私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

コロンビアの歴史的選挙 夜は必ず明ける

2022-07-26 21:22:20 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 このコロンビアは南米大陸の北西部を占めるコロンビア共和国です。この名はクリストファー・コロンブスから来ています。カナダの西岸にはブリティッシュ・コロンビアという州があります。米国の首都ワシントンDCのCもコロンビアのCです。コロンビアの北にはパナマ運河地帯を含むパナマ共和国があり、元々はコロンビアの一部でしたが独立しました。その後もパナマとコロンビアは米国の強いコントロールの下にあります。

 過去数百年間、ヨーロッパという狭い地域の人間達は、その卓越した知力と限界を弁えない残酷な暴力で、地球の広大な地域に暗黒の夜を、そして、自らの上だけには明るい空をもたらしてきました。地球上に拡がるコロンビアという名称はその歴史的事実の象徴とも言えましょう。コロンビア共和国はその代表と言える存在です。

 しかし、今年の6月19日の大統領選挙決選投票で、この国に激震が走りました。以下に訳出する記事はそのクロニクル、わかりやすい解説の論考であり、筆者はAgustin Lao-Montes、米国マサチューセッツ大学(アムハースト)の社会学准教授です。

 以下の翻訳記事の理解を円滑にするため、いくつかのキーワードに、あらかじめ、注釈を付けておきます。

*Vivir Sabroso:スペイン語、sabroso は形容詞で「美味しい」、vivirは動詞で「生きる、住まう」を意味しますが、今回のコロンビアの選挙の標語としては「楽しく生きよう」「みんなが楽しく生きられるように」といった意味です。筆者Agustin Lao-Montesは “living joyfully”と英訳しています。日本語には「美し」という言葉があって「旨し、甘し」と同じす。「美し国」という表現もあります。

*Historical Pact:歴史的盟約とは、今回のコロンビアの選挙を勝ち取った野党連合を意味します。それをはっきりさせるために、以下では、Historical Pact という言葉が出るたびに、あえて、「歴史的盟約」連合と訳してあります。

*Colombia  world power for life: Vivir Sabrosoは副大統領フランシアが持ち出した標語ですか、こちらは大統領ペトロの標語です。「コロンビア 生命の世界大国」を意味します。

https://www.blackagendareport.com/colombia-votes-vivir-sabroso-chronicle-historic-election

――――――以下が上の記事の翻訳――――――

 

コロンビアはVivir Sabroso (美し命)に投票:歴史的選挙の物語

Agustín Laó-Montes  2022年6月29日

 

コロンビアの「歴史的盟約」連合の選挙勝利は、同国における長年の闘争の集大成であった。 

ヴィエホ・マヌエの愛の政治の実践的な教訓の記憶に捧げる! 

“214年たった今、我々は人民の政府、人民の政府を達成した。指にタコのできた人々の政府、庶民の政府、コロンビアの‘持たざる者’の政府を勝ち取った”  フランシア・マルケス

“この変化は、希望の政府の到来を意味する”  グスタボ・ペトロ

 

   選挙前夜、グスタボ・ペトロはサンタマルタのシエラネバダ山脈でのセレモニーに参加し、「世界のお臍」の先住民であるアルワコ、カンクアモ、コグイ、ユクパス諸族の霊的指導者から、大統領になるための先祖の力と自然の力をチューニングしてもらうことに成功した。5月29日、大統領にペトロ、副大統領にフランシア・マルケスという「歴史的盟約」連合のダイナミック・コンビが、コロンビア史上最高の第1ラウンド850万票を獲得すると、最終選挙への道は、高い緊張と意志と鋭いサスペンスの3週間へと変化したのであった。

  すぐさま,コロンビアの企業メディアは,もう一人の大統領候補ロドルフォ・エルナンデスを支持するキャンペーンを開始した。企業メディアは、エルナンデスがペトロより250万票少なかったにもかかわらず、エルナンデスの600万票に、決戦投票でエルナンデス支持を早々と表明した右派の候補者、フェデリコ・グティエレスの500万票を加算して、エルナンデスを決戦の勝者であるべき者として紹介した。エルナンデスに対する右派の大合唱は、前大統領で政界のドンであるアルバロ・ウリベが、保守政治体制全体と協調して仕組んだものであった。

