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島の週末

パリ、モンパルナス駅からTGVで3時間半、オーレ(Auray)というブルターニュの町に着き、そこから車でキブロン(Quiberon)の港まで20分。港から船に乗り45分。つまり半日がかりでたどり着く“美しい島”Belle île。夫の長年の仕事仲間がここに家を持っていて、私たちは週末を過ごしにやってきた。

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ベル・イルを初めて訪れたのは20年前の真冬。レストランもお店も殆ど閉まっていて、1件だけ開いていたホテルに泊まった。灰色の冬景色、荒涼とした海辺はそれなりに趣があって、また来たいと思わせる島だった。島で生まれたから島に惹かれるんだろうか?

20年の間にこの島はちょっとした流行りになり、精神分析家(稼ぐ人は稼ぐ。自分のうちで仕事をしているのでセカンドハウスを持ちたがる)が沢山上陸。“田舎の家”を建て、地価や物価を吊り上げる(朝市の食材の値段やレストランはパリと一緒!)。
幸い、島には景観を護るため厳しい建築規制があって、高さや幅の制限、屋根の形まで決められている。第一、家が建てられる面積は島の14%だ。
友人夫婦は流行が始まる前の80年代に広大な土地を買い、寝室が5つか6つある大きな家を建てた。3人の子供やその子供(つまり孫)まで一緒に滞在できる家。
家の形の規制は厳しいが、何色に塗ってもいい。昔、この島が貧しかった頃、船を塗ったペンキの残りで、窓や扉を塗っていた。その習慣が続いていて家はとても可愛い。

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崖っぷちの間に、小さな入り江がある。
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故ミッテラン大統領も泊まったホテル、カステル・クララ。

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タラソテラピーがある4つ星ホテルでは“ビューティフル・ピープル”が海藻で身体をパックしたり、歯をガチガチ言わせながら(気温17度!)プールで泳いだりしていた。
ミッテラン夫妻が滞在したときは、ボディガードが10人くらい付きまとっていたとか。ストロスカンもそうしていたら、暴行未遂で訴えられたりしなかったのにね。


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猫たちが興奮ぎみに走り回っていたり、2匹そろって同じ一点を凝視しているときはイヤな予感:近距離にネズミがいる。

中庭に出て探検したり、木に上ったりするのが好きなタマ(若い雄猫)は、ネズミを見つけてうちに連れて帰る遊びを覚えた。大変迷惑な遊びだ。
うちに来る前にどういう教育を受けたかしらないが、タマにとってネズミは楽しいオモチャ。一方、清く正しい本能のアナイス(中年雌猫)は、捕まえて殺そうとする。目的は違っても、ネズミを追いかけて走り回るのには変わりない。

「さっさと捕まえてよ」と言ったら、この顔(背後の椅子は猫2匹によってズタズタになった)
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「ホラ、横切った!」「エッどこどこ?」
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明け方の4時、私が寝ているベッドの下でその大レースが始まった。
初めてネズミが出たときは一睡もできなかったけど、回を重ねることに鈍感になってくる-毎回徹夜してたんじゃ身体が持たない。でもベッドの下にいるというのはちょっとイヤ、と思っていると、3匹が走り出てきて、ネズミは箪笥の後ろにすばやく入り込み、猫たちはその前で監視体制に入る。
猫がいる限り、敵も出てこれまい、と安心して眠ってしまった。
我ながら逞しくなったもんだ。

朝、娘が台所の床にしゃがみこんでいるので見ると、いつ隠れ家から逃げ出したのか昨夜のネズミ(同一人物と確かめたわけではないけど、2匹もいるとは思いたくない)。グッタリして動かない。
「タマが口にくわえてたのよ」
娘は炊事手袋をはめた手でネズミを摘み、タッパウエアに入れようとする。
「ちょっと待って!それ、友達がプレゼントしてくれた琺瑯のタッパなの。別の、もっと深いヤツに入れて」
すると、娘はブリジット・バルドーが犬を捨ててる人に向けるような目で見上げ、
「出れるわけないじゃない。きっと背骨が折れてるわ」
アンタ、いつから獣医になったの。
「水とチーズを入れてあげよう」
「ちょっとネズミを飼うつもり?」
「じゃあどうしろっていうの?兄貴がいたらすぐ止めを刺すとこだけど・・・」

