2019/12/01
本20 川口由一・鳥山敏子「自然農-川口由一の世界」
川口由一・鳥山敏子「自然農-川口由一の世界」晩成社
川口由一さんの叙事詩的な表現と不思議な言い回しに惹かれて、「妙なる畑に立ちて」に続けて読みました。
内容
Ⅰ 自然農二十年
・二年間は種籾がやっとの収穫
川口:農薬にもおかされていたんでしょうね。それがきっかけで、おかしい、おかしいと困りきっているときに有吉佐和子さんの『複合汚染』に出会って、自分のやっていることの恐さと間違いに気づかされて・・・・・。で、ちょうどその頃に福岡正信さんの『わら一本の革命』という書物で自然農法という言葉に出会い、藤井平司さんの天然農法という言葉にも出会い、多くの先人の言葉や書物から気づかされていったんです。ああそうか、そうだったのか、そうなんだな、こういう農業のあり方だったらいまの問題が解決に向かうんだなということに気づいて、それで切り換えたんです。
鳥山:で、切り換えてすぐに収穫できたわけではないんでしょう。
川口:そうですね、二年間はお米は全然だめで・・・・。野菜も大半は。
・栽培に切り替える
鳥山:それは何が変わったんですか。
川口:一年目、二年目は福岡さんの本を頼りに僕なりの思いで、直播きの方法でやったんですが、三年目からは移植の方法に切り替えたんです。苗を育ててから、少年時代くらいまで見守ってあげてから一本一本独立させる移植の方法、むかしながらの田植えの方法です。それを耕さない田圃に植えていく。そういう方法をとったら、うまくほかの草の中で、あるいはいろいろな小動物の中でお米を育てることが出来て・・・・
鳥山:ただ種を蒔いてそのまま置いておくんじゃなくて、少し手を貸してやらなければならない時期があるという・・・・。
川口:そうです。その加減に気づかされて、その必要性に気づかされて・・・・・。ですから、自然のままに何もしないんじゃなくて、栽培しているんだという認識ですね。それと、目的とするお米がほかの生命に負けないように、あるいは育ちやすいような環境にしてあげて、その心配りの中で、その手助けのなかで育ててあげたらいいんだなというとこら辺で気持ちが定まったから、もう迷うことなく・・・・・。
・収穫がなくてもぼくの生命が癒される
・自分の生命が困らなかったら気づかなかった
鳥山:草ばっかりほうほうのときはいろいろ言われませんでした?
川口:言われても言われなくても気が遠くなるようなことがありますし、それから、言われたことで気持ちが沈んでしまうと言うことが起こりますけれども、でもそれまでの農業の仕方を生命から嫌がってますもので・・・・・。こういう方法にかえてから二年間失敗でしたけれども、田圃でいろんな生命が活動を盛んにしているわけでしょう。そこへ行ったら、ぼくの生命も癒されるのですね。ホッとしますのやね。それまではお米が実っていても自分の気持ちはいやでいやで喜ばない、何かしら救われたい思いがあって・・・・。で、切り替えてから、田圃に来てお米が実ってなくとも自分の生命が救われていますので、あんまり問題とならなかったんです。自分のしたいことができるわけでしょう。お米が育っていなくても自分のしたいことができますので。生命から喜べることを。
それと、根本の理がわかっていたもので、育たないのはぼくの応じ方が悪いのだということが大体分かります。
それから、いろいろな周囲の言葉が耳に入ってきますけれども、それとぼくの人生とは関係ないですしね、生かされている日々のなかで納得のいく生き方をしたいもので、それが喜びになっていて・・・・。続けていたら三年目でうまく育ってくれた。
あの有吉佐和子さんの『複合汚染』を読んだときはびっくりしましたね。農薬は恐いもんだとか除草剤はよくないもんだというようなことは思いもしてないでしょう。耕耘機は便利なもんだと思ってました。石油を使って地球の資源を無駄遣いしてるとか、空気とか大地を汚染してるとかそんなこと考えもしませんでしたものね。
耕さないと育たないとか、肥料がいるもんだということが常識になっていたでしょう。それもする必要がないという、それは福岡さんの本で始めて知ったんですけど、やっぱりびっくりしましたね。で、あっそうかと思ったらもう疑いが入らずに、ぼくの農業もこれからそんなふうにしたいなと思って、切り替える気持ちが定まったんです。
洋子:むかしは田圃へ行ったらもう早く帰りたかったけど、最近は田圃へ行ったら帰りたくない、言うてたね(笑い)。
川口:もうほっとしますね。
たくさんの量を、たくさんの収入をという農業でしょう。耕して死の状態にして田植えして、終わったらすぐに除草剤でしょう。それから殺虫剤を振りまきますね。そしたら田圃の中に生きているものがみなしんでしまっているわけでしょう。そしたらね、そういうことが悪いことだと知らなくても、もう耐えられなくなって、作業終わったら逃げるようにして帰りますのやね。その現場を避けたくなりますのやね。ところが、切り替えてしまってこんなふうに草がいっぱい生えて、小動物が住むようになってきたら、お米が育ってなくても、野菜が育ってなくても、そこにいたらホッとするんです。知らないのに身体のほうが喜んでますのやね。
Ⅱ 自然農の四季
春
夏
秋
冬
Ⅲ 漢方自家療法と自然農
Ⅳ 自然農を支える家族
Ⅴ 自然農 - つながりの世界
広大な面積には大きな機械を必要とし続けて、地球資源をどんどん投入、消費して地球生命体を損ね、水を、空気を、大地を、生命圏を汚染、破壊し続けて人類はもとより、多くの生き物を存亡の危機に追いやり、自然界、生命界に、あらゆる生命達に返済不可能の負債を次々と重ねてゆくものとなります。大規模大機械化、化学農業には専業農家としても、そして人類の農業としても道はありません。生命の道からはずれているからです。
平成22年4月
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