NHK特番問題:賠償訴訟 最高裁「期待権」認めず 取材対象者が逆転敗訴
戦時下の性暴力に関するNHK番組の取材に協力した市民団体が「事前説明と異なる番組内容に改変された」として、NHKと制作会社2社に1000万円の賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(横尾和子裁判長)は12日、「取材対象者の番組内容への期待や信頼は原則として法的保護の対象にならない」との初判断を示した。その上でNHK側に200万円の支払いを命じた2審・東京高裁判決(07年1月)を破棄し、請求を棄却した。団体側の逆転敗訴が確定した。
原告の「戦争と女性への暴力」日本ネットワークは00年12月、いわゆる従軍慰安婦問題をテーマに「女性国際戦犯法廷」を共催。NHKは01年1月、教育テレビの「ETV2001」で同法廷を放送した。団体側は「ありのまま伝えると言われたのに、一部がカットされるなど、番組への期待・信頼を裏切られた」と主張していた。
小法廷は「憲法が定める表現の自由の保障の下、番組の編集は放送事業者の自律的判断に委ねられる」と指摘。取材対象者の「期待・信頼」が法的に保護され得るのは取材に応じることで著しい負担が生じ取材側が「必ず取り上げる」と説明したような極めて例外的な場合に限られるとし、団体側の主張する「期待権」を認めなかった。
1、2審は「番組内容に期待を抱く『特段の事情』がある場合、編集の自由は一定の制約を受ける」と指摘し、NHK側に賠償を命じた。2審は「安倍晋三前首相(当時は官房副長官)らの発言をNHK幹部が必要以上に重く受け止め、意図をそんたくして当たり障りのない番組にすることを考え、改変を指示した」と指摘したが、最高裁はこの点について判断しなかった。【北村和巳】
◇NHK広報局の話
正当な判断と受け止めている。今後も自律した編集に基づく番組制作を進め、報道機関としての責務を果たしていく。
NHK特番問題:取材対象者逆転敗訴 「政治圧力」判断せず--最高裁判決
◇原告「不当」と批判
「政治家の圧力・介入を正面から取り上げない不当判決だ」。NHK番組改変訴訟の最高裁判決で逆転敗訴したことを受け、市民団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワークのメンバーらが12日、東京都内で記者会見を開き判決を批判した。
市民団体側は「安倍晋三前首相(当時は官房副長官)ら自民党政治家が番組放送前にNHK幹部と面会し、意見を述べたことが番組改変につながった」と主張してきたが、最高裁は「政治圧力」について判断しなかった。西野瑠美子共同代表は「司法の公平、公正性に大変失望した。一部政治家の意向に沿うようにゆがめて放送していいのか」と話した。
飯田正剛弁護団長も「判決は具体的な事実を離れて一般論に終始している。NHKを勝たせようという結論が先にあったのではないか」と不満を述べた。
一方、安倍晋三前首相は「最高裁判決は政治的圧力を加えたことを明確に否定した東京高裁判決を踏襲しており、(政治家介入があったとする)朝日新聞の報道が捏造(ねつぞう)であったことを再度確認できた」とコメントを出した。
朝日新聞社広報部は「訴訟の当事者ではなく、判決も番組改変と政治家とのかかわりについて具体的に判断していないので、コメントする立場にない」と話している。【臺宏士】
◇倫理的義務果たせ--ジャーナリストの原寿雄さんの話
取材協力者の期待権が法的に保護されない場合でも、番組内容に大きな変更などがある場合、取材側としてはできる限り相手に事情を伝える努力は倫理的義務として心がけたい。
放送前にNHK上層部が有力政治家と会ってから、慰安婦問題に対するその政治家の意向に沿うような大幅な番組改変があった事実は否定できないと思う。公共放送としてのNHKの自由な編集として、放送法の趣旨に沿っていると私には思えない。判決はNHKの対応がジャーナリズムとして正しかったと認めたわけではない。
◇個別判断なく残念--砂川浩慶・立教大准教授(メディア論)の話
取材協力者が抱く期待や信頼が法的保護に該当するケースを限定的にとらえたのは、番組編集や報道の自由を保障する観点からみて妥当だと思う。しかし、内部告発者や取材協力者がメディアへの情報提供について萎縮(いしゅく)効果を招かないかの心配は残った。
