はてなキーワード: 太宰治とは
共感できる部分が多々あり、座右の書として挙げる人が多いのも納得の内容に感じる。
坂口安吾氏、岡本太郎氏、太宰治氏といった、無頼・自由・孤独の人たちの話に興味が湧くようだ。
人は一人で生まれて一人で死ぬ、独生独死独去独来とはよく言うが、「二人で居ても片想い」というのは思い至らず、興味深い視点だった。
相手への思いが両者間の均衡を保つことはほとんどなく、どちらかが一方的に思いを深めることになり、それは片想いに他ならない。
自分と同じだけの思いを返してくれるとは限らないし、死別することもあり得る。
だが、それこそが恋愛だと覚悟し、敢えて孤独を受け入れるのが、かえって人生の記憶に残る恋愛経験を育むことに繋がるのかもしれない。
内容はようわからん
ノリとか絵が良いから見てる
VTuberの人ってこんなこと毎回してるの?おれオッサンだからわかんねぇ
その人(VTuber)のことがよほどお気に入りじゃないとみてられないよね、という物珍しさがある
ほんわか風に見えてモンスターの首や腕がちぎれ飛ぶ
ヤベェ女の小佐内さん
チアリーディングの動きがすごい
負傷療養中の子が復帰するのかが一番気になる
3話あたりまで爆笑
3話めくらいまであった主演声優による本編全部コメンタリーはもうやらない?
見てるとあっという間に時間が過ぎる
キャラ絵が可愛らしい
色合いもきれい
箸休め的
もう惰性で見てる
新キャラが良い感じ
どうせ最後はやるんだろうと思いながらみてる
正直、早見さんの演技見るためだけにみてる
内容は関係ない
主人公がハイスペでありながらあたりの優しい感じに好感が持てる
冒頭の「過労死の後転生」って設定、わざわざいる?その後も一切触れられることないし
硬派・ハードボイルド
とりあえず「第17話 成長」だけで2000円くらい課金してもいい
今期は出だしおとなしい感じだったのに急にアクセル全開
便乗して書くぞ
汚いヨルクラその1。ヨルクラはSupercellとかYOASOBI的なものだったけど、こっちは美少女版東海オンエアといった感じか。主人公がガチクズなのがいかにもYoutuberっぽい。警察に捕まらないようにね。
汚いヨルクラその2。こちらはVtuber。佐倉綾音に下ネタを言わせるのが目的っぽくも見えるけど、あの人若手の頃にちんこもいじゃうからとか言ってたしな。Vtuber文化よく知らないので、いまいち何をやっているのか理解できていない。てっきりジャージにメガネのすっぴんで中の人が出てくるかと思ったら、Vtuberのガワまんまという演出だった。
「地方都市で女の子が集まってなんかやる」系。チアリーディング。P.A.Worksのお家芸。ただ背景美術はPAっぽくないポップな感じ。群馬なのにゆず。チアとパルクールなのに鉄壁スカート。別にパンチラが見たいわけじゃないけれど(短パンでも履かせればよくね?)、チアリーディングで鉄壁スカートは不自然。それ以外はよい。
こちらは鎌倉パルクール。いや、時代背景的にパルクールじゃないんだろうけど、人生ゲームとかやってるしパルクールでいいだろ。
岐阜日常ミステリ。こちらは背景美術が実写的でEDは完全実写。シネマスコープ・サイズで菜なれ花なれとは色んな意味で対象的な印象。米澤穂信と神戸守なのにところどころ西尾維新とシャフトみたいな演出を感じる。
P.A.Worksって今期3本もやっていて、それぞれ作風がぜんぜん違う。キャラは一番アニメ的なのに、背景は一番実写的。原作ゲーム未プレイなので「おお、これ鉄腕ダッシュでやってたやつだな」ってなってます。これシリーズ構成花田十輝なのね。
汚い着せ替え人形(ビスクドール)。ビスクドールからスパダリ成分抜いてキモオタカメ子成分注入した感じ。前田佳織里と鬼頭明里ってこの手のに大体いるよな。消費型オタクはどう頑張ってもカッコよくはなりません。
よくある同居ものラブコメから外して、やたら静かに質アニメ的に作ってる。ラッキースケベとかはないので、そういうのが嫌いな人も安心して見れます。ただこれ、ここから面白くなるんだろか?
