【感謝】誕生日の迎え方で感じるSNSの力
昨日は、私の51歳の誕生日でした。
リアル世界では、妻と二人、とくにパーティがあるわけでも、豪勢な料理があるわけでもなく、淡々と過ごしました。
こんな感じです。
誕生日だからと言って贅沢はしない@fujita244's field
2013年のお誕生日は特に何処に行くわけでもなく、妻とチョットした外食で済ませました。
いつもと違うのは、土曜日だったのでゴルフに行って40人のコンペで9位に入って残念だったくらい(10位なら商品があった)。
夜はいつもの様に新宿の某店で常連さんが旅行から帰ってきたのでおみやげを貰ったり、とくに誕生日プレゼントもなく。
でも、Facebookやmixiでは沢山の「おめでとう」を頂いたわけです。
しかも、本当に久しぶりの大学時代の先輩やら、ネット上でしかコミュニケーションしていない某大学教授やら、某社社長などなど。身に余る光栄を感じながら、コメントをつけたり「いいね」で済ませたり、mixiはmixiバースデーアプリが色々と面倒くさいのですが、プレゼントのお礼を返信したり。
こういうところに、新しいコミュニケーションというか、新しい社交のあり方が生まれているのを感じます。
公共ではないけど、社交の場としてのSNS。
公ではなく、私ではない、独特の距離感と交際が生まれる場。
そこでの「ごきげんよう」が「いいね」でありスタンプであり、ちょっとしたコメントであり。
だからこそ、社交マナーとしてのSNSマナーが必要であり、そのマナーを踏まえたやり取りに精通するリテラシーが必要なのだと思うのです。
Twitterはもうちょっと街頭というか、表通りでの通りすがりのやり取りを盗み疑義している感じに近く、Facebookは向き合った関係だけど、表面の良さが必要で、クラブやレストランの常連客同士の会話、mixiは遊び仲間とのたまり場での会話に近くて、バーや飲み屋での常連との会話のような感じ。
少しづつの違いを感じながら、それを楽しむならば、それぞれを続けていけるでしょうが、中にはそれに疲れる人がいるのももっともなことだと思います。
SNSが何かを変えると言われて、いろんな本を読みましたが、たしかに人と人の距離とか付き合うベースが変わっているのでしょうが、結局は、そこに参加する人の力なのだという気もしています。
今年は、そうした何かを自分自身の力にしていければ良いなと思っています。
どういう50代が待っているのか。
誕生日を過ぎて、少し楽しみになってきました。