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自己紹介の文章に「料理が趣味」なんて書いてあるけど、全然料理している雰囲気がない、と思われるでしょう?
うちには食べ盛りの子供が2人に、太り盛りのオジサンがいて、いつもお腹を空かせている。
うちに帰るのが8時過ぎ、それから猛スピードでご飯を作り、「ア・ターブル!」と言い終わらないうちに、みんながテーブルに駆けつける。「写真を撮るから、ちょっと待って」なんて言ったら非難轟々になりそうだし、私だってお腹が空いているので、写真を撮るより、自分の分を確保しなければ!
私の生きている生存競争の激しい世界をわかっていただけるだろうか。

それでも最近、力づくで撮った写真があるので、大したことないけど、ご紹介する。

季節のグリーンアスパラ
茹でたアスパラに、スモークサーモン入りの炒り卵をソースにした温かいサラダ。スモークサーモンはChute de saumon fuméとよばれる切り落としで十分。

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イカリングのサラダ:
子供たちはお昼に野菜を殆ど食べていない雰囲気なので、アントレはサラダのことが多い。バタヴィア(サラダ菜の一種)をヴィネグレットで和え、PICARD(冷凍食品チェーン店)のイカフライをのせただけの簡単料理。

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写真で見るとよくわからないし、あまり美味しそうじゃないけど、評判はいいタイ風サーモン、ほうれん草添え。

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と言ってもタイ風なのはココナッツミルクのソースだけ。赤いカレーペーストを大匙1、少量のオイルでしばらく炒め、ミルクを注ぎ、しょうが、バジリック、レモングラスなどのスパイスを適当に入れて少し煮詰める。スパイスはスーパーで見つかった。アバウトな作り方なのに、ソレっぽい味になって感激。でもタイ系はここから進歩していない。

それにしても料理の写真は難しい。友人のカメラマン、新村さんが撮った料理はすごく美味しそうなのに!

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飛行機事故で生き残るには

『Science & Vie Junior』という雑誌を子供たちが定期購読している。名前の通り、科学と生命についての雑誌で、私も知らないことや、遠い昔に忘れ果てたことが多く、子供たちの質問に立ち向かえるよう、ひそかに愛読している。

先月の特集記事が「飛ぶ!」。人間が「飛ぶ」手段の歴史や、パイロットになるには?などの記事の中で、一番面白かったのが飛行機事故の話。娘がこんなの読んで、「日本に電車で行く」などと言い出したら困る、とチラッと思ったけど、そんな心配は無用で、「ママン、この記事、ちゃんと読んで、次に飛行機のチケット買うときは気をつけてちょうだい!」と言われた。

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チュニジアに行くのに、4日間で4回飛行機に乗ることに気がついて、慌てて読んだところ:
2008年、飛行機を利用した人は28億人。飛行機事故は147件、死者553人、そして生存者2595人!という飛行機事故に遭う確率は超低いものの、落ちたらお終い、と思っていた私には、驚くべき数字!。死亡の確立は1000万分の1だ。
さらにこの雑誌の画期的なところは、どうしたら生き残れるかを教えている点。
事故が致命的なのは離陸と上昇のとき。燃料が満タンなので「飛行機は爆弾と同じ」。生存率は10%を切る。飛び立って5時間経つと、危険はぐっと減る。

これは運を天に任せるしかない。私たちに出来るのは、座席を予約するときの心がけだ。
1) 非常口の近くにいる人が助かっている:非常口の前後7列までの乗客が50%以上の確立で生き延びた。非常口に近づくほどこの確立は高くなっている。
2) 機体後方か中央の座席の人が助かっている:航空会社は否定しているが(だってビジネスクラスやファーストクラスはすべて前方!)1971年からアメリカで起きた墜落事故で、生存者の40%が後方に座っていた。

これは素晴らしい発見ではない?今まで、機内に入ったとき、幅の広い椅子に既にゆったり寛いでいるビジネスクラスの乗客を見て、「いつ、ここに乗れるの?」と娘に聞かれ、返事に詰まったけど、これからは堂々と「ここは危ないから後ろの席を取ったのよ」と言える。おまけにギリギリでチェックインを得意とする私たちは、機内を延々と歩いて後方の席になることが多い。

