クローズアップ2008:「あたご」当直、書類送検 航行安全、感度なし
海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、第3管区海上保安本部(横浜市)は24日、衝突前の当直士官、後潟(うしろがた)桂太郎・前航海長(36)と、衝突時の当直士官、長岩友久・前水雷長(34)を、業務上過失致死容疑などで横浜地検に書類送検した。事故から約4カ月。3管は見張りが不十分で回避が遅れたと判断した。20年前の潜水艦「なだしお」事故の教訓が生かされていないとの指摘もある。防衛省は事故を機にどう変わろうとしているのか。
◇当直多すぎ人任せ 寒いので見張りは中で
「当直士官2人が基本的な動静監視を怠っていた」。横須賀海上保安部の石川荘資部長は書類送検後の会見で、船乗りにとって最も重要な見張りが不十分だったとし、仮眠中の艦長から安全航行を託された2人の刑事責任を指摘した。行政処分のため事故原因を究明する横浜地方海難審判理事所の調査も総合すると、平時の安全航行に鈍感な海自の体質が背景に浮かび上がる。
見張り不十分、判断ミス、回避措置の遅れ……。ヒューマンエラーの連鎖が事故につながった。「乗組員が多すぎて『誰かがやっているだろう』という気持ちになってしまう」。理事所関係者が連鎖の背景を語る。乗組員の任務が細分化され、責任の所在が不明確だったという意味だ。平時の安全航行に関する設備や態勢も「20~30年前の水準」と驚く。
3管の捜査などで、他の船舶に対する乗組員の鈍感さも分かった。衝突前の見張り員は「雨が降っていて寒かった」と艦橋内に。雨がやみ、当直引き継ぎ後も艦橋内にいた。長岩前水雷長は「見張りを外に出し忘れた」と話しているという。
後潟前航海長は「漁船は操業中で止まっている」と誤解したまま、長岩前水雷長に引き継いだ。なだしお事故で遊漁船の元船長の海事補佐人だった鈴木邦裕氏は「止まって見えたということは衝突する危険な位置関係なのに警戒しないのは相当練度が低い。伝えるという行為がシステム化されておらず、海自の訓練不足を如実に示した事故だ」とみる。
あたごは最新型対空レーダーで100キロ以上離れた複数の対象を探知・追尾できるハイテク艦。平時は水上レーダーを使い、艦橋と戦闘指揮所(CIC)にあるモニターを通して、半径約20キロ内の船舶の動向を見張る。理事所関係者は「民間商船では漁船群などをレーダーで自動追跡させるが、あたごは人がいるので手動だった」と語り、レーダーの使い方にも疑問を示す。
理事所は週内に、海自組織も対象に横浜地方海難審判庁へ審判開始を申し立てる。鈴木氏と同様に補佐人だった田川俊一弁護士は「2人の書類送検は艦内態勢の不備を意味する。なだしお事故から何を学んだのか。組織としての海自の責任もどこまで解明できるか注視すべきだ」と話す。【鈴木一生、池田知広、吉住遊】
◇海自「刷新」道半ば
今回は最新鋭の護衛艦が引き起こした事故だけに、なだしお事故以上に防衛省・海自の衝撃は大きかった。書類送検は「一つの区切り」(石破茂防衛相)と「気分一新」を望む空気も省内にはある。だが、海難審判では組織や艦長らの管理・監督責任も問われる。組織として抜本的な改善が求められる。
防衛省内部では、後潟前航海長の刑事責任の有無が注目されていた。防衛省は事故直後、前航海長をヘリに乗せて呼び、防衛相らが大臣室で事情聴取した。「結果的には、刑事事件でグレーゾーンにいる者から捜査機関より早く話を聞いたことになる」(内局幹部)と懸念していただけに、ショックは大きい。
衝突事故で最も問題とされたのは、あたご乗組員の見張り態勢。海自は事故直後からすべての訓練を中止して安全航行に関する総点検を行ってきた。自動操舵(そうだ)装置についても「往来の多い海域では使用しない」などの使用基準を制定した。
さらに、事故に加え情報流出や護衛艦火災などの不祥事が相次いだことを受け、抜本的改革委員会を設置。若い隊員らの気質分析から艦艇という特殊な勤務環境、指揮・統率のあり方にまで立ち返って検討を進めている。