   主流派の雑誌SEMANAと、Caracolã‚„RCNといった大手のテレビ・ラジオネットワークは、ロドルフォ・エルナンデスを、汚職撲滅プログラムを断行すると期待される、政治階級の「アウトサイダー」として、大々的に選挙キャンペンを開始したが、彼が7月21日に法廷で明らかにされる汚職事件のためにブカラマンガ市長を辞任しなければならなかった事実は無視された。また、エルナンデスの副大統領候補であるマルレン・カスティーヨを、大学院の学位を持ち、大学での管理職経験を持つ「教養ある」アフロ系女性として紹介し、彼女の政治経験のなさや、提案や主張のなさには知らぬ振りを決め込むことで、フランシア・マルケス-グスタボ・ペトロと歴史的盟約を組むアフロ系副大統領候補-の存在を、マスメディアでは殆ど目立たなくしてしまった。

   マスコミのキャンペーンのクライマックスは、いわゆる「ペトロビデオ」と呼ばれる、歴史的盟約を組んだペトロとマルケスが対立候補者達を打ち負かすための戦術の相談をした、プライベートな会合の一連のリーク映像をめぐる騒ぎであった。これらは、企業メディアやペトロの反対派から「汚いキャンペーン」の例として非難され、「犯罪的」とさえ評された。米国で言えば「ウォーターゲート事件」のようなもので、ペトロの選挙戦に潜入した者を捜査するための証拠となる。しかし、違法行為を証明するものではなかったので、意図したような効果は得られなかった。ペトロは、これでもし倫理的な欠陥が明るみに出るなら、立候補を辞退するとまで言い切った。この騒動はソーシャルメディア上でも盛り上がり、多くの人が、企業メディアはペトロとフランシアに対して一種のコミュニケーション上の「政治的殺人」を意図していると批判した。

   ソーシャルメディアは政治的、イデオロギー的な戦場となった。国の分断が進んでいることが、ソーシャルウェブを通じて強く打ち出された。エルナンデスはTik Tokでキャンペーンを行ったが、今やすべてのネットワークがミームと対立するダイアログで溢れかえった。ペトロが「カストロチャビズム」主義者だとする反共主義者の懸念は、エルナンデスがヒトラーへの賞賛を宣言したり、ファイザー主催のパーティで若い女性たちとマイアミの豪華なヨットで踊ったりするビデオと対照的に迎えられた。経済モデル、民主主義の特徴、平和への展望、人種差別、性差別、変革の可能性といったトピックが議論された。取るに足らない様な議論が、日々の政治的的論議の口論の実践と結びついて、あらゆる政治関連分野が、内戦が起こりうる環境にあるという懸念を表明するほどに、コロンビアの選挙シーンの分極化を助長したのである。

 選挙の数日前に、いわゆる「最前線」の若い活動家がいくつかの都市で警察に逮捕されたことと、コロンビアの選挙人名登記所が投票日の前日にエルナンデスを当選者と発表した模擬テストの事故もあり、不正選挙の懸念が煽られた。民衆の意向を貫くために、集団的な警戒の空気が漂う状況になった。ペトロとフランシアのキャンペーンは、この国を構成するそれぞれの「領土」と「地域」を調査し、連結させる、一種のディープサーチの形になっていた。1回目の投票の後、人々は街頭に出て選挙活動を行い、ユーモア、音楽、芸術、パフォーマンス、そして女性が主役となる何十もの公的集会など、“持たざる者たち”によって下から様々な戦略が創造された。ここ数週間、ペトロとフランシアは、チョコからロス・ラノスまで、アマゾンからシエラネバダまで、国土のあちらこちらを訪れ、鉱夫、砂糖生産者、牧場主、コーヒー栽培者、都市住民などと会い、労働階級の家で眠り、嘆願や願望に耳を傾け、根の深いコロンビアをより良く理解して、そうすることで、6月19日には、熱意と希望をもって勝利を祝うことになった。ボゴタでは、人々は通りで抱き合い、チョコとティンビキの海岸沿いの黒人社会では、大多数がカーニバル気分で太鼓を叩いて出てきて、街頭でダンスした。

 

コロンビア的対位法: ペトロとフランシア

   経済学者であるグスタボ・ペトロは、都市部のコミュニティ・オーガナイザーから、後にM-19のメンバーとなり、ボゴタ市長、共和国上院議員、そして現在は大統領と、長い道のりを歩んできた。M-19は、1970年に民主的な秩序を回復するために選挙による不正に反抗して結成された特別な「ゲリラ」としての政治・軍事組織である。1990年の和平交渉で武装解除し、1991年の憲法改正の主要な力となった。ペトロは上院議員として、右派政治家と準軍事主義や麻薬政治が結びついた「腐敗体制」に反対する声を代表する存在であり、この事実が彼を保守派エリートの宿敵に仕立てている。ボゴタ市長として、また2018年の大統領選挙では、"Human Colombia "を目指すスローガンを打ち出したが、今は "Colombia  world power for life "と言い換えられている。

