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沼津経営塾

お互いに切磋琢磨して、人生をより良いものにしていきたい。コツコツ学ぶ仲間の集いです。月1回沼津三島にて勉強会を開いています。

コロナの影響

「 コロナの影響 」
                        2020年5月31日(日)     
                     タクシー会社勤務  古橋 力

小野さんからブログを引き継ぎました。

息子は現在、さかえやさんから、うみのワークスさんへお世話になっています。
大変な時期に、本当にありがとうございます。私もがんばりたいと思います。
本日から一週間、どうぞよろしくお願いします。

書き始めると、パソコンのスペースキーを押すと、文字が消えていきます。
これは参ったなあ、知らないうちに仕様が変わってしまったのか、故障かと思い
ました。
調べてみると、インサートキーで、挿入と上書きが出来るのですね。知らない
うちに、押していたようです。基本的な事ですが、今まで知りませんでした。

5月21日から、24節気の第8、「小満」です。72候では、ちょうど5月31日から
「麦秋至」(むぎのときいたる)になります。麦の穂が実り始めるころ。春なのに
「秋?」と思いましたが、実ること、を表しているそうです。

本日は、コロナウイルスの話題ですが、お付き合いください。
皆さんの職場でも、コロナウイルスの影響で大変な状況ですね。私の勤める
タクシー会社も、売り上げ減、感染のリスク、などの厳しい状態が続いています。
3月に、他県でタクシーの運転手が感染して、その家族が亡くなられたと報道が
ありました。そのころから、「お宅のタクシーは大丈夫ですか」「タクシーは危ない
のでは」、という言葉をお客様から聞くようになりました。

4月に入って、外出の自粛、緊急事態宣言が発動されて、研修会、夜間の飲食
は激減しました。昼間の外出や通院も減少してしまい、タクシーの利用もそれに
比例しました。丁度、3・4月は送別会や歓迎会などがあり繁忙日だったはずな
のですが・・・。
会社の対策として、会社要請で休業してもらう勤務調整を始めました。平均する
と2勤5休くらいになります。それでも、売り上げは低い水準です。

感染対策としては、効くといわれている「次亜塩素酸水」の消毒液を車内完備し
てドアノブなどを拭き取ったり、換気の励行、マスク着用などのマニュアルを作
りました。点呼時に乗務員さんが読みやすいよう大きな字に書き換えました。

安心感を持ってもらうこと、感染のリスクを減らすことで、お客様は勿論ですが
乗務員さん自身の心配も少なくしてハンドルを握ってもらいたいと思います。
明日に続きます。



【マスク狂騒曲】

おはようございます!
小野@馬耳です。

去年、年賀状を買いに行った時、私の前にいた初老の男性が
「バラで50枚」と言って買ってました。
最終日、宜しくお願い致します。

【マスク狂騒曲】
少しでも明るい話題、ちょっと楽しい話をと思い、
一週間、ブログを書かせて頂きました。
こんな時に、なんて“のん気”なんだ! と
思われた方もいらっしゃると思いますが、
こんな時だからこそと思って、内容よりも
楽しさ優先で、書かせてもらったんですよ!
あっ、いつもこんなもんですかねぇ…(汗)

ところで、アベノマスク、届きましたか? 
うちにはまだ届きません。もう要らないんですけどね。
断る事、出来ないんでしょうか?
それにしても、マスクには、みんなが振り回されましたよね!

ブログネタ困ったので、オープンにしちゃいますが、
伊豆大島での、書けないアクシデントのひとつに、
“マスク事件”があります。
例の、ひっくり返したお弁当を購入したスーパーマーケットで
レジ横に、「50枚入のマスクの箱」が売っていたんです!
その当時、本土では、どこにも売っていなかったので、
大島から“逆輸入”(笑)してやろうと、レジ横からポコポコっと
2箱、買い物カゴに入れたんです。
すると、店員さんは、顔色一つ変えずに、そのマスクを
一番先にレジで ピッピッ したんです。

金額表示画面には、マスク4、600円 2点= 9、200円。
腰が抜けました。(涙)

話は変わりますが、まぁ、どこに行ってもマスクを
していない人はいませんね。
先日、あるホームセンターに行ったら、「マスクをしていない方
入店お断り」という張り紙がありました。
お買い物に来ていたご夫婦、きっとマスクが
なかったんでしょうね。
片手でティッシュを口に当てて、買い物していました。

あるニュース番組では、高校生の応援団がマスクをしながら
応援している様子を映していたんですが、
吹奏楽部の演奏にカメラがターンした時、アナウンサーが、
「こちらは、マスクをしていません!」と真顔で言ってました。(笑)

別の日ですが、歯医者さんに行った時、先生もスタッフ皆さんも、
緊張している様子が伝わってきました。
そりゃ~そうですよね。
顔も近いですし、唾液も飛ぶし、感染リスク高いです。

私は、なぜか、その緊張を和らげたいと思い、診察台に案内された時、
「すみません。マスクは外した方がいいですよね!?」と
先生に言ったんです。すると、みんなの緊張が一気に解けました。

これからマスクとは、長い付き合いになりそうです。
穴の開いた通気性のいいマスクとか、透明のマスクとか、
チャックのついた食事がとれるマスクとか、トリックアート的な
顔のマスクとか、もうあるのかな?
そんな“アホノマスク”がいっぱい出てくるかもしれませんね!
せっかくだから、楽しんじゃいましょう!!

一週間、ありがとうございました。
明日からは、力さんが担当して下さいます。
宜しくお願い致します。

【ピンチはチャンス】

おはようございます!
小野@馬耳です。

私の妻は歯の治療中「口紅をふいて下さい」と言われのに
何の疑いもなく「ピーピーピー」と口笛をふいたそうです。
六日目、宜しくお願い致します。

【ピンチはチャンス】
私は、仕事の状況が厳しいことに対し、ずいぶん長いこと
耐える訓練をしてきました。それはそれは大変な道のりでした。
ようやくここに来て、その成果をフルに発揮する機会に
恵まれました。(涙)
それにしても、このコロナは、タダもんじゃありませんね!

ご注文頂いていた会社さんからは、納品を少し伸ばしてほしいとか、
ある大手工場では、入場を規制しているので、今は工事はできませんとか、
「何とかやらせて下さい!」と喉もとまで出ているのですが、
こういう時期ですから、しかたありませんよね。

それでもありがたいことに、「こんな時期だけど、仕事を
やってもらえる? なんとか小野さんのところを
儲けさせないと…」と言って下さる社長がいらしたり、
「一緒に乗り越えていきましょうよ!」と、仕事をさせて下さる
お客様もいらっしゃいます。
本当にありがたいのですが、このコロナそのものに対しては
何の解決にもなっていません。
ここで、しっかり準備をした会社とそうでない会社とでは
コロナ終息後の立ち上がり時、クラウチングスタートでいるのと、
準備体操しながら、まだコース外にいるのと同じぐらい、
全く違いますよね。
少なくとも、コース上でスタンディングスタートの体勢ぐらいは
とっておきたいです。

コロナ後の世の中はどんな世の中なんでしょうね?
先日、地域を応援しようと、サイゼイリアに行ってきたのですが
お客様を待たせてまで、ほぼ半分の座席を使用禁止にしていました。
コロナ後も「密」は嫌うでしょうから、飲食店では座席数の
半分ぐらいの営業になると、低空飛行のスタートですよね。

「密」を嫌うと、テレワークが標準化になり、都心に住む必要が
なくなり、静岡東部あたりは、人口が増えるかもしれません。
高速通信のインターネットの環境を整えるマンションや住宅が
増えてくると思います。
ただ、事務所を持たない会社が増えてくるでしょうから、
会社に設置する電話設備は間違いなく減ります。

ネットや通信を使った仕事が増えてくるという事は
私の会社としては、大きなチャンスがあると思っています。
アンテナをしっかり張っていき、スピード感を持って
対応していきたいと思います。

いやぁ~ このコロナのせいで、人との距離を取らなくてはいけない、
寂しい時代になってしまいました。
それでも、みんなで乗り切っていきましょうよ!!

【そして、奇跡は起こった!】

おはようございます!
小野@馬耳です。

私は「妻」と書く時、なぜか「毒」と書いてしまいます。
五日目、宜しくお願い致します。

【そして、奇跡は起こった!】
先日、アメリカのNASAが、未確認飛行物体UFOの写真を
公開しましたよね。
なんでこの時期に?と不思議に思いましたが、
これだけ文明が発達した21世紀でも、宇宙はまだまだ分からない
“未知の世界”ですね!

“未知の世界”といえば、20世紀初頭の南極大陸も、
大陸自体の存在はわかっていたものの、まだ、人が一度も足を
踏み入れた事の無い、未知の世界だったようです。 
ところで皆さんは、「アーネスト・ヘンリー・シャクルトン」を
ご存知ですか? 
その当時の南極探検家のひとりなんですが、
南極点を初制覇したアムンゼンやスコットと比べると、
華々しい業績はありません。
それどころか、初の“南極大陸横断”という大きな目標を掲げ、
探検に向かったものの、氷に阻まれ、船は遭難し、沈没してしまい、
1年半ものあいだ、氷の世界をさまよってしまったのです。
南極海は、冬には気温がマイナス70度を下回り地球上で
もっとも強い風が吹くという苛酷な環境。
しかも、彼らには外界と連絡をとる通信手段は一切ありません。

大陸横断という目標を無くし、絶望的な状況にもかかわらず、
寒さや飢えと戦い、およそ1年半後、乗組員28名全員を、
一人も欠けることなく生還させたという探検家なんです。
そんなシャクルトンの「そして、奇跡は起こった!」という
ノンフィクションの本は、コロナウィルスで世界中が経済的、
精神的に打撃を受け、不安ばかりが大きくなる中、
危機的状況下でのリーダーのあるべき姿を教えてくれます。

それは先ず、目指す先を明確に示す事。そして、それに向けての
具体的な方法を伝え、どんな状況でも周り、
仲間の変化をしっかり観察し、的確な判断をする。
そして、自分がどんなに不安でビビっていても、
その表情は見せず、「明るく楽しく、楽観的でいること」が
大切なんだと、私は学ばせてもらいました。   

どうしても不安になりがちな今、シャクルトンからの、
どんな環境下でも諦めず、「生き延びろ!」というメッセージには
勇気をもらいました。

あっ、この本は、静岡経営塾の先月の課題図書でした。
是非、沼津経営塾の皆さんも読んでみてはいかがでしょうか? 

【おかあ“さん”】

おはようございます!
小野@馬耳です。

エレベーターの件、私もよくわからないのですが、
たぶん、2Fの売店までに行くために200円払って
エレベーターに乗るのだと思います。
東京タワーと同じ考えです。
四日目、宜しくお願い致します。

【おかあ“さん”】
あっ、③ではなく、“さん”でした!(笑)

うちの母は、英語が苦手です。苦手というか、
85歳ですから、その訳もわかってもらえますよね?

以前、私の長男が、母との待ち合わせ場所を「三島駅の駐輪場」って
言ったのですが、母は「そんな英語みたいな場所、わからないよ!」
と言うのです。
は? 英語? よくよく聞くと「駐輪場」を
「チューリングジョー」だと聞き間違えたというのです。

ある時は、母が「なんだかよくわからない英語の会社から
書類が届いたから見てよ!」と私に言うのです。
まぁ、英語じゃわからないだろうな? とその書類を見ると…
「お母さん、これ、カタカナだから!」

またある時は、座薬を座って飲んでました。
あっ、それはウソです。

そんな母ですから、「ステイホーム」や「ソーシャルディスタンス」
「ロックダウン」「オーバーシュート」「クラスター」などや、
小池都知事の訳の分からないカタカナフレーズに
何も反応できず、ニュースを見ても聞いても、話が
見えてこないというのです。
母は、わからない言葉を書きだし、どういう意味かを
私たちに聞いてきます。
難しいですよ。私だってわからないものが出てきますし、
逆に、当たり前に使いすぎて、どう説明して良いのか
分からないものもあります。
それにしても、ニュースなどは、もう少し、気遣いが
あってもいいように感じるのですが…
年輩の人に、やさしくないですよね!