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たしか去年、Science & Vieが、日本のどこかの出版社に日本版を提案したけど、この内容では広告が取れないという理由で成立しなかったそうだ。背に腹は変えられない、のはわかるけど、面白くて役に立つ内容なので残念。何ももらっていませんけど・・・

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「シディ・ブサイドを見ないでチュニジアを発つな」とガイドの人に何度も言われた。
砂漠からチュニスに戻った翌日、私たちは彼の言葉に従い「青と白の天国」と呼ばれる町を訪れる。

17世紀から、チュニジアのブルジョアたちは、海を見下ろす高台にあるこの町を愛し、白い壁、青い扉と窓の家を建て始めた。1915年8月からは、この町に白と青以外の建物を作ることが禁止され、絵画のように美しい風景になる。

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20世紀にはフランスの多くのアーティストや詩人、作家が惹かれ、シャトーブリアン、フロベール、ラマルティーヌ、ボーヴォアールなどが訪れた・・・フランスのウィキペディアの受け売りだけど。

観光客が多く、おみやげ物屋も多い、家の表札がない(有名人の家?)・・・どっかにこんな一画なかったけ?と考えたら、そうモンマルトルだ。坂道の多い高台で、細い道を曲がると予期しない光景が広がる。そこだけでひとつの世界を作っている。


向かい側の岬に大統領官邸がある。サルコジさん、羨ましくない?
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チュニジアに来て始めての快晴で、光を浴びる白い家々と青い海がそれは美しかった。
でも私には、ベルベル人の家に明かりが灯る砂漠の夕刻や、2000年の時の流れを生きているオリーヴの林のほうが印象的に残った。

3日半、色々な表情を見せ、たくさんの物語を語ってくれたチュニジア。あと数日残る夫と娘を残して、空港に向かう。
送ってくれた友達が「短くて残念だったけど、チュニスには家族がいると思ってまた来なさい」
そんなこと言うと、ほんとに毎月来るからね!

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チュニジア、藍と白の世界

翌朝、また8時半集合でジェルバに向かう。
チュニジアの朝ごはんは(半分寝ていたので写真に撮るのを忘れた)ヨーヨーと呼ばれる揚げドーナツやクッキーなど、おやつみたいなチュニジア式に、クロワッサン、果物、突然チーズなどが混在していて、眠い頭は、どう組み合わせていいか迷ってしまう。

ジェルバでは、シナゴーグ(ユダヤ教会)を訪ねた、ユダヤ教徒は少数派だけど、イスラム教徒と折り合って共存しているそうだ。このシナゴーグも、中に入るときは頭に被るスカーフを貸してくれるし(イスラムに風習)、内装はモスケそっくりで、なるほどおっしゃる通り共存している。

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シナゴーグの奥には、毎年5月に巡礼で訪れる人たちのための宿泊施設がある。
フランスの有名タレントの信者も毎年来るそうだ。
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共存といえば、チュニジアはアラブ語とフランス語が仲良く混在している国。標識はすべて2ヶ国語。学校の授業も2ヶ国語で行われる。
30年続いたブルギバ大統領の治世(1959~1989)では、フランス語が重視されていたが、その後近代化が進み経済力を増して、自分たちのルーツを再認識する動きになったとか。
私たちを案内してくれたチュニジア人の友人が電話で話しているのを聞くと、いきなりフランス語になったかと思うとまたアラブ語と、自由に行き来している。

去年行ったモロッコとの大きな違いは、モロッコが金持ちと貧しい人の社会であるのに対し、チュニジアは中流階級が発展した国。旅行者にとって大きな違いは、チュニジアでは物乞いやお金をせびる子供がいないという点。モロッコでは「ノン。ノン・メルシー」を連発しないと10m進めなず、それが国の印象を悪くしていたことを思い出す。女性の地位も違う。ベールや手袋で全身隠し、目だけ出している女性にはお目にかからなかった。

お昼はクスクス。すごいボリュームにクスクスッ
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この日の夜、再びプロペラ機に乗ってチュニスに戻った。休日も終わりに近づいている。グス・・・

