私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

人種についての二つの講演

2008-04-30 11:27:32 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 先週から「『闇の奥』再読改訳ノート」と題するシリーズを始めましたが、バラク・オバマの「フィラデルフィア講演」について、たいへん気になる論考が出ましたので、それについてコメントし、オバマ現象が象徴する「アメリカの悲劇」の本質を再確認したいと思います。
 The New York Review of Books は私の40年来の愛読書評誌で、その内容のしっかり加減は、少し紛らわしい New York Times の日曜版の Book Review 誌に較べると、格段に立ち勝っています。しかし、最新号(5月1日)に出た Garry Wills の『Two Speeches on Race』にはガッカリさせられました。これは書評ではなく、リンカーンが1860年2月27日ニューヨークで行った講演と、オバマが2008年3月18日フィラデルフィアで行った講演を並べて論じたものです。オバマの「人種」講演はアメリカ国内ではえらく持ち上げられて、リンカーンの有名な「ゲティスバーグ講演」(1863年11月19日)と並べられることもあるようですが、それは買いかぶり過ぎだとウィルズは言います。「ゲティスバーグ講演」とは例の「government of the people, by the people, for the people」を含む名演説です。
 リンカーンの「ニューヨーク講演」とオバマの「フィラデルフィア講演」には幾つかの重要な共通点があることをウィルズは指摘します。まず、両者とも、大統領候補指名の獲得に、過激な人物との関係が障害となった事、それまでの国家レベルの政治経験が乏しかった事、競争相手が有力人物であった事、出自があまりぱっとしなかった事、などなど。英語を読むことに抵抗の無い方々のために、ウィルズの原文の始めの所を引用します。
â–  Two men, two speeches. The men, both lawyers, both from Illinois, were seeking the presidency, despite what seemed their crippling connection with extremists. Each was young by modern standards for a president. Abraham Lincoln had turned fifty-one just five days before delivering his speech. Barack Obama was forty-six when he gave his. Their political experience was mainly provincial, in the Illinois legislature for both of them, and they had received little exposure at the national level?two years in the House of Representatives for Lincoln, four years in the Senate for Obama. Yet each was seeking his party's nomination against a New York senator of longer standing and greater prior reputation?Lincoln against Senator William Seward, Obama against Senator Hillary Clinton. They were both known for having opposed an initially popular war?Lincoln against President Polk's Mexican War, raised on the basis of a fictitious provocation; Obama against President Bush's Iraq War, launched on false claims that Saddam Hussein possessed WMDs and had made an alliance with Osama bin Laden. â– 
後で論じますので、上の文章の終りの部分を訳しておきます。(両人とも、始め頃は一般の支持を集めた戦争-リンカーンは、でっち上げの挑発を口実に引き起こされたポーク大統領のメキシコ戦争、オバマは、サダム・フセインが大量破壊兵器を所有し、オサマ・ビン.ラディンと同盟を結んでいたという虚偽の主張を根拠に開始されたブッシュ大統領のイラク戦争、にそれぞれ反対したことで知られている。)
