1944年-インパール作戦が始まる
作戦を指導した牟田口中将
大東亜戦争の末期、昭和19年3月から6月にかけて、日本陸軍はビルマ(現在名ミャンマー)からインド北東部の要衝、インパールを攻略しようとして作戦を発起し勇戦したが補給の不備で果たさず、空と地から英国軍の反攻を受けつつ退却した。
負傷し、飢えて衰弱した体でマラリアや赤痢に罹患し、退却途中で大半が力つきて、退路には延々と日本兵の腐乱死体や白骨が折り重なっていたことから、白骨街道と呼ばれた。
生還した兵の記録に次のようなものがある。
「白骨街道生死の境」小田敦巳
道ばたに腰掛けて休んでいる姿で小銃を肩にもたせかけている屍もある。手榴弾を抱いたまま爆死し、腸わたが飛び散り鮮血が流れ出したばかりのものもある。たいてい傍らに飯盒と水筒が置いてある。
ガスが充満し牛の腹のように膨れている屍も見た。地獄とは、まさにこんなところか。
・・・ その屍にも雨が降り注ぎ、私の心は冷たく震える。
そのような姿で屍は道標となり、後続の我々を案内してくれる。屍を辿った方向が分かるのだ。皆これを白骨街道と呼んだ。屍の道標を頼りに歩いた。
こうした酸鼻な敗戦だから、作戦を指導した牟田口中将は戦後あらゆる罵声を浴びせられた。負ければ賊軍は世の習いである。然し、幾らそんな評価をしても失われた生命は帰ってこない。
寧ろ戦争を知らない世代を生きる我々は、歴史を評価するのでなく「何を学ぶか」が大切なことだと思う。インパール作戦は戦争を知らない我々には不思議なことが幾つかある。
◇
昭和18年9月の御前会議で絶対国防圏として千島、小笠原、マリアナ、西部ニューギニア、スンダ、ビルマを含む圏域と定め、この外郭線において敵の侵攻を食い止めようという戦略が決定されたと聞く。
その基本戦略に反してインドに撃って出ようというインパール作戦は最初に書いたようにその翌年3月である。なぜ、この時期にこういう作戦を立てたのか。
反対していた大本営も、当時日本に滞在していたチャンドラ・ボーズの強い要請を受けて作戦の実施を認めた。インドの独立に火をつけることで、退勢が濃くなって来た大東亜戦争の戦争目的を改めて世界に訴える意味が重視されたのであろう。
守る英国軍は15万であった。攻める日本軍は9万、他にインド国民軍4万5千がいた。加えればほぼ並ぶのに、日本軍はそのインド国民軍をまるごと温存したようである。
世界の普通の国ならこうした場合、インド軍を寧ろ前に立てて自国軍主力の犠牲を少なくしようとする。ましてインド独立のための戦いである。インド国民軍を前に出して何が悪い。
然し日本軍はそれをしなかった。自分たちが戦いの先頭に立った。個別に少数のインド兵を配属された日本軍の下級将校も皆そうした。
戦闘のプロである日本軍の幹部は、これがどういう困難な戦いになるかは分かっていただろう。だからインド兵は後ろに置き、自分たちが先頭に立ってインドを目指した。
日本軍の心意気は必ずやインド兵に伝わり、インドの決起を促すであろうと、或いは末端の兵士はそこまで考えていなくとも、虐げられたアジアの尖兵として戦うという本能的なアジアの心は、大東亜戦争の日本軍将校が共有していたのではないかと思う。
果たして遠からずインドは独立した。インパール作戦は成功したのである。その意味を知ればこそ、戦後の東京裁判に独立間近のインドは歴史の証人としてパル氏を判事として送り込んだのではないだろうか。
◇
戦争を知らない我々にとって二つ目の驚きは、こういう惨烈な戦いに終始日本兵の士気が高かったと聞くことである。
インパールは補給を無視した無謀な戦いであると戦後の誰でもが書くが、もともと国力の隔絶している日本がやむを得ず世界を相手に広いアジア全域で正義の戦いを始めたときに、第一線への補給の困難は分かっている。
ましてアラカン山脈に分け入る進撃である。ジャングルの中である。食料乏しく、弾薬も尽き、医薬品は最初から不足し、マラリアやテング熱、赤痢も猖獗する日々を、遠路はるばる二ヶ月を戦い抜いた。
かのワーテルローの戦いはたった一日である。戦いの二ヶ月はものすごく長い期間だろう。
後方との連絡の細い山道は常に上空からの銃爆撃にさらされて、命令も情報も伝わってこなかったに違いない。その中を日本兵たちは、ほんの数人の塊となって英国軍と戦い続けた。
ひとりも降伏しない。誰も勝手に退却しない。軍の形は崩壊しても、一人一人の日本兵は弾の入っていない歩兵銃に着剣して、後退命令の来る最後まで戦い抜いた。