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砂漠とベルベル人の村

羊のつぼ焼きを食べたあと、プールサイドで少し休憩。どの椅子も赤い砂で覆われていて、砂漠の真ん中にいることがわかる。
私たちは再び4x4に乗り込み、今度はベルベル人の村に出かけた。
チュニジアでもモロッコでも「ベルベル人」という言葉をよく耳にする。今まで「ふんふん」とわかったような顔で聞いていたので、今更「ベルベル人って誰ですか?」とも聞けず、ひそかにウィキペディアで調べると、「北アフリカの広い地域に住み、アフロ・アジア語族のベルベル語を話す人々の総称。アラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口を持ち、独自の文化を維持する先住民族」

Berberベルベルとはギリシャ語で「言葉がわからない人」を意味するが、ベルベル人は自分たちのことを「アマジグ」と呼び、それは「自由人」「高貴な出の人」を意味するそうだ。宗教はイスラム教。ちなみにアラブ人がベルベル人のことを話すとき、差別的なニュアンスは感じられない。
チュニジアでは人口の2%を占めるそうだ。

ウィキペディアで見つけた1910年の写真。
こういうスタイルはもう見られないけど、眉が濃く、目鼻立ちがはっきりしているのが特徴。
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砂漠の景色の中を1時間くらい走ってDouiretという集落に着く。あの『スターウォーズ』はここで撮影されたそうだ。
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山肌に掘られた洞窟の住居が頂のほうまで段式に続いている。扉はやしの木で作られ、床は土のまま。
お天気はいいのに風が強く、コート(気温は18度くらい)をかき合わせる。
ベルベル人は山肌にしがみつくように作られた住居で、厳しい砂漠の気候と戦いながら、ほとんど自給自足の生活をしている。村の人たちの結束は強く、年長者への尊敬も深い。

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山と同じ色なので、遠くから見ると住居とわからない。
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ふもとには学校や郵便局もあり、これはごく普通の建物だ。
2つ目に訪れた集落は、もう住む人がいない。電気も水道もない暮らしをしていたベルベル人に、国が山のふもとに新しい住居を提供して、みんな移り住んでいったそうだ。
自分たちの村を離れるのに抵抗はなかったんだろうか?と聞くと、大いにあったそうで、最初は動こうとしなかった。まず1家族が引越し、「なかなか住み心地がいい」と、口コミで、少しずつ引っ越していったそうだ。

突然、煮込み料理の匂いが漂ってきた。無人じゃなっかったの?住居のひとつが、宿に改装されているそうだ。そこへドイツ人のヒッピー風の一団がバイクで到着。一晩15ディナール(約1000円)で泊まれる。

改装され、床も電気もある宿の部屋。
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バイクの音が止むと、聞こえるのは風の音だけ。見渡す限りの砂漠だ。

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続・チュニジアの休日

ご飯を食べてはプールサイドに寝そべる、怠惰なチュニジアの日々を予想していた私たちに、思いがけない濃密スケジュールが待ち受けていた。
次の朝、5時半起きの悪夢は免れたものの、8時半出発で南西の町、タタウィンに向かう。
「学校がある日と同じじゃん」と娘。
しかし、最初に尋ねた遺跡、クスールは、眠気も覚めるインパクトだ。

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一見“ニューウエーブなマンションの工事中”に見えなくもないが、6世紀頃から遊牧民が、飢饉や戦いに備えて食糧を貯蔵していた建物だそうだ(腹が減っては戦はできぬ!)
オリーヴ油やシリアル、穀物がこの穴の中に蓄えられ、当時は取り外し可能なはしごがかけられ、敵に取られないようになっていた。恐ろしく急な階段は、修復工事のときにつけられたもの。

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ところで、眠気覚ましにコーヒーをお代わりした私はトイレにいきたくなる。
「あの・・・トイレはどちら?」とガイドさんに聞くと、大男の男性は、膀胱のキャパも大きいらしく、「え?」という顔で、探しに行ってくれたが、さすがに6世紀の食糧貯蔵庫に水洗トイレは期待できない。
カフェに入るという手もあるけど「出して、また飲んで、差し引き一緒じゃん」という娘の意見も最もなので、ホテルまで我慢することにする。
幸い間もなくタタウィンのサンゴークラブに到着。出迎えてくれた支配人と握手もそこそこにトイレに突進。
やっと人心地ついて眺めれば、日常から切り離してくれる青い空に青いプールにやしの木。

