歌舞伎俳優の坂東三津五郎(ばんどう・みつごろう、本名・守田寿=もりた・ひさし)さんが21日にすい臓がんのため都内の病院で死去していたことが、22日わかった。59歳だった。2013年9月にすい臓がんの摘出手術を受けたが、療養後の昨年4月に舞台復帰。だが、9月には12月に控えていた主演舞台の降板を発表。復帰を目指し、闘病を続けていたが、再び舞台に立つことはかなわなかった。
父親ゆずりの確かな芝居と舞踊の名手であると同時に、さわやかな口跡でも人気を集めた三津五郎さん。一日も早い舞台復帰を目指して闘病を続けていた名役者が、あまりにも早くこの世を去った。
13年9月に約4時間にわたるすい臓がんの手術を受け、すい体尾部(すい臓の中央より十二指腸から離れた部分)と脾(ひ)臓を摘出。10月に行われた会見では「今後も勇気をふるって、病に打ち勝つ努力を続けていきたいと思います」と力強く決意を語っていた。
手術後は治療と休養に専念。昨年3月に行われた会見では、酒、タバコを断ち、毎朝ラジオ体操で始まるなど生活の変化や、セブ島でシュノーケリング、沖縄でゴルフなど療養生活の内容を明かし、「“リゾート療法”で体調は大変いい。生かされていることに感謝」と回復ぶりをアピール。4月の「壽靱猿(ことぶきうつぼざる」で舞台復帰した。
だが同年9月、12月に上演予定だった主演舞台「芭蕉通夜舟」を、医師から「加療の必要あり」と診断されたため降板。がんの再発や転移ではないと説明し「しっかりと体をケアし、再び良い舞台をお見せできるよう努力して参りたいと存じます」と語っていたが、復帰はかなわなかった。
12年12月に亡くなった中村勘三郎さん(享年57)とは、同い年で幼なじみとしてしのぎを削り、勘三郎さんの企画に名を連ねることも多かった。歌舞伎界の行く末を真剣に考え、さまざまなアイデアを生み出した勘三郎さんとともに「新春浅草歌舞伎」など若手俳優の成長の場を確立。勘三郎さんの死去の際には「自分の人生の半分をもぎられたような気持ち」と語り、葬儀・告別式では弔辞も務めた。
歌舞伎で活動する傍ら、映画やテレビにも精力的に活動。昨年にはTBS系ドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」で病気療養後初めてドラマにレギュラー出演した。また、城郭巡りを趣味とするなど大のお城好きとして知られ、BS朝日「坂東三津五郎がいく 日本の城ミステリー紀行」が15日にも放送されていた。
私生活では2度の結婚と離婚を経験。女優の寿ひずる(60)との間に生まれた長男の坂東巳之助(25)は、歌舞伎界の次世代を担う存在として台頭してきた矢先だった。
勘三郎さん、13年に亡くなった市川団十郎さん(享年66歳)に続き、歌舞伎界はまた大きな柱を失ってしまった。
◆坂東三津五郎(ばんどう・みつごろう)本名・守田寿(もりた・ひさし)。1956年1月23日、東京都生まれ。9代目坂東三津五郎の長男で、62年に5代目坂東八十助を名乗り初舞台。2001年1月、東京・歌舞伎座の「壽曾我対面」などで10代目三津五郎を襲名した。女優の寿ひずる、元アナウンサーの近藤サトと結婚するが離婚。寿との間に一男二女があり、娘(守田菜生)は女優、息子は二代目坂東巳之助。池上季実子はいとこに当たる。屋号は大和屋。
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150222-00000148-sph-ent)
は?三津五郎?みつご・・え?八十助死んだん?っ感じで驚いた。
三津五郎襲名から14年も経っているのにまだ自分の中では八十助で通っている。
勘三郎、団十郎に続いて三津五郎って、みんな若いやん。
これからもっともっと味が出てくるいうのに、惜し過ぎる。
謹んでお悔やみ申し上げます。
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