ニッポン密着:東京・秋葉原殺傷 加藤容疑者の軌跡 流転、そして暴発
午前5時半過ぎ、バスが市内を回って男たちを拾う。国道を北上する間、晴れていれば朝日に輝く富士が左手に見え隠れする。だが、外を眺める者はいない。
6時過ぎ、静岡県裾野市の関東自動車工業東富士工場に着く。トヨタ自動車の子会社。6時半、始業の合図で派遣社員の一日が始まる。東京・秋葉原の17人殺傷事件の加藤智大(ともひろ)容疑者(25)は、塗装の汚れを肉眼で調べる工程を担当していた。
わずかなほこりの付着も許されない。10分間のトイレ休憩と45分間の食事を除き8時間立ち詰めで、数時間の残業もざら。汚れを見逃せば工程長が飛んでくる。下手をすれば始末書を書かされる。
「塗装面をにらんでいると、すぐに目が痛くなる。初日で辞める者もいるが、やつはまじめだった」。一緒に働いた20代の派遣社員が言う。「トヨタの期間工(契約工員)になりたいと言っていた」。応募したが、不採用。
はかない夢だった。
5月半ばリストラのうわさが流れた。同22日、工場の空調が壊れ、ふだん物静かな加藤容疑者が「暑い」とイライラを爆発させた。
今月3日、派遣社員200人を50人に減らすと伝えられた。米国の低所得者向け高金利住宅ローン(サブプライムローン)や原油高の影響で工場は生産を15~20%縮小する。「月末で辞めてもらう」。150人がそのひと言で収入を断たれることになった。
何かが決壊した。5日の出社後に暴れ、姿を消した。
□ □
青森市の名門、県立青森高校(青高(せいこう))を卒業して、流転の人生が始まった。
人口8500人の岐阜県坂祝(さかほぎ)町。入学した中日本自動車短大の周囲は里山と田畑が広がる。夜になるとカエルが鳴き、街の灯が遠くに見えた。イタリアの国立フェラーリ工業専門学校と提携し、整備士を目指す若者が集まっていた。
加藤容疑者は併設の学生寮に入った。周辺にはコンビニと、中華料理店が1軒。50代の女主人が記憶の糸をたぐる。「そういえば夜たまに一人で来て、漫画を読んでいた。短大の学生はお得意さんでよく覚えてるけど、印象薄いわ」
短大を出て、派遣社員として各地を転々とする。埼玉と茨城では派遣会社の借り上げ社宅で暮らした。
埼玉の社宅を見せてもらった。3DKのマンションに3人で住む。6畳間3部屋を1部屋ずつ使い、キッチン、風呂、トイレは共用。だが、キッチンの流しに食器はなく、生活臭がまるでない。誰もが6畳間にこもり、音漏れに細心の注意を払うせいか、部屋全体が静まり返っている。
茨城の社宅では、疲れきって帰宅した40代の派遣社員がこぼした。「事件で派遣に偏見を持たれたら迷惑だ。正社員になれず、仕方なくやっている。頑張ってはい上がろうという人も大勢いる」
□ □
強風の日には波しぶきが吹き込む。津軽半島の海沿いに、加藤容疑者の母親(53)の実家はあった。才媛(さいえん)とうたわれて青高へ進む。「地元の弘前大に行くくらいなら……」と県外の国立大を受けたが、かなわず、金融機関に就職した。
父親(49)は青森市に育ち、県立高から同じ金融機関へ。2人は間もなく結ばれ、男児2人をもうけた。加藤容疑者は長男だ。
父親は努力を重ね、学歴のハンディをはね返し、各支店の営業を統括する役職に上り詰めた。教育熱心な母親は、祖父母に「教育には口を出さないで」とくぎを刺した。「子供は必ず大学へやる」。高卒の夫婦は厳しい態度でわが子に臨んだ。
幼いころ、しかられて家から閉め出され、弟の手を引き祖父母の家まで歩いた。近所の人は「そこまでしなくても」と胸を痛めた。
期待通り青高に合格し、母親は実家に喜びの電話を入れた。
高校1年の夏。「成績が振るわない」。母親は沈んだ顔で親類に打ち明けている。夫婦仲は冷え、父親は酒に逃げ、自宅の垣根のそばに寝転がって夜を明かすこともあった。
両親は10日、報道陣の前に姿を見せ、母親は地面に崩れた。親族が電話すると、母親は「亡くなられた方に償いきれない」と泣いた。
よりどころとなるべき家は壊れ、派遣社員としてどこにも根を張れずに流れていく。浮草が最後にたどり着いたのは、虚実入り乱れる「アキバ」だった。【まとめ・井上英介】(毎週日曜日掲載の「ニッポン密着」は、紙面の都合で本日掲載しました)
(出所:毎日新聞 2008年6月17日 東京朝刊)