 リンカーンにとっても、オバマにとっても、彼等が非愛国的で暴力にも訴えかねない政治的過激論者と密に関係していると非難されることが、大統領候補として回避すべき最もひどい打撃となる可能性があったという点が共通していると、ウィルズは指摘します。リンカーンの場合は John Brown や William Garrison など白人の過激な奴隷制反対論者、彼等の暴走によってアメリカ合州国が割れてしまわないようにすることがリンカーンの直面した最も深刻な問題であり、そのためには、過激論者を押さえ、南部諸州には奴隷制維持を許すという譲歩をしたわけです。リンカーンにとっては、南北諸州の“Union”の維持こそが彼自身の政治家としての生命のみならず、アメリカという國にとっても最大の問題であったのです。ところで、オバマの場合の“問題人物”は、これまで私も論じてきたライト牧師ですが、オバマの唱える“Union”は白人と非白人の融和一体化であって、ライト牧師の存在がその一体化の障害ではあっても、その障害を避けることが、「アメリカ」という大問題の解答の肝心な部分にはなりえません。ここにウィルズの立論の破綻があると私は考えます。既に二度も強調したことですが、バラク・オバマのフィラデルフィア講演のタイトル“ We the people, in order to form a more perfect union.”は1787年フィラデルフィアで制定されたアメリカ合州国憲法の前文第一行“ We the people of the United States, in order to form a more perfect Union”から“ of the United States ”を消去してもじったものです。「アメリカは実に素晴らしい自由と希望の國だ。この私が何よりの証拠。白黒混血でしがない出自の人間でも努力次第で大統領になる夢を描けるこのお國、皆で心をあわせて頑張ろう」というのがバラク・オバマの選挙スローガンの要点です。しかしこれは全く選挙用のスローガン、アメリカという大問題の解答にはなりません。
 問題の人ライト牧師は“ God bless America ”じゃなくて“ God damn America ”だと叫んで、大方のアメリカ人の顰蹙を買いましたが、暗殺される数ヶ月前のマーチン・ルーサー・キング牧師も、ベトナム戦争を強行するアメリカを強く非難して、同じく神罰について語っています。;“ We have committed more war crimes almost than any nation in the world … But God has a way of even putting nations in their place.”そして、この戦犯国家アメリカ合州国の抱く三重悪( the triple evils )として、人種差別、経済的不平等/貧困、軍国・帝国主義( racism, economic
inequality/poverty, and militarism-imperialism)を挙げています。アメリカの問題はまさに此処にあるのであり、もし、アメリカに真に偉大な大統領が出現するとすれば、彼/彼女が正面切って立ち向かうべき課題は此処にこそあるのです。 
 僭越なことを申すようですが、このGarry Wills 氏を含めて、アメリカの識者も、アメリカ通の日本人識者も、バラク・オバマの「フィラデルフィア講演」に与える点が甘過ぎます。私としては、これも私の言う「オバマ現象/アメリカの悲劇」の一部、一徴候と考えています。アメリカの悲劇は、アメリカ人が「God bless America 」と信じ続ける事にあります。「アメリカは、アメリカ人は、もともと、神の祝福を受けた、素晴らしい國であり、素晴らしくも善き人間たちである」という信仰が続く限り、アメリカの悲劇、そして、世界の悲劇は続きます。バラク・オバマの選挙戦略の礎石はこの信仰、Robert N. Bellah がいみじくも“The American Civil Religion”と名付けたものに他なりません。Born-Again Christians というよく知られた、そして、私の大嫌いな言葉になぞらえた Born-Again Americans という言葉がオバマ支持のスローガンの一つになりつつあります。「ボーン・アゲイン」が本当に「生まれ変わる」ことを意味するなら大歓迎ですが、そうではありません。ブッシュ大統領が自らを「ボーン・アゲイン・クリスチャン」と称していることから、推し量って下さい。
 アメリカで、女性大統領が、あるいは、黒人大統領が、実現する可能性のある方が、無いよりましなのは確かです。しかし、女性であればいい、黒人であればいい、ということでは、決してありますまい。女性解放運動、黒人人権運動の中核的目標は、一部特定の人間たちが他の人間たちを不当に抑圧支配することを許すシステムの廃絶にあったのであり、女性も黒人もその権力者層富裕者層に参入する機会が与えられればそれでよいということでは、決してなかった筈です。オルブライト(白人女性)、パウエル(黒人男性)、ライス(黒人女性)と、このところ三代のアメリカの国務長官のことを考えてみれば、事の本質は火を見るより明らかになります。この三人はアメリカという暴力システムの維持に力を尽くし、その国際的な跳梁跋扈に大いに貢献して来ました。たとえ、ヒラリー大統領、オバマ大統領が実現したにしても、アメリカが本当に「変わる」可能性は、おそらく、僅少でありましょう。
 しかし、私は、前に書きました通り、バラク・オバマがアメリカ合州国の大統領に就任することを真剣に願っています。就任後の彼の大変身に夢を託しながら。心ある黒人の中にも私と同じような想いを抱いている人が少なくないに違いありません。興味のある方は著名な黒人学者 Manning Marable の最近の論考;
“African-American Peacemakers ?? Dr. Martin Luther King, Jr., Barak Obama, and the Struggle Against Racism, Inequality and War.”(April 14, 2008 ZNet)を是非お読み下さい。