普段の私たちの行動でも、もしかしたら、同じようなことを
しているかもしれません。
相手にどう伝わるか? 相手はどう感じるか?などを
考える必要がありますね。

やさしい世の中って、そういうところにもあると思うのですが。

【伊豆大島 ②】

おはようございます!
小野@馬耳です。

杉井さん、「行ける時に行っておかないと」本当にそうですね!
客船の旅の実現は、こうなってからでは、ずいぶん遠くなって
しまいました。(涙)
三日目、宜しくお願い致します。

【伊豆大島 ②】
流石、辻さん! 他にも気付いた方もいらっしゃると思いますが、
昨日は①でしたので、今日は②です。③はあるかなぁ~?(笑)

下見から2週間後、社員さんと一緒に工事に伺いました。
今度は、お客様のご都合と天気予報をしっかり
確認し、日程を調整しました。
でも、ドキドキでしたよ。何日も足止めを食らったら、
大変なことになってしまいますからね!

社員さんにとって、工事は普段やっていることと
何も変わらないのですが、船に乗ったり、旅館に泊まったりと
少し緊張し、そしてワクワクしている様子が伝わってきました。
ここのところずっと、社員旅行もしていませんし、
2ヶ月かかった、大きな施設の工事も終わりましたので、
下見の時から、半分、旅行もかねて工事が出来たらいいなぁと
思っていました。
そして、少しでも楽しく過ごせたらと、常に笑顔でいようと
決めて、工事に挑みました。(汗)

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(こんなお部屋でした。汗)


私は一度下見で来ていますから、もう島人ですよ!
事は順調に進んでいたのですが…
早速、次の大きなアクシデントに見舞われました!
初日のお昼、数件しかないスーパーで買った、
大切な私のお弁当を、社員さんの不注意で
ひっくり返してしまったのです!(涙)
現場から一番近くのスーパーまで25分。往復で50分です。
結局、私は楽しみだったシャケ弁当を食べられず、お昼抜きでした。
社員さんは、私の横で、唐揚げ弁当をおいしそうに食べていました。
あっ、それでも、私は笑顔でしたよ!
こういうアクシデントって、後になったら絶対よい想い出に
なりますからね! こういうインパクト、大好きです。

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(地球が生きてる証拠です。)

夜は、旅館の料理をつまみに、お酒を社員さんと一緒に呑んで
本当に楽しい時間を過ごすことが出来ました。

ここでは書けないようなアクシデントもあったのですが
楽しい仕事? 旅行になりました。
本当に非日常を経験できる旅行って、いいなぁ~と
あらためて感じました。(旅行って言ってしまった。汗)

社員さんも、帰ってきてから、「こんな楽しい仕事?は
久し振りでした。すっごく良かったです!」と。
いつもは、楽しくないのか? からあげ弁当も、
美味そうだったもんなぁ~。(涙)

年一回くらいは、社員さん達とも、楽しい旅行をしたいと思います。

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(大島はすごい! 売店にエレベータが200円で売っています。笑)

【伊豆大島 ①】

おはようございます!
小野@馬耳です。

二日目、宜しくお願い致します。

【伊豆大島 ①】
先月、とてもよくして頂いている東京の同業者の社長から
伊豆大島の仕事があるんだけど、行ってくれないか?という
依頼がありました。
以前なら、場所も遠いですから、丁重にお断りするのですが
コロナの影響で仕事も薄くなり、少しでも売上になるのならと
その仕事を、引き受けさせて頂きました。

島での仕事になるので、材料など、ひとつでも足りないと、
工事は進まなくなってしまいます。
業務用の電話の部材など、簡単に手に入るものではありませんし、
本土から送るのでは、船便で数日かかります。
先方のご理解を頂き、前もって現地調査に伺いました。
当日、250名定員の船に、私も含め4名の乗客を乗せて熱海を出航。
定期便ですから、乗客がいなくても出航するそうです。

この船がすごいんです!ジェットエンジンで海水を噴き出して、
水中翼で海面を飛ぶように進むのです。
飛べないジェット機、とでもいうのでしょうか。
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(下の写真は東海汽船公式HPより)
seveni-02.jpg

シートベルトをし、船の案内でも、テイクオフって言ってました。

現地の移動はすべてレンタカーです。島に到着すると、前もって
教えて頂いたレンタカー屋のケイタイ番号に連絡をしました。
すると、電話で右に行け、左に行けと案内され、
到着した場所の品川ナンバーの車に鍵が付いているから、
そのまま乗って行けとの指示。

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(上の写真は相棒の品川ナンバーのレンタカー)

なんか、犯罪に巻き込まれたような感じでしたよ。(笑)

無事、調査は済んだのですが、帰りの便が悪天候の為
船が出航できず、一日足止めを食らうというハプニングに
見舞われました。
ちょっと海に目を向ければ、熱海や伊東が見えます。
近くて遠い!

次の日、天気は晴れ、船は出航することは確認できたのですが、
コロナの為、出航は夕方4時、1日1便しかなく、
島を観光するにも非常事態宣言中の東京都、
観光出来るすべての施設は閉館や休業中。
持っていった本と葉書セットで一日過ごしました。

あっ、船着き場に止まっていたタクシーは、一度も動くことが
ありませんでしたよ。(涙)

それでも、伊豆大島って、穏やかで、どこか昭和が
残っているようなところがあって、とても気に入りました。
お世話になった旅館さんにも、「コロナが終息したら
今度は遊びに来て下さいね!」と言ってもらいました。
船で1時間の旅。まぁ、大島じゃなくても、
沼津経営塾メンバーで、旅行なんていいですよね!

【正しさよりやさしさ】

おはようございます!
小野@馬耳です。

一週間、宜しくお願い致します。

【正しさよりやさしさ】
新型コロナウィルスによって、世界中が大変なことに
なってしまいましたね。
そんな中、私たちがこうしている時にも、
医療従事者の皆さんは感染のリスクを冒して、
最前線で戦って下さっていますし、
身近なところでは、見えない敵をマスク一枚、
ビニールシート一枚で防御しながら、
私たちにサービスを提供して下さっている方々も
いらっしゃいます。本当にありがたいですし、
感謝してもしきれません。
本当にありがとうございます。

 それにしても、外出の規制や感染の恐れ、
そして経済的不安等で、どうしてもストレスもたまりますし、
イライラもしてきますよね。
この“のん気”な私が感じるのですから、相当ですよ!(汗)
 そして、私たちは外出規制をしっかり守っているのに、
外出する人や、自粛要請に応じない店舗があったり… 
本当にしょうがない人たちがいるんですよねぇ~。

でもね… これだけ長く生きてるからわかるんですけど、
世の中にはそういう人もいるし、私たちには予期せぬ事、
自分の力ではどうしようもない事がしょっちゅう起きるんですよ。 
私は人間本来の生き方って「楽しく生きる」「幸せに生きる」だと
思っているんです。
だからそんなひとつひとつに腹を立てていたら、
自分の人生台無しですよ。文句を言って幸せになろうっていったって、
そりゃ~無理ですよね。
杉井さんの日めくりにもありますが、
今こそ「正しさよりやさしさ」が大事で、
どうせ見つけるなら悪いもの探しではなく、
こんな時に一生懸命働いて下さっている方たちへ、
「ありがとう」や「感謝の気持ち」を伝えることに力を注いだほうが、
自分も周りもどれだけ幸せになれることか。
 笑い療法士の高柳和江先生は、「目を大きく見開いて
ぐるっと一周まわしてみる。そうすると、一呼吸おける。
そして次にとるべき態度、対応を冷静に考ることが出来る。
まばたきもいい。」と教えて下さいました。
イラッとした時は是非、一呼吸おいて、冷静になり、
「正しさよりやさしさ」という言葉を思い出してほしいです。

「いちごの今シーズンを振り返って」

5月23日
皆さんコメントありがとうございます。
インターハイや、甲子園も中止になりましたが、昨日のニュースで、来年日本でオリンピックが開催できない場合は、中止になるとオリンピック委員長が話していました。今回のコロナは、いたるところで、色んな問題を引き起こしていますね。早くワクチンが出来て、安心して暮らせるようになってほしいです。
本日最終日になりなす。

7日目 富丘佐野農園(株) 佐野真史

「いちごの今シーズンを振り返って」

あと一週間ほどで五月も終わりますが、生いちごの収穫・販売は5月31日までとなります。
12月15日から一日も休むことなく、収穫と、販売を繰り返し、やっと今日まで来ました。

今シーズンを振り返ってみると、販売開始の12月は、消費税の影響なのか、贈答物の動きがいつもの歳より鈍いことを感じ、消費の動向が変わっていく傾向を感じました。前回のブログ当番の時に書きましたが、世の中の潮目の変化を感じ、お客様の動向に合わせ、自分たちのなすべきことを考えていく必要性を感じました。

1月に入ると、生苺を購入のお客様が例年通り来店いただけるようになり『ホッ』としました。
また1月上旬に開始したいちご摘みは、常連のお客様や新規のお客様が増えて、子供からお年寄りまでが楽しんでいただき、地元で段々と定着した手ごたえを感じ、沢山の方が笑顔になっていただける看板商品の一つになりました。
それとは対照に、インバウンドのお客様が減り、東名高速売店の納品数が半分以下に落ち込んでいき、新たな販売場所の開拓を考えるようになりました。

このまま2月、3月と過ごして行くのですが、やはりこの後のコロナの影響は大きかったですが、コロナのお陰で沢山勉強になったこともありました。

色々と無い知恵を絞り、何とかして乗り越えようと必死で行動してきたのですが、ここまでこれたのは、やはり、人の支えがあったからだと思います。
さかえやさんに苺を送ったときは、さかえやさんも休館の時でした。若い社員さんたちを勇気づけようと苺を送ったのですが、お返しに皆さんからの励ましのはがきと、沢山のいちごとデザートの注文をいただきました。

杉井さんのブログの記事を読み、苺の注文をしてくれた方もいらっしゃいました。新鮮屋さんでは、初の試みで、れっどぱーるの苺を店頭で販売してくれ、常連のお客様に、苺の紹介までしていただきました。
今まで数回しか会ったことがない方が、注文をしてくれたり、応援のはがきを書いてくれたり、皆さんの温かい気持ちが伝わってきました。

バラ詰め苺の注文を取りまとめてくれた茜の友達や、親戚のおばさん、インスタの口コミで情報拡散してくれたお客様、皆さん自分が得をするわけでもないのに、私たちのために時間を使い、知り合いの方に苺を薦めてくれました。

また、今までお付き合いのある仲卸さんや、スーパーさんに事情を話し、苺の売り込みをお願いし、いつもよりも多く納めさせていただきました。

12年間苺の生産と販売をしてきて、色んなことがあり経験してきましたが、その陰にはいつも人の支えがあったと思えるようになりました。
以前の自分だったら、注文を取ったら自分の手柄で、相手がしてくれたことに何も気付いていませんでした。スーパーさんだってうちの苺ばかりを売っているわけではありません。
売るためには、見た目を良くするために並べ方を変え、見やすいポップを用意したり色々と工夫をしてくれています。
仲卸さんも、売り込むために業者さんに電話をかけたりして、買ってくれるように頼んでくれたと思います。
そんな皆さんのしていただいたことを何も見ていませんでした。
今回のコロナ騒動で、沢山の方に助けていただき、皆さんからしていただいたことを認めることが出来るようになりました。

