経済時評
21世紀の資本主義
新自由主義、ケインズ、マルクス
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米国発の金融危機から世界的大不況の足音が迫ってくるにつれて、「新自由主義の終焉(しゅうえん)」を多くの人びとが感じはじめています。
そこで、最近、次のようなテーマが、よく話題にのぼるようになってきました。
「新自由主義の時代が終わったら、またケインズの時代が復活するのだろうか」
私は、とりあえず次のように考えています。
「二十一世紀の資本主義は、かつてのケインズ主義が単純に復活するのではなく、ふたたび『歴史発展の本道』に立ち戻るとみるべきではないか。そうなるように願っている」
新年にあたり、この「歴史発展の本道」という意味について考えてみたいと思います。
「新自由主義」という“迷い道”から抜け出す緊急策とケインズ
よく知られているように、ケインズは、資本主義の恐慌や失業増大をおさえるには、政府による「総需要管理」政策が必要だと主張し、それを経済理論として体系化しました。このケインズ主義は、一九二九年大恐慌から資本主義を立ち直らせるニューディール政策の理論的基礎となりました。
今回の金融危機、世界大不況にたいする資本主義諸国の対応をみると、ケインズ主義的な経済政策の復活、しかも、これまでの「新自由主義」の「小さな政府」論の理念をかなぐり捨てて、「大きな政府」論のオンパレードという感じです。ケインズが理論化した「総需要管理」政策は、恐慌に対応する緊急策としては、今日でも有効だからです。
「新自由主義」派の、市場に任せておけばすべてうまくいくという市場原理主義の考え方は、もともと資本主義の経済理論としても時代錯誤であり、早晩、行き詰まらざるを得ない“迷い道”だったといえるでしょう。「百年に一度」の経済危機をもたらした「新自由主義」への反省もないまま、なし崩しで、ケインズ主義がよみがえってきたという感じです。
二十一世紀の資本主義が、「新自由主義」という“迷い道”から完全に抜け出すには、「新自由主義」のどこに問題があったのか、しっかりした理論的な総括が必要でしょう。一時的な方便として、ケインズ的な緊急策を導入するだけだったら、いつかまた“迷い道”に入り込むことになります。
20世紀のケインズ理論の意義と限界
ケインズの理論化した通貨・金融政策や財政政策による「総需要管理」は、現代資本主義の経済政策の前提になっています。その意味では、二十一世紀の現在でも、ケインズ経済学を研究する意義は失われていません。
しかし、「新自由主義」にかわって、ふたたびかつてのケインズ主義がそのまま復活し、二十一世紀の資本主義世界を長期にわたって主導するということにはならないでしょう。
かつての二十世紀中盤のケインズの時代と二十一世紀の今日では、歴史的な条件が大きく変化・発展してきています。
ケインズ主義が資本主義世界をリードしていた一九三〇年代後半から六〇年代にかけての資本主義は、重化学工業を生産力的な土台としていましたが、現在は、ICT(情報通信技術)の急激な発展によって産業構造は大きく変化しています。世界経済は、多国籍企業が主導するグローバルな性格を強めています。
もともとケインズの階級的立場は、資本主義を修正しつつ、その延命をめざすというものでした。ケインズの貨幣理論や有効需要理論は、軍需生産や大型公共事業の拡大などの財政スペンディング(浪費)政策、インフレ政策で犠牲を勤労者にしわ寄せすることを許容していました。労働者・国民の暮らしを守るというものではありませんでした。
日本におけるケインズ研究者として知られる宇沢弘文氏も、現代の課題は、「ただ単純にケインズ的な政策が有効かどうかというものを越えた次元の問題になっている」(注)と指摘しています。
21世紀の資本主義の理論的課題とマルクス
二十一世紀の資本主義には、ケインズの時代にはなかった新しい理論的課題が生まれています。たとえば、次のような課題です。
(1)戦争や軍需によらない、世界平和の基礎を固める産業や経済を発展させる
(2)地球温暖化への対応など環境にやさしい産業発展、経済成長を実現する
(3)かつての植民地・従属国などの新興国を含む新しい国際経済秩序を実現する
(4)科学技術の進歩を労働条件向上と労働生産性上昇の統一的実現に役立てる
これらの課題は、いずれもかつてのケインズ理論だけでは解くことはできません。二十一世紀の資本主義がかかえる理論的課題に取り組んでいくために、その道しるべとなるのは、ケインズではなく、むしろマルクスです。
十九世紀に生きたマルクスは、二十一世紀の世界を見ることはできませんでした。しかし数百年先の世界史をも展望するマルクスの思想的射程には、人類の膨大な知的遺産を土台として形成された科学的理論(『資本論』などの理論体系)の裏付けがありました。
二十一世紀に生きるわれわれに求められることは、現実と格闘するなかで創造的に理論を発展させたマルクスの精神をよみがえらせて、マルクスの残した理論的遺産を道しるべに、二十一世紀の資本主義が提起している新しい理論的課題に立ち向かうことでしょう。
マルクスにはじまる科学的社会主義の思想と理論の創造的展開のなかにこそ、二十一世紀の資本主義にとっての「歴史発展の本道」がある、こう私は考えています。(友寄英隆)
(注)「対談 いま、ケインズを読む意味」(『世界』二〇〇九年一月号)。
(出所:日本共産党HP 2009年1月4日(日)「しんぶん赤旗」)
