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bac2008

16日月曜日、8時。2008年バカロレアの試験がスタートした。例えば一般バカロレアの受験者は1日目、哲学、2日目、地理・歴史。3日目文学か経済・・・と4日か5日間続く。今年の受験者は13歳から63歳までの50万人。
さて初日の哲学で出た題材のいくつかを挙げると:
知覚能力を開発することは可能か?
サルトルの『倫理学ノート』からの抜粋して説明せよ。
芸術はわれわれの現実の意識を変えるか?
・・・この中からひとつ選んで、自分の考えを述べよ。与えられた時間は4時間。
なんて試験に直面したら、あなたどうします?
「マークセンスで、はみ出さずに塗りつぶす方」なんか練習していた私の受験とじゃ天と地の違い。

試験開始の直前まで極秘の試験問題が10時すぎに漏れるのは、試験開始2時間後から退場が認められているから。つまり、楽勝でさっさと書けちゃったか、逆に“匙を投げた”受験者が試験会場を出てきて、暴露するからだ。

今朝はテレビもラジオもオフィスでもその話題ばかりだった。となりのオフィスのフロランスは「哲学は成績も良かったし、試験勉強もちゃんとやったので自信があった。当日も余裕で、うまく行ったと思っていたら9点だった」(20点満点で)反対どなりのオフィスのエミリーは「私は6点!それがわかってたら翌日の試験に行かなかった」
さて息子はどの課題を選んだか?・・・絶対に選らばないと確信していたサルトルを選んだそう。サルトルなんて読んでる気配なかったけど、親は子供のことをわかっていないもんだ。
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サファリジャケット、パンツスーツ、タキシード、シースルー・・・女性のワードローブを圧倒的に豊かにしたサンローラン。最後のデフィレのDVDが出るのを待ちつつ、偉大なクチュリエの回顧録。

クリスチャン・ディオールのアシスタントとしてデビューしたサンローラン。ディオールが他界すると、21歳でその後を継ぎ、4年後、1962年にはピエール・ベルジェと自分のクチュール・メゾンを開く。同じ年に披露した最初のコレクションのデフィレには、ロスチャイルド男爵夫人、フランソワーズ・サガンなど有名人がやってきた。オートクチュールに初めてスポーツウエアを取り入れ、モード史上に残るコレクションになる。順風に乗って、初の香水《Y》を発表。
1965年のデフィレではモンドリアン・コレクション(上の写真)を発表し、サンローランは押しも押されぬ人気デザイナーに。
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1966年、サンローランは女性のスモーキング(タキシード)を発表し、センセーションを起こす。これ以来、スモーキングは違ったデザインで毎回デフィレに登場。サンローランのアイコンのひとつとなる。
66年は、パリの7区にプレタポルテのブティック、サンローラン・リヴ・ゴーシュが開いた年でもある。ブティックのゴッドマザーは、オートクチュールの顧客であるカトリーヌ・ドヌーヴ。

60年代の終わりには、NY、ロンドンにサンローラン・リヴ・ゴーシュのブティックを開き、リヴ・ゴーシュ・オムもスタート。コレクションに透ける素材が登場したのもこの時期。
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広いジャンルのアートを愛するサンローラン、ロシアのバレエ・オペラやピカソ、マチスへのオマージュなど、70年代はアートからインスピレーションを得たコレクションが目立った。
80年代には今では定番になっているサファリジャケット、アフリカンルックを発表。

1982年、メゾン創立20周年記念にサンローランはインターナショナル・ファッション・アワードを受賞。3年後にはグラン・クチュリエのオスカーに輝く。
1990年のデフィレは、「自分に影響を与えたすべてのアーティストへのオマージュ」で拍手が止まない大成功に。

1998年、ファムのプレタポルテにアルベール・エルバズ、コレクション・オムにエディ・スリマンと2人のデザイナーがメゾンに参加。
7月12日、サッカーワールドカップ決勝戦の前に、スタッド・ド・フランスに300人のマヌカンを動員し、デフィレを行う。8万人の観客の前に、サンローランの歴史が絵巻のように繰り広げられる。サンローランにとってこのデフィレが最後の輝きだった。
2000年、メゾンは企業グループPPRに買収され、PPRはトム・フォードをアート・ディレクターに起用。モードのことは知り尽くしていても、高級ブランドグループ間の戦争には関わりたくなかったサンローランの“アデュー”が始まる。2001年、インターコンティネンタル・ホテルでサンローランの最後のデフィレ。2002年にはクチュール・メゾンを閉めることを発表した。写真は最後のデフィレのフィナーレ。カトリーヌ・ドヌーヴ、レティシア・カスタ、2人のミューズに挟まれながら寂しそうなサンローラン。
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2004年、トム・フォードが去ってから、イタリア人デザイナー、ステファノ・ピラティがアート・ディレクターを務める。

黒いプルオーヴァーに黒いスカート、愛する男の腕の中にいれば女性はこれだけで美しい、といったのはサンローラン。中身のエレガンスの大切さを繰り返したのも彼だった。


Adieu サンローラン

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月曜日の朝は「サンローランが亡くなった」というニュースで明けた。
「マドモアゼル・シャネルは20世紀前半を、サンローランは後半を象徴するクチュリエ。ココ・シャネルは女性を自由にし、イヴ・サンローランは女性に力を与えた」と、サンローランの “生涯のパートナー”だったピエール・ベルジェ。

ラジオFrance Interでは、彼の初めてのインタビューを放送した。19歳のサンローランは、哲学をやっていたけどモードに方向転換したことを、すごく内気そうな声で語っている。
61年、25歳の若さで立ち上げたメゾンは、オートクチュールメゾンとしては初めて株式上場。40年ののち、2002年にメゾンを閉じるときは、モード史上に残る盛大なデフィレでフィナーレを飾った。カトリーヌ・ドヌーヴとレティシア・カスタに挟まれて、最後にステージに現れたサンローラン、足取りやしゃべり方がぎこちなかった。死因は脳の癌。71歳。

smorking


台形ドレス、タキシード、サファリスーツ、透けるモスリンのドレスなど、女性のスタイルとして定着したシルエットの数々は、みんなサンローランのデザインだ。その中でも、女らしさが強調されるマニッシュなタキシードはすごい発明。60年代、パンツスタイルでオフィスに行けなかった女性を解放したのも彼の功績だ。
プロフィール

Author:長谷川たかこ

この国に住もう!と決めたのは13歳のとき。それが実現したのは10年以上経ってから、それから30年の月日が流れました(単純計算しても歳は出ません!)
訳書多数、著書3冊。夫1人、子供2人、猫2匹と暮らす騒がしい毎日。映画と料理とヴィンテージの服、デビッド・ボウイが趣味。

長谷川たかこ

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