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部屋もシンプルで広々としていて気持ちがいい。

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さて支配人とガイドさんも一緒に昼食は、例によって色々な小皿が出た後(ワインに合いそうなものばかりなので、回教徒が大多数のチュニジアではお酒を飲まない人が多い。もったいない・・・)、セムセム・サラダと呼ばれるチュニジアでポピュラーなアントレ。前日の蛸サラダのように、細かく切った野菜がレモンとオリーヴオイルでマリネしてあって、ツナがのっている。うちで真似できそう。
メインは子羊のつぼ焼き。背の高い花瓶のような土製の壺が登場。

「オレの手さばきをよく見てるんだぞ」「毎回、同じこといって、うっせいんだよ」
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壺から現れたのがコレ。

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パンでふたがしてあるのを開けると、香辛料の香りが立ち上る。
ほっくり柔らかい羊肉(臭みは全くなし)は、フランス料理も真っ青になる美味しさ。甘いトマトやじゃがいものオーブン焼きが添えられてある。
これは到底マネできそうもないと知りつつ作り方を聞くと、壺の中に、肉と香辛料、オリーヴオイル、少量の水を入れ、かまどで1時間焼くんだそうだ。

チュニジア料理は日本人の口に合いそうだ。農業、牧畜、漁業がメイン産業なので、野菜でも、肉・魚でもとにかく素材が美味しい。素材の味を生かしたシンプルな料理法-蒸し焼き、グリル-が多い。魚の塩焼きは、フランスでも滅多にお目にかかれない“皮はパリッと、中しっとり”。
香辛料の使い方は、是非学びたいものだ。

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チュニジアの週末

学校が復活祭の休暇に入り、学校に行かない人も復活祭の月曜日が祝日なので3連休になり、金曜日から休んで4連休にしちゃおうか、という人も少なくないので、週末は浮かれたムードになっていた。

私たちは、チュニスの友達に招待された・・・のは良かったけど、みんなこの連休にどこかに行こうとするから、飛行機が一杯で、日曜日の早朝便か土曜日の最終便しか取れず、結局後者で発って、夜中の12時すぎに友達の家に着いた。

チュニジアはパリより南でもう初夏、と信じていたのに、気温16度とパリより寒い。
着くなり「早く寝なさい、明日は7時よ」と言われ、「悪い冗談よしてよ」と笑っていたら、全然冗談ではないことが判明して顔が引きつった。翌朝の便で、ジェルバに行くことが予定されていたのだ。
「7時に起きるの?それとも7時の便?」
「7時の便、だから5時半に起こすね」とにっこり言い渡され、私と夫と娘の3人は引きつったままで寝室に引き取ったのである。

しかし、バカンスのため早起きだと、目覚めは良く、どしゃぶりのチュニスからローカル線に乗る。
なんとプロペラ機!しかしちゃんと飛んで、1時間後には、さっきまでのどしゃぶりがウソのようなジェルバに到着した。

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・・・とここまでは、早送りのヴィデオのようなスピード。ここからは、ゆったり流れるチュニジア時間の始まり!
迎えに来てくれた4x4で、SANGHOというヴァカンス村に向かう。
田舎の一本道の周りにはオリーヴの林が続く。林といっても、木と木の間隔は15mくらいあいている。これは、乾燥した土から、水分や養分を最大限に吸い取るため、オリーヴが広範囲に根を伸ばせるようにだ。オリーヴの木が極端に長寿なことにも驚いた。これはローマ時代の木で・・・と運転手さんから説明され、ローマ時代って何百年前だったっけ?とよく考えたら、起源前の話じゃない!つまり2000年以上生きているのだ。ご苦労さん!

