kaetzchenさんへ。 (東西南北)
2008-06-03 12:21:06
科学的社会主義でも宗教の定義はあるんじゃないですかね?どうなんでしょう?本当にありませんか?東西の定義が科学的社会主義かどうかは知りませんが、宗教団体を帰納法的に普遍化すると次のように定義できませんか?
宗教とは超自然的、超人類的な妄想、観念を抱き、その観念、妄想を実現させようとする行為のこと。その行為は加持祈祷、瞑想、念仏、礼拝など平和的なものもあるが、創価学会、オウム真理教、統一教会のように反人類的、反社会的な人権侵害行為に及ぶものもある。
どうでしょうか?笑。
慈愛に満ちたヒューニズムは人権の実現ですから、科学ですよ。kaetzchenさんが専門にしてきたのは自然科学でしょう?社会科学と混同していませんか?自然科学と社会科学は同列ではないというのは猿社会の法則を人類社会の法則へ当てはめるカルトと同じになります。
日本人は天皇制という国家神道を持っているということですが、確かにそれはありますね。要するに、自らの力で自らの国家、企業を管理、運営していくという主権者意識、社会科学の力が弱いんですね。では、社会科学の力が弱いのは何故か?まさに、戦前、戦争中、戦後も社会科学は弾圧対象となった点に原因があるのでしょう。誰が弾圧したか?といえば国家神道を信奉する右翼と経団連の結合でしょうね。それと政教一体のアメリカ政府という所でしょうか?
困ったおばさんですね (kaetzchen)
2008-06-03 13:44:38
うーん,確かに石黒マリーローズさんと言えば,福音教会つまり原理主義過激派(英知大学はこのメッカ)の理論的リーダーで有名ですね.この本は読んでませんけど,自らも被災者のくせして,宗教がどうのと関係ない視点で批判をするのは許せません.
私自身がプロテスタント (但し,アンチ原理主義) なので余計に頭が痛いのですけど,特に関西地方の方は熱心な仏教徒が多いので,キリスト教に対する誤解や偏見もまた多い.前のブログ主さんのコメントは何だかそういう部分もあるんじゃ,と思ったりしますね.私も洗礼を受ける前は親戚からずいぶん嫌味を言われました.
以前から指摘しているように,日本人は宗教を信じていないように見えて,実は熱心な「日本イデオロギー」の信者です.極右の山本七平が生前に「日本教」という言葉を遺していましたけど,あれは半分当たっているなと政治的に反対を向いている私も素直に受け取れます.
聖書やコラーンを読んで「一神教」と名付けられた宗教概念を研究するほど,実はそれは反対で神という抽象的なものを仮定して,複数の人間が神掛っているだけではないかと思うのです.でないとキリスト教やイスラム教の国々が細かく分かれるはずがない.政教一致なら統一国家になってもおかしくない.でも実際には神掛った王や皇帝たちが政治的に争っているんですよ.
それでは日本は「多神教」でしょうか.違います.「祖霊」と呼ばれる一つのカミだけを信仰する「一神教」なんです.その「祖霊」に観音やら天皇制やら様々な宗教が乗っかっているために,それが宗教だという自覚ができないのです.これは堀一郎『民間信仰』(岩波全書)に詳しいので,そちらをお読み下さい.
kaetzchenさんへ。 (東西南北)
2008-06-03 13:57:12
うーん。そんな複雑奇怪なことなんでしょうか?東西の宗教の定義でよろしいのでは?民俗学、文化人類学を学習すると東西の定義が覆りますか?不十分な点を補足する可能性は考えられますが基本的には正しいのではないですか?
さらに、「日本は「多神教」でしょうか.違います.「祖霊」と呼ばれる一つのカミだけを信仰する「一神教」なんです.その「祖霊」に観音やら天皇制やら様々な宗教が乗っかっているために,それが宗教だという自覚ができないのです.これは堀一郎『民間信仰』(岩波全書)に詳しいので,そちらをお読み下さい.」
とありますが、これも時間の無駄というか、そんなことより先に日本の雇用失業問題、低賃金、低社会保障、教育問題、労働問題をどう解決するかに切り込んだ書籍を読むほうが先決じゃないですか?
さらに、日本人に次の質問したら簡単にわかると思いますが、「祖霊を信仰するし、祖霊に祈り、拝む行為をしたら自分の生活が向上したり、戦争、犯罪が消滅したりするというのは宗教ですか?」と。9割以上の人は宗教と回答するでしょうね。すなわち、祖霊信仰は宗教である、と自覚していますし、信仰にとどまる限り「どうでもいい」と考えているんじゃないですか?
日本人が宗教から離脱できず、縮こまっているのは正しい社会科学の普及が弾圧されているからですよ。マスコミ、教育現場でも職場でも、社会教育でも。
いつも長いコメントですみません (kaetzchen)
2008-06-03 14:11:33
東西南北さん,ごていねいにお返事をども.
| 科学的社会主義でも宗教の定義はあるんじゃないですかね?
