はてなキーワード: 適当とは
横増やけどあったらあったで便利やで
なんかちょっと物足りないんだよなーみたいな時に入れるのに便利なんや
ワイは料理に凝るタイプではないから適当に足すくらいしか使ってへんけど、昆布締めの代わりに味の素使うと昆布締めより楽やしクセがないらしいわ
エクソシストの映画の撮影前、主人公の神父役の役者が変死してしまう。その代役にアル中で業界を干されているラッセル・クロウが選ばれ、なんかうまく行ってない娘は付き人として撮影に参加。しかし、アル中で脳が委縮したラッセルはろくに台詞も覚えられないし体調も悪い。そうこうしているうちにラッセルの様子がどんどんおかしくなっていき、撮影現場では異変が起き始める。もやしこの映画は呪われているのでは、ラッセル親子の行く末は……
みたいな話。
ちゅ~~~~~~~~~~~と半端やなぁ(ちゃらんぽらん感)。
いや、やらんとしてることはわかるんよ。トラウマの苦悩、演技で自分を追い込むことによる変容、信仰の脆さ、親子の絆、そしてエクソシスト映画。でもこれらを全部やろうとした結果、全部中途半端になってる。
ラッセルは敬虔なキリスト教徒だったんだけどいつも通り幼少期に神父にケツ掘られててそれがトラウマになっている。その後、役者として大成するもトラウマから逃れるために酒と薬の日々を送り、妻が大病を患って死んだ際には更生施設に入っていて死に目にも会えてないので娘との間には距離がある。
そんな彼が皮肉なことに敬虔な神父の役をやることになってストレスはたまり、ディレクターからは過去のこと、酒浸りだけではなく幼少期のことまでをチクチク責められるしどんどん様子がおかしくなっていくが、そのうち本当に悪魔に取りつかれてしまう。
でもここの"役に押しつぶされる"展開がめっちゃ薄いから、悪魔に憑かれる展開へのジャンプがめっちゃ弱い。序盤からラッセルはずーっと鬱々してるし様子がおかしいから、悪魔に取りつかれておかしくなるっていうギャップが薄い。もろちん、これは悪魔?それとも本人?っていうサスペンスはあるんだけど見てる側からすればどっちでもよくね?ってなっちゃう。悪魔だろうが本人だろうが様子がおかしいのには変わりないし。
また、ラッセルが抱えているトラウマが作中で解消されるという展開もない。後半はもうずーっと悪魔に取りつかれて様子がおかしいラッセルが大暴れしていて、これを親子の絆で取り戻す展開かと思いきやまったくそんなことはなく。映画のアドバイザーとして参加していたプロ神父が「ワイがラッセルの中の悪魔を引き受ける!」つって悪魔を吸収し、ラッセルと娘、あとなんかぬるっといてた共演女優みんなでお祈りを唱えた結果、爆発炎上して終了。
別にトラウマの解消はそんなに簡単なものじゃないにせよ、何らかの進展があってもええやん。っていうか、あるべきでしょ。神父様の自己犠牲によって助かりました、まぁ、神父に性加害されたことがトラウマだったのが神父にもいい奴もいるんだよ!で和らいだという考え方ができなくもないけど。でもラッセル、悪魔に取りつかれた神父の脳天に十字架ぶっ刺してるんだよな……殺人だよ……ハッ!?神父の恨みを神父で晴らしてスッキリした!ってこと!?
