の妙(300)

蓮(300)

インコの家族(300)

スイレン(300)

椿と妖精(300)

山茶花(300)

梅とオウム

タンポポ(300)
 もうすぐ春ですね!
Hさん。どうもありがとうございます。

ロマンス Ⅳ

’23年 1月19日   鳥居直樹

おはようございます。。
応援していただき、どうもありがとうございます。
 今日は、ロマンスの最終日です。
では、五日目、よろしくお願いします。

「ロマンス Ⅳ」
 義父 義雄 他界の知らせを受け、欣哉は、急遽、スペインから帰国しました。
 帰国した父には、やらなければいけないことが、山のように待っていました。まずは、義父の葬儀と相続の問題。そして、トリイ商事を義父から引き継ぎ、今度は、自分が代表になりやっていく経営者としての仕事。
 父は、トリイ商事で、ほかの社員さん達と力を合わせ、また、お客様への、ガス給湯器設置の提案をしたり、ガス配管工事も数多くこなし、利益増大させ、同じ町内に支店も置きました。そして、本店の敷地内に、店舗兼住宅を新築しました。
 帰国して7-8年の間に、支店の出店と自宅の新築をやり遂げた父は、今思えば、すごい人だと思います。
 父は、そのように家業を一所懸命にやりながらも、仕事を終えた夜や休日には、ギター演奏の研究に飽くことがありませんでした。
 数年後、法事か何か、我家に親戚が集まる機会がありました。この日も、大叔父、つまり祖母いしの弟さんが見えました。
 その席で、大おじは父に「欣哉。あんたは変わった。」とおっしゃっていました。
 スペインに行く前の父と、スペインから帰って来てからの父の生き方のどこが変わったのか? 今、私が考えてみますと、帰国してからの父は、人から「こうした方がいいよ。」「ああしなさいよ。」と言われる前に自ら進んで、周囲の人のしあわせを優先した生き方を選択し行動していた、と思えるのです。
 これは、私の勝手な推測ですが、 -義雄が生きていた時には、「舅と婿」という1本緊張をほどくことができない確執のようなものがあったと思うのですが、義雄が自分の命をもって示してくれた何かにふれた欣哉は、義父 義雄を尊敬していたと思うのです。
 ギター演奏を研究し続けていることについて、父は、息子たちに、時々、こんな風に言ってくれました。「~『これで完成』という所はない。そこで満足してしまったら、止まってしまう。今よりも、さらにいいものを目指して、常に向上させていくこと。その努力を続けていくことが大切なんだ。」
 手前味噌ですが、私は、5年ほど前に、師について、クラシックギターを習い始めました。二年間は毎日練習していましたが、今は止まっています。
 二年間でしたが、私は、ギターをやって良かったです。父のような音色を出すことの苦労の何千分の一が分かったからです。
 父は、両腕の中に抱けるギター一台から響く音色の変化で、宇宙を表現していました。
 父のその、私よりもずっと短い指で。(完)
父 欣哉と幸彦叔父(300)
(父と弟の幸彦さん)
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 今日まで4回に分けて投稿しました「ロマンス Ⅰ~Ⅳ」は、実は、約2年半前(2020年8月)に書いたものです。
 今回、ロマンスを読み直して、多くの人の営みによって、今、私がこのように生きていられるのだと知りました。それは、私の父、母、父方の祖父母、母方の祖父母、さらにその前の代・・・という血のつながりのある先代の人々の営みやご苦労があったのはもちろん、私とはまったく血のつながりのない方々のご行為があって、今、私がこうしていられるのです。
 ロマンスに登場した、私の両親、父方の祖父母、母方の祖父母は、既にあの世の人々なのですが、先代の人々の生き様を振り返ることによって、私は何か気づきのようなものを得ることができました。そして、一つのことを決めました。
 決めたことは、私の心のうち一つに留めておきます。ここには書きません。
それは、私が残りの人生で、行動で示していきます。
 拙い文を読んでいただき、どうもありがとうございました。


ロマンス Ⅲ

’23年 1月18日   鳥居直樹

おはようございます。。読んでいただき、どうもありがとうございます。
 杉井さん。質問して頂き、ありがとうございます。
父の旧姓は、渡辺でした。
「渡辺ギター教室」は、父が20代後半から、一人でやっていたギター教室です。