困った人ですね(笑) ドイツ・イデオロギーだとかを読み直して下さいな.
旧ソ連では「記号学」という形で宗教学研究が続けられていました.有名な人だとИ.トポローフなんて学者がモスクワ科学アカデミーにいましたけど.
| 宗教団体を帰納法的に普遍化すると次のように定義できませんか?
あ,その段階で東西南北さんは科学的論理がお分かりになっていない.帰納法は必ずジャミングが入って,結論を間違った方向へ導かれます.反対に演繹法で正しい結論が出たかどうかを確認しなければ,少なくともその定義は仮説のままで検証されません.これは疑似科学が陥りやすいポケットですので,気をつけましょう.
結論から言うと,宗教というのは人間の世界観そのものである.のみです.だからオウムや創価学会や統一協会(!)のようなカルトも宗教だし,日常的に行われている年中行事,例えばホタルまつりだとか花火大会なんかも宗教に当てはまります.
| 慈愛に満ちたヒューニズムは人権の実現ですから、科学ですよ。
そう思うでしょ.ところが,humanism =人権の実現じゃないんです.humanism というのは単純に「人間の好き勝手にすることができる」という意味で,その結果自然が壊されようと公害で環境が壊されようと知ったことではないんですよ(笑)
社会科学はそういう意味では自然科学に追い付いていません.私はここでは環境科学という生物学や化学を中心とした複合科学の視点で見ていますから,気をつけないといけません.実際,日本の文化人類学者や社会人類学者のほとんどが理学部動物学科の出身です.つまり,サル学研究室の出身者なのです.サルの行動が人間の行動とイコールであるまたは近似しているという前提がないと,社会人類学という社会科学は存在し得ません.私も自然人類学を学ぶうちに,他の人類学をかじるはめになりました.
そういう意味では,マルクス再生のためには,マルクスの時代に戻って,もう一度自然科学を学び直し,計量経済学を学んで新自由主義に勝てる思想を作り直さないといけないと私は考えています.
| 猿社会の法則を人類社会の法則へ当てはめるカルトと同じになります。
果たしてこれはカルトでしょうか? 既に自然科学の方で実証されたことに楯突くということは,それこそアメリカの進化論反対論者と同列にされますよ.
| 誰が弾圧したか?といえば国家神道を信奉する右翼と経団連の結合でしょうね。それと政教一体のアメリカ政府という所でしょうか?
そういうことです.そして経団連からさらに飛び出た連中が,例の日本会議な訳です.日本会議は統一協会という受け皿があったため,組織がすぐにできたという事実も抑えておくと良いでしょう.東西南北さんには悪いですけど,学生時代にサークルから民青を追い出しても,彼らには共産党という行き場があった,というのと似ています.
また長いコメントですみません>ブログ主さん (kaetzchen)
2008-06-03 14:26:58
東西南北さん,先ほどはどうも.お互いに入れ違いになってしまいましたね.私も細かく突っ込むと長くなるので,今度は短めに.
| 不十分な点を補足する可能性は考えられますが基本的には正しいのではないですか?
そうでもないんですよ.下に出てくる「祖霊」概念がもっとも基本的な「日本イデオロギー」の出発点です.
| とありますが、これも時間の無駄というか
それは東西南北さんの体調やお仕事や休暇や読書時間など,環境の問題じゃないでしょうか.文科系の人の悪い所は,結論だけ急いで取りたがる所です.私は子供の頃から,途中経過が楽しくて,結末なんてどうでも良い派でした.その辺は教育環境や労働環境など,お互いの経験の違いのせいだと思いますよ.私だって視力が落ちて,いま入力は6点点字でテンキーから行っています.本を読むにしたって,読書器という新品で買ったら24万もする機械を同じクリスチャンで失明した方から無料で譲ってもらってPCの画面一杯に本を拡大して読んでいます.
現実の問題は他人が切り込んだ本を読むより,まず一次情報を自分で咀嚼できる社会科学の方法論を身につけた方が速いと思います.私のように失明が近くなってからでは遅すぎるのです.だからこそ,私は他の社会科学の分野の本を紹介したのです.人文・社会・自然にせよ,科学というものは方法論を抜きにしては語ることはできません.結論だけが欲しいという甘ったれた根性は既に子供の時に捨てたのではないでしょうか.これは大人の会話です.
| すなわち、祖霊信仰は宗教である、と自覚していますし、信仰にとどまる限り「どうでもいい」と考えているんじゃないですか?
ようやく,東西南北さんも私の言わんところがお分かりになりましたね(笑) つまり,宗教概念をどのような「ことば」で捉えているかを言語化できないんです.
新約聖書の福音書しか見ないと (kaetzchen)
2008-06-04 10:58:13
Runner さんが言われる「本来のキリスト教なら、非暴力だけでなく、死刑反対、そして、経済的には共産主義のはずです」という結論は正しい.
ところが人間はそんなきれいごとでは済まされないのが現実でしてねぇ.これは宗教に限らず,無宗教(笑)を自称する「日本イデオロギー」カルト信者の日本人にも同じことが言えるんですよ.矛盾したイデオロギーが平気で併存し,お互いに殺し合う.