藤永 茂 (2008年4月30日)



『闇の奥』再読改訳ノート(1)

2008-04-23 13:00:00 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 コンラッドの『闇の奥』を再び読み直し、ついでに、訳文の改善を試みたいと思う理由は幾つかあります。一つは、これまで何度か申しましたが、私には小説『闇の奥』が未だに読めてはいないという自覚があることです。あれこれの文学理論的な作品診断をいくら理解しても、“まだ読めてない”という気持がどうしても残っています。それが「文学理論とは何ぞや」という不遜な問いへと跳ね返りそうにもなります。その上、私の不安を掻き立てるような経験が現在進行中です。毎日新聞社発行の雑誌『本の時間』に藤谷治さんの小説『遠い響き』が連載中ですが、この作品はコンラッドの『闇の奥』に触発される所があったと伺っています。ユーモラスでしかもおどろおどろしく展開するお話に魅せられて毎月楽しみに読んでいる私なのですが、『闇の奥』とのつながりがどうもピンと来ません。つまりは、私には『闇の奥』がまだ読めてないという事なのであろうと思われます。
 二つ目の理由は、『闇の奥』そのものよりも、むしろ、英米の英文学者評論家による『闇の奥』弁護論に関係しています。今までにも、このブログで英米の『闇の奥』弁護論の批判をしてきましたが、わりと最近に気になり出したのは、彼等弁護論者は、『闇の奥』出版当時のイギリスでの植民地主義反対論についての認識について、結構、浅薄なのではあるまいか、という事です。私がそう思うようになるきっかけを与えてくれたのは イギリスの歴史家 Bernard Porter です。私の手許には彼の著作が4册あります。
(1) CRITICS of EMPIRE : British Radicals and the Imperial Challenge (2008)
(2) THE LION’S SHARE : A short history of British Imperialism 1850-2004 (2004)
(3) THE ABSENT-MINDED IMPERIALIST (2004)
(4) EMPIRE and SUPEREMPIRE : Britain, America and the World (2006)
英帝国と帝国主義の歴史家としてのポーターさんの特徴は(2)の序文の中に適切に記されています。
■ Before the Lion’s Share most general histories of British imperialism were ‘insider’ jobs, and broadly sympathetic. The exceptions were those written by Marxists, attacking imperialism as a mere ‘stage of capitalism’, and generally regarded too polemical to be recommended widely. That was the background against which this book was originally published. (『獅子の取り分』の出版以前は、英国帝国主義の一般史の殆どは‘インサイダー’の仕事で、おおっぴらに同情的だった。例外はマルクス主義者の筆に成るもので、帝国主義を単なる‘資本主義の一段階’として攻撃する内容で、したがって、広く推奨するには論争的に過ぎると看做されていた。こうした背景に対して、もともと本書は出版されたのだった。) ■
アチェベなどの批判に対して、コンラッドの『闇の奥』が英国を含むヨーロッパの植民地主義に対する辛辣な糺弾の傑作文学であるとする弁護論者たちの英国帝国主義についての認識が案外浅薄なものではないか、という、異邦人にして、しかも、門外漢である私の不遜な提言の根拠の一つは、上に引いたポーターの証言にあります。ポーターの諸著作が代表する知見は英国の歴史教育の主流を占めているのではないという事です。『闇の奥』擁護論者にとって「他者(others)」である私のような者からはよく見えても、彼等には見えにくい事柄がいくらもあると思われます。前に『闇の奥』を読んだ時に較べて、私の観測定点の数は可成り増加しました。それはポーターを始めとする非主流的な、つまり、インサイダーでない歴史家たちに多くを負っています。
 『闇の奥』再読改訳の第三の動機は翻訳という作業に主に関係しています。原文を読む人々が共有する想いでしょうが、コンラッドが何を言っているのかよく分からない個所が沢山あります。翻訳者としては、いろいろと勉強して原文の意味を読み解き、読者に分かりやすいような日本語に書き換える、どうしても必要な場合には訳注を付ける、努力をするのが普通でしょう。昔、イタリヤ人の友人から「ダンテが生きていた当時のフィレンツエのゴシップの数々の知識が無ければ、『神曲』の翻訳は不可能だ」と聞かされて、そんなものかなあと思ったことがありました。しかし、今回リーヴィスのコンラッド論を再読しながら、ふと強く思ったことなのですが、『闇の奥』の文章には、わざと晦渋に書いて、作品技法的効果をねらった場合があるのではないか、そうだとすれば、翻訳文でも、その晦渋さがそのままに置かれているべきだという立場もありうることになります。翻訳するという作業の奥深さが少し分かって来たような気がします。勿論、以前の私の『闇の奥』訳にある語学的な誤り、普通の意味での言い回しの改善など、課題は一杯あります。このブログを再出発点として、ゆっくりと仕事を続けて行くつもりです。

藤永 茂 (2008年4月23日)



ライト牧師は正しいことを言った(4)