今回のように、困ったときに助けてもらったことを忘れずに、謙虚でいることが大切だと思います。
たまに傲慢な自分が顔を出す時がありますが、人に助けてもらったことを思い出し、常に謙虚でいることを心掛けていきたいです。そして、与えることの大切さを忘れず、先ずは自分から沢山の方たちに与える行動をしていこうと思ってます。
一週間お付き合いありがとうございました。
明日からは、私たちのリーダーである小野さんにお任せします。
小野さん一週間よろしくお願いします。

「インターハイ」

5月22日
おはようございます。富丘佐野農園(株)の佐野真史です。
皆さん毎日のコメントありがとうございます。
杉井さんのコメントにもありましたが、ついつい私は、モノを売ろうとしてしまいます。それではだめですね。その先のお客さんの事を考え、お客さんに「どうしたら喜んでもらえるか?」を考えていこうと思います。
焦ると、大事なことを見落としてしまいますね。気を付けます。

6日目 富丘佐野農園(株) 佐野真史

「インターハイ」
以前から何度かブログネタとして書いていますが、長女の桃佳(高校3年生)と、長男の覚斗(高校2年生)は小学校の低学年からバトミントンを習い、中学校、高校とバトミントン部に所属し、特に、高校では、7時の朝練から始まり、放課後の部活では夜8時までほぼ毎日練習でバトミントン漬けの生活でした。
桃佳にしてみれば、今年のインターハイが、高校最後の大会になります。2年生の冬から、このインターハイを目標に、厳しい練習にも耐えてきました。
親としても、3年間の集大成なので、今年のインターハイをとても楽しみにしていました。

そんなところに、今回のコロナの感染のニュースが入ってきました。

野球に春の甲子園があるように、バトミントンにも3月下旬に全国選手権大会(鹿児島県開催)があったのですが、星陵高校は、男女揃っての出場を決めていましたが、コロナの影響で中止になってしまいました。

当時子供たちは、とてもがっかりしていましたが、私たち親も、何とか励まそうと思って
「この思いをインターハイにぶつけよう。インターハイでまた男女ともに全国を目指そう。」
と声をかけ、励ましてきました。
コロナの影響で3月から学校も休校になり、部活もなくなってしまいました。
当時は、コロナの影響がこんなにも長引くと思っていなかったので、子供たちも、インターハイの目標に向かって、体育館へ行って仲間と練習をしていました。

それに対し、コロナは、収まるどころの話ではありませんでした。
コロナの恐怖が大きくなっていき、段々と体育館も使えなくなり、人との接触も控えるようになり、子供たちは、家の中で時間を過ごすようになっていきました。

4月に入り、入学式、進級式が行われ、部活も2~3日行われましたが、その後は、再度休校になり自宅待機となりました。
そのころから、インターハイの開催が怪しいと噂になり、子供たちも、不安になってしまい、毎日、高体連のホームページをチェックしていました。
世の中の事態はますます悪くなり、緊急事態宣言が発令されました。

イベントや、スポーツの大会の中止が決定していき、インターハイの中止も決まってしまいました。
学校が休みになり、体育館が使えなくなっても、インターハイへの夢は捨ててはいないようでした。
桃佳と、覚斗は部屋に閉じこもって泣いていました。

覚斗はまだもう1年あるので来年に望みをと慰めることが出来るのですが、今年のインターハイが最後の桃佳には、なんて声を掛けたらいいのかとても悩みました。この時のために3年間頑張ってきたのに、戦わないで終わりを迎える桃佳の気持ちを考えると、胸が苦しくなりました。

私は子育てセミナーを思い出し、どうしたら建設的な対応が出来るか考えました。
(今まで頑張ってきた努力を思い出し、選手になれなかったけど、部活を休まないで参加したところや、試合で仲間を全力で応援してきたところに光を当てよう。)と考えました。

「桃佳、インターハイが中止になってしまったけど、暑い日も、寒い日も、部活を休むことなく、3年間バトミントン部で頑張ったことは素晴らしいことだと思うよ。一緒に頑張ってきた友達との思い出もたくさん出来たね。特に、試合の時に、仲間を大声で一生懸命応援し、スポーツドリンクを運んだり、選手をうちわで扇いであげたりしていたね。人を応援するのって素晴らしいことだと思うよ。この先の社会に出たら今度は桃佳が応援される番になるよ。お父さんは、いつも桃佳を応援してるよ。」

慰めになったかどうかわかりませんが、声を掛けました。
次の日、はがきを書きました。簡単には、いつもの桃佳には戻りませんが、時間が解決してくれるのを待つしかないのかなと思ってます。

正直、私もとても楽しみにしていた大会だったので、ショックですが、あるがままを受け入れ、前向きに行動し、こういう場面でも、相手の事を考え、建設的に対応できるようになりたいです。

「夏の移動販売」

5月21日
おはようございます。皆さん暖かいコメントありがとうございます。
これからは、女性の発信力や、女性ならではの視点をうまく生かしていくことが大事になってくるように思います。
確実に時代は変わっていくので、ちょっとした変化も気付けるように準備していこうと思います。

5日目 富丘佐野農園(株) 佐野真史

「夏の移動販売」

5月後半で生苺の生産と販売が終わります。結果はどうあれ、時間は過ぎていきます。

例年だったら、6月からは、冷凍苺を使った店舗でのデザート販売と、移動販売車でのイベント出店そして、新東名清水での移動トレーラーでの販売がメインとなっていきますが、今年は皆さんもご存じの事と思いますが、現時点で、去年出店したイベントのうち、8月までのすべてのイベントが中止になっています。

また、新東名も、外出自粛のため、閑散としています。
この先の事を考えると不安になってきますが、何とかしていくしかありません。
コロナが収束を迎えるのが1番良いのですが、まだ先は長そうです。
何にもしないで事態は良くなるわけはないので、行動するようにしています。

新しい販売場所を探すのもいいですが、もう一度過去にお世話になった店舗などに連絡し、交渉をしているところです。
社員さんたちも、ネットなどでマルシェなどの情報を集めてくれています。
こんな時こそ、皆で力を合わせ、乗り越えていきたいと思っています。

販売の原料となる冷凍苺も、どのくらい保存すればいいか読めない状況の中、もしもイベント再開しても不足することがないように例年の7~8割の5トン前後の苺を冷凍保存する予定です。
冷凍苺を保存するにも、夏の販売が出来るという確定がない中での作業のため、こちらもやはり不安がありますが、やるしかないと思っています。

今回の件で、売れなくなった苺を何とかしようと知恵を絞り、プライドや、見栄を捨てて苺を売り歩き、行動する事の大切さを改めて実感しました。

れっどぱーるの立ち上げの頃を思い出す機会が増えました。
(どうしたら売れるか?)
日々このことだけを必死になって考えていました。

それが、最近では、知名度も上がり、お客様も増えて、自分に必死さが無くなって、知らないうちに胡坐をかいていたことに気づきました。最近は困らなくなったのであまり【考える】ことをしていませんでした。
これではだめですね・・・。発展するわけがありません。

人は困ったり、追い詰められると考え、新しい案を出すものだと思います。
特に私は、弾劾絶壁に立たされないと努力しない人間です。

このコロナをきっかけに、また1からの出発だと自分に言い聞かせるようにしています。変なプライドや、傲慢な自分を捨て、初心に戻り、新たな気持ちで挑戦していこうと思っています。
12年前と違うところは、今はともに歩んできた仲間がいます。
皆で力を合わせて、知恵を出し合いながら、前に進んでいこうと思っています。

今までの経験で、追い詰められたほうが、行動するし、考えます。
今コロナで追い詰められているので、きっといい案が出てくると信じています。
プラス思考で前向きに物事を捉えていきたいです。

「ジャム用苺」

5月20日
 皆さんおはようございます。温かいコメントありがとうございます。
なぜ、子供たちの目は澄んでいて綺麗なのでしょうか?
純粋な子供たちのためにも、優しい文化と、自然、美しい言葉を残していきたいですね。
今日は私の記念すべき45歳の誕生日です。
最近娘に年齢より老けているとキツイ言葉を言われていますが、もうどうにもなりません。
気持ちだけでも若いつもりでいるのですが・・・・。本日もよろしくお願いします。

4日目 富丘佐野農園(株) 佐野真史

「ジャム用苺」

苺摘みが中止になり、自分のお世話になった方や、知り合いに苺を送ったりしても、苺は毎日赤くなります。
毎年、4月の春休み開けは、新学期や、新生活が始まり、お店に来るお客様の数が、一気に減少するときで、毎年売り上げの確保が大変なのに、今年はコロナのお陰でなお一層厳しくなるのが分かり切っていました。

例年では、3300㎡のハウスの苺を、直売と、卸、冷凍加工で動かしていたのですが、今年は苺摘みのハウス分2000㎡分の苺も何とかしなくてはなりません。
市場に卸せばお金にはなりますが、安く買いたたかれるのは分かっているので、市場にはどうしても出荷したくありませんでした。今お付き合いしているスーパーさんも頑張って買ってくれていましたが、数量的にも、限界がありました。

頼みの綱の冷凍苺も、夏のイベント自粛のため、沢山冷凍しても、販売車が活動できるかわかりません。
どこから手を付けていいものかわからない状況でした。

そんな時、嫁の茜が、
「苺がたくさんあって困るなら、売るしかないじゃん。バラ詰めのジャム用苺として、金額を下げてでも売るしかないじゃん。私が、知り合いに注文を取って売るよ。何とかなるよ。」
とても有り難い言葉だったのですが、収穫量が想像できる自分には、(そんなこと言っても無理だよ。)と内心思っていました。

毎年、バラ詰め苺は、ゴールデンウィーク明けに真っ赤く色着いた苺をジャム用として売っていたのですが、私は正直、バラ詰め苺の販売は乗り気ではありませんでした。
なぜなら、金額を下げて売るため、従来のパックに詰めた苺が売れなくなったり、れっどぱーるのイメージが壊れてしまうのではないかと思っていたからです。
不安はありましたが、(やってみなければわからないし、やってみてダメなら諦めようと)考えるようにしました。価格は、ひと箱1㎏1600円に決めました。

嫁さんは、あらゆる手段で注文を取り始めました。
インスタ、フェイスブック、ライン。
SNSでつながっている友達、知り合いにどんどん声をかけていきました。すると、
「注文入ったよ。20ケースだよ。あっつ。また注文来たよ。25ケースだって。」
びっくりするほどの勢いで注文が入ってきました。  (凄い・・・・。さすが・・・。)
情報の発信力の凄さにただただ脱帽でした。

私は、買って買ってというのが出来ない人間なのに対し、嫁さんは、『美味しいから一回食べてみて』とか、『苺摘みが中止になって苺がたくさんあるんだけどどうかな?』などと現状を正直に相手に伝えて注文をいただいていました。
そんな姿を見ていて、自分には訳の分からないプライドが邪魔をして、友人や知人に苺を買ってと言えないでいることに気づきました。これは、いつも杉井さんが仰っている人を集められる人間か、そうでない人かにつながると思いました。私のやらないことをどんどんやっていく嫁さんを見て、自分の小ささを感じ、自分も知り合いに声をかけて苺を売ろうと決心しました。