これってサル社会の「秩序づくり」とまったく同じでね,むしろ人間の方がサルより社会秩序づくりには退化したんじゃないかと見られる部分があります.それを「オカルト面」と名付けるかどうかは Runner さんの自由だと思いますけどね.
# そもそも occult の定義があやふやです.私が occult blood test なんて聴くと「潜血反応試験」か,なんてウンコ臭い経験を想い出すんだけど.
kaetzchenさんへ。 (東西南北)
2008-06-04 17:26:35
宗教について辞書を引いて見ました。
やはり、kaetzchenさんの宗教の定義=「宗教とは人間の世界観である」という宗教と科学を区別しない定義を批判していますよ。こうです。
宗教と非宗教と明確に区別する基準は、神聖観念の有無である。神聖観念は、例えば、神、仏、魔、精霊、霊魂、あるいは、他界(霊界、天国、地獄など)、さらに、呪力などである。つまり、神聖観念とは超自然的、超人類的な存在のことである。
宗教と非宗教と区別しないでごっちゃにする非科学的な宗教論は宗教を人間性、実存、心情、態度などに解消したり、世界観とは無縁な超次元のものとしたりし、その宗教性を覆い隠す。こうして宗教性を覆い隠した上で非科学的な宗教をあたかも科学であるかに装い「宗教教育」などを押し付けるのが支配階級のやり方である。これを宗教のアヘン的利用という。宗教と非宗教を区別しない世界観は現実認識を曇らせ、人間の解放闘争を幻想に溺れこませる意義を持っている。ゆえに、宗教の非科学的な定義づけに対しては、宗教の科学的な定義づけが必要なのである。宗教と非宗教を区別することが科学となる。
宗教は古代、中世を通じて文化の王座を占め、科学・芸術を従属させていた。科学と芸術を宗教から解放するのは、近代ブルジョアジーの課題となった。科学と芸術を宗教から解放する闘争の中から、近代哲学、科学が成長した。しかし、ブルジョアジーは宗教と妥協し、正しい宗教批判、無神論は労働者階級の科学的社会主義の課題となった。
kaetzchenさんへ。 (東西南北)
2008-06-04 18:51:26
「果たして猿社会の法則を人類社会の法則へ当てはめることはカルトでしょうか?既に自然科学の方で実証されたことに楯突くということは,それこそアメリカの進化論反対論者と同列にされますよ。サルの行動が人間の行動とイコールであるまたは近似しているという前提がないと,社会人類学という社会科学は存在し得ません.」
上記のようにkaetzchenさんは述べています。これについても辞書を引いてみました。
どうも性質の悪い反科学のようですね。こうです。
ダーウィンの生物進化論を自然と人類との発展段階を無視し、同列に置き、これを機械的に人類学に取り入れ、生存闘争と自然淘汰を社会進化の起動力とする反科学論である。社会ダーウィニズムという。社会ダーウィニズムは資本主義的な搾取社会を当然視し、科学的社会主義が主張する搾取社会からの人類の解放に反対した。また、この説は人種差別、帝国主義侵略、ファシズムを合理化する理論ともなった。グンブロヴィッツ、ラッチェンホファートなどはその理論的代表者である。日本でも加藤弘之を代表として、この説を唱えるものがある。
人類の祖先は猿であるが、人類は猿ではなく、猿から進化、発展した存在である。これが進化論である。進化論を築いた科学者たちは、物事を発展すると見なさなかった、当時のキリスト教会の妨害と闘う中で進化論を確立した。 分子生物学のDNA研究や京大霊長類研究所によればチンパンジーは、ほとんど人類といってもよいと言われている。しかし、チンパンジーと人類には、やはり質的な違いがあり同列視することは非科学である。類人猿と人類の質的な違いは次のとおりである。チンパンジーは骨格や喉の構造から、直立二足歩行、道具製作、自立的な言語発明は不可能であるが、人類は、その骨格や喉の構造から、直立二足歩行、道具製作、自立的な言語発明を成し遂げた。
チンパンジーに人類が記号としての言語を外から教え込めば、チンパンジーが記号としての言語をある程度は使用することができるが、チンパンジーが自力で言語を開発することはできない。言語は、初めは音声として発達し、それが記号化、文字化する。しかし、チンパンジーの喉の構造は人類と異なっており、有節音の発生が困難なのである。こうして、チンパンジーが自立的に可能な音声はギャーとか、クワンとかの無節音としての合図しかできない。こうして合図ではなく、原始言語として成立したのが人類の有節音の発声である。
直立二足歩行、道具の使用、製作、改良、言語発明によって人類は類人猿と決定的に区別できる。
他人の褌でスモウをとってはいけない (kaetzchen)
2008-06-04 19:04:50
東西南北さん,私は生物学が専門なので,まずこちらから,あなたの無知をさらけ出すことにします.