2008-04-16 11:00:41 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
1968年4月4日、マーティン・ルーサー・キング牧師はテネシー州メンフィスのロレーヌ・モテルの2階のバルコニーに立っているところを射殺され、39歳の生涯を閉じました。去る4月4日はその40周年の記念日。キング牧師の腹心となっていた27歳のジェシー・ジャクソンはその時キング牧師の随員の一人でしたが、最近のシカゴ・サン・タイムズ紙上で、キング牧師の暗殺から40年、キング牧師が成し遂げようとしたことの大部分は未だに満たされていない、と述べています。いや、むしろ悪くなっている面も多いのです。:
■ Forty years later, Rev. King's mission is still unfulfilled. Today, poverty and unemployment are on the rise. Much of the safety net has been shredded. Welfare has been repealed; unemployment insurance covers fewer workers for less time; low-cost housing is scarce; the minimum wage has lost value; unions are on the defensive, representing less than 10 percent of the private work force. Not surprisingly, we have not witnessed such extremes of inequality since 1929, just prior to the Great Depression. (それから40年たった今、キング牧師の使命は未だに満たされていない。今日、貧困と失業は増加している。セーフネットの殆どはずたずたにされてしまった。福祉援助は廃止され、失業保険は前より短い期間、より少ない人数の労働者をカバーするようになり、低価格住宅は底をつき、最低賃金は意味のないものとなり、私企業労働人口の10%以下しか代表していない労働組合は守勢に立つばかりである。今さら驚くには当らないが、世界大恐慌直前の1929年以来、これほど極端な不平等さに我々が立ち会ったことはなかった。)■ 
はっきり言って、個人的な能力の優秀さから中上流白人層に組み込まれた少数の黒人を除き、多数の黒人たちの生活条件は、相対的には、キング牧師が暗殺された時点から何も変わらないどころか、むしろ悪くなっているのです。
 フィラデルフィアでの「人種講演」の中程でバラク・オバマはウィリアム・フォークナーの言葉を引用します。“The past isn’t dead and buried. In fact, it isn’t even past.(過去は死んで埋葬されてはいない。事実、それは過ぎ去ってさえいない。)”この言葉の出典を私は知りませんが、フォークナーは1962年に亡くなっていますから、キング牧師暗殺よりは大分前に書いたものでしょう。だとすれば、フォークナーの時代、つまり20世紀の前半からキング牧師暗殺を経て現在に至るときの流れを通して、アフリカ系アメリカ人一般の苦境は一貫して続いているということです。日曜説教の語り口の“品格”に差があるとは言え、ライト牧師はキング牧師が説いていた事と同じ事を説教壇から叫んでいるのです。この数十年間、アメリカの本質は変わっていません。むしろ、その本質をいよいよ露骨に示しているとさえ言えましょう。
 『オバマ現象/アメリカの悲劇(3)』と題するブログで、私はバラク・オバマ上院議員をエルマー・ガントリーになぞらえました。少々行き過ぎで失礼だったかな-とも思いますが、上掲のフォークナーの引用文に続くバラク・オバマの何とも見事な弁舌を読んでいると、その滑らかさ爽やかさに感心しながらも、またまたバート・ランキャスターの名演を想起せずにはおれません。バラク・オバマはこう言います。「フォークナーの言う通り、今も昔のままだ。何も変わってはいない。しかし、いつまでも昔の怨念ばかりを叫んでみても何もならぬ。ライト牧師のように怒るばかりでは何も成就しない。」■ That anger is not always productive; indeed, all too often it distracts attention from solving real problems; it keeps us from squarely facing our own complicity in our condition, and prevents the African-American community from forging the alliances it needs to bring about real change. But the anger is real; it is powerful; and to simply wish it away, to condemn it without understanding its roots, only serves to widen the chasm of misunderstandings that exists between the races. ■ 註釈を少し。distract attention (注意をそらす)。squarely (まともに)。complicity (共犯性)。chasm (深い割れ目、みぞ)。
今のアメリカでいよいよ熱心にバラク・オバマ支持を表明している白人たち(若者を含めて)と中身が白くなってしまった黒人たちは、耳にスイートにひびく彼の言葉に気持よく聞き入るでしょう。「白人も昔から悪いことをしてきたが、黒人の今の状況の責任は黒人側にもある」と言っているのですから。勿論、黒人の側が背負わねばならない責任もあるでしょう。しかし、私は、ここでアフリカの「失敗国家」論を思い出してしまいます。「アフリカに失敗国家が多いのは、もともと黒人は駄目だからだ。もっと自分でしっかりしなくちゃ」というのが、その要旨です。バラク・オバマは言います。「君たちはアメリカという國の素晴らしさ、アメリカン・ドリームを信じる強さが足りない。この私を見なさい。アメリカを信じ、その夢を信じて努力すれば、私のようになれる。」こうした語り口の滑稽さは、リチャード・ニクソンの名言「アメリカでは、成ろうと思えば誰でも大統領に成れる」の馬鹿馬鹿しさに匹敵すると言えましょう。アメリカの歴史で白人と黒人の間に存在しているものは“misunderstandings(あれこれの誤解)”などと言って済ませられる「やわ」なものではありません。国内的には貧富の差が悲劇的に拡大して弱者の切り捨てが進行し、国外的にはアフガン、イラクと軍事侵略を進めて他国民の生活を無残に破壊し続けるアメリカ、この恐るべき ROGUE STATE AMERICA を変えるためには、自国アメリカの本質と歴史に対する明哲な認識と激しい怒りが必要ですが、キング牧師とライト牧師が共有するこの怒りが、少なくとも表面的に見る限り、バラク・オバマには認められません。今や歴史的名講演とされる彼のフィラデルフィア人種講演のフルタイトルは、“We the people, in order to form a more perfect union.” です。これは1787年フィラデルフィアで制定されたアメリカ合州国憲法の前文第一行、“We the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, ・・・”から、「of the United States」を削除したものです。憲法の前文では、英本国から独立した13州の更なる完全な連合一体化が要請されたのですが、バラク・オバマの「人種講演」では、それが人種間の和合一体化のスローガンにすり替えられています。何故こんな人を馬鹿にした手品めいたことをしたのか?もし、白人と黒人の間の軋轢が現在のアメリカが直面する中心問題であるのなら分かりますが、そんなことはありません。黒人の苦境の継続はアメリカ合州国の体質構造が必然的に生み出す一状況に過ぎません。バラク・オバマの狙いは、自分たちの國を「美し國」、自分たちを「美し者ら」と思いたいアングロ・アメリカン白人たちの「魂の中の嘘」に訴えかけて人気を集め、大統領の座を獲得したいからです。それ以外には考えられません。バラク・オバマの支持に回った民主党有力議員が「オバマはアメリカのマンデラだ」と言ったそうですが、これほどアメリカ白人たちの無知蒙昧と自己欺瞞を端的に示した発言は他にありますまい。
 一つ前のブログで、アメリカの黒人教会の中がどんな様子であるかに少し触れました。アメリカの黒人教会、特に今回バラク・オバマに関連していよいよ重要な問題となる可能性の高いジェレマイヤ・ライト牧師について、本格的に考えるためには、主に南北アメリカで「解放神学(Liberation theology, The theology of liberation)」と呼ばれるキリスト教神学の立場を理解する必要があると思われます。この神学の立場をとる牧師は貧しきもの虐げられし者の救済を宗教的使命と心得ます。ライト牧師はそうした牧師の一人です。バラク・オバマが自らをキリスト教信者と名乗るならば、大統領としての彼が解放神学を是とするかしないかが問われていることになります。
 キング牧師が暗殺された丁度その頃、私はボルティモアで黒人教会の日曜礼拝に幾度か参列したことがあります。フォークナーの小説『響きと怒り』の最終章「1928年4月8日」には南部の黒人教会の中での感動的な出来事が描かれています。そこに描かれている黒人の老女ディルシーは本当の意味での聖女です。フォークナーもそう思っていたに違いありません。