では、四日目、よろしくお願いします。

「ロマンス Ⅲ」
 父は、鳥居家に養子として入り、トリイ商事の跡継ぎになり、それまでに傾注していた音楽とはまったく畑違いである商家での仕事、お米の配達、肥料や薪、オガライト、ガスボンベの配達、集金・・・などに明け暮れる日々となりました。
 ただ、父は、もともと頭脳明晰だったこと、手先が器用で、工業高校卒だったので、LPガス関係の仕事(ガス器具の修理、ガス配管工事など)では、持っていた才能を十二分に発揮してくれました。
 そして、仕事を終えて夜になると、毎晩、ギターを弾いていました。トリイ商事の跡継ぎになっても、父は、演奏家になるという夢をあきらめていませんでした。
 そんなこともあって、幼少期の私にとっての子守歌は、父が弾くクラシックギターの音色でした。父は、ほんの少しの時間も惜しんで、ギターの練習をしていました。そして、母は、お店の仕事をやりながらも、先生に従いて、声楽の勉強を続けていました。時々、父のギター伴奏で歌うこともありました。
 父は、お米や燃料の配達、ガス器具の修理、ガス配管工事などの、おもに体を使う仕事も一所懸命やってくれましたし、祖父に代わって、同業者の集まる会合にも出席してくれていました。父は、もともとお酒が飲めなかったのですが、そういう会合でも進んで人の輪の中に入って行き、少しずつお酒も飲めるように、自分を馴らして行きました。
 ある日、私の母方の祖母“いし”の弟さんが、たまたま、我家にいらしていた時に「欣哉は、やりたいギターをやるのはいいけど、やるべきことをまず先にやってから、その後でギターを弾くべきだよ。」と言われました。その場に、父が居たかどうかは忘れてしまいましたが、私は、大叔父がそのようにおっしゃったのを覚えています。
 周りからの心配とは反対に、< ギター演奏家になる >という、父が10代の時から抱いていた夢 その情熱の炎はさらに勢いを増し、父は、ギターの本場であるスペインへの留学を決めます。私が中学2年の時で、父は、43歳でした。父は、留学に備え、旅立つ半年ほど前から、毎日、スペイン語のカセットテープを聞いて勉強していました。
 間もなく、父は、人づてに、スペインの地中海に面したアリカンテという町にある音楽学校に入学して、約1年間、音楽とギター演奏の勉強に没頭します。
 当時、父は時々、現地の写真などを送ってくれましたが、スペイン南部の町 アリカンテは、とても暑い気候だったようです。
 そして、同じ夏であっても、スペインは日本と違って乾燥した気候だったので、ギターを弾いた時の音の響き方が、湿気の多い日本の夏に弾いた時と比べて、全然違ったそうです。
 街の中には、バルと呼ばれる居酒屋があり、一日の仕事を終えた男たちが集まって、ワインを飲みながら交流していたそうです。ワインのおつまみは、オリーブの漬物や、オリーブオイルで揚げたイカのリングフライがメインだったそうです。そして、バルにはたいてい、ビリヤード台が置かれていて、ビリヤードに興じるのが、男どうしのコミュニケーションの一つだったとのことです。
 アリカンテ自体は小さな街でしたが、その小さな街にも、大きな音楽堂が一つあり、毎晩のように何かしらのコンサートが開かれていました。父は、夜にはその音楽堂へ行き、最も安い天井桟敷の切符を買って、現地の音楽家の演奏を聞いていたそうです。
 父は、そのような本場の環境の中で、ギターの勉強に打ち込みながら、< 自分は将来どういう形で、ギター演奏家としてやっていくのか? >についても、思案していたと思います。
 しかし、時間は待ってくれませんでした。
 父は、少なくとも一年間は、アリカンテでギターの勉強に専念するつもりだったでしょう。しかし、父がスペインに渡ってから十か月めに、私の祖父 義雄が心筋梗塞で亡くなってしまうのです。(続く)

ロマンス Ⅱ

’23年 1月17日   鳥居直樹

おはようございます。。
 日曜日には、随分と生ぬるい気温になりましたね。でも、また例年の寒さにもどるとの事です。
皆さん。しっかり体調管理してください。
 では、三日目、よろしくお願いします。

「ロマンス Ⅱ」
 その頃、母の父、すなわち私の祖父である義雄は、清水町(当時は清水村)で、人生をかけて、米穀-燃料店を経営し、顧客を増やし、個人事業だった鳥居商店を会社組織にしました。その矢先に、長男(母の長兄)に先立たれ、長女(母の姉)も結核にかかり、病床の身となり、東京都清瀬市にあった療養所に入院することになります。
 祖父と祖母は、トリイ商事の跡取りを亡くし、悲嘆にくれていました。
 ある日、秀江(つまり私の母)は、両親に「私、結婚したい人がいるの。」と告げます。驚いて、秀江の話を聞くと、その相手は、東京のギター教室の先生だと言う。そして、その男は、演奏家を目指しているという話でした。商売一筋でやって来た義雄にとって、ギターという西洋の音楽を生業にしようなどと考えている人間はまともではない、という先入観がありましたから、秀江の話を聞くと「・・・和代(母の姉)が清瀬に入院して、あと何年生きられるか分からない。そのことは、おまえも知っているだろ?! もし、和代がいなくなってしまったら、このトリイはいったい誰が継ぐんだ? ・・・おまえは、真面目な男と結婚してくれ。ギターなんていう、そんなヤクザな世界の者と一緒になるなんて、とんでもない!」と言って、秀江の話を最後まで聞こうとはしませんでした。
 秀江は、家を飛び出して、東京行きの電車に乗りました。もちろん、欣哉に会いに行ったのです。
ロマンス。秀江。300
 それから暫く経ったある日、欣哉と秀江が住んでいたアパートに、突然、義雄がやって来ます。義雄は、六畳一室だけのアパートに居る二人を一瞥してから「結婚もしていないのに、これはどういうことだ? 秀江は、オレの子だ。首に縄かけてでも、三島へ連れもどすゾ!」と、欣哉に迫ります。
 当時、欣哉は悩んでいました。(今の自分の実力では、クラシックギター演奏家として、食っていけない。だから、一流の演奏家になるまでは、シャンソンバンドの仕事や、スタジオの仕事もやっていかなければならない。でも、そういった仕事をすると、今までに苦労して身につけたクラシックの演奏技術が乱れてしまう。自分が本当にやりたいのは、クラシックギターなんだ。)その葛藤を持ちながら、数年間、父は、シャンソンバンドのメンバーとして地方興行に行ったり、ギター教室の講師をして、生計を立てていました。
 秀江の両親は、商売の跡継ぎがいなくて困り「清水村へ帰って来なさい。」と言っている。
 欣哉は、悩みぬいた挙句、ある事を決めました。そして、ある日、お世話になったクラシックギターの師匠を訪ね、
「私は、これまで、音の世界で、内声の動きを調和させるために生きて来ました。でも、これからは、妻の故郷に行って、人と人とが調和するために、人生を捧げます。」
そう言って、自分のそれからの進路、つまり、伴侶の実家に養子として入籍し、妻の実家の商店を継いでやっていくことを伝えました。(続く)