1)辞書を引かれたと言いますが,ソースは何でしょうか.その辺の百科事典とか Wiki 程度のものではないでしょうか.あなたの書き方を見ていると,Wiki の丸写しではないかという疑問が多く出て来ます.
2)| ダーウィンの生物進化論を自然と人類との発展段階を無視し、同列に置き、これを機械的に人類学に取り入れ、生存闘争と自然淘汰を社会進化の起動力とする反科学論である。社会ダーウィニズムという。
というふうに,社会人類学と社会ダーウィニズムとの区別さえ分かっていない.申しわけありませんが,高校3年の生物の受験参考書でもお読み下さい,としか言い様がありません.つまり,あまりの無知に反論する意欲もないということです.
3)| 人類の祖先は猿であるが、人類は猿ではなく、猿から進化、発展した存在である。これが進化論である。進化論を築いた科学者たちは、物事を発展すると見なさなかった、当時のキリスト教会の妨害と闘う中で進化論を確立した。
それって,いつの話ですか(笑) 少し西洋史を復習されて下さい.進化論という考え方は最初からあった訳ではありません.もともとはダーウィンが様々な動物や植物の分布を調べて,それが新種ごとに広がっていった事例が多いと記述したのが岩波文庫のダーウィンの本です.中学生でも読める本ですので,ぜひ一読を.これを方言に応用したのが柳田國男の方言集圏論で,これを「アホ」「バカ」「タワケ」という言葉で番組にしたのが朝日放送の「探偵!ナイトスクープ」です.
と,いうことで,東西南北さんの圧倒的な敗北に終わりました.すみませんね.
kaetzchenさんへ。 (東西南北。)
2008-06-04 19:26:51
いや。笑。その1点だけ答えてくれたらいいんですよ。
社会人類学だとかいろいろな学問があるのは知っていますが、要するに、類人猿と人類の質的な違いはどこにあるか?類人猿と人類は同質なのか?同列視するのであれば社会ダーウィニズムとなりますよ?kaetzchenさんは類人猿と人類の質的に異なる点がどこにあると認識していますか?
進化論とキリスト教の妨害の時代っていつ頃なんでしょうね。笑。ま、19世紀頃じゃないですか?進化論が出てきたのは。20世紀でもアメリカの州では進化論を教えた教員が裁判で有罪になったりしているみたいですね。
恐怖ですね。宗教裁判。
kaetzchenさんへ。 (東西南北。)
2008-06-04 19:38:16
忘れていました。辞書を調べてみたと書いていますが、丸写しではなく、いちおー要約しましたが。笑。
1:森宏一・古在由重「哲学辞典」青木書店。
2:労働者教育協会編「哲学」学習の友社。
3:田中隆荘・田中昭男「新編生物図録」第一学習社。
以上の3冊を参照して要約しました。
東西南北さん,関係ない話題はやめましょう (kaetzchen)
2008-06-04 19:44:18
東西南北さん,あんまりつまらないことで引っ張り出さないで下さいよ.この話の流れから外れているし,こういうことは次から [email protected] にメールでお願いします.ブログ主さんにも迷惑ですから.
| 同列視するのであれば社会ダーウィニズムとなりますよ?
なぜですか? 私に言わせれば,東西南北さんのその発言のソースが知りたい.
| kaetzchenさんは類人猿と人類の質的に異なる点がどこにあると認識していますか?
酵素が違いますし,血液型も違います.つまり,動物としての「種」としては異なるというだけです.ところが,いざ社会の造られ方を見ると,特に「言語」をあやつる類人猿は非常に人間と似た社会構成を持っている.となると,社会科学的に「質的に異なる点は言語を持つか持たないか」という話になります.言語学を基礎として社会や文化を見るのが人類学ですから,社会人類学のお出ましという訳です.
| 恐怖ですね。宗教裁判。
東京都でもやってますね(笑) 君が代日の丸という日本イデオロギー宗教裁判.
ちょっと今日は疲れてますので,もう片方のコメントに関しては勘弁して下さい.体力的に限界です(目もおかしい).
あとはブログ主さんにお任せします (kaetzchen)
2008-06-04 19:53:27
東西南北さん,あなたの持ってる「辞書」はデタラメです.哲学なんて,辞書を引いて分かるわけないでしょ? もし,哲学を大学レベルで学ばれたことがないのでしたら,素直にそう言われて下さい.基本からお教えします.
疲れました.ブログ主さん,削除可です.
kaetzchenさんへ。 (東西南北。)
2008-06-04 20:00:33
なるほど。「類人猿と人類は動物としての「種」としては異なる」そのとおりですね。これは上で挙げた「3:田中隆荘・田中昭男「新編生物図録」第一学習社。」に書いていました。高校生物の参考書なんですが。笑。生物の種というのは、生殖できるかどうかで区別するんですね。確かに、チンパンジーと人類が生殖することは不可能ですねー。笑。この点でチンパンジーと人類は質的に異なるというわけですね。同時に、白人、黒人、黄色人は生殖可能なので同一種というわけですね。わかりました。シンプルな回答です。納得。
では。おやすみなさいませ。
2008-06-03 12:21:06
科学的社会主義でも宗教の定義はあるんじゃないですかね?どうなんでしょう?本当にありませんか?東西の定義が科学的社会主義かどうかは知りませんが、宗教団体を帰納法的に普遍化すると次のように定義できませんか?