藤永 茂 (2008年4月16日)



ライト牧師は正しいことを言った(3)

2008-04-09 13:04:16 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 私は1958年秋から2年間シカゴ大学の物理学教室で研究に従事しました。その頃シカゴ交響楽団は伝説的な指揮者フリッツ・ライナーのバトンの下にありました。1955年にモノ録音され、LPレコードとして世に出たグレン・グールドの「バッハ・ゴールドベルグ」がルイ・アームストロングの新盤を乗り越えてレコード・セールのトップにのし上がったのもその頃でした。忘れられない思い出です。シカゴ大学はシカゴ市の南部にあります。そのキャンパスの南側には「ザ・ミッドウエイ」と呼ばれる幅広い(主に芝生の)緑地帯が東西に横たわっています。1893年に開催されたシカゴ万国博覧会の跡地が1キロ以上の横長の公園になったのです。緑地帯の南側にも大学の建物が並んでいますが、その列のさらに南に過ぎると広い黒人の町と住居地区に入ります。その黒人地区で私は生涯記憶に残る経験をしました。それはライナーやグールドとの“出会い”を上回る事件だった-と言えば大げさになりますが、実は、まるで些細な出会いでありました。ある日、私が乗っていた市バスがザ・ミッドウエイの南の黒人街の交差点で停車し、私はバスの窓から脇の歩道に座り込んで物乞いをしている黒人の乞食の爺さんを見下ろしていたのですが、そこに、汚い服装ながら上機嫌の表情の40がらみの黒人男性が通りがかり、路傍の乞食の銭受けの皿にポイと1ドル貨幣を投げ込んで、声を掛けるでもなく、そのまま歩き去りました。「クゥオーターを恵んでくれ」というのが相場の時代、クゥオーター(25セント)でコーヒーが一杯飲めた時代でした。気前よく1ドルを投げ与えた先ほどの黒人、自分が物乞いにまわってもおかしくないような風体、私はその時、「あ、これが人生の極意だ!」と思ってしまったのでした。理屈なしの反応でした。
 ジェレマイヤ・ライト牧師が、毎日曜、3千人以上の信者で一杯にしていた黒人教会( Trinity United Church of Christ )はザ・ミッドウエイから又ずっと南にあります。アメリカの政界に突然出現した有力な黒人大統領候補バラク・オバマを貶めるために、3月中旬、彼と親密な関係にあったライト牧師の過去の日曜説教の録画映像が編集されてアメリカ全土に流されました。それらはネット上で容易に視聴することができますが、その際、宣伝効果を狙って、ライト牧師の言った言葉がいやが上にも‘反米的’、‘非国民的’に過激なものに聞こえるように巧みに切り貼りして編集されている事をよく心得て視聴しなければなりません。以下では、ライト牧師のお説教の言葉から幾つかの事項を選択して論じます。
 まず「9月11日」関係。ライト牧師は、2001年9月11日ニューヨークの国際貿易センターとペンタゴンがオサマ・ビン・ラデンの攻撃を受けた後の最初の日曜日9月16日の説教で次のように申しました。:
■ We bombed Hiroshima, we bombed Nagasaki, and we nuked far more than the thousands in New York and the Pentagon, and we never batted an eye. We have supported state terrorism against the Palestinians and black South America, and now we are indignant because the stuff we have done overseas is now brought right back to our own front yards. America’s chickens are coming home to roost. (我々は広島を爆撃した、長崎を爆撃した、そして、ニューヨークとペンタゴンで殺された数千人を遥かに上回る人々を核爆弾で殺したのに、我々は丸っきり平ちゃら顔だった。我々はパレスチナ人や南アフリカの黒人に対する国家テロをずっと支持して来ておきながら、海外で我々がやってきたことが、今、わが家の前庭にドカンと持ち帰られたとなると、えらく憤慨している。アメリカがやったことの報いが自分に跳ね返って来たということだ。)■
このライト牧師の言葉は、9・11の直後に報ぜられたオサマ・ビン・ラデンの声明文の、ヒロシマ・ナガサキに関する次の部分に対応しています。:
■ When people at the ends of the earth, Japan, were killed by their hundreds of thousands, it was not considered a war crime, it is something that has justification. Millions of children in Iraq is something that has justification. But when they lose dozens of people in Nairobi and Dar es Salaam( where U.S embassies were bombed in 1998), Iraq was struck and Afghanistan was struck. (地の果ての日本で数十万の人々が殺された時には、それは戦争犯罪とは看做されなかった。それは何か正当化できることだというわけだ。(湾岸戦争後の経済封鎖のために薬や医療機器が極度に欠乏して)イラクの何百万の子供たちが苦しんでも、それは正当化できるという。ところが、(1998年ケニヤのナイロビとタンザニアのダ・エス.サラームのアメリカ大使館が爆破されて)何十人かのアメリカ人が死ぬと、イラクが攻撃され、アフガンも攻撃された。)■