どんな映画やねん。
信仰の脆さに関しては敬虔な神父として娘に寄り添いこの事件の解決に動いてくれてた神父が悪魔を吸収する際に、彼自身も父親である神父から強制的に洗礼を授けられた存在だったことがわかるんだけど、まぁ、だから何?って感じで。そのことが今回の悪魔祓いに特に有効に働く要素もなかったし。
そりゃ、俳優として神父を演じることで悪魔化したが本心で神を信じていたラッセルと、神父であることを強要されてある意味神父を演じていた神父という対比と、最後の最後で神父として神の御業を見せて大往生してよかったねって感じなのかもしれないけど、少なくともそう見えるように脚本が作られていない。
つーか、神父燃えて死んで次のシーンでラッセルがなんか手紙書いてるシーンで終わるの適当すぎないか。
結局何の話やってんってなるわ。
やりたいことがいろいろあるのはわかるけど少なくとも映画としての接続はうんちだったからか、かなり退屈だった。
まぁそんな感じかな。
あと冒頭から画面が一生薄暗いから目が疲れるしメリハリもなくなってると思う。ラッセルが悪魔に憑かれた表現も、今日日それ?って感じの既視感があるものばっかりでナンダカナーって感じ。ジャンプスケアはちょいちょいあるのでビックリホラーとしてはギリ楽しめるかな。
なので、まぁ、悪魔祓い映画コンプ勢にはギリオススメ。ラッセルが悪魔祓いする映画だったらヴァチカンの方を見た方がいいと思いました。
いや、そこまで行くと完全に極論。
↓
って、間の段階全部すっ飛ばしてる。
その上で、
「だから供述を得ようとする行為自体を極端に制限したら、立証困難な事件は増える」
と言ってるだけ。
なのに毎回、
「即決裁判!」
まで飛ぶ。
あと、
本当に10人逃していい前提だけでは動いてない。
社会には、
完全黙秘を徹底されても、
は普通に難しい。
そこを指摘しただけで
まで飛ばすのは、
さすがに議論として雑だと思う。
それじゃあ、予算がないので怪しそうなやつを適当に捕まえて、即決裁判で処刑すればコスパ最高ですね。
とりあえず事件はそいつが犯人ということで解決し、見かけ上の治安は保たれる。
君の理論だとそうなるよね。
"10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ" これが近代司法の基本だろう。
君は、それを理解できていないように思う。
19世紀、ホームズとかの時代は、まだ血液なのかタダの赤い液体なのかもわからん科学捜査がなかった時代。(劇中だとホームズが今でいう血液反応を出せる試薬を作ろうとしてる)
とりあえず怪しそうな奴を適当に捕まえてきて、お前がやったんだろうと圧をかけて自白させるぐらいしかできなかった。
でも今は、もうこんな時代じゃないだろう。
司法解剖はカネがかかるから・・・科学捜査もカネがかかるから・・・手っ取り早く圧かけて自白させた方がいいとやってるとしか思えない。
でもこれって、捜査機関のタダの怠慢なんだよな。
ニュースウォッチ9にこの人が出てたが、適当な感じでまだNHKに出てるんだーっていう感じだ。
そもそも値上がりって、例えば円安による原材料の値上がりとかガソリンの高騰での運賃の値上がりとか、そういった、経済状況の変化によって、ダイレクトに変わるべき反映すべき要素があるはずなのに、反映しないことが、(そういったものへの対策を行わなくてもよいということになるため)政策をゆがめる理由である。その背景にこのようなとーだいきょーじゅがいるとするというのはことばどおり曲学阿世の徒というにふさわしい人間だと思う。
母はパートをしており、16時頃に帰ってくる。
プチのチョコラングドシャと、ブレンディを溶いただけのコーヒー牛乳を机に並べて。
こんなことが起きた、こんな会話をした、
どう思ったのか、どうしたかったのか、全て話していた。
と、母が喜ぶものだから、話す順序など考えずに、思いつくままに。
友人間では聞き役が多かった私が、おしゃべりになる特別な時間だった。
この時間が大好きだった。
私は大人になった。