ロマンス Ⅰ

’23年 1月16日   鳥居直樹

おはようございます。。読んでいただき、どうもありがとうございます。

 さて、今日から、連載物で、私の父のことを書いてみたいと思います。
私は、いったいどこから来たのか? そして、これから、どこへ行こうとしているのか?
 それを探る意味でも、発表させていただきます。
では、二日目、よろしくお願いします。

「ロマンス Ⅰ」
 私の父 欣哉は、昭和6年11月3日に奈良県に生まれ、13歳までは大阪に住んでいました。上に、一人の姉と三人の兄、下に弟が一人いました。
小学生時代の思い出として、父は、こんな事を話してくれました。
学校で休み時間に、かくれんぼをしていた時の事。どこに隠れようか迷っていたら、すぐ近くにいた同級生の女の子が、自分のスカートを指さして「欣ちゃん。ここに隠れていいよ。」と言ってくれて、父はその子のスカートの下へ隠してもらった。(自分は、小学生の時から、もてたんだ。)というお話。それから、もう一つ。学校で合唱大会が行われた時の事。その日は、父の母(つるゑ)が聞きに来てくれたそうです。発表した曲の中で、父は独唱のパートを与えられ、その日、天にも届くような透き通った声で見事に歌い上げた。聞いていた大勢の生徒と父兄から、大きな拍手をもらうことができた。それ以来、暫くの間、父の母は父のことを「きん(欣?金?)の鈴」と呼んでいたのだそうです。
その後、父が13歳の時(昭和19年)に、一家全員で東京へ引っ越して来ました。
 東京の学校に転校して、父が最初に気づいたことは、同級生が話す言葉のテンポが速いということでした。(みな、話しかたが速すぎて、何言うとんのか、ようわからん。)と思ったそうです。
 「関西なまりの転校生」ということで、おそらく、父は初めの頃は、多少のストレスを感じていただろうと思います。
 父は、10代前半に肺の病気にかかり、数年、療養生活を送ります。そのため、復学した時には、4歳下の弟の幸彦さんと、同じ教室で授業を受けていました。
 大阪にいた頃から、姉や兄達は、芸能の分野に才能を発揮していました。長男の富夫さんが、兄弟でハーモニカバンドを結成し、大阪のNHKのオーディションに合格し、それを
SP盤レコードに録音することができたそうです。
 そんな兄達の影響を受けて、父は、東京で療養生活をしながらも、ギターに興味を持ち、クラシックギターの先生に師事し、人並み以上の集中力と努力で、演奏技術を高めていきます。
 父がクラシックギター音楽に没頭するきっかけを作ったのは、その当時、映画館で上映されていた、戦争を題材に扱った“禁じられた遊び”という映画の中に流れていた、“ロマンス”というギター独奏曲でした。
 父はやがて、ギターの神様と言われるアンドレス・セゴヴィアに傾倒しながら、クラシックギター演奏家を目指していきます。
 ただ1つ、父には、ハンディがありました。それは、普通の人に比べて、指が短いことでした。父の存命中に父からそう言われて、両手を見せてもらうと、指が短いということは、一目瞭然でした。弦楽器の演奏者にとって、指が短いというのは致命傷で、若い頃、父は何とかしようとして、自分で、指のつけ根(指と指の間)に包丁を入れ、指の長さを確保することまで試みました。
 結局、そのような身体にダメージを与えることはやめましたが、研究熱心さと、人一倍努力をして、当時のクラシックギター界に、待望の星としてデビューすることになります。
ロマンス。欣哉。

 父が両親と同居していた東京都世田谷区内の家の門の横に、『渡辺ギター教室』と、手作りの立て看板を立てた小さなギター教室がありました。そのギター教室に、ある日、20歳くらいの娘が、「ギターを教えて下さい。師事している石井好子先生から紹介して頂きました。」と言って訪ねて来ました。娘の身長は、欣哉とほぼ同じ160センチほどで、肌が浅黒く、田舎娘という感じでしたが、笑顔が可愛い娘でした。
 娘は、シャンソン歌手を目指していて、ギターの弾き語りができるようになりたくて、ギターを習いに来た、とのことでした。その日以来、娘は休まずレッスンに通って、ギターを真面目に教わっていました。
 そのギター教室の生徒が、鳥居秀江(よしえ)=私の母です。その時、欣哉の目に秀江はどのように映っていたでしょうか。おそらく、天真爛漫で陽気な中に、時々見せる影の部分もあったのではないかと思います。秀江は、欣哉と出会う一年ほど前に、もっとも尊敬し憧れていた6歳上の長兄を結核の病で、なくしてしまっていたからです。
 やがて、先生と生徒の間には、愛が芽生えます。(続く)

こまめに手入れすると、気持ちいい

’23年 1月15日   鳥居直樹

おはようございます。。
 三島のお茶屋さん“小野園三島店”を経営され、空手の師範でもある室伏 剛さんより、ブログのタスキを確かに受け取りました。
 今日から、一週間、私 鳥居直樹におつき合いのほど、よろしくお願いいたします。
では、一日目、よろしくお願いします。