ユーチューブで広く配信されている動画では原爆の部分は意図的に削除されています。同じような編集削除は、次の部分の前でも大幅に行われています。:
■ The government gives them the drugs, builds bigger prisons, passes a three-strikes law and then wants us to sing “God bless America.” No, no, no. Not God bless America, God damn America. That’s in the Bible for killing innocent people. God damn America for treating our citizens as less than human! God damn America for as long as she acts like she is God and she is supreme! ■
three-strikes law というのは、二度の重犯罪判決を受けた過去を持つ者が三度目の罪を犯すと、それが万引きなどの軽犯罪であっても、終身刑などの長い刑期を犯罪者に科すことを州法廷に義務づける法令のことで、このあだ名は明らかに野球の判定から来ています。この法令の効果で犯罪数が減ったとする主張もありますが、前科をもつ黒人たちの人生を悲惨なものにしているのも事実のようです。ライト牧師が上の言葉を絶叫するところだけを視聴すると、「随分と激しい事をいう牧師さんだ」と思ってしまいますが、実はこの部分に到る長い導入部があるのであり、ライト牧師は先ず神と人間がつくる政府との違いを強調します。神は過去から現在、未来永劫に変わらないが、国家や政府は変わりもすれば、失敗も犯し、衰退もする。ローマ政府、英国政府、ロシア政府、日本政府、すべてそうだ。アメリカが犯した過誤として、ライト牧師は先ず始めに先住民に対する酷い仕打ちを挙げ、次に黒人奴隷に言及します。しかし、神は絶対に変わることはない。昨日の神は今日の神であり、今日の神は明日の神である。神の愛は、過去も現在も未来も変わることはない--とライト牧師は教会に満ち満ちた信者に唱和を促しながら諄々と説き来たり、説き去って、次第に信仰者の感情を高揚させて行き、その締めくくりが上掲の激しい言葉なのです。ライト牧師の説教のスタイルは奴隷時代に発祥した黒人教会の長い伝統に根を下ろした、その意味では全く正統的なものだと思われます。ゴスペル・ソング(黒人霊歌)の熱唱もその熱い伝統の一部です。
 もう一つ、ライト牧師の発言で、ほぼすべてのアメリカ人から非難されている事柄があります。それは、「米政府は有色人種を大量殺害するためにエイズウィルスを作り出した」という主張です。これは言い過ぎだと私も思います。しかし、一方では、2005年1月11日の国連事務次長の発言によれば「アフリカではコンゴを中心として感染病などの疾病や内戦で毎日千人が死んでいる」という冷厳な事実が存在します。毎日一千人の死、これが全く世界の人々の意識に上らないまま、エイズが毎日何百人かのアフリカ人を殺しているとすれば、象徴的には、ライト牧師の発言は正しいのです。エイズ問題に本格的な関心を持っている人ならば、必ず知っている一冊の本があります。 Edward Hooper 著の『The River』、『河』とはコンゴ河のこと、千頁をこえるこの大冊にはエイズが白人科学者の手で誤って作られたという説がびっしりと展開されています。コンゴに強い興味を持ってから、私は数年前カナダで大学図書館から借りて来て読んでみたことがありますし、今でもアマゾンで買えます。
 さて、ながながと続いた私のバラク・オバマ論議を締めくくるために、この注目に値する黒白混血政治家のアメリカ政界での存在意義について考えてみます。彼が政治家として異様に卓越した資質を備えていることを否定する者は居ないでしょう。私たちがバラク・オバマについて抱くことの出来る最善最高の夢のシナリオは、彼が天才的な奸策の数々を動員駆使して、見事にアメリカ合衆国大統領という世界最高の権力の座に駆け上がり、その後に、アメリカの、そして、世界の真に偉大な救世主に変身することです。決して、皮肉なレトリックを弄しているのではありません。私は本気でそれを夢見ています。唾棄すべき共和党大統領候補ジョン・マケインが当選しては困るのです。ヒラリー・クリントンにも何らの希望を託すことも出来ません。残るのは、まず何とかしてバラク・オバマを当選させ、大統領就任後の彼の大変身に希望を託す、あるいは、アメリカの輿論の力を盛り上げて、オバマ大統領に大変身を強制するより他にありません。私もそれに賭けています。
 もう一度、ジェラマイヤ・ライト牧師が36年の年月を捧げて育て上げて来たシカゴ南部の大黒人教会 Trinity United Church of Christ に戻りましょう。この教区は下層黒人の町であり居住区です。その20%が生活保護を受け、失業率20%、全国平均を5倍近く上回ります。バラク・オバマがライト牧師の過激な発言の数々を大声に非難した後も、トリニティ教会の信者たちはライト牧師の支持を表明しています。しかし、大統領候補の選択となれば、彼等も、私と同じ気持で、大統領就任後のバラク・オバマの大変身を祈っているに違いありません。ユーチューブでライト牧師の熱弁を聞く際には、背後の黒人信者たちの熱狂ぶりをよく見て下さい。