そうした闘魂の積み重ねで一時はインパールの入り口を塞ぐコヒマの占領まで果たしている。前半戦は勝っていた。
◇
三つ目の不思議はその軍紀である。
餓鬼や幽鬼のような姿で山中を引き揚げる日本の将兵たちは、だれ一人、退却途中の村を襲っていない。既に何日も食べていない。負傷もしている。病気にも罹っている。けれどビルマ人の民家を襲って食物を奪い、家畜を殺し、ついでに女を犯すといったことは伝えられていない。
銃を持った敗残兵がそうのようなことをするのは世界史の常識である。然し、戦場になったビルマ人たちは戦中も戦後も、日本軍に極めて好意的であったと聞くのは、そういう不祥事がなかった証拠だろう。
更に驚くべきことに、戦後のインパール戦記は沢山書かれたけれども、民家を襲うようなことはしなかったと誇る記述を誰一人も残しておられない。戦争に関係のない民家を襲わないなんて「当たり前」のことだったのだろう。
寧ろ、退却途中でビルマの人に助けて貰った、民家の人に食事を恵まれたと感謝を書いている例が多い。それが日本人だった。そういう生き方が我々の祖父や父の若き日であったのだ。
◇
最後の不思議である。
この戦いは英軍15万と日本軍9万の大会戦である。有名なワーテルローの戦いはフランス軍12万、英蘭プロイセンの連合軍は14万だから、殆どそれに匹敵する歴史的規模の陸戦であった。にもかかわらず、英国はこのインパールの戦いの勝利を誇るということをしていない。
戦いの後、インドのデリーで、英国に胡麻すりのインド人が戦勝記念式典を企画したが、英国軍の上層部が差し止めたと伝えられる。何故か。
理由は判然としないが、以上の戦いの回顧をして、私は何となくわかる気がする。第一線で戦った英国軍は勝った気がしなかったのではないか。
自分たちは野戦食としては満点の食事を摂り、武器弾薬も豊富に持ち、次々と補給される。そして植民地インドを取られないために、つまり自国の利益のために戦っている。
それなのに日本兵は、ガリガリに痩せ、誰しも何処かに負傷し、そして弾の入っていない銃剣を握りしめて、殺しても殺しても向かってくる。それが何と、インドの独立のため、アジアの自立のためである。そんな戦いが60日以上も続いた。
ようやく日本軍の力が尽きた後に、何万もの日本兵の屍が残っていた。それを見たときに、英国人たちは、果たして正義がどちらにあるのか、自分たちがインドを治めていることに、正義があるのか、根底を揺さぶられる思いをしたのではないかと私は考える。
実際、インパールで日本軍と戦った後、インドに起きた独立運動に対する英国駐留軍の対応は、当時の帝国主義国家の植民地対応として、あまりにも手ぬるい。やる気が感じられない。
ガンジーたちの非暴力の行進に対して、殆ど発砲もしないで通している。以前の英国軍なら、デモ集団の真ん中に大砲を打ち込むくらいのことはした。
そして、戦後の東京裁判で、英国はインドがパル判事を送り、パルが日本擁護の判決付帯書を書くことについて容喙していない。そこに私はインパール作戦が世界史に及ぼした大きな、真に大きな意義を感じる。
戦後左翼評論家の「ああだ、こうだ」のご託宣よりも、現実にあった歴史の後に、どういうことが起きたかをキチンと見ることの方が余程真実に迫るのではないかと私は思う次第である。
「戦場でもっとも大切な兵站を無視した無謀な戦いをした」
「作戦を独断専行で進めた牟田口中将はバカである」
「はじめから意味のない戦いだった」
等々、戦後あらんかぎりの罵声が浴びせられている戦いです。
実際、日本兵9万が出撃し、3万名が戦死、4万名が戦病死しています。負け戦です。
しかし、何万もの将兵を失った戦いというなら、16万の将兵を投じて15万名が戦死に至った東ニューギニア戦や、一方的に倒されたトラック諸島の攻防戦、あるいは敵をして七面鳥撃ちと言わしめたマリアナ沖海戦、相次いだ南方諸島での玉砕船など、インパール作戦以上に悲惨な戦いは他にも多くあります。
そもそも大東亜戦争そのものが、およそ戦闘という意味においては負け戦だったわけで、であれば個々の戦闘において、種々の敗北戦があるのは、ある意味、当然のことです。
にも関わらず、なぜかインパール作戦だけが、なにやら突出して、無謀だとか独断だとか、はなから意味がなかっただとか、口を極めて罵られ続けている。