SNSや、お客さん同士の口コミからバラ詰め苺は店舗でも売れるようになっていきました。
バラ詰め苺を販売してみて解ったことですが、当初心配していた『パック詰めした苺が売れなくなる。』ということはありませんでした。
お客様の買い方を観察していると、お使い物はパック詰めされた苺を購入し、自宅で家族皆で食べるものは、バラ詰め苺を買っていることに気づきました。

この事実から、今までの自分の価値観や、考え方の歪みを思い知らされることとなりましたが、考えているばかりではだめで、行動してみる(やってみる)ことの重要さを学ばせていただきました。
先行きが明るくなり、嫁さんに
「ピンチはチャンスってこういうことだね。沢山の人にれっどぱーるの苺を食べてもらえるいいきっかけになったね。」
と言ったところ、ひとこと・・・、
「ピンチと思っていたのは、自分だけじゃないの?・・・・・・。」
と言われてしまいました。ある意味建設的で、たくましい嫁さんだと思いました。

「保育園訪問」

5月19日
皆さんおはようございます。コメントありがとうございます。
苺漬けの日々ももう少しで終わろうとしています。
今シーズンを悔いの残らないように過ごそうと思います。

3日目 富丘佐野農園(株) 佐野真史

「保育園訪問」

初心に帰り、大切な方や、お世話になった方に、苺を届けることにしたのですが、3月の杉井さんのブログの記事の中に、旅館業のさかえやさんや、柏屋さん、松本楼さんなどが、空いた部屋を利用して、有料の学童サービスを始めたり、子供たちに旅館の仕事体験を行っているという記事を思い出し、私も子供たちの役に立ちたいと思うようになりました。

そこで思いついたのが地元の保育園の子供たちに苺をプレゼントすることでした。園長先生に相談したところ、
「新学期が始まったばかりで、慣れない子供たちがいるけど、給食で苺が出たら喜ぶと思うよ。」
ということで、了承をいただきました。

後日、いつものお決まりの苺の被り物をかぶって保育園へ向かいました。
そこには数名の新聞記者さんがいて、今回の取り組みについていろいろと質問を行けました。
後から聞いた話ですが、保育園の園長先生が、少しでもれっどぱーるのアピールになればと思って新聞社さんに声をかけてくれたようでした。
新聞記者さんも、コロナの暗いニュースばかりなので、今回のような明るい話題を探していたようでした。

園長先生から苺贈呈の流れを聞いて、年長さんの待つ教室へ向かいました。
苺をかぶったおじさんの登場に皆大爆笑で、和やかな雰囲気になりました。
代表の年長さんに苺をプレゼントし、その後苺のお返しに『ありがとうの花』という歌を手話をしながら歌ってくれました。

子供たちは、新学期早々で慣れていない中、この日のために、歌を一生懸命に練習したようでした。

常に、何とかなる。何とかなる。と自分に言い聞かせ日々を過ごしていましたが、不安は消えることなく、張り詰めた心境だったせいか、真剣に手話をしながら、私に歌を歌ってくれている子供たちの純粋な目を見ていたら、涙があふれてきました。
(よし、もっと人の為になるように頑張ろう。)
子供たちに沢山のパワーと勇気をもらいました。

この保育園訪問のことが新聞の記事になり、来店したお客様に『すばらしいとりくみですね。応援してます。』と有難い言葉をいただきました。

以前の自分だったら目先の利益ばかりを追って損を受け入れることはしませんでした。杉井さんのもと、沼津経営塾の皆さんと学んでいくうちに、少しずつ自分が変わってきたように思いました。損を受け入れることや、他力を集めることなど、学ばなかったら知らないまま人生を過ごしていたと思います。

今回のように学んだことを実践することで、自分の心が温かくなるのを感じたり、人から応援してもらえたりと、こういう行動の積み重ねが自分の人生になっていくのだと思いました。

『与える人が与えられる人。』
この言葉は、複写はがきの表紙に書いてある言葉ですが、最近やっとこの言葉の意味がわかってきました。
与えられるのを待っているのではなく、自分から与えること、与える行動をすること。
そうすることによって、自分の人生が豊かになっていくように思えるようになってきました。

「苺摘み」

5月18日 月曜日
おはようございます。皆さんコメントありがとうございました。
今度沼津経営塾の皆さんで、朝霧の雄大な富士山を眺めながら、BBQをやりたいですね。
今の外食産業では、室内飲食が敬遠されているようです。新たに、室外での食事のスタイルに注目が集まるのではないかと思っています。
これから色んなことが変わっていきそうですね。
でも、人と人のつながりは大切にしていきたいです。

2日目 富丘佐野農園(株) 佐野真史


「苺摘み」
皆さんコロナの影響はいかがですか?
れっどぱーるでは、事業の主体でもある苺摘みを4月3日から中止にしました。
世の中がコロナと騒ぎ始めた2月頃は、お店への来店客も、苺摘みのキャンセルもほとんどなく、ある意味、他人事のように思っていました。

3月になり、子供たちの学校が休校になり、段々と、先行きの不安が出てきましたが、海外旅行の自粛などにより、学生さんの苺摘みが多くなり、また、お子さんたちの面倒を見る年配の方々の来店が増え、思ったほど、影響はなく3月の3連休もたくさんのお客さんが来てくれました。
(噂ほど大したことはなく、時間とともに、収まっていくのだろう)
とその頃は軽く考えていました。

3月下旬ころから、各地で感染者が増えてきて、事態が急変したのは、4月に入り直ぐの事でした。

富士宮市でコロナ感染者が出てしまったのです。
4月の第一週の4/4(土)、4/5(日)の苺摘みの予約のキャンセルが入り始めました。
3月中には、キャンセルがあっても新規の予約が入ったりして、何とかなっていましたが、今回は違いました。かかってくる電話のほとんどがキャンセルの電話ばかりでした。

この状況を見て、私の中にも段々と不安が大きくなってきました。
(もし苺摘みのお客さんの中にコロナに感染している人が来たらどうしよう・・・。従業員さんにうつったらどうしよう…。れっどぱーるから感染者が出たらどうしよう・・・。)
考えることはマイナスの事ばかりでした。

悩んでばかりいても始まらないと思い、週末の予約表を見たら、答えがそこにありました。
ほとんどの予約はキャンセルで、残った予約は、数組ありましたが、その時点で腹を決めました。
(もう無理だ。今後のためにも、中止にしよう。)

4/2(木)に苺摘みの中止の決定をしました。

問題はこの後です。
ハウスの中には、週末の苺摘みのお客様用のいちごが真っ赤くぶら下がっていました。
(この苺をどうしよう・・・。捨てるにも手がかかる・・・。直売店と卸の苺は、従来のハウスの収穫量で間に合っている・・・。水を止めて枯らすしかないのか?)
色んなことが浮かんできました。でも決めた以上何とかするしかありません。

こんな時杉井さんならどうするかな?
と自分に問いかけてみました。3月の沼津経営塾の時に、
「こういう時は、利益を求めないほうがいい。人の為に行動したほうがいいと思うよ。」
と、皆に仰っていたこの言葉を思い出しました。

(そうだ。苺は好きな人が多い。こんな時だからこそ、損を受け入れ人を励ますようなことをしよう。)

私は、れっどぱーるの立ち上げの頃を思い出し、お世話になった方や、大事な方々に苺を配ることにしました。(苺を食べてコロナに負けないでください。)そう思いながら発送したり、直接手渡したりしました。
真っ赤く色付いた苺は美味しくて、皆さんに喜んでもらい、自分も嬉しくなりました。

まさか今になってまた苺を配るようになるとは思ってもいませんでしたが、立ち上げ当時の一生懸命さを思い出し、とにかく行動する事を意識して、多少の損は受け入れ、沢山の人がどうしたら喜んでくれるかをもう一度真剣に考えるきっかけをいただきました。
以前杉井さんから教わった船の帆の話と、魚の群れの話を思い出し、今のうちは売り上げにつながらなくてもいいから色んなことを試してみることにしました。

「バーベキュー」

おはようございます。今日から一週間ブログ当番を担当させていただきます。富丘佐野農園の佐野真史です。
緊急事態宣言が解除になりましたね。日本の経済の事が心配になりますが、消費者の消費活動は、どうなっていくのでしょうか?
昨日富士市まで苺の納品に行ってきたのですが、思った以上に道路がすいていました。
緊急事態宣言解除といってもすぐには皆さん活動しませんね。巣ごもりが慣れてしまったのでしょうか?
元の生活に戻るまで時間がかかりそうですね。

1日目 富丘佐野農園(株) 佐野真史

「バーベキュー」
〇久旅館の久弥さんのブログを読んで、私も無性にバーベキューがしたくなり、子供たちを誘ってバーベキューをすることにしました。

子供たちも、コロナウイルスの影響でどこへも出かけられず、家の中で勉強らしきことをしているものの、勉強よりも体を動かすことのほうが好きなタイプなので、だいぶストレスが溜まってきているようで、大声で部屋の中で歌を歌ったり、携帯ばかり見ているので、気分転換にいいだろうと思い、仕事が終わってから納屋でバーベキューを行うことにしました。

野菜のカットは長女・次女に任せ、長男には鍋でお米を炊いてもらうことにしました。
若いころに使っていたキャンプ道具の中から、炊飯用の鍋を取り出そうと物置の荷物を動かしているうちに、ホワイトガソリンのコンロや、テント、タープなどが出てきて、キャンプの楽しかった思い出が、蘇ってきました。

当時、保育園児だった長女・長男と一緒にテントを立てたり、テーブルの脚を組みたてたり、井戸水でお米を研いだり、夕飯の料理をしたり色んなことを思い出しました。

ちょうどそこに長男が来たので、テントや、コンロを見せ、楽しかった思い出を覚えているか聞いたところ残念なことに、うっすらとしか思い出せないとのことでした。(涙)
でも、また家族でキャンプに行きたいという話になり、
大きくなった子供たちとするキャンプもいいな。
と楽しみが出来ました。

鍋に米を入れ、研いでもらい、カセットガスでの火加減の調節を説明して、炊いてもらうことにしました。
その間に私はお肉の買い出しをし、テーブルと椅子の準備をして、徐々に支度が整っていき、お米当番の長男もお米を炊きながら準備の手伝いをしてくれ、とても助かりました。
長女と次女は野菜を切り終え、こんなちょっとしたことですが、子供の成長を感じて、嬉しくなりました。

その後、両親と、嫁さんも合流し、納屋の中ですが、楽しくバーベキューをすることが出来、子供たちも、外に出ただけの食事でしたが、気晴らしになったようで、ニコニコしながら食事を楽しみ、話の中で長女と次女もキャンプに行きたいと言い出し、コロナが治まったら行こうね。と約束をしました。

コロナの影響で、大人も子供も窮屈な生活をしていると思いますが、ちょっとした工夫で雰囲気を変え、あるものを上手く利用して、今の状況を楽しめるように工夫していこうと思いました。

グッドラックの言葉

5月16日(土)

おはようございます。
ブログ一週間担当させていただいて、ありがとうございました。
明日からは、佐野さんが担当させてくださいます。
どうぞよろしくお願いいたします。

(グッドラックの言葉)

 今回、ブログ当番をさせていただいて、ありがとうございました。
 三島の方へ来させていただいて、自分が初めて来たときの事を思い出します。そして、色んな人にお世話になり、今があります。
 そうしたことを忘れてはならないと感じています。