恐る恐る近寄って見たネズミは本当に小さく、こんなものを怖がるのが馬鹿げてくる。でも理屈じゃないのだ。

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「私はネズミは苦手だけど、苦しむのはかわいそう。箱に入れて、猫が近寄れないとこにおいておこう」
ネズミさんを靴の箱に移し、洋服ダンスの上に隠した。

さて夜。お風呂から出てきた娘が「靴の箱、見てよ」
「なぜ、私が見るのよ。自分で見りゃいいでしょ」
「だって明日テストが・・・」となすり合った後、2人で一緒に見たら「生きてる!」
弱っていたのでそのまま眠るように死ぬ、というのが私たちの予想、というか予定だったのだが。
「ネズミって生命力あるのよ。人類が絶滅したときでもネズミは生きてるんだって・・・それはゴキブリだったけ?」
「ママン、お水替えて!」
「チーズはきっとエメンタルのほうが好きよ」
何を言ってるんだろう、ワタシ。
今に“家族:夫1人、子供2人、猫2匹、ネズミ1匹”になりそうなヤナ予感・・・


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志願高校を提出するときになって、娘が「美術学校に行きたい」と言いだした。小さいときから絵を描くのが大好きな子なので、驚くせりふではないけど、
「なんで間際になって言うのよ!」
という私も、日本に発つ前日、パスポートが切れているのに気づいて大騒ぎのような前科があるので、この親にしてこの子あり。
娘曰く。「反対されると思ったから」
将来何がしたいのか、できるのか、決めるのが難しいこの時代、反対するわけないじゃない。入れるかどうかは別の話だけど。

問題は、Ecole Boulleという美術学校は国立なので願書を別途出さなくてはいけない。その願書の期日が翌日なのだ。願書は1学期、2学期の成績表のコピーとLettre de motivationをつける。モチベーションの手紙、フランス人ってこれが好きなのよね。就職活動のときも必ず書かされる。
高校の願書なんだから、あなたの高校は素晴らしい、こんなことを学びたい、という手紙を書けばいいと思ったら、「あなた(生徒)が、学校に何をもたらすことができるかを説明しろ」という、つまり就職のときと一緒だ。

娘がまず、どんなに絵が好きかを書き、そこに、日仏2つのカルチャーの中で育ったとか、叔母のこと、父親がかって版画家だったとか、私がバンドデシネの仕事をしていたとか、アート関係の家族や体験が総出演。さらに夫が文章を直す。
「ちょっと14歳の子供がそんな表現しないよ」
「親が手伝うことくらい向こうもわかってる」
「でもそれじゃ親の手紙じゃない」と喧々諤々の末、手紙は深夜に完成した。

願書提出期日の翌朝、私が学校まで願書を届ける。
「平均点が高いし、絶対受かりっこない」と娘。
「そんならそれでいいじゃない。でも願書出さなかったら、後々まで後悔するわよ」
アーティストのアトリエで研修した3日間、彼女はのびのびと楽しそうだった。情熱が持てることを勉強できて、後に仕事にできたとしたら本当に幸せだ。


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学生にとって魔の6月が近づいてくる。高校生にとってはバカロレア、中学生はBrevet(ブルヴェ)と呼ばれる中学修了試験。でも入る高校はブルヴェの結果を待たず、平常点の平均で決められる。
3年前まではよほどのことがなければ、区の公立高校にすんなりと入れた。ところがいい高校がない区もあって、越境してくる生徒は増える一方。区制度が広がり、パリを東西南北に分けるようになった。
うちは東地区で、3、4、11、12、20区が含まれる。他の区からできる子が志願してくるから勢い競争率は高くなり、“うちの近くの高校”に行けない子が増えている。
6年前、長男のときなんか、勉強している姿をあまり見ないうちに高校に入っていた。親ものんびりしていたもんだ。

ブルヴェの問題集。2社しか出していない。
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娘は先生たちからのプレッシャーもあると言ってストレスな毎日。
5月半ばには、第一希望から滑り止めまで6つの志願校を決めなければならない。平均点何点ならこの高校に入れる、という去年の結果をもとにしたプリントが配られ、それを参考に決める。