けれど、これがとっても大切なことなのだけれど、インパール作戦は、すくなくとも中盤戦までは、日本軍の圧勝だったのです。
インパールへの出撃に際して、牟田口中将は、
と述べています。ここに諸氏に告ぐ。
河、山、錯綜せる密林など、いくたの障害あるとはいえ、駿足にして無敵なる進攻のみが本作戦勝利のカギと知るべし。
そもそもインパール作戦は、迅速を旨とする作戦であったということです。
日本は初動段階で、インパールの入り口をふさぐコヒマを占領しています。すぐ近くにディマプールという、英国軍の物資補給基地があります。そこまでは、わずは2日の距離です。
もし日本が、その段階でディマプールを陥としていれば、補給の問題は解決していたのです。そうなるとインパール作戦は、日本側の大勝利に終わった可能性すらある。
そのことを敵である英国側が、戦後はっきりと認めています。
戦後の東京裁判史観を原典として、事情も調べずにああだこうだ批判する反日左翼の評釈より、実際に牟田口中将率いる第十五軍と戦った英国軍の言う事の方が、よほど真に迫った現実を物語っています。
まず、アーサー・スウィンソンという英国のインド駐留軍第二師団参謀は、その著書である「四人のサムライ」の中で、次のようにインパールの戦いを記述しています。
当時の状況としては、勝負はまったく髪の毛一本の競り合いだった。
インパール作戦における日英の戦いは、毛筋一本で戦局が変わる微妙なものであったと書いているのです。
彼は、さらにこう述べます。
当時のディマプールは、全地域にわたって、狼狽と混沌の中にあった。
何千という苦力が路地に群がっていた。
血走った眼の通信隊の列がぶつかりながら動いていた。
日本軍がディマプールを手中にすれば、そこには食糧、弾薬、ガソリン、輸送車が無尽蔵にあったのだから、牟田口は確かに勝っていた。
双方の兵力は、英国15万、日本は9万です。しかも、英国軍は、十分な兵站がある。対する日本側は、毎度のことだけれど、ギリギリの装備しか持っていない。
ギリギリの装備しかなかったのは、牟田口中将の資質の問題ではありません。日本という国自体が、貧しく、ギリギリの戦いをせざるを得なかったのです。
そこを間違えてはいけない。日本本土だって食い物がなくて、食管法が施行され、闇米が流通し、人々に生活物資がいきわたらなかったのです。冬は寒いけれど、石油ストーブさえ炊けなかった。
だからみんな木を燃やしたのです。都心部では餓死者まで出る状況だった。日本はそうした事情の中で戦っていたのです。第15軍だけが、なにも兵站が少なかったわけではない。
それでも牟田口中将率いる第十五軍は果敢に戦い、昭和19(1943)年3月21日には、宮崎繁三郎指揮の左突進隊が、はやくもウクル・サンジャクの英国第49旅団を潰走させています。日本陸軍は、ほんとうに強かった。
そして続く本隊が、コヒマに肉迫した。
コヒマは、ディマプールからインパールに通じる、補給路の要衝です。日本軍の猛攻に、3月25日、英国のアジア総司令官であるマウントバッテン卿は、ロンドンにある英国統合本部に次のように打電しています。
もはやインパール街道と、ディマプール~コヒマ間の輸送路の持久は望み薄となった。
第四軍団および、スチルウェル軍との連絡も絶たれる可能性が高い。
唯一の希望は、有効な防御によって勝利の転機を見出すだけである。
よって、すみやかに第7師団をインパールに空輸せられたい。
その第7師団の空輸が始まったのが4月6日です。その空輸が始まった当日に、日本軍は、はやくもコヒマを占領しています。まさに疾風怒涛の快進撃だった。
コヒマの目と鼻の先には、英国軍最大の補給基地であるディマプールがあります。
ディマプールが陥ちれば、日本軍は、糧食、武器、弾薬、ガソリンなど、戦いに必要な一切合財を確保することができます。
ところがここで、予期せぬ出来事が起こります。
一刻の猶予もならないと、督戦をあおる牟田口中将に対し、コヒマ攻略の指揮官が、牟田口中将兵の反発から、敵前で進撃を停止してしまうのです。これは外敵というより、むしろまったく内部事情です。
ディマプールにいた英国スタッフォード将軍は、
「このとき、もし日本軍が、コヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら、(作戦全体において、英国に勝利はなかった」と述べています。