「こまめに手入れすると、気持ちいい」
 私が沼津経営塾へ入りたての頃、メンバーの皆さんはそれぞれ、自分の課題を決め、その進捗状況を、ブログのコメント欄の下段で、発表していました。そんな皆さんの影響を受けて、私は自宅の周りの掃き掃除を始めました。掃き掃除は、今でも続けていて、私の習慣の一つになりました。
 先日、こんな事がありました。
 十五年前まで、私は米穀店を経営していました。米屋ですので、毎日、仕入れた玄米の皮をむき白米にする「精米」という作業をしていました。
 その名残りで、私は今でも、自宅でいただく白米は、小型精米機を使って、玄米から白米にしています。
 米屋をやっていた時には、分搗き米(ぶづきまい)を求めるお客さんの為に、この小型精米機を使って精米していました。米屋時代には、小型精米機を使う度に掃除する余裕は無かったので、私は、一定の期間や、頃合いを見て、小型精米機の内部の掃除をしていました。
 場所によって、糠が固まって付着していたり、金属製の網(玄米の皮を削るための)のところどころに砕けたお米がはさまっていたりします。その時、ゴミとして出て来る固着していた糠は、かなりの量がありました。
 米穀店を廃業した後も、ずっと、この小型精米機を使っていたのですが、掃除については、以前と同様に、数か月に一度という頻度で行っていました。
 そして、二年前から、この機械でお米を擦った後に、ひと手間つけ加えてみました。~
小型精米機に5分ほど、お米を通過させると、求めている白米が得られます。それまでは、そこで作業を完了していました。その段階で、精米機の内部を通過した白米の99%は、外部へ出ています。しかし、1%の白米が、まだ、機械内部に残っているのです。そこで、再び、精米機のスイッチをオンにする。すると、排出口から何粒かお米が出て来ます。そこで、スイッチをオフにする。もう一度、スイッチをオンにする。・・・二-三粒のお米が出て来る。スイッチをオフにする。この動作を四回くらい繰り返すと、お米は出て来なくなり、機械内部は空になります。二年前から、精米をする度に、この操作をするようにしました。
 さて、半年ほど前に、(そろそろ、金網を交換する時期だ)と思い、精米機を開け、中心部を取り出してみました。すると、古い糠の固着がほとんど無く、金網への砕米のはさまり具合も、ごく僅かでした。なので、金網の交換をせずに済み、そのあとの掃除も、以前に比べたら、短時間でスムーズにやる事ができました。
 精米機の内部を開けて、中がこんなにきれいだったのは初めての経験で、驚くほどでした。
 「一つの道具を使った度にきれいにしておく」という、ひと手間を加えるだけで、その後のメンテナンスは少量の労力ですむということを、体験を通して知る事ができました。小さなことなのですが、これは私にとって、自信となりました。
 私が、この体験を得る事ができたのは、日ごろ、朝、家の前の掃き掃除をするという習慣を身につけられたからだと思います。そして、何より、経営塾の皆さんと出会って、ブログなどを通じて、皆さんのコツコツとした取り組みを知ることができたからこそ、“こまめに手入れすると、気持ちいい”という事を、私は学ぶことができました。
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経営塾の皆さん。 
 どうもありがとうございます。

自己肯定感の教科書




2023年1月14日   小野園三島店  室伏剛


皆さんのコメントがメッチャ面白いです(笑)
そう、H先生はと~っても素敵な方です!
海野さんのコメントにもありましたが、今はコロナ禍で稽古中もマスクをしているため私の鼻の下が伸びていることを何とか隠せていると思います。たぶん(汗)
それでは7日目、最終日宜しくお願い致します。


皆さんは「自己肯定感」は高い方ですか?
自己肯定感とは、自分の良いところも悪いところも含めてありのままの自分を肯定する感覚のことのようですが、私自身はメッチャ低いと思っています。(涙)

昨年秋ごろから通勤中に聴き始めたオーディブル(本の朗読)で今日の題名にもあります『自己肯定感の教科書』という本に出会い何度も聞きました。
すると何だか気持ちがスッ~と楽になり、こんな自分自身も受け入れて一歩踏み出そう、なんて思えてきます。
外からは見えない人の心って不思議ですね。

この本によりますと、人は一日に6万回の思考を行っているそうです。
これは起きている時間の1秒に1回何らかの思考をしながら生きている計算になるそうです。
しかもその6万回のうち約80%にあたる約48000回は身を守るためのネガティブな思考になりがちであることも分かっているそうです。

また平成25年というチョット古い資料ですが、13歳~29歳を対象に行ったアンケートによると自分自身に満足している日本人は7.5% どちらかと言えば満足しているは38.3% 合計45.8%という結果で、同様のアンケートをしたアメリカ、ドイツ、フランス、韓国は70~80%以上であり、日本人は自己肯定感が低い人が多い国のようです。

でも自己肯定感が低いって、自分のことを受け入れられないって事だと思うので、そのような自分ではきっと幸せも感じにくいですよね。
先日1月12日の静岡経営塾のブログで大城さんが、良い1年にするためにオセロで例えて『1年の初めと終わりをいい日(白)にすれば、例え途中でよくない日(黒)があったとしても、その1年はいい1年にすることが出来る』と書いてくれました。
私は1年だと忘れてしまいそうなので、毎朝目覚めたら布団の中で今日のステキな1日をイメージすること、そして夜寝る前に布団の中で今日あったステキな出来事を3個以上思い出してから眠りにつく。なんてことをやり始めています。

そう、だから今朝も目覚めたとき布団の中で思いましたよ、
「今日もブログが書けて幸せだなぁ~」って(笑)

長くなってしまいますので本の中から一つだけ自己肯定感を高める方法を紹介しますね。
それは『セルフハグ8秒法』というものです。
自分の右腕で左肩を、左腕で右肩を8秒間ギュッと自分をハグするだけのことです。(笑)
何か小っ恥ずかしい気もするのですが実際にやってみると自分のことがチョット愛おしく思えてくるから不思議です。
その他にも本の中には自己肯定感UPの方法が満載です。
ご興味がありましたら読んでみてください。
皆で自己肯定感をUPさせて良い人生を築いていく輪を広げていけたらと思います。
1週間ありがとうございました。
明日からは鳥居さんがタスキを繋いでくれます。
鳥居さん宜しくお願い致します。

空手 女神様現る!