宗教とは超自然的、超人類的な妄想、観念を抱き、その観念、妄想を実現させようとする行為のこと。その行為は加持祈祷、瞑想、念仏、礼拝など平和的なものもあるが、創価学会、オウム真理教、統一教会のように反人類的、反社会的な人権侵害行為に及ぶものもある。
どうでしょうか?笑。
慈愛に満ちたヒューニズムは人権の実現ですから、科学ですよ。kaetzchenさんが専門にしてきたのは自然科学でしょう?社会科学と混同していませんか?自然科学と社会科学は同列ではないというのは猿社会の法則を人類社会の法則へ当てはめるカルトと同じになります。
日本人は天皇制という国家神道を持っているということですが、確かにそれはありますね。要するに、自らの力で自らの国家、企業を管理、運営していくという主権者意識、社会科学の力が弱いんですね。では、社会科学の力が弱いのは何故か?まさに、戦前、戦争中、戦後も社会科学は弾圧対象となった点に原因があるのでしょう。誰が弾圧したか?といえば国家神道を信奉する右翼と経団連の結合でしょうね。それと政教一体のアメリカ政府という所でしょうか?
困ったおばさんですね (kaetzchen)
2008-06-03 13:44:38
うーん,確かに石黒マリーローズさんと言えば,福音教会つまり原理主義過激派(英知大学はこのメッカ)の理論的リーダーで有名ですね.この本は読んでませんけど,自らも被災者のくせして,宗教がどうのと関係ない視点で批判をするのは許せません.
私自身がプロテスタント (但し,アンチ原理主義) なので余計に頭が痛いのですけど,特に関西地方の方は熱心な仏教徒が多いので,キリスト教に対する誤解や偏見もまた多い.前のブログ主さんのコメントは何だかそういう部分もあるんじゃ,と思ったりしますね.私も洗礼を受ける前は親戚からずいぶん嫌味を言われました.
以前から指摘しているように,日本人は宗教を信じていないように見えて,実は熱心な「日本イデオロギー」の信者です.極右の山本七平が生前に「日本教」という言葉を遺していましたけど,あれは半分当たっているなと政治的に反対を向いている私も素直に受け取れます.
聖書やコラーンを読んで「一神教」と名付けられた宗教概念を研究するほど,実はそれは反対で神という抽象的なものを仮定して,複数の人間が神掛っているだけではないかと思うのです.でないとキリスト教やイスラム教の国々が細かく分かれるはずがない.政教一致なら統一国家になってもおかしくない.でも実際には神掛った王や皇帝たちが政治的に争っているんですよ.
それでは日本は「多神教」でしょうか.違います.「祖霊」と呼ばれる一つのカミだけを信仰する「一神教」なんです.その「祖霊」に観音やら天皇制やら様々な宗教が乗っかっているために,それが宗教だという自覚ができないのです.これは堀一郎『民間信仰』(岩波全書)に詳しいので,そちらをお読み下さい.
kaetzchenさんへ。 (東西南北)
2008-06-03 13:57:12
うーん。そんな複雑奇怪なことなんでしょうか?東西の宗教の定義でよろしいのでは?民俗学、文化人類学を学習すると東西の定義が覆りますか?不十分な点を補足する可能性は考えられますが基本的には正しいのではないですか?
さらに、「日本は「多神教」でしょうか.違います.「祖霊」と呼ばれる一つのカミだけを信仰する「一神教」なんです.その「祖霊」に観音やら天皇制やら様々な宗教が乗っかっているために,それが宗教だという自覚ができないのです.これは堀一郎『民間信仰』(岩波全書)に詳しいので,そちらをお読み下さい.」
とありますが、これも時間の無駄というか、そんなことより先に日本の雇用失業問題、低賃金、低社会保障、教育問題、労働問題をどう解決するかに切り込んだ書籍を読むほうが先決じゃないですか?
さらに、日本人に次の質問したら簡単にわかると思いますが、「祖霊を信仰するし、祖霊に祈り、拝む行為をしたら自分の生活が向上したり、戦争、犯罪が消滅したりするというのは宗教ですか?」と。9割以上の人は宗教と回答するでしょうね。すなわち、祖霊信仰は宗教である、と自覚していますし、信仰にとどまる限り「どうでもいい」と考えているんじゃないですか?
日本人が宗教から離脱できず、縮こまっているのは正しい社会科学の普及が弾圧されているからですよ。マスコミ、教育現場でも職場でも、社会教育でも。
いつも長いコメントですみません (kaetzchen)
2008-06-03 14:11:33
東西南北さん,ごていねいにお返事をども.
| 科学的社会主義でも宗教の定義はあるんじゃないですかね?
困った人ですね(笑) ドイツ・イデオロギーだとかを読み直して下さいな.