日本側のコヒマ攻略の指揮官は、その後インパール作戦の日本側の配色が濃くなったとき、補給途絶の故をもって、無断撤退して抗命事件を起こします。
なぜか戦後史観では、この命令に逆らって無断撤退した佐藤幸徳中将が将兵1万の命を救ったと高い評価を得ているのだけれど、実際に戦った英国軍側から見ると、このとき佐藤中将が、あと二日の距離を急進し、ディマプールを陥としていたら、戦況はまったく違うものになっていた、ということなのです。
*
さらに話を進めます。
たしかにインパール作戦は、困難な作戦です。しかし、当時、タイに駐留していた牟田口中将率いる日本陸軍は、わずか3個師団なのです。
この3個師団で、英国のビルマへの浸透を抑えることは、前線が広すぎてどうにも困難です。
さらに、支那南部の雲南省には、国民党十万の大軍がいます。この大軍は、通常の寄せ集めの支那兵と異なり、米軍のジョセフ・スチルウェル中将によって、米式で徹底的に鍛えあげられた軍団です。
時間が経てばたつほど、日本側は不利になる。しかも彼らには、十分な補給がある。
簡単にいえば、東海道を東進する圧倒的大軍の敵を、箱根(インパール)で討つか、関東平野(ビルマ)まで引き入れて迎撃するかという選択が、インパール作戦となっています。
これだけではありません。インパール作戦の実施は、日本とその同盟国との関係が大前提となっている。
そもそも大東亜戦争というのは、日本によるアジアの植民地からの「解放」戦争です。特ア三国以外のアジア諸国は、みんなそう理解している。
なぜならそれが本当のことだからです。異を唱えているのは、特ア三国だけです。
特ア三国は、大東亜戦争においては、日本とも諸外国ともまったく戦闘をしていません。
当時、八路軍と呼ばれた毛沢東率いる中国共産党は、単に中国奥地に隠れていただけだし、金日成は、名前も登場しない小者にすぎない。
韓国を建国した李承晩は、米国亡命中で日本軍には会ってもいない。彼らは強力で規律正しい日本陸軍を前に、逃げ回っていただけです。
戦後の東京裁判で、日本陸軍だけが裁きの対象となり、海軍にはまったく罪が及んでいない事情がここにある。
要するに、実際には日本軍とまったく相対することのなかった連中が、後年になって、「我こそは抗日戦線の英雄」などと、嘘八百を言い募るものだから、その三国だけが、おかしな歴史認識となっているのです。
それ以外のアジアの国々は、すべて、日本のおかげで独立できたと認めています。
日本は、おおいに自信を持ってよろしい。
実際、大東亜戦争のさなかである昭和18(1943)年11月に、東京で大東亜会議が開催されています。
会議の席上で、ビルマのウー・バー・モウ総理は、次のように述べています。
インドの独立なくしてアジアの独立なし
そして特別参加していた自由インド政府首班のチャンドラ・ボーズは、特に発言を求めて烈々たる気迫で、次のように語った。
他国は、あるいは英国と講和ができるかもしれませんが、インドとしては絶対に英国と講和はできない。
これを受けて、東条英機総理は、
日本は、いよいよインド独立のため、全幅の協力をする決意
と述べています。
この会議で、日本がその時点ですでに占領していた、インド領アンダマンとニコパル両諸島が、自由インド政府に帰属することになった。
この会議で、日本はインドの独立のための具体的支援行動に出ることを、国際的に約束したのです。
約束は守らなければなりません。日本は、大東亜会議の二か月後である昭和19年1月に、インパールへの進攻作戦を決定する。
軍は、国家の命によって動きます。国が、インド独立支援を決めたのなら、それに沿った軍事行動をする。それが軍隊というものです。
この決定の時点で、牟田口中将以下の第十五師団は、タイで道路工事をしています。
軍隊というと、戦闘以外のときは、なにやら教練をしているくらいしか仕事がないと思っているなら、大間違いです。
諸外国の軍隊はそうかもしれないけれど、日本陸軍は、戦闘以外のときは、地元のために植林事業をしたり、ジャングルに物流の中核となる道路を造ったり、橋をかけたり、地域のために休みなく大土木工事を行っていた。
ぜんぶ、当該地域住民のためです。
とにかく、休んだり、暇にしていることがない。24時間、365日、休みなく、地域のために働き詰に働いていたのが、日本軍です。
本国から命令を受けた牟田口中将は、具体的なインド独立のためのインパール作戦の詳細を煮詰めます。