午前5時半過ぎ、バスが市内を回って男たちを拾う。国道を北上する間、晴れていれば朝日に輝く富士が左手に見え隠れする。だが、外を眺める者はいない。
6時過ぎ、静岡県裾野市の関東自動車工業東富士工場に着く。トヨタ自動車の子会社。6時半、始業の合図で派遣社員の一日が始まる。東京・秋葉原の17人殺傷事件の加藤智大(ともひろ)容疑者(25)は、塗装の汚れを肉眼で調べる工程を担当していた。
わずかなほこりの付着も許されない。10分間のトイレ休憩と45分間の食事を除き8時間立ち詰めで、数時間の残業もざら。汚れを見逃せば工程長が飛んでくる。下手をすれば始末書を書かされる。
「塗装面をにらんでいると、すぐに目が痛くなる。初日で辞める者もいるが、やつはまじめだった」。一緒に働いた20代の派遣社員が言う。「トヨタの期間工(契約工員)になりたいと言っていた」。応募したが、不採用。
はかない夢だった。
5月半ばリストラのうわさが流れた。同22日、工場の空調が壊れ、ふだん物静かな加藤容疑者が「暑い」とイライラを爆発させた。
今月3日、派遣社員200人を50人に減らすと伝えられた。米国の低所得者向け高金利住宅ローン(サブプライムローン)や原油高の影響で工場は生産を15~20%縮小する。「月末で辞めてもらう」。150人がそのひと言で収入を断たれることになった。
何かが決壊した。5日の出社後に暴れ、姿を消した。
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青森市の名門、県立青森高校(青高(せいこう))を卒業して、流転の人生が始まった。
人口8500人の岐阜県坂祝(さかほぎ)町。入学した中日本自動車短大の周囲は里山と田畑が広がる。夜になるとカエルが鳴き、街の灯が遠くに見えた。イタリアの国立フェラーリ工業専門学校と提携し、整備士を目指す若者が集まっていた。
加藤容疑者は併設の学生寮に入った。周辺にはコンビニと、中華料理店が1軒。50代の女主人が記憶の糸をたぐる。「そういえば夜たまに一人で来て、漫画を読んでいた。短大の学生はお得意さんでよく覚えてるけど、印象薄いわ」
短大を出て、派遣社員として各地を転々とする。埼玉と茨城では派遣会社の借り上げ社宅で暮らした。
埼玉の社宅を見せてもらった。3DKのマンションに3人で住む。6畳間3部屋を1部屋ずつ使い、キッチン、風呂、トイレは共用。だが、キッチンの流しに食器はなく、生活臭がまるでない。誰もが6畳間にこもり、音漏れに細心の注意を払うせいか、部屋全体が静まり返っている。
茨城の社宅では、疲れきって帰宅した40代の派遣社員がこぼした。「事件で派遣に偏見を持たれたら迷惑だ。正社員になれず、仕方なくやっている。頑張ってはい上がろうという人も大勢いる」
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強風の日には波しぶきが吹き込む。津軽半島の海沿いに、加藤容疑者の母親(53)の実家はあった。才媛(さいえん)とうたわれて青高へ進む。「地元の弘前大に行くくらいなら……」と県外の国立大を受けたが、かなわず、金融機関に就職した。
父親(49)は青森市に育ち、県立高から同じ金融機関へ。2人は間もなく結ばれ、男児2人をもうけた。加藤容疑者は長男だ。
父親は努力を重ね、学歴のハンディをはね返し、各支店の営業を統括する役職に上り詰めた。教育熱心な母親は、祖父母に「教育には口を出さないで」とくぎを刺した。「子供は必ず大学へやる」。高卒の夫婦は厳しい態度でわが子に臨んだ。
幼いころ、しかられて家から閉め出され、弟の手を引き祖父母の家まで歩いた。近所の人は「そこまでしなくても」と胸を痛めた。
期待通り青高に合格し、母親は実家に喜びの電話を入れた。
高校1年の夏。「成績が振るわない」。母親は沈んだ顔で親類に打ち明けている。夫婦仲は冷え、父親は酒に逃げ、自宅の垣根のそばに寝転がって夜を明かすこともあった。
両親は10日、報道陣の前に姿を見せ、母親は地面に崩れた。親族が電話すると、母親は「亡くなられた方に償いきれない」と泣いた。
よりどころとなるべき家は壊れ、派遣社員としてどこにも根を張れずに流れていく。浮草が最後にたどり着いたのは、虚実入り乱れる「アキバ」だった。【まとめ・井上英介】(毎週日曜日掲載の「ニッポン密着」は、紙面の都合で本日掲載しました)
(出所:毎日新聞 2008年6月17日 東京朝刊)