旧ソ連では「記号学」という形で宗教学研究が続けられていました.有名な人だとИ.トポローフなんて学者がモスクワ科学アカデミーにいましたけど.
| 宗教団体を帰納法的に普遍化すると次のように定義できませんか?
あ,その段階で東西南北さんは科学的論理がお分かりになっていない.帰納法は必ずジャミングが入って,結論を間違った方向へ導かれます.反対に演繹法で正しい結論が出たかどうかを確認しなければ,少なくともその定義は仮説のままで検証されません.これは疑似科学が陥りやすいポケットですので,気をつけましょう.
結論から言うと,宗教というのは人間の世界観そのものである.のみです.だからオウムや創価学会や統一協会(!)のようなカルトも宗教だし,日常的に行われている年中行事,例えばホタルまつりだとか花火大会なんかも宗教に当てはまります.
| 慈愛に満ちたヒューニズムは人権の実現ですから、科学ですよ。
そう思うでしょ.ところが,humanism =人権の実現じゃないんです.humanism というのは単純に「人間の好き勝手にすることができる」という意味で,その結果自然が壊されようと公害で環境が壊されようと知ったことではないんですよ(笑)
社会科学はそういう意味では自然科学に追い付いていません.私はここでは環境科学という生物学や化学を中心とした複合科学の視点で見ていますから,気をつけないといけません.実際,日本の文化人類学者や社会人類学者のほとんどが理学部動物学科の出身です.つまり,サル学研究室の出身者なのです.サルの行動が人間の行動とイコールであるまたは近似しているという前提がないと,社会人類学という社会科学は存在し得ません.私も自然人類学を学ぶうちに,他の人類学をかじるはめになりました.
そういう意味では,マルクス再生のためには,マルクスの時代に戻って,もう一度自然科学を学び直し,計量経済学を学んで新自由主義に勝てる思想を作り直さないといけないと私は考えています.
| 猿社会の法則を人類社会の法則へ当てはめるカルトと同じになります。
果たしてこれはカルトでしょうか? 既に自然科学の方で実証されたことに楯突くということは,それこそアメリカの進化論反対論者と同列にされますよ.
| 誰が弾圧したか?といえば国家神道を信奉する右翼と経団連の結合でしょうね。それと政教一体のアメリカ政府という所でしょうか?
そういうことです.そして経団連からさらに飛び出た連中が,例の日本会議な訳です.日本会議は統一協会という受け皿があったため,組織がすぐにできたという事実も抑えておくと良いでしょう.東西南北さんには悪いですけど,学生時代にサークルから民青を追い出しても,彼らには共産党という行き場があった,というのと似ています.
また長いコメントですみません>ブログ主さん (kaetzchen)
2008-06-03 14:26:58
東西南北さん,先ほどはどうも.お互いに入れ違いになってしまいましたね.私も細かく突っ込むと長くなるので,今度は短めに.
| 不十分な点を補足する可能性は考えられますが基本的には正しいのではないですか?
そうでもないんですよ.下に出てくる「祖霊」概念がもっとも基本的な「日本イデオロギー」の出発点です.
| とありますが、これも時間の無駄というか
それは東西南北さんの体調やお仕事や休暇や読書時間など,環境の問題じゃないでしょうか.文科系の人の悪い所は,結論だけ急いで取りたがる所です.私は子供の頃から,途中経過が楽しくて,結末なんてどうでも良い派でした.その辺は教育環境や労働環境など,お互いの経験の違いのせいだと思いますよ.私だって視力が落ちて,いま入力は6点点字でテンキーから行っています.本を読むにしたって,読書器という新品で買ったら24万もする機械を同じクリスチャンで失明した方から無料で譲ってもらってPCの画面一杯に本を拡大して読んでいます.
現実の問題は他人が切り込んだ本を読むより,まず一次情報を自分で咀嚼できる社会科学の方法論を身につけた方が速いと思います.私のように失明が近くなってからでは遅すぎるのです.だからこそ,私は他の社会科学の分野の本を紹介したのです.人文・社会・自然にせよ,科学というものは方法論を抜きにしては語ることはできません.結論だけが欲しいという甘ったれた根性は既に子供の時に捨てたのではないでしょうか.これは大人の会話です.
| すなわち、祖霊信仰は宗教である、と自覚していますし、信仰にとどまる限り「どうでもいい」と考えているんじゃないですか?
ようやく,東西南北さんも私の言わんところがお分かりになりましたね(笑) つまり,宗教概念をどのような「ことば」で捉えているかを言語化できないんです.
新約聖書の福音書しか見ないと (kaetzchen)
2008-06-04 10:58:13
Runner さんが言われる「本来のキリスト教なら、非暴力だけでなく、死刑反対、そして、経済的には共産主義のはずです」という結論は正しい.
ところが人間はそんなきれいごとでは済まされないのが現実でしてねぇ.これは宗教に限らず,無宗教(笑)を自称する「日本イデオロギー」カルト信者の日本人にも同じことが言えるんですよ.矛盾したイデオロギーが平気で併存し,お互いに殺し合う.