当時の日本軍の作戦というのは、巷間、よく言われる「第何々連隊は○○を攻撃すべし」というような、アバウトなものではありません。
予算にも装備にも限界がある日本は、攻撃のルートから手順、目標、経路、必要な装備に至るまで、詳細につぐ詳細な検討がなされ、攻撃活動を展開しています。
その作戦の詳細が煮詰まった、昭和19(1944)年3月8日、牟田口中将によって発動されたのが、インパール作戦です。
ただし、日本のインド独立支援という国家の命題を背負った牟田口中将と、現場の戦線だけを監督する現場指揮官との間には、その意識において、この時点で大きなギャップが生まれています。
つまり、日本国の決定としては、インド独立支援を行う。ところが、この時点で、すでに日本は全体の戦線を縮小する方向にあったわけで、にもかかわらず、
「なぜいまさら戦線を拡大するインド攻略などしなければならないのか」
という意識が、現場指揮官内に万延していたのは否めません。
しかし、軍は、国家の命に沿って動く。
作戦の詳細を煮詰め、一気にインドに駐留する英国軍を叩く作戦を決定した牟田口中将揮下の第十五軍は、出撃と同時に破竹の快進撃を行います。
そして、起こったのが、コヒマ攻略隊の造反だった。
日本軍は、敵の補給基地の奪取による圧倒的有利な戦いのチャンスを逃し、以降、いっきに敗戦への道を転がり落ちることになる。
しかしそれでも、補給難に陥った状態で、よくぞ二か月間も、ジャングルの中で耐えに耐え、日本の将兵は戦ったものです。
さらに、全軍が総崩れになって、飯も食えずに退却する中にあって、日本の将兵7万人が通った退路で、ただの1件たりとも、民家への略奪や暴行事件が起こっていない。
そして、インパール作戦は、日本側の敗退に終わったけれど、このときの日本の将兵の果敢な戦いが、英国軍の最高指揮官マウントバッテン卿の心を動かし、戦後の東京裁判でのインド人、パル判事の派遣につながる。
そして、インドは英国から独立した。
*
インパール作戦については、戦後、戦史家の佐藤晃氏が、詳細な史料に基づく検証をされています。
佐藤氏は、陸軍士官学校第61期生です。軍事の専門家でもあります。
以上の分析は、その佐藤晃氏に学んだ、史実を世界に発信する会の茂木会長から、教えていただいた内容に基づいて、記載させていただきました。
戦後の自虐史観では、インパール作戦の悲惨な撤収ばかりが強調され、そこだけをみたら、まるで日本軍ダメダメ作戦でしかなかったかのようです。
けれども、子細に史料を検証すると、そこからはまったく別な真実が見えてくる。
私たちは、戦後の歴史認識を、いま、抜本的に改める時期にきていると思います。
【インパールの戦いについて】
小名木善行(HN:ねずきち)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1479.html
http://youtu.be/cRWYIhPMlBQ
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■6府県/1政令指定都市
(令和4年5月4日現在)
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コメント
No title
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/1974483.html
戦場の歴史という本では、アラメインやスターリングラードと並んでインパールも紹介されてるし、英国で史上「最大」の戦いをアンケートしたら、インパール・コヒマの戦いが決戦投票で一位になってる。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130508k0000m070110000c.html
イギリス人から見ればWW2はどうしてもナチと戦ってる意識が強かったけれど、インドビルマの戦いも歴史的意義があったのを認めざるを得ないのでしょう。
Re: No title
コメントありがとう五゛さいました。
ご指摘の通り、英国はこの闘いを誇りとしていませんね。
貴重な資料を添付していただき誠にありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