また、高裁判決のように、政治家の意向をくんだNHK幹部による編集作業への異例の関与が番組改変につながったかどうかは大きな論点だった。判決は全体に一般論に終始し、事実上の門前払いの印象で、個別判断を避けたのは残念だ。
◇NHKと朝日、改変巡り応酬
番組を巡っては、朝日新聞が05年1月、「当時官房副長官だった安倍晋三氏らがNHK幹部を呼んで『偏った内容だ』と指摘し、番組内容が変わった」と報道した。制作にかかわったNHK職員も「政治介入が恒常化している」と述べた。
NHKや安倍氏らは全面否定し、朝日とNHKは互いに抗議や訂正要求、質問状送付などを繰り返した。朝日は同9月、報道について「不確実な情報が含まれていたが、訂正する必要はない」との最終見解を公表した。
また、2審判決を報じたNHKのニュース番組について、BRCは今月10日、原告側主張に触れずにNHKの解釈だけを報じたことは公平性に欠け、放送倫理に違反するとの決定を出している。
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■解説
◇編集の自由、最大限に尊重
最高裁判決は、憲法の「表現の自由」から導かれる放送事業者の「編集の自由」を最大限に尊重した。放送番組に対する判断だが、マスメディア全体に波及するだろう。
1、2審は「編集の自由」を重視しつつ、「特段の事情」があれば、取材対象者の「期待・信頼」への侵害が不法行為になるとの判断を示した。拡大解釈の余地を残す指摘で、メディア全体の萎縮(いしゅく)を招きかねない危険性をはらんでいた。多角的な取材の結果、当初の狙いと異なる番組や記事になるケースはままあるからだ。
これに対し最高裁は、「期待・信頼」は原則として法的に保護されないと判断しただけでなく、番組内容の変更についても、事前の合意や約束がない限り、取材対象者に説明する義務はないと述べた。
今回の訴訟は、政治家の言動がNHKの番組改変にどう影響したのか、あいまいなまま終わったが、取材対象者や視聴者の不信を招いたという事実は残った。司法のお墨付きを得たとは言っても、節度ある取材が報道機関に求められるのは当然だ。それが安易な報道規制を防ぐことにもつながる。【北村和巳】
(出所:毎日新聞 2008年6月13日 東京朝刊)
戦時下の性暴力に関するNHK番組の取材に協力した市民団体が「事前説明と異なる番組内容に改変された」として、NHKと制作会社2社に1000万円の賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(横尾和子裁判長)は12日、「取材対象者の番組内容への期待や信頼は原則として法的保護の対象にならない」との初判断を示した。その上でNHK側に200万円の支払いを命じた2審・東京高裁判決(07年1月)を破棄し、請求を棄却した。団体側の逆転敗訴が確定した。
原告の「戦争と女性への暴力」日本ネットワークは00年12月、いわゆる従軍慰安婦問題をテーマに「女性国際戦犯法廷」を共催。NHKは01年1月、教育テレビの「ETV2001」で同法廷を放送した。団体側は「ありのまま伝えると言われたのに、一部がカットされるなど、番組への期待・信頼を裏切られた」と主張していた。
小法廷は「憲法が定める表現の自由の保障の下、番組の編集は放送事業者の自律的判断に委ねられる」と指摘。取材対象者の「期待・信頼」が法的に保護され得るのは取材に応じることで著しい負担が生じ取材側が「必ず取り上げる」と説明したような極めて例外的な場合に限られるとし、団体側の主張する「期待権」を認めなかった。
1、2審は「番組内容に期待を抱く『特段の事情』がある場合、編集の自由は一定の制約を受ける」と指摘し、NHK側に賠償を命じた。2審は「安倍晋三前首相(当時は官房副長官)らの発言をNHK幹部が必要以上に重く受け止め、意図をそんたくして当たり障りのない番組にすることを考え、改変を指示した」と指摘したが、最高裁はこの点について判断しなかった。【北村和巳】
◇NHK広報局の話
正当な判断と受け止めている。今後も自律した編集に基づく番組制作を進め、報道機関としての責務を果たしていく。
NHK特番問題:取材対象者逆転敗訴 「政治圧力」判断せず--最高裁判決
◇原告「不当」と批判
「政治家の圧力・介入を正面から取り上げない不当判決だ」。NHK番組改変訴訟の最高裁判決で逆転敗訴したことを受け、市民団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワークのメンバーらが12日、東京都内で記者会見を開き判決を批判した。
