はてなキーワード: 障がい者とは
心まで障がい者になるなっていうフレーズがダメっていうじゃん。
でも車椅子駅突撃女見るとこれはやっぱり心まで障がい者としか言いようがないよなって思っちゃう。
こう言えちゃう俺もその女と同じレベルで心が障がい者ってことなのかなあ?
dorawiiより
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舞台を観に行ったら前の席が知的障がい者だった。身近に知的障がい者がいないので馴染みがないが顔立ちでわかる感じ。あとヘルプマークつけてた。
上演中に声を出したりはしていなかったが上演時間の半分以上前のめりの体勢で座っており、頻繁に体を動かし何度も伸び上がるように腕を頭の上にあげ、ペットボトルをパキパキ鳴らしながら水を飲むので、正直かなり迷惑だった。
母親らしき人が隣に座っていたが前のめりの体勢や腕を挙げるような仕草に注意するような様子はなく、その割には上演中に何度も話しかけるように顔を寄せていたのも意味がわからない。姿勢が維持できずに前のめりになってしまうのかもしれないが、せめて顔より高く手を挙げる動作はやめさせて欲しかった。
寛容な心で許し受け入れるべきなのはわかっているが、一万円以上するチケットを購入し休みを調整して楽しみにしていた舞台でこの席運は残念過ぎる。
もちろん席運が悪く周囲の人が残念だったことは今までにもあるが、相手が障がい者になるとその愚痴すら誰にも言えなくなる。辛い。
結婚相談所やけど
最近『おぢアタック(35歳以上の中年男性が8歳以上歳下の女性にアプローチすること)』ってのが社会問題になってるらしい
結婚相談所の立場としておぢアタックが成功した事例について説明する
おぢアタックが成功する事例というと金持ちの男が金に力を言わせてってイメージだが実際はそんなことはなく
(もちろん金持ちや高年収の男性は年の差婚が多いがそれはそういった男性が高齢であることが多く、高齢者はそもそも年の差婚が比較的多いことが原因なんだ)
実際は40前後で年収800万円程度の底辺寄りの男性でよく見られる
障がいのない場合でも
・底辺地方国公立や日東駒専未満、短大や専門卒どころか高卒までいる
私は兄が嫌いだ。
幼少期、母に言ったことがある。
「私は兄が恥ずかしい」
母は私にこう言って泣いた。
「なんでそんなこと言うの」
私はその日以来、家で本音を話すことをやめた。
私はよく「悩みなさそう」だとか、「恵まれてるよね」だとか言われる。
実際、恵まれていると思う。
小中高大と私立に通わせてもらい、望んだ習い事は全てやらせてもらった。
大体のことにおいて成功してきたし、容姿も恵まれている方だとは思う。
性格もとんでもなく前向きで、嫌なことはすぐに忘れられる。幸せに生きることに適性がある。
何より私自身も「幸せそう」だと思われるように振る舞ってきた。
が、「悩みなさそう」「恵まれてるよね」と言われるたびに、
「悩みのない人間なんているわけがないのに、想像力のない奴だな」と思ってしまうのである。
私の兄は知的障害者だ。
兄に対してそこまでの興味関心がない。
しかし、一目見て「障がい者だ」とわかるくらいには障がい者だ。
昨今ADHDだとかASDだとかHSPだとかを自認するのが流行っている。
私の周りの人間も9割ADHDを自認している。これは盛っていない。
そういう人間を見るたび私は、
「本当の障害者でもないくせに、ファッションで障害者を名乗るな」とイライラしてしまう。
本当にそういった障害を抱えて本気で悩んでいる人には申し訳なく思う。
しかし、本当にADHDやらを自認している人間全員が、心から自分は発達障害だと声高らかに言えるのか?