 杉井先生に教えていただいた本で「グッドラック」という本があります。
 その本は、幸せのクローバーを2人の騎士が見つけに行くという内容なのですが、その本の中には、13個の言葉があります。
 13個の言葉は、2人の物語に合わせて書かれていて、森のどこかに生えるクローバーを探しに行きます。
 寓話の本なのですが、自分自身の行動に置き換えて考えてみると、自分の行動の指針になります。
 その中で2つ目の言葉を紹介させていただきます。
「誰もが幸運を手にしたがるが、自ら追い求めるのはほんのひとにぎり」
 1番初めに、2人の騎士が、森の中へクローバーを探しに行くという所で紹介されている言葉なのですが、私は、この言葉が1番大切なのかなと個人的に感じています。
 初めて読ませていただいたのが8年前で、当時はこの本を読んでもよく分かりませんでした。しかし、見つかるか分からない森の中にクローバーを探しに行くという、本の内容でもあるように、自分が行動をしないと何も変わらないことを、本を通して教えて頂きました。
 挑戦したり、準備をしたり、まず自分でやろうと思わなければ何も始まっていきません。
 自分の行動を振り返り、四つ葉のクローバーを探しに行っているのか?と自分自身に置き換えて、行動していきたいと思います。
 ありがとうございました。



普段の日常

5月15日(金)

おはようございます。
本日もブログ担当よろしくお願いいたします。

春蘭の宿さかえや 古橋幹大

(普段の日常)

 全国で、緊急事態宣言の解除がされるというニュースがありました。
 収まってくれたなと思うのと同時に、以前の日常が本当に有り難いことなんだなと日々感じています。
 学校への登校もはじまり、三島の町でも、学生服をきた生徒が学校へ通うようになりました。
 そんな姿をみて、今のこの状況でこうして仕事をさせていただいたり、生活させていただけていることが、有り難いことなんだなと思います。
 
 以前、教えていただいた言葉で、「飲水思源」いんすいしげんがあります。
 調べてみると、中国の故事成語の1つで。井戸の水を飲むときには、井戸をほった人の苦労を思え、という解釈で、現代では、物事の基本を忘れたはいけないということ、ほかの人から受けた恩を忘れないようにすること、として使われています。
 最近のコロナ禍の中で、日常が少しずつ戻ってきているように感じますが、まだまだ首都圏などでは自粛が続いていますし、医療関係者の方は大変な想いをしていることと思います。
 私にできることはなんだろう、と考えた時に、そうした今でも大変な想いをされている人のことを忘れずに、今の生活を精一杯生きないといけないなということなのかなと思います。
 こうして、働かせていただいているのも、社長のおかげがあってのことです。
 有り難いのように、今の自分に出来ることを、きちんと行って、力になれるように、努力していきたいと思います。
 ありがとうございました。




1つ登りきる

5月14日(木)

おはようございます。
ブログ担当よろしくお願いいたします。

春蘭の宿さかえや 古橋幹大

(1つ登りきる)

 先日、このGWが明け、シロアリが出てきてしまったというお宅へ、床下調査へ行ってきました。
 床下調査というのは、家の床下へ潜り、シロアリがいるのかや基礎部分の点検が主な内容です。
 この日、GW明けということもあり、ヤマトシロアリのシロアリが群飛する時期でもあります。その為、同じ日にアパート、家と2件の床下調査をさせていただきました。
 既にシロアリが出てしまっているということでしたので、図面へ印をつけながら写真を撮り、後から見て分かるようにしていきました。
 結果、来週は現場でのやることが詰まってしまっているため、今週末にやらせていただくことになりました。
 
 私は、このことから何事も出来るようになるまで覚えたり、形にしておく、というのが大切なことなのかなと思いました。
 シロアリの点検は海野さんのところで、お世話になっていた時に、床下の木の名称からどこからシロアリが出やすいのかなど教えていただきました。
 調査の前日に、何年ぶりに調査するのでその時になり困らないようにしたいと思い復習しておきました。
 作業をするたびに、確認したり、教えてもらうというのは、教えてもらう人の時間を奪ってしまったり、自分にも技術や知識として残らないので、時間がかかってしまいます。
 今回のことで、1つ階段を登り切り、形にするまでやることで、自分に残りそれが形になるのかなと感じたので、CLや普段の掃除の仕事でも形にして取り組んでいきたいと思いました。
 
 連日、暑い日がつづいておりますので、皆様、水分補給などしてご自愛ください。
 ありがとうございました。



私のお客様

5月13日(水)

おはようございます。
ブログ担当も4日目になります。こうしてブログ担当をさせて頂きまして、ありがとうございます。
本日もブログ担当よろしくお願いいたします。

春蘭の宿さかえや 古橋幹大

(私のお客様)

 私は、社会に出て、こうして仕事をさせていただいてもう8年くらい経ちます。
 その中で、建設業、旅館の仕事を経験させていただきました。
 振り返ってみると、仕事の基本として、大切なことは変わらず、「自分のお客様は誰か?」という部分が大切なのだと感じています。
 今日は、仕事においての「私のお客様」について書かせていただきたいと思います。

 私は、三島へきての頃、杉井先生からこの「あなたのお客様はだれですか?」ということを勉強させていただきました。
 この「お客様は誰か」というのは、ドラッカーの教えになります。
 私は、普段、旅館の仕事で、旅館にきていただいたお客様の使用するお部屋を用意したり、使用したお部屋の掃除をさせて頂いています。
 これは、簡単にいうと、私のお客様が、社長だからです。
 お客様と聞くと、お金を頂く旅館に来ていただく人と思いがちですが、それは社長のお客様になります。例えば、私が、お部屋のおもてなしで、お花の好きなお客様が来ると聞いて、社長に確認もしないで、お花10万分勝手に買ってしまったら、旅館へきていただいたお客様は喜ぶかもしれませんが、私のお客様である社長からは、確認もしないで仕事をしたということで、喜んでくれません。

 私達、社員の仕事は、「社長がこういう会社にしたい」という想いを社長から任されてやることになります。社長が手を貸してほしいと頼まれて、私達社員が雇われています。
 社会人になり、このことを教えていただいたとき、正直よく分かりませんでした。
 なんで、お客様が喜ぶことをしてはいけないんだろう?と思ったのを覚えています。
 会社は、社長の想いを実現するために集まった所のようだと私は考えていて、給料をいただきに行く場所ではありません。
 私が会社に、今、求められているものは何だろう?というのが、簡単そうに見えて、奥が深く喜んでいただけるように仕事をしようという基本を思い出させてくれます。
 社会人としての基本をこうして、初めに教えてくれる会社が少ないです。
 会社に期待されていることが、わかり、お客様を喜ばせるという、たった1つの仕事ができるように、これからの仕事を通して頑張りたいと思います。

 ありがとうございました。




朝の掃除

5月12日(火)

おはようございます。
今日もブログ担当よろしくお願いいたします。

春蘭の宿さかえや 古橋幹大

(朝の掃除)

 私は、今うみのワークスさんでお世話になり仕事をさせていただいています。
 うみのワークスさんでは、朝の掃除といって、6時50分か7時20分の間、近くの小学校の北門にある階段の掃除をしております。
 今日は、そこで学ばせていただいたことについて書かせていただきたいと思います。
 
 私が、朝の掃除をしていて、感じたことは、「掃除は色んなことを学べる」ということでした。
 以前の私は、自分が「自分との付き合い方が上手くなりたい」思うことが多く、それに向けて、気分本位にならないように掃除をしながら、暗い表情をしないように笑顔を作るという課題など、「自分の課題」をしていました。
 今、2週間ほど掃除をさせていただいて、今の課題はなんだろう?と振り返ると、自分のことだけでなく朝の掃除のリーダーのIさんの力になれるように、ここを綺麗にしよう、いつも手を付けずらい側溝の掃除や塀についた苔の掃除をしようと、色んな所へ目を向けて、掃除をするようにしていました。
 そうしてみると、「掃除をする」ということから、色んなことを学ばせていただいているなと思います。
 「トイレ掃除に学ぶ会」でも、トイレ掃除を学ぶでなく、トイレ掃除に学ぶといった事から、何を学ぶのか、といった自分の課題と向き合うことが大切だなと改めて朝の掃除から教えていただきました。
 これからも、掃除から学んでいけるように観察を大切にして過ごしていきたいと思います。
 ありがとうございました。



捉え方

5月11日(月)

おはようございます。
皆様、コメントをありがとうございます。
こうして、ブログを担当させていただいて、振り返るきっかけをいただけたことを嬉しく思います。
本日もブログ担当よろしくお願いいたします。

春蘭の宿さかえや 古橋幹大

(捉え方)

 このコロナ禍の期間中、不要不急の外出を控える自粛をしておりました。
 この先、どうなるんだろうと思いながら自粛していると、自分の家から出られないのは、大変だなと思うようになりました。
 また、捉え方によっては、この自粛をする期間の中で、何かを変えたり成長するチャンスでもあるなと感じるようになってきました。
 
 一部の地域で、段階的な自粛の解除があり、少しずつ人の出が戻っているというニュースを耳にします。
 お店を経営したり、自粛をしてきた方がこれからだぞと戻っていく姿が見れるのが良かったと思う反面、感染の第2波は大丈夫だろうかと心配する私も自分もいます。
 そんな中、新しい取り組みとして、私は、休日の日の運動を多くするといったことを、初めて見ました。
 運動をしていないと、体がなまってしまうと思い、始めたのですが、気力を充実させるようで、効果が高いなと思い、1、2時間ほど運動をするようにしています。
 正直、自粛といった流れのある中、外での運動は不適切なのかもしれません。しかし、捉え方によっては、成長をするチャンスと捉えて、勉強したり、ここで何をするのかと時間をとれるといった面もあり、自分の捉え方次第で、この状況も変わるのだなと思います。
 自分の捉え方次第で、変わるのが嬉しく、まだまだ変えられるチャンスは転がっているなと思います。
 皆様も、何か初めて見たことなどありますでしょうか。
 一緒に乗り越えていけたらと思っています。
 
 ありがとうございました。

お礼

5月10日(日)

おはようございます。
鳥居さんから、ブログを引き継がせていただき、今日から担当させていただきます。
このご時世、暗くなりやすいですが、ブログから元気をお届けできればと思っています!
どうぞよろしくお願いいたします。

春蘭の宿さかえや 古橋幹大 

(お礼)

 私は、今、静岡県のうみのワークスさんでお世話になり、働かせていただいています。
 え、なんで?と思う方もいるかもしれませんが、このコロナの影響で旅館業は、自粛をしております。そこで、以前働かせていただいていた海野さんの所で、私ともう1人Iさんの2人が働かせて頂くことになり、お世話になっています。
 こうして働かせていただいて、本当に有り難いと思っております。うみのワークスの皆さん、受け入れてくださり、本当にありがとうございます。

 こちらの三島へ来るのは、3年ぶりになります。
 3年ぶりに、塗装の仕事をするので、緊張もあり「上手く働けるかな、大丈夫かな」と不安がありました。
 しかし、いざ働いてみると、仕事が上手く出来ている出来ていないということよりも、私が不登校だった16歳の時三島へきて、海野さんのもとで働かせていただいたときのことを振り返ることが多いことに気がつきました。
 初めて、三島へきたのが8年前になりますので、振り返るとずいぶん自分との付き合い方が上手くできるようになったなと私ながらに感じます。
 作業をしていると、こんなこと前まで思っていたなとか、朝の掃除をしていると、海野さんからほうきの掃き方から気分本位にならないために何をしているのかといったことを1から教えていただいていました。
 思い返すことは一杯あるのですが、私が学ばないといけないことは、「受け入れてくださったからこそ、今がある」ということです。
 当時の私は、不登校で、今振り返ってもどうしようもない人だったと思います。
 そんな私を杉井先生のご紹介で、働かせて頂くことになり、受け入れてくださいました。
 このコロナ禍の中で、このような機会をいただいて、自分を振り返るチャンスをいただいたなと感じています。
 自粛期間の間、少しでも成長した姿を見せれるように努力していきたいと思います。
皆様も体調にはお気を付けてください。
ありがとうございました。