 フランシア・マルケス・ミナの方は、思春期の年頃から活動家として活躍し、カウカ州スアレスのコミュニティ協議会のリーダーとして際立った存在だ。彼女は、アメリカ大陸をはじめ世界各地の黒人解放ネットワークにつながる全国規模の社会運動組織「黒人共同体プロセス-PCN」に所属して自己形成をして来た。彼女の政治的・知的リーダーシップによって、フランシアは2015年にコロンビア人権賞、2018年に環境正義のための権威あるゴールドマン賞を受賞し、2020年には国家平和委員会の委員長を務めることになった。2014年には、コロンビア全土を1週間かけて巡礼する「生命と先祖代々の領土を守るための黒人女性の行進」の組織指導者の役を務めた。彼女は、これまでの闘争の手立てとなっている法学の学位を持っている。2021年の全国ストライキの際、フランシアは、アフリカ系住民、先住民、女性、LGTBQ+(性的少数者など)、若者、学生、アーティスト、知識人、農民、都市バリオ(スペイン語系居住者区)の抗議の声と変化を求める声の代弁者となった。このような幅広い闘争が、彼女を大統領候補に押し上げた“I'm Because We Are(私は皆だから私なのだ)”運動を育んだ。

  "I am because we are "は、アフリカの哲学において「良い人生」を示す重要な言葉である "Ubuntu "の翻訳である。これは、個人のアイデンティティは、先祖代々の家系への帰属、自然との調和、あらゆる不正義に対する解放に基づく社会性によってのみ存在すると認識する、アフリカの共同体主義を表現している。Ubuntuは、アパルトヘイト廃止後の南アフリカ共和国憲法の倫理的・政治的原則となり、現在では世界中の黒人運動の旗印となっている。フランシア・マルケスのキャンペーンでは、ウブントゥは「Vivir Sabroso」[1]に翻訳され、アフロ・ディアスポラの「良い暮らし」の概念を表現するチョコ地域の方言的述語となった。

  2022å¹´3月13日、立法府の投票と「歴史的盟約」連合の予備選を兼ねた幹部候補を決める選挙で、フランシアとペトロは「歴史的盟約」連合の大統領候補の地位を目指して競い合った。3月13日の投票では、450万票を獲得したペトロが各党派全体での最多得票候補となり、フランシアは「歴史的盟約」連合の投票では2位となった。しかし、彼女の80万票は、「セントロ・エスペランサ」党のセルヒオ・ファハルドなどの既成政治家の数字を凌ぐ、この投票結果での最も革新的な現象であり、その結果、「歴史的盟約」連合内の投票においてペトロの副大統領式となる倫理的・政治的権利を獲得することになった。

   フランシア・マルケスは、副大統領候補として宣言されると、たちまち、コロンビアで最も話題にのぼる政治的人物となった。日常的な言葉で、構造的人種差別、家父長制、ネオリベラル的な開発モデルを、武力闘争の主な動機として明確に表明する、この農村出身の黒人女性の力強い存在は、一般社会で、人種差別的、あるいは階級主義的な物議を喚起したが、それと同時に、フランシア に対する賞賛と尊敬がますます蓄積されて行くことにもなった。フランシアは、国中で継続的に活動するうちに、「歴史的盟約」連合の基盤を形成した共同体や運動を連結する明確な声として登場した。その過程で、彼女は、この国の政治用語と国家的目標そのものを変容させて、新しい民主主義の政治的主体として「持たざる者」といった表現を普及させ、「人間尊重が習慣となるまで権力に抵抗を」という社会的運動を促進したのである。フランシアの「持たざる者」は、フランツ・ファノンの「地に呪われたる者(the wretched of the earth, Les Damnés de la Terre )」に相当する。[2]

  ペトロとフランシアのカップルは、コロンビアの政治シーンを定義し直した。ペトロが左派と中派の政治的エネルギーを結集する一方、フランシアは社会的・政治的権力から排除されたグループや地域の代弁者となったのである。

フランシアは、「先祖代々の土地」出身の 草の根黒人女性としてのアイデンティティ から立ち上がり、広範な包摂と制度的変化 の新たな歴史的協定を通じて国家を再構築するための急進的民主主義プロジェクト として、「持たざる者たち」の旗を掲げたのだ。フランシアとペトロは共に、コロンビアにお ける2世紀以上にわたるブルジョワ・エリート政府の打倒を可能とする歴史的な連盟を結集した。