何と言っても血のつながった兄が本物の障害者なのだから、私にも何らかの障害があってもおかしくはない。
が、兄を見ていると「私なんかが障害者を名乗ってはいけないな」と思ってしまう。
人並みの社会生活を送れて、人並みに友達がいて、そんな人間が障害者を名乗ってはいけない。
ここで言う人並みの人間とは、一見して“普通の人間”として社会に溶け込める人間のことである。
常ににやにやした笑顔を浮かべ、爪を噛み、くたくたのシャツを着るような、一目で障がい者とわかる人間ではない、“普通の人間”に擬態できる人間のことである。
ただの生きづらさを抱えた人間を、私は障がい者として認識はできない。
小さい頃から兄が嫌いだった。
勇気を出して、母親に「私は兄のことが恥ずかしい」と笑いながら吐露したことがある。
しかしそんな私に母は泣きながら「何でそんなこと言うの」と繰り返し繰り返し言い聞かせた。
涙を流す母を前に、私は何も言えなかった。
潔癖だった私は、爪を噛むことが癖の兄が触った場所を触るのが嫌だった。
私にとって家は、不潔な場所だった。
しかし、どうしても私は兄のことが好きになれなかった。
どうしても生理的に受け付けなかった。
何度も好きになろうとしたが、どうしても無理だった。
同じ空間にいるだけで不快感が腹の底から湧き上がってくるのだ。
両親は本当に立派な人だ。
まともなコミュニケーションが取れない兄を立派に育て上げ、兄はきちんと働いている。
この両親でなかったら、兄はここまでしっかりと育たなかっただろう。
兄がいなかったら、と。
私の反抗期はなかなか凄まじかった。
私立の学校に通っていたおかげで、所謂“グレる”ようなことはなかったが、
家の窓を割り、車を傷つけ、ヒステリックに泣き喚いていた。
今思うと、私にとって家は「安心できる場所」ではなかったのである。
兄が同じ空間にいるだけで不快感が押し寄せ、両親はそんな私の気持ちを汲み取らず、反抗期もない兄の味方をする。
まあ当たり前の話である。
私にとっては恥ずかしい兄でも、両親にとっては愛すべき一人息子なのだ。
しかし、兄がいなければ私は、もっと両親と仲良く本音を話せる仲になれたのではないか。
そう思わずにいられない。
両親は常に朗らかで、良い家庭を築こうとしている。
私だけが馴染めていないのだ。
兄がいるからだ。
兄の隣に立つのは恥ずかしい。
周りから変な目で見られている気がする。
私は子供を産むつもりがない。
兄が障害を持っているならば、私が産む子供も障害を持っている可能性が高いだろう。
無邪気に結婚し、子供が生まれたら〜と話す友人を見るたび、黒い気持ちが湧き上がる。
本当にあなたは、そこまでの覚悟を持って子供のことを考えているの?と。
両親は、私に「結婚は?」だとか、「良い人はいないの?」だとか聞いてくる。
何度「兄のせいで結婚する気になれない、両家顔合わせでどんな顔して兄を紹介すれば良いんだ」と言おうとしたかわからない。
しかし諦めている。
どうせまた「なんでそんなこと言うの」と泣かれるに決まっている。
まあありがたいことに、あまりにも幸せに生きる適性がありすぎて、結婚せずとも一人で幸せに生きていけそうである。
なんだかんだ言ったが、私は兄に不幸になって欲しくない。
幸せになってほしい。
インターネット議論の中で見た様々な意見の中で、何となく引っかかったものたちまとめ
・ファンクラブ会員以外が介助者として入れたら悪用する人が必ず出てくる
・信じられないくらい倍率が高いであろうライブに会員以外入れるのはちょっと違うのでは
・運営もこの人数が申し込むであろうライブにこまごま対処できない
・合理的配慮は義務なのに介助者は入れないのはちょっと違うのでは(障がい者手帳を持っていると多くの施設で介助者1人まで無料や割引などがある)
→親族や知り合い、介助者が固定ならまだしも、ヘルパーさんにお願いしている場合とかは難しいと思う(現実的な意見としてちょっとズレてると思った)
・体位変えたりトイレ介助したりまでしなきゃいけない人は見に来るどころではないのでは?
→これ本当に意味わからん、病人は病人らしくしてろってことなのか?介助者いて介助がその人で完結する状態であれば良くないか?別にジェットコースター乗りたいと言ってるわけではないんだぞ
(ここまで言ってない人のが多いけど、はっきり「重い障害があるなら来るべきではない」と言っているものを見たので書いた)
【まとめ】
・自分の推しが同じような形でラストライブしたら多分FC以外入れるなんて!みたいな気持ちになると思う
・あと運営側もそこまで個別に対処できるのかわからないから難しそう(実際に介助者の形で悪用して入るのが横行したライブの話も耳にした)
・でも明日は我が身の人少なすぎると思う、「多分パブリックビューイングとか配信があるからそっち見れば」と言っている人はたくさんいたけど、自分がもし障がい者になってもそう思えるか?本当に?私は思えないよ
調べたけどお前がそういうとこに行ってるの?障がい者施設なんてよく知ってるね
dorawiiより
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日常会話や世間話なら一人当たり一文。ほとんど一文ごとに話し手と聞き手は入れ替わる。
このやり方である限りにおいては先生と弟子があるテーマに沿って対話して一緒に学びを深めていくようなことにも当てはまることだが、話す順番は特に意識する必要はない。相手が聞いてきたことから答えればいい。
それは問いも答えも文章的には一文によってやり取りされることに関わっている。
これが二文以上を費やしてもっとまとまりのある情報を一度に伝えようということになる段階で文章の組み立てというものは意識される。
長い文章ほど推敲もしないで思いつくままに話したり書かれたりされても受け手はどんどん置いてきぼりになっていく。