バカロレア合格率が高い高校は、平均点20点満点中15~16。5段階評価のオール4と言われると、敷居の高さが実感できる。平均点には体育や音楽や“態度”も含まれるので、理数はすごく強くても、体育や美術で足を引っ張られる子などが損だ。
フランスも子供を鋳型に入れるような教育制度になってきた。受験戦争がせっかくの子供時代を奪ってしまう日本で子供を育てたくないとこっちで産んだのに・・・

高校進学の説明会に集まった親たちもいつもよりピリピリしていた。
「願書を記入するとき注意しなければならないのは、第一志望の高校の選択」と、校長先生。
「ちょっと高望みの高校を書いて、それがダメだった場合、第五、第六希望(つまり滑り止め)の高校に行く可能性があります」
ザワザワ。
第一から第六志望まで一度にコンピュータ処理するからという、わかったようでわからない理由だ。(続く)


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日曜日以来、“IMFトップ、ドミニック・ストロス=カーン(DSK)強姦未遂で逮捕”はニュースの冒頭。今日の20時のTF1ニュースはNYの法廷を中継して30分延長、そればっかりだった。
そのDSKは保釈金100万ドル、保証金500万ドル、自費で24時間武装ボディガードをつけ、マンハッタンのマンションに留まる条件で保釈になった。
それ以前にIMF理事を辞職する手紙を書いている。

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photo:Reuters

フランスでの反応:アンケートによると「これは陰謀でDSKはまんまと嵌められた」という意見が58%。DSKの人気を浮き彫りにする結果だけど、じゃだれが仕掛けたかと言ったら、サルコジしかいないじゃない?
アメリカでも、サルコジ陰謀説を主張するジャーナリストがいるらしい。
一方、DSKを少しでも知る人は「やったに違いない」が多い。

フランス右派の反応:DSK は2012年大統領戦の社会党候補。候補者の人気投票でサルコジを凌いでトップだっただけに、右派にとってはこの事件は“ラッキー”だ。UMP(サルコジが党首だった政党)には、「でも早すぎた」という議員も。「これが選挙の3週間前だったら良かった。社会党は別の候補を立て直す時間がなかった」
「嘆き悲しんでいる」なんていう偽善的発言よりマシだけど、でもよく言うわね。

アメリカの反応:今まで名前も顔もあまり知られていなかったDSKが、新聞の一面を飾り一躍有名に。でも「貧しくか弱い移民の女性に性的暴力を振るった権力とお金のある男性」という“悪者”としてだ。
その上、ポランスキーという前例がある:1977年、13歳の少女に睡眠薬入りシャンパンを飲ませ関係を持ったかどで逮捕されたポランスキー。保釈金で自由の身になった隙に、フランスに逃亡した。フランスは国民(ポランスキーはフランス国籍を持っている)を外国に“引渡し”しない。アメリカ警察は、2009年、スイスのフェスティヴァルに赴いたポランスキーを逮捕するまでなんと32年間待つことになる。アメリカは性犯罪に厳しく、執念深いのだ。
DSKの保釈が月曜日に却下されたのは、この苦い前例があるから。

DSKの事件以来、リベラシオン誌の60%増を筆頭に、新聞はどれも売り上げを伸ばしている。
なぜこれほど興味を引くかと言うと、権力、お金、女、セックス・・・とテレビシリーズのテーマになる要素が全部詰まっているから?その上、事実は小説より奇なのだ。


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ドミニック・ストロス=カーン(DSK)逮捕のニュースは、とりわけ社会党を打ちのめした。来年の大統領戦でサルコジに対抗できる最有力候補だ。コメントを求められた書記長マルティーヌ・オブリの声が震えていたほど。
しかし微かな希望が残っていた:本人は無実を主張しているし、それが証明されれば復活の可能性ありで、無実の罪で逮捕された同情を得て、さらに人気を得るかもしれない・・・

ところが一夜明けて、アメリカのメディアが発表した写真が公開され、その希望も消え去る。写真のDSKは、両側から警察官に挟まれ、後ろ手に手錠をかけられていた。
フランスでは有罪が確定しない間は手錠をかけないし、写真を公開したりしないので、その姿は支持者でなくてもショックだ。