桑木崇秀先生
●関連記事
防衛が疎かな国
軍医としてインパール作戦にも参戦した桑木崇秀氏(医学博士:93歳)の基調講演
日本は東京裁判史観からの脱却が必要
『維新政党・新風』東京本部
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-2380.html
中山成彬が朝日新聞の捏造や教科書の嘘など国会で指摘・マスコミは報道せず・桑木崇秀先生講演会
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4992.html
インドのナガランド
そもそも「インドじゃない」という話もある。
日本軍がインパール作戦に入るまではナガランドはイギリスの支配を受けておらず、インドがイギリスから独立する前日の1947年8月14日に独立宣言を行う。1947年8月15日より、イギリスから独立したインドの一部になっているが、インドからの独立運動が続いており、現在でも一部の勢力はインド政府に抵抗している。
イギリスでさえ、支配する気がなかったというとんでもない土地
ナガ族と呼ばれる連中が住んでいるらしいが、アッサムの紅茶農園を襲うので、対応に苦慮したとも言われる
No title
No title
http://yryk.seesaa.net/article/134172414.html
【本】高木俊朗「抗命 -インパールⅡ-」
http://yryk.seesaa.net/article/137816415.html
【本】高木俊朗「全滅 -インパールⅢ-」
http://yryk.seesaa.net/article/414111550.html
【本】高木俊朗「憤死 -インパールⅣ-」
http://yryk.seesaa.net/article/415241120.html
余剰の時代 (ベスト新書)
2015/3/7
副島 隆彦 (著)
内容紹介
21世紀の現代を生きる私たちは今、途方もなく厳しい時代を生きている。「余剰・過剰」問題という怪物が世界を徘徊している。モノを作っても売れない。どんなに値段を下げても売れない。だから、人間が余ってしまう。従業員を「喰わせてやる」ことができない。社会は失業者予備軍で溢れている。とりわけ若者が就職できない。
実は百年前のヨーロッパで始まった、この解決不能の問題を、人類の中の最も先鋭な人たちがすでに真剣に悩み抜いていた。
ヴォルテール、ニーチェ、ケインズに導かれ、政治思想家であり、かつ金融・経済予測本のトップランナーである著者が、この難問題に挑む。
《章目次》
第1章 「余剰」こそは人類最大の解けない問題だ――最後に余ったのは「人間」
第2章 理想を捨てよ、そして何があっても生き延びろ! ――日本人が知るべき世界基準の思想
第3章 生き延びる思想――日本人が知るべきリバータリアニズム
-
副島さんの新著「余剰の時代」に、ルソーが全体主義とファシズムの源流ということがエンサイクロペディア・ブリタニカに書いてあることを鴨川氏が発見したことを「鴨川氏の業績になるだろう」と
31師団は軽井沢から徒歩で金沢を、15師団は甲府から33師団は小田原から岐阜を目指した。
当然、日本アルプス等の急峻な山や河を越え戦闘しながら。
歩兵の装備は ◇三八式歩兵銃、銃弾120発、銃剣1挺、手榴弾2発、擲弾筒(てきだんとう・小型の迫撃砲)の砲弾5発、合計約10K
◇鉄帽(鉄かぶと)、皮製の剣のさや、銃弾入れ2個、兵器の手入れ用具一式、小型シャベル、ガスマ スク、合計約10キロ
◇食糧、米7日分6キロ、乾パン、缶詰、味噌、醤油、合計約8キロ
◇衣類の予備、地下たび、水筒、飯食、携帯テント、洗面具、筆記用具、これを入れる雑嚢(リュックサック)合計8キロ。これだけで約40キロである。夏ならこの程度で済みそうだが、冬ともなれば、毛布2枚、厚手のコート、携行燃料なども持っていかなくてはならない。加えて二等兵は、銑弾の予備(約60発)、擲弾筒の砲弾の予備(5発、1発の重さは800グラム)を持たせられたのである≫(『日本軍小失敗の研究Ⅱ』
ついでに、補給の拠点は宇都宮、司令部は仙台。
この装備でコヒマの占領を維持しつつ、更に敵の補給拠点を攻めるのは、かなり厳しいと思いますよ酷使様、制空権も敵のものだし。
No title
あなた、戦史をちゃんと読んだことありますか?