やみくもに話したり書いたりしたとしても偶然話の組み立てとして最適解な順番になっていて推敲した時と同じ効果を受け手に及ぼすこともあるかもしれない。
むしろそれが偶然よりも高い確率で起こるようにするためにこそ推敲をするのだと考えるべきだろう。
ここまでのことを踏まえれば、結局逆に言えば挨拶や英会話のような単純な質問と応答のような世間話のような類をラインやネット上の掲示板でチャット感覚で行なうことにおいては、その文章は本質的には形式に囚われて文章と分類していても仕方がないのではないかということだ。
文章は他人の目に触れた瞬間それは解釈的に作者の手から離れるというが、まさかチャットで書き手が誤解されて誤解であることを釈明した後でも「お前の先の文章ではそう解釈できるんだからお前がどういう意図で書いたかは関係ない」とか言ったらただのキチガイだろう。
政治家が発言を撤回したならば撤回したという事実自体は受け入れられ、批判されるのだとしても「撤回するなら最初から言うな」といったような類であるのが健全であり、まるで撤回したことなど知らないかのように「なんであんなことを言うの」と言い続けるのが異常とみなされることに対応する。
また一般的な文章では同じ言葉は極力使うべきではないという考え方があるようだがチャット的な単なる意思疎通のための文章では別にそのようなこだわりは求められていないと思う。
これも音声での対話でも同様に同じ言葉を何度使おうが全く気にしないのと対応している。
そもそももし我々が声帯も手も失ってしまったら何が望まれるだろうか。
脳から口を動かしたりキーボードを叩くときの命令が検出されたらそれに対応した人工音声の再生なり、ネットを対象としているなら端末への文字の入力なりが望まれるのではないか。
ネットを対象をしてなくて対面でもあえて胸元にiPadみたいな液晶をぶら下げておいてそこに言葉を発しようとする時の脳の命令に対応する文字が出てくる仕組みを望む人もいるかもしれない。
いずれにせよこうやって考えてみると、音声のときと文字の時とで文章かどうかの扱いが変わってしまうという考え方には本質を欠いた印象を受ける人も出てきているのではなかろうか。
しかし現行の考え方では人工音声か胸元に文字が表示されるいわゆる筆談形式をとっているかというだけで文章という呼称を適用すべきかの判定をしていることになる。
増田というある種の仮想空間においても我々は喉を潰され筆談を強制されているようなものだ。
筆談する障がい者の表現は全て「文章」力という尺度によって評価されるべきなのだろうか?現に「口下手」だった後天的啞が筆談でコミュニケーションを取っている場面でその巧拙が考察される場合、おそらくそれは会話という捉え方で分析されるように思えるし、このような場での表現の巧拙をやみくもに全て文章力と呼んで処理する傾向は腑に落ちない。
dorawiiより
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>自治体から脳ドックの無料クーポンが来てたけど、脳梗塞の兆候とかも分かるのかね?
→脳の血管の特徴とか教えてもらえるらしい。
>「健常者として扱われる」「誰も何も配慮してくれない」障害が残っていても身障者扱いにならないのかな
→気づかいのコメントかもしれないが一応。リハビリ病院では、脳梗塞としては症状軽いほうなので障がい者にあたらないと医師から伺いました。
→チョコザップで筋トレ、出勤、週末は1万歩以上は歩いていました。
>入院費とか、保険とか、使えた補助金や制度とか、備えたら良かったこと、教えてほしい… (生々しくて書きたくなかったらいいです)
→高額医療費制度のおかげで全部で入院費用は25万円くらいかな。最初思ったよりは安く済んでたすかりました。
任意保険の類には入ってなかった。入ってたらよかったけど、発症しなかったらコスパ悪いから悩ましいね。
とにかくに発症しないことに代わるものはない。なので寝る前の水分摂取は欠かさないでほしい。
血圧・コレステロール・糖尿病などに難があればとくに気を付けて。自分は低血圧・低コレステロールだけどね。
あとリスク要因の睡眠時無呼吸症候群の気配があるから、検査して手を打っておけばよかった。
>原因なんだったの?
→軽食エコーという心臓の検査もしたんだけどわからなくて、水分不足だったのかな〜と言われました。
→運よく、ゴミ出しのあとに閉めていませんでした!命拾いですね
>家族歴
>金銭面の話が聞きたい。復帰前の仕事は発症後どうなったのか。障害者手帳を取ったのか、食事はどうしてるか等
→入院費用は全部で25万円くらいかな。退院後の薬・頻尿のくすりを合わせるもう少し。
仕事は、まだ大目に見てもらってる感じで、発症前と同じ仕事をしています。
タイピングやしゃべるのがへたくそにになってしまったのがストレスですね。
注意力の低下によるものか誤字脱字が多くて、ワーキングメモリの低下で、短い数字列の記憶が危うくなってしまったな。
障がい者にはあたらないらしく手帳はとろうとしてないですね。ヘルプマークはちょっと悩んでいる。
心に響いたのは禅のお坊さんの言葉でした。
私は重度の知的障がい者は施設で保護されていれば、一生楽に暮らせるのに、
仕事でいろいろ注意されても、施設に帰りたがらないのを不思議に思って、
「なぜかわからないのですが」と尋ねたとき、お坊さんは、一瞬考えると思っていたところ、即座に「当たり前ですよ」と云われました。
「大山さんはほどほどに物やお金があるでしょう。それで幸せと思っていますか。究極の幸せは四つです。
一つ目は「人に愛されること」、二つ目は「人に褒められること」、三つ目は「人の役に立つこと」、四つ目は「人に必要とされること」です。
愛はともかく、あとの三つは仕事で得られることですよ」と。
企業の大きな使命を教えてもらいました。