藤永 茂 (2008年4月9日)



ライト牧師は正しいことを言った(2)

2008-04-02 09:54:14 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 バラク・オバマのフィラデルフィア「人種講演」の議論の続きです。前回のブログで、「バラク・オバマに対する私の最大の批判、あるいは、非難は、アメリカについて、アメリカの歴史について、彼が白々しい嘘をつくこと」にあると申しました。また、「オバマ現象」の本質については、2月27日のブログに、■「オバマ現象」は、ごく荒っぽく捉えれば、白人アメリカの「集団ナルシシズム」と表現できるかもしれません。しかし、この表し方には、致命的な誤りがあります。神話のナルシスは水面に映る自らの美しい容姿に恋いこがれて死に至りますが、白人アメリカが本当の自分の美しい姿を映していると信じ込んでいる鏡は、実は、悪魔がかざす魔の鏡であり、そこに映っているのはアメリカの本当の姿ではありません。喩えが安っぽくなり過ぎましたが、「オバマ現象」がアメリカを死に至らしめる病となる可能性は、やはり、否めません。「オバマ現象」は白人アメリカがバラク・オバマを待ちに待ったメシアとして熱狂的に迎えている現象ではなく、黒人の男をアメリカ合衆国大統領として擁立しようと熱心に努力する自分たちの姿こそ、アメリカ白人の心の正しさ、寛容さ、美しさを映すものであるとする自己陶酔、自己欺瞞こそが「オバマ現象」の真髄である--これが私の言いたい所なのです。私の根本的な見方なのです。■ と書きました。3月18日のフィラデルフィア講演のテキストを読んだ後も、私の考えの軌道を修正する必要は全く感じていません。むしろ私の見解の正しさを確認したという気持です。アメリカという國の過去と現在の本当の姿を直視し、そこから國を糺す正しい政策を打ち立てるという姿勢がこの演説には全く見当たりません。
 「フィラデルフィア講演」で、バラク・オバマは黒人奴隷制度を“this nation’s original sin ”と呼びますが、もしアメリカの原罪を言うならば、それは北米先住民のジェノサイドでなければなりません。1600年代初頭から始まった北米大陸先住民の排除殺戮は、いわゆるFounding Fathers(建国の父)たちがフィラデルフィアで憲法制定会議を開いていた1787年当時も休む事なく続けられていたことを、アメリカは決して忘れてはならない筈なのですが、その頃すでに、アメリカン・インディアンは野獣のごとき存在として the People of the United States から排除されていたのであり、彼等の排除殺戮は憲法制定の後さらに100年間も着実に続けられました。アングロ・アメリカン白人のジェノサイド(民族大虐殺)の犠牲となった北米先住民の総数については、歴史的に議論のあるところですが、地道な研究が進むにつれて、その数は漸増し、現在では,3百万人以下だと主張する人は稀だと思います。私個人としては、その総数は丁度ナチスによるユダヤ人のジェノサイド犠牲者と同程度であったと見積もっています。勿論、バラク・オバマとしては、ここで先住民のジェノサイドを持ち出すなど以てのほか、万一ユダヤ人の機嫌を損ねれば大変ですし、それに現在の先住民は全人口の僅か1%を占めるに過ぎず、大統領選挙の票田としては完全に無視して安全です。「フィラデルフィア講演」では、アメリカの公立初等教育システムの崩壊に言及して、■ This time we want to talk about the crumbling schools that are stealing the future of black children and white children and Asian children and Hispanic children and Native American children.■ とありますが、この Native American children という言葉が先住民への唯一の言及であり、この講演での先住民無視はほぼ完璧です。先住民たちはバラク・オバマの次のような言葉をどんな思いで読むでしょうか?:
â–  I chose to run for the presidency at this moment in history because I believe deeply that we cannot solve the challenges of our time unless we solve them together ? unless we perfect our union by understanding that we may have different stories, but we hold common hopes; that we may not look the same and we may not have come from the same place, but we all want to move in the same direction ? towards a better future for our children and our grandchildren. This belief comes from my unyielding faith in the decency and generosity of the American people. â– 
白人も黒人もアジア系人もスペイン系人も他所からアメリカにやって来ました。しかしネイティブ・インディアンは元々ここにいたのであり、ここは自分たちの土地であったのです。海を越えてやって来た白人たちに自分の土地から暴力的に排除され殺戮され、危うく抹殺されてしまうところだったインディアンたちにとっては“コロニアル時代”が今も続いているのであり、「アメリカ人たちの穏当さと気前のよさを固く信ずる気持」など持てる筈がありません。バラク・オバマにはこの点の認識が全く欠けています。いや、認識はあっても、この時点でインディアンに言及するのは、大統領候補指名を獲得するために百害あって一利なし、と踏んでいるのでしょう。
 かつての「魂の師」ライト牧師に対する非難攻撃もはっきりしたものです。選挙戦を勝ち抜くためには昔の師匠に対する義理など構っては居れません。