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写真:Reuters

仏時刻の夕刻になって、フランスが提案した100万ドルの保釈金が却下され、拘留が決まった、と伝えられる。
金曜日、陪審員の前に出るまでNYの2つの刑務所(ひとつは14000人の受刑者がひしめく刑務所で、もうひとつは設備がひどく悪いとか)のどちらかに拘留される。
そして金曜日にもし有罪になれば、74年3ヶ月という信じられない刑期。アメリカの法律では訴因一つ一つに刑期があって、それを足し算するからだそうだ。
強姦未遂、性的暴行、監禁、同意なき接触(!)などを足していくと74年で、DSKは62歳だから136歳までムショ暮らし、つまり終身刑だ。
アメリカが性的犯罪に厳しいことはポランスキーの例でよくわかったけど・・・

奥さん、アンヌ・サンクレールは「夫がそんなことをするなんて一瞬たりとも信じられない」
友人たちも口を揃えて「女性をくどくのは好きだが、暴力的なことは絶対しない人」
火のないところに煙は立たない、という声もあるけど、世界経済を担い、大統領戦を控えたこれほどの要人が、そんなことするだろうか?やったんだとしたら、深刻に病気だ。


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日曜日の朝市の新聞売り場でみんながあっと足を止める第一面:『DSK、NYで逮捕』
2007年から国際通貨基金(IMF)の専務理事を勤めるドミニック・ストロス=カーンは、名前が長ったらしいので通称DSK。彼が逮捕されたと聞くとぱっと頭に浮かぶのは“女絡み”だ。はたして:
マンハッタンのホテルに宿泊していたDSKが、バスルームから出てきたところ、お客がもう発ったあとと思ったハウスメイドが入ってきた。一糸まとわぬ姿のDSKは、そのまま彼女を犯そうとする。必死で抵抗し逃げたハウスメイドは、すぐ警察に通報。警察がホテルに駆けつけたときはDSKはもう空港に向けて発ったあと。空港に駆けつけた警察は、パリ行きの飛行機が離陸する10分前にDSKを逮捕した。
というもの。

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photo:AFP

彼は2008年に、国際通貨基金内の女性と浮気し、退職時に優遇したというスキャンダルがあった。その“疑いを晴らし”、2012年の大統領戦候補アンケートで1位という時に、何が悲しくて・・・。女好きの域を超えて、病気ですね。
奥さんは知的で美人な元花形キャスター、アンヌ・サンクレール(日本で言ったら安藤優子さん)。2008年のスキャンダルでは寛容で、夫に対する愛情は変わらない、みたいなことを言っていた。

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まあ、DSKにとってはアンヌ・サンクレールを妻に持つことにメリットがあり、彼女にとってもマダムDSKである利点があり、あとは目を瞑るしかないという利害関係の結婚なのであろう。

さて、今回の強姦未遂事件。今のところ、ハウスメイドの証言しかないので、“事実を突き止める”のが先決。警察がホテルの部屋に駆けつけたとき、携帯電話などDSKの私物が残されていたことから、かなり慌てふためいて部屋を去ったと推測される。

次期大統領候補№1だっただけに、女好きを利用して仕掛けられた“罠”説も出ているが、では誰が?
本当に未遂があったならビョーキだし、敵の思う壺で罠に落ちたならアホすぎる。どっちに転んでも彼の政治生命は危うい。


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『手塚治虫のブッダ ―赤い砂漠よ!美しく―』の完成披露で、吉永小百合さんが、
「私は子供の頃から映画によって励まされ、感動させられ、今映画俳優として生きています。スポーツや音楽、映画などで被災した方を少しでも癒すことができたら・・・」と挨拶したことを読んだ。
中には椅子を蹴立てて出るような映画もあるけど、いい作品は、旅をさせてくれる、違った視点を与えてくれる、励まされる・・・と彼女の言葉に共感だ。