   急進的なポピュリストの指導者ホルヘ・エリエセル・ガイタンの暗殺が行われた記念すべき1948年のボゴタ暴動は、国民的人気 の高い連合を率いる有力候補が出現すれば、これを抹殺するという政治的慣行の始まりであった。そのため、進歩的な選挙による変革がコロンビアでは失敗する運命にあるかのように見えた。ガイタンの暗殺以降、左派の大統領候補が6人も殺害された。90年代には、左派の広範な大衆戦線である愛国同盟とM-19の過激派が何千人も殺害された。このような情勢の中で、ペトロとフランシアは、絶え間ない殺しの脅迫の下で、慎重な保護管理と厳重な警備体制で選挙戦を乗り切った。彼らの身辺の護衛だけでなく、「原住民の護衛隊」「栗色のガード」、そして世間の監視の目で護られていた。古き死の呪いは文字通り克服され、強靭な生命の政治に取って代わられたのである。

 

愛と生命の政治のプログラムと地平

  「歴史的盟約」連合のプログラムは、未来を指し示す2つのスローガン、コロンビアを「世界の生命大国」に変えるというペトロの呼びかけと、「楽しく生きる」ことのできる国の建設へのフランシアの呼びかけに表されている。ペトロとフランシアは携え合って、自分たちの実践とプロジェクトを "愛の政治 "と位置づけている。その具体的な提案や倫理的・政治的原則は何か、そして彼らの実際の政治はこれらのタイトルやスローガンとどのように対応するのか。

   ペトロは選挙勝利のスピーチで、このプロジェクトを「平和」「社会正義」「環境正義」の3つの原則に集約している。プログラムでは、これらの原則は一連の構造的変化を伴うが、その中で私は次のことを強調指摘したい。1)平和を構築するためのコミットメントを優先すること、これは農地改革、ELNゲリラとの対話、準軍事組織や麻薬政治との戦い、修復的司法と和解の育成に始まる2016年の平和協定の実施を意味する、2)抽出主義的新自由主義経済から、知識、食糧主権、配慮に基づく生産的生態系経済へ移行すること。3)貿易保護主義、累進課税、化石燃料からクリーンで再生可能なエネルギーへのエネルギー転換、地域開発と地元の起業家精神、国民皆保険と教育の育成に基づく国家の農業と産業の促進、4)人種や民族、性別、世代、性的資質、地域、障害、社会階級によって排除されている諸集団への認識を深め、その声を取り上げ、資金を与える事で、一般市民公民権と人権の拡大、5)食糧分配と所得をもたらす作物購入などの短期的国家政策で、貧困と飢餓に立ち向かう再分配の社会政策と、富と完全雇用を生み出す中期間的戦略の併用。

  å¹´é–“90件以上の暗殺虐殺が行われ(2022年は現在まで45件)、アメリカ大陸で一番多くの社会・組合リーダーが殺害され、世界で最も不平等がひどく、国内亡命者が多い国の一つであるこの国で、このプログラムは、蔓延する死の政治に対抗する生命の政治の青写真を示すものである。このような死の政治は、多国籍およびコロンビア資本と提携した国家の専制的権力に基づく新自由主義体制の産物である。それに対して、ペトロがコロンビアを「世界の生命大国」にすることに賭けたとき、彼はこの国の画期的な変化、アメリカ大陸と地球にとって大きな意味を持つ転換点になることを告げている。だからこそ、このペトロとフランシアの選挙がマークする新しい時代を、世界中の目が注がれているのである。

 

「歴史的盟約」連合の政府の可能性と課題

  バイデン大統領が招集したロサンゼルスでのいわゆる米州サミットで、グスタボ・ペトロは、自分がメキシコ、チリ、そしてブラジルのルーラ政権の実現可能性を含む新興の潮流に属していることを指摘した。このようなグループは「新進歩主義」と定義され、ペルーとホンジュラスがこれに加わっている。21世紀初頭の進歩的政府のいわゆる「ピンクの波」の分析の多くで起こったように、国家のシナリオと歴史的プロジェクトを区別しない一般論に陥らないことが重要である。我々はまた、右派の敗北に向かう政治的振り子の傾向の出現を認識し、国家と地域の主権を擁護する新しいラテンアメリカ主義にコミットする政府を選出しなければならないが、強い反帝国主義の言説を打ち出すことがないようにしなければならない。その流れでペトロは、米国との「対等な」関係、「排除のない」米州秩序について語ったが、それはバイデンのサミットへのキューバ、ニカラグア、ベネズエラの招待を拒否したことを明確に連想させるものであった。それにもかかわらず、ペトロがテレビのインタビューで語ったように、バイデンが当選の2日後にペトロに電話をかけ、「友好的」で「対等」な会話をしたという事実は、コロンビア新政権の「現実主義」外交政策の結果を明らかにしている。有毒ガスの排出政策、不正作物の燻蒸、移民政策、9つの北米軍事基地が設置されている南米の国の経済的・地政学的独立性など、コロンビアと米国の関係で議論を呼びそうな一連の問題がどのように展開されるかは、まだわからないままだ。