■ we’ve heard my former pastor, Reverend Jeremiah Wright, use incendiary language to express views that have the potential not only to widen the racial divide, but views that denigrate both the greatness and the goodness of our nation; that rightly offend white and black alike. (我々は私の以前の牧師、ジェレマイア・ライト師が煽動的な言葉を使って、ただ単に人種間の分裂を拡げるばかりではなく、我が國の偉大さと善良さの両方を侮辱し汚す見解を表明するのを聞いた。それらの見解はまさしく白人をも黒人をも等しく立腹させるものである。)■
■ But the remarks that have caused this recent firestorm weren’t simply controversial. They weren’t simply a religious leader’s effort to speak out against perceived injustice. Instead, they expressed a profoundly distorted view of this country ? a view that sees white racism as endemic, and that elevates what is wrong with America above all that we know is right with America; a view that sees the conflicts in the Middle East as rooted primarily in the actions of stalwart allies like Israel, instead of emanating from the perverse and hateful ideologies of radical Islam. (しかし,この最近の激しい抗議の嵐を呼んだ[ライト牧師の]諸々の所見は、ただ単に喧嘩腰だっただけではなかった。それらの見解表明は、不正不公平と感じたことにはっきりと反対意見を述べようとする一人の宗教指導者の努力に止まるものではなかった。そうではなく、この國についての非常に歪曲された見解の表明--白人の人種差別意識は白人人種の固有のものであるとし、アメリカの悪いところをアメリカの良さとして我々が知るところのすべてよりも上に置き、中東地域の紛争については、過激なイスラム教徒のひねくれた憎悪にみちたイデオロジーから発しているとするのではなく、主としてイスラエルのような強く勇敢な同盟国の行動にその根源があるとする見解の表明であった。)■ 
 バラク・オバマが断固として非難するライト牧師のこれらの見解は、私には、至極真っ当なものと思えます。むしろ、正しいことをズケズケと発言するライト牧師から安全な距離を取ろうとするバラク・オバマの政治的計算に,私は嫌悪を抱きます。
 去る3月5日付けのブログ『オバマ現象/アメリカの悲劇(2)』で、バーバラ・エーレンライヒという評論家が、多数の白人が熱心にオバマを支持しているのは、彼等が奴隷制やリンチなど黒人に対して「犯した罪の悔い改めとその埋め合わせを、彼を支持することで行おうとする」心情から発している、という見方をしていることを申しました。この「白人の罪の意識(White Guilt)説」は Earl Ofari Hutchinson という人によって、AlerNet でも取り上げられ、その論説に対して70を越える数のコメントが寄せられています。その大部分は「いまさら White Guilt など馬鹿馬鹿しい。我々は黒人奴隷をもったこともないし、黒人をリンチにかけたこともない。バラク・オバマはアメリカという國について正しく立派なことを言う。その政見に強く共鳴して彼を支持しているのだ」という内容です。オバマを支持する白人層、特に、政治的関心が高いとされる白人青年知識層、が示すこの集団的アムニージア(記憶喪失症)を、私は実に興味深く見守っています。これこそホブソン/プラトンのいう「魂の中の嘘(the lie in the soul)」が生み出す症状の一つに他なりません。自分たちが憶えていたくない事は積極的に忘れて恥じるところがない--これはアングロサクソン白人の際立った特質であり、歴史的伝統です。アメリカ白人たちの「集団ナルシシズム」と「集団アムニージア」、この二つの国家的症状にピタリと照準を合わせた黒白混血政治家バラク・オバマの選挙戦略、その総体を「オバマ現象/アメリカの悲劇」と私は把握するわけです。ライト牧師の熱のこもった日曜説教の反アメリカ的な個所ばかりを集めたユーチューブの画像が盛んに流され、そのためにライト牧師とその家族の生命が危険に曝されているという現実の前に、「自由の國アメリカでは言いたい事は何でも言える」と誰が言えるでしょうか。2004年の有名なボストン基調講演でバラク・オバマは高々とアメリカを讃えました。■ That is the true genius of America ? a faith in simple dreams, an insistence on small miracles. That we can tuck in our children at night and know that they are fed and clothed and safe from harm. That we can say what we think, write what we think, without hearing a sudden knock on the door.■ この文章は2008年2月27日のブログに引用しました。the true genius of America というのは、これぞアメリカの特質であり真髄である、という意味です。
 ライト牧師は信者たちで一杯の黒人教会の日曜日のお説教でどんな事を言ったのか。アメリカの黒人教会とは何なのか。次回には,私自身の経験も含めて、具体的にお話しします。

藤永 茂 (2008年4月2日)