ただ、通達を出し報告書をまとめるだけで十分か。なだしお事故から20年で同じように「見張り不十分」が指摘される事故を起こしただけに、憂慮の声があがる。石破防衛相自身、24日の会見で「組織が劇的に変わったか、私は確証を持っていない。常に意識の喚起を図っていくことが必要だ」とクギを刺さざるを得なかった。
あたごは事故後、定係港の舞鶴基地(京都府舞鶴市)に戻り、今月中旬からは年次検査でドックに入り復帰を待っている。【滝野隆浩】
◇当直乗組員だけで50人…海保捜査、難航の4カ月
事故発生から書類送検まで約4カ月。なだしお事故の68日間に比べ、3管の捜査が長期化した感は否めない。
関係者は長引いた理由を▽衝突相手の清徳丸の2人が行方不明(5月に死亡認定)▽衝突前後の当直だけでも約50人と事情聴取対象となる乗組員が多い▽乗組員の供述が二転三転し突き合わせに時間がかかった--などと漏らす。
両船の航跡をたどる客観的証拠がなかったことも大きな要因だ。あたごは自衛艦なので、一般の船に義務付けられている航海情報記録装置(VDR)は搭載されていなかった。一方、清徳丸のGPS(全地球測位システム)装置は海水につかり解析できなかった。
3管は鑑定で▽あたごの右舷70度付近を漁船が航行▽清徳丸は衝突直前に右舵(かじ)を切り回避措置を取った▽その左舷にあたごが減速する間もなく衝突--と突き止めた。漁船を右前方に見て航行していたあたご側に海上衝突予防法の回避義務があったことが裏付けられた。【鈴木一生】
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■イージス艦と漁船の衝突事故の経過
2月19日 事故発生
27日 石破茂防衛相が衆院予算委で、事故後に交代前の当直士官だった航海長をヘリで自室に呼び寄せ事情聴取していたことを認める
〃 舩渡健艦長が吉清さんの親族に謝罪
3月 2日 福田康夫首相が吉清さんの親族に謝罪
21日 防衛省が事故中間報告を発表
〃 あたご事故などの不祥事を受け、吉川栄治海上幕僚長らを更迭
28日 舩渡艦長らあたご乗組員6人を更迭
4月16日 3管があたごを衝突海域で航行させ洋上検証を実施
5月20日 吉清さん親子を死亡認定
29日 吉清さん親子の葬儀
6月24日 前航海長と前水雷長を3管が書類送検
(肩書は日付当時)
(出所:毎日新聞 2008年6月25日 東京朝刊)
海自イージス艦・漁船衝突:当直2士官送検 「一つの区切り」 遺族、父子の墓に報告
「一つの区切り。事実をきちんと解明してほしい」--。海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」(千葉県新勝浦市漁協所属)の衝突事故で、清徳丸船長、吉清(きちせい)治夫さん(当時58歳)と長男哲大(てつひろ)さん(同23歳)父子の関係者らは24日、あたごの当直士官2人の書類送検を冷静に受け止めた。
治夫さんの妻幸子さん(52)と妹美恵子さん(52)は24日朝、勝浦市内にある父子の墓を訪れ、花を供えて書類送検を報告した。墓には、遺骨に代わり父子愛用の服を納めている。美恵子さんは「ほっとした。後はそっとしておいてください」と話した。
父子が母港にしていた川津港。キンメダイ漁シーズンを迎え、昼ごろには漁を終えた漁船が続々と帰港した。同漁協の外記栄太郎組合長(79)は「法に基づく厳正な処分を望むが、故意ではないので、穏やかな処分で済ませてほしいという思いはある」と言葉少な。僚船「金平丸」の市原義次船長(54)は「当直士官2人は、たまたま責任者だっただけ。組織全体の責任を明らかにすることで、同様の事故をなくしてほしい」と防衛省に注文を付けた。
漁師仲間の傷は癒えないままだ。保育園から一緒という漁師、吉清紘生さん(23)は「てっちゃんを思い出さない日はない。でも葬式もやったし、これから時間をかけて心の整理をつけたい。書類送検をきっかけに事実が解明されればいい」と話した。【袴田貴行】