これってサル社会の「秩序づくり」とまったく同じでね,むしろ人間の方がサルより社会秩序づくりには退化したんじゃないかと見られる部分があります.それを「オカルト面」と名付けるかどうかは Runner さんの自由だと思いますけどね.
# そもそも occult の定義があやふやです.私が occult blood test なんて聴くと「潜血反応試験」か,なんてウンコ臭い経験を想い出すんだけど.
kaetzchenさんへ。 (東西南北)
2008-06-04 17:26:35
宗教について辞書を引いて見ました。
やはり、kaetzchenさんの宗教の定義=「宗教とは人間の世界観である」という宗教と科学を区別しない定義を批判していますよ。こうです。
宗教と非宗教と明確に区別する基準は、神聖観念の有無である。神聖観念は、例えば、神、仏、魔、精霊、霊魂、あるいは、他界(霊界、天国、地獄など)、さらに、呪力などである。つまり、神聖観念とは超自然的、超人類的な存在のことである。
宗教と非宗教と区別しないでごっちゃにする非科学的な宗教論は宗教を人間性、実存、心情、態度などに解消したり、世界観とは無縁な超次元のものとしたりし、その宗教性を覆い隠す。こうして宗教性を覆い隠した上で非科学的な宗教をあたかも科学であるかに装い「宗教教育」などを押し付けるのが支配階級のやり方である。これを宗教のアヘン的利用という。宗教と非宗教を区別しない世界観は現実認識を曇らせ、人間の解放闘争を幻想に溺れこませる意義を持っている。ゆえに、宗教の非科学的な定義づけに対しては、宗教の科学的な定義づけが必要なのである。宗教と非宗教を区別することが科学となる。
宗教は古代、中世を通じて文化の王座を占め、科学・芸術を従属させていた。科学と芸術を宗教から解放するのは、近代ブルジョアジーの課題となった。科学と芸術を宗教から解放する闘争の中から、近代哲学、科学が成長した。しかし、ブルジョアジーは宗教と妥協し、正しい宗教批判、無神論は労働者階級の科学的社会主義の課題となった。
kaetzchenさんへ。 (東西南北)
2008-06-04 18:51:26
「果たして猿社会の法則を人類社会の法則へ当てはめることはカルトでしょうか?既に自然科学の方で実証されたことに楯突くということは,それこそアメリカの進化論反対論者と同列にされますよ。サルの行動が人間の行動とイコールであるまたは近似しているという前提がないと,社会人類学という社会科学は存在し得ません.」
上記のようにkaetzchenさんは述べています。これについても辞書を引いてみました。
どうも性質の悪い反科学のようですね。こうです。
ダーウィンの生物進化論を自然と人類との発展段階を無視し、同列に置き、これを機械的に人類学に取り入れ、生存闘争と自然淘汰を社会進化の起動力とする反科学論である。社会ダーウィニズムという。社会ダーウィニズムは資本主義的な搾取社会を当然視し、科学的社会主義が主張する搾取社会からの人類の解放に反対した。また、この説は人種差別、帝国主義侵略、ファシズムを合理化する理論ともなった。グンブロヴィッツ、ラッチェンホファートなどはその理論的代表者である。日本でも加藤弘之を代表として、この説を唱えるものがある。
人類の祖先は猿であるが、人類は猿ではなく、猿から進化、発展した存在である。これが進化論である。進化論を築いた科学者たちは、物事を発展すると見なさなかった、当時のキリスト教会の妨害と闘う中で進化論を確立した。 分子生物学のDNA研究や京大霊長類研究所によればチンパンジーは、ほとんど人類といってもよいと言われている。しかし、チンパンジーと人類には、やはり質的な違いがあり同列視することは非科学である。類人猿と人類の質的な違いは次のとおりである。チンパンジーは骨格や喉の構造から、直立二足歩行、道具製作、自立的な言語発明は不可能であるが、人類は、その骨格や喉の構造から、直立二足歩行、道具製作、自立的な言語発明を成し遂げた。
チンパンジーに人類が記号としての言語を外から教え込めば、チンパンジーが記号としての言語をある程度は使用することができるが、チンパンジーが自力で言語を開発することはできない。言語は、初めは音声として発達し、それが記号化、文字化する。しかし、チンパンジーの喉の構造は人類と異なっており、有節音の発生が困難なのである。こうして、チンパンジーが自立的に可能な音声はギャーとか、クワンとかの無節音としての合図しかできない。こうして合図ではなく、原始言語として成立したのが人類の有節音の発声である。
直立二足歩行、道具の使用、製作、改良、言語発明によって人類は類人猿と決定的に区別できる。
他人の褌でスモウをとってはいけない (kaetzchen)
2008-06-04 19:04:50
東西南北さん,私は生物学が専門なので,まずこちらから,あなたの無知をさらけ出すことにします.