2023年1月13日  小野園三島店 室伏剛



皆さんコメントをありがとうございます。
皆さんのコメントにありましたように無限塾は楽しい道場です。
武道を学ぶ場ですのでこれで良いのか分かりませんが、保護者の方から「今日も汗びっしょりでしたが楽しかったぁ~って帰ってきました。」なんて連絡をいただくと指導冥利に尽きるなぁ~と一人ニンマリ(汗)しています。
それでは6日目、宜しくお願い致します。


昨日のブログに書きました通り、Y道場さんから技術を教わり少しずつ変わり始めた無限塾ではありますが、W館長さんSトレーナーさんからはそもそも週2回の稽古では稽古量が少なすぎるとのご指摘をいただいております。(汗)

でも日中は仕事ですし、練習会場も市の公共施設をお借りしている都合もあり、これ以上現状のままでは稽古日数を増やすことは難しいかも。(涙)

私が頭で理解したものを伝えるのではなく、もっと一流の技術そのものを生徒たちに見せてあげることが出来ればきっと上達も早まるだろうに・・・

新しい稽古メニューを取り入れ生徒さんたちも楽しみながら取り組んでおりますが、なかなか実際の組手で技を体現するには程遠く、このままでは6月の試合までに習得させる道のりは少し険しいかもしれないという思いも湧いていました。

そんな矢先、昨年12月に稽古を体験したいという方から連絡がありました。
電話でお話したのですが、Hさんという声の感じから20歳前後の女性のようでした。
ただ現在の無限塾は指導員を除くと中学生以下の生徒さんばかりのため、
「体験に来ていただくことは全く問題ないのですが中学生以下の生徒さんをメインに活動しているため大人の方では物足りないと思います。」と伝えました。

すると数年前まで県内の強豪高校の空手部に所属し活躍されていたらしく、これからは選手としてではなく「自分も身体を動かしながら指導者として受け入れてもらえますか?」と言うではありませんか!
「本当~!嬉しいなぁ~!そのような指導者をずっと待ち望んでいたんです!」
という事で昨年末から時間の許す限り新しい指導者として稽古に参加してくれています。

数年前まで一線で活躍された方だけあって動きもキレキレで蹴りも超高~いところまで華麗に上がる!
そして現在のお仕事は保育士さんという事で生徒との接し方も伝え方もとっても上手です。
生徒たちも目の色変えて夢中でH先生の動きを真似しています。

何でHさんが無限塾を選んでくれたのか、全く不思議でしょうがなかったのですが、H先生が「また体を動かしながらどこかの道場で指導者として活動できないかなぁ」と思っていた時に、公共施設で稽古をしていた無限塾を外から眺める機会があり、ここでやってみようかなぁと思ってくれたようです。

正に有り難いの一言です。
どこでどんなご縁に出会えるか分からないものですね。
これからも一つ一つのご縁に感謝をして大切に育んでいきたいと思います。

空手特別稽古



2023年1月12日  小野園三島店 室伏剛



皆さんコメントをありがとうございます。
とても勇気づけられました。
改めて皆さんと共に学び合えることに感謝いたします。
それでは5日目、宜しくお願い致します。


以前のブログでも書かせていただきましたが、私自身空手の指導力向上を目的に隣町にありますY道場さんに昨年の夏から入門させていただいております。
とはいえ日中は当然のことながら仕事があり、それらを上手に調整して週2回の私の所属する無限塾の稽古をしておりますのでそれ以上の時間を確保することが現実はなかなか難しく月に1~2回Y道場さんに行ければ良い方で、その中で新しい指導技術を学んでは道場に持ち帰って生徒さんに伝えようと試みてはいるのですが思うようには伝わらないのが現実です。(汗)

私が入門した経緯を理解してくれているY道場のW館長さんからご提案いただき、昨年の10月後半に15名の生徒さんを連れて出稽古に行かせてもらいました。
Y道場さんは生徒さんのレベルに合わせてクラス分けをしているため無限塾の生徒より少しハイレベルなクラスに参加させてもらいました。

指導してくれたのは組手専属トレーナーのS先生です。
「強い」「早い」そして「チョット面白い(笑)」、生徒たちもあっという間に溶け込み見よう見まねで精一杯チャレンジしてくれました。

更には12月にW館長さんが直々に無限塾の特別稽古に来ていただき指導してくれました。
W館長さんの指導は「無駄がない」「合理的」そして「超面白い(笑)」、稽古後に生徒から「師範(私)より面白い!」・・・子供はストレートです。(涙)

このようなとっても有り難い貴重なサポートをいただいて、無限塾の生徒たちも良い刺激となり私たちの指導方法も随分と変わってきました。

試合で結果を残すことが第一の目的では無いので、これからも生徒さん一人一人とできるだけ向き合いながら、一人一人に合った声掛けを継続し、そのうえで今年の6月に行われる試合で少しでも結果を残してあげられるよう指導員一同応援していきたいと思っております。
ありがとうございました。


1月 沼津経営塾




2023年1月11日   小野園三島店 室伏剛



皆さん温かいコメントをありがとうございます。
課題は山積みです。優先順位をつけて一つ一つ乗り越えていこうと思います。
それでは4日目、宜しくお願い致します。


1月8日は今年1発目の沼津経営塾でした。
いつものように近況報告から始まりましたが週末に静岡経営塾に参加された佐野さん、海野さん、小野さん、関内さんから『五誓の言葉』の感想を伺いました。
私は五誓の言葉に挑戦したことはありませんが、そのようなものが有るという事は知っておりました。
5か条を暗記して大きな声で何度も何度も叫び続けるなんて印象だけでした。

でも皆さんの感想を聞いて私が思っていたものとは全く別物だと知りました。
正に魂の叫びと言ったところでしょうか。
自分自身を振り返ると、全力で取り組んで涙した経験なんて果たして今まであっただろうか。
何かに涙するほど一生懸命取り組んだことがあっただろうか。

きっと本気で取り組むからこそ、思うような結果が得られた時は最高~に嬉しいのでしょうし、思うような結果が得られなければとっても悔しいのでしょうね。
どちらの結果だとしても、本気で取り組む人生はきっと充実した素敵な人生なのだと思いました。
私もノミの箱を突き破って本気を出していこうと勇気を頂きました。