(出所:毎日新聞 2008年6月25日 東京朝刊)
海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、第3管区海上保安本部(横浜市)は24日、衝突前の当直士官、後潟(うしろがた)桂太郎・前航海長(36)と、衝突時の当直士官、長岩友久・前水雷長(34)を、業務上過失致死容疑などで横浜地検に書類送検した。事故から約4カ月。3管は見張りが不十分で回避が遅れたと判断した。20年前の潜水艦「なだしお」事故の教訓が生かされていないとの指摘もある。防衛省は事故を機にどう変わろうとしているのか。
◇当直多すぎ人任せ 寒いので見張りは中で
「当直士官2人が基本的な動静監視を怠っていた」。横須賀海上保安部の石川荘資部長は書類送検後の会見で、船乗りにとって最も重要な見張りが不十分だったとし、仮眠中の艦長から安全航行を託された2人の刑事責任を指摘した。行政処分のため事故原因を究明する横浜地方海難審判理事所の調査も総合すると、平時の安全航行に鈍感な海自の体質が背景に浮かび上がる。
見張り不十分、判断ミス、回避措置の遅れ……。ヒューマンエラーの連鎖が事故につながった。「乗組員が多すぎて『誰かがやっているだろう』という気持ちになってしまう」。理事所関係者が連鎖の背景を語る。乗組員の任務が細分化され、責任の所在が不明確だったという意味だ。平時の安全航行に関する設備や態勢も「20~30年前の水準」と驚く。
3管の捜査などで、他の船舶に対する乗組員の鈍感さも分かった。衝突前の見張り員は「雨が降っていて寒かった」と艦橋内に。雨がやみ、当直引き継ぎ後も艦橋内にいた。長岩前水雷長は「見張りを外に出し忘れた」と話しているという。
後潟前航海長は「漁船は操業中で止まっている」と誤解したまま、長岩前水雷長に引き継いだ。なだしお事故で遊漁船の元船長の海事補佐人だった鈴木邦裕氏は「止まって見えたということは衝突する危険な位置関係なのに警戒しないのは相当練度が低い。伝えるという行為がシステム化されておらず、海自の訓練不足を如実に示した事故だ」とみる。
あたごは最新型対空レーダーで100キロ以上離れた複数の対象を探知・追尾できるハイテク艦。平時は水上レーダーを使い、艦橋と戦闘指揮所(CIC)にあるモニターを通して、半径約20キロ内の船舶の動向を見張る。理事所関係者は「民間商船では漁船群などをレーダーで自動追跡させるが、あたごは人がいるので手動だった」と語り、レーダーの使い方にも疑問を示す。
理事所は週内に、海自組織も対象に横浜地方海難審判庁へ審判開始を申し立てる。鈴木氏と同様に補佐人だった田川俊一弁護士は「2人の書類送検は艦内態勢の不備を意味する。なだしお事故から何を学んだのか。組織としての海自の責任もどこまで解明できるか注視すべきだ」と話す。【鈴木一生、池田知広、吉住遊】
◇海自「刷新」道半ば
今回は最新鋭の護衛艦が引き起こした事故だけに、なだしお事故以上に防衛省・海自の衝撃は大きかった。書類送検は「一つの区切り」(石破茂防衛相)と「気分一新」を望む空気も省内にはある。だが、海難審判では組織や艦長らの管理・監督責任も問われる。組織として抜本的な改善が求められる。
防衛省内部では、後潟前航海長の刑事責任の有無が注目されていた。防衛省は事故直後、前航海長をヘリに乗せて呼び、防衛相らが大臣室で事情聴取した。「結果的には、刑事事件でグレーゾーンにいる者から捜査機関より早く話を聞いたことになる」(内局幹部)と懸念していただけに、ショックは大きい。
衝突事故で最も問題とされたのは、あたご乗組員の見張り態勢。海自は事故直後からすべての訓練を中止して安全航行に関する総点検を行ってきた。自動操舵(そうだ)装置についても「往来の多い海域では使用しない」などの使用基準を制定した。
さらに、事故に加え情報流出や護衛艦火災などの不祥事が相次いだことを受け、抜本的改革委員会を設置。若い隊員らの気質分析から艦艇という特殊な勤務環境、指揮・統率のあり方にまで立ち返って検討を進めている。
