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城跡めぐり【水城】

福岡県太宰府市・大野城市・春日市令和6年12月3日登城。天智天皇3年(664年)の白村江の敗戦後、唐・新羅軍侵攻に備えその翌年に筑紫国に水城を築く。水城は、四大寺山(大城山)と、西側の大野城市牛頸(うしくび)地区の台地の間の、一番狭いくびれ部を塞ぐ形で造られており、全長約1.2キロメートル×高さ9メートル×基底部の幅約80メートル・上部の幅約25メートルの二段構造の土塁で、東西の端部の東門と西門を設置。百済の都・扶...

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城跡めぐり【柳川城(舞鶴城)】

福岡県柳川市平成29年2月21日登城。大牟田へ出張、仕事は午後からなので暇な午前中に柳川城へ。縦横無尽に無数の掘割が走る柳川の市街。これらの掘割が天然の要害となり、九州屈指の難攻不落の名城と言われた。(写真クリックで拡大)5層5重の天守が聳えていたが、火災により明治5年に焼失。かろうじて残された痕跡は柳城中学校の敷地に。天守台跡は運動場の一角に残る。天守台を望みながら学べる生徒が羨ましい。水郷柳川、次回来...

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城跡めぐり【名島城】

福岡県福岡市平成28年12月20日登城。出張に託けての城跡めぐり。博多湾に突き出した標高50mほどの丘に築かれていた名島城跡へ。地下鉄箱崎線の東の終点貝塚駅で西鉄貝塚線に乗り換え、ひとつめの名島駅で下車。名島駅の駅舎、どうも趣きがあると思ったら、名島城から移築されたと伝わる福岡城内の「名島門」をイメージ。駅から城跡まで徒歩10分ほど。城(本丸)跡の丘陵が見えてきた。城跡には神社が建つ。小山を上る。豊臣秀吉の...

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城跡めぐり【大石館】

福岡県久留米市平成28年10月19日登城。JR久留米駅から南西に歩いて10分ほど。微高地ともいうべき丘に神社が建っている。大石神社という。本殿には磐座らしきものが置かれており、相当古くから神聖な場所と崇められていたのかも知れない。この神社の辺りにかつて大石館と言われた城館があった由。伊勢より下向してきた大石鎮豊が築いたと伝わるが委細は不明。「大石」という姓も、この地に土着してから名乗ったのであろうか。小高い...

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城跡めぐり【久留米城】

福岡県久留米市平成28年10月19日登城。筑後川に面した高台に築かれた城郭。近世城郭としての整備は、豊臣秀吉の九州平定後に入封した毛利秀包に始まり、元禄年間の有馬氏4代頼元の時に完成した。まだ薄暗い早朝6:00にホテルを出る。観光地図に沿って北上、城跡を目指す。ブリヂストン通りを抜けると三ノ丸跡に。筑後川に面した小高い丘に本丸を構え、その南に二ノ丸、三ノ丸を配した城郭。しばらく行くと冠木御門の跡。ここが旧本...

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城跡めぐり【小倉城】

福岡県北九州市平成28年7月20日登城。出張で下関から大牟田へ移動する途中に小倉城に立ち寄る。関ヶ原の戦いの功により、豊前半国及び豊後二郡を領する大大名となった細川忠興。当初は中津城に入ったが、慶長7年(1602年)新たに小倉城を築城、藩政の中心とした。天保8年(1837年)に火災で焼失した天守閣は、昭和34年にコンクリートで再建された。寛永9年(1632年)細川氏は肥後に転封、替わって播磨国明石から小笠原氏は入封し幕...

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城跡めぐり【秋月城】

福岡県朝倉市平成21年4月10日、平成20年7月20日登城。福岡藩の支藩である秋月藩黒田家5万石の居城跡。 「城」というより「陣屋」か。静かな山間の町並みの一角に遺構が残る。旧大手門だった黒門と長屋門。 静寂に包まれたお濠と石垣。 城跡に建つ秋月中学校。 郷愁を誘う小さな城下町、なかなか趣きがある。...

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城跡めぐり【福岡城】

福岡県福岡市平成19年10月14日登城。単身赴任先の大牟田に戻る際、日帰り観光とばかりに、妻も博多まで付いて来た。福岡藩黒田家の居城跡へ。 当時の建物がいくつか残っている。福岡県指定文化財の祈念櫓。 鉄御門跡。 天守台礎石。 福岡県指定文化財の潮見櫓。 福岡県指定文化財の母里太兵衛邸長屋門。 今回は駆け足だったが、次回はゆっくりと散策したい。...

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城跡めぐり【三池陣屋】

福岡県大牟田市平成18年4月18日登城。 元和7年(1621年)、柳川藩から1万石を分知された立花種次が三池藩を立藩し、三池の地に陣屋を構える。 陣屋の跡地はいまは三池小学校に。 陣屋遺構?空堀のような跡。 当時の表門跡。 近所の壽光寺の山門は、旧陣屋の正門が移築されたもの。 陣屋跡の斜向かいにある「船津塾跡」。 「船津塾」って何だろうか。...