  「歴史的盟約」連合の綱領は、現実政治と、追求すべき地平を規定する一連の原則の組み合わせであり、可能な政治と望ましい政治との組み合わせである。外交政策における現実主義は、経済政策における新開発主義的な傾向と結びついている。ペトロが勝利演説で、「前近代的な農奴制と奴隷制」を終わらせるために、「コロンビアで資本主義を発展させる」と言ったとき、彼は世に噂されている資本逃避を避けるために、私有資本を国家資本に収用することは行わないというシグナルを与えただけでなく、変化の道筋のビジョンをはっきり表明したのである。資本主義的な国民経済発展には限界があることは歴史的に証明されている。サミール・アミンが国民国家における「自己中心的蓄積」と呼んだ道筋に沿った国家発展の実行可能性は、ペトロのプログラムを実現するための大きな課題の一つである[3]。飢餓、失業、格差の問題への短期的・中期的な最小限の対処は、その試練のひとつとなるであろう。とりわけ、西欧資本主義文明の世界的危機と、ラテンアメリカ第4の経済大国であるコロンビアの茨の道の経済状況の中では然りである。

「歴史的盟約」連合の政府プログラムで鍵を握る一つの問題は、フランシア・マルケスの副大統領としての役割であろう。かつて共和国副大統領を務めた尊敬すべき人物ウンベルト・デ・ラ・カジェは、コロンビアでは、副大統領職は "冷凍庫の中の瀬戸物"に似た身動きのままならぬ地位だと言ったことがある。フランシアは、彼女が体現し、表現し、表明し、提案していることに照らして、その型を破っている。彼女の草の根的な出自、変革のビジョン、倫理的な誠実さは、彼女のリーダーシップに特別な力を与えている。彼女のスピーチでは、体系的な抑圧に対する明確な批判と、自分の生きた経験に根ざした解放の変革プロジェクトへの妥協のない取り組みが示されており、それゆえ、奪われた大多数の人々のニーズと願望に根ざしている。ウィリアム・ミナが論じているように、フランシアの政界進出は「人種的民主主義の急進化」[4]を構成し、政治の条件そのものを変革する。それは、コロンビアの国家現状を支配する階級、人種、ジェンダーを超える彼女の存在によってだけではなく、彼女が語り、提案することのレトリック、カテゴリー、内容によってである。

 フランシア・マルケスがコロンビア初の黒人女性副大統領に選出されたことは、大陸的、世界的に大きな意義がある。このような業績を、現在アメリカ大陸で2人の黒人女性が副大統領に就任していること、アメリカのカマラ・ハリス、コスタリカのエプシー・キャンベルと同一視する人も多い。しかし、アメリカ大陸で黒人女性が幹部として台頭してきたことの重要性を否定することなく、彼女たちの違いを強調することもまた不可欠である[5]。カマラ・ハリスは帝国国家の副大統領であり、アメリカ大陸と世界における帝国的な地政学的・軍事的パワーに明確にコミットしており、新自由主義経済パラダイムの提唱者であるが、反人種主義政治に熱心ではない。一方、エプシー・キャンベルは、中米の小国コスタリカの副大統領になった。社会民主主義政党のリーダーとして、また、リベラルなフェミニスト反人種主義政治の国内・国際ネットワークの長い間の活動家として、主に国連やインターアメリカ開発銀行などの政府機関や国境を越えた機関に、リベラルな考えの性的・人種的正義を求めてロビーイングを行ってきたのであった。両者とは対照的に、フランシア・マルケスは、アフロコロンビアの社会運動の草の根活動家として、体制に挑戦する社会変革の過激なプログラムを擁護し、政治の条件を根本的に民主化し、「持たざる者」に効果的に力を与えることによって社会契約を再定義しようと、国家的舞台に登場したのである。 