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SANGHOは、地中海クラブのチュニジア版のようなクラブだけど、雰囲気もスタッフも素朴でほのぼのしている。
チュニジアで楽しいのは、食事のときに出てくる突き出しの数々。ひき肉入り上げ餃子、野菜のスティック、マグロのボイル、チュニジア・タジンと呼ばれるオムレツ・・・これだけで結構ボリュームがあるけど、アントレは蛸のサラダ、メインにスズキのグリル。海辺だけあって、魚の新鮮さは日本に負けない。

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細かく切ったキュウリやトマト、フヌイユ、たまねぎとさっとゆでた蛸に香辛料がいろいろ、蛸サラダ。

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娘は待ちきれず、砂浜に駆け出していく。
気温20度。泳ぐのにはかなりの勇気がいるが、さらさらの砂浜は暖かく、はだしで歩くと夏の予感。

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友達が集まって夕食をして、話も出尽くした頃、「コレ、知ってる?」と始まる親父ギャグ大会。
親父だけじゃなく、女性も加わって、みんな手持ちギャグを披露して大笑いになる。なぜ可笑しいのかわからなくて、引きつった笑いになることもしばしば。

ところが、子供を持ってから、親父ギャグが中学生から始まっていることに気づいた。中学生のギャグは例えば:
ある日、男の人が公園を歩いていたらパンダに出会った。通りかかったお巡りさんに「どうしましょう?」と尋ねたら、「動物園に連れて行きなさい」。
翌日、男がパンダと歩いていたら、同じお巡りさんに出くわした。
「動物園に連れていきなさいといったでしょう!」
「ええ、連れていきましたよ。今日は映画に連れて行くんです」
と、可愛いもんなんだけど、最近のは、
ムカデ(フランス語でMILLE PATTES=千本足)が赤ちゃんを産んだ。お母さんは、赤ん坊が五体満足か調べるため、足の数を数え始める。998、999、1000、1001・・・男の子だわ!
と少しずつきわどくなってきている。
やつらが早く老けるわけだ。

ギャグを集めたこんなサイトもある:ユーモア・ドットコム。
時事問題、カップル、動物、ベルギー人(フランス人はベルギー人をからかうのが大好き)など、ジャンル別に分かれている。友達のうちに行く前に、こういうサイトを見て下準備しているに違いない。
このサイトの《アホなジョーク》というジャンルの中に、こんなのがあった。
カーラ・ブルニが一番好きなチーズは?
プレジデント!(カマンベールのメーカーです)

ホントにアホだわ・・・

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フランスでランデヴー

フランス主要都市の観光エージェントが集まるサロン、Rendez-vous en France(フランスでランデヴー)というサロンがあった。
営業のケヴィンと11時にポルト・ド・ヴェルサイユの会場に着いたら「入場料100ユーロ」と言われてのけぞった。
うまく立ち回れば招待状をもらえるし、払うことになっても最高15ユーロくらいだけど、100ユーロなんてべらぼうな値段だ。11時にアポイントがあるのよ。日本の旅行者に、フランス地方の旅行を紹介してあげようというのに、それはないでしょう!と交渉するが、受付嬢は譲らない。「14時からは無料なのでお待ちください」。
そんな極端な!どうして?と問い詰めたら、意外な真実が明らかにされた:100ユーロというのは会場のレストランでのお昼代も含まれている。前日、「中で大事なアポイントがある」と私たちと同じセリフを言って中に入り、ただでお昼を食べた人、つまり食い逃げが続出したんだそう。そこで14時までは100ユーロ、レストランが閉まってからはタダにしたらしい。なんかとんでもない、でもフランスっぽい理由だ。

時間をつぶさなくては・・・仕方なく私たちは近くのビストロでお昼を食べる。サービスが画期的に悪くて不味かったので「行ってはいけないレストランガイド」に加えようかと思ったほど。
こういう展示会場の周辺は「どこかでお昼を食べなければならない」人がウヨウヨしていて、何を出してもお客が入るから、こういうレストランが多い。