さてカンヌ映画祭が開幕。オープニングセレモニーの司会、メラニー・ローランは「映画はマジックです!」で挨拶の言葉を結んだ。
今回のカンヌで話題のひとつは、サルコジが大統領になるまでを描いた『La Conquête/征服』(グザヴィエ・デュランジェ監督)。
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これまでにも大統領を主人公にした作品はあった:1976年の『Les Œufs brouillés』(スクランブルエッグ)は、「庶民のうちに晩御飯を食べに行こう」と発案したジスカール・デスタンの話。
『Le Bon Plaisir』(気紛れ)は、ミッテランに隠し子があるという想定の小説の映画化。想定が現実であったことがわかるのはもっと後だ。
ミッテランの死後9年経って『Le Promeneur du Champ de Mars』が撮られた。
でも、現職大統領が、選挙に勝つまでの野心、右派内の抗争、陰の女を、すべて実名を使って描いた映画がこれが初めて。
テレビ局や役者の説得に時間がかかり、制作に4年半かかっている。テレビ局が難色を示したのは“テーマがタブー”だからではなく、現職大統領のことはジャーナリストに任せておけばよく、映画の出る幕じゃない、という理由だったとか。
それでも、サルコジのキャラや道のりには面白い映画になる要素が揃っている、という賛同者も多く、完成にこぎつける。
日本では考えられない話だ。そんな(タブーな)テーマを思いつく監督もいないし、菅首相が主人公の映画を観たいという人、いるだろうか。

予告編を観ると、サルコジ(ドゥニ・ポダリデス、舞台俳優)、シラク(ベルナール・ル コック)、ド・ヴィルパン(サミュエル・ラバルト、聞いたことのない俳優)は、外見だけでなく、話し方や挙動も本人たちに似るよう研究・練習したのが伺える。

サルコジは、この映画を観たくないと公言(まあ、そうだろう):
「この映画は絶対に観たくない。第一、私に関する記事は、満足したためしがないので、まず読まない。批判した記事は、不当だと感じるし、称賛した記事は不十分と感じるからだ」(ホッホー!よく言うね)
しかし「この映画がカンヌで上映されるのに、私が反対するとでも?創作の自由を尊重するのが、私の主義だ」
さらに、『La Conquête』が描いているのは、セシリアが、マダム・サルコジであった“前の時代”なので、カーラのためにもこの映画は観ない、と。
そのカーラ・ブルニは、映画祭の幕開け作品、ウッディ・アレンの『Minuit à Paris』(パリの真夜中)に出演している。

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4月にゴシップ雑誌Closerが『カーラ、妊娠!』の記事を出したが、それに対して否定も肯定もないまま。

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昨日、フランス2のニュースにゲストで現れたウッディ・アレンが、「カーラは今、素晴らしい時期を過ごしている」と発言し、わーっやっぱり!に傾きそうだ。
フランスでの封切りは『Minuit à Paris』5月12日、『La Conquête』5月18æ—¥


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家族の誕生日には日本レストランに行くのがなぜか習慣。お寿司が多いんで、何か別のもの、てんぷら、懐石・・・と探していたら、モンパルナスのAu Comptoir Nipponという鉄板焼きレストランがネットで評判がいい。
名前がちょっと不安要素だが、restoaparisという、もう10年以上あるレストランガイドが、ガストロノミックなフュージョン料理で、鉄板焼きのパフォーマンスには眼を見張る、と絶賛している。
このサイトの編集部には確か日本人がいたはず、と信頼する気になった、のが間違いのモト・・・

レストランは黒と赤のインテリアで、すなわち中国人経営の日本レストランがよくやる“日本風”である。
鉄板焼きのグリルを囲む8人がけのテーブルが3つとカウンター席。スタッフはアジア系だが日本人はいない。
「シェフは日本人じゃないんですか?」と聞くと、「はい、そうですけど、今日はお休みで・・・」という返事。日曜日だもんね。

オードヴルには、フォアグラとシイタケの春巻きとかBœuf style Koké mariné sauce ponzu(コケ牛のマリネ、ポン酢ソース)、これは神戸牛と言いたかったんだと察する。確かにガストロノミック。私たちはサーモンのタルタル、サーモンロール(薄切りのサーモンにアヴォカドとご飯が巻いてある)など無難な選択を。