  フランシア・マルケスは、その勝利のスピーチで、こう述べた:「214年を経た今、私たちは、人民の政府、人民の政府、手にタコの出来た人間たちの政府、コロンビアの“持たざる者”の政府を実現した」。ここで、フランシアは、政治的主体である“持たざる者”が嵐のように登場し、力関係と社会契約の転換を求めてコロンビア政治の性格を実質的に変えるラディカル・ポピュリズムを高く掲げている。フランシアは、日常的な、率直で純粋、力強く創造的な言葉で、今の権力秩序にはっきりと疑問を投げかけ、“先祖来来の抱擁”を呼び起こし、“楽しく生きる”ことを推進し、社会組織と国家プロジェクトを作り直そうとする国民大衆の声をつなぐ存在として立ち上がった。ブラック・コミュニティ・プロセス(PCN)の多くの女性たちが言うように、彼女が草の根の脱植民地主義的ブラック・フェミニズムを形成し、あらゆる抑圧に対する無数の解放の闘いを組み合わせた交差的政治に従事していることは、強調すべきことであろう。

 公共政策の課題として具体化された、絡み合った不平等と戦い、解放の絆を築くためのこのような模索は、新設される「平等・女性省」を通じてフランシア・マルケスが先頭に立って組織されるであろう。同省の最初の仕事は、家事労働の規制と報酬、そして国家機関としては世界で初めてとなるアフロ賠償基金とプログラムの創設である。そうした試みの、ポジティブな教訓とネガティブな教訓を与える例として、今では消滅してしまったが、ブラジルの人種平等事務局、エクアドルの民族と市民権事務局、ボリビアの脱植民地化・脱地主化省、ウルグアイの社会権省がある。我々は、コロンビアで新設されるこの「平等と女性省」が、“楽しく生きる”ための政策や手段を開発するための実験室となることを希望する。

  “Vivir Sabroso”への呼び掛けは、企業メディアでは、ひどく軽蔑的に、民間伝承として扱われているが、これは、アフリカ風のビートに乗せて“良い暮らし”のプロジェクトを宣言しているのである。その根底にあるのは、人間同士、そして自然との調和を育むという志向である。それは、フランシアが言うところの“大きな家”の世話をする母性的なで思い入れであり、国や世界のレベルで平和と正義のシナリオを構築するための多元的な連帯なのである。この呼び掛けは、教育、健康、食糧、安全保障、領土といった基本的なニーズの充足を、幸福と楽しみの育成に結びつける探求を表わしている。このチョコ県のアフロ・コロンビアの言語表現で、急進的な生命主義、エロスの政治、生命、欲望、希望が、ユーモアと茶目っ気を伴って提唱されている。だからこそ、コロンビアは "Vivir Sabroso "に投票したのだ。

  毎日のように起こる社会的・政治的殺人を、企業メディアが正常な事態のように報じ、暴力の広汎な存在が「暴力学」という知識分野を生み出す契機とさえなっているこの国で、コロンビアを“生きる喜び”を育む「生命の世界大国」に変えようという取り組みは、深い変革を求めている点で、革命的な提案である。

 こうしたドラムを叩き続けるグスタボ・ペトロは、自身の実践とプロジェクトを“愛の政治”と特徴づけている。中南米のカトリック解放神学の伝統を受け継ぎ、ペトロは“愛の政治は連帯の政治”であるとして、社会正義と平和を築くことを提唱する。それ故に、彼は、"憎しみと変化への恐れを打破し"、そうすることで、"コロンビア人の間に存在する巨大な不平等を終わらせる "ことを求めるのである。同じ調子で、ペトロは「憎しみの時代には専制政治しか生まれない」と主張し、これと対照させて“多色多彩の民主主義”を築くという強い決意を表明する。

 ペトロの政治的多彩性は、フランシア・マルケスの脱植民地主義的黒人フェミニズムの教育的価値に負うところが大きい。ペトロの現在の言説において、人種差別、異性愛規範、性差別への批判がその中心になっている事は、愛の政治のあり方における新鮮な変化を表わしている。多色多彩の民主主義をどのように構築するか、領土、民族、人種、性、世代などの多元性を明確にする国家を形成するかは、「歴史的盟約」連合の勝利によって開かれた新時代の大きな課題の一つである。

   ペトロ大統領の国民対話の呼びかけは重要な出発点である。対話への願望は、愛の政治、許しと和解の実践の具現化を示している。イデオロギー的に深く分極化し、国土全体に暴力が依然として蔓延し、有権者のほぼ50%が投票しなかったこの国では、アントニオ・グラムシが「妥協の不安定な均衡」と表現したような覇権が維持される保証はないのである。勝利と一緒にやってきたハネムーンの後、ペトロとフランシアを選出した歴史的な政治連合体を存続させ、連合体政府を作るという課題がやってくる。広範な連合体政府では、多様なアクター間の同盟とコミットメントのこの時期を、さらに急進的な変化への移行型政府を構成するものと見る人もいれば、深遠な変革への期待が薄れるという、もっと懐疑的で見方もある。