市民団体側は「安倍晋三前首相(当時は官房副長官)ら自民党政治家が番組放送前にNHK幹部と面会し、意見を述べたことが番組改変につながった」と主張してきたが、最高裁は「政治圧力」について判断しなかった。西野瑠美子共同代表は「司法の公平、公正性に大変失望した。一部政治家の意向に沿うようにゆがめて放送していいのか」と話した。
飯田正剛弁護団長も「判決は具体的な事実を離れて一般論に終始している。NHKを勝たせようという結論が先にあったのではないか」と不満を述べた。
一方、安倍晋三前首相は「最高裁判決は政治的圧力を加えたことを明確に否定した東京高裁判決を踏襲しており、(政治家介入があったとする)朝日新聞の報道が捏造(ねつぞう)であったことを再度確認できた」とコメントを出した。
朝日新聞社広報部は「訴訟の当事者ではなく、判決も番組改変と政治家とのかかわりについて具体的に判断していないので、コメントする立場にない」と話している。【臺宏士】
◇倫理的義務果たせ--ジャーナリストの原寿雄さんの話
取材協力者の期待権が法的に保護されない場合でも、番組内容に大きな変更などがある場合、取材側としてはできる限り相手に事情を伝える努力は倫理的義務として心がけたい。
放送前にNHK上層部が有力政治家と会ってから、慰安婦問題に対するその政治家の意向に沿うような大幅な番組改変があった事実は否定できないと思う。公共放送としてのNHKの自由な編集として、放送法の趣旨に沿っていると私には思えない。判決はNHKの対応がジャーナリズムとして正しかったと認めたわけではない。
◇個別判断なく残念--砂川浩慶・立教大准教授(メディア論)の話
取材協力者が抱く期待や信頼が法的保護に該当するケースを限定的にとらえたのは、番組編集や報道の自由を保障する観点からみて妥当だと思う。しかし、内部告発者や取材協力者がメディアへの情報提供について萎縮(いしゅく)効果を招かないかの心配は残った。
また、高裁判決のように、政治家の意向をくんだNHK幹部による編集作業への異例の関与が番組改変につながったかどうかは大きな論点だった。判決は全体に一般論に終始し、事実上の門前払いの印象で、個別判断を避けたのは残念だ。
◇NHKと朝日、改変巡り応酬
番組を巡っては、朝日新聞が05年1月、「当時官房副長官だった安倍晋三氏らがNHK幹部を呼んで『偏った内容だ』と指摘し、番組内容が変わった」と報道した。制作にかかわったNHK職員も「政治介入が恒常化している」と述べた。
NHKや安倍氏らは全面否定し、朝日とNHKは互いに抗議や訂正要求、質問状送付などを繰り返した。朝日は同9月、報道について「不確実な情報が含まれていたが、訂正する必要はない」との最終見解を公表した。
また、2審判決を報じたNHKのニュース番組について、BRCは今月10日、原告側主張に触れずにNHKの解釈だけを報じたことは公平性に欠け、放送倫理に違反するとの決定を出している。
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■解説
◇編集の自由、最大限に尊重
最高裁判決は、憲法の「表現の自由」から導かれる放送事業者の「編集の自由」を最大限に尊重した。放送番組に対する判断だが、マスメディア全体に波及するだろう。
1、2審は「編集の自由」を重視しつつ、「特段の事情」があれば、取材対象者の「期待・信頼」への侵害が不法行為になるとの判断を示した。拡大解釈の余地を残す指摘で、メディア全体の萎縮(いしゅく)を招きかねない危険性をはらんでいた。多角的な取材の結果、当初の狙いと異なる番組や記事になるケースはままあるからだ。
これに対し最高裁は、「期待・信頼」は原則として法的に保護されないと判断しただけでなく、番組内容の変更についても、事前の合意や約束がない限り、取材対象者に説明する義務はないと述べた。
今回の訴訟は、政治家の言動がNHKの番組改変にどう影響したのか、あいまいなまま終わったが、取材対象者や視聴者の不信を招いたという事実は残った。司法のお墨付きを得たとは言っても、節度ある取材が報道機関に求められるのは当然だ。それが安易な報道規制を防ぐことにもつながる。【北村和巳】
(出所:毎日新聞 2008年6月13日 東京朝刊)