fc2ブログ
Read more

城跡めぐり【ピスア(Phi Sua)要塞】

タイ王国バンコク都平成27年9月27日登城。 今回のツアーの最後はピスア要塞。マハルーク要塞とはクームアンドゥーム運河を挟んで対岸に位置していた。 現在は花市場として有名なパーククローン花市場の辺り。 この花市場に隣接するチャオプラヤー川沿いには新た観光スポットが出来つつある。「YODPIMAN RIVER WALK」 スタバやマンゴツリー、雑貨屋などが入居するモール。 川風が気持ちいい。 「YODPIMAN RIVER WALK」から望むサ...

Read more

城跡めぐり【マハルーク(Maha Roek)要塞】

タイ王国バンコク都平成27年9月27日登城。 タイ王国の名門女子校、ラーチニー(皇后)女学校。 1904年ワチラーウット王子(後のラーマ6世)が近代女子教育の必要性を感じて創立させた学校。初代校長には日本人女性の安井てつが就任、またその助手として河野清子と中島富子も渡タイし王族や貴族の女子に教育を施した。 いまも幼稚園から高校までの良家の女子が学んでいる。 マハルーク要塞はそのラーチニー女学校の場所にあった。...

Read more

城跡めぐり【マハヤック(Maha Yak)要塞】

タイ王国バンコク都平成27年9月27日登城。 王宮とワットポーのある一角、ターティアン地区。マハヤック要塞があったと思われる地。 ビルマの脅威が薄れ始めた直後に廃棄されたのか、この地区は要塞というよりも王族の住む高級住宅街として有名だった由。 チャオプラヤー川に面して広々とした公園があり、要塞跡の雰囲気としてはそこそこ。 説明板のひとつもあって欲しいところ。 ただ、隣接するフェリー乗り場から市場にかけての...

Read more

城跡めぐり【プラチャン(Phra Chan)要塞】

タイ王国バンコク都平成27年9月27日登城。 タイ王国の二大難関大学と言えばチュラロンコン大学とタマサート大学。日本の東大と京大か。 このタマサート大学のキャンパスがプラチャン要塞跡と思われる。 難関大学と聞き興味が沸いたので、タマサート大学についてちょっと調べてみた。 1934年、首相や元老などを務めた法学者プリーディー・パノムヨンによって創立された。 このプリーディーという御仁、20世紀のタイの歴史におい...

Read more

城跡めぐり【プラアシット(Phra Athit)要塞】

タイ王国バンコク都平成27年9月27日登城。 ラーマ1世が最初に築いた新都バンコクは、チャオプラヤー川とクームアンドゥーム運河に囲まれた地域(ラッタナコーシン島)であった。 しかし、周辺からの人口流入が急速に進み、この初期ラッタナコーシン島はすぐに手狭になってしまい、徐々に東に膨張してゆく。その結果、掘削されたのがバンラムプー運河やオンアン運河であり、ここまではラッタナコーシン島と称していた。 プラアシッ...

Read more

城跡めぐり【イシントン(I-Sin Thon)要塞】

タイ王国バンコク都平成27年9月27日登城。 チャオプラヤー川に面したインシントン要塞。 バンコクを取り巻いた14の要塞はいつ頃その役割を終えてしまったのだろうか。隣国ビルマを意識して造られた要塞は、その仮想敵国が衰えてしまえば無用の長物になってしまう。 王宮よりもチャオプラヤー川上流に位置するインシントン要塞は早い時期にそういう運命になったのかも。 この付近はいつの頃からか王族や高級官僚の邸宅街となった由...

Read more

城跡めぐり【マハプラップ(Maha Prap)要塞】

タイ王国バンコク都平成27年9月27日登城。 マハカーン要塞の北西、ラッタナコーシン島の北面に位置していたマハラップ要塞。この辺りになると要塞が面する運河の名前はオンアン運河からバンランプー運河に変わる。 要塞はプラスメン通りが微かにくの字に曲がる付近にあったと思われる。 この工場がそうかな? 細い路地に入り、バンランプー運河に向かう。 運河の名前が変わったせいではあるまいが、悪臭はほとんど感じない。 要塞...