そして後半は発達障害の話も出ました。
現代では程度の差こそあれ障害を持っている方が多いのですね。
でもこの障害、見た目ではなかなか分からないですものね。
私はアスペルガーの傾向があると思っていましたが、アスペルガーの特徴である記憶力の良さは全く持ち合わせていません。(汗)
そのくせADHDの特徴の一つである注意欠如は持ち合わせているようにも思います。

発達障害があろうとなかろうと、人は皆それぞれ違って当たり前。それぞれの人がお互いの違いを受け入れていくことが大切なんだなぁと感じた沼津経営塾でした。
この仲間で学び合えることに感謝しています。
ありがとうございました。

小野園三島店 接客



2023年1月10日  小野園三島店 室伏剛



皆さんコメントをありがとうございます。
これからも拘って毎朝の清掃を継続していこうと思います。
それでは3日目、宜しくお願い致します。

本日は小野園三島店のことについて、ささやかなブログを書かせていただきます。
小野園三島店もお陰様で元旦から大量の注文をいただきまして幸先の良いスタートとなっています。

そして私は毎日、御殿場市にある小野園の製茶工場にてお茶作りをしておりますが、以前は5月の新茶繁忙期と12月のお歳暮シーズンは休むことなく仕事をしておりました。
ですがここ数年12月は交代でお休みをいただけるようになり、そんな時は小野園三島店で店舗に立って両親と仕事をしております。

お客様が来店されますと、私が試飲用のお茶とお茶菓子を用意して、お客様にお時間の余裕がある時はゆっくりとお茶を味わっていただきながら、お客様の用途に合った商品をご提案させていただきます。
お客様の商品が決まりますと、お袋が主になって荷造りをして、親父がお金の清算をする。
とてもささやかですが、現在は概ねこんな流れで親子3人、チームとなって接客しています。

私は普段、工場でお茶作りをしているため、お客様の生の声を聞ける機会は少ないためお客様とコミュニケーションをとることの大切さを痛感していますし、何気ない会話の中から思わぬヒントをいただけることも多々あります。

まぁ、そもそも来店していただくお客様は当店のお茶を気に入ってくれている方か、少なくともお茶を購入しようとしている方ではありますが・・・(汗)
それでも「美味し~い!」なんて笑顔で言っていただけると私も嬉しいなぁ~なんて・・・(笑)
両親もお客様とのコミュニケーションが元気の素となっているようにも感じています。

とは言え両親も高齢です。
疲れた様子を見せることも増えてきたように思います。
今年中には両親が無理なくほどほどに働いても成り立つような仕組み作りにしていくことが私の今年の目標です!
具体的な未来予想図と実際の取り組みは次回のブログ当番の時に経過報告をさせていただきます。


店舗応援スタッフ②


2023年1月9日

小野園三島店  室伏剛


皆さんコメントをありがとうございます。
私も若女将のようにつらい時こそ明るく元気な自分でありたいと思います。
ブログ2日目、宜しくお願い致します。

昨日の続きとなりますが、素敵な仲間たちと一緒に仕事ができることに感謝をしておりますが、更に年の瀬となると店舗やお茶の保管冷蔵庫の清掃、営業車の洗車も私たち男性陣の仕事となります。
昨年末は天気の良かった日が多かったこともあり比較的暖かかった12月29日の日中を利用して私は3台の営業車の洗車を行いました。

以前なら時間も限られていますし1台概ね30~40分程度で「できる範囲でキレイにしよう!」
と行ってきましたが、今年は特に気になってしまったのですよね~。
何が気になったのかと言いますと、車のフレームとフレームのつなぎ目などにこびり付いた汚れがど~しても気になってしまうのです。(汗)

何で気になってしまうのかと振り返ると、それはきっと良くも悪くも毎朝継続している店舗周辺の掃き掃除の際に細かなゴミなども出来る範囲ではありますがキレイにしようと継続してきたことが無意識のうちに習慣になり自分の基準となったからだと思います。

そう店舗周辺の掃き掃除、もう数年は経つことと思いますが今でも継続しています。
少しずつ範囲も拡大しています。(汗)
毎朝15分~20分程度ですがこのルーチンが良い一日のスタートとなっています。
ですので洗車も細かい汚れをゴシゴシと何度もこすって1台に90分以上も費やしてしまいました。

大らかな当社の経営者はきっと気が付かないだろうなぁ~と思いながらも、やり切った清々しさと気だるい疲れが全身に残った感じが心地よかったです。(笑)
「神は細部に宿る」のですよね。
出来る範囲で手を抜かずこれからも一つ一つのことをやり切っていきたいと思います。

店舗応援スタッフ①

2023年1月8日

小野園三島店 室伏 剛


希代さん、ブログ当番お疲れ様でした。
本日から一週間ブログを担当させていただきます。
1日目、宜しくお願い致します。

私は小野園三島店の経営者でもありながら毎日、小野園本店の工場長として御殿場市にある製茶工場に通っております。(毎回ややこしくてスミマセン)
ですが年末はお歳暮シーズンで店舗が忙しくなるため、毎年私も12月の中旬以降は応援スタッフの一人として小野園本店の店舗に立つこととなります。
そのような中で今回特に感じたことを書かせていただきたいと思います。

小野園本店の店舗は昔から女性スタッフさんがメインになって切り盛りしております。
私が勤めだした約20年前はベテランの女性社員さんたちが数名いて、その方たちがそれぞれに個々の力を発揮して成り立っていたように思います。
そのスタッフさんたちもここ10年で殆どの方が入れ代わり世代交代が進みました。

年末は多くのお客様に来店していただくためお客様への対応、そして年末年始に向けて量販店様やお土産屋さん等への商品準備、ストック作り等、アイテム数も多いため皆が忙しなく動き回るのですが、そのような中ここ数年はS若女将を筆頭に皆が互いを気遣い声を掛け合い励まし合う空気が漂っていて、とっても働きやすい空間になっていることを今年もいつにも増して実感しました。