21世紀の資本主義
新自由主義、ケインズ、マルクス
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米国発の金融危機から世界的大不況の足音が迫ってくるにつれて、「新自由主義の終焉(しゅうえん)」を多くの人びとが感じはじめています。
そこで、最近、次のようなテーマが、よく話題にのぼるようになってきました。
「新自由主義の時代が終わったら、またケインズの時代が復活するのだろうか」
私は、とりあえず次のように考えています。
「二十一世紀の資本主義は、かつてのケインズ主義が単純に復活するのではなく、ふたたび『歴史発展の本道』に立ち戻るとみるべきではないか。そうなるように願っている」
新年にあたり、この「歴史発展の本道」という意味について考えてみたいと思います。
「新自由主義」という“迷い道”から抜け出す緊急策とケインズ
よく知られているように、ケインズは、資本主義の恐慌や失業増大をおさえるには、政府による「総需要管理」政策が必要だと主張し、それを経済理論として体系化しました。このケインズ主義は、一九二九年大恐慌から資本主義を立ち直らせるニューディール政策の理論的基礎となりました。
今回の金融危機、世界大不況にたいする資本主義諸国の対応をみると、ケインズ主義的な経済政策の復活、しかも、これまでの「新自由主義」の「小さな政府」論の理念をかなぐり捨てて、「大きな政府」論のオンパレードという感じです。ケインズが理論化した「総需要管理」政策は、恐慌に対応する緊急策としては、今日でも有効だからです。
「新自由主義」派の、市場に任せておけばすべてうまくいくという市場原理主義の考え方は、もともと資本主義の経済理論としても時代錯誤であり、早晩、行き詰まらざるを得ない“迷い道”だったといえるでしょう。「百年に一度」の経済危機をもたらした「新自由主義」への反省もないまま、なし崩しで、ケインズ主義がよみがえってきたという感じです。
二十一世紀の資本主義が、「新自由主義」という“迷い道”から完全に抜け出すには、「新自由主義」のどこに問題があったのか、しっかりした理論的な総括が必要でしょう。一時的な方便として、ケインズ的な緊急策を導入するだけだったら、いつかまた“迷い道”に入り込むことになります。
20世紀のケインズ理論の意義と限界
ケインズの理論化した通貨・金融政策や財政政策による「総需要管理」は、現代資本主義の経済政策の前提になっています。その意味では、二十一世紀の現在でも、ケインズ経済学を研究する意義は失われていません。
しかし、「新自由主義」にかわって、ふたたびかつてのケインズ主義がそのまま復活し、二十一世紀の資本主義世界を長期にわたって主導するということにはならないでしょう。
かつての二十世紀中盤のケインズの時代と二十一世紀の今日では、歴史的な条件が大きく変化・発展してきています。
ケインズ主義が資本主義世界をリードしていた一九三〇年代後半から六〇年代にかけての資本主義は、重化学工業を生産力的な土台としていましたが、現在は、ICT(情報通信技術)の急激な発展によって産業構造は大きく変化しています。世界経済は、多国籍企業が主導するグローバルな性格を強めています。
もともとケインズの階級的立場は、資本主義を修正しつつ、その延命をめざすというものでした。ケインズの貨幣理論や有効需要理論は、軍需生産や大型公共事業の拡大などの財政スペンディング(浪費)政策、インフレ政策で犠牲を勤労者にしわ寄せすることを許容していました。労働者・国民の暮らしを守るというものではありませんでした。
日本におけるケインズ研究者として知られる宇沢弘文氏も、現代の課題は、「ただ単純にケインズ的な政策が有効かどうかというものを越えた次元の問題になっている」(注)と指摘しています。
21世紀の資本主義の理論的課題とマルクス
二十一世紀の資本主義には、ケインズの時代にはなかった新しい理論的課題が生まれています。たとえば、次のような課題です。
(1)戦争や軍需によらない、世界平和の基礎を固める産業や経済を発展させる
(2)地球温暖化への対応など環境にやさしい産業発展、経済成長を実現する
(3)かつての植民地・従属国などの新興国を含む新しい国際経済秩序を実現する
(4)科学技術の進歩を労働条件向上と労働生産性上昇の統一的実現に役立てる
これらの課題は、いずれもかつてのケインズ理論だけでは解くことはできません。二十一世紀の資本主義がかかえる理論的課題に取り組んでいくために、その道しるべとなるのは、ケインズではなく、むしろマルクスです。
十九世紀に生きたマルクスは、二十一世紀の世界を見ることはできませんでした。しかし数百年先の世界史をも展望するマルクスの思想的射程には、人類の膨大な知的遺産を土台として形成された科学的理論(『資本論』などの理論体系)の裏付けがありました。
二十一世紀に生きるわれわれに求められることは、現実と格闘するなかで創造的に理論を発展させたマルクスの精神をよみがえらせて、マルクスの残した理論的遺産を道しるべに、二十一世紀の資本主義が提起している新しい理論的課題に立ち向かうことでしょう。
マルクスにはじまる科学的社会主義の思想と理論の創造的展開のなかにこそ、二十一世紀の資本主義にとっての「歴史発展の本道」がある、こう私は考えています。(友寄英隆)
(注)「対談 いま、ケインズを読む意味」(『世界』二〇〇九年一月号)。
(出所:日本共産党HP 2009年1月4日(日)「しんぶん赤旗」)