鉄板焼きは、サーロイン、海の幸(サーモン、帆立貝、海老)、鶏などから選ぶ。お客には黒いエプロンが配られ、腰にナイフをぶら下げた北アフリカ系のシェフが現れた。
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豆腐、薄い春巻き皮に包まれたチーズ、魚介類、野菜が鉄板の上に並ぶ。豆腐をすばやく8等分し、バターの塊をジュッと溶かし、その上にかけていく手さばき。豆腐の順序を入れ替えるなど意味のない動きもあるが、練習の成果が伺える。
しかしここで驚いてはいけない。焼けた豆腐をそれぞれのお皿に向かって投げるのだ。着地成功率70%。私のは膝の上に飛んできた。
ほうれん草は8人分でほんの一握り。それにピーナッツの粉をふんだんにかける。さすがにほうれん草は投げてよこさなかった。

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息子が心配し始めたのは量だ。鉄板を囲んで8人のお客、サーモンの切り身は小さいし、野菜はマッシュルーム1個、玉ねぎの輪切り一個、ズッキーニ小1本を8人で分けるようだ。
“豆腐投げ”に次ぐパフォーマンスはフランベ。魚介類や肉に、何のアルコールだか知らないけど振りかけると、即、電気が消え、暗闇に炎が浮かび上がり「おお!」
アルコールを振りかけつつ、電気を消すのもシェフの役目でなかなか忙しい。

材料は新鮮で、味付けはアジアのフュージョンだが悪くない。甘辛スパイシー。サーロインや鶏は、焼く前に一口大どころかサイコロ切りにしてしまう。正面に座っていた肉好き風のフランス人の顔色が変わった。
量は日本の半分くらいで、まだお腹が空いている息子は、デザートにフルーツ入りクレープを注文した。するとさっき華々しく退場したシェフがまた現れ、普通の4分の1くらいのミニミニクレープを鉄板に置きアルコールを振りかける。フルーツはただ切っただけ。ものものしく差し出されたクレープは、あきれる“味のなさ”であった。

お値段はオードヴル+鉄板焼きで一人平均40ユーロ。パフォーマンス代がかなりを占める感じ。
レストランを出つつ、「“日本人シェフ”ってずっと休みだろうね」「そう、永久に現れない」と意見が一致した。
Au Comptoir Nippon
3 avenue du Maine 75015 Paris
は、かくしてブラックリストに加えられた。

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30代のマリオンとセドリック、50代のリリアンヌとジョゼ、70代のユゲットとレイモン・・・毎日の夫婦喧嘩を3カップルを通して見せるTVシリーズ『Scènes de ménage』(夫婦喧嘩)が人気。
ひとつの“喧嘩”は5分足らずで、必ず各カップルの家の中で繰り広げられる。

例えばマリオン(30代)が洗濯物をたたんでいる手を止め、
「セドリック!ちょっとこっちに来て!」
キンキンした声に、何かまずいことがバレたかと、おっかなびっくりやってくるセドリック。
「あなたのパンツ5枚しかないわよ!」
「・・・今、はいてるの入れて6枚だろ」
「でも1週間は7日でしょ!」
パンツを外に忘れてきた?セドリックはますますヤバイという顔になる。
「つまり、1日替えてないってことじゃない!フケツ!」

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または、レイモン(70代)がソファに寝転がって(一日の大半寝転がっている)ポルノ雑誌をめくり、タバコを吸い(いつもは吸わない)、その脇には空の缶ビールが並んでいる。
台所からやってきたユゲット、
「まあナンです、その格好!不良ジジイの真似ですか?」
「いや何、寡になったときのリハーサルさ」

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そして50代カップル、リリアンヌ&ジョゼ
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写真:M6

チャンネルはM6、夜8時から30分の放映で、平均300万人、視聴率13-14%。
人気の秘密は、年代の違うカップルのどれかに「あ、うちと同じ!」と共感できる点。
それとひとりひとりのキャラがしっかり出ていて、喧嘩に信憑性があるとこかな。
70代のカップル、夫のほうは「まだ人生終わりじゃない、もう一花咲かせたい」雰囲気で、妻に対してイジワル爺さんだ。一方妻は、口先では文句を言いながらも、夫の悪あがきを受けとめる包容力。

不思議なのは中学生の娘が一番ファンで欠かさず観ていること。
「アンタの年頃って、結婚に夢があるんじゃないの?こんなの観て失望しないの?」
と聞くと、「別に・・・」
ま、うちのカップルもけっこう口喧嘩するほうだから、鍛えられているのかも。
この番組、スペインの人気番組のコンセプトを買い、自由に脚色したもの。スペインのエピソードはもっと夢も希望もない喧嘩だとか。