そう、先ずはリーダーであるS若女将がとても明るく前向きで元気です!
そのリーダーの姿を見て、周りのスタッフさんにも明るさが伝染しているのだと思いますし、そのような空気はきっと来店されたお客様にも伝わっていることと思います。

経営者は太陽のような存在でなければならないのですよね。
女性スタッフさんたちも年の瀬の忙しない中、きっと仕事が終わって帰宅してから子供の面倒や食事の支度などまだまだやる事があるのだと思います。

そのような中でも皆で良い空間作りをしている女性スタッフさんたちを素敵だなぁと思いました。
私も自分の感情ではなく、相手が周りが明るくなる、楽しくなる関わり方をしていこうと、とっても良い刺激を頂きました。
工場も5月の繫忙期になれば10数名のスタッフさんが今年も来てくれることと思います。
私も良い環境作り関係作りをしていきます。

ゆとり

2023/1/7(土)                   うみのワークス 希代和也

 今だに猛威を振るう新型コロナウイルスの発生から、丸三年たとうとしています。
コロナ禍は患った方には肉体的な影響を及ぼし、感染していない方々には経済という
形で影響を与えています。
その中でも特に印象的だったのは、若年層の自殺率がコロナ感染拡大前と比べて
増加していることです。
 コロナに端を発する影響は健康や経済以上に、人の心に大きなダメージを与えていることが明らかになりました。

コロナで実際に大きな影響を受けた方々の辛さを実感することは難しいですが、
とても辛いことだと思います。
ただ、どんなにつらい状況であっても自ら命を絶つことだけはとても悲しく辛いことだなと感じました。

辛いことや苦しい状況になると気持ちにゆとりがなくなって、糸がピンと伸びて張り詰めた神経になりますが、そうした時にこそ意図的に無駄と言われるような時間を
とる事も必要なのかなと思いました。
例えば、好きな音楽や今まで聞いたことのないジャンルの曲を聞いてみたり、
いつもは習慣にしていない散歩をしてみたり、あまり興味のないお笑い芸人さんのネタを見てみたりと、ゆとりがあってこそ味わう楽しみも人間には必要なことなのかなと感じました。

もちろんそればかりではいけませんが、自分と同世代の人たちがコロナ禍を苦に
自殺してしまうというニュースはとても胸が痛みます。
今ある環境に感謝することや恵まれていることに目を向ければ、辛いことばかりに目が行きにくくなりますが、命を絶ってしまうまで追い込まれる前に、
ほっと一息つく時間をあえてつくることも必要な処置なのかなと感じました。

とにかく、コロナ禍や世相の暗さは決して他人事ではありませんが、
大変な時にこそゆとりと真剣さ両方を大事にしていきたいです。
1週間ありがとうございました、前のような生活はもう戻らないかもしれませんが、今年こそはコロナで右往左往するだけではなく、少しでも世の中が前進してくることを願います。

正しい言葉

2023/1/6(金)                   うみのワークス 希代和也

 日頃現場でいろいろな職人さんの会話を聞いたり、街中で見かける似たような業種で働く方々の会話を聞いていて、様々な素朴な疑問が湧いてくる瞬間があります。
 まず一つは現場で働く人たちがよく使っている言葉についてです。
例えば、事情があって使われる隠語のような言葉や仕事に関わるような
専門用語については、必ず必要なものなので色々な職種の人たち同士で使われていることだと思います。
 
ただ、それ以上に不必要なまでに正しい言葉が使われていない場面に遭遇すると
「?」と疑問が湧いてきます。
例えば、職人さんはお昼ご飯のことをそのまま「メシ」とよく言いますが、
ご飯や食事のことをメシと言う表現の仕方をしたことがなかったので、
その意味は分かっていても本当にそう言う人がいるのだなと、最初は衝撃的でした。
僕自身はあまり「メシ」という響きが、ストレート過ぎるので決して好きな使い方ではないので、「お昼ご飯」や「食事」という言葉しか基本的に使わないようにしています。

 また、別の場面ではコンビニなどで威圧的な風貌や歩き方で歩いている職人さんも
よく見かけますが、あまりに度が過ぎているときは「何か気に障る事でもあったのかな」と不思議に思うことがあります。
そうしたことが善悪の基準で悪いことかどうかは、わかりませんが決して見ている人が気持ちのいいものではないだろうなと思います。
その他にも些細なことですが、その業界独特の世界観や常識などありますが、
「言葉」に関してはその人が使っている言葉や語彙には、その人の感性が出ると思うので、自分はできる限り正しい言葉や美しい感性でもって言葉を発していきたいと
思いました。
また、直射仕事に関係ない場面であっても、お客さんの前でとらない行動はできる限り他の場面であってもとる事のないように気を付けたいと思いました。
昔ながらの常識や変わらずに残り続けた方が良い部分と、今の時代やこれからの
若い人たちに向けて徐々に変わっていく必要がある部分があるのだなと改めて
感じた発見でした。

ランパトメンバー

2023/1/4(水)                   うみのワークス 希代和也

 昨年の9月から静岡ランニングパトロールの第四期メンバーとして、月に1,2回
都合がつく日には1時間弱ほど、オリジナルTシャツを着てパトロールランを行っています。
 僕が元々ランニングパトロールに参加するようになったきっかけは、今住む長泉町で第一期のころから活動しているⅯさんがフェイスブックでランニングパトロールを
告知していた際に、参加をさせていただいたことがきっかけでした。
 蓋をあけてみると、そのⅯさんと僕が所属する消防団の一人の方も一度Ⅿさんから
誘われてランニングパトロールに参加したことがあるそうで、世間は狭いといいますが改めて本当にそうだなと実感しました。

