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城跡めぐり【大和御所寺内町】

奈良県御所市令和元年5月25日登城。葛城川の東岸には、円照寺を中心に形成された寺内町がある。大和五ヶ所御坊の一つ、御所御坊と称された円照寺。寺内町を取り巻いていた環濠跡。ここも随分と狭くなってしまった。 ...

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城跡めぐり【大和御所陣屋】

奈良県御所市令和元年5月25日登城。東御所の寺内町の西側に隣接していたという御所陣屋。慶長年間(1596年~1615年)に桑山元晴によって築かれた。桑山氏改易後は幕府の代官所が置かれ明治に至る。この辺りかな?案内板の一つも置いといて欲しいものだ。 ...

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城跡めぐり【西御所環濠】

奈良県御所市令和元年5月25日登城。葛城川の西に位置する環濠集落。江戸時代は物資の集散地として大いに賑わった由。古い町並みにその面影が感じられる。僅かに残る環濠。ずいぶんと狭くなってしまった。 ...

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城跡めぐり【大和新庄城】

奈良県葛城市令和元年5月25日登城。慶長6年(1601年)、紀伊和歌山から桑山一晴が1万6千石で入封。この地に新庄城を築く。全長135mほどの規模を持つ前方後円墳に、平安期から室町戦国期にかけて布施氏が館を構えていた。屋敷山古墳の名はこう言った経緯に由る。今は屋敷山公園として、きれいに整備されている。...

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城跡めぐり【万歳平城】

奈良県大和高田市令和元年5月25日登城。平安時代から葛下郡北部に勢力を誇っていた万歳氏によって、室町時代に万築かれた城。 近鉄線大和高田駅の西、陵西小学校の南東にある春日神社一帯が城跡と伝わる。東側にある池越しに城跡を眺める。池と春日神社の間に残る土壇。万歳平城と関係あるのかな?附近は住宅が立ち並び、城址の面影はほとんどない。 ...

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城跡めぐり【南郷環濠(南郷城)】

奈良県大和高田市令和元年5月25日登城。室町時代に形成された南郷環濠集落は、東西約500m、南北約700mと大和平野の環濠集落の中でも最大規模を誇る。環濠内は7つの垣内(集落)に分かれており、在地豪族南郷氏の居館も築かれていた。関ヶ原の戦い後、南郷は幕府直轄領となり、近隣の2万石を支配すべく代官陣屋が設置された。周囲に巡らされた濠はほとんどコンクリート化されてはいるが、北側は公園に整備されたりと、昔日の面影は...

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城跡めぐり【藤森環濠】

奈良県大和高田市令和元年5月25日登城。池尻環濠集落の北東250mほどにある藤森環濠集落。集落を取り囲む環濠は比較的よく残っている。遥かに二上山。集落の南西部、十二社神社から慈雲寺の辺りには土塁が残るらしいが、木が蔽い茂り視認はイマイチ。...

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城跡めぐり【池尻環濠】

奈良県大和高田市令和元年5月25日登城。大和平野に数多く残る環濠集落の一つ。カキツバタがきれいに咲いている。さあ今日は気合を入れて環濠集落を廻るぞ! ...

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城跡めぐり【五條代官所(移転後)】

奈良県五條市令和元年5月11日登城。文久3年(1863年)8月、天誅組により代官所が焼き討ちにあったため、元治元年(1864年)10月、新たにこの地に再建。維新後は奈良県に引き継がれ、明治3年には新たに設置された五條県の県庁に。その後は、裁判所となり、平成14年史跡公園として整備される。往時の長屋門と石垣。荒れ果てた門。もう少し修復できないものか。幕末の遺跡ながら古城の雰囲気が漂う。...

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城跡めぐり【五條代官所】

奈良県五條市令和元年5月11日登城。現在五條市役所の建つ場所は、かつて五條代官所だった。寛政7年(1795年)に設置され、近隣の天領5郡7万石余を支配していた。文久3年(1863年)8月、天誅組に襲われ代官鈴木源内を殺害され、代官所も焼き討ちに。 ...

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城跡めぐり【天誅組本陣(櫻井寺)】

奈良県五條市令和元年5月11日登城。天暦年間(947~957年)の創建と伝わる古刹。文久3年(1863年)8月、五條代官所を襲撃した天誅組はこの寺院を本陣として「五條仮政府」と号した。しかし、「八月十八日の政変」により事態は急変、天誅組は賊軍に。敢え無く壊滅してしまう。目まぐるしい幕末の一時期、20日間に亘り、この寺院に本陣を構えた。 ...