はてなキーワード: 深沢七郎とは
周りが結婚し始めて久しい。子どもが2人3人の友人も増えてきた。
私も過去お付き合いした人と結婚を考えたことがないわけではない。それと同時に、結婚やパートナーが全てだとも思っていない。
それでも、友人との付き合いの中で、友人といるのにひとりであることを痛感させられることが極めて増えた。
ひとつは話題が合わないこと。子どもの話題になったとき、月齢どのくらいで何ができるとかはむしろ友人たちの子どもと接して詳しくなったが、所詮他人であり二人称で関わる彼らと雲泥の差である。その話題に入るつもりもない。
子どものない二人暮らしの友人であっても、家具のこと、日々のごはんのこと、一人と二人では置かれた状況の違いから同じ地平で話せない場面もある。
もうひとつがでかくて、友人付き合いが基本パートナー同伴がちであること。
家に遊びに行く、飲みに行くとき一緒に来る、もうこれは基本当たり前である。恐らく私が大人数のコミュニティより少人数で人と親しくしてきたことや、割とオープンマインドなスタンスなことにも起因してるという自覚はあるものの、もうパートナーが来ないことが少ない。
オープンマインドだからって、私は今日目の前の友人と飲みながら、追ってるアイドルは相変わらず元気かだとか、今年のクリスマスコフレは何が気になるかとか、そんな話でくだをまいてたいのだ。仕事も忙しくなって話せる日が減ったからこそ、そんなくだらない積もる話をしてたいんだ。
それでもパートナーは来る。ひまだというのに断る理由もない。さすると自然に二人の生活の話や、最近の私の話になる。これは集団で飲んでてみんなパートナーがいるときにもよく起こる。
私の話を求められると、自分の心としては真面目に向き合ってうまくいかなかったような話もすぐネタとして昇華してしまう。むしろ結局人間はゴシップが好きだから、ひとりの私に薄っすらと無意識下にゴシップを求めてる人もたまにいる。そして応えようとなんか頑張って疲弊する自分がいる。
ある種の摂理だと頭でわかりつつ、その友人ごとその日が少し苦い思い出になりそうになるのがつらい。
前にツイッタランドで「『友人は季節に咲く花だ』という言葉がある」みたいなことを見た。人生の置かれている状況が変わり、一時は会わなくなっても、また季節が巡れば会うようになる、的な素敵な言葉っぽい響きに感じた。
きちんと調べたら、これは深沢七郎の「人間滅亡的人生案内」(※以下、"〜"は同書引用)という「話の特集」の誌面で受けた人生相談をまとめた本で見ることができる、"友達というものは花のようなものです。"という言葉のようだ。
その後に続くのは以下のとおりである。
"そのとき、そのときの時季、状態で友達はそこにあるから眺めたり、飾りものにするのです。友達などというものはそのときどきに自分のために存在するのだからそんなものに負担を感じたり、たよりにしようと思うことは悪いことだと思います。"
要は友達は自分の都合で生じる存在だから、気にしすぎず捨てるなり飾るなりすればよいという、まあ突き放した感じだった。けど、そんな捉え方もアリだなって少し気が楽になった。
大事に愛でつつ、でもそれを理由に傷ついたり凹んだり無理したりする必要はない。当たり前っちゃ当たり前だけど、孤独故にたまに違えてしまっていたような気もする。
旧い友人でも双方の認知が一致することなど極めて少ない、人間と関わる限りう〜〜〜〜んという瞬間は尽きない。友人と会うときにこれからもパートナーは同伴率高いだろうが、途中合流にしてもらうとか2人まとめて仲良くなるとか、私の心地よく生きられるよう頑張らないよう努めたい。
楢山節考は二度映画化されていずれも劣らぬ名作だったことから原作も
文学関係者のみならず一般にひときわ高く評価されることになったんだとは思うんだけど、
小説の元ネタになってる棄老伝説ってあくまで伝説であって史実の裏付けが何も見つかってないんだよね。
リアリティにこだわった今村昌平版の映画しか見てないとなおさら本当にあった話にみたいに思えるけれど、
具体的な史料に基づいたのではなく、想像で書いたと深沢七郎も言っている。
史実に基づかないことはノンフィクションを標榜していない小説にとって何の欠点でもありはしないが、
さも実際にあったことのように扱って日本社会もまた姥捨山があったような時代に逆戻りしてまうなどと論じることに意味があるとは思えない。
「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。」
「この間すごい話をしたんだ、松井さんが。私は膝をたたいてその通りだと。女性がいるから言えないけど…。本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失ったものが、生命体、しかも人間であるということだけでいろんな消費を許され、収奪を許される。特に先進国にありうるわけだ。でね…、やっぱりやめようか(笑)。あれが実は地球の文明なるものの基本的な矛盾を表象している事例だな。」
「そして、他の動物、他の生命体とのかかわりの中で、人間が人間というものの存在を主張し過ぎたために、非常に横暴な存在になった。そして、彼が例を挙げたのは、ほとんどの動物は繁殖、種の保存ということのために生きて、それで死んでいくが、人間の場合にはそういう目的を達せない人でも、つまり、人間という尊厳の中で長生きをするということで、彼はかなり熾烈な言葉でいいまして、私はそのときに、なるほどなといいながら、しかし、それは政治家にはいえないから、あなたみたいな専門家じゃなきゃとてもいえませんなといって、そのときに慨嘆したんだ。(中略)私が思わずひざをたたいた所以の一つは、私の友人でもありました深沢七郎氏が書いたうば捨て山という、あの、要するに「楢山節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは年をとった女の人が、他の動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的な一つの証左でありまして、私はいろんなことを思い合わせながら、その松井さんの話を非常に印象深く聞いたわけです。」
この狂った発言後の選挙で彼はババアの熱い支持を受けて再選した。
私的には不思議だった。
石原曰く爺は生殖能力があるから生きる価値があると枯れたイチモツを自画自賛しとるがめったに爺が生殖なんてせんし、しても甘やかしたり障害児だったりでろくでもない子供が多いし、世間を見たら定年して濡れ落ち葉になった爺よりよほど有用で有意義に暮らしている婆の方が多いし、パートタイマーでは圧倒的に爺より婆が使えるし、家事や孫の世話などでも爺より役立っているが万が一女性政治家が
「文明がもたらした最も悪しきものは爺ですよ、婆は役に立ちますが仕事をやめた爺が生きているのは無駄で罪です(笑)」
みたいな事を何度か言ったら爺の熱い支持を受けて再選するのは無理ではと思うのだ。
婆はずーっと男からの侮辱的な言動を受け入れて、男から嘲笑われるのに慣れすぎているから笑って流したのかなぁよくわからん。
セクハラとかも婆はわりと平気に受け流すしな。
わかってないなぁ。
「テロ待望論」の肥やしになってんのが解らないんだろうなあ。
http://b.hatena.ne.jp/imeanit/20090412#bookmark-12907230
「私はこう思う」ならおk。
こういう人は、何の権利があって「断言」するんだろ?
「法治国家」日本は、暴力による自力救済は一切許されておりません。
自分の都合に合う「警察国家」日本になったらいいなと言っているわけで。
嘲笑するとか晒し物にするとか戯画化するとか、方法は
いっくらでもいっくらでもいっくらでも
ありそうなんだけどね。
この右翼の行動を、方向はともかく肯定するんだろうなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
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有島武郎『或る女』
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古井由吉『円陣を組む女たち』
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斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。