さて14時過ぎに、タダで会場に潜入。ほかのサロンに比べていたってシンプルで、会社別に交渉用のテーブルと椅子が並んでいるだけだ。
RDV france

プロヴァンス、ボルドー、アルザス、ロワールなどメジャーな観光地は、地元観光局をはじめ、いろんなツアーを提案しているエージェントがある。でも一番多いのはやっぱりパリ。観光する手段も、バスはもちろん、船、リムジン、自転車、徒歩(!)などバラエティーがあって、先日試した2CVの会社も出展していた。
4 roux sous un parapluie(傘の下の4つの車輪)という変わった名前、「ヴェニスにはゴンドラ、NYにはタクシー、パリには・・・2CV!」と4年前に若いパリジャンが思いついたアイディア。
色とりどりの2CVが勢ぞろいしたところはなかなか可愛い。

伝説的なフレンチ車でパリを見物するのは、結構うけているらしく、近々リヨンにも進出するそうだ。
契約ガイド兼運転手は30人。
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屋根なしで走るのが気持ちよさそう!
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農業サロン、ブックサロン、バカンスサロン・・・などパリでは色々な業界のサロンが週末ごとにあって、新たな契約が成立させる場所になっている。でもブースを持つには何千ユーロとかかるので、元を取るのは簡単ではないようだ。
ところで、あまりサロンがない日本ではどうやって新たなコンタクトを作っているんだろう?

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フランスからイギリスに密入国する一般的な方法は、貨物トラックに忍び込むこと。
パリより仕事が見つかり、移民コミュニティもあるので、カレーの港から、対岸に渡ろうとする外国人は多い。
Passeurと呼ばれる密入国案内人は平均500ユーロでトラックをみつけてくれる。ただし、検問所ではCO2 の探知機を使って人間が隠れていないか調べるので、密入国者は頭からビニール袋をかぶって二酸化炭素を外にださないようにする。クルド人ビラルもフェリーに乗る貨物トラックに隠れるが、閉所恐怖症でビニール袋をかぶるとパニックになり、うめき声を出して捕まってしまう。

どうしてもロンドンに行きたい、行かなければならないビラルは水泳教室に通いだす。水泳コーチのシモン(ヴァンサン・ランドン)は、お金がなさそうなのに毎日通ってくるビラルに興味と不審を抱く。泳ぎが上手くなりたい、というよりもっと切羽詰ったものを感じるのだ。

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「おまえ、英仏海峡を泳いで渡って、イギリスに入る気だろう?」
ビラルは返事をしない。
「泳ぎが上手い人でも10時間かかる、水温は10度、途中で凍えて死んじまうよ」

どうしてそんなにロンドンに行きたいんだ?と尋ねると、ビラルはヨレヨレになった写真を大事そうに出して見せる。恋人がいるのだ。

なるほど可愛い・・・
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それにサッカーが好きなんで、マンチェスターに入りたい。
ナイーヴな17歳のビラルに愛着のようなものを感じたシモンは、彼を助けたくなった。
・・・というのが映画『WELCOME』の出だし。全然WELCOMEされない不法入国者の話なので、逆説的タイトルだ。

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主役のヴァンサン・リンドンが圧倒的にいい。妻に去られ、一人暮らしのアパルトマンとプールを往復する毎日。寂しい動物のような風情がリアルによく似合う。
がらんとしたアパルトマンの空間と、心の空白に、少しずつビラルが入り込んでくる。
ビラルを演じる全く無名の新人、フィラット・アイヴェルディも、真摯で一徹な表情がいい。
不法入国者に対する世間の目や、警察への密告などの現実も伺える。

ところで、私は水が怖く、寒さにひどく弱い。しかも方向音痴だ。暗く荒々しい夜の海を泳いで対岸に渡るなんて、どんなに愛する人がいても、どんな素晴らしいことが待ち受けていてもできない。絶対にビニール袋を頭からかぶるほうを選ぶ。

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春は3点セット

私にとって、パリの遅い春は、いつも3点セットでやってくる。
まず春分の日。この日から、うちの居間に太陽が差し込んでくる。うちは地上階で、地上階の特徴といえば、光が入らない、泥棒が入る、の2つ(と書くと全然いいことないみたいだけど)。でも春分の日から約6ヶ月間、床に太陽が差し込み、猫が日光浴を楽しむ。