ただ、通達を出し報告書をまとめるだけで十分か。なだしお事故から20年で同じように「見張り不十分」が指摘される事故を起こしただけに、憂慮の声があがる。石破防衛相自身、24日の会見で「組織が劇的に変わったか、私は確証を持っていない。常に意識の喚起を図っていくことが必要だ」とクギを刺さざるを得なかった。
あたごは事故後、定係港の舞鶴基地(京都府舞鶴市)に戻り、今月中旬からは年次検査でドックに入り復帰を待っている。【滝野隆浩】
◇当直乗組員だけで50人…海保捜査、難航の4カ月
事故発生から書類送検まで約4カ月。なだしお事故の68日間に比べ、3管の捜査が長期化した感は否めない。
関係者は長引いた理由を▽衝突相手の清徳丸の2人が行方不明(5月に死亡認定)▽衝突前後の当直だけでも約50人と事情聴取対象となる乗組員が多い▽乗組員の供述が二転三転し突き合わせに時間がかかった--などと漏らす。
両船の航跡をたどる客観的証拠がなかったことも大きな要因だ。あたごは自衛艦なので、一般の船に義務付けられている航海情報記録装置(VDR)は搭載されていなかった。一方、清徳丸のGPS(全地球測位システム)装置は海水につかり解析できなかった。
3管は鑑定で▽あたごの右舷70度付近を漁船が航行▽清徳丸は衝突直前に右舵(かじ)を切り回避措置を取った▽その左舷にあたごが減速する間もなく衝突--と突き止めた。漁船を右前方に見て航行していたあたご側に海上衝突予防法の回避義務があったことが裏付けられた。【鈴木一生】
==============
■イージス艦と漁船の衝突事故の経過
2月19日 事故発生
27日 石破茂防衛相が衆院予算委で、事故後に交代前の当直士官だった航海長をヘリで自室に呼び寄せ事情聴取していたことを認める
〃 舩渡健艦長が吉清さんの親族に謝罪
3月 2日 福田康夫首相が吉清さんの親族に謝罪
21日 防衛省が事故中間報告を発表
〃 あたご事故などの不祥事を受け、吉川栄治海上幕僚長らを更迭
28日 舩渡艦長らあたご乗組員6人を更迭
4月16日 3管があたごを衝突海域で航行させ洋上検証を実施
5月20日 吉清さん親子を死亡認定
29日 吉清さん親子の葬儀
6月24日 前航海長と前水雷長を3管が書類送検
(肩書は日付当時)
(出所:毎日新聞 2008年6月25日 東京朝刊)
海自イージス艦・漁船衝突:当直2士官送検 「一つの区切り」 遺族、父子の墓に報告
「一つの区切り。事実をきちんと解明してほしい」--。海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」(千葉県新勝浦市漁協所属)の衝突事故で、清徳丸船長、吉清(きちせい)治夫さん(当時58歳)と長男哲大(てつひろ)さん(同23歳)父子の関係者らは24日、あたごの当直士官2人の書類送検を冷静に受け止めた。
治夫さんの妻幸子さん(52)と妹美恵子さん(52)は24日朝、勝浦市内にある父子の墓を訪れ、花を供えて書類送検を報告した。墓には、遺骨に代わり父子愛用の服を納めている。美恵子さんは「ほっとした。後はそっとしておいてください」と話した。
父子が母港にしていた川津港。キンメダイ漁シーズンを迎え、昼ごろには漁を終えた漁船が続々と帰港した。同漁協の外記栄太郎組合長(79)は「法に基づく厳正な処分を望むが、故意ではないので、穏やかな処分で済ませてほしいという思いはある」と言葉少な。僚船「金平丸」の市原義次船長(54)は「当直士官2人は、たまたま責任者だっただけ。組織全体の責任を明らかにすることで、同様の事故をなくしてほしい」と防衛省に注文を付けた。
漁師仲間の傷は癒えないままだ。保育園から一緒という漁師、吉清紘生さん(23)は「てっちゃんを思い出さない日はない。でも葬式もやったし、これから時間をかけて心の整理をつけたい。書類送検をきっかけに事実が解明されればいい」と話した。【袴田貴行】
(出所:毎日新聞 2008年6月25日 東京朝刊)