Read more

城跡めぐり【マハチャイ(Maha Chai)要塞】

タイ王国バンコク都平成27年9月27日登城。 スワタヤン要塞の南 300~400m、マハチャイ通りとヤオワラット通りが交わる辺りにあったのでは類推。 この場所だとチャイナタウンに対峙するかのように築かれたとも思える。潮州系中国人のタクシン王を滅ぼして自らの王朝を開いたチャックリー家にとっては、華僑の動向にも気を許すことが出来なかったのか。 オフィスや商業ビルが立ち並ぶ。 周辺の変わり様はラッタナコーシン島内でも抜...

Read more

城跡めぐり【スアタヤン(Sua Thayan)要塞】

タイ王国バンコク都平成27年9月27日登城。 今回のバンコク要塞巡りが可能となったのは、国立博物館に展示されていた1枚の地図。そこには王都バンコクを取り巻く14ヶ所の要塞が、かなり大雑把だが記載されていた。 この地図を参考に、現在に残る水路や道路の曲り方などから各要塞の跡地を類推、今日のツアーとなる。 続いてはオンアン運河沿いにマハチャイ通りを北上。 ロード運河とオンアン運河を東西に結ぶ水路がる。その東端にあ...

Read more

城跡めぐり【チャクペッ(Chak Phet)要塞】

タイ王国バンコク都平成27年9月27日登城。 かつてバンコクは濠と城壁に囲まれており、その城壁の要所には14の要塞が設置されていた。 現在これらの要塞で残っているのはわずかに2ヶ所、プラスメーン要塞とマハカーン要塞のみ。 その他は再開発されており、往時を見る影もないほど変わっているらしい。さはさりながら、多少なりとも失われた要塞の痕跡なり面影が感じられぬかと思い、そのうちの10ヶ所を訪問。 まず最初に訪れたのは...

Read more

うなぎ食べ歩き【ゆう YUUTARO】

バンコクのトンロー地区。閑静な住宅街の一角に洒落たレストランがあるので行ってみた。創作和食の店【ゆう YUUTARO】 週末の金曜日とあって店内はほぼ満席。個室を予約しておいたので問題ないが、それにしても人気がある。美味しい料理をお腹いっぱい楽しみ、宴もたけなわ、そろそろ〆のご飯もの。誰が注文したのか、うなぎの巻き寿司(THB500.00)。まさかのうなぎ登場に喜んだものの・・・かなり煮込んでおり、うなぎの旨味はほ...

Read more

うなぎ食べ歩き【松坂屋上野店 お好みダイニング カトレヤ】

9月の一時帰国。午前中に用事を済ませ、昼飯時に母、妻と御徒町で待ち合わせて一緒にご飯を食べることにした。あいにくの大雨、あまり歩き廻る気もせず待ち合わせ場所の松坂屋上野店内のレストランへ。母が以前来たことがあるらしく、店は広くてきれいで料理も美味いらしい。 メニューは和洋中といろいろあるが、うなぎが目に留まる。デパートの何でもある食堂でのうなぎ、美味しいのかな?と思いつつも、地階に【銀座 鳴門】がイ...

Read more

城跡めぐり【丸ヶ崎館】

埼玉県さいたま市平成27年9月16日登城。丸ヶ崎地区は、綾瀬川流域の沼沢地に突き出た半島のような地形だったと思われる。 この地勢を利用して、江戸時代には大久保氏が陣屋を置いたと伝わる。 現況は畑と住宅が点在しており、陣屋を彷彿させるような跡形はない。...

Read more

城跡めぐり【伊達城】と【大和田陣屋】

埼玉県さいたま市平成27年9月16日登城。さいたま市の台地には、小田原北条氏の滅亡とともに廃城となった城砦跡が多くある。永禄3年(1560年)、伊達房実によって築かれたと伝わる伊達城もそのひとつ。房実の主君は、北条氏政の子として生まれ岩槻太田氏の家督を継いだ太田氏房。豊臣秀吉の小田原の陣の折は、氏房が小田原城に入ったため、房実は岩槻城の守備に就く。北条氏平定後、房実は徳川家康から250石の知行を与えられ、伊達...

Read more

城跡めぐり【松野氏館】

埼玉県さいたま市平成27年9月16日登城。戦国期、岩槻太田氏の家臣松野氏の居館があったところ。見沼に三方を囲まれた舌状台地の先端に位置し、天然の要害を利用した拠点。天正18年、小田原北条氏の滅亡とともに松野氏も豊臣方の軍門に下り、徳川家康の関東入封後は徳川家に仕官し、200石の旗本として幕末まで当地を支配した。 居館跡は緑豊かな公園となり日中も静寂に包まれている。 標高は18m、木々の合間からの展望。近年、公園...