3点セットの2つ目は娘の誕生日。
カミーユが春と一緒にやってきたのは昨日のことのようだけど、もう12年経つのだ。
陣痛が始まって産院に行ったら「まだ2-3日は産まれませんよ。ベッドが足りないので、一度帰ってください」といわれて、すごすごと帰ってきて、息子のご飯を作っていたら破水して、とんぼ返りした。
生まれてからお医者さんに文句をいったら、「生命の不思議は30年やってても不思議のまま。私は占い師じゃないからね!」

今では、私のセーターを着て学校に行き、口紅やマスカラを勝手に使うおしゃまな中学生だ。誕生日の夜は、ご希望のお寿司と、パン・ド・シュクルのチョコレートケーキ。

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春の印の3つ目は、夏時間への変更だ。毎年、3月最後の土曜日の夜中、午前2時が3時になる。
3月28日は冬のように寒く「まだ夏時間にならないよね」「まさか。テレビでも言ってなかったし、来週の週末だよ」と夫と話して、安心して眠りについたのだが、目が覚めたら夏時間に変わっていた。

石油ショックのときにエネルギー節約のために始まった夏時間は、体内時計と1時間ずれているので、馴染めない人が多い。たった1時間のこと、と思われるでしょうが、私は目下、時差ぼけみたいになっている。

こんな腹立たしいポスターまである!

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パリに1ヶ月滞在していた知人が、出発の2日前になって「パリ観光をまだしていなかった!」ことに気づいた。フランス人のうちによばれたり、市場で買い物をして料理を作ったり、すっかり現地人のように暮らしていたので、今更観光バスでもないよね。もうちょっと“通”なパリ巡りはないものか、と探したところ、2CVでパリを散策するというツアーを見つけた。
2CV(ドゥーシュヴォー)は戦後のフランスで、すごい人気を博した車で、今でも伝説的モデルとなっている。私は車ファンではないし、免許すら持っていないけど、映画でも何度か見た有名な車に一度乗ってみたい、と一緒に試すことにした。

コースには凱旋門やエッフェル塔など有名モニュメントを周る「永遠のパリ」「パリ・シャンゼリゼ」などがあるけど、ちょっと外した場所を通る「突飛なパリ」という1時間半のコースにする。
「夜遊び人のキオスク」「聖カトリーヌのマルシェ広場」「サンス館の砲弾」「ゲンズブールの家」など、観光バスでは絶対通らないところに連れて行ってくれる。

これが有名な2CV。運転するアントワーヌは、英語と仏語でずっとガイドしてくれる。
乗り心地は今の車とかなり違て、ガタンゴトンという感じが面白い。屋根を開けたかったけど、風が冷たくて残念。

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アットランダムに通った場所をご紹介:
アンリ4世高校。できる子が集まる名門校のひとつ。建物もリッパ。
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コレット広場にあるパレ・ロワイヤルのメトロ入り口は2000年に登場。「夜遊び人のキオスク」と名づけられた。突然ディズニーランドみたいなデコレーションに最初はびっくり。一時的なものかと思っていたらずっと居座っている・・・

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1474年に建てられたサンス館。壁面に砲弾が埋め込まれてあるなんて知らなかった・・・
小さい車なので細い路地にも入っていける。
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乗っていると、道行く人や他のドライバーの視線をすごく感じる。それほど神話的な車なのだ。運転手さんに言わせると「例えばジャガーやアルファロメオに乗っているときの、羨望とやっかみの視線ではなくて、懐かしがっている優しい視線」だそう。アルファロメオに乗ったことがないので、わからないけど。

もっと乗っていたかったけど、1時間半のドライブはおしまい。
最後にモーターを見せてくれた。私にはチンプンカンプンだけど、超シンプルで、芝刈り機とあまり変わらないそうだ。100kmまで出せる!

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プロフィール

Author:長谷川たかこ

この国に住もう!と決めたのは13歳のとき。それが実現したのは10年以上経ってから、それから30年の月日が流れました(単純計算しても歳は出ません!)
訳書多数、著書3冊。夫1人、子供2人、猫2匹と暮らす騒がしい毎日。映画と料理とヴィンテージの服、デビッド・ボウイが趣味。

長谷川たかこ

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