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阪神大震災

1995年1月17日に発生した阪神大震災。戦後初の大都市直下型地震が残した教訓・課題は今――。

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被災住民の公的救済を求め、立ち上がった元経営者 阪神大震災30年

「被災住民が災害に長く引きずられることなく、立ち上がれる社会を後への置き土産にしたいんやけどね」。上野泰昭さんはかつて店があった三宮の繁華街、東門街を久しぶりに訪ねた=神戸市中央区で2024年12月26日、大西岳彦撮影
「被災住民が災害に長く引きずられることなく、立ち上がれる社会を後への置き土産にしたいんやけどね」。上野泰昭さんはかつて店があった三宮の繁華街、東門街を久しぶりに訪ねた=神戸市中央区で2024年12月26日、大西岳彦撮影

 一歩一歩、踏みしめるようにゆっくりと進む。日に5000歩が目標だ。上野泰昭(よしあき)さん(81)=神戸市中央区=は街を見渡す。「生かしてもろうた30年やね。しかし、人を大切にする国になったんやろか」

 1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神大震災。ふっ飛ばされた後に踏ん張り直し、妻を守ろうと覆いかぶさった。割れた食器が散らばり、目の前に倒れた家具を見てたまたま助かったのだと知った。約20分後、坂の中腹にある自宅を飛び出し、自転車のペダルを踏んだ。同区の元町に住む長女が臨月を迎え、安否が心配になったからだ。

 大阪の高校を卒業後、橋りょう建設などを手がける企業で働いた。だが2年で退職。20歳で、元町・旧外国人居留地にあった父のレストランを継いだ。借金が膨らんだ父を助けるためだった。約30年かけて返済した後、弁当の注文や貸し切りパーティーの企画などを始め、軌道に乗った。事業拡張のため約3000万円の融資を受けた。震災はそんな頃に起きた。

後編・救済運動は「負けた」 生業支援も未整備のまま 阪神大震災30年

人間としての尊厳失った

 長女の無事を確認後、レストランが入るビルへ急いだ。懐中電灯を頼りに地下に向かうと、柱に大きな亀裂が見え、がくぜんとした。数日後、金融機関に相談…

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