言い訳の名人

’20年 5月 9日   鳥居直樹

おはようございます。
 読んで頂き、どうもありがとうございます。

 皆様からの温かい応援のお蔭で、一週間やり切ることができました。
どうもありがとうございます。

七日目、よろしくお願いします。

「言い訳の名人」

 今から約40年前、私は、20歳で、東京で専門学校に通って、作曲を勉強していました。
(正しくは)学費と生活費を親から送ってもらい、勉強させて頂いていました。

 作曲の先生は、30代前半のバリバリの男性のN先生でした。
初めてのレッスンの時、N先生は こう話してくれました。
「基礎からやっていきましょう。~ 時々、基礎的なことが終わって(さて、これからおもしろくなって来る)という所でやめてしまう人がいる。・・・とてももったいない。・・・だから・・・続けていきましょうね。」

 (音楽で仕事をしていく)という目標を持っていた私は、その時、N先生のお話を聞いて、(もちろん続けていきます)と、頭の中でも言っていました。

 その後、頭の悪い私は、とても遅いペースでしたが、N先生の丁寧な指導のお蔭で、1年半くらいかけて、和声の基礎のカリキュラムを終える所でした。

 N先生のレッスンは、次の段階の「対位法」の勉強が始まりました。対位法の課題になると、私にとっては、とても難易度の高い内容になり、私は、出された課題に向き合わなくなりました。

 最初のレッスンから、2年経った所で、私は、N先生のレッスンを受けるのをやめてしまいました。
 < やる事が多すぎる >? < 音楽では、生活できない >?・・・その時、私がどんな言い訳を頭の中で言っていたかを、今は忘れてしまいましたが、作曲の勉強をやめる その正当的な理由が、私の頭の中で響いていたのです。

 自慢することではありませんが、(さあ、いよいよここからがおもしろくなって来るゾ)という所でやめてしまったことが、私にはいくつもあります。
 (もしも、あの時、そのまま続けていれば・・・?)・・・“後悔、先に立たず”です。

 同じような葛藤は、この歳になった今でもあります。
 一度は、「今年1年、CL(建設的な生き方)を身につける事に集中します。」と宣言までしたのに、もっともらしい言い訳をして、放り出そうとしたり。
 この沼津経営塾のブログ当番も、(もっともだ)と思われる言い訳を言って、ドロップアウトしたくなる。
 その、言い訳作りにおいて、私は名人です。

 残りの人生は、私の場合、あと10年くらいかも知れませんが。 二つの事。沼津経営塾のブログ当番 -これは、皆さんとのおつき合いの上で、ここからがおもしろくなっていく所。 再び実践し始めたCL -(こちらは、まだ序の口ですが、ここからが勉強し甲斐のある所。)そう信じて。

 杉井先生のブログへのコメント欄に、愛知の服部農園の奥様の服部さんが、とてもステキな言葉を投稿してくださいました。

「~ 地味なことをコツコツと続けて来た先で、見える景色が変わって来た。」という内容です。

 一人一人、人生のゴールは違っていて いい、と思います。

 裏方に徹して、役者を支えて、役者が最高の演技ができたことに生き甲斐を感じる人。
 はたまた、舞台の上で、全力を尽くして演技をして、観衆からの反応を直に もらえる人。
どこをゴールとするかは、その人が決めることだ、と思います。

 ただ、裏方さんを目指す人も、役者さんを目指す人も、今日やるべきことを、丁寧にコツコツと積み上げていくこと。地味な努力を続けていく姿勢が、ゴールに近づく最善の方法なのだと、服部さんのコメントを読み、気づかせて頂きました。

 服部さん。
どうもありがとうございます。

 そして、もう一つ。
今週、ブログ当番をさせて頂く中で、“遠きを図る”つまり< 長期的な視野に立って、今を行動する >に結びつく、新たな目標が見えて来ました。

 今まで、沼津経営塾の皆様のおかげで、数回のブログ当番をさせて頂きました。受動的な姿勢で参加している時もありましたし、能動的な姿勢の時もありました。いづれにしても、いくつかの記事を書いて発表することができました。

 この経験を踏まえて、「本を発表する」という新たな目標を持ちました。

 以前、杉井さんが、ブログ“杉井のひとこと”の中で、転職をする人へのアドバイスという内容で書いて下さった時があり、そこで「転職する職業を決める時には、今までやって来た仕事の延長線上にある職業から選んだ方がいい。」とおっしゃっていました。

 私の場合、これは職業ではありませんが、ライフワークとして、沼津経営塾ブログ当番の延長線上に「本を書いて発表する」を、長期的な目標に掲げます。

 CLを深く理解し身につけることと、その先に“本の発行”を夢見ながら、夢をかたちにしていきたいと思います。

 一週間、私の拙いブログを応援して下さり、どうもありがとうございました。

免疫力を高めるために

’20年 5月 8日   鳥居直樹

おはようございます。

 六日目、よろしくお願いします。
はじめに、 -
 誰もが予想していなかった新型コロナウイルスの世界中への蔓延のさ中、ウイルスに感染して、やむなく貴い命を奪われていった多くの方のご冥福を 心よりお祈り申し上げます。

「免疫力を高めるために」

 新型コロナウイルスの流行によって、世の中が今のような状況になっている時、できる限りの感染予防をすることが もちろん大切ですが、感染を防ぎきれずウイルスに感染してしまう場合もあると思います。
 万一、感染した時に備えて、一人一人が免疫力を高めておくことも大切だと思います。

 食生活との関わりで、免疫力を高めるためには、まず、物を よく噛んで食べることが大切です。よく噛んで食べると、自律神経のバランスが改善、また、唾液中の酵素が食品中の有害物質を抑制してくれます。

 そして、身の周りを見渡した時に、すぐ身近な所に、免疫力を高めるのに適切と思われる宝物があったのでした。
 それは、“甘酒”です。

1、<免疫力と体温>
 免疫(免疫とは、体内で発生したガン細胞や、外から侵入した細菌やウイルスなどを、常に監視し撃退する自己防衛システムのこと)と深い関係にあるのが、その人の基礎体温です。
 免疫力が旺盛な人の体温は、36.5度です。
 もし、体温が1度下がるとその人の代謝は約12%、免疫力は約30%以上落ちてしまいます。(35.5度の体温が恒常的に続くと排泄機能が低下したり、自律神経失調症や
アレルギー症状が出やすくなります。35度の体温は、ガン細胞が最も増殖する体温です)

 その、基礎体温を36.5度に保つのに効果的な方法の1つが、温めた甘酒を飲むことです。

2、<なぜ 手作りが良いのか?>
 市販されている甘酒の多くは、味の変化を防ぐために加熱殺菌されています。高い熱が加わってしまうと、その熱でビタミンが変成して 微生物は死滅し、貴重な酵素の活動が停止してしまいます。
 甘酒の恩恵を十分に味わいたいのなら、手作りがおすすめです。

3、<甘酒の種類>
イ)酒粕と砂糖から作る甘酒
 - これは、名前のごとく、酒粕をお湯で溶き、それに、砂糖で甘みをつけたものです。カロリーが高いことと、アルコールが残っているものもあるので、子どもには おすすめできません。
ロ)米麹とお米から作る甘酒
 - こちらの甘酒の特徴は、お米のミネラル分がそのまま残っている点、糖類を使わないのでカロリーが低い点、アルコール分がゼロで、子どもでも飲めるという点、甘みの主成分がブドウ糖である点などです。
 そして、免疫力を高めるのに適した甘酒は、この“米麹とお米から作る甘酒”です。

4、<腑に落ちる物語>
 新型コロナウイルスも意味のあるものです。
 もし、世界中に新型コロナウイルスが蔓延するという事態が起こらなければ、私は、甘酒の価値に気づかなかったと思います。
 私は(この世に、無意味なものは何一つとしてない)という思いを強くしました。

 私の生まれ育った清水町新宿(しんしゅく)界隈は、甘酒と濃い接点があります。
清水町新宿には、甘酒の原料になる麹を作っている麹屋さんが多かったのです。今は、酒店など他の業種に転換したお店もありますが、直径600メートルの円の中に、4軒の麹屋さんがありました。

 そして、その麹の原料は お米ですので、この新宿界隈には、米屋さんも多かったのです。
 実は、私も、10年以上前までは、米屋を経営していました。しかし、私の力不足のため、5代続いていた米屋を つぶしてしまいました。

 私は今年で満60歳になります。今までの人生の中で数多くのことに手を出して来ましたが、何ひとつモノにしたものがありません。
 それも、何かの縁かも知れません。
 今、私は、甘酒の良さを世界中に発信していこうと思っています。

 これが、私の“腑に落ちる物語”です。

5、<甘酒の作り方>
 甘酒の作り方は、こちらを参照してください。
甘酒の作り方

Kさん

’20年 5月 7日   鳥居直樹

おはようございます。
 静かなお休みの中、読んで頂き、どうもありがとうございます。

 今週のブログ投稿では、息子Tに応援してもらい、写真を貼り付けたり、他ページへリンクさせる事ができました。
(私は、周りの人から支えてもらい生かされている)という事に、気づくことができました。

さて、次週のブログ当番も募集しています。

 五日目、よろしくお願いします。

「Kさん」

 最近、私の車をよく利用してくださるお客様に、Kさんという女性のお客様がいらっしゃいます。

 私は、2-3年前に初めてKさんをお乗せしたことがありました。その時に、Kさんに気に入ってもらい、2-3回利用してもらえました。
 その後 2年くらいは、Kさんとお会いする機会がありませんでした。私が勤めているタクシー会社に女性ドライバーが3人入社して来たりして、暫くの間、Kさんは、女性ドライバーのうちの一人のドライバーさんを よく利用されていたようです。

 二ヶ月ほど前に 会社へ出勤すると、所長から「鳥居さん。Kさんというかたから今日午前10時に“ご指名”の仕事が入っているけど、いい?」と尋ねられました。
 Kさんはずっと、その女性ドライバーさんと もう一人 日勤シフトの男性ドライバーさんを指定して利用されていたのですが、何か事情があって、2年くらい前のことを思い出して、私にご指名下さったとのことでした。
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 私は、その日のKさんからのご指名を引き受けることにしました。
 その日、予約時刻にKさんをお迎えに行き、乗務をして、Kさんのご自宅へ到着して数個の荷物を2階の玄関ドアまで持っていくと、Kさんは「ありがとうございました。」と
笑顔で言って下さり喜んでいるご様子だったので、私は ほっとしました。
 その時 Kさんは「鳥居さん。次もお願いしたいんだけど、〇日は大丈夫?」と聞かれました。Kさんが指定された日は出勤日でしたので、私は、再度、引き受けることにしました。

