
阪神大震災で被災した上野泰昭(よしあき)さん(81)=神戸市=は「30年前」を引きずったままだ。「七転び八起き。そう思ってやってきたけれど、なかなか起き上がれんもんやね」。神戸・三宮の喫茶店で苦笑いをする。
妻と2人暮らし。家賃を払うと10万円ほどしか残らない。物価高騰は続き、通院費用もかさむ。「国に公的支援を求めた被災住民の救済運動は結局、負けを認めざるを得ないですよ。震災で仕事や生活が立ちゆかなくなり、体を壊して亡くなったり、自殺に追い込まれたりした仲間は私が知るだけで何十人もいる」
二つの災禍に翻弄され
震災は、戦後半世紀となる年に起きた。戦争と震災。最近、人生を翻弄(ほんろう)した二つの災禍を重ね合わせて考えるようになった。第二次世界大戦中、大阪市天王寺区で生まれた。爆撃音や、祖母に背負われて飛び込んだ防空壕(ごう)のにおいを覚えている。1945年3月13日深夜から14日未明にかけ、米軍機による大空襲で自宅一帯が焼かれた。上野さん一家も焼け出され、疎開した京都・伏見で終戦を迎えた。親族には旧満州(現中国東北部)からの引き揚げ者もいる。「80年前も国から放り出され、置き去りにされた人たちがたくさんおったからね。苦労を背負い続けて生きてきた人がほとんどでしょう」
父順一さん(70年、62歳で死去)は34歳の時、大阪を拠点とする陸軍歩兵第8連隊に配属された。母きく江さん(91年、75歳で死去)との間に5人の子どもを授かったが避難や疎開で家族7人がそろうことはなかった。戦後、父は大阪市内で小さなチューインガム会社を起こすも3年で廃業。その後、船舶会社を営む知人から会員制の食堂の開店を持ちかけられる。上野さんが継いだレストランだった。
負けるが「勝ち」
父は亡くなる少し前、戦争体験を踏まえ、言った。「よしあき、負けるが『勝ち』やで。値打ちの『価値』もあるけどな」。「『人生は負けることがほとんどや。せやけど、(その負けを)参考にして勝てるときを待っとったらいい』。そんな意味合いやったね。震災も人生経験でいえば価値なんやろうけれど、震災後は負けがこんじゃってね」
発生1年が過ぎた能登半島地震の被災地。住民の姿に、阪神大震災後の自らをダブらせる。公的救済を求める活動を始めてから約1年後の96年、上野さんは活動を顧みて、「被災の実情は国や国会議員に十分に伝わっておらんな」と憤っていた。特例の打ち切りや貯蓄の取り崩しで、被災住民の生活は厳しさを増していた。永田町・霞が関との温度差をどうすれば解消できるのか、思い悩んだ。
命がけのハンガーストライキ
その春、生活再建の援助金を求めて、B4サイズの紙に罹災(りさい)証明書の複写を貼り付け、窮状や要望、被災体験を記した「署名」を呼…
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