ランニングパトロールのメンバー同士は、それほど一緒にかかわる時間が多くはないので、そこまで深い関係性はありませんが、メンバー同士で大会に参加したり、
オリエンテーリングに参加したりして本当に趣味をゆるく楽しんでいます。

 僕はそもそもそこまでランニングや運動が好きではないですが、健康のためには
やった方がいいだろうな位の動機で、ランニングパトロールに参加したことも、
一緒にやる人がいれば自分もやりやすいだろうなという気持ちでした。

最初はそんなふうに思っていましたが、実際にランニングパトロールの正規メンバーと一緒に走る機会がありましたが、
一番カルチャーショックだったのは、参加しているメンバーの方々が、とても楽しそうにランニングをしていて
心底ランニングが好きなのだなと感じたことです。
話を聞いていると、走れるかどうか分からないけどとりあえず大会にエントリーしたというお話や、
次の大会は何のコスプレで走ろうかなという話をしています。

てっきりランニングが好きな人は真面目にアスリートとして運動をしていると
勝手に思っていたので、僕も大会にエントリーした場合には、
「しっかり準備をしないと、〇月に本番があるから〇カ月前に・・・」
とそれ自体を楽しむという感覚はなく、どちらかというと苦しいものという感覚がありました。

ですが、ランニングパトロールのメンバーの方々は、それまでの運動歴や現在走れているかどうかに関わらず、
走ることやそれに関わることを純粋に楽しんでいます。
その姿を見ていると皆さんとても活き活きとしていて、見ている自分も楽しい気持ちになってきます。

どうしても、何かをやる以上は目標を立ててやりきろうと肩に力が入ってしまいがちですが、
時には純粋に楽しむことや、楽しくやって継続していくことも大事なのだなと思いました。

ランニングパトロールを通じてランニングそのものよりも、それに一緒に参加する方々から得られることが
ありとてもありがたく思いました。

メンテナンス

2023/1/5(木)                   うみのワークス 希代和也

 昨日は私事ですが、親知らずの抜歯に行ってきました。
今回で2回目で1回目は2カ月前に右を行い、今回は左の上下の抜歯を行いました。
 僕自身は親知らずの痛みは感じていませんでしたが、かかりつけの歯医者さんから
親知らずと前の歯との間にむし歯ができやすいので、早めに抜歯することを勧められたので、年明け後の病院が始まった初日に日程を合わせてもらって抜歯を行いました。
今回は親知らずが痛くなる前に、事前に抜歯をしましたが、数年前に奥歯が虫歯になった時には痛みのあまり急遽虫歯になった歯を抜きました。
僕自身はあまり病院通いは気が引けて、病院に行くというとハードルが高いことのように感じます。
 ですが、今回は痛みが急な痛みが出る前に時間に余裕がある時に対処しようと思い年明けすぐのタイミングで抜歯を行いました。
仕事であれば家のメンテナンスを適度に行うことの大切さを目の当たりにしますが、いざ自分の体となるとまだ大丈夫でしょと高を括りがちです。
 歯だけに限らず若年層であっても、腰や首回りなどメンテナンスを怠ると悪くなったりしますが、体が資本で尚且つお家のメンテナンスに関わる仕事をしている以上は、自分の健康や体についてのメンテナンスも今年は怠らずに少しでも手をかけていきたいです。

七夕会

2023/1/3(火)                   うみのワークス 希代和也

昨年の6月から七夕会という塗装・塗料の勉強会をオンラインで参加させて
頂いています。
七夕会は東京に本社を持つ株式会社Iさんの塗装部門の部長のYさんが
主催する会で7月7日の七夕の日に発足をし、毎月7日に塗料や塗装環境をベースに学ぶ勉強会です。
数年前に一度、七夕会の勉強会に参加させてもらう機会がありましたが、
Yさんが昨年塗装の業界紙に特集されたので、その際にハガキを送った事がきっかけで、Yさんからお誘いを頂いて参加させていただきました。
当時はまだコロナ前だったので、対面での会でしたがコロナ後はズームを活用して
東京以外の各地の方も参加しやすくなりました。
 
 Yさんの所属する会社のI社は鹿島建設や大林組などのゼネコンから
塗装工事・リニューアル工事を引き受けてオリンピック関連の建物や
東京駅の改修工事まで手掛けています。
そんなYさん主催の塗装・塗料の勉強会ではまた違った視点で学ぶことがありました。
 大きな学びとしては実際に大手やゼネコンと呼ばれる会社の仕事をやっている人たちの質の基準を知れたことです。
ゼネコンの仕事はコンプライアンス遵守・環境面での配慮・作業従事者への教育など
大手ならではの基準や社会的責任を負って工事をしなければならないので、
普段僕たちが関わる戸建て住宅の工事では知ることも機会もない「こんなところまで
配慮しているのか」と基準の質を目の当たりにしました。
 詳しくいうと、塗料や塗装道具に関しては一つずつ検証をして
この塗料・この条件下ではどんなやり方・道具が最も最適なのかを、定量的にデータを出していました。
 また、連絡事項を正しく伝達するために最優先事項は何なのかを学ぶために、
伝達ゲームを行ったり、ただ技術があればいいわけではなくしっかり教養面もあった方がいいということで、美術館の情報を共有したりと同じ塗装業であっても場所や条件によって本当に高い質を持っている人たちがいるのだなと感じました。

勉強会だけはなく、主催のYさんも独特な感性をもっていて、
「職人さんも着替えるとしても通期時は正装の方がいいと思う」
「職人さんはなかなか試験を受ける機会がないから、技能試験や資格試験も
1つ下のランクでもいいから、多く試験を受ける機会があったほうがいいよ」
など、なるほどなと新しい感性に触れて刺激になりました。
普段、現場だけでは学べない知れないことを同業の方たちから学べるので
こうしたご縁や機会に感謝していきたいです。
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