どう考えてもインパール作戦は徹底的に批判される対象ですよ。褒められるのは撤退を決断した現地指揮官の判断です。牟田口の馬鹿じゃない。
No title
とりわけインパール作戦を、ワーテルローの戦いにたとえるなど愚の骨頂であろう。ナポレオン戦争なら、エジプト遠征にでもたとえたほうがふさわしい。司令官が、多くの軍勢を危地にさらしたまま置き去りにした戦いだ。
ブログ主の思想性では無理もないが、イギリス軍と協働して日本の侵略軍と戦い、祖国の地を守り抜いたインド植民地軍やグルカ兵たちの武勲がまるでないがしろにされている。
インパールが守り抜かれたのは彼らの奮闘によるところが大きいし、その功績が認められインドの独立につながっていく。
さらにインド共和国の名誉のためはっきり言っておかねばならないが、インドが東京裁判に代表を送り込めたのは、日本軍の侵攻の被害者であること、それと連合国側に立って日本の侵略に立ち向かったからである。
ファシストを擁護するためではないし、パル判事の意図もそこになかった。
「牟田口が畳の上で死んだということが許せない。」
「立て直そう日本女性塾」講演会のご案内
主催は女性の立場から、日本を建て直そうとする保守系団体であり、単に受け身の勉強会に留まらず、実践行動を旨とする団体だそうですが、下記講演会は男性の参加も大歓迎との事です。
日時 平成28年 3月23日(水) 13:30~15:30
(開場13:00)
会場 参議院議員会館 B104号室
講師 杉田水脈 (前衆議院議員)
女子差別撤廃国際会議報告(イアンフ問題のレポート)
参加費 千円
申し込み FAX:03-3311-7810
メール:[email protected]
(幹事長 松浦芳子)
以上連絡を受けた行事の転載です。
2016/03/08(火) 19:35:34| URL| はる #-
No title
まずこのコメントの体裁を読みやすく立て直すのが先ですわな。
No title
No title
右派左派は関係なく不勉強では...
No title
不勉強というより、自分達の主張が、先に有って、
歴史をこじつけているとしか、思えない。
呆れ返ってものが言えない
・援蒋ルート遮断、インド独立
海軍がインド洋に空母・戦艦を派遣して通商破壊やカルカッタ爆撃をすれば日本軍が来たということで奮起して独立のきっかけになっていた可能性はありました(棒)
想像ができなければ「ジパング」を読んでください。
それに連合艦隊がインド洋に戦力を投入すれば、それだけでもインド独立の機運が出たという話も聞きますけどね。
さて、本題。
コヒマからディマプールを攻撃すれば、第15軍は無尽蔵な補給を受けたから勝てたといいますが、コヒマから補給地点ウクルルまで撤退してますが、そこにも一粒の米も一発の弾丸すらありませんでした。これも補給がしっかりすれば可能でしたが……それについても佐藤中将は要請しましたけどね。
それにコヒマを陥落させてディマプールを占領したとしても、そんなのレドから英軍が来て奪還すれば話になりません。(牟田口もそれを考えてましたがw)
それに加えて制空権が確保できなかったから、補給が困難になりましたし、空中輸送を許しました。
迅速な作戦といいますが、一番適した驢馬を使わず、適していないビルマ牛とか馬とか使ってましたから(連合軍は機動性のあるバイクや驢馬を使いました)。
調査不足、敵を侮るなどもあったから無理ゲー。
ほんと、日本会議会員は艦隊これくしょんでもやってオール甲突破でもしてください。それでオール甲突破は簡単にできる、とでも言ってください。
インパール作戦レベルの歯ごたえとやりがいがありますから、ぜひともやってください。大丈夫です24時間プレイすれば可能です。
訂正のついでに
(レド公路)ディマプルのことでしたね、ほんとごめんw
しかし、そのディマプル攻略は不可能と防衛研究所が指摘しています。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_11.pdf
「もし、補給と火力がしっかりしていればディマプル攻略は可能だった。そういうことでは過大評価」というのが防衛研究所の見解です。
そうなると補給のスペシャリストがなぜインパール作戦に反対したのか素人でも解ります。
それに、ねずきちは田中謙介レベルの胡散臭い人ですから、その人の意見を鵜呑みにするってことは艦隊これくしょんにあることは全部史実ということになりますね。
本当、艦隊これくしょんのイベントでオール甲突破してから言ってください。
今回の記事
当時、八路軍と呼ばれた毛沢東率いる中国共産党は、単に中国奥地に隠れていただけだし、金日成は、名前も登場しない小者にすぎない。
韓国を建国した李承晩は、米国亡命中で日本軍には会ってもいない。彼らは強力で規律正しい日本陸軍を前に、逃げ回っていただけです。
これは正しい。
一言、戦後昭和天皇は日本各地を巡行されて日本国民を励ました。
昭和天皇は極めて分かりやすいい言葉を