ロシアのウクライナ侵攻に日本で最も頭を抱えたのはこのアニメの関係者だろう。上坂すみれがロシア語喋ってるの久しぶりに見る気がする。内容は普通のラブコメ。ヒロインがEDでJ-POP歌うのは定型。
OPがわたせせいぞう感(または久米田康治感)。安部公房全集が出てきただけで満足。普通この手のアニメの文芸部は太宰治か宮沢賢治か芥川龍之介しか出てこないから。
村上春樹なんか読む小学生なんかいないし、ガルシア・マルケスなんか読むJKなんかいない(偏見)。いや、安部公房なんか読む高校生も今どきいないだろうけど。
そういうこともあるだろうか…って読んでたけど、弱者男性の対義語が「美人ではない女性」と書いてあるのを見て、増田も弱者女性に対する認識はちょっと甘いな?と思いました。
自分から見てより遠い存在である異性に対して想像力が及ばなくなることは誰にでもあることかもしれませんね。
確かにブギウギではお金に困ってスズ子からお金をせびろうとした小田島をその子共々家に雇い入れるというような描写もありましたね。
他にもアホのおっちゃんやゴンベエ、おミネなど性別問わず様々な社会的弱者が登場しました。
そういう人々に希望を与えた歌手というテーマだったので特に描かれたというようなこともあるかもしれませんね。
虎に翼で言うと、よねの父はかなりそれに近い立場の男性なのではと思います。よねの回想の中でしか出てきませんが。
あと他の人も言っていますが優三さんも比較的。彼も早くに両親をなくし昼間働きながら苦学生をやっていましたが夢叶わずでしたね。
あと花岡も特殊ではありますが、彼の性格なのか環境なのか他人に弱さを見せて適切に助けを求めたり自分に折り合いをつけることのできなかった不器用なところなど、何か弱者男性と通じるものはあるように思います。
しかし花岡の描写についてはなんとなく唐突というか、大学時代の花岡にそういう伏線は特になかったような…実際の事件を織り込むのに突然花岡が引っ張り出されたような印象は否めませんでしたが。
それについては轟の突然のアウティングも、そんな感じあったっけ…?よねエスパーすぎんか?と私は思いました。まあ余談ですが。
弱者男性をよく描いた作品でまず思い出すのは芥川龍之介や太宰治ですね。
女流作家では樋口一葉…もっとも当時は多くの人が生活に困っていたでしょうから、何を描いてもそのうちの誰が真の社会的弱者であるのか?という定義も難しいものなのかもしれませんが。
あとは向田邦子や幸田文あたりも男女問わず様々な社会的弱者が登場します。
私もそれほど詳しくはないのですが…
漫画やラノベもよろしいですが、昔の文学などもたまには手にとってみられるのはいかがでしょうか?
ああでも最近のものでも蛇にピアスなど男女ともに社会的弱者のような人しかでてこないような作品も…彼らを社会的弱者と言ってはならないような気もしますが…
なるほど現代の弱者男性をこれこれこういうものであると具体的に示すことは個人の名誉を毀損しかねないのでポリコレ的に難しい、というのはあるのかもしれませんね。
呉八段は入門して益々強く、日本の碁打はナデ切りのウキメを見せられている。
呉八段が最近しきりに読売の新聞碁をうち、バクダイな料金を要求するのも、ジコーサマの兵タン資金を一手に引きうけているせいらしい。
僕も読売のキカクで呉清源と一局対局した。そのとき読売の曰く、呉清源の対局料がバカ高くて、それだけで文化部の金が大半食われる始末だから、
安吾氏は対局料もベン当代も電車チンも全部タダにして下され、というわけで、つまり私も遠廻しにジコーサマへ献金した形になっているのである。南無テンニ照妙々々。
然し、そこには、勝負の世界の悲痛な性格が、にじみでゝもいるのだ。
文化の高まるにしたがって、人間は迷信的になるものだ、ということを皆さんは理解されるであろうか。
角力トリのある人々は目に一丁字もないかも知れぬが、彼らは、否、すぐれた力士は高度の文化人である。
なぜなら、角力の技術に通達し、技術によって時代に通じているからだ。
角力の攻撃の速度も、仕掛けの速度や呼吸も、防禦の法も、時代の文化に相応しているものであるから、
角力技の深奥に通じる彼らは、時代の最も高度の技術専門家の一人であり、文化人でもあるのである。
目に一丁字もないことは問題ではない。
高度の文化人、複雑な心理家は、きわめて迷信に通じ易い崖を歩いているものだ。
すぐれた魂ほど、大きく悩む。大きく、もだえる。
大力士双葉山、大碁家呉八段、この独創的な二人の天才がジコーサマに入門したことには、むしろ悲痛な天才の苦悶があったと私は思う。
ジコーサマの滑稽な性格によって、二人の天才の魂の苦悩を笑殺することは、大いなるマチガイである。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43137_30135.html
やや古いSFを読んでいたら「かぶりをふりふり、答えかけた。」という一文に出くわして、珍しく感じた。
「かぶりをふりふり」ってなんだ?
「かぶりをふり」の間違いじゃないのか?
と疑問を覚え、検索してみると用例が普通にたくさん出てきたので、へえーと思った。
もしや翻訳モノに多い表現なのか?と考えたが、そうではないようだった。
私は首をふりふりこの並木の青葉を眺めた。
「金比羅舟々こんぴらふねふね、……おいてに帆ほかけて、しゅらしゅしゅら」
と彼は首をふりふり、吹き立てた。
ま、要は自分はこの表現を知らなかった、というだけなのだが、この「ふりふり」はメジャーな用法ではないような気がする。
「○○をふりふりする」の「ふりふり」ではないことは明らかにわかるし(それは「ふらふら」とか「ぺこぺこ」のような擬音語に近い)、また「ふりふりのスカート」の「ふりふり」でももちろんない。