 指定日にKさんをお迎えに行くと、Kさんは、そのあとの私の予定を尋ねられました。私は、勤務シフト表を見ながら、Kさんからの依頼をお受けできる日は、引き受けることにしました。
 ただ、その時点で ご予約を受けていても、万一、私が何かの事情で欠勤してしまうこともあります。又、たまたま お乗せしたお客様の目的地が 県外の遠方だった為に、その後に控えていたKさんの乗務ができなくなってしまう場合だってあるかも知れません。そういう事が起きた時の為に、私の連絡先として、私は自分の電話番号をKさんに伝える事にして、メモを Kさんにお渡ししました。
 すると、Kさんは、バッグの中から名刺を出して、私に手渡してくれました。それは、手作りの名刺で、そこには、お名前と住所と携帯電話の番号が書かれていました。
 その日も、Kさんの乗務を無事に完了させることができました。私は、一日の乗務を終えて帰宅してから、頂いた名刺を、ハガキ書きの道具を入れる小物入れの中の、名刺用のポケットへ入れておきました。

 10日ほど経ったある晩、私は、ある方にハガキを書くことに決めて、住所を調べる為に、小物入れの中の名刺入れを取り出し、その方へのハガキを書き終えました。

 ちょうど、その名刺の上にKさんから頂いた名刺があり、私は 少し迷いました。
(Kさんが私を指名して下さるようになった。ここで、私からKさんに対して何の行動も起こさないでいて、そのうち何かの事情で、Kさんと疎遠になってしまったら、それも寂しいなぁ。)
そう思い、私は、Kさんにハガキを書くことにしました。
 そのハガキを書き始めて、(差出人の住所をどうしようか?)と、少し考えました。私は、乗務員になってから今までに、二人のお客様へハガキを書いたことがあります。そしてそのハガキの差出人欄には、会社の住所と会社名を書き、その後に“乗務員 鳥居直樹”と、書きました。
 少し考えて、Kさんへのハガキの差出人欄には、私の自宅の住所を書きました。

 私は、そのハガキに、私を指名して下さったことのお礼と、“お気軽にご利用下さい”という内容の文を書き、翌朝、投函しました。

 その次の Kさんの乗務の時、いつもと同じような会話をかわし、無事 乗務を完了しましたが、Kさんは、私がお送りしたハガキの事については何も仰らなかったので、(もしかしたら、まだ、ハガキが届いていないのかな?)と、私は思いました。

 そして、今から一週間ほど前に、自宅の郵便受けから郵便物を取り出すと、1枚のハガキが届いていて、なんと、それは、Kさんが送ってくれたハガキでした。
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 差出人のKさんの名前を見て、また、片面いっぱいに、数輪の花を写した写真を貼り付けて下さってあり、そのおハガキを手にして、私は、とても嬉しい気持ちになりました。
 乗務員の仕事を始めてから、初めてお客様から おハガキを頂き、私の嬉しさは何にも代えがたいものでした。

 直近の、3日前の勤務で、Kさんをお迎えに行くと、Kさんは、乗車されるなり「鳥居さん。先日は、おハガキをどうもありがとうございました。とても嬉しくて、宝物のように大切にとってあるんですよ。」と言って下さいました。私は「こちらのほうこそ、ステキなお花の写真のおハガキをどうもありがとうございました。」 Kさん「あれは、つつじです。自宅の近くへ行って、私が撮ったんですよ。」 「あの花は、つつじだったんですね・・・。」と、会話が弾みました。

 Kさんのマンションに到着し、数個の荷物を、2階のドア前まで持って行き、Kさんと別れる時、いつも、Kさんは、にこやかに笑ってくれます。
 そのKさんの笑顔に接し、(この自分でも、Kさんのお役に立てたのかな?! ・・・良かった。)と、やり甲斐を感じさせて頂いています。

 乗務や、ハガキのやり取りも含めて、Kさんに対して、私が できるだけのことをして差し上げることによって、Kさんの気持ちが楽になって、今後 Kさんが先入観なく、私以外のドライバーの車にも、抵抗なく乗車されるようになるといいなぁ、と私は思っています。

 最近の乗務の中で、Kさんが私の都合を尋ねられた時に、Kさんの希望と私のシフトとが合わない日がありました。Kさんは「では、その日は他のドライバーさんにお願いするわ。」と、仰いました。 (これは、少しずつ いい方向へ進んでいるかな?! )と、私は、内心 喜んでいます。

 Kさんから お仕事を頂けたり、私が乗務員の仕事を楽しむことができるようになったのは、経営塾の皆さんとおつき合いさせて頂き、ハガキによるコミュニケーションを学ばせて頂いているお蔭です。

 どうもありがとうございます。

 

繕 -私の生きがい

’20年 5月 6日   鳥居直樹

おはようございます。
 読んで、噴き出してしまう(この状況下に不謹慎にも)
コメントを送ってくださり、どうもありがとうございます。

あっ! 昨日は、杉井先生のブログへリンクできずにすみませんでした。
 今日は、リンクしますので。
自己受容と承認欲求

四日目、よろしくお願いします。
「繕 -私の生きがい」

 私は、< 残った人生の時間の中で、何を“生きがい”としますか? >と問われると、「繕」という漢字一文字に つき詰められます。

 物でも、事でも、人間関係でも、壊れかけたそれを直すこと(修繕する)を、これからの私の“生きがい”にしていこうと思っています。

 少し前、3月27日に、半日かけて、長男Tと妻と私は、山中湖村で保険代理店“安心サービス”を経営している天野さんを訪ねて来ました。
 天野さんを訪ねた目的は、妻が、加入している保険のことでアドバイスしてもらいたい、というものでした。

 午後3時前に、安心サービスさんに到着してから、天野さんの奥様が、妻の相談に応じて下さいました。
 長男Tも一緒に来たことを知ると、天野さんは お忙しい中「せっかくここまで来たのだから・・・。」と、山中湖周辺の名所へ、Tと私を案内して下さいました。

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 その日は、風がとても強くて、時折 雨混じりになったので、前半は、天野さんが車中から案内してくれました。

 途中で、天野さんは「山中湖研修所(杉井さんのログハウス)にも寄ってみましょう。」と言って、その日は使用されていなかったログハウスの敷地へ入って行きました。

 天野さんは、運転席からログハウスの玄関を暫く見ていました。
 それから「ちょっと行って直して来ますから。」と言って、強風の中、玄関まで歩いて行き 階段を上って、強風のせいで倒れていた傘立てを立て直してから、車へ戻って来られました。

 私は、その日、帰宅してから、その時のことを思い出して、
― “倒れていた傘立てを立て直す”ということは、小さなことで、そして、誰にでもできることです。でも、傘立てが倒れていることに気づく人と気づかない人がいる。また、それに気づいても、何も行動しない人と、天野さんのように、さりげなく直してくれる人がいる。
 < 私は これをしてやったんだ > と大上段に振りかざす事なく、そのような ちょっとした事でも“人にして差し上げる”という行動をしている天野さんは すごいな、と思ったのです。
 天野さんのCLインストラクターたる ゆえんだなぁ、と思いました。
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 私の生きがいとする“繕”にもどりますが、
妻の実家での、棚の締めつけの一件以来、壊れかけたモノを直すことをやり始めました。
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 我家では、食材を“生活クラブ”という所から共同購入しています。この場合、購入者は近隣の人と班を作ります。うちの班は4軒で構成されていて、毎週 決まった曜日に、全班員の食材が我家の玄関まで配達されます。

 前から気になっていたのですが、配達された食材を入れておく、いくつかある発砲スチロールの箱のうちの1つのフタが割れていました。長い間、応急処置として、ガムテープで
つなぎ合わせて使っていましたが、無理があり、また割れてしまいました。

 私は、休日に、長男と一緒に、フタを作ることにしました。
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 自慢できるような物ではありませんが、長男の協力を得て、完成させることができました。
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 班員のかたが、それぞれの食材を取り分ける時に、少しでも気持ち良く作業してもらえるといいなぁと思います。

 これからも“繕”を生きがいにして、私の周りのいろいろなモノを直していきます。

 どうもありがとうございました。

「自己受容」から「四股重要」 「其処重要」へ

’20年 5月 5日   鳥居直樹

おはようございます。
 お休みの貴重なお時間の中、読んでいただき、どうもありがとうございます。

三日目、よろしくお願いします。

「“自己受容”から“四股重要” “其処重要”へ」

 私は、今年の2月18日から、ある先生のブログへコメントを投稿するようになりました。

 そのかたは、幸せな人生を作るのに為になる内容のブログを、毎日更新してくださっています。

 それまでも、私は、毎日、そのかたのブログを読んでいましたが、コメントを送ることは、していませんでした。
 そのかたのブログのコメント欄を開いてみたら、毎日、150人を超えるかたがたが、コメントの投稿を続けていらして、私はびっくりしました。

 (単なる冷やかしになってはいけない)(このブログコメントを続けよう)という気持ちで、その日から、コメントし始めました。

 コメント欄を開き、知人のかたが投稿したものを読むと、そのかたのお顔が浮かんで、そのかたのお声が聞こえて来ます。一人一人のコメントにはそのかたの味がよく出ていると思います。

 その、継続してコメント投稿されている方の中に、たてっちさん、にしっちさん、くろっちさんという、とてもユニークな御三方がいらっしゃいます。

 ご存じのかたもいらっしゃると思いますが、たてっちさんは、優れた落語家で、私とほぼ同年代のかたです。
 たてっちさんの凄い所は、大元のブログの“今日のひとこと”という、先生の締めくくりの言葉をアレンジして、独自の世界を表されることです。

 そして、8年半もの間、毎日コメントし続けていることと、読んだ人を楽しませてくれるという姿勢において、ブレることがありません。

 さて、私は、先生のコメントに参加し始めましたが、33日めには、息切れしてしまいました。(この辺りでやめようよ。若者たちに勝ちを譲って。 “三日坊主”ならぬ“三十三日坊主”・・・いかにも鳥居らしいや!? )という言い訳が頭の中に浮かんでいました。

 (やり始めたことを、また ここで放り出してしまう)という敗北感を感じながら、その日のコメント欄を読んでいると、たてっちさんの次のようなコメントが、私の目に飛び込んで来ました。

☆人に 笑われた人が勝ちです!
(笑ってくださった鳥居直樹さんのおかげです)

 私は、声を出して笑ったのはもちろん、たてっちさんのコメントに感激してしまいました。
その日の、大元の先生の“今日のひとこと”は、

「人に かわいがられた人が勝ちです!」でした。

 その たてっちさんのコメントを読んだことで、私の上に覆いかぶさっていたお化けは、いっきに吹き飛んで行きました。

 たてっちさんのコメントに勇気づけられて、私は、今日まで、コメントの投稿を続けることができています。

 新型コロナウイルスの感染が、今なお拡大しています

 万一、ウイルスに感染してしまった時の為に、免疫力を高めておくのが大切です。

 そして、“笑うこと”は、私たちの免疫力を高めてくれる大きな要素です。
私は、たてっちさん、にしっちさん、くろっちさんのコメントを読んで、つい噴き出してしまいます。

 免疫力を高めるのに、御三方のコメントを読むことを利用させて頂いています。

 生かされています。

 たてっちさん、にしっちさん、くろっちさん。どうもありがとうございます。

 また、私は“とりっち”という名前で、たてっちさん達に便乗して、悪ノリのコメントを投稿する時があります。

 毎日、誠実に、丁寧にコメントしているかたから見れば、私のやっている事は、(60近いオジンが、人のコメントに悪ノリしているだけ) (今の事(目先の事)しか考えていない くだらない奴)と思われているかも知れません。

