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城跡めぐり【福知山城】

京都府福知山市平成29年8月19日登城。明智光秀が丹波の拠点として築城した福知山城へ。山陰本線の車窓から見える福知山城。福知山駅からほぼ真東に1kmほど歩くと城跡に着く。昭和の時代に再建された天守群、同60年に小天守と続櫓、同61年には大天守もが完成。現在の姿に。釣鐘門と小天守。 本丸の麓に建つ佐藤太清記念美術館。本丸をぐるっと一周。南から望む天守。伯耆丸に上ってみる。「威容」という言葉がぴったり。すいぶんと...

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城跡めぐり【園部城】

京都府南丹市平成29年8月19日登城。園部城は日本で最後に築かれた城郭。完成したのは明治2年。お城に興味を持ち始めた頃から、訪れたいと思っていた園部城。以来数十年、ようやくその願望が成就。河岸段丘のような地形、その上にある小高い丘に城跡がある。堂々とした櫓門。それに続く巽櫓。いまは府立中学高校の敷地となっており、巽櫓はテニスコートに臨んで建っている。巽櫓、番所、櫓門と並ぶ様は小さいながらも風格がある。内...

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城跡めぐり【丹波亀山城】

京都府亀岡市平成29年8月19日登城。JR亀岡駅のすぐ目の前にある丹波亀山城址。濠の跡。古城の風情が漂う。石垣など往時の面影を偲べる遺構もごく僅かだが残されている。現在、城跡は宗教法人の敷地となっており、一部は聖地として立ち入り不可。しかし、そのせいか一帯は静寂に包まれる。余程の城好きでもなければ訪れないところか。...

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城跡めぐり【京都所司代屋敷】

京都府京都市平成29年5月28日登城。二条城の北にあった京都所司代の役所兼屋敷。その場所は、明治に入り待賢小学校の用地となっていたが、平成9年に廃校。二条城附近を散策中に発見。...

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城跡めぐり【聚楽第】

京都府京都市平成29年5月28日登城。天正14年(1586年)に着工され翌年に完成した関白豊臣秀吉の政庁兼邸宅。関白職を甥の豊臣秀次に譲った後は、秀次の邸宅となる。文禄4年(1595年)に秀次を失脚後は跡形もなく破却されてしまった。京都の町中を散策中、偶然に「聚楽第址」の石碑を発見。...

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城跡めぐり【吉祥院城】

京都府京都市平成29年3月27日登城。築城年代や築城者は不詳であるが16世紀の天文年間(1532~1555年)に書かれた古文書にその名が登場する吉祥院城。八条通りが西高瀬川に至る東側一帯、八条春日(佐井)の交差点付近に城地と伝わる。近くで仕事があったのでちょいと寄ってみた。八条通の北側にある西福寺。同じく南側の松尾神社。城域の西端、西高瀬川。城跡を彷彿させるものは皆無。...

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城跡めぐり【二条城】

京都府京都市平成29年3月26日登城。妙心寺塔頭の退蔵院庭園を見学し、阪急線の駅に出るバスを待っていると、二条城を通るバスがやって来た。これも何かの縁、二条城に寄って行こう。京の町中で堂々たる外堀。主な建造物をくまなくチェック。東南隅櫓(重要文化財)。入場料を払い、順路に沿って見学開始。東大手門(重要文化財)。番所。唐門と築地(重要文化財)。二の丸御殿(国宝)。二の丸庭園。本丸を囲む内堀。本丸櫓門(重...

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城跡めぐり【御土居】

京都府京都市平成29年2月25日登城。北野天満宮へ観梅へ。この期間は御土居を含む梅苑が特別公開される。天正19年(1591年)、豊臣秀吉が外敵に対する防塁、鴨川の氾濫への堤防として築いたもの。御土居の規模は全長23km。京の町を南北に長い楕円形で囲っている。現在、市内の9ヶ所に遺構が残っている由。このような巨大な土塁で京を囲ってしまうとは流石は覇者秀吉。...

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城跡めぐり【淀城】

京都府京都市平成29年2月18日登城。勝竜寺城址から徒歩で淀城址へ。桂川を渡るともう間もなく。寛永2年(1625年)、宇治川と桂川が合流する川中島に築かれた淀城。西国からの入京に立ちはだかった。幕末、鳥羽伏見の戦いに敗れた幕府軍は淀城に立て籠もろうとするが、淀藩に拒絶されてしまう。現在は本丸石垣と濠の一部を残すのみ。現在、城址周辺は公園整備に着手したところ。櫓の再建計画もある由で、数年後が待ち遠しい。 ...