  選挙から1週間後、「歴史的盟約」連合の連立政権にはすでに亀裂が見受けられる。立法府の様々な左派指導者たちの頭越しに、従来のコロンビア政治の様々な浮沈を経験してきたロイ・バレラスを上院議長に選んだ ことは、物議をかもすことになった。これとは対照的に、フランシア・マルケス が前政権と新政権との合同委員会の代表として任命した、尊敬すべきアフロ系知識人 のアウロラ・ベルガラ・フィゲロアは、特に学界とアフロ・コロンビアのシナリオにおいて広い支持を集めている。アウロラは、政府高官の諮問機関や国際機関などで経験を積み、知的分野と公共的分野の両方で際立った存在である。彼女の非の打ち所のない倫理観と卓越した知性から、新文部大臣への就任を望む声が多く聞かれる。

  我々が勝利したことに否定の余地はない。コロンビアと世界の急進的な民主主義と人民の力の愛護者たちは、フランシアとペトロの行政権に体現された偉大な勝利を手に入れた。コロンビアの右翼、特にその政治的ボスであるアルバロ・ウリベと彼が名前をつけ損なった「民主主義のセンター」にとって、この選挙は“族長の秋”(訳注:ガルシア・マルケスの小説から)を意味するものであった。大敗したのは右派である。だからこそ、コロンビアの右派は今、内部で抗争し、そして、すでに自己改革を模索している。

  “グスタボ・ペトロ:愛の政治学”と題されたドキュメンタリーで、次期大統領確定のペトロは、父親からルソーを読むように教えられたと語っており、このルソーは今でもペトロの民主主義の概念の主な参考文献の一つになっている。選挙の勝利演説でペトロは、「歴史的盟約」連合の効果的な変化のプロジェクトは、包括的で平等主義、平和主義の“多色多彩の共和国”の建設を目指すものであると断言した。この道筋では、愛の政治は、すべての人が“楽しく生きる”ことのできる国家プロジェクトの可能性の条件を促進しようとする急進的な共和制に基づいている。これは、ジェーン・ゴードンが言うように、“ファノンを通してルソーを読む”と言えるような、一種の“政治理論のクレオール化”を意味すべきものである[6]。言い換えれば、ペトロの“生命の世界大国・コロンビア”とフランシアの“Vivir sabroso”の間に動的な対話を確立することを意味する。

   フランシア・マルケスは、副大統領に選出された後の最初のインタビューの一つで、“Vivir Sabroso”の意味を矮小化しようとしたジャーナリストに対して、「楽しく生きる」とは、尊厳をもって、恐れずに、基本的な品物を所有し、幸福と連帯をもって生きることだと述べた。フランシア・マルケスとともに、そのドラムを演奏することで、政治的常識としての草の根脱植民地的黒人フェミニズムの時代が到来した。「持たざる者」の反逆が、国家を改革し、国家を再創造し、「尊厳が習慣となるまで」権力をマロン化する時代が到来したのである。

<訳者(藤永)注:原文にある6つの注は、以下に原文のままでコピー>

[1] A literal translation of “vivir sabroso” will be “living tasty”. Given that “vivir sabroso” is an expression from the predominantly Black region of the Choco, Colombia, to signify the “good life”, I translate it as “living joyfully”. I will use both “vivir sabroso” and “living joyfully” interchangeably through this article. 

[2] Franz Fanon (1961). The Wretched of the Earth. Grove.

[3] Samir Amin (1974). Accumulation on a World-Scale: A Critique of the Theory of Underdevelopment.              Monthly Review Press.

[4] William Mina Aragón (2022).  “Francia Márquez Mina: La radicalización de la democracia racial”. https://revistaviveafro.com/francia-marquez-mina-la-radicalizacion-de-la-democracia-racial/

[5] It’s also begs the question of why not Black women presidents. Here, it is germane to observe that the official memory in Colombia whitewashed that Juan José Nieto Gil, a Black leader of the radical sector of the Liberal Party as President of Colombia in the period 1859-1864.

[6] Jane Gordon (2014). Creolizing Political Theory: Reading Rousseau through Fanon. Fordham University Press.