1)辞書を引かれたと言いますが,ソースは何でしょうか.その辺の百科事典とか Wiki 程度のものではないでしょうか.あなたの書き方を見ていると,Wiki の丸写しではないかという疑問が多く出て来ます.
2)| ダーウィンの生物進化論を自然と人類との発展段階を無視し、同列に置き、これを機械的に人類学に取り入れ、生存闘争と自然淘汰を社会進化の起動力とする反科学論である。社会ダーウィニズムという。
というふうに,社会人類学と社会ダーウィニズムとの区別さえ分かっていない.申しわけありませんが,高校3年の生物の受験参考書でもお読み下さい,としか言い様がありません.つまり,あまりの無知に反論する意欲もないということです.
3)| 人類の祖先は猿であるが、人類は猿ではなく、猿から進化、発展した存在である。これが進化論である。進化論を築いた科学者たちは、物事を発展すると見なさなかった、当時のキリスト教会の妨害と闘う中で進化論を確立した。
それって,いつの話ですか(笑) 少し西洋史を復習されて下さい.進化論という考え方は最初からあった訳ではありません.もともとはダーウィンが様々な動物や植物の分布を調べて,それが新種ごとに広がっていった事例が多いと記述したのが岩波文庫のダーウィンの本です.中学生でも読める本ですので,ぜひ一読を.これを方言に応用したのが柳田國男の方言集圏論で,これを「アホ」「バカ」「タワケ」という言葉で番組にしたのが朝日放送の「探偵!ナイトスクープ」です.
と,いうことで,東西南北さんの圧倒的な敗北に終わりました.すみませんね.
kaetzchenさんへ。 (東西南北。)
2008-06-04 19:26:51
いや。笑。その1点だけ答えてくれたらいいんですよ。
社会人類学だとかいろいろな学問があるのは知っていますが、要するに、類人猿と人類の質的な違いはどこにあるか?類人猿と人類は同質なのか?同列視するのであれば社会ダーウィニズムとなりますよ?kaetzchenさんは類人猿と人類の質的に異なる点がどこにあると認識していますか?
進化論とキリスト教の妨害の時代っていつ頃なんでしょうね。笑。ま、19世紀頃じゃないですか?進化論が出てきたのは。20世紀でもアメリカの州では進化論を教えた教員が裁判で有罪になったりしているみたいですね。
恐怖ですね。宗教裁判。
kaetzchenさんへ。 (東西南北。)
2008-06-04 19:38:16
忘れていました。辞書を調べてみたと書いていますが、丸写しではなく、いちおー要約しましたが。笑。
1:森宏一・古在由重「哲学辞典」青木書店。
2:労働者教育協会編「哲学」学習の友社。
3:田中隆荘・田中昭男「新編生物図録」第一学習社。
以上の3冊を参照して要約しました。
東西南北さん,関係ない話題はやめましょう (kaetzchen)
2008-06-04 19:44:18
東西南北さん,あんまりつまらないことで引っ張り出さないで下さいよ.この話の流れから外れているし,こういうことは次から [email protected] にメールでお願いします.ブログ主さんにも迷惑ですから.
| 同列視するのであれば社会ダーウィニズムとなりますよ?
なぜですか? 私に言わせれば,東西南北さんのその発言のソースが知りたい.
| kaetzchenさんは類人猿と人類の質的に異なる点がどこにあると認識していますか?
酵素が違いますし,血液型も違います.つまり,動物としての「種」としては異なるというだけです.ところが,いざ社会の造られ方を見ると,特に「言語」をあやつる類人猿は非常に人間と似た社会構成を持っている.となると,社会科学的に「質的に異なる点は言語を持つか持たないか」という話になります.言語学を基礎として社会や文化を見るのが人類学ですから,社会人類学のお出ましという訳です.
| 恐怖ですね。宗教裁判。
東京都でもやってますね(笑) 君が代日の丸という日本イデオロギー宗教裁判.
ちょっと今日は疲れてますので,もう片方のコメントに関しては勘弁して下さい.体力的に限界です(目もおかしい).
あとはブログ主さんにお任せします (kaetzchen)
2008-06-04 19:53:27
東西南北さん,あなたの持ってる「辞書」はデタラメです.哲学なんて,辞書を引いて分かるわけないでしょ? もし,哲学を大学レベルで学ばれたことがないのでしたら,素直にそう言われて下さい.基本からお教えします.
疲れました.ブログ主さん,削除可です.
kaetzchenさんへ。 (東西南北。)
2008-06-04 20:00:33
なるほど。「類人猿と人類は動物としての「種」としては異なる」そのとおりですね。これは上で挙げた「3:田中隆荘・田中昭男「新編生物図録」第一学習社。」に書いていました。高校生物の参考書なんですが。笑。生物の種というのは、生殖できるかどうかで区別するんですね。確かに、チンパンジーと人類が生殖することは不可能ですねー。笑。この点でチンパンジーと人類は質的に異なるというわけですね。同時に、白人、黒人、黄色人は生殖可能なので同一種というわけですね。わかりました。シンプルな回答です。納得。
では。おやすみなさいませ。