使った、一度も自由と民主主義という言葉を使わなかった。
私はそこに彼の思いを感じる。
その一方日本の戦後教育では自由と民主主義が教室に飛び回っていた。
それを支えたのは日本国民であるということだろう。
杜甫の 国破れて山河あり城敗れて草木あり を思い出したのは随分昔だ。
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プロフィール
- Author:日本会議地方議員連盟
- 日本会議(会長 田久保忠衛・杏林大学名誉教授)は、平成9年5月、各界代表や都道府県代表が参加して設立されました。元気で誇りある国づくりをめざして、超党派の国会議員懇談会(会長 古屋圭司)の皆さんとともに全国で国民運動を推進しています。
このたび、日本会議に所属する全国の地方議員が連携し、地方議会から「誇りある国づくり」を発信するため日本会議地方議員連盟を設立しました。(平成17年3月6日)
議員連盟では、外交、防衛、教育、文化などの国の根幹に関わる基本問題に連携してとりくむネットワーク作りを進め、「憲法・教基法」の改正をめざします。
議員会員(年間1万円)には、会員専用サイトを設け、国会の動き、時局問題に対する見解、全国地方議会の動きなど国民運動情報を提供します。
皆さんどうぞご入会ください。
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●日本会議地方議員連盟へのご入会の案内
■設立趣意書
戦後わが国は、日本の弱体化を企図した占領政策の桎梏から抜け出せないまま、外交、防衛、教育、文化などの国の根幹にかかわる基本問題について、多くの病弊を抱えたまま今日に至っている。
近年、新教育基本法の制定、国民投票法案の成立、さらには防衛賞昇格など、戦後体制を脱却する動きは注目すべきである。しかしながら、その潮流はまだ大きなものとはなっていない。
この時にあたり、今こそ発言し行動する真正保守の結集が問われている。ここに志しある地方議員は「誇りある国づくり」をめざす日本会議と連携し、地方議会よりその動きを起こし、日本の国柄に基づく新憲法制定へ向け日本会議首都圏地方議員懇談会を設立する。
全国の良識ある地方議員が我々の趣旨に賛同され、あまたの先人が築いてこられた、この祖国日本を再建するため、我々は、下記の基本方針を掲げて献身することを誓うものである。
(平成十九年十月六日)
〈基本方針〉
1、皇室を尊び、伝統文化を尊重し「誇りある日本」の国づくりをめざす。
2、わが国の国柄に基づいた「新憲法」「新教育基本法」を提唱し、この制定をめざす。
3、独立国家の主権と名誉を守る外交と安全保障を実現する。
4、祖国への誇りと愛情をもった青少年の健全育成へ向け、教育改革に取り組む。
私たちはめざします。
全国に3000名議員集団を!
「誇りある国づくり」を掲げ、皇室・憲法・防衛・教育等の課題に取り組みむ日本会議と連携し、地方議会を拠点に、次のような運動を推進します。
①改正された教育基本法に基づき、国旗国歌、日教組、偏向教科書問題など、教育改革に取り組みます。
②青少年の健全育成や、ジェンダーフリー思想から家族の絆を守る運動を推進します。
③議会制度を破壊しかねない自治基本条例への反対など保守の良識を地方行政に働きかけます。
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私たちのめざす 方針と活動
一、新教育基本法に基づいた教育改革と教科書採択を推進する
一、議場への国旗掲揚を推進し、地方から誇りある国づくりを提唱する
一、議会否定につながる自治基本条例を阻止し、議会活動を活性化する
一、ジェンダー思想を相対化する、家族の絆を守る運動を推進する
一、時局問題への対応を敏速に行う
一、研修会、講演会を開催し、会員相互の見識と親睦を深める
一、全国に3千名の地方議員ネットワークを形成する
…………………………………………………………………………
■【人権救済法案問題】
●人権侵害救済法案に反対する意見書案
※人権侵害救済法案の問題点について
…………………………………………………………………………
■【自治基本条例問題】
●議会否定につながる自治基本条例の阻止を
①自治基本条例の問題点について
②外国人に対する住民投票権の付与について
……………………………………………………………………………
■【議場の国旗掲揚推進】
●地方議会議場での国旗掲揚について
……………………………………………………………………………
■【外国人参政権問題】
●外国人参政権に反対する意見書採択について
①反対決議は362市町村議会(H22年9月1日現在)
②慎重議員署名4071名・535議会(同年9月1日現在)
③慎重首長署名568自治体(7県知事221市区340町村長・同年9月1日現在)
………………………………………………………………………………