おしゃべりの矛先は、夫に向いた。
甘え続けた結果、夫から「何が言いたいのか分からない。聞いてほしいだけなら喋りたいように喋ればいい。共感を求めるなら、せめて伝える努力はしよう」と苦言を呈された。
今現在、月に1度は母と会っている。
母に会うと、母の舌は止まらない。
パート先の人間関係、スマホゲームの近況、TikTokで見た変な映像、父への軽い愚痴…。
私の反応なんてお構いなしに、本当に話し続ける。
そのくせ、適当な返事には敏感だ。
罰ゲームか。知らない人のいざこざなんて、毛程も興味がない。
アルミホイルではなく、ジーパンを頭に巻く人の話しは面白かった。
TikTokなんて見るな、せめて年相応に陰謀論にでもハマってくれたらいい。
それでも、思い出したように私の近況を尋ねてくる。
しかし、途中で猫が横切れば、私の話しを聞き直すことはない。
パート先に性格のキツい人がいたことなんて、母から聞くまでは想像もしていなかった。
母は母で、人として生きていることが頭になかった。
母は、面白くもない私の話を聞くことを母の務めとしていたのだろう。
私はそれを、子として甘え、享受していたのだ。
「ほら、お母さんにならなんでも話せるでしょ。お友達の愚痴だって、お母さんにだけ言えば絶対秘密のままスッキリできるから」と母は言っていた。
おかげで、特段トラブルなく過ごせた。
何一つ本音を伝えずに過ごした小中学校時代の友人とは、今では誰一人連絡をとっていない。
特に後悔はしていないが、正解だったとも思わない。
人間的成熟もあるだろうが、自分としての振る舞い方を覚えたのはこの頃だった。
内気な自分が爆発せずに過ごせたのは、間違いなく母のおかげだ。
私はやっと、相手の温度感に合わせた会話ができるようになってきたよ。
お母さんの口調って、怒ってないのに、責めてるように聞こえちゃうんだよね。
意識しないと、私も同じなの。
お前のいうとおりにしたらこんな不幸な目に遭った(適当な不幸を3つくらいでっち上げる)。これ以上不幸になりたくないから2度と近寄るな。で、ええんじゃない?
それか、スピリチュアルおばさんがどれほど幸せか聞いて、そこまでやってそんくらいしか幸せになれないんならコスパ悪いからええわ。で断るとか。
嘘つく側は1秒で適当なこと抜かせるけど、訂正する側は資料集めてソース提示して、誰にでもわかるように言語化して……って、圧倒的にコスパが悪すぎる。
しかも、そこまでしてボコボコに論破しても、相手は1ミリも反省しねーの。
数日後には「あ、こいつ前も同じ嘘ついて叩かれてたな」って奴が、また新しい嘘を平気な顔で垂れ流してる。
で、「ソースは陰謀論youtuber。本編は見てません」とか平気で言ってくる。
正直、一番虚無なのは、その嘘を信じちゃうバカが一定数常に供給され続けること。
訂正作業なんて、穴の空いたバケツに一生懸命水注いでるようなもんだろ。
と思うんだよね。
出版区の企画でヴィレッジヴァンガードに永野が行く回のコメント欄見たら「浅い」とか「ニワカ」とか書いてるやついたけど、サブカルってそういうもんじゃん?
流れを上っ面だけなぞってコンテンツのビーチで水の掛け合いをするのがサブカルでしょ。
そっからディグって深めていくのはオタク仕草だよ。適当に腐して適当言う態度悪い眼鏡のヒョロみたいなのがサブカル住人じゃん。
こういうナンセンスで眉を顰めるような仕草、古典的「粋」こそが東京サブカルであって、サブカル内の評論駄サイクルの足元も見えずにライブハウスや小劇場の駄サイクルを貶すんだよ。
賢しいふりをしたがる現代人にはウケが悪そう。
君の周りが君と似たもの同士で固められてるからちゃんとした意見が流れてこないんじゃないの?
というか「日本政府は戦争をヤメロ〜❣️🤩💃🕺🎶」みたいなアホくさデモは適当に叩いて馬鹿にしとくぐらいでうまいバランスで回ると思うんだけど最初から強烈な悪意に基づいて行われている悪質ヘイトデモについては叩いて馬鹿にしてれば収まるの範囲を完全に逸脱してるからね まずそもそも規制対象だし