 

 以上でAgustin Lao-Montes の論考の翻訳は終わりますが、このコロンビアでの大統領選挙の結果は、中南米やアフリカで大きな反響を呼び起こしています。ここにはその二つだけを挙げ、議論は次回に行います。

https://libya360.wordpress.com/2022/07/12/how-black-colombia-helped-to-bring-the-left-to-power/

この記事は次の言葉で結ばれています:

La lucha es larga, comencemos ya (戦いは長い、今こそ始めよう)

 

https://libya360.wordpress.com/2022/07/22/it-is-dark-but-i-sing-because-the-morning-will-come/

この記事の終わりには‘It Is Dark but I Sing’ と題する歌が引いてあります。その第1節をコピーします:

The land is still dark
in the peasant dawn,
but it is necessary to plant.
Night was deeper,
now morning is coming.

 

藤永茂(2022年7月26日)


この国を葬るな

2022-07-15 13:46:09 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 故安倍晋三氏がこの国を導いてきた道は、この国が滅びに到る道です。我が国は独立を堅持し、核戦争に至る道程を断固として断ち切らなければなりません。

 私は、6月19日に行われた南米コロンビアの大統領選挙の結果に、やがて到来する明るい世界の夜明けへの予感をかき立てられて、コロンビアで何が起こったかを解説するブログ記事を書き続けているところですが、今日(7月14日)、たまたま、Axis of Logic というサイトで、Richard Hayden Black (1944生まれ)という米国の元海兵隊大佐、元ヴァージニア州上院議員(2012年から2020年まで)だった人の『The 'Empire of Lies': Road to Ukraine』と題する談話をYouTube で視聴して大きな衝撃をうけました。明快且つ衝撃的な内容で、たしかに一聴に値します。英語を聞くのが苦痛でない人々は是非この人物の発言に耳を傾けていただきたいと思います:

http://axisoflogic.com/artman/publish/Article_92241.shtml

日本の元自衛隊員、元国会議員にもこうした発言をする人物が現れて欲しいものです。

 私はシリアに対する米国の侵略行為に、長期間にわたって、重大な関心を抱き続けています。一般にはシリア“内戦”という言葉遣いがなされていますが、これは誤りです。これまで私が一貫して唱えてきたように、この10年余り続いている紛争は、米国の主導の下で、独立国シリアの政権変化(Regime change)を目指している、国外勢力による侵略戦争です。Richard Hayden Black(ディック・ブラック)さんはこの事実を明明白白に説いています。こ戦争での最も決定的な戦いは『アレッポの戦い』と呼ばれる、2012年7月から2016年12月にかけて、シリア最大の都市アレッポで行われた激闘です。ブラックさんは、この天下分け目の戦いを、シリアの“スターリングラードの死闘”であったと言っています。最も肝心なポイントは、アサド政権下のシリア軍がクルド人民防衛隊(YPG,YPJ)の協力を得て、ロシアからの助力を得る前に勝利を勝ち取ったという事実です。また、米国側は初めからISを含む外部からの傭兵勢力を動員してアレッポの制圧を試みたことを、ブラックさんは明言しています。ネット上で「アレッポの戦い」として検索すると、ウィキベディアをはじめ多数の記事が出てきますが、その殆ど全てが米欧側のプロパガンダに色濃く染められています。今もまだ、『アレッポの戦い』は続いています。トルコの正規軍が再びアレッポ北部の侵略を始めようとしているのです。

 元米国海兵隊大佐で元バージニア州上院議員のディック・ブラックさんも、彼の目の覚めるようなスピーチの中で、もし世界核戦争が起これば、バージニア州、隣接するニューヨーク州、ワシントンDC、いや全米が廃墟と化し、少なくとも500年は廃墟のままだろうとしています。全く同感です。ヒロシマ、ナガサキの比ではありません。

 いま我々は悪しき神々の黄昏(Götterdämmerung)の只中に居ます。夜明けの前の暗闇の中で道を見失ってはなりません。日本の独立を堅持し、断固として核戦争を阻止して、世界平和を確立しなければなりません。

<付記>

1921年から1922年末にかけて、ロシアのウクライナのあたりを大飢饉が襲い、千万人の規模の人々が飢餓死の危機に直面しました。この時に米国が取った行動は、現在進行中のウクライナの悲劇に照らして、我々に深刻な思考と判断を迫るものです。2008年6月にこのブログで取り上げましたので読んで下さい:

ナンセンと1921年ロシア大量飢餓(1)

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/d61904ceb66ef029504e4e13b2449cb0

ナンセンと1921年ロシア大量飢餓(2)

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/a38cd44ceadfdf32b338b494867ab92b

 

藤永茂(2022年7月15日)