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城跡めぐり【勝竜寺城】

京都府長岡京市平成29年2月18日登城。JR京都線長岡京駅の南東にある勝竜寺城址。織田信長の上洛時にこの地を与えられた細川幽斎が築城。在地土豪神足氏の居館も取り込むように縄張りされた。神足城址に建つ神足神社の一帯には勝竜寺城の土塁跡が残る。今はこじんまりとした城址公園。南側の立派な城門から入城すると・・・旧本丸跡の園内には細川忠興とガラシャ夫人の銅像。展示館を併設した管理棟。休憩所や自販機、トイレなどを...

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城跡めぐり【神足城】

京都府長岡京市平成29年2月18日登城。天武天皇の皇子長親王の後裔を称した神足氏の居館跡。神足氏は開田城の中小路氏同様、この地域で国衆として勢力を張っていた由。永禄11年(1568年)、上洛した織田信長が細川藤孝を勝竜寺城に入部すると神足氏もこれに従い、その居館も勝竜寺城の拡張により呑み込まれてしまう。 居館跡には神足神社が鎮座。勝竜寺城の土塁跡が境内には残る。...

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城跡めぐり【開田城】

京都府長岡京市平成29年2月18日登城。戦国期の国衆中小路氏の居館跡。これまでの発掘調査で居館は、一辺70mの方形をしており、高さ2m、巾6.5mの土塁と、水深1m、巾8mの濠で囲まれていたことが判明。その土塁の一部がマンション敷地内に一部残っている。阪急京都線長岡天神駅から徒歩数分の至便な場所で、よくこれだけの遺構が残ったものだと驚いてしまう。 ...

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城跡めぐり【宇治代官所】

京都府宇治市平成29年1月31日登城。宇治の平等院を観ようとJR宇治駅から歩いていると途中で何やら石碑と説明板を発見。本能寺の変の折、上林久茂という土豪が三河へ逃げ帰る徳川家康を助けた由。その褒美として江戸に幕府が開かれた後、上林家が代々宇治地区の代官になったとある。その代官所の跡はいまは銀行の建物。JR宇治駅と平等院を繋ぐ道として観光客も賑わっているが、この石碑に興味を示す人は滅多になさそう。...

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城跡めぐり【京都御所・大宮御所・仙洞御所】

京都府京都市平成29年1月22日登城。8世紀以来、千年に亘り日本の中心だった京都。その心臓部である御所に行ってみた。京都の町中にある京都御苑。東西南北を寺町通・烏丸通・丸太町通・今出川通に囲まれた東西約700メートル、南北1300メートルの長方形の敷地。その敷地内に京都御所、大宮御所、仙洞御所の3つの御所がある。今回は内部参観はせず、外周のみ見学。御苑内部へ。有名な蛤御門から入る。左側に微かに映る築地塀が京都御...

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城跡めぐり【金戒光明寺(京都守護職本陣)】

京都府京都市平成29年1月22日登城。幕末、京都守護職会津藩の本陣となった金戒光明寺。京都での騒乱発生時に備え、徳川幕府は知恩院とともにこの寺を城郭構造に改めた。その備えが風雲急を告げる幕末になり活きることとなる。さらに御所まで約2kmと至近にあることも格好の拠点であった。会津藩士1,000名は4万坪の寺域にある大小52の宿坊に入り、今日の治安維持を担うことになる。山上に建つ三重塔(重要文化財)。三重塔に至る坂道...

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城跡めぐり【伏見奉行所】

京都府京都市平成29年1月21日登城。平安時代は貴族の別荘地だった伏見。豊臣秀吉が伏見城を築いて以来、商業と交通の要衝として発展。徳川幕府も寛永元年(1624年)伏見奉行所を設置した。鳥羽伏見の戦いでは会津藩や新選組が伏見奉行所を拠点に戦闘。薩長軍の激しい攻撃により奉行所は焼失。明治に入ってからは陸軍の兵営となる。奉行所時代のものか陸軍時代のものかは不詳だが、歴史を感じさせる石垣がみられる。今は京都市営桃...

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城跡めぐり【伏見城】

京都府京都市平成29年1月21日登城。太閤秀吉が初めて城を構えて以来、三度にわたって築城された伏見城。現在観ることのできる天守は、昭和39年に伏見桃山城キャッスルランドという遊園地内に建設された模擬天守。洛中洛外図に描かれた伏見城を参考にしている由。5重6階の大天守と3重4階の小天守、それに櫓門。かなり立派な造り。ただし、耐震基準を満たしていないことから内部には入れない。当時のお金で6億円もかかったらしい。平...