 さいわい、大元の先生から(今の所は)締め出しを食らっていません。

 私のやっている便乗コメントの投稿は、一見くだらない事に見えるかも知れませんが、あの日のたてっちさんのコメントが、私を救ってくれたのです。

 私も、お返しをしていかなければいけません。

 もう一つ、忘れてはならない事 - 
このように、きわめてユニークな、たてっちさん、にしっちさん、くろっちさんとの会話を楽しむことができること、それによって生きる元気を頂いていること。その一番の源は、暑い日も、寒い日も、どんなに大変な状況の中でも、杉井さんが、ブログ“杉井のひとこと”を更新してくださっているからなんです。

杉井先生。
 どうもありがとうございます。

自己受容についての、杉井先生のブログは、こちらをご覧ください。
自己受容と承認欲求

開かなかったら、“杉井のひとこと”の、’20年 3月29日を、ご参照ください。

嘘つきは 嘘つきに ほかならない

’20年 5月 4日   鳥居直樹

おはようございます。。
 読んでいただき、どうもありがとうございます。

二日目、よろしくお願いします。

「嘘つきは嘘つきに ほかならない」
 前回のブログ当番の時に、私は“一年で1つに絞る”というタイトルで「1年かけて、CLインストラクターを目指します。」と宣言しました。

 しかし、それから約三か月経った 今、私は、その目標をあきらめかけていました。
どうして あきらめかけていたのか? 1つの理由は、このブログ当番です。数か月に1度まわって来るブログ当番の為に、能力の低い私は、1度ブログ当番を終えたその翌日から、次回 当番がやって来るときの為に記事を書きためていかなければ、ブログ当番という仕事をまっとうすることができません。

 CLインストラクターになる勉強をする為には、沼津経営塾のブログ当番から はずしてもらう。今までの私は、そう考えていました。
 Aをする為には、Bをやめる必要がある。この考え方が、私の中に 深く根付いていました。
 それで、初めの目標をあきらめかけて、いつの間にか、自分一人で、ほかの目標を掲げて着手し始めていました。

 その時、どこからともなく、杉井さんや、沼津経営塾の輿水さんや小野さんの声が聞こえて来ました。

「今まで続けていることに新しいことを くっつけるようにすれば・・、例えば、毎日続けている掃除に<あいさつをする>という事をくっつければ、新しい事を定着させやすいよ。」と、輿水さんのお声が。

「アンドの考え方でやればいいんですよ。」と、小野さんのお声が。

「『AとBの両方を手に入れる方法はないか?』と考えてやって来ました。」と、杉井さんのお声が。

 そのように、今までに、皆さんから分かち合って頂いたお知恵が 私の頭の中に響いて、
私は(!そうか。CLをきわめるということとブログ当番をくっつけてやっていけば良いではないか!)と、ひらめくことができました。

 “1度「CLインストラクターを目指します。」と発表したのに、ちょっと困難さを感じたら、ほかの目標に すり替えてしまうなんて。それでは、あなたは嘘つきですね。”という神様の声が聞こえて来ました。
 嘘つきは、嘘つき以外の何者でもありません。私は、今までの人生を そうやって、目標をすり替え、ちょっとやってはすり替えて、それを繰り返して生きて来た、という事実に気づきました。

 でも、このブログを通して、1度皆さんに宣言したからには、もう少し粘ってみます。

 今年のブログ当番では、CLをきわめていくことに関連した内容も書いていこうと思います。
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   CL(建設的な生き方)教育法
1、 Constructive Livingとは -
・CLについて説明したいと思います。
 CLの「C」は、コンストラクティブという言葉を略したもので、「建設的な」という意味になります。また、CLの「L」は、リビングの略で、「生き方」という意味です。この二つを合わせて「建設的な生き方」という名前の教育法のことをCLと呼びます。

 CLは、日本で作られた森田療法と内観法がベースとなった教育法です。
 森田療法は、慈恵医大の精神科医であった森田正馬先生が、神経質な人の治療のために作った精神療法です。
 また、内観法は、企業家であった吉本伊信先生が、浄土真宗の「身調べ」から宗教色を抜いて作り出した研修法です。
 この二つの考え方を、アメリカ人の文化人類学者のD.Kレイノルズ博士がアレンジして作り出したものがCLです。

2、 CL森田とは -
(1) 森田療法の考え方・・・・・森田療法は、“森田神経症”という神経質の治療方法として世界的に有名になった精神療法で、その基本には円環論という考え方がベースにあります。円環論とは、問題を取り除こうとすればするほど、その働きかけが問題への固着を高め、さらに問題の中へはまっていくという考え方です。

 例えば、お酒をやめようと思えば思うほど、かえってお酒が飲みたくなる。あるいは、指の一部がささくれてしまった時に、どうしてもそこが気になって、片方の手でその部分をつついてしまいます。その結果、ささくれ状態が、もっと悪くなってしまいます。そしてまた、同じ所をつついてしまう・・・。
 このように、何か嫌なことを気にしないようにしようと思えば思うほど、かえって気になる。こうした状態を森田療法では神経質な状態といいます。

 一般的なメンタルヘルスやカウンセリングでは、そうした神経の固着を取り除こうと働きかけますが、森田療法では、それは自然なことと捉えて、基本的に取り除こうとしません。取り除こうとすると、かえって意識がそこに向くことがあるので、取り除こうとするのではなく、それをあるがままに受け入れて、自分に出来ることをしていくことを勧めているのです。
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 CLの復習。今日は、ここまでにしておこうと思います。

どうもありがとうございました。



 

内観に関連して

’20年 5月 3日         鳥居直樹

おはようございます。。
 室伏 剛さんより、ブログのタスキ、確かに受け取りました。
今日から、一週間、私におつき合いのほど、よろしくお願いします。
 では、一日目、よろしくお願いします。

「内観に関連して - 妻の実家での出来事」

 CL(建設的な生き方)では“内観”をします。
 内観とは、「人からして頂いた事実」と「人にして差し上げた事実」と「人にご迷惑をおかけした事実」を認める、というものです。

 内観をすると、私は、「人からして頂いたこと」を思い出して書くことはできるのですが、「人にして差し上げたこと」を、何も書くことができません。

 それは、現実に、私が人に対して何もして差し上げていないからなんです。

 そんな私でも、最近(もしかしたら、これは「人にして差し上げたこと」になるのかな?)ということがありましたので、それについて、書かせていただきます。
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 私は、義母のお宅(妻の実家)へ、定期的に、日田〇△水という12リットル入りの飲料水を配達しに伺っています。いつもは、義母は、地域の行事や犬の散歩に出かけているので、私が配達した際に会うことは、ほとんど無いのですが、たまたま、先日伺った時には、いらっしゃいました。

 私が「お水、どこに置きましょうか?」と尋ねると、義母は、食堂の一角を指さして
「今度、お水を置く棚を作ったから、あそこへ置いてくれる? ただ、私が組立てたから少しぐらぐらしているけど・・・。」

 そこには、ホームセンターで購入したと思われる、キット式の、高さ70センチくらいの木製の棚が置かれていました。
 3段くらいに仕切られた棚には、ホームベーカリーの機械と その材料、その他の物が既に置かれていました。

 私が、その棚の最上段に、水の入った箱を置くと、棚が、多少、ぐらつきます。義母が私の真横に来て「ちょっとぐらつくけど、ここの板にピッタリ付くように置けばだいじょうぶだから。」と おっしゃいました。私は、義母に言われた通りに置きました。

 義母から、お水の代金を頂いた後、義母は「直樹さん、庭のブロッコリー持って行く?」と言って、ハサミを持って、家庭菜園へ行き、ブロッコリーを摘みに行ってくれました。

 配達に伺った時、いつも 私は、お代を頂くと、挨拶だけして早々に帰っていました。その日も(ブロッコリーを頂いたら、すぐに帰ろう)と思っていたのですが・・・。
 私は、棚のことが 少し気になりました。

 (よし、やろう!)と決めました。ブロッコリーを摘んでくれている義母に「おかあさん。あの棚、締めつけてみるよ。」と、私は言いました。そして、車から、ドライバーを取り出して来て、食堂へ上がりました。そして、既に収まっているお水とその他の物を 棚から取出して、棚を倒して、全てのネジを完全に締め切っていきました。

 お義母さんがおっしゃったように、たしかに、ネジ部を一番奥まで締めつけるのは、女の人の力では難しいものでした。
 その作業は、10分ほどで、できました。
 棚を立て、元の位置へ置き、お水とそれ以外の物を収めました。
 今度は、ぐらつきが無くなりました。

 お義母さんは「ありがとう。」と言って、喜んでくれました。

 始めは、(家へ帰って お昼ご飯を食べたいので、ブロッコリーをもらったら、すぐに帰ろう)と、考えていました。しかし、大地震が発生してしまい、重い水を載せた棚が簡単に崩れてしまい、水の箱やらホームベーカリーが床に散乱して、家人の避難の障害になる光景が、私の頭の中に、一瞬見えたのでした。

 おそらく、そういう事は起こらないと思いますが、すぐに帰らずに、思い直して、棚を補強したこと、そして、棚が頑固になったこと、お義母さんが喜んでくれたことで、私は、何か、人のお役に立てたような気がして、やり甲斐を感じることができました。

 これから、私は少しでも、“人にして差し上げること”を、増やしていきます。

 最後まで、読んでいただき、どうもありがとうございました。

職人Hさん


2020.05.02  小野園三島店 室伏剛



皆さんコメントを有り難うございます。
杉井先生、宮本さん、娘が数年前にトイレ掃除を一緒にさせてもらった事を覚えてくれていたのですね。
嬉しいです! 感動です!(笑)

それでは最終日、宜しくお願い致します。
最終日はお茶屋にふさわしく八十八夜の5月2日と言いたいところですが・・・
今年はうるう年のため5月1日でした。(笑)

私は製茶工場で毎日お茶作りに励んでいます。
そして、そう今まさに一年で一番忙しい新茶の時期に突入しています。
製茶工場の繁忙期は一年の中でこの1~2か月に集中するため、この時期だけは10数名のスッタッフさんに力を貸してもらいながら毎年乗り切っています。

今日はそんな中、この時期にかれこれ30年弱一緒に働いてくれている職人Hさんの話をしたいと思います。
Hさんは私と同じ49歳です。 
49歳? 気付けば自分もおじさん真っ只中なんですね。(涙)

Hさんはとっても明るくて人なつっこい性格なのですが、根が職人気質で仕事がとっても丁寧で、とにかく手を抜かず、美味しいお茶作りに妥協がありません。
製茶機械も随分オートメーション化されてきているので、機械の設定をしっかりと行い原料となる茶葉が良質で一定の物であれば、ある程度の品質のお茶を作ることは可能です。

でもHさんにとってはそれではダメなんです!!
少しでも良いお茶を作りたいと工場の中を小走りに、それぞれの工程のお茶の状態を手で触り、香を嗅ぎ、感触を確かめては機械の微調整に就業中ずっと動き続けて一切の余年がありません。
正に職人という言葉が相応しいHさんです。

そんなHさんとの付き合いも、もうすぐ30年になろうとしています。
若い頃は当時の職人さんに二人して怒られたこともありました。
二人して明け方までクタクタになるまで仕事をした日々も数え切れません。
今改めて振り返り、Hさんと共に歩んできた新茶繁忙期の思い出が蘇ります。

そんな縁の下のHさんに光を当てていくことが自分の役目なのだとブログを書きながら気付かされました。
今年もHさんを始め、スタッフさん皆で協力し、美味しいお茶作りに励むとともに、皆で一緒に働けることに感謝をし、今年も無事に終わったと振り返ることの出来るよう大切な時間を過ごしていきたいと思います。

一週間、ありがとうございました。
明日からは鳥居さんがブログを引き継いでくれます。
鳥居さん、宜しくお願い致します。

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