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5月1日のメーデーにフランスではスズランを一枝贈りあう習慣。
どっかから摘んできたスズランをセロファンで包んで売る即席のスズラン屋がメトロの前、パン屋の前、朝市に立っている。
なぜ労働の祝日にスズラン、労働とスズランの関係は?とウィキペディアを見に駆けつけた人は私だけではないはず。

5月1日にスズランを贈る風習は、1561年、シャルルⅨが“幸福をもたらす”花、スズランを近親に贈ったのが始まり。
それがメーデーと組み合わさったのは20世紀になってからだ。1889年に定められたメーデーは、ペタン政府のとき有給のお休みになり、スズランが左派のシンボル、赤い野ばらに取って代わった・・・なるほど。

釣鐘型の花は可憐で清楚な姿。ところがスズランは花も葉も茎も毒性があるそうだ(心臓の鼓動を弱め、利尿作用あり)。花も見かけによらない。
このスズランのミニブーケのお値段はその昔、5フラン平均だった。それが1ユーロになり、2ユーロになり、今年は3ユーロ!中には安っぽいセルロイドの容器に入れたり、くたびれたバラを1輪あしらって5ユーロで売っているヤツも。
こういう“理由なき高値”が我慢できない夫は、遥かまで遠征して“良心的なスズラン”を買ってきた。

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花言葉は「戻ってくる幸福」。
近所まで来たという友人は、「これは日本のため」と一枝・・・今の日本はスズランが何トンも必要だ。


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中学の最終学年のどこかの企業や機関で「3日間の研修」がカリキュラムに入っていて、娘はアーティストのアトリエですることになったことは書いた。
パリの境界ぎりぎりにあるそのアトリエは、彫刻家と絵本作家と写真家の3人の女性が共同で使っている。
研修を引き受けてくれたのは彫刻家で、3日間の課題は「自分のマスコットを作る」。
マスコットとは、例えば不二家のペコちゃん(古いかな)とかミシュランタイヤのミシュラン・マンとか、イメージキャラクターみたいなもの。自分の特徴を捉えてカリカチュアする、面白く難しい課題だ。

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研修1日目の朝。「お昼はどうするの?」と娘。食べることをまず心配するのが彼女らしい。
「みんなで食べに行ってもちゃんと自分で払うのよ」とお金を渡す。
1日目、まずデッサンを描き、発泡スチロールで原型を作る。マスコットはこけしにヒントを得たとか。
2日目、プラスティリン粘土という工業用粘土で肉付けをする。
石膏を削ったりする彫刻家のアトリエは埃っぽいので、毎晩、薄汚れて帰ってくる。
「お風呂に入ったらお湯が灰色になった!」
3日目は髪の毛とか、メガネの細部に取り掛かる。
結局3日間では足りなく、復活祭休みの一日アトリエに行って“カミーユこけし”ができあがった。
本人に似ているのがおかしい。

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娘は暇さえあれば絵を描いている。学校のノートの余白は絵がびっしり、レストランで料理を待ちながら紙ナフキンに、うちのティッシュの箱も、レシートの裏側も絵だらけだ。成績の中でも美術が一番いい。
叔母の隔世遺伝かな。私は逆に絵が苦手だ。
あるとき通訳をしていて、「イタチ」のフランス語が出てこなかったので、とっさに絵を描いた。
「ナンだろう?犬かな」「ヘンな犬・・・」結局、わかってもらえなかった。
後で「叔母さんの後を継がなくてほんとに良かったですね」としみじみと言われてしまった。

話が逸れましたが、娘は4日間の研修に大満足。
「お昼のお金は足りた?」と聞くと、少しモジモジしてから、
「毎日おごってくれたの。お昼代はお小遣いにしちゃいなさいって」
そういう悪知恵をつけてくれるのも研修なんでしょう・・・


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プロフィール

Author:長谷川たかこ

この国に住もう!と決めたのは13歳のとき。それが実現したのは10年以上経ってから、それから30年の月日が流れました(単純計算しても歳は出ません!)
訳書多数、著書3冊。夫1人、子供2人、猫2匹と暮らす騒がしい毎日。映画と料理とヴィンテージの服、デビッド・ボウイが趣味。

長谷川たかこ

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