私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

『闇の奥』の曖昧さを減らすには (3)

2007-01-10 07:20:00 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 夕闇迫るテムズ河に浮かんだネリー号の甲板で異様な体験談と語をはじめるマーロウは、コンゴの闇の奥で帝国主義の悪の恐怖に立ち会い、その地獄の崖っぷちから辛くも生還した男の筈ですが、そのマーロウは依然としてイギリスの植民地でてきぱきと献身的に働く植民地官僚(colonists)たちを褒め上げます。このくだりはコンラッドが筆誅を加えたのはイギリスを含む帝国主義一般の悪に対してであったと主張したい人たちにとっての頭痛の種です。あらゆる詭弁を弄してこのマーロウとコンラッドとを切り離す工夫がなされてきました。しかし、前回に論じたように、他の所ではいざ知らず、ここでのマーロウの考えはコンラッドの考えであったとするのが最も自然ですし、そうすれば『闇の奥』解釈上の曖昧さは大幅に減ってしまいます。ベルギー国王レオポルド二世の「コンゴ自由国」はヨーロッパの文明国の植民地としては断じて承認出来ない-というのが当時の英国の世論であり、コンラッドの見解でもあったのです。そのことがはっきり出ている個所が『闇の奥』の冒頭にもう一つあります。マーロウがローマ軍のブリテン島中南部(イングランド)征服にレオポルドのコンゴ征服をダブらせて語るところです。これに就いてはブログ「カエサルはレオポルドではなかった」(2006年7月16日)でも論じました。ローマ植民地ブリタニアがコンゴ自由国とは較べものにならない立派なものであったことは、英国史をひもとけば立ち所にわかることで、カエサルをレオポルドに重ねるのは全く無理な相談であり、コンラッドが何故こんなことをしたのか理解に苦しんだ私はコンラッド専門の諸賢に教示を願ったのですが、今のところ反応がありませんので、今日は、コンラッドが英国の植民地経営をレオポルドの所業からはっきり区別するためにこの部分を書いたのだという解釈を提出してみます。英文原文も読んでみましょう。
Mind, none of us would feel exactly like this. What saves us is efficiency ? the devotion to efficiency. But these chaps were not much account, really. There were no colonists;
their administration was merely a squeeze, and nothing more, I suspect. They were conquerors, and for that you want only brute force ? nothing to boast of, when you have it, since your strength is just an accident arising from the weakness of others. They grabbed what they could get for the sake of what was to be got. (Hampson 20)
「いいかね、われわれにはもうそうした気持はない。われわれを救ってくれるものは、あの能率主義-われわれはみんな能率ということにすべてを忘れる。ところが、今いった連中は、高が知れていた。いわゆる植民者ではなかった。彼等のやり口というのは、おそらくただ誅求、それだけだった。彼等は征服者だったのだ。そしてそのためにはただ動物力さえあればよかったのだ-あったからといって、そんなものはなに一つ誇ることはない。彼等の勝利は、ただ相手の弱さから来る偶然、それだけの話にすぎないのだ。ただ獲物の故に獲物を奪ったにすぎない。」(中野12)
「僕たちなら誰も、そっくりこんな風には感じないだろうよ。僕らを救ってくれるのは能率?能率よく仕事を果たすことへの献身だ。しかし、大昔、ここに乗り込んできた連中はあまり大した奴ではなかった。植民地開拓者ではなかったのだ。思うに、彼らのやり方はただ搾取するばかりで、それ以上の何物でもなかった。彼らは征服者だったのであり、そのためには、ただ、がむしゃらな力があればよかったのだ。?それがあったからといって、別に自慢になるものじゃないさ。要するにその強さは相手が弱かったということで生じた偶然に過ぎないのだからね。とにかく獲物をせしめれば、というわけで、手に入る獲物は何かまわず、強奪したのだ。」(藤永21-2)
これから書くことを拙訳『闇の奥』の(p225~p228)の訳注の続きとして読んでいただけると幸いです。まず、二つの言葉“colonists”と“conquerors”の区別に注目しなければなりません。コロニスト(植民地開拓者、植民地官僚、植民地経営者)はよいが、征服者はよくない、と言っているのです。ローマ人にかこつけて、アフリカの植民地を能率よく経営しているイギリス人は立派なコロニストだが、レオポルド二世とその手先のベルギー人はコロニストではなく、コンゴを暴力で制圧し、掠奪出来るものは何でも根こそぎ掠奪している征服者だ、と言いたいのです。実は、マガに掲載される前の手書き原稿には、上の引用英原文に続いて次のような文章があったことが知られています。
That’s all. The best of them is they didn’t get up pretty fictions about it. Was there, I wonder, an association on a philanthropic basis to develop Britain, with some third rate king for a president and solemn old senators discoursing about it approvingly and philosophers with uncombed beards praising it, and men in market places crying it up. …
ここで some third rate king というのはベルギー国王レオポルド二世を意味します。彼に対するこの痛烈な皮肉の一節が削除された理由を知りたいものです。前掲の拙著に記述した通り、レオポルドは暴力によるコンゴ征服を慈善的美辞麗句で隠蔽しましたが、カエサルは「ガリア戦記」という堂々たる記録を残しました。これが上の第二の文章の意味でしょう。もう一つ、(Hampson 20) のはじめに出て来る none of us にも注目して下さい。コンラッドのもう一つの名作『ロード・ジム』では one of us という言葉がキーワードです。ポーランド人でありながら、イギリスに帰化して英語で英文学の傑作の多数をものにしたコンラッドを論じた「One of Us 」というタイトルの本もあります。この“us ”とはイギリス人を意味します。「われわれ本物のイギリス人ならば、昔、ブリテン島に乗り込んできたローマ人や(後に出て来る)クルツのような工合には原始野蛮な環境の中で自滅したりはしなかっただろう」と one of us であるイギリス人船乗りのマーロウは語っているわけです。
 コンラッドが『闇の奥』の前座の役を振った『青年(Youth)』(1898年)の中で、マーロウは名もないイギリス人船乗りたちの根性を讃えます:
「Was it the two pounds ten a month that sent them there? They didn’t think their pay half good enough. No; it something in them, something inborn and subtle and everlasting. I don’t say positively that the crew of a French or German merchantman wouldn’t have done it, but I doubt whether it would have been done in the same way. There was a completeness in it, something solid like a principle, and masterful like an instinct ? a disclosure of something secret ? of that hidden something, that gift of good or evil that makes racial difference, that shapes the fate of nations.」
 このイギリス人礼賛の気持をコンラッドは最後まで持ち続けました。それを証拠だてる文章はいくらも存在しますが、ここではその一例を掲げます。1912年のものです:
It is my deep conviction, or, perhaps, I ought to say my deep feeling born from personal experience, that it is not the sea but the ships of the sea that guide and command that spirit of adventure which some say is the second nature of British men. I don’t want to provoke a controversy (for intellectually I am rather a Quietist) but I venture to affirm that the main characteristic of the British men spread all over the world, is not the spirit of adventure so much as the spirit of service. I think that this could be demonstrated from the history of great voyages and the general activity of the race. (A Familiar Preface)
大層な惚れ込みかた、持ち上げかただとは思いませんか? キプリングの「白人の重荷 (the white man’s burden)」 といい勝負です。いや、白人一般ではなく、イギリス人の「奉仕の精神」だけを強調する点では、キプリングより上かも知れません。